Nursery White 〜 天使に触れる方法 6章 1節
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「莉沙、久しぶり」

「ゆたか。本当に久しぶりだね、こっちに顔出すなんて。みんな待ってたんだよ?」

「いやいや、入部もしとらん人のこと待たんでくださいよ」

 おどけた調子で言うゆたか。本人は認めたがらないけど、照れているのだとわかる。

 僕も、久しぶりにゆたかと一緒に走れるのが嬉しい。

「なんとなく、もうゆたかはこっちに走りに来ないかな、とか思ってたんだ」

「そんなつもりはなかったよ。たまにはやっぱり走らないと落ち着かないもん」

「あははっ、そういうとこはなんだかんだで体育会系だよね。僕と同じ穴のムジナだ」

「なんか、莉沙にそう言われると面白くないな……」

 ゆたかはわざとらしくむっとして、アキレス腱伸ばしをしていた。

 僕は短距離、ゆたかは長距離。得意分野は違うけど、二人で走るのは楽しい。だから、ゆたかが来てくれて本当によかった。嬉しかった。

「さ、始めよっか。正直、久々だから走りたくてウズウズしてるんだ」

「いいよ。思いっきり走ろう、ゆたか」

 久しぶりだから、ゆたかもだいぶ鈍ってる……なんてことはなくて、すぐに彼女の中での最高のペースで走り出す。ゆたかは短距離の瞬発力も目を見張るところがあると思うんだけど、それ以上に長距離の時のペース維持能力がずば抜けていて、短距離専門の僕よりすごいのはもちろん、部内の長距離選手と比べても決して引けを取らない。これで、普段は全然運動をしないというんだから、本人が思っている以上にゆたかは陸上が向いているんだと思う。

 だから、未だに陸上部はゆたかに入部を勧めているんだけど、僕から言うことはない。

 だってもうずっと、ゆたかがどんな子かを見てきているんだから。

 小学生の時、誰よりもずっと「女の子」で、お姫様に憧れていたゆたか。実際、アイドルになれるぐらい可愛い、と僕は思っていた。

 でも、気がつくとゆたかの身長はぐんぐん伸びていっていて、同級生の中では一番に胸も大きくなって、女性らしい体つきになっていった。

 短い女の子の時間を終えて、いち早く大人の女性になったゆたかは、まあ普通なら男子にもモテたりしたのかな、と思う。でも、それ以上に背が伸びていたから、女子に比べると性徴の遅い男子からすると、見上げるほどの巨人のように感じられて、怖がられていたみたいだ。

 ゆたかは別に、男の子にモテたくて、可愛いお姫様になりたいと思ってた訳じゃないとはわかっているけど、当時は男子たちからの化物を見るような視線に耐えられたはずもなく、どんどん性格も暗くなっていっていた。

 逆に女子からは、頼られてもおかしくはないだろうけど、非社交的になっていったゆたかは、僕ような昔からの友達の他には、新しく友達を作ろうともせず、孤独になっていった。

 それは中学でも変わらず、ただ、ドールというものに出会えて、熱中できる趣味を得られたことで、いくらかは明るくなった気もしたけど、相変わらず友達が多い方ではなく、中学から増えた友達も、僕経由の子だけで、僕のいない場での付き合いはなかったみたいだから、「友達の友達」は脱しきれていなかったみたいだ。

 高校に入ってからは、同好の士を得ることはできたけど、彼女の望まない形での“姫”扱いが大変だったのは、想像に難くない。

 そんなゆたかに、二年生になってから新しい、しかも下級生の友達が増えたのは、僕から見てもすごく嬉しいことだった。

 僕はもう、進路が固まってしまっている。体育大学に進むから、いつまでもゆたかと一緒にはいられない。個人的に友達付き合いを続けるにしても、ほとんどの時間を練習に取られるし、練習することは僕も望んでいるから、希薄な関係になってしまうだろう。

 ……だから、僕とは違う、親友ができるというのなら、僕は小学生時代から続く、ゆたかへの心配事を解消できる。

 寂しさが全くない訳ではないけど、それ以上に安心の方が強い。

「ゆたか、前より明るくなったよね」

「……そう?あんまり実感ないけど」

「いっつもそう言うよね。僕が何か言っても、ゆたかは実感ないって」

「だって、自分自身のことだから、自分が変わっていってるなんて思わないよ。私は私を生かすので精一杯なんだから」

「まあね。僕も、とりあえず走って、細かいことは先生に教えてもらってるから。でも、大きくタイムが変わった時って、見える景色が変わるものだよ。……ゆたかは、どう?」

 僕はあんまり、自分の中の“女の子”を実感したりはしない。まあ、とりあえず自分の中のその成分が少ないってことは自覚しているけど、今の質問は中々に女の子的だったのかな、と思ったりした。

