孤剣 八 |
化け物。
あのお侍さまが。
「小夜姫、お主がそこまで怯えずにおるのは、まだ、あの式姫が助けてくれると思っておるからではないか?」
「それは……」
心のどこかで、そう思っていたのは確か。
何の義理も無い相手なのに。
「だが、あやつの言葉は聞いたであろう?妾と事を構える気は無いと」
「……ええ」
「あやつは昔から無類の酒好きじゃ、猿神を退治る程度の、大した苦も無く助けられる相手なら、助けて酒の一杯にもありつこうと思うたのであろうよ」
だけどねぇ。
にまりと青行灯が笑う。
「封印が解け切らぬ妾と、主持たず彷徨う今のあやつの力は似たような物、その辺り、かつてやりおうた化け物同士、妾にはようわかる」
「……」
「さて……相討ちを覚悟してまで、化け物が人を助けてくれると思っておるのかや?」
その言葉に俯いた小夜を見て、青行灯は、くくっと、低く笑った。
「まぁ良いわ、聞きたい事には答えてやった……そろそろ妾の宴を始めさせて貰おうかねぇ」
「うたげ……」
「そう、復活の宴じゃ」
青行灯の目配せを受けて、猿神の息が荒くなる。
その鼻息を聞いて、小夜にはこれから自分の身に何が起こるか、判るような気がした。
「妾を封じた男の孫を贄として」
だが……。
「その血に連なる乙女を、そこな畜生どもに嬲らせ汚し」
私を汚す事に、この妖がそれ程までに拘る位の、意味があるなら。
「妾はようやく自由となる」
私にも、出来る事はある。
小夜は静かに顔を上げた。
「……何じゃ?」
青行灯が訝しそうに小夜を見直した。
絶望していると思った娘が、どこか涼しげな顔をこちらに向けていた。
「手向かいしようと、思いまして」
懐剣を取り出し、青行灯に向けて構える。
「ほほ、左様なかわゆい刃で、妾に手向かうか」
「ええ」
可笑しな事だ。
「手向かいしますよ」
そう言いながら、くすりと笑えた。
何故、私は、こんな時だと言うのに、あの、人ではないと知らされた方の顔を、思い浮かべているんだろう。
そういえば、腰に大きな瓢箪をぶら下げていたっけ。
(……お酒、好きなんだ)
それなら、お礼も出来たんだけど。
もう、無理かな。
「良いわ良いわ、妾でも猿神でも好きに斬りつけてみるが良い、その無力を存分に教えてやろう程にな」
青行灯の言葉に、小夜は冷たい目を向けた。
「いいえ、私が抵抗するのは、貴女の語る、悪趣味な物語に……です」
「何?」
(皮肉ですね……)
くるりと、青行灯に向けていた刃を手の内で返す。
(父が私に施した、『高貴な女性』とやらの嗜みが、最後に父と、この妖の野望を阻むとは)
手の震えも無く、迷いなく、白い喉に擬された切先。
敵の手に落ちそうな時の、身の処し方。
(ご希望通りに振舞って差し上げますよ……父上)
「いかぬ、止めよ!」
死を目前にしても、不思議と大した感慨も浮かばない。
だけど。
(さよなら……お侍さま)
ただ、貴女にだけは、ちゃんとお別れを言いたかったです。
目を閉じて、思い切り手前に引いた手に、ずぶりと肉を貫く感触が伝わり、チクリとした痛みが喉に走る。
それは、針を指に刺してしまったときのような。
あれ……思ってたより、痛くない。
恐る恐る開けた目に、白い綺麗な手が見えた。
「やれやれ……そこの悪趣味行灯の意図を挫くには確かに有効ですが」
その手が、血に濡れて。
「自ら命を絶つには、少々気が早いですよー」
「お侍……さま?」
小夜の喉前に翳した童子切の左の掌から、刃が突き出していた。
だが、止め切れなかった切っ先が、浅く小夜の喉を傷つけ、二人の血で、刃が濡れる。
小夜の手から懐剣を奪い、童子切は痛みよりは、煩わしいと言いたげな顔で、それを抜いて、刃を月明かりに翳した。
「確かに自害の為に渡される刀ですが、こんないい子に、主の血なんて吸わせちゃ駄目ですよー」
