【7章】
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【雷盟の城門】

 

平行線は交わらない

けれども

交わらないからこそ

いつまでも常にずっと延々に

一番近くにあるものだ

 

例え一度でも交わってしまったのならば

あとはもう離れていくことしかできないのだから

 

 

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青空の広がる穏やかな道で、ふたりぶんの足音が音を奏でていた。

なだらかなその道は見通しが良く、吹き抜けた風が彼らの髪を撫でるように駆けていく。

「いい天気だね」と拳士風情の少年がのんびりとした声を漏らせば、もう片方の剣士風情の少年は風を目で追いながら「そうだな」と声を返した。

こんな日は縁側で昼寝するのがサイコーだよね、と欠伸を漏らした拳士風の少年の名をウーフー。

ああそうだなと再度テキトーな返事を返した剣士風の少年の名をヒエンといった。

 

ヒエンは七笑流という剣術流派の出で、刀を得意武器としている。

まだ小さいながらもその腕は確かであり、居合の技に関しては師匠が認めるほどの腕前だった。

なんせヒエンはどんな技でも涼しい顔で弾き返す。しかも返した刃でそのまま攻勢に移るのだから、隙もない。

こういうのを「サムライ」というのだろう。

闘うならばもう充分すぎるほどの剣技を携えているにも関わらず、ヒエンは「まだ足りない」と毎日鍛錬を欠かさなかった。

もっといけるはずだ、まだ先があるはずだと己の腕を、剣を極めようとただ黙々と刀を振るう。

 

「守りたい」「強くなりたい」ではなく、「道を極めたい」

 

ただそれだけの想いを持って、ヒエンは暇さえあればずっと愛刀と戯れていた。

それが突然ぴたりと止まり、ヒエンは道場を飛び出し旅に出る。

それは彼の師匠が原因だった。

 

ヒエンが学んでいた「七笑流」というのはナナワライと言う名の森の族長が開いた剣技の流派。

ヒエンの師匠も彼だ。

どこにでもある武術の道場でしかなかった七笑流だが、その師範に当たるナナワライが突然行方をくらまし、戻ってきた頃には「魔王」と呼ばれるものになっていた。

ヒエンは何があったか詳しくはわからないが、そのせいで森が荒れ、魔王となったナナワライは荒々しく怒り狂い人々を苦しめているらしい。

となれば、弟子であるヒエンの扱いは想像出来るだろう。

魔王が開いた流派、魔王の弟子、と噂が広まり身の置き所が無くなってしまった。

剣の道だけを追っていたヒエンが人々の流す噂に対処する術を知っているはずもなく、広まる噂とそれに伴う嫌がらせに戸惑うばかり。

その上、七笑流は危険だと看板すら壊されそうになり必死に抵抗したのが悪かったらしく、世の人々からの印象は最悪にまで落ちてしまった。

看板だけでも死守しようとそれを抱き抱えたヒエンに向けられたのは「魔王の起こした流派なだけあって、弟子も乱暴で極悪な流派」という冷たい目。

なすすべもなく追い込まれていたヒエンと七笑流への攻撃が止まったのは、数々の嫌がらせにより道場が立ち直れないほどボロボロになった頃だった。

 

突然嫌がらせが減り不思議に思ったヒエンがこっそり人々の話に耳を傾けると、どうやらヒエンの師匠が担っていた「風隠の族長」という地位を師匠のご子息が継いだらしいという噂が耳に入る。

ただ新しい族長も「魔王の息子」と噂され、立場としてはあまり良くない状態。実際、耳にした噂話もあまり良い言葉は聞こえてこない。

しかしながらその良くない噂は日に日に薄れ、まだ完全に信用されたわけではないようだが、彼を「族長」と認める声は増えていた。

この変化を目にし、ヒエンは看板を抱えふむと考え込む。

 

七笑流を立て直すには

師匠の跡継ぎとして

ご子息に立って貰えば良いのだ

 

と。

現に「森の族長」という、印象が悪くなってしまった地位を多少とはいえ立て直したのは他でもない直系の息子。

ならばこれと同じように「七笑流の師範」として直系のご子息に跡を継いで貰えば、七笑流を立て直せる。

新たに師範を立てても悪化した七笑流の印象は戻らない。あえて直系の息子が同じ流派を継ぐから印象を取り戻せる。

 

「これだ…!」

 

七笑流の看板をぎゅっと握り締め、ヒエンはひとり頷いた。

ここで七笑流を潰すわけにはいかない、師匠もそんなこと望んでいないだろう。だから残った自分が動かなくては。

そう考えヒエンは道場の裏に七笑流の看板を埋めた。誰かに見付かり燃やされてしまうことを防ぐためだ。

跡を継いでもらい、七笑流を存続出来たらまた掘り返せば良い。

看板を隠し終えたヒエンはこっそりと道場を抜け出し人目を避けつつ森へと向かう。

師匠の息子に、七笑流の師範になってほしいと頼みに。

 

森の中を歩く際にも様々な噂話が聞こえてきた。

魔王がどうだとか、新族長がどうだとか、跡継ぎ争いがどうだとか。

跡継ぎ争い?とヒエンが耳を澄ませば、どうやら師匠の息子に関しての話だった。

 

「長男が族長を継いだが、弟の方が才覚があっただろうに」

 

「その弟を森から追い出したんだろ?」

 

「やはり長男も魔王の気質があるんじゃないか、跡を継いだといっても半ば無理矢理だったのだから」

 

「武術の心得もない奴に族長なんて務まるのか?まあ彼奴が魔王になっても簡単に倒せるだろうからそこは良いが」

 

「違いない。魔王は前から強かったから誰も手を出せない、困ったものだ」

 

ため息とともに流れるそんな噂話にヒエンは眉を顰める。

どうであれ現状新族長は森を立て直そうと立ち回っているのだ。キチンと役割を果たそうとしている人を思い込みだけで悪く言うとはと頭に血が上ったが、今まで人々から受けた仕打ちを思い出し足がすくんだ。

この状態で自分が抗議に出ても師匠と新族長の立場を悪くするだけだと、ヒエンは木の影に座り込み身を隠した。

ふうと大きく息を吐き、己を落ち着かせようと試みる。

愛刀を抱き締め数度呼吸を繰り返すと、噂話をしていた輩は何処かに行ってしまったらしい。

おかげでようやく落ち着いたと、ヒエンは再度大きく息を吐き出した。あの程度で心揺さぶられるとはまだまだ己は未熟だと反省しながら。

 

「…しかし、そうか。やはり師匠のご子息はふたりいるのか」

 

師匠のご子息は1度顔を合わせたことがあったしその時の口ぶりから弟がいるらしいことはなんとなく察していた。

ふうと木々から溢れる空を見上げ、ヒエンは首を傾ける。

師匠のように、新しい族長に師範を兼任して貰おうと思っていたが弟君いるなら話は別だ。

族長は族長で大変そうだし、あの方に今以上に負担をかけるのは忍びないと思っていた。

でもご子息がもうひとりいて、なおかつその方に武術の心得があるのならば、そちらに七笑流の跡継ぎを任せられる。

弟君の年頃は以前の口ぶりから考えれば己と同じくらいのはず、とヒエンは立ち上がり森の中へ踵を返した。

背格好の予測がつくならば、探し出すのは容易なはずだ。

跡継ぎ争いに敗れ森を追い出されたならば他大陸へと行ってしまったかもしれないが、まずはこの大陸を探してみよう。

 

「しかし、族長と師範両方やっていた師匠は、やはりとても凄い方だったのだな」

 

己の師匠の再度尊敬し、ヒエンは嬉しそうに地面を踏みしめた。師匠が魔王となってから、聞こえてきたのは師匠の悪口ばかり。

師匠のことをロクに知らない輩が、妄想だけで作った虚像。

それを耳にすることは、どうしようもなく悲しかったが、今日色々知って師匠に対し再度尊敬の念を抱くことが出来た。

ならば良い。

自分の師匠はやはり立派な人物だった。

それは間違いなかったのだとヒエンは森の中へと消えて行った。

 

 

■■■

 

ヒエンは行方知らずの師匠の息子を探し、なんとなくそれっぽい気配を度々感じるためこの大陸にいるのだとは思うが姿は見えず、休み無くあちらこちらと歩き回っていると崩れた道場が目に入った。

知らない道場だがこの地には多数の道場がある。これもそのひとつだろうとヒエンは敷地内に足を進める。

風の通った気配がしたからだ。

まあ結論から言えば残念ながら探し人は居らず無駄足となったのだが、その代わりにヒエンはウーフーと出会うことが出来た。

話を聞けば、ウーフーも師匠を失い流派が潰れたらしい。

その原因は兄弟子の裏切り。荒らされた挙句、奥義の秘伝書を持ち逃げされたようだ。

ウーフーはその兄弟子を探しているらしい。

師匠が魔王化して流派が潰れたのと、師匠が居なくなり流派が潰れたのと差異はあるが似たような境遇。

跡継ぎを探す旅と、兄弟子を探す旅と目的は違うが人を探しているのは同じ。

ならば共に行こうと話がまとまり、今はふたり肩を並べて大陸中を歩き回っていた。

剣と拳とジャンルは違えどお互い武術を得意とする身。相応の実力があるふたりならば、話題は自然とそちらの内容に傾く。

「そういえばヒエンは何か倒したことある?」とウーフーは興味深そうに首を傾げた。

 

「ボクは虎を倒したことがあるよ!」

 

まあ師匠に見守られながらだったけど、と頬を掻きウーフーは得意げに胸を張る。

ウーフーの質問にヒエンは空を見上げ、ぽつりと答えた。

 

「…龍、だな。七巻半の」

 

ヒエンの答えに目を丸くしウーフーは「りゅう!?」と驚いた声を響かせる。

七巻半、というだけでは詳しい大きさがわからないが、巻いた姿が七巻半とは恐らく非常に長いだろう。

 

「七巻半って、なんメートル?」

 

「…メートル、…というほどではないな。…このくらいだ」

 

のんびりとヒエンは肩幅よりやや長い程度の幅を手で示した。

ヒエンの言葉と行動の意味がわからず「?」と不思議そうな表情を浮かべるウーフーに、ヒエンはのんびりと答えを教える。

 

「七巻半だからな。…鉢巻よりちょっと短いんだ」

 

つまるところ単なる冗談。

ナナ巻半だからハチ巻より短い。つまり頭に巻く鉢巻程度の小さな龍だと、ヒエンは珍しくクスクス笑った。

その答えを聞いてウーフーは「…は?」と気の抜けた声を漏らす。

脱力しながらウーフーは「キミも冗談とかいうんだね…」と頭を掻いた。

まあ冗談にしては妙に小難しい内容だったが。

 

「ああ、師匠にも言われたな。冗談にしては頭を使う、と」

 

向いてないのかもしれないな、とあまり気にしていない態度でヒエンは前髪を払った。

向いてるとか向いてないとかではなく、ヒエンが言うとホントに七巻半のデッカい龍倒してそうだから冗談になってないだけじゃないかな、という感想をウーフーは飲み込む。

ここ数日一緒に行動してみたけれどヒエンは龍くらいなら倒せそうなんだよね、と真横にいる剣士を見つめウーフーは小さくため息を吐いた。常に警戒しているのかヒエンには隙が全くないのだから。

そのまま話題はゆるゆると流れ、別の話題へと移り変わっていった。

そんな気の抜けた会話の続く旅はのんびりのんびり進んでいく。

結局のところは、平和だった。

 

■■■■

 

平和だった、と思っていたのは僅かな時間。

旅を続けていく間に、ヒエンたちはどうにも周囲の様子がおかしくなっているのに気付いた。

なにがどうおかしいのかと問われたら答えにくいのだが、なんとなく周囲が浮ついている。例えるのならばそう、祭りのようだった。

しかしここらで祭りが行われるといった話は聞かない。妙だなとヒエンたちは首を傾げた。

 

「祭りがあるなら行ってみたいなー、いつも修行ばっかりでそういうトコ行ったことないから」

 

騒つく人々を横目にウーフーが笑う。

ヒエンも祭りに参加したことはないが、行きたいと思ったことはなかった。

だって師匠と修行しているほうが万倍楽しかったから。

喧しいのも人が多い場所も遠慮したい、とヒエンが人混みをさっさと擦り抜けるとウーフーも慌てて追い掛けてきた。

多少人通りが落ち着いた場所に出るとチラチラ街に視線を送りながらウーフーは「人探ししなくていいの?さっきのトコに居たかもしれないのに」と首を傾げる。

ウーフーのその問いから目を逸らしつつヒエンは言葉を濁らした。そんなヒエンとは真逆に、ウーフーは笑みを浮かべヒエンの裾を引く。

 