 つまり、僕は質問をしたように見えて、していない。求める答えは一つだけで、確認のために聞いている。そして、予想できるゆたかの回答はこうだ。

「そうなの……かな。あんまりわからないけど」

「自分自身のことなのに」

「だから、自分のことだからこそわからないんだって」

「じゃあさ、悠里ちゃんと出会う前と、その後。どっちが楽しい?」

「そりゃあまあ……出会ってからだけど」

「第二手芸部がなくなって、前ほどはドール仲間と話せなくなったよね。新しくできた友達の悠里ちゃんは、そういうことがよくわからない。それでも、悠里ちゃんと一緒の方が楽しいの?」

「ま、まあ……私は根っからのオタだと思うけど、悠里とはオタ趣味関係なしに話してて楽しいし、何よりすっごい可愛いし……」

「だから、ゆたかが見ている景色は、前より明るくなってるよね」

「……うん。たぶん」

「そこまで言って、断言しないかねー、この子は」

 まあ、ここまで言ってくれるなら、安心できる訳だけどね。

「だ、だって、なんか照れくさいでしょ?私は悠里に会う前も、それなりに楽しくやってたんだし……」

「ま、ものすっごく幸せ!ってのは難しいし、それなりに楽しいぐらいでいいのかもしれないけどね。でも、やるからには自分が一番納得できるような生き方をしたいじゃん?」

「……まあね」

「…………はっ、ふぅっ……。さすがに、この辺りまで走ると僕はきつくなってくるな……」

「いきなり息切れし始めなさんな。割りといいとこまで話行ってたじゃん」

「いやいや、僕から言えるのはそれぐらいだよ。……まっ、安心したよ。ゆたかが明るくなってくれて」

「だから、前からそんな暗くないっての。私の素のテンションが平均より低いってだけで」

 なんて言ってるけど、ゆたかが乗ってくると饒舌で、声のトーンも明るくなることを知っている。……言っとくけど、僕に隠し事はできないんだからね。特にゆたかは、ウソがわかりやすい方なんだから。

「それより、莉沙。莉沙も、色々と人間関係は変わって来てるよね」

「んー?まあ、陸上部とか、他の運動系の部活の子との関わりは増えてきてるね。ゆたかはゆたかで、バレーの未来ちゃんと最近話すようになったって、向こうの二年が言ってたの聞いたけど」

「……ああ、大千氏ちゃんね。なんか色々とあって、悠里とも友達だし、すっかりそんな感じに。……あの子、色々と特徴的だよね」

「僕はあんま知らないけどねー。すっごいドジとは聞いた」

「ドジ、ね……。学校ではそんなもんか……」

 ゆたかは未来ちゃんのどんなことを知っているのか、遠い目をする。ちなみに名前で呼んでるのは、本人がいかつい名字をあんまり気に入ってないことを知ってるから……でも、ゆたかは名字呼びとは。

「で、莉沙のことを聞きたいの」

「……なんで急に僕のことを?」

「いや、今までは私のこと話してばっかりだったし、莉沙のことも知ってみたくって」

「あははっ、人のことを構えるぐらい余裕ができたってことだね」

「なんかすっごいイヤミに聞こえるのは、私の心が汚れてるからですかね?」

「イヤミじゃないよ。むしろ嬉しいって。んー……そうだねぇ。僕はそんな特別、言うべきことはないと思うけど……まあ…………」

 一応、自分の中でホットな話題を切り出してみる。

「月町先輩と最近は割りと会ってるよ。と言っても、たまにテニスの相手して、けちょんけちょんにやられてる程度だけど」

「月町先輩って……生徒会の?」

 ゆたかの表情が、悪い方向に変わったのが見えた。……あれ?

「うん、月町華夜さん。ほら、テニス部入ってるでしょ?グラウンドの奥の方にテニスコートあるから、最初はちょっと顔を合わせるぐらいだったんだけど、僕が陸上部のエースとか言われてるのを聞きつけてさ、走るのが得意ならテニスもやれるはずだ、って変な理屈で誘われちゃって。まあ、テニスの運動量って相当だし、後半バテちゃうんだけど、トレーニングがてら付き合ってる感じ」

