孤剣 九
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 祠に駆け込んで、扉を閉ざす。

 その扉に背を預けるように、童子切が座り込んだ。

 抑えきれない苦痛の呻きが、食いしばった歯の間から零れる。

「お侍さま!」

 何か使える物は無いかと、小夜は、淡い月明かりの差し込む中で、祠の中を見渡した。

 祭具も碌に残っていない中に転がっていた、ちびた蝋燭を拾い上げる。

「お侍さま、火口をお持ちでは?」

「当然持ってますよー」

 袂を探って、童子切が差し出すそれを手にして、小夜は慣れた様子で、火口で熾(おこ)した火を蝋燭に移した。

「中々慣れてますね」

「こんな山の中では、この位できませんと」

 姫なんて柄じゃ無いんですよ、ほんとは。

 こんな状況だと言うのに、そう言って笑った小夜に、童子切も笑みを返した。

「ふふ、ご尤も」

 笑う、だがその声の間に混じる息が荒い。

「傷を検めさせて貰います」

「どうぞー」

 治療は兎も角……彼女自身の目で、厳しい状況を見て貰って置いた方が良いだろう。

 剣の要諦は踏み込みにある。

 その為の足がこれでは、力の半分も出せまい。

(私も、年貢の納め時ですかねー……)

 

 蝋燭の揺れる炎の中に見えた、童子切の右脚。

 脚を鎧っていた、すね当てと脚絆が焼け、その下に見える肌が、火に焼かれ、赤く爛れている。

「酷い……」

 よく、この足でここまで走れた物だ。

 

(妾と同じ、化け物じゃ)

 