「ちょっと調べてみようよ。見つからなかったとしてもここが賑やかな理由はわかるかもしれないしさ」

 

ヒエンとしてはあの人混みの中に戻るのは気が進まなかったが、確かに多少情報収集したほうが良いだろう。

人探しという点からも、現状の把握という点でも。

渋々ながらもヒエンが頷けばウーフーは笑みを浮かべ「んじゃ、夕暮れまでにここに集合ってことで!」と近くにある地蔵をぽんと叩いた。

どうやら手分けして動くらしい。

ヒエンの了承の言葉を聞くと、ウーフーはウキウキした様子を隠すことなく人混みの中へ突入して行った。

残されたヒエンは軽くため息を吐きながら、先ほど擦り抜けた喧しい場所へと足を戻す。

此処は道場から離れているからまだ気付かれていないようだが、魔王の流派だとバレてまた石投げられたら嫌だなと気乗りしない様子のまま。

 

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数刻経って、集合場所にウーフーが戻ってきた。

もう既にヒエンはその場に座り込んでおり、ぼんやりと空を見上げている。

「遅れた?ごめんね」とウーフーが慌てて謝れば、ヒエンは自分が早く戻っただけだからと首を振った。

 

「なんかわかった?」

 

ウーフーの言動と表情から、彼も探し人の情報は得られなかったのだろうとヒエンは頬を掻き「わかったのは喧しい理由だけだ」と小首を傾げる。

ボクもそうだよとウーフーは苦笑し「お祭りだと思ったのにな」と少しばかり不満げな表情を浮かべた。

人探ししたいのか祭りに参加したかっただけなのか判断に困るとヒエンは苦笑し、己の聞き齧った事柄をウーフーに伝える。

ヒエンが得たのは耳を澄まして聞いた情報だけだ、おかげで詳しいことはわからない。

しかし街の人に積極的に話し掛けていたウーフーならば、これより詳しい内容がわかるだろう。

それを期待して情報を擦り合わせようとしたのだが、ウーフーは「ボクが聞いた話も似たような感じだったな」と笑いながら小袋を取り出した。

手渡された袋に首を傾げれば、ウーフーは「もらった」とニコニコしながら押し付けてくる。

 

「街中飲めや歌えやの大騒ぎ。そのおかげで色々もらったんだよ」

 

袋の中身を確認すると食料が沢山詰め込まれていた。心許なくなっていたから有難いとヒエンは素直にそれを受け取る。

しかしまあ活気があって楽しかったねと笑うウーフーに曖昧な返答を返し、ヒエンは未だ騒がしい街に目を向けた。

 

この街が異様に賑やかなのは、誰かが先導しているらしい。

元より「街」というものは治世の元、活気溢れるものではある。現に跡継ぎ騒ぎで荒れた風隠の森は、それに比例するように治安が悪化していた。

故に現状賑やかなこの街は良い指導者のもと、良い政治が行われているのだろう、とは思う。

しかし、この賑やかさは異常だ。

声と金と人が街中に響き溢れ、他の場所と比べると活気の上がり方が異様。朝から晩まで灯りが消えることはない。

そこが不思議だったため原因が何か知りたかったのだが不明なままだ。

 

「んでどうしようか?暗くなってきたし、この街に泊まる?」

 

ヒエンがぼんやりしているのに気付いたウーフーが「疲れてるのかな?」と探るように顔を覗き込んできた。

「…いや、」とヒエンが少し困ったように首を振ろうとした瞬間、街の中から大きな悲鳴が響き渡る。

何事かとウーフーは弾けるように街の中へと駆けて行った。ヒエンも少し躊躇したものの慌てて跡を追う。

声の音から、明らかに異常事態の気配を感じ取ったからだ。

 

■■■

 

声のした場所に向かうヒエンたちだったが、人々の動きはそれとは真逆。何かから逃げるように走り去っていく。

そんな人の流れに逆らうのは大変だったが、なんとか騒ぎの中心に辿り着くことが出来た。

その場所に在ったのは、崩れた店と倒れている人。遠目からの判断だが倒れている人に外傷は無く、気絶しているだけのようだ。

しかしながらこのまま放置していたら致命傷かそれに近い損傷を受けることになるだろう。

なんせその惨事の中心、崩れそれでも煌々と輝く街のド真ん中には、1体の大きな龍が浮遊していたからだ。

赤と黄色と白と緑で彩られた絢爛豪華な身体は蛇のように長く、時たま爆竹のような音を響かせながら強い眼差しを見せるその龍は大きな口を開け人々を威嚇する。

先に到着していたウーフーも「なんでこんなところに龍が!?」と驚いたような表情を浮かべていた。

ウーフーの言う通り、普通ならば龍が街中に姿を現すことはない。

ヒエンも驚いたが、龍が明らかな敵意を持ってこちらを見下ろしているのに気付き刀の鍔に手を掛けた。

まあ確かに、龍からしてみれば大半の人間が逃げ出したにも関わらず立ち塞がっているヒエンたちを邪魔に思うのも無理はない。

ヒエンたちを蹴散らそうと迫ってくる龍を見据え、ヒエンはひゅんと空気を一閃切り裂いた。

その刹那、龍は弾かれたように怯み体当たりを止める。

どうやら居合が上手く決まったようだ。

そんなヒエンの行動に、横にいるウーフーはおろか逃げていた街民も足を止めひとりの剣士をただ見つめていた。

周囲の視線を一切気にも止めず、ヒエンは声を張り上げ啖呵を切る。

 

「師より授かりし我が必殺の剣、受けてみよ!」

 

いくぞ、と飛び上がり刀の先に力を込めて雷のように刃を落とした。

倒す気はなく、そもそもこんな大きな龍を倒せるはずもないと理解しつつも刀を振るう。

ここで龍を追い払えないと、倒れている人が危ないとただそれだけ考えて。

あとちょっとだけ、己の剣技がこの大きさの龍に通じるのか試したくなって。

ヒエンは沢山の人が見ている中、ひとつの言葉を落とした。

 

「七笑流奥義、ツバメガレ!」

 

その言葉とともに放たれた一閃は見事に龍を捉え、龍に悲鳴を上げさせる。

一打としては弱いものであったが、龍を怯ませることには成功したようだ。

よかった、と思わずヒエンの口が嗤いの形に彩られる。

ヒエンの剣尖を浴びた龍は、そのまま流れるように空へと飛び立ち闇夜に消えて行った。

 

龍が立ち去り静まり返った街中で、キンとヒエンが刀を収める音だけが響く。

その音は、雪風のように澄んだ美しい音色を奏でた。

ヒエンがふうと息を吐き、倒れていた人にゆっくりと近付く。大事ないかと心配そうに。

けれどもその人は、騒ぎの中気絶から復帰していたらしくヒエンの姿を見ると怯えたように後ずさりをした。

 

「龍を斬っ…、七笑流…っ!?」

 

その声を皮切りに、周囲にいた人々からざわめきが広がっていく。

「七笑流って確か…」「魔王が、」「あいつ魔王の手下だ」「そうに違いない、龍を倒すとは」「化け物」

そんな、幾度も聞いた声がヒエンの耳に届いた。

同時に、恐怖と嫌悪の視線も。

何度も味わったその目と数々の言葉を思い出し、ヒエンの顔色が悪くなる。

 

「あ…」

 

その目と言葉から逃げるように、反射的にヒエンは暗闇広がる街の外へと足を向けた。

人の目から逃げるように、ヒエンは脇目も振らず駆け出し暗がりに溶けていく。

背後から、戸惑うように己の名を呼ぶ声には気付かなかった。

 

■■■

 

ただ真っ直ぐに走り続け、ヒエンは街から離れた真っ暗な森の中でようやく足を止める。ここなら見つからないだろうと、荒れた息を整えヒエンは大きな木にもたれかかった。

力の抜けた身体はずるずるとへたり込み、ヒエンは愛刀を抱え座り込む。

やはり自分は、七笑流という言葉は、現状まだ人に受け入れられる状態にない。

先ほど浴びた言葉が耳の奥から離れず、ヒエンの目に涙の粒が浮かんだ。

その時、

 

「やっ、やっと、追いついた…」

 

背後から聞き慣れた声が聞こえ、ヒエンはビクリと身体を跳ねさせた。

反射的に抜刀し、ひゅんと追っ手の眼前に刃を向ける。

するとその追っ手、ウーフーは驚いたように目を丸くし切っ先を避けようと後ろに下がった。まあ足場が悪くてそのまま尻餅をついてしまったが、気にも止めずウーフーはそのまま手をパタパタと左右に降って敵意がないことを主張する。

 

「待って待って待って!だからなんでキミはすぐそんな物騒なもん振り回すのさ!」

 

闇夜に光る刃を前にウーフーは呆れたように困ったように、そしてヒエンを宥めるようにゆっくりと息を吐いた。

「だいじょうぶ」といつも通りの笑顔を浮かべ、ウーフーは真っ直ぐヒエンの顔を見つめる。

 

「大丈夫、コワクナイヨー?」

 

未だ怯えたような表情のまま刀を下ろさないヒエンに向けてウーフーはへらりと笑った。

「だから泣かなくていいよ?」と小首を傾げるウーフーに、ヒエンは「…ないてない」と目元を袖口で拭いつつ反論する。

 

「…キミ、七笑流だったんだね…ってだから待って逃げないでよ!」

 

別にとって食いやしないよ、とウーフーは慌ててヒエンの襟巻きを掴んだ。

ウーフーに七笑流だと指摘され逃げ出そうとしたヒエンは、襟巻きを掴まれドスンと尻餅をつく。

師匠が魔王になって、それから七笑流を悪く言われるようになって、周りの人から冷たい目を向けられるようになって。

身の上を隠していたとはいえ、ヒエンとしてはウーフーは久方ぶりにマトモな会話が出来た相手だ。一緒に旅出来た、久々に、自分に笑顔を向けてくれた相手。

そんな彼に七笑流を否定されたら、冷たい目を向けられたら、魔王の手下だと罵られたら、多分恐らく立ち直れない。

真っ青なヒエンに呆れたように息を吐き、ウーフーは「ひとの話は最後まで聞いて」とぐいぐい襟巻きを引っ張った。

 

「確かに七笑流の噂はいろいろ聞いてるけど、ボクはヒエンを魔王の手先とか思ってないから」

 

ここ数日一緒に旅して、ヒエンが悪いヤツじゃないって知ってるから。

そう言ってウーフーは、いつも通りの笑顔でヒエンに笑いかけた。

その言葉と笑顔に対し安堵と疑問の混じったような顔を見せるヒエンから手を離し、ウーフーは己の頬を掻く。

 

「ボクが七笑流のことを知ってたように、ヒエンも多分ボクの道場のこと聞いたことあると思うよ」

 

そう言われてもヒエンには心当たりはない。

素直に首を傾げるとウーフーは苦笑し「ボクのとこは、キミのとこと違ってホントに流派がつぶれてるから」とゆっくり空を仰いだ。

その言葉にヒエンは思い出す。ウーフーの道場は、廃墟のようにボロボロだったことを。

 

何故、人が住めないほどボロボロになっていたのか

何故、ウーフーの師匠は居なくなったのか

何故、ウーフーは旅に出たのか

 

それを少しずつ繋げていけば、噂で聞き齧ったことを思い当たった。

「師範が死に、また道場が潰れた」

それはほんの些細な噂。噂としてはよくある道場の末路であり、割とよく聞く。そのためほとんど気に留めてはいなかった。

「まあそんなもんだよね」とウーフーは苦笑し、事情をのんびりと語り出す。

 

ウーフーの師匠は、ヒエンの師匠のように豹変し居なくなったのではなく、また寿命や病気や怪我で死んだのでもなく、殺されたのだと。

弟子に反旗を翻され、命を落としたのだと。

だからウーフーは探していた。奥義秘伝書を奪い、師匠の命を奪った兄弟子を。

 

「ボクの旅の目的は、カタキ討ち、ってとこ」

 

ヒエンに顔を戻しウーフーは力無く笑う。自己満足でしかないんだけどさ、と。

仇討ちが目的で秘伝書を取り返すことはそこまで重視していないのだと言う。

 