「へ、へぇ……」

「あれ、ゆたかって華夜先輩、苦手だった?まあ、得意って人は少ないだろうけど」

 でも、ゆたかのそれは得意とか苦手とかいうよりは、ほとんど嫌悪のような反応だと思った。

「いや……うん。先輩にそんな面があったんだ」

「意外でしょ?生徒会の役員以外として動いてる時は、普通なんだよ。その時の印象が強烈だから、恐ろしげな人に感じるけど」

「へぇ……。まあ、そうだよね。常にあんな人な訳ないし」

「厳しいのは変わらないけどね。でも、間違ったことは言わないし、いい先輩と思うよ」

「間違ったこと、か……。白河の清きに魚も住みかねて……なんて歌もあったみたいだけど」

「えーと、なんだっけそれ。江戸時代のなんかだよね?」

「……ま、いいや。でも、そっか。莉沙って年上相手にも全く物怖じしないっていうか、すぐに打ち解けるよね」

「んー、まあね。物怖じしてないって訳じゃないと思うけど、上手くやれる方かも。逆にゆたかは苦手?」

「得意じゃないな……。年下相手にも割りと困るから、同い年が一番いい」

「多分それ、誰でもそうですぜ」

「ですな……」

 別に何周走る、とは決めていなかったけど、僕が失速してきているのを見て、ゆたかはキリのいいところで止まってくれた。……恥ずかしながら、もう限界だ。対してゆたかは、まだまだ涼しい顔で、息切れもしてなかった。

「おつかれ、莉沙。……うん、全然普通に走れたな」

「大したもんだよ。走ると楽しいでしょ、またいつでも来てよ」

「うーん……気が向いたら?楽しいは楽しいけど、あんまり走って足に筋肉付いて、これ以上太くなられても困る」

「ゆたか、身長からすると細い方と思うけどなー。おっぱいはあるけど」

「うっせー、私と対して変わらないくせに」

「それ、褒め言葉に聞こえるけど。いや、僕も邪魔に思ってるけど」

「ダイエットしたら胸から痩せるって言うし、やってみよっかな?」

「いやいや、ゆたかはそれ以上減らしたらダメでしょ。骨と皮だけになるよ。後、胸のないゆたかはなんかヤだ」

「実際、胸だけでそんな印象変わるもの?」

「変わるよ!!」

「め、珍しく莉沙に熱弁されちまった……」

 確かに、僕が声を荒げるってあんまりないかも。

 でも、ゆたかは不当に自己評価が低すぎると思う。

 ……小学生の時なら、スタイルのよさや身長の高さが、コンプレックスでも仕方がない。事実、ゆたかはそのせいで友達を作れず、まだそこまで男女がはっきりと分かれはしない年頃から、男子に縁のない生活になってしまったんだから。

 だけど、僕としてはゆたかには、自分のスタイルを武器にするぐらいになってもらいたかった。

 だって、いつまでもゆたかの体のことが、彼女の重荷であり続けて欲しくはなかったから。それをプラスに受け止めることができたら、それは素敵なことと思ったから……。

 悠里ちゃんは、ゆたかのスタイルのことをどう思っているんだろう。

 彼女は背も低いし、胸も小さかった。自分と真反対のゆたかを見て……魅力を感じないとは思えないんだけど。

「まあ、悠里も私の胸に憧れてるとか言ってるけど……」

「そりゃ、ないよりはある方がいいもん。運動しない限りはね」

「私ら、してるのにでっかいなぁ……」

「むしろ胸筋が発達してるんだと思おう。実際、ゆたかも大きさの割りに垂れてないし」

「……いくら誰も聞いてないにしろ、男子もいるグラウンドで何語ってるんだか」

「あははっ、これもガールズトークかな?ほとんど猥談入ってる気がするけど」

「実際、ガールズトークなんて七割猥談なんじゃないですかねぇ」

「そうかも。……ふぅっ。走った後のスポドリは染みますなぁ」

「わたしゃ水やぞ、いいもん飲みやがって」

「走るつもりだったなら、持ってきたらよかったのに」

「いや、割りと土壇場で決めたから。もうこのまま帰るつもりだったもん。ただ、今日も莉沙が部活行ったのを見て、体育あったから着替えはあるし……と思って来てみた」

「ゆたかには珍しい行き当たりばったり感だね。割りとちゃんと計画してるもんだと思ってた」

「……まあね。でも、陸上部に顔出すのは、大抵気分からだよ。……割りと憧れあるのかもね。入ろうとは思わないけど」

「先輩たちが聞いたら、陸上界にとっての損失だー、とか嘆きそうだ。でも、ゆたかがやりたいことはこっちじゃないんだよね」

「そうだね……。別にドールのことを仕事にしたいって決めた訳でもないんだけど。でも、私はダイナミックに手足を動かして走るより、小さく手を動かして、小さな世界を表現したい」

「ゆたかは色々と器用だからね。ま、生き方は器用じゃなさそうだけどなーっ」

「余計なお世話ですよ、莉沙さんや」

 ゆたかは水が半分ぐらい入ったペットボトルで僕の額をぺし、と殴って、立ち上がった。

「今日はありがと。また、よろしくね」

「うん、おつかれ」

「おつかれ」

 そして、グラウンドを去っていく。

 僕はゆたかの影小さくなるまで目で追って、それからもう僕も立ち上がって、練習に戻っていった。

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