 やはり……そうなのですね。

 その小夜の表情を見ていた童子切が、何か得心が行った様子で、くすりと笑った。

「私の事、青行灯から聞いたんですかー?」

「それは……」

「そう、私は式姫、人では無いんですよ」

 そう聞かされても、不思議な程、小夜は特に違和感なく、その事実を受け止めた。

 そう、この方は、人ではあるまい。

 人は……良くも悪くも、こんなに綺麗ではいられない。

「そうなんですね」

 意外に平静な声を返され、童子切は怪訝そうに彼女を見返した。

 目の前に、化け物が居ると知らされたにしては、それは余りに静かな態度で。

「驚かないんですね」

「そうですね、我ながら不思議な事ですけど」

 そう言いながら、小夜は自分の袖を千切り、童子切の腰から水筒を取ってそれを湿した。

「痛むと思いますが」

 火傷を冷やす様に、その布を当てる。

「……つ」

「すみません、本来でしたら、薬草を当てて包帯が出来れば良いのですが」

 今度は口で切れ目を入れてから、もう一方の袖を大きく裂いて、小夜は童子切の脚に、意外な程に、手際よく包帯を当てた。

「良い手並みですね」

「じいやに教わりました、いかんせん不慣れな事はお許しを」

 お姫様(おひいさま)だとて、山里に在る以上、生きる知恵を得て悪い事は無いですからな。

 主家の姫という礼を失う事は無かったが、じいは本当に色々な事を、こっそり私に教えてくれた。

 野菜の育て方、野の獣を取る罠の掛け方、傷への対処、薬草、毒草、食べられる果実、草、色々の事を。

「いえいえー、だいぶ楽になりました……」

 ふぅ、と息を吐いて、童子切は小夜に目を向けた。

「一つ聞いて良いですか?」

「何でしょう?」

「何故、自害しようと?」

 答えに詰まる様子の小夜に、童子切は言葉を続けた。

「責めてるんじゃないですよー、あの猿共に汚され、果てに殺されると判っていれば当然選んで然るべき道の一つですから」

 でも……それだけでは無いように、童子切は感じていた。

 まだ、少しだが血を滴らせる、左の掌に視線を落とす。

 あの時、掌を貫いた感触が、答えを求めている。

 童子切の言葉に、どう答えようか迷う小夜の様子を静かに彼女は見ていた。

 教えてください。

 貴女は、どんな答えを、あの時出したんですか。

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「お方様、お呼びでございますか?」

「おお、よう来やった、よう来やった」

 猿神に負われてやって来た男を、青行灯は社から手招いた。

「ちと、お前様に助けて貰いたい事がありまして、ご足労頂きました」

「お方様の御為ならば」

 男の目の奥で、彼女が食い荒らした時に、代わりに残してやった魂の残り火がちろりちろりと燃えている。

 先に連れて行かれた娘を気に掛ける様子も無い。

 元々、彼には己しか無かった。

 彼の父のように、人というのは今いるところで生きるだけの事、そう達観するには、まだ彼の心の中の野心の炎は大きく、理想化された京への想いは熱すぎた。

 その炎の中で、都で栄達し、殿上人として振舞う彼の姿が、陽炎のようにゆらゆらと踊る。

 熱病患者が水を求めるように……彼の魂は、栄光と光輝に満ちた己の姿を渇仰していた。

 ふらふらと、妖しい青白い光に誘われて。

 蛾が光に惹かれる様に、夢心地で彼は階を……まるで御所にでも参内するような気持ちで上っていった。

 この青白い光の中に、彼自身の栄光を夢見て。

 

 それを上から見る青行灯の目には、それはもう、人の形に見えていなかった。

 虚ろな影。

 人より豊かな夢に溺れ、だが、その夢を現実のものとするだけの力を、まるで持ち合わせなかったが故に、現実を見る事を拒んだ、脆く哀れな抜け殻。

 もう、喰らう夢も魂も残っておらぬが。

「お方様、御用とは」

「御用などと、堅苦しい事を言われるな……」

 低い、吐息の間にかすれる声が艶を帯び、はだけ、露わになった肩のまろみから、隠しきれない甘い香りが、そこから立ち上る。

 部屋の闇の中に、白く紗を張った牀(中国の寝椅子)がぼんやりと浮かぶ。

 青行灯はそこに腰かけ、紗の向うから、男を手招いた。

「お方様」

「かような山里では、雅を知るのは、妾とそなただけじゃ」

「真に」

「寂しいのう」

 

 寂しい物じゃ……木偶と猿に囲まれた生など。

 早ぅ、京に帰りたい。

 帰って、あの雅な闇の中で、甘やかに腐った魂たちに囲まれて……。

 

「寂しい者同士、妾の無聊、慰めてくれませぬか」

「……お方様!」

 マメも作った事のない、細く繊細な手が青行灯の肩を掴み、肌蹴た着物を更に押し下げる。

 押し重なってくる男の頭に、抱き寄せるように手を回し、こんな山里だと言うのに、律儀に結ってある髷を解いた。

 ばさりと落ちる髪から、椿油の香りが立つ。

 その髪の間にのぞく耳に、甘噛みするように口を寄せた。

「睦みあいましょうぞ……」

 その魂には何も残っていないが……。

 息荒く動き出した男の体を抱き寄せながら、青行灯は覚めた目を天上に向けた。

 妾を封じた、あの男の血に連なる、この肉体には、多少の価値が残っている。

 妾を起こしてくれた礼じゃ。

「そなたが、果てるまで」

 最後に、良い夢位は……見せてやりましょう。

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「私……二度は流されたくなかった」

「流される?」

「はい」

 例え、どんな優れた子を授かろうと、猿の嫁になんて、本当はなりたくなかった。

 でも、父の願いに、村人の懇願に、いや、懇願の体を取った無言の圧力に……私は流された。

 周囲で勝手に作られた状況に、自身の諦めに、流されたのだ。

 お上品に、教わった通り、家の為に身を捨てるのが姫の嗜みだと。

 物わかり良さげに、私は、抵抗しようとすらしなかった。

 ただ、心を押し殺し、人形のようになり。

 それが、戦い、抗った果てに負けるより、尚恥ずかしい事だと……私は心のどこかで知っていた筈なのに。

 あの時、助けてくれた童子切に反発したのは、その思いが自分の中にあったから。

 

「だから、お侍さまに救われたと判った時、思ったんです……次は、ちゃんと抗おうって」

 父が、あの妖が、村人が。

 私の涙を望むなら、私は泣いてなんかやらない。

 私が汚される事を望むなら、私は汚されてなんかやらない。

 