「…ボクの流派は裏切り者に師匠が殺され、秘伝書を奪われ、もう流派として立ち回らなくなっちゃってる。流派としてはもう死んでるんだよ」

 

敗けた流派、だから。

敗けた時点で喪われたから。

もうこの世から消えたのだから。

だからボクはボクの流派名を名乗れない、とウーフーは己の拳を弱々しく握りしめた。

 

「名乗れる流派があるのは羨ましいな、とはちょっと思う」

 

そういえば、とヒエンはここ数日間のことを思い浮かべる。確かにウーフーは「奥義」とは言うが、流派名を口にしてはいなかった。

これは流派というものの道理と言えば良いのか、看板を取られた道場は閉じるもの、に近い暗黙の了解と言えば良いのだろうか。

例えそれが、極悪人に卑怯な手で叩き潰されたのだとしても、敗けた流派は、弱いものは大人しく消えるしかない、という自然淘汰にも似た当然の現象。

 

「まあ、それはさ。ボクが師範になってちょっと名前変えて新しく流派作っちゃえばどうにかなるから」

 

あまり気にしてないとウーフーは笑ってみせた。流派が潰れても新たに生み出せるから、と。

師匠と流派の仇討ち、それを成してから新しく始めるつもりらしい。

だから、とウーフーはヒエンに顔を向けた。

 

「七笑流を消されないように、忘れないようにしてるキミはすごいと思う」

 

ボクは諦めちゃったから。そう言ってウーフーはへらりと微笑む。

諦めたのは流派関連のことだけであり、仇討ちは諦めていないようだが。

そんなウーフーの表情を見て、ヒエンは不思議そうな顔になった。確かに、ウーフーの所は秘伝書を奪われ敗けた道場ではあるが、ウーフーが生き残っている。

ならば道場も流派もそっくりそのまま立て直すことが出来るだろう、と。

周りの人の反応も、暗黙の了解も無視して名乗ってしまえば良いだろう、と。

それを問えばウーフーは頬を掻き、少しばかり困ったような表情でぽつりと語った。

 

「…んー、とね。…ボクはあいつに一度負けたんだ。だから、そんなヤツが師匠の流派継いじゃダメだろうなと思って」

 

一度というか師匠が殺されたときに闘ったのが初めてだったんだけどさ、とウーフーは苦笑する。

だから、見付けたら今度こそ倒したいと強く強く拳を握った。

 

「ま、あっちはボクのことこれっぽっちも覚えてないだろうけど。兄弟子とはいえ一緒に鍛錬したことは全くないし、あっちからしてみればいっぱいいたチビの内のひとり程度じゃないかなあ」

 

その上、師匠を殺したとき他の弟子も皆殺ししたと思い込んでるだろうからなー、とウーフーは頬を膨らませる。

「師匠のカタキー!」と飛び掛かっても「誰だお前」とか言われそう、と大きなため息を吐いた。

 

「…流石に、同じ道場の者を知らないはずが…」

 

「いや、アイツ多分ボクらのこと認識してない。元から態度悪かったもん。修行サボるし、片付けとかもしないし、それに…」

 

思わずヒエンは口を挟んだが、それは否定され代わりに兄弟子の素行の悪さを延々聞く羽目となる。

「取材されたらボク言うよ?アイツはいつかヤバいことやるヤバいヤツだと思いました!って」とウーフーは不機嫌そうにそう言って言葉を閉じた。

よっぽどその兄弟子に不満が募っていたのだろう。

まあ普通に考えて、敬愛する師匠を殺し秘伝書を千切り捨て逃亡した相手に良い印象など抱けないだろうが。

ヒエンが納得したように頷けば、ウーフーはヒエンの言葉を待つようにじっと見つめてきていた。

 

「ボクの事情はこんな感じ。…で、ヒエンは?」

 

話したくないなら話さなくていいけどさと笑い、ウーフーは「ボクが知ってるのは七笑流のウワサだけ。ホントウはどんな感じ?」と小首を傾げる。

ヒエンは少し考え、旅をすることにした経緯をぽつりぽつりと話し始めた。

 

■■■

 

ヒエンの話は終わったのだが、長すぎたらしくウーフーはこくりこくりと船を漕いでいる。

気付けば夜も更け、夜鳥の声すら眠りについた時刻。長話しすぎたとヒエンは髪を掻きウーフーに毛布を掛けた。

野宿となるが仕方がない。

刀を直ぐに抜けるよう手に持ったまま、ヒエンは警戒しつつも多少身体を休ませる。

一晩中見張りをするのは良い修行になるからと、少しだけ疲れたように微笑んだ。

 

翌朝、ウーフーに「寝ちゃったごめん!」と謝罪されたので「いや、良い修行になった」と返したら若干引かれ「寝て」と無理矢理毛布を被せられたのは当然の話。

別に平気だと毛布を剥げば、有無を言わさず「昼に起こすから寝て」と再度毛布を投げられる。

 

「寝首掻いたりしないから」

 

半分寝てたけど昨日の話は把握してるからキミが色々大変だったのはわかったから寝て、とウーフーは怒ったような表情でため息を吐いた。

「つまるところキミは、七笑流の悪いウワサが出はじめたころからテンヤワンヤしててちゃんと寝てないんでしょ?」とヒエンに背を向け座り込む。

道理でなんかずっとぼんやりしてるな、返事もテキトーだなと思ったとウーフーは再度息を吐き、

 

「今はボクがいるから安心して寝て良いよ」

 

背中ごしにそう言葉を投げた。

その言葉にヒエンはキョトンとした表情を浮かべ、小さいけれど大きな背中に目を向ける。

ウーフーの背を見ていたら、今まで張っていた緊張の糸が切れたのかふっと目の前が薄暗くなりヒエンは緩やかに目を閉じた。

ぽすんと何かに倒れこみ、それの暖かさと心音を感じている間にヒエンから小さな寝息が漏れはじめる。

 

「…いや寝てとは言ったけど、ボクの背中で寝てとは言ってないんだけど、…」

 

背後から聞こえてくる寝息にウーフーは「ま、いいか」と諦めたように空を見上げた。

これだと動けないけど仕方がない。

諦めて友人の寝床になってあげましょう。

 

 

■■■■■

 

 

さて、

こちらは世界の東にある大陸

森から少し外れた街の近くとなっております

このあたりの街並みは他の大陸とは様子が違い

何重にも重ねた塔や

瓦屋根のある建物

睡蓮の池などが立ち並ぶ

地理通りの東洋の街

 

まあ、

大陸のお国柄なのか

そこら中に森や林などの木々が群生しており

緑豊かな場所ではありますが

というか

これだけ木々が生い茂っているのだから

土壌も豊かですね

住むならこの大陸が一番落ち着く気もします

 

今彼らがいるのもそんな森の中

隠れ過ごすには丁度良いでしょう

 

 

さてさて、

片や己の流派を口に出し

片や己の流派を口に出さない

 

たった一語の差ではありますが

割と大きな違いなのですよ

名乗れるものがあるのと、ないのでは

 

そんな彼らは

この大陸をどう駆け抜けるのでしょうね

 

 

■■■■■

 

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■■■■

 

今まで旅をしていた時は、常に気を張って動いていた。

街中はなるべく避け、寄る必要があるときは足早に。

夜でさえ気は抜けず、ギリギリまで耐え片時も刀を離さず休まる時はなかった。

けれども、一緒に旅をする仲間を得たら、その苦痛から解放された。

そういえば笑う回数も増えたように思う、とヒエンは微笑む。

 

そんなヒエンに「いいよー」と声が掛けられ、その合図に合わせてヒエンはひゅんと刀を抜いた。

ヒエンの剣閂は狙い通り真っ直ぐ木に当たり、その先に生る木の実を落とす。落ちた先にはウーフーが居て、落下した木の実を服の裾を広げながら受け止めた。

居抜いた刃をキンと音を立て鞘に戻すと同時に、ウーフーの声が近寄ってくる。

 

「やー、ヒエンといると楽だね!」

 

結構採れたよと木の実を抱えながらウーフーは木の実のひとつをヒエンに放った。

空を舞う木の実に目を向けて、ヒエンはそれに向けてまた刃を走らせる。そのまますっと片手を前に出せば、ヒエンの掌にぽてぽてと8分割された木の実が落ちてきた。

それを見てウーフーは苦笑し、もうひとつ木の実を空へと投げた。

 

「いやホント便利だなって…。ボクのもよろしく」

 

ウーフーがその言葉を言い終わる前にひゅんと刀の風圧が広がり、次の瞬間にはウーフーの手のひらに切り分けられた木の実が落下する。

ありがとうとウーフーは笑い、食べやすい大きさに変わった木の実を口に運んだ。

 

ひとつ木の実を食べ終えたふたりだったが、やはり少し物足りない。

なんせふたりは以前に比べ、身長も伸び体格もがっしりとしてきているのだから。

体格の成長に合わせて、ヒエンなら剣の、ウーフーならば拳の技量も上がり、新たにいくつかの技を身に付けた。

けれどもまだ足りないと、ふたりはサボることなく修行を続ける。

「だって師匠はもっと凄かったから」

彼らの中にある目標にはまだまだ遠いからと、旅をしながら己を鍛え続けていた。

 

木の実を食べ終えたふたりは、そろそろ行こうかと腕を伸ばす。

結構な範囲を歩き回ったが、お互い未だに探しモノは見つかって居ない。

所々にある街や村も、以前立ち寄った街のようにどこか落ち着かない様子に変わりどうにも不安定。

噂ではとある人物が覇権を握り、己を「王の上に立存在」として「皇帝」を名乗っているらしい。

まあどうやらかなり強引な方法をとっているからか、その存在は「魔皇」と呼ばれているようだが。

 

元々、この地の村や町は「大陸の中にあるひとつの国」のような形で動いていたのだが、魔皇が現れた頃からその体制が変えられ「あくまで主は皇帝であり、それぞれの領主は部下」という扱いになってしまったらしい。

つまるところ、魔皇はこの大陸において絶対的な支配権を持つ者となり、全ての者が自分に臣従する構図を作り上げたのだ。

これに反対すれば一族郎党皆殺し。

確かに魔皇は水道の整備や土木工事、家柄にとらわれず能力優先で人材を登用するなどの良い改革も行なっているのだが、それ以上に旧来の伝統を壊したことや、無理な土木工事での負担、逆らった存在への残虐な仕打ちが目立っていた。

また魔皇は帝位から退くつもりはなく永遠に支配者であり続けようとしているのか「不老不死」にも手を出しており、あちらこちらで被害の噂を耳にする。

 

傍迷惑な輩だなとヒエンは魔皇の噂を聞くたび、面倒臭そうに眉をひそめた。

死もまた自然の摂理。

生きる者であるならば、死ですらそれは自然の一部。それに逆らうことが自然に反する最も不自然な行為だろうに。

無理矢理歪ませれば、必ずどこか破綻して悪い結果しか生まれない。

世の道理を弁えていない輩が皇帝を自称するとはとヒエンは不愉快そうに息を吐いた。

 

大陸の騒ぎは気になるものの、そんなことより己の目的を果たすのが先だとヒエンたちが旅を続けていると、突然「おお!」と陽気な声が辺りに響く。

今ここにいるのはヒエンとウーフーのみ。ならば声を掛けられたのは自分たちかとふたりが振り返ると、そこには褐色のなんか派手な男がひとり、嬉しそうに立っていた。

 

「ようやく見つけたぞ、そこの剣士!あの時は世話になったのう!」

 

ニコニコしながら近寄ってくるその男の言葉を考慮するならば、用事があるのはヒエンだろう。

それにウーフーも気付いたのか「ヒエンの知り合い?」と小首を傾げた。

そう問われてもヒエンとしては心当たりがない。こんな派手な風貌の人間、一度見たら忘れようがないのだが。

妙に馴れ馴れしく寄ってくるその男をヒエンが若干警戒していると、彼は袖口をヒラヒラさせながら変わらず笑う。

 

「化身故本体ほど力はないが、充分だろう。そこな剣士に頼みがあるのだが良いな?」

 

口調としては頼み事の風体なのだが、語気がいやに強く有無を言わせぬ圧力があった。

というかそもそも彼が発する気配がおかしい。姿はあるのに気配が薄い。

幽霊、もしくは、よっぽどの達人、だろう。

目の前にいる得体の知れない人影に対し、警戒したままヒエンは口を開いた。

 

「…申し訳ありませんが、貴方は」

 

「うむ?………そうだな、ヤン、が妥当か」

 

