孤剣 七
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 小夜を担ぎ上げた猿神が森に駆け込む。

 それを見た童子切に、一瞬の逡巡が生まれた。

 

 どうする。

 

 あの少女を助けるか。

 それとも、見捨ててこの場を去るか。

 

 今から彼女を追ったとしよう。

 その道の果てを、熟練の戦士である童子切の理性は二つしか指し示さない。

 一つ、彼女の救出は間に合わず、封を解かれた青行灯と戦う。

 一つ、救出は間に合うが、彼女を庇って、青行灯と戦う。

 

 つまり、どの道、あの少女の命は絶望的。

 そんな絶望的な代物に賭けて、己が滅ぶ事はないではないか。 

 彼女は、己の存在を賭けてまで、守らねばならぬ存在なのか?

 何の得が有ると言うのだ。

 

 自分は刀。

 冷徹にして犀利なる、戦場を生きるための道具。

 その本質が囁く。

 生き残れ。

 己で己を守れぬ者は……結局、死ぬしかないのだ。

 

「そうですよね」

 それが……恐らく正しいのだろう。

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 耳元で風がびゅうと唸る。

 枝を蹴る音、葉が擦れる音。

 小夜の頬や腕を時折、鞭のように枝が、ぴしりと叩く。

 痛い。

 だけど、小夜は悲鳴を上げたりせず、ぐっと声を飲み込んだ。

 さっき、生まれて初めて、死を間近にする程の、怖い思いをして判った事が一つある。

 声を出すと、悲鳴を上げると、その分力が抜ける。

 怖いを飲み込め。

 目を閉じると、闇の中で恐怖は余計増すだけ。

 どれ程怖くても、目を開いて、今起きている事を見ろ。

 

 そして。

 

 視界が急に開けた。

 高い木の上から、猿神がひょうと飛ぶ。

 淡い月明かりの中に、しらと輝く、白木の社。

 村人が……私が。

 あの女に、青行灯という妖怪に騙されていた、それは証。

 怒りが心の中で滾(たぎ)るのを、小夜は感じ……少し笑った。

 少なくとも……自分はまだ、あの妖怪に囚われてはいない。

 その社の前に立つ、青白い炎を纏って奴は居た。

 こちらを見上げてにんまりと笑う。

 その顔を、小夜は睨みつけた。

 

 絶対に、諦めない。

 

 地に下りた猿神が、思ったより丁重に小夜を降ろした。

 その前に、奴が立つ。

「お早いお帰りじゃったな、小夜姫、次の旦那は少しは生娘に優しくするように言い含めて置いたで、ゆるりと楽しまれるが良いぞ」

「一つ聞かせなさい」

 青行灯の淫猥な軽口に乗らず、昂然と顔を上げて、小夜は逆に質問を返した。

 その、怖気ぬ様子を不興気に、だが若干の興をそそられた様子で、青行灯は笑った。

「何じゃな?」

「父上は……貴女は父上を一体どうしたのです?」

「ああ、あれ……」

 興味も無さげに。

 人では無く、物、それもがらくたを扱うような声で。

「妾からは何もしておらぬ」

「嘘!」

「嘘では無い、あれは、自分で物語に囚われ、自分で魂を失っただけ」

「物語?」

「そう、物語」

 昔は良かったと。

 自分は本当なら、こんな所には居ない筈だと。

 こんな、痩せこけた土地で、しなびた大根を齧って終わる人間では無いと。

「あの男が、今を認められずに紡ぎあげた夢物語、その夢を愛し、現実を拒絶し……」

 にたりと青行灯が笑う。

「その夢の為に、娘を人身御供に差し出したのよ……畜生の妻としてねぇ」

 ほほほと笑う青行灯の声を聞く、小夜の目に、涙が一筋伝った。

「……父上」

 

 小夜には判った。

 この言葉には、少なくとも嘘は無い。

 この妖怪が現れる前から、父は、この山里を嫌っていた。

 そして、そこで生まれた小夜も。

 じいに教わって、こっそりと、この小さな手を泥で汚して、育て、初めて生った野菜で、食事を作った時。

 それを投げ捨て、踏みにじった、あの、憎悪に満ちた父の顔が。

「おう……おう、我が娘が……爪の間に泥を残して、手に豆を作って、大根なぞ」

 悲しや……侘しや……惨めな……惨めな。

 慟哭する父の背を見て、小夜はその時、泣く事も出来なかった。

 