刀も哀しむんですから……ね。
「どうして?」
「馬鹿な、何故じゃ!」
同じ疑問を二人から投げかけられて、童子切はしれっとした顔で笑った。
「どうしてと言われましても、今の私は酒が切れて素面(しらふ)ですのでねー」
それが答えの全てだと言いたげな顔で、童子切は小夜を庇いながら、右手に刀を構えた。
「ふざけるでないわ、素面だからなんだと言うか」
「嫌ですね、忘れたんですか青行灯……素面の私の行動ですよ」
へらりと、童子切は笑って。
「正気の沙汰な訳が、無いじゃないですかー」
その視線と刀を向けられて、青行灯が僅かにたじろぐ。
「……式姫、よもや、妾と果てる気か?」
「戦の果てなれば、それも一興でしょうねー」
「一体、何の得が有って……」
「得?」
そう口にした童子切の目に、ぞっとするほどの蔑みの光が凝る。
「一々人の行動に、判りやすい理由を求めるから、いつまで経ってもあなたの『百物語』は、浅薄なんですよー」
阿呆ですねー、あっはっはー。
薄く開いた童子切の目が紅に染まっている。
昔見た、私を刺し貫いた、あの眼光。
その眼光の奥深くに煌めくは、大江山の鬼王を斬り伏せたる霊刀の光。
「……く」
今の実力は、ほぼ互角だろう。
だが、一度敗北した記憶は、本能の中に傷として刻み付けられていたらしい。
気圧されたように、青行灯が覚えず一歩を後ずさる。
そして、絶対的な主の動揺を見た猿神達が、目に見えて動揺を示す。
その、一瞬の動揺を、戦場慣れした童子切の目は見逃さなかった。
「走って!」
それまで、じっと童子切を見ていた小夜が、その声に、弾けるように走り出す。
小夜には、何となく判っていた。
彼女は、ここに死にに来たのではない。
小夜共々……生きて帰るつもりで、ここに来たのだと。
だから、その声に、瞬時に反応できた。
走り出す小夜に先んじて、童子切が振り向きざまに、鋭く踏み込む。
腰間から迸った、二尺六寸五分の優美な刃が、刹那に閃く。
二人を包囲しようと、後ろに回り込もうとしていた猿神二匹が、縦と斜めに綺麗に両断されるのも見ずに、その傍らを童子切と小夜が走り抜けた。
「逃がさぬわ!」
男の声と共に、炎が二人に吹き付けられる。
「ちっ」
小夜を抱えた童子切が慌てて跳躍する、その足を炎が掠めた。
かなりの距離を跳び、着地した足に鋭い痛みが走り、流石の童子切が顔を苦痛に歪めた。
「……っ!」
「お侍さま!」
「大丈夫……祠まで走りますよ」
「は……はいっ!」
走り去る二人の背を睨みながら、青行灯は何も無い虚空を睨みつけた。
いや、他でも無い彼女にだけは見える。
弱まったりとは言えど、この身を縛る結界を。
ここから先に進めば、恐らく彼女の力は著しく減じる。
「おのれ……式姫がぁ」
二度までも、我が前から贄を奪い、逃げるか。
だが、此度は、あの脚を我が炎で確かに焼いた。
ならば、いかな式姫と言えど、そう遠くへは逃げられまい。
ギャーギャーと興奮して騒ぐ猿たちを、忌々しそうに一睨みしてから、青行灯は口を開いた。
「鎮まれ、追う必要は無い!」
随分と童子切に斬られ、手数として使える程度の猿神の数も減じてしまった。
二人を追わせた所で、いくら手傷を負っているとはいえ、あの童子切を倒せる力は猿神共には無い。
では、どうする……。
僅かな時間の後、行灯と、それを掲げた女性の顔に、同じ笑みが浮かんだ。
「お前たち、あの男をここに連れておいで」
説明 | ||
式姫プロジェクトの二次創作小説です。 童子切の昔語り。 |
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式姫 童子切 | ||
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