そうか化身体ならばそれ相応の名が必要かと頬を掻き、ヤンと名乗った男はふむとひとり頷いた。

彼奴にも伝えておかねばと微笑み、ヤンはウーフーに顔を向ける。

 

「すまぬが、ちょいと此奴を借りる。なぁに、すぐ返すから安心せい」

 

「へ?」

 

ウーフーが返事を返す暇もなく、ヤンはスタスタとヒエンに近寄りぐいと腕を引っ掴んだ。

ヒエンはヤンに腕を掴まれるまで何をされたか気付くことが出来ず、回避も拒否も取れぬまま腕を強く掴まれる感覚にただ目を丸くする。

 

「…え?」

 

「飛ぶぞ、舌を噛むなよ死なれても困る」

 

そんな忠告が耳に届いたかと思うと、ヤンの姿が龍へと変わりヒエンを掴んだまま空へと飛び去って行った。

生身で空を駆け、空気の塊に襲われながらも目の端で捉えたその龍は、以前街を襲ってヒエンが追い払った龍の姿とよく似ていた。

まあ、あの時よりも多少サイズが小ぶりではあったが。

混乱しながら何処かへ連れ去られるヒエンをぽかんとして見送っていたウーフーは、「ヒエンが龍に拐われちゃった…」とぽつりとひとり呟くことしか出来なかった。

 

 

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突如龍に連れ去られたヒエンは、屋敷のような建物の前でぽてんと地面に落とされる。

昔追い払った龍のお礼参りか仇討ちかと混乱しつつもヒエンは刀に手を添えた。

ヒエンの目の前には先ほどヒエンを掴んで飛んだ龍。が、ぽふんと人の姿に変わって、ヤンが現れる。

 

「よし、死んではおらぬな!ヒトはどのくらいで死ぬのかよくわからんからなあ、大事なさそうで良かった」

 

無理矢理連れ去っておきながら、ニコニコしながらヤンが陽気に話しかけてきた。

友好的といえるヤンの態度にヒエンは目をパチクリとさせ、さらに混乱を深ませる。

お礼参りにしても仇討ちにしても誘拐にしても、ヤンの態度は合致しない。

ヒエンが無言のままであるのに小首を傾げ、ヤンはぽふと己の胸を叩き再度己の名を名乗った。

 

「我はヤン、陽の化身だ。我を追い払うほどの実力、そなたの力、認めよう!」

 

「…?」

 

「…認めた上で頼みがあるのだが」

 

そう言ってヤンは屋敷側に向けてちょいちょいと手招きし、誰かを呼び寄せる。

ヤンの合図に現れたのはヤンと姿形がそっくりな男だった。ヤンを赤と称するなら今現れた男は青と称する違いはあったが。

ヤンとは違い、どことなくぼんやりとした顔色の悪い無口な彼をぽふんと差し、ヤンは「此奴は、イン、でよいな!」と笑みを浮かべる。

ヤンの言葉に青い男、インは不思議そうに首を傾げた。

 

「…イン…?」

 

「いやなに、ヒトは我らを区別出来ぬ。それ故これは化身体の名だ、良い名だろう?」

 

ヤンがそう言うとインは良いのか悪いのかよくわからない反応を示し、まあ割とどうでも良いのだろうが、ぺこりとヒエンに向けて頭を下げ名乗る。

「我はイン…。我は陰だ…」と至極簡潔な自己紹介だった。

なんか連れ去られたと思ったら、その犯人に認められ知らん人が出てきたと思ったら自己紹介され、事態の把握が出来ないヒエンは戸惑うばかり。

戸惑うヒエンを一切気に留めず、ヤンは陽気に言葉を並べ始めた。

 

「我を追い払う技量があるそなたに、魔皇を倒して貰いたいのだ」

 

と、割と唐突に無茶振りな依頼を。

「は?」とヒエンが思わず声を漏らしたが、ヤンはニコニコしているばかり。

困ったヒエンがインに顔を向け視線で訴えると、しばらくぼんやりしていたインはぽつりと「………おそらく、きちんと話さねば、わからぬ」とヤンに言葉を落とした。

インの言葉にヤンは「む?」と首を傾げ、ヒエンに顔を戻し再度小首を傾ける。

 

「ふむ、そうか。…我らは陰陽の化身であり、本体は龍だ。ほら、そなたが斬りつけてきた、ヒトの子は陽龍と呼んでおる龍。ついでにインは陰龍と呼ばれておる」

 

「龍」

 

「今は化身であり、力は抑えてある故龍とてほどよく小さい可愛らしい」

 

「可愛らしい」

 

ヤンの言葉をカタコトで繰り返すだけのヒエンに満足そうに頷き、ヤンは「あ、別に斬りつけてきたことは怒っておらぬ。あの時は我も…怒りで我を忘れていた状態?だったからむしろ助かった」と楽しげに笑い飛ばした。

そして、何故怒っていたのかをヤンは少し頬を膨らませ語り出す。

ヤン、もとい陽龍が怒って暴れた理由は、魔皇が原因だった。

 

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魔皇が不老不死を欲しているということは、ヒエンも噂で聞き及んでいる。

それにより洒落にならないくらいの被害がでていることも。しかしその被害について詳しくは知らない。

ヒエンがヤンから聞いた話は、その「被害」についてのことだった。

 

「我らは陰陽の化身、ということは先ほど話したな?魔皇はそれを奪いにきたのだ」

 

何処から聞きつけたのか、どこをどう解釈したのか、魔皇は不老不死を求め龍に手を出してきたらしい。

この世は陰陽の気が正しいバランスで保たれているからこそ、調和が取れ穏やかに時が流れている。そのバランスを魔皇は乱そうとしたのだと。

厳密には、陰陽の気、つまりは世界を包む力を己の手中に収めようとしていたようだ。

 

突然魔皇が現れ、ヤンとインは化身の姿を取り対応しようとした。

「ヒトと話をするならば、龍の姿よりヒトに似せた形の方が良いだろう?」とヤンは誇らしげに語る。

現状ヒエンと対話するため化身の姿を取っているのもそれが理由なのだろう。

何事かと魔皇を出迎えたヤンとインに放たれたのは、欲にまみれた言葉だった。

 

『陰陽の化身よ。その力、我の糧としてやろう』

 

長年生きてはいるがそんな事言われたのは初めてだった、とヤンは少し笑い、当時を思い出したのか少しばかり怒ったように眉を釣り上げた。

もちろんヤンが黙ってその言葉を享受するはずもない。

明らかに害意を持った魔皇に怒鳴り返したのだと言う。

 

『我らはただありのままに存在するのみ!』

 

『そなたの小さき欲のため、万物があるのではない』

 

陰陽の力はこの世のバランスを取るために必然的に存在する力。確かにどちらかに偏る場合もあるが、その時は自然と元に戻ろうと世が動く。

例えば、魔皇なんてものが現れたならば、その力を削ごうとする勢力に力の強いものが現れるように。

故に陰陽の力は、この世の天秤を揃える力。個人のために存在するわけではない。

 

「あの時は珍しくインがきっぱりはっきり喋って驚いたな!」

 

ケラケラとヤンが笑い、インは「…そうか?」とのんびり首を傾げた。

それでヤンたち、厳密には陽龍と陰龍は魔皇と対峙したらしいのだが、魔皇を名乗るだけあってか強敵で、戦いの末かなりの痛手を負ったのだという。

特にインが弱ってしまい、また魔皇に見つからないよう現状陰龍本体は雲隠れしているらしい。

化身体で動くのが精一杯だと悲しそうにインが呟く。

ボロボロのインを見て怒ったのはヤン。陰陽の半身たるインを傷付けられ、魔皇も魔皇を信奉する人間にも腹をたてて人里にまで怒鳴りに行ったそうだ。

ヒエンと出会ったのもその頃。あの時陽龍が街を襲ったのは、あの街が魔皇配下の場所だったかららしい。

 

「このままだと陰陽の気が偏り困る。…故に、そなたに魔皇をぶっ飛ばしてもらいたいのだ」

 

ヤンの目は「我を追い払うほどの力なら魔皇くらい倒せるだろう?」とキラキラしていた。

まあ確かに大陸中が若干騒がしいことには辟易していたし、魔皇の思考回路は不愉快のひと言ではあるが、ヒエンには人探しという目的がある。

それを放置してまで魔皇に関わる気は、とヒエンが困ったような表情を浮かべるとヤンがその気配を察し被せるように言葉を紡いだ。

 

「ふむ、ならば我も行こう!インを害した件もあるし彼奴は陽である我が殴っておくべきだ」

 

「いや、」

 

「よし行くぞ!なに、我はそこまで弱っておらぬから本体が動こうぞ!」

 

そう言うや否やふっとヤンの姿が消え、かなり派手な爆竹の音を響かせ陽龍そのものが空に現れる。

とても見覚えのある大きな龍。

頭のあたりにあるウロコが微妙に欠けており、ヒエンは「ああこれ本当にあの時斬りつけた龍だ」と諦めに似た感情で旋回する陽龍を見上げた。

この龍はどうやら有無を言わさずヒエンに闘ってもらいたいらしい。巨大な龍が行く気満々な現状、依頼を断るのは難しいだろう。

龍の姿に戻ると人語は鳴らせなくなるようで、代わりにシャンシャンと華やかな音が「さあ行くぞ!」とばかりに誘うように音を鳴らす。

 

「…ふむ。頼みを聞いてくれるのならば、…礼というわけではないが…、我がそなたの望みを手伝おう」

 

諦めながら空を見上げるヒエンの元に、ぼんやりとした声が掛けられた。

その声にヒエンが顔を向けるとインはゆるりと首を傾げたまま「陰陽の気は調和を取り直す。…陰である我ならば、荒れたものをある程度は宥められる、と思う」と静かに言の葉を並べる。

 

「我は陰、ヤンと違い陽気に騒がしくするのは苦手だが、静かにさせるならば…」

 

インの言葉にヒエンは目を瞬かせた。喧しくなってしまったこの地を、というか族長だった師匠がいなくなり荒れた森を治すのならば、彼という陰龍の力が最適だと気付いたからだ。

「…宜しいのですか?」とヒエンが確認をとると、インはこくりと頷き少しばかり小首を傾げパタパタと身体を探した。

少しして何かを見つけたように頷いてヒエンに向けて手を差し出す。その手の中には青色の固そうなナニカがひとつ。

ヒエンが首を傾けるとインはぽつりと「我のウロコだ」と答えた。

 

「誓いとして渡しておく。守りくらいには、なると思う」

 

龍とはこうも簡単にウロコだのを手渡してくるものなのだろうか、というかウロコ剥がしてよいものなのだろうかと不思議に思いつつ、ヒエンはぺこりとインに頭を下げそれを受け取る。

すると陽龍がふわりと地上降りてきて、乗れと瞳で指示をした。

貰ったウロコを懐に仕舞いつつヒエンが恐る恐る龍の背に乗ると、陽龍はそのまま飛び立って空を走り始めた。

目指すは魔皇のいるところ。

龍とともに、ひとりの剣豪が魔皇に反旗を翻す。

本筋とは少し外れた、ただの寄り道に等しいのだとしても。

 

 

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すいすいと茜色の空を泳ぐ陽龍に反し、その背に座るヒエンは落ちないよう、必死に龍の背を掴んでいた。

竜騎士と呼ばれる人間はいとも容易く竜の背に乗っていたから、なんとかなるだろうと思ったがこれがなかなか難しい。

やはりそれを生業にしている人種はなにかしら特殊な訓練でも受けているのだろう。

そろそろ辛くなってきた、いやこれもまた修行とヒエンが耐えていると、陽龍の飛ぶ速度が緩やかになりヒエンに声を掛けるように喉を鳴らした。

下を見下ろせばかなり大きな都と立派な城が鎮座している。

あの城が魔皇の居住だろうかとヒエンが口元を引き締めると、ゆるりと陽龍が下降を始めた。

程良い高さまで到達するとヒエンは龍の背から飛び降りて、辺りをぐるりと眺め見る。もう既に薄暗くなっているはずなのだが、この場は多くの灯りを燈され異様に明るかった。

絢爛豪華な雰囲気に圧倒されていると、嬉しげな声が聞こえてくる。

貫禄のあるその声色は、慌てる様子もなく堂々とした皇らしい音を奏でていた。

 

「曲者が空から降ってくるとはな。流石に余も考えつかなかった」

 