 美味しく出来たのに。

 喜んでくれると……思ったのに。

 頑張ったなと、褒めてくれると。

 

 そして、判った。

 小夜がこうして、手ずから膳を差し出すまで、この人は、私の手に泥が残っていた事も、マメを作っていた事も、そう、彼女の事を、何も見ては居なかったのだと。

 ただ、小夜が舞を覚え、和歌を諳んじ、作法を完璧にこなして見せた時。

 小夜では無い、彼女の背後に映る都の雅の幻で、己を慰める為だけの、道具だったのだと。

 

 だからこそ、小夜が差し出した大根飯は、その幻想を、彼の夢を、完膚なきまで打ち砕き、彼に現実を突きつけたのだ。

 お前は、今やその辺の農夫と選ぶところは無い、草深い山里に逼塞(ひっそく)する、ただの人だと。

 故に、父はあのような憎悪の目を私に向けた。

 その、幼さに似ない、怜悧な頭脳故に……不幸にも、小夜には、そこまで父の憎悪が理解できてしまった。

 

 『お方様』を見出し、生活も服も食べる物も良くなって来て、小夜にも笑み掛ける事の増えて来た父だったが、その目の奥には、常に氷塊の如き冷たさが有った。

 判っていた。

 気が付いていた。

 だけど、私も結局……現実を見る事は、出来なかった。

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「まぁ、そなたの父には感謝はしておりますよ、益体も無き夢ながら、あれほど一人で語れる男も居らなんだでな」

 九十九の夢語り。

 都の姿を影絵に映す、あの行灯の灯りの中で。

 その尽きぬ怨嗟と憧憬を、雅な知識と言葉に練り込んで。

「妾にささげた物語を、喰らわせて貰った」

 語るその言葉と共に、その夢の中で発酵し、蕩けた魂を喰らって。

「真、美味であった……が」

 妾が、完全にこの世界に戻るには、あの男の魂一つでは、まだ足りなんだ。

 あと一夜分。

「故に、そなたの嘆きと絶望を喰らいたくてね」

「何故?」

 何故、私や父上を……弄ぶの。

「恨むなら、この妾を、この社に閉じ込めた、そなたの祖父を恨むのね」

「おじい様が、あなたを閉じ込めた?」

 何も知らぬげな小夜に、青行灯は蔑んだような目を向けた。

「妾は力を失い、あの行灯の中で眠っておった……まだ京が盛んであった時代に、陰陽師と、忌々しき式姫どもに敗北してね。その行灯を、代々受け継いで封じて来たお主の一族の務めとして、あやつは、この寂びれた神社に妾を封じた」

 そういう事。

 私の家は、この妖怪にとって、代々宿敵……ならば、彼女の恨みも判らぬでも無い。

 それは得心が行った……だが、小夜には、それより気になる言葉が有った。

「式姫」

 それは、この妖怪が、あのお侍さまを呼んでいた言葉。

「そなたも見たであろうよ、あの女」

「あの……お侍さま?」

「侍?」

 馬鹿な事を。

 そう青行灯は鼻で笑った。

「人の身、しかも女性(にょしょう)で、猿神三体を斬って、息も乱さぬ者など、いかな豪傑と言えど、居るものかや」

「それは……」

「あれこそが式姫」

 優美な外見に相違して、その身に鬼神の強さ纏う。

「嘘……」

「あの女も、人では無い」

 

 やめて。

 

(相も変らぬ悪趣味ですね)

(お久しぶりですね、ねぇ青行灯)

 

 何故、あのお侍さまが、この妖を知って……いや、旧知のような言葉を発したのか。

 小夜が心の裡で、うち消そうとして、どうしても消せなかった。

 彼女に聞けなかった疑問の答え。

 

「妾と同じ」

 

 聞きたくない。

 

「化け物じゃ」

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。
童子切の昔語り。
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