天照との絆語り |
「おはようございます」
「おはようございます、天照さん」
玄関で靴を履いていると、偶然通りがかった天照が声をかけてきた。
「これからちょっと出かけるんですが、良かったら一緒にどうですか?天気もよく晴れていますし」
「よく晴れている……?」
そう呟いた直後、ピタリと天照の動きが止まる。
「やっぱり帰ります……」
「え!?いやいやいや、ここ天照さんのお家ですよ!」
何をどう解釈したのか分からない。
彼女が家にやってきてまだ日が浅いが、どうにもこの神様、引きこもってしまう悪癖があるようで。
これは好機かもしれないと思い、慌てて引き返そうとする天照の袖を掴んだ。
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんで付き合って下さい!」
「わ、私がですか……?迷惑ではないでしょうか?」
「全っ然そんな事ないです!」
普通、式姫とはいえ神様が相手となれば委縮し下手に出るのが正しい接し方なのかもしれない。
俺自身、強引なやり方は好きではないが――。
「……分かりました、では私も一緒に行きましょう」
「ありがとうございます!」
あまり乗り気ではなさそうだが、なんとか説得に応じてくれた。
「どこへ行くんですか?」
「金物屋です。数日前に研ぎに出しておいた包丁が、今日仕上がる予定なので引き取りに」
「ふーん……」
外に出るのを拒んでいた割に、いざ一緒に出歩いてみるとそんなに嫌というわけでもなさそう。
とはいえ、まだまだ油断はできない。ちょっとした一言で帰ってしまいかねないからな、この人は。
誘い出したのは俺の方だが、今のところ彼女との仲を深める妙案があるわけではない。
とりあえず、黙ったままなのはよくない。さて、何を話そうかな。
「えーっと、天照さん」
「何かしら?」
「天照さんって、自分の事が嫌いなんですか?」
「えっ?」
口にした直後、しまったと思った。穏やかな晴れの日に、いきなりネガな話題を持ちだしてどうする。
しかし、一度口から出た言葉を取り消す事はできない。
「いや、その、天照さんってよく引きこもろうとするから、なんとなくそんな気がして」
失礼なんてレベルではない。相手がまっとうな神様なら、たちまち怒りだしかねない爆弾発言。
頭を抱えてしまいたい衝動を抑えながらチラリと彼女の様子を伺うと、天照は歩きながら顎に手をやってうーんと考えている。
「そう見えるのですか。私は、別に自分の事を嫌いだなんて思った事はないですよ」
「あ、そ、そうなんですね。へぇー……」
自分で聞いておきながら、何で冷や汗をかいてるんだ俺は。
次は、もう少し慎重に別の話題を切りだしてみよう。
「オガミさんは自分が嫌いなのですか?」
「えぇ、まぁ……」
四六時中意識しているわけではないが、時折どうしようもなく自己嫌悪に陥ってしまう事がある。
自分でもどうかと思うのだが、性格からくるものと割り切って諦念してしまっていた。
ただ、打たれ弱い癖に立ち直るのだけは凄まじく早い。
表面上はなんでもない風を装っていながら、水面下では必死で足を動かしている。白鳥のような奴なのだ。
「ふふ、嘘が下手ですね」
「ウソ?」
少し驚いて、天照の横顔を見つめる。
「自分が嫌いなどと言う人は、嘘付きなのよ。そう思いこむ事で、今の自分を保とうとしているだけ。
変化する事を恐れ、努力する事から目を逸らしている。心の奥底では、誰よりも自分を愛している。
自分が嫌いだと自覚している人は、口に出さずに日々自分を磨く事に努力しているの」
何故なら、今の自分が嫌いだから。自分を好きになるには、少しずつでも自ら変わろうとするしかない。
神様は、そう付け加えて話を締めくくった。
ははぁ、なるほどね。言われてみれば、その通りだ。
「私の見た感じでは、貴方はがむしゃらに努力するような人には見えないので」
「ぐうっ……!」
「ふふ、その様子だと当たりのようね」
「だはははは……面目ないです」
頭を掻いて、苦笑いを浮かべる。
意図せず天照が主導権を握る形になったが、少しだけ機嫌が良くなったようで俺は内心ほっとしていた。
自分を好きになるか嫌いになるか、許すか許さないか。全ての選択権は本人にある。
そこに他人の意見が入りこむ余地はなく、また誰かに委ねられるものでもない。
心構え一つで、晴れたり降ったり曇ったり。この天候のように実に気まぐれなモンだ。
金物屋で包丁を引き取り、店を出たところで再び天照に尋ねる。
「他に寄りたい所とかありますか?」
「そうね……」
「時間もお金もあるんで、言ってくれればどこでも行きますよ」
「では八百屋へ行ってもいいですか?ワサビが欲しいので」
「ワサビ……ですか。分かりました、案内します」
この神様、味覚が並外れているのか。
また珍妙なモノを欲しがるもんだな……。
一通りの買い物を済ませた後、天照の提案で河原へと足を運んだ。
荷物を傍らに置いて、背の低い雑草が一面に広がる野原に大の字になって寝転ぶ。
目を閉じるとかすかに聞こえてくる、河のせせらぎの音と道行く人々の足音が耳に心地良い。
「んーっ……」
思い切り伸びをして、全身から力を抜く。
慣れていないというのもあるが、天照の相手は思ったよりも疲れた。
けれど、間違っても口には出さない。その先がどうなるかは陽を見るより明らかだ。
「包丁を見せてもらってもいいですか?」
「あぁはい、お好きにどーぞ」
隣に座った天照に、容れ物ごと手渡す。
取り出され、スルスルと巻布を解かれた包丁が、陽光の元でキラキラと輝いた。
「何も変わったところはありませんよ」
「…………」
有名な鍛冶師の作品でもない、何の変哲もないただの包丁。珍しいモノではない。
それをじっと見つめる天照は、何を思うのか。
「確か、他にも包丁はありましたよね?」
「え?えぇ、あと三本ほど。それが一番良く切れるんで、手入れも大変なんですよ」
自分でロクに手入れしない癖に、いかにも大変そうに言う。
実際に手入れしているのは、今しがた会ってきた金物屋の主人なのに。
「大事に使っていますか?」
「えっ……」
唐突な天照の問いかけに、俺は一瞬詰まった。
「ま、まぁまぁ、ですかね……はは」
切れ味を取り戻した包丁とは真逆の、歯切れの悪い曖昧な回答になってしまった。
料理が本業ではないので、あまり大事にしているとは思わない。
「私もこれと同じですよ」
「……はい?」
いやいや、天照さんは付喪神とは違うでしょうが。
そう言おうとするより早く、天照が続ける。
「包丁はよく切れるものから使われ、その分すり減るのも他の包丁より早いのね」
「…………」
「貴方も、私もそうじゃないかしら?」
唐突に何を言い出すのか。
しかし俺は、注意深くその意図を