空からの敵襲にも備えねばな、なんせ余の命を狙う愚者が三度も訪れたのだから、と嗤いながらそれはしゃらんと冕冠を鳴らす。

姿形から恐らくこれが魔皇と呼ばれる存在なのだろうとヒエンは刀に手を掛けた。

魔皇の住処に来て、すぐさま魔皇と対峙するとは予想外だと、内心怪訝に思いながら。

皇帝ならば幾人か護衛を連れているものではないだろうか、と。

そんなヒエンに興味がないのか、魔皇はクスクスと愉しげに過去訪れたという刺客のことを語り出した。

 

「ひとりめは領地譲渡の件で余の前に堂々と身を現した。逆らった輩の首を持っていたからついつい油断してしまったな。差し出す領地を示そうと地図を広げ、広げた最後に小刀を仕込んであった」

 

その刺客が見苦しいほど暴れたせいで袖が破れてしまったと魔皇は長い袂をひらひらと揺らす。

余を小刀程度で殺せると思うとは浅はかな男だった、と冕冠をまた鳴らした。

 

「次は余が視察に出たときだったな。巡幸の途中で大きな鉄槌を投げつけられた。余が乗った車を潰したかったようだが、たまたま車を変えておってな。刺客には運の悪いことに、余には当たらなかった」

 

魔皇は己が殺されそうになった出来事を淡々と語り、すいとヒエンに視線を戻す。

「三度目は貴様。空から献上品と共に降って来た」と魔皇は陽龍をしなやかに指差し嗤った。

わざわざ空から落ちて来て、よもや曲者ではないと言い逃れる気は無いだろう?と。

 

「どうやって龍を手懐けた?今乞えば命だけは残してやろう。龍を手懐ける技量は欲しい」

 

なんせ、

 

「不老不死を完全な物にするには、龍が必要なのだからな。いくらあっても良い」

 

手土産は有り難く貰ってやろう、と機嫌の良い声音と共に魔皇は大きく手を広げる。

自分が幾人にも憎まれ命を狙われていると自覚していながらも、目の前にいる人間を刺客だと認識していながらも、魔皇は一切態度を崩さない。

己は皇であり他の生き物とは違うと示すかのように。

御簾に隠れた顔を笑みの形に歪ませ、魔皇はヒエンに向けて言った。

 

「汝も我が民となり、ここで不老長寿の命を楽しむがよい」

 

その言葉にヒエンは呆れ、拒否の意を示すため刀に添えた手に力を込める。

今すぐにでも刃を抜けるように。

インとヤンから聞いた話通りの者だと凛とした声でヒエンは返した。

 

「わが師ナナワライは説く。命とは限りがあるから美しいのだと」

 

花は枯れるからこそ、咲いている間の美しさが映えるのだ。

花火とて、一瞬でパッと輝き一瞬で消えるからこそ夜空を彩るのだ。

万物は失われるから、美しい。

消えゆくからこそ、咲き誇るのだ。

ただ無駄に長く生きるなど、苦痛以外の何物でもない。

まあ、魔皇のような考えもあるだろう。そもそも師匠も、多様の考えが無数にありそれらが入り組み世の中を動かしていると仰っていた。

それを受け入れるのは難しいと言ったら「お前は頭が固いな」と微笑まれたのだがそれはまあいい。

 

「不老"長寿"であるならば、殺せるのか」

 

まあ死んでみないと不死とわかるはずもないから、暫定的に長寿と称しているだけかもしれないが。

どうであれヒエンは化身とはいえ龍と言葉を交わし、討伐を依頼された身。

ならば甘言に惑わされることなく、龍からの依頼を優先させるべきだとヒエンは嗤い、居抜いた刃を流れるように振り下ろした。

しかしその剣先は、魔皇の顔を覆う布を少しばかり切り裂くだけに留まる。

はらりと布の切れ端が地面に落ちる合間の僅かな時間、ヒエンは怪訝そうに眉を顰めた。確実に斬り込んだはずなのに、布を1枚剥いだだけだとは。

 

「…避けられたか」

 

「ふむ、余が避けきれぬとは」

 

ヒエンの言葉と魔皇の言葉が重なった。

少しばかり欠けた布を軽く弾いて魔皇はヒエンを興味深く眺める。

堂々と斬り込んでくる度胸、太刀筋も悪くない。その上龍を手懐けられる技量もあるとくるならば配下に欲しいのだがなと、魔皇は己から一切視線を逸らさない青年に薄く嗤い掛けた。

今の一太刀で警戒されたなと残念そうに息を吐き「出来れば無傷で捕獲したかったのだが」と龍とヒエンに向けて構えを取る。

 

「余はマオタイ。天命を有し万物を統べる仙界の帝王なり!」

 

名を名乗り、マオタイはすっと足を動かした。

手技三割、足技七割。マオタイが使うのは足技主体の拳法である。その足技が無影の如く、千変万化なために無影拳と呼ばれ裏社会で闘うために生み出されたものだ。

マオタイはそれに掌を多用する拳法を混ぜ合わせ、死角のない型へ練り上げている。

その複雑な足型と、舞踏のように繰り出される技に相手は惑い、一瞬反応が遅れる。はずだったのだが。

 

「チッ!」

 

マオタイがヒエンを蹴り込もうとしたその足は、彼の持つ刀で防がれる。すんでのところで留めたマオタイはトンとヒエンから距離を取った。

思い切り蹴り込んでいたら余の脚と胴は切り離されていたなと愉しげに嗤い、マオタイは目の前の剣豪に視線を戻す。

 

「面白い」

 

アレに反応出来るとはと、己と対等に闘える生き物がまだいたのかとマオタイは嬉しげに微笑んだ。

他の刺客や配下たちとは違い、しばらく愉しめそうだ、と。

 

一方、マオタイの蹴りを弾いたヒエンは表情には出さないが内心目を丸くしていた。

マオタイの動きに見覚えがあったからだ。

丸々同じというわけではないが、基本の型がウーフーの扱う拳法にそっくりだった。

故にマオタイの動きに反応でき、しっかり対応できたのだがそれどころではない。

己が魔王の剣法だと揶揄されたのと同じく、ウーフーも魔皇の拳法だと騒がれる恐れがある。

それともウーフーは魔皇の流派だったのだろうか。だから魔王の流派と揶揄された己と共に行動してくれたのか。

ウーフーは旅をしている事情は話してくれたが、「潰れたから」と己の流派のことは詳しく話してはくれなかった。言いたくないものを無理に聞く気はないし。

気になるが、しかし魔皇に聞くのもどうかと思う。

 

少し思考が逸れたヒエンの耳に大きな爆竹音が届き我に返った。マオタイが距離を取ったのを見て陽龍が援護してくれたらしい。

かなりの使い手であるマオタイも、流石に上空からの攻撃には弱いらしく舌打ちとともに防御をしながら立ち惑っていた。

露骨に「邪魔をするな」と言いたげな態度で龍の攻撃を避けている。

龍に集中していたマオタイの隙をついて、ヒエンは剣技を繰り出した。龍がくれたこのチャンスを逃すわけにはいかない。

ヒエンの振るった石を切り裂くほどの一打は見事にマオタイを襲い、呻き声を上げさせた。

 

 

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致命的な一閃を浴びせたにも関わらず、マオタイはフラつくのみに留まる。

あの一打を浴びて立っていられる者などそうそういないと思うのだがとヒエンが眉を顰めると、マオタイは不敵に嗤い「我が不老不死の妙薬は無尽よ」と言い放った。

おやとヒエンは小さく首を傾ける。不老不死の薬は完成しているのか。それとも今の一撃で死ななかったから不老不死だと確定したのか。

まあ死なないならば殺し続ければよいだけだからあまり問題はないのだが。

再度斬りかかるつもりでヒエンは刀に手を伸ばしたが、不老不死とはいえダメージそのものは入るらしく、分が悪いと判断したのかマオタイは撤退の動きをみせる。

逃す気はないとヒエンが刃を抜こうとした瞬間、大勢の声が集まってきた。

どうやら派手に動きすぎたらしい。騒ぎを聞きつけ続々と魔皇の配下であろう輩が湧いてくる。

配下たちは魔皇に比べると有象無象でしかなく、囲まれても余裕で対処出来そうだが対処している間に魔皇を取り逃がしてしまうだろう。

どうするかとヒエンが陽龍を見上げると、陽龍は魔皇の配下たちに向けて威嚇のように息を吐き、彼らが怯んだ隙にヒエンを掴んで空へと飛び去っていった。

まだトドメを刺してはいないがもう良いらしい。

どんどんと小さくなる魔皇の居住を眺めながら、龍に掴まれ陽が落ちた空を泳ぐヒエンは思う。

前も思ったが足が浮いているだけで恐怖感が段違いだな、と。

正直、魔皇と闘うより暗闇を宙ぶらりんで飛ぶほうが怖い。

 

■■■■

 

魔皇の居住から離れ元の場所、インと出会った屋敷に降りたヒエンは地面に足を付けるや否や疲れたように息を吐き出した。

やはり自分は地上に生きる生物なのだなと、空中遊泳に疲弊して。

そんなヒエンを見て化身体であるヤンの姿となった陽龍は「ふむ、やはりヒトの身で魔皇と闘うのは大変だったのだな。囲まれた故慌てて逃したが大丈夫か?」と労うようにぽふぽふヒエンの背中を叩く。

そっちじゃないとヒエンが無言でいると、ヤンは言葉を発せないほど疲れているのかと心配そうな表情を浮かべた。

 

「しかしお主が魔皇を弱らせてくれたおかげでしばらく大人しいだろう。我の目に違いはなかったな!」

 

感謝する!とヤンはぺこりと頭を下げる。

ヒエンたちが帰ってきたことに気付いたインもふたりを出迎え、ヤンから事情を聞いてこちらもぺこりと頭を下げた。

 

「竜人の郷の守護者もピリピリしていた…これで少しは彼奴も落ち着くだろう…」

 

「…竜人?」

 

見知らぬ単語にヒエンが首を捻ると、ヤンはさも当たり前のような口ぶりで「我らのような種族だ」と胸を張る。

つまるところ、竜人というのは文字通り竜の特性を持った人型の生き物のようだ。

見たことがないなとヒエンが目の前のふたりに目を向けると、ヤンは「彼奴らは我らと違い、ほとんど郷から出ないからな」とケタケタ笑う。

 

「ヒトが嫌いらしい。ほれ、魔皇も言っておっただろう?不老不死の材料だのなんだの」

 

伝説や噂だけが独り歩きして我らを狙う輩は後を絶たんと、ヤンは阿呆らしいとばかりに笑い飛ばした。

全て噂でしかなく、そんな薬効があるなんて聞いたことがないようだ。

 

「事実であったならば、我らはもうすでに駆逐されているだろうよ」

 

狩られて捕まって切り刻まれて。

そのせいで大半の竜人は郷に篭って暮らしているらしい。ヒトに酷い目に合わされたことがあるからと。

龍は最強の生物だのなんだの語られているが、その実、龍が生きやすい時代など皆無だったなとヤンは事も無げに言った。

だいたいヒトに襲われるかヒトを返り討ちにするか、龍同士で喧嘩するか。

故にそれに嫌気がさした同胞は、ヒトには入れない場所に郷を作り、仲間を外に出さないように篭っているのだと。

「我はまあ、たまにヒトと殺し合うことはあるが、そこまでではないし」とヤンは頬を掻き、お主のような者もいるしヒトの世のが面白い、とヒエンをぽふんと撫でた。

まあ竜とて完全無欠ではないのだから、時にはヒトと命の取り合いをしたり暴れるとこもある。

同じ地に生きる者同士なのだから、争うこともあるだろう。そのときはそのとき。

ヒトの世は面白いし好きだが、個人個人でみるならば良いのも悪いのもいる。それだけのこと。

他の龍を殺したからといって、自分はヒトを恨む気も憎む気もないとヤンは笑った。

 

「あ、インは別だ。我の半身だからな」

 

ぽんとインを叩きながら、「インはまだ本調子ではないから、頼み事があるならばもう少し待て」とヒエンに忠告しつつ、ヤンはひらひらと手を振るう。

それに頷きヒエンはウーフーの所に戻りたいことを伝えた。

聞きたいこともできたし、出来ればウーフーと合流したい。

それを伝えるとヤンは了承し、目立たぬよう小さめの龍の姿をとった。

 

「…え?」

 

そのまま襟巻きをぱくりと咥えられ、ヒエンの身体が宙に浮かぶ。

またぶら下がって飛ぶらしい。いや居場所教えてくれればそれで良かったのだが。

「まっ、」とヒエンが言葉を発する前に小さな陽龍はヒエンを連れて夜空へ消えて行った。

 