「だから、自害しようと?」

 

 命永らえる道を断たれたが故に、已む無く選んだ死では無く、自分が出来る、抵抗として選んだ道。

 だからこそ、迷いが無かった。

 彼女の手を貫いた時の懐剣の鋭さに、ようやく童子切は得心が行った。

 あの瞬間。

 喉前に擬した懐剣と喉の間が、小夜が自分で選んだ、彼女として生きる時間。

 その先に、同じ結末が待つにせよ、死へ向かう刹那に己の生を輝かせるか、諦めを見て絶望するのか。

 そこには、厳然たる差があるのだ。

 小夜が貫こうとしたのはその喉では無く、彼女自身としての、生きざまと死にざまだったのだと。

 

「そうです」

 そう言って、顔を上げた小夜の目を、童子切はどこか眩しく見返した。

 久しく見なかった、忘れ掛かっていた。

 知恵のついた畜生ではない……人として生きようとする人の目だ。

 

 私は、刀。

 人の手が産み出した。

 人の手が振るった。

 

 それを、彼女に思い出させる。

 そして、それを誇りと思える。

 そんな目。

 

 この少女を助けたいと思った、私の行動は。

「ふふ」

「どうされたんですか、お侍さま?」

「いえ、時に素面も悪くないと思ったんですよー」

 間違っては、いなかった。

 

 その時、祠の外がざわめいた。

 空気が淀み、生臭い風が悲鳴を上げる。

 背中の毛がそそけだつような、妖気が辺りを包む。

 青行灯直々のお出ましか。

 何をしてきたかは知らないが、結界を破ったというのか?

 これは……強い。

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「小夜」

 生贄の少女でも、姫でも無く。

 童子切は、その誇り高き名を口にした。

「はい」

 預かっていた懐剣を小夜に差し出す。

 まだ二人の血に濡れ、拭っていない刃。

「覚悟は、しておいてください」

 童子切の言葉が判らぬ小夜では無い。

 それを受け取り、ぎゅっと握る。

「……はい」

 小夜と頷き交わし、童子切は立った。

 不思議な程、体が軽い。

 足の痛みも、今は余り感じない。

 良かった……これなれば。

「お侍さま」

「……違いますよ」

「違う?」

「ええ」

 不思議だが、私は、この無力な少女の瞳の中に。

 刹那の中に、己の生死を見切った……その魂の在り様に。

 あの方の姿が重なって見えた。

 

「私の名は童子切」

 

「童子切って……あの?」

 小夜ですら知っている。

 鬼王、酒呑童子の首を刎ねたる縁より、童子切の名を賜った、伯耆国の刀工、安綱が鍛えし、古今無双の名刀。

 

「ええ……小夜様、以後、私の事は、童子切とお呼び下さい」

 我が、主よ。

 私の最後の剣、ご嘉納あれ。

 

 扉に手を掛け、開く。

 青行灯と、彼女を取り巻く、猿神の群れが見える。

「式姫、あの時の決着、今こそ付けてくれよう」

「ふ」

 低く笑っただけで、青行灯の言葉に応えず、童子切は天を見た。

 美しい月が見える。

 

 主を得て、死に場所も得た……ただ、足りぬのは。

「やっぱり、お酒が欲しいですねー」

「お酒なら、じいやの山小屋に隠してあります」

「……小夜様?」

「なんと、私の作った、飛び切り美味しい大根と胡瓜のお漬け物もあります」

 背の高い童子切を見上げて、彼女は笑った。

「後で、一緒に呑みましょう……童子切」

 後で一緒に……か。

 その言葉に、童子切の頬が僅かに緩んだ。

「香の物で一杯とは判ってらっしゃる、是非、ご主人様のご相伴に与りましょうか」

 今宵は誠に良い夜だ。

 僅かにきりりと分身たる刀を抜いて、月をその面を映し、暫し息を詰めて、その煌めきに目を落とす。

 三日月……力を貸して。

 ふうと息を吐いて、刀を鞘に戻す。

 

 私は今……孤剣では無い。

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。
童子切の昔語り。

若干ですが性的な描写が有ります。
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式姫 童子切 

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