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しばらく龍と共に空を舞っていたヒエンは、突然口を離され重力に引かれ落下する。

落ちるままに龍を見上げれば、小さな陽龍は「あ」と言わんばかりの表情でヒエンを見下ろしていた。

なんとか地面に叩きつけられる前に必死に体勢を立て直し、優雅とは言えないものの、ドカンと無事着地したヒエンは「うわあ!?」というウーフーの声に迎えられる。

驚いて顔を上げれば、目の前には焚き火を前に何かを読んでいたらしく本を広げたまま驚いた顔のウーフーが居た。

多分恐らくあの龍は「探し人がいたぞ!」とヒエンに教えるため、その口でヒエンを咥えていたのを忘れ鳴こうとしたのだろう。

そして支えが無くなった自分はそのまま落ちた、と。

ヒエンを落とした小龍はオロオロと空中を舞っていたが、ヒエンが無事なのを見るとその体に似合わぬ声で鳴いた。

「すまんかった」と言いたげに。

そのまま逃げるように去って行く小龍を見上げ、ヒエンは呆れたように呟く。

 

「…なんというか、龍を敬う気が失せるな…」

 

言葉がわからないだけで、龍というものは人間と変わらず色々な性格があるのだろう。ヤンのように陽気な龍も、インのように陰気な龍も。恐らく中身は人間とあまり変わらない気がする。

ふうと頭を掻いてヒエンは未だ目を白黒しているウーフーに向けて「ただいま」と声を掛けた。

「えっ?おかえり、じゃなくて!大丈夫だったの?どこか食べられてない?」とパタパタと本を後ろ手に隠し狼狽しながら心配そうな表情を浮かべるウーフーに、問題無いと答えヒエンは首を傾げる。

 

「……」

 

「…なに、かな?」

 

じっとヒエンが視線を向けていることに気付いたウーフーは戸惑ったように眉を下げた。

ウーフーが問い掛けても無言でただじっと見つめてくるヒエンに対し、居心地が悪いのかウーフーは「心配したよ?」と話し掛ける。

 

「一応追いかけたんだけどさ、」

 

「…仇は討てたのか?」

 

ウーフーの言葉を遮ってヒエンが口を開いた。

唐突なその問いにウーフーは目を丸くし「…えっ、なんで?」とぎこちない笑顔を作る。

ウーフーの態度にヒエンはキョトンと首を傾け「微かに血の匂いがする」と指摘した。

そうかなと狼狽しながら己の身体を嗅ぐウーフーを見て、ヒエンは「何故隠すんだ?」再度首を傾げる。

 

「いやあの、」

 

「……、『仇討ち』とは、そういうもの、だろう?特に気にしないが」

 

先ほどウーフーが読んでいた古本は恐らく探していた秘伝書だろう。それをウーフーが持っているということは、別行動していた合間に仇を見つけ出し目的を成したのだとヒエンは考えた。

同時に、ウーフーから香った鉄の匂いから秘伝書を巡って血生臭い攻防があり、その上でウーフーが今ピンピンしているということは、そういうことだろうと思う。

ヒエンがそう言うとウーフーは力が抜けたように崩れ落ち「なんて言いくるめようかと悩んでたボクがバカみたいだ…」と大きくため息を吐いた。

「むしろ、師匠の仇で流派の仇を見逃したと言われたら軽蔑した」とヒエンは頭を掻き、よかったなと柔らかく微笑む。

その微笑みに若干恐怖を覚え、ウーフーは困ったように表情を崩した。

 

たまにヒエンの感覚が普通の人とズレているように感じていたが、これは流派も自分も迫害されすぎたせいでどっか壊れてるのだろうか。

目の前の人間が「仇討ち」を成したと気付いて、なお微笑めるとは。

普通はドン引くか人殺しと罵るか。

もしくは、殺さなくとも良かっただろうと嫌悪するか。

どうであれ、笑顔を向ける場面では無いと思うのだが。

己も人のことを言えないが、なんかオカシイ気がするとウーフーが悩んでいると、ヒエンは思い出したように手を鳴らした。

 

「そうだ、聞きたいことがあった」

 

そう前置きして、ヒエンは龍に連れ拐われた理由をウーフーに語った。

「龍に頼まれ魔皇を切り捨てに行ったんだが」とさらりと言われ、ウーフーが死ぬほど驚いたのは言うまでもない。

「キミ何してんの!?」とウーフーは声を張り上げたが、意に介さずヒエンは淡々と説明を続けた。

 

「それで、魔皇の身体捌きがウーフーと似ていたのだが、ウーフーの拳法とは魔皇と何か関わりがあるのか?」

 

「はいぃ!?」

 

身に覚えのない質問をぶちかまされ、ウーフーは素っ頓狂な声を上げる。

「はいってことは肯定なのか?」とホザいたヒエンを「いや違うから!」と突っ込みつつ、ウーフーは首を振った。

何を突然言い出すんだこの男は。

混乱しながらブンブンと手を振るウーフーは先ほどこっそり隠した奥義秘伝書の内容を思い出す。

 

「魔皇なんかと関係なんて、…あ」

 

秘伝書のことはヒエンにも話してあるし、全部バレたならもういい。

しかし血の匂いするかな取り返したあと水浴びしたんだけどな、とウーフーは再度己の身体を嗅ぎつつヒエンに秘伝書を差し出した。

 

「見ても良いのか?」

 

「大丈夫、口伝と一緒に見ないとわかんないように書かれてるし」

 

だからボクも正しいことはわかんないよ、とウーフーは秘伝書を開き指を指す。

「流派名は言う気ないけど、…もうこの世にない流派だし。えっと、この辺りからかな」とウーフーは話せる範囲で己の流派のことを語り始めた。

 

元より、ウーフーの流派は拳法。つまり武器を持たず闘う流派であるのだが、その流派には多少派生があるらしい。

「武術と拳法の違いは武器術のあるなし。まあ、大雑把に分けるとそんな感じ」だとウーフーが補足をいれる。

ウーフーの拳法は、蛇や鶴、虎などの生き物を真似る象形拳が主の流派。

象形拳とは練習方法のひとつで、連続的な攻撃方法、防御方法、立ち方、歩き方、呼吸法、運気法などを総合的に盛り込んだ一連の身体動作のことである。

つまるところ、武術における「型」といえば良いだろうか。

複数の技が連続して組み合わさって構成されているものであり、それぞれの技とそのつながりを練習することができる。

 

「んでまあ、細かいトコは割愛するけど、ここ。ここはボク習ってない、けどアイツは使ってた」

 

ウーフーが示す場所は足技を主体としているらしき記述の箇所。表題には暗殺拳とだけ書かれていた。

所々に「封」と記されており、ウーフーの師匠もこの部分については弟子に教える気は無かったのだろうと想像できる。

実際ウーフーは足技をほとんど使わないため、正当に学んでいれば知ることすらない隠された技なのだろう。

「アイツが千切って持ってった部分なんだ」とウーフーは苦い顔をし、頭を掻いて言葉を続けた。

 

「多分、だけど。魔皇の使う拳法とボクの拳法は根っこが同じで、正の拳法がボクのとこ、邪の拳法が魔皇の使ってた拳法なんじゃないかな」

 

魔皇の体術を見たわけではないのでなんとも言えないが、実際見たヒエンが似てるというならば多少繋がりはあると思う。

無関係だけど無関係じゃないこの妙な感じとウーフーは苦笑いを浮かべ、ため息を吐いた。「アイツ、だからこれ千切ってったのか…」と眉間を押さえる。

魔皇様の拳法の秘伝書持ってきましたーだったのか、秘伝書入手したぞこの拳法教えろだったのかはわからないが、邪拳だと理解した上で行動したのは間違いない。

そもそもアイツははじめから、この秘伝書を探し奪うことを目的として入門していた可能性もある。ならばあの修行にやる気のない態度も頷けるというものだ。

数々の封印マークを見れば、ヤバいものだとすぐわかるだろうに。

ウーフーは再度ため息を吐いたが、ヒエンはなるほどとのんびり頷いていた。

封印指定のヤバい拳法の話をしているはずなのだが、その表情は酷く満足げだ。

 

「根っこが同じか。つまり、幾度かウーフーと練武したおかげで俺は魔皇に遅れをとることなく対応できたんだな」

 

「…うん?」

 

「感謝する」

 

そうにこやかに言われると反応に困る。

元は魔皇と同じ拳法なのかと罵られるのではなく感謝された。

反応に困る。

あまり直接的には関わっていないが、魔皇の悪逆非道な噂はウーフーの耳にも届いていたし、ヒエンも直接対峙したならば魔皇が人々に憎まれているのを理解しているだろうに。

己の流派で邪拳と判断された技を使い続ける魔皇に、邪拳を嬉々として身につけた兄弟子。そして、それと根っこが同じで良かったと感謝してくる友人。

どうしよう。ボクの周り変な人しかいない、とウーフーは呆れたように目を閉じた。

今日はもう遅いからひとまず寝てから1個ずつ突っ込んでいこう、とウーフーは「…うん、今日はお互い疲れてるだろうから休もう?」と考えることを放棄する。

多分本格的にヒエン休ませないとダメだとウーフーは力尽きたように寝転がった。

 

-7ページ-

 

一晩休み、朝日とともに目を覚ましたヒエンはふむと考え込んだ。ウーフーは旅の目的を果たした、ならばもう自分と一緒に歩き回る必要はない。

これからはひとり旅かと少しばかり残念そうに眉を落とす。

まあ仕方ないとヒエンがいつものように鍛錬として刀を振るっていると、しばらくしてウーフーが目を覚ました。

目覚めてすぐはぼんやりとしていたウーフーだったが、軽い朝食を摂っている間に覚醒したらしい。ようやく会話が成り立たつとヒエンはウーフーに今後の事を問い掛けた。

ここでお別れになるだろうと予測して。

しかしその問いを聞いたウーフーはヒエンを見て、頭を掻きつつ言葉を並べる。

 

「あー…、ヒエンさえよければ道場再建手伝ってくれない?」

 

流石にひとりであそこ片付けて立て直すのはキツイからとウーフーはヒエンの返答を待った。

ウーフーは道場に戻り、自分はひとりで旅を続けるのだろうと思っていたヒエンはキョトンとした表情を浮かべる。

そんなヒエンにウーフーは「道場直したら旅の拠点にしてよ」と笑った。安全な拠点があれば、ゆっくり休めるでしょ?と小首を傾げる。

ダメかなーと困った顔を浮かべるウーフーに、ヒエンはぽつりと「良いのか?」と聞き返した。

 

「俺は拳法の知識はないし、何の役にも立たないと思うが」

 

ニュアンスとしては、全く違う武術の人間がそっちにお邪魔して良いのか?という口調。

やっぱ気にするところがなんかオカシイなとウーフーは呆れながらも「大丈夫だよ!」と安堵の声を返す。

瓦礫も中途半端に残して来ちゃったし、道場もまだ荒れたままだから手伝ってくれると嬉しい旨を伝え、ヒエンの気が変わらない内にとウーフーは帰宅を促した。

道すがら、戻るの久しぶりだなと笑うウーフーにヒエンは問う。

 

「修復が終わったら、いや空き時間にでも、手合わせを願いたい」

 

「…いや休もう?」

 

ウーフーが苦笑しながら笑い返すと、ヒエンは至極真面目な顔で「仇討ちを成したウーフーと闘いたい」と真っ直ぐな瞳を向けて来た。

ウーフーが返答に詰まると、ヒエンは「魔皇の身体捌きは見事なものだった。拳法として根っこが同じならば、ウーフーも拳を極めればあれと同等になるのだろう?」と凄く嬉しそうな顔で、凄く楽しみだと笑顔で語り出す。

 

「待ってヒエン何言って、…いやあの探し人は?」

 

「剣の腕を極めてからでも遅くはない」

 

にっこりと微笑むヒエンを見て、ウーフーは「これ多分何言っても無駄なやつ」と早々に察した。

おそらくヒエンは今、どこにいるかわからない人を探すよりも、目の前にいる拳法家と手合わせして己の腕を磨くことしか考えていない。

 

「ヒエンさ、探し人見つかったらまず闘い挑んで強いか確かめそうだね」

 

「それは良い考えだな、そうだな確かに師匠の跡を継ぐ方が弱ければ話にならない。俺よりも強くなければ!」

 

ああいや師匠のご子息で兄君よりも武術の心得があると聞く。ならば強いに決まっているな、とつらつらと、どうしようもなくウキウキと語るヒエンからそっと目を逸らし、ウーフーは天を仰いだ。

あ、これ薮蛇った。

ごめんヒエンの探し人。

多分ヒエンに見つかったら突然闘い挑まれます。

龍を追い払い、魔皇を退けた剣豪で、これからボクの道場でさらに腕を磨く予定のこいつは

多分一切容赦しないと思います。

 

見たことも聞いたこともない相手に謝罪しながらウーフーは深いため息を吐いた。

ヒエンよりも強いってどんくらいだよ。片手で龍を屠れるくらい?

どうしたものかと言葉を探すウーフーの耳に、ヒエンの期待に満ちた声が届いた。

 

「強い方なら大丈夫。七笑流を魔王の流派だと騒がれても耐えられる方なら」

 

立て直してくれるだろうから、とヒエンは柔らかく笑う。

そのせいでウーフーはまた言葉を見失ってしまった。

どうやらヒエンは

七笑流を立て直したい→でも今は魔王の流派だと迫害される→肉体的にも精神的にも強くないと辛い→探し人が強ければ問題ない→どうやって確かめよう?→自分が闘って自分より強ければ良い!→判断するために自分も鍛えよう。

という結論になっているらしい。

根本が完全に七笑流の復権なんだなとウーフーは頬を掻き、諦めたように「少し休んでからね?」と手合わせを了承した。

嬉しげにヒエンが笑い、人気のない道をふたりでのんびり歩いていく。

まだ騒ぎが解決したわけではないのだが、このふたりにとっては結局のところ、どうしようもなく平和だった。

 

 

■■■■■

 

 

さて、

この大陸は別の方向から見たら

「どこが平和なんだよ」となっているんですが、

平和らしいですね

 

まあ実際彼らは

大陸での騒ぎを解決しようと

積極的に動いているわけではないので

それらに関わっていない分

「特に問題ないから平和である」としか言えないのですが

 

基本的に

騒ぎに直接関わらないならば

平和なんですよこの世界は

 

 

まあ、

星が壊されそうになったり

暗闇に呑まれかけたり

空向こうからなんか降ってきたり

大地が融けかけたり

時が繰り返したり

光に消し去られかけたり

したら流石に無視できませんが

 

 

彼は根本として

人探しという目的があるのだから

余計なことをする暇はありません

 

彼にとって魔皇と闘うことは

「寄り道」でしかありませんでした

 

それが「寄り道でなくなる」には

もう少し手間が必要です

 

さてさて、

どうやらもう直ぐ

風がぶつかりそうですよ?

まあ風はただ流れるものなので

ちゃんとぶつかるかどうかはわかりませんが

 

 

-8ページ-

 

 

■■■■■

 

ウーフーと出会った道場に到着したふたりだったが、元々荒らされボロボロだった建物は長期間の放置が積み重なって割と酷い有様だった。

建物というものは人が住まないとすぐ劣化するなとヒエンは苦笑し、ウーフーは直すの大変だなと困った表情を浮かべる。

それでも仇討ちを成した上で帰ってこれたことが嬉しいのか、ウーフーの表情は明るい。

 

「そうだな、これからウーフーが師範、…師匠になるのだからこんな事で弱気にはならないか」

 

頑張って片付けるぞと張り切るウーフーを眺めながらヒエンは小さく微笑んだ。少しばかり羨ましそうな瞳で。

どこから始めようかと悩むウーフーに、ヒエンは手伝うためにのんびりと駆け寄った。

 

「まずは外観からかな、内装も早く綺麗にしたいけど」

 

そう言うウーフーの目には、ある程度のビジョンがあるのか迷いはほとんどない。

まあまずは掃除からだと瓦礫に手を付けるウーフーに倣い、ヒエンも道場の片付けを手伝いはじめた。

瓦礫を片付け、補修用の木材を採取して、壊れたところを直していく。

トントンと道場を整えながらウーフーはぽつりと呟いた。

 

「ああそうだヒエン。七笑流は七笑流の道場があるだろうから是非ともってわけじゃないけど、もしもその気があるならここ半分ヒエンが道場として使っていいよ。今のボクには広すぎるから」

 

拳法と剣術が両方学べる道場ってのも面白そうだし、とウーフーは笑う。

ウーフーの言葉に目を丸くして、ヒエンは思わず手を止めた。

旅立つきっかけをくれて、今も修理を手伝ってくれてるヒエンにせめてものお礼。と、ウーフーはのんびりと微笑む。

 

「ここを帰ってくる家にしていいからね」

 

ヒエンの方を見ずに、ウーフーはそれだけ言って作業に戻った。

お師匠さまがボクを育ててくれたみたいに、ボクも誰かのためになりたいんだ、とヒエンに聞こえないよう小さく付け足しながら。

 

 

その後幾日か経って、なんとか道場を綺麗に出来たふたりは「屋根があるって素晴らしい」と道場に寝泊まりした。

元々この道場には居住区域があったため、生活に不便はない。まあその分、毎日掃除をする必要が出てきたのだが。

「ボクもだけど結構な人数が住み込みで修行してたから無駄に広いんだよね」とウーフーは慣れた手付きで廊下を磨き上げる。

「俺は道場に通っていたな、師匠は森の方に住んでいたから。その分狭かった」とヒエンは広い廊下に戸惑いながらもなんとか磨き上げた。

掃除のあとは毎日の鍛錬。

広い庭で刀と拳のぶつかり合い。

それを毎日続けているうちに、見物客が徐々に増え、弟子志望の声がチラホラ見られるようになってきた。

見物客の声を聞く限りでは、街で「あそこの道場の師範らしき人たちマジヤバい」と専らの噂になっているらしい。

いつしかその噂の「あそこの道場の師範らしき人たち」は、「人外レベルの剣技を扱う剣聖」と「凄まじい拳法を繰り出す拳王」という噂に変わっていった。

剣聖は剣を、拳王は拳を。

「ケン」を極めた達人のコンビだと。

どんどん大きくなる己の評価にふたりは

「いつも通りにやっているだけなんだけどな?」

と首を傾けるばかりだった。

 

■■■

 

 

今日もまた夜の帳が下りるころ、ヒエンたちは道場の庭に出る。

昼間打ち合っていると、見物客が押し寄せ修行にならないからと最近は夜にこっそり手合わせするようになっていた。

建物からの細やかな灯りと、月と星に照らされただけの庭はやはり薄暗い。

まあふたりとも「良い修行になるからいいや」とあまり気にしてはいないのだが。

この世界は灯りというものがそこまで発達していない。いや、夜でも行動できる程度にはあるのだが、真昼のように明るくはならない。

そのため、一般の人間は暗くなったら眠りにつく。無理に燃料を酷使してまで、起きているメリットがないからだ。

そりゃまあ、夜でも動いている生物もいるといえばいるのだが。

 

「…そろそろ噂も大きくなってきたから、旅に出ようか」

 

夜空を見上げヒエンはぽつりと呟いた。

今の所剣聖と騒がれてはいるが、チラホラ聞くのだ。

「七笑流の、魔王の弟子だからアイツはヤベーレベルで強いんだ」という声を。どうやら未だそこに帰結させたい性根の腐った輩がいるらしい。

このまま己がこの道場にいるとウーフーに迷惑がかかる。魔王の弟子と一緒にいるなんて、とウーフーも悪い噂に巻き込まれてしまうだろう。

今では自分もひとり旅でも問題無いほどに強くはなれた。そろそろ潮時だろう。

それを伝えようとヒエンは準備運動をしているウーフーに声を掛けようと口を開く。

が、その口は開いたまま声を発せなかった。

 

ふわりとした風が、道場の壁の上に現れたからだ。

 

懐かしい初めて感じた、ふわふわとして凛とした澄み切った風。

その風の気配を、ヒエンは知っていて知らない。

その風は、ヒエンたちの鍛錬を見学にでも来たのだろうか、少しばかり楽しそうに壁の上で足を揺らしていた。

しかし、ヒエンが彼を凝視していたのに気付いたのか、それともウーフーが放った「ヒエンどうしたの?」という言葉を耳にしたからか、軽く首を傾けひょいと壁から降りてくる。

灯りの届く所まで来たその風は、森の族長と良く似た薄い緑色の髪をふわふわと揺らしながら、ヒエンの師匠と良く似た外套を靡かせふわりと笑った。

年のほどはヒエンと同じが少し下。

見せた笑顔は師匠の笑った顔と雰囲気がそっくりだった。

 

「この風…あなたはもしや!?」

 

だから、ヒエンの口からそんな言葉が飛び出たのは仕方がないことだと思う。

探していた人が、探しに行くべき人が、何故か今、ヒエンの目の前に立っていたのだから。

ふわふわと髪を掻き、ヒエンの目的の人は「強き者がいると聞いて見に来たが」と小さく漏らす。

何故彼が此処にいるのかわからないが、ようやく会えたとヒエンは彼に一歩近付いた。

「貴方に話が、」とヒエンが放った言葉を遮るように、彼は少しばかり困ったような顔でヒエンに向けて声を発した。

 

「風紡ぐ刃…、手繰りし糸で織る布は?」

 

急に問い掛けられ、恐らく多分問い掛けられたのだろう、ヒエンは虚を突かれ足を止めて目を瞬かせる。

何。

何、糸って、布って。

何。

混乱するヒエンを尻目に彼は小さく笑い、人差し指を口元に立て「想いよ翔けよ」と唱えた。

 

「風隠の風を受けよ。疾風流奥義 猿田彦太刀」

 

そう静かに言葉を紡ぎ、彼は腰に身に付けていた二対の剣をすっと抜く。

抜いた所までは見えた、と後にヒエンはそう語った。

気付いたらヒエンの周囲の空気が一瞬斬り裂かれ、己が刀を抜く間も無くただ風が髪を揺らす。

はらりと数本の髪の毛が切り離され、ひらひらと地面に落ちていた。

気付けば普段と同じ静かな夜に戻っている。先ほどの人物はもうこの場にはおらず、ぽかんとしたヒエンが立ち竦んでいるだけ。

 

「…えっ、何?」

 

ヒエンもわけがわからないが、もっとわからないのはウーフーだろう。

静かな夜に混乱を含んだウーフーの声だけが響く。

「…あの、人がヒエンの探してた人?」と若干言葉を選びながら問うウーフーに、ヒエンは頷くことしか出来なかった。

風隠の、と言っていたからあの人が探していた弟君なのは確定だろう。

見つけたのに逃げられた、という気持ちがヒエンの中に渦巻いていた。

 

■■■

 

「えっと、風紡ぐ刃ってのはヒエンのこと?ならあの人はヒエンのこと知ってたの?」

 

「…多分恐らく」

 

ヒエンは面識がなかったが、どうやらあの人はヒエンを知っていたらしい。

かつ、多分名前は「疾風流」と口に出したことから恐らく「ハヤテ」だと予想できる。

多分とか恐らくとか若干不明瞭だが、こればかりはどうしようもない。会話らしい会話が出来なかったのだから。

横で見ていたウーフーとしては「なんだったんだあの人」程度の感想でしかなかったのだが、どうやら当人であるヒエンは違うらしい。

 

「…俺は何か粗相をしたんだろうか…」

 

若干悲壮感漂う表情で思い悩んでいた。

ようやく探し人に会えたのに謎の問い掛けをされ逃げられたというのはショックではあるらしい。

ウーフーとしてもあの問い掛けは意味がわからなかった。あの人は人語を喋っていたのに何を言っているのかわからないというのは割と貴重な体験だったと思う。

ドヨドヨと重たい気配で俯くヒエンに、ウーフーは励ますように声を掛けた。

 

「あーうん。…そうだ、今度はあの人のコトバがわかりそうな人とか探したらどう?」

 

そしたら逃げた理由がわかるかも、とウーフーが提案してみるとヒエンは大きく目を見開いて「…ひとりだけ、心当たりがあるな」と顔を上げる。

そうかそうだなと独りごち、ヒエンは「ちょっと行ってくる」とふらりと足を動かした。

 

「えっ今?いやいや、うん、いってらっしゃい」

 

速攻で決断し速攻で行動するヒエンに驚きながらも、ウーフーはふらふら出て行くヒエンを慌てて見送る。

その言葉が聞こえているのかいないのかわからなかったが、ヒエンは風のように夜の森へと消えて行った。

 

ウーフーの道場から離れ、暗い森の中をヒエンは真っ直ぐ歩く。

弟の言葉を理解出来るのは、兄だけだろうと考えて。

風隠の族長の屋敷に向かって落ちた枝葉を踏みしめながらヒエンは森を歩き、道など無視して進んだ結果、あっさりと族長の屋敷に辿り着いてしまった。

様子を探ると屋敷には灯りがついている。家人は起きているようだ。

 

「…夜分に申し訳ありませんが、御相談がありまして、族長殿に御面会願いたく存じます」

 

そう声をかけると扉が開き、族長の侍従なのか部下なのかよくわからないが人がひとり姿を現した。

その人は無言のままヒエンに頭を下げ、どうぞとばかりに道を開く。

時間も時間だし、こんな遅くに訪ねた人間、しかも帯刀している人間をすんなり通してくれるとは思っていなかったヒエンは少し驚き、困惑したまま屋敷に足を踏み入れた。

案内されたのは煌々と輝く部屋。案内してくれた人が襖を開き、ヒエンを中に押し込む。

部屋に通されたヒエンの正面には、年若い族長が待ち構えていたかのように座っていた。

確かに己が面会を希望したが、マジで族長直々に会ってくれるとはとヒエンは非常に驚き狼狽する。

そんなヒエンを一瞥して族長は「何の用だ?」と声を落とした。

会えるならばもう少し心の準備がほしかったなとオロオロしながらも、ヒエンは夜遅くに訪ねたことを謝罪し、自分は族長の父であるナナワライに教えを受けていた者であることを話す。

ヒエンの言葉に族長は怪訝な顔をし、「…?自己紹介に来たのか?」と小さく首を傾けた。

ヒエンは慌てて首を振り、族長の弟であろうハヤテという方に会ったこと、その人によくわからない問い掛けをされたこと、少しばかり詰問するような口調だったため自分は何か粗相をしたのかと語る。

 

「…何を言われた?」

 

「『手繰りし糸で織る布は?』と…」

 

ヒエンがそれを口にすると、族長は思い切りため息を吐き、なんであの愚弟の尻拭いを私がやらねばならんのだと苛ついたように机を叩いた。

その音にまた自分は師匠のご子息に粗相をしたのかとヒエンは目を白黒させたが、族長はどうやら眉間に皺を寄せるのに忙しいらしい。

「居ても邪魔だったが、居なくても邪魔するのかあの凡愚は」とパシンと扇を叩きつけていた。

 

「…あの、」

 

「………、ああ申し訳ない。こちらのことだ気にするな」

 

ようやくヒエンの存在を思い出した族長は、努めて落ち着いたような声を作ったが機嫌の悪さが隠しきれていない。

噂通り、この方は弟君をあまり良く思っていないのだろう。

やはり来ない方がよかったか。

しかしあの言葉を翻訳出来そうなのはこの方だけだし。

困ったように目を泳がせるヒエンに、族長は軽く深呼吸をしてから声を掛けた。

 

「…そうだな、お前何かしただろう?」

 

「…え?いえ別に特別なことは何も」

 

問われた内容に思い当たることはない。そのため素直に否定したが、族長の方はというと「は?」と片眉を吊り上げていた。

ヒエンは人探しして修行してだだけだ。別段何もしていない。

不思議そうに首を傾けるヒエンを見て族長はため息を吐き、閉じた扇の先をヒエンに突き付けた。

 

「竜退治に、魔皇討伐。あとここまで噂が届くほどの武力、は、特別なことではないと?」

 

族長にそう指摘され、ヒエンは「ああそういやそんなこともしたな」と手をポンと鳴らした。

「剣技に関しては、俺などまだまだ」とそこは否定しておいたが。

師を超えることが最大の孝行だというのに、未だそれを成せていない己などどう考えても未熟者でしかないのだから。

そんなヒエンの反応に、族長は頭を抱え「父上の弟子は揃いも揃ってどっか可笑しいらしい」と深く深く何度目かのため息を漏らす。

 

「ああもういい。『糸』は今までお前がやらかしたことで『布』はそのせいで今起こってることだ。

今までお前が手繰り寄せ紡いだ糸が、織られて出来てしまった布の、後始末をしてから話聞いてやるとホザいたんだろあの馬鹿は!」

 

竜を追い払い、魔皇と闘ったヒエンは魔皇に「価値のある民」だと認識されてしまっていた。

竜と縁故を持ち、武術も強い。

魔皇の興味を惹くには充分だった。

 

「魔皇が『あれだけの手練れがいるのならばうかうかしていられない』と、以前より手がつけられなくなっているのは知っていたか?」

 

族長の問いにヒエンが首を振ると、族長は簡単に教えてくれる。

元より、どこかの拳法を操っていた魔皇はさらに研磨し、八極拳、拳法の中でも最も破壊力のある技を身に付けてたのだと。

「以前もあの強さに逆らえる輩はほとんどいなかったが、悪化したな。もう誰も止められないほどに」と族長はフンと鼻を鳴らす。

おかげで、この森にも侵攻するつもりのようだと心底うんざりしながら。

今は水際で防いでいるが、荒らしに来るのは時間の問題だろうと。

 

「全く…お前のおかげでまた森が荒れる。竜を倒し竜を手懐け魔皇を撤退まで追い詰めた貴様のおかげだ」

 

魔皇も根底はヒエンと同じだったのだろう。強い奴と闘いたい、強い奴と殺し合いたい。

それは土地を支配し楽土と呼ばせ不老不死を求めるよりもずっと奥にあった望み。

その望みを、魔皇はヒエンと出会ったことで思い出してしまった。

まあ魔皇は更に力を付けたせいで調子に乗って「邪帝」と名乗るようになったらしいが、と族長は眉間に皺を寄せたままひゅんと扇を振るう。

 

「お前が強いから悪化した。…責任とって鎮めてこい、ヒエン」

 

族長のその言葉にヒエンは目を丸くし「…え?」と驚いたように聞き返した。

なんだ聞いていなかったのかと嘲るように族長が再度口を開くのを遮って、ヒエンは「いえあの、」と驚いた顔のまま恐る恐る言葉を並べる。

 

「俺の、名前…ご存知でした、か」

 

「は?父上から聞いていたし、昔一度会ったことがあるだろう?」

 

族長のその言葉にヒエンは思わず口元を手で隠した。

おぼえてて、くださったらしい。

だから今日、帯刀していても特に注意されずすぐ面会を許してくれて、族長直々に対面してくれたのか。

ヒエンは七笑流の人間で旧知だから信用できると。

しかもあれだ、散々強いと褒めてもらったように思う。

つまり師匠のご子息に認めてもらえていた。

それに気付いたヒエンの頬が思わず緩む。緩んだ口元を隠しはしたが、喉から出た言葉は隠し通せず照れ照れとした弾んだ声になった。

 

「はい。この森の脅威となろう邪帝を、責任持って切り捨てて参ります」

 

そう言い放ちヒエンは族長に背を向ける。

これは任されたということだろう。

森を守るため討伐してこいと。

これだけ期待されているのだから、すぐに向かったほうが良いだろうと判断して、ヒエンは足早に部屋の外に向かった。

ヒエンの素早い行動に珍しく呆気に取られていた族長は「おいヒエン?」と戸惑ったような声を掛けたが、聞こえなかったのかスルーされる。

出て行く背中を見送ることしか出来なかった族長は「嫌味言いすぎただろうか」と若干目を泳がせた。

常に部下に周囲を探らせ、森だけではなく他の地域もある程度の動勢は把握している。今夜も、男がひとり文字通り真っ直ぐ、木も岩もなにもかも斬り倒しながら此処に向かっていると報告を受け、何事かと思った。

詳しく報告を聞けば、その男の特徴と振り回している刀の特徴は昔父の弟子だった子のものと一致している。

知らぬ人間ではないとはいえ、武器を片手に真っ直ぐ此処を目指しているのは警戒に値した。故に起きて待っていたのだが。

襲撃に来たならば迎え撃つつもりだったが、真夜中という非常識な時間帯を無視すれば、訪問の態度も礼儀も特に問題ない。

本当に相談に来ただけなのだろう、と、判断し穏便に対応してみたが始終様子が可笑しかった。思考は真っ当ではあるのだが、どうにも彼の感覚は一般の人間とはズレているように感じる。

 

「…それとも、父上に武術習うとどこか変になるのだろうか…」

 

ヒエンがいなくなり静かになった部屋の中で、族長の小さな呟きだけが大気を揺らした。

武術を教えてもらえず恨んだこともあったが、正直教えてもらわなくて良かったかもしれん。と、族長は遠くを眺め重い息を吐き出した。

 

■■■■

 

-9ページ-

 

 

族長の屋敷から外に出たヒエンは、ウキウキとした足取りで夜の森を進む。

邪帝さえ倒したら、森が守られ弟君も話を聞いてくれるようだ。いいことづくめじゃないか。

しかも邪帝は前より腕を上げたという。

魔皇のときの身体捌きよりも更に上。

それと闘えるとは楽しみだと微笑んで、ヒエンは目の前にある、進行の邪魔となっている巨木をスパンと容易く斬り倒した。

 

「あれ以上、とは、想像するだけで昂ぶる…おや?」

 

巨木を切り倒した拓けた視線の先に、誰かがいる。しかし気配は人間ではない。

この気配に近いのは龍。しかし形は人と同じ。

妙な生き物を目の当たりにし首を傾けたヒエンは、目を見開き口もぽかんと開けた不思議な青年と邂逅した。

 

「なん、なんで急にデッケー木が倒れ…、えええ!ヒト!?」

 

その青年は倒れた巨木とヒエンに視線を回し、驚き戸惑っている姿を隠しもしない。

「オマエ、いやまさか、え?ヒトってそんなこと出来んの?」とヒエンを指差し目をパチパチさせた。

よくわからないがヒエンは問われたことに律儀に答える。

 

「俺が出来るのだから、誰でも出来ると思う」

 

「マジかよ!」

 

話に聞いた通りヒトって怖ぇ生き物だな、と青年は警戒するように両腕に身に付けた刃を構え「オレはやられないからな!」と威嚇の声を鳴らした。

初対面の人間と闘う気はないがとヒエンは青年の妙な態度を不思議そうに眺める。というか人間ではないような口ぶりだな。

見かけない気配だしとヒエンは刀に手を添え、目の前の青年に問い掛けた。

 

「此処らでは見ない顔だが、何処の何方だろうか」

 

「っオレは、」

 

ヒエンからの殺気を感じたのか青年の方も更に警戒心を強くさせ、両者とも応えを間違えたならばすぐさま戦闘となる一触即発の空気が出来上がる。

いやに人間を警戒する青年と、怪しいと青年を睨み付けるヒエン。

ピンと張り詰めた空気の中、

 

「この辺からドラゴンの気配がする!!!」

 

という場違いな明るい声と元気な足音が突然現れ、緑色の塊が青年に飛びかかった。

突然すぎて青年もヒエンも一切反応出来ず、乱入してきた緑色に一瞬で場の空気が書き換えられる。

ぽかんと棒立ちとなるヒエンに、飛びかかった緑色に倒され目を白黒させている青年。そして「あれ?人?」と心底驚いた声で青年の見つめている緑色。

ヒエンは見知らぬ顔ふたりが揉みくちゃになっていることに混乱し、

青年は纏わり付いた物体に混乱し、

緑色は「思ってたのと違う」と混乱し。

 

ここにいる三人全員が「説明してくれ!」と三者三様別々の理由で同じ言葉を重ね合わせた。

 

静かな夜の森が彼らのいる場所だけ賑やかに染まり、ざわざわと木々も葉を揺らす。

みっつの風がぶつかり合ったのは、森としては不幸でしかない。

相殺し消え去るか、それとも散り散りに離れるか、それとも重なり暴風に育つか。

その結末は誰にもわからなかった。

 

 

next

 

 

 

■■■■■■■

 

 

 

さて、

夜の暗い森の中

月と星が照らす場所で、

三本の糸が混じり合いました

 

中途半端ではありますが

今回はここらで止めておきましょう

混ざったあとの結末は

次の風を追いながら

のんびり見守っていきましょうか

 

少しばかり特殊な風ですので

追うのに時間はかかりそうですが

まあ気ままにのんびりと

 

 

 

あとひとつ

これで世界は騙り終わります

いくつもの糸が好き勝手乱れるこの世界

繋ぎ合わせるか編み込むか

是だと思うか非だと思うか

 

それは皆様のお好きなように

 

説明
7章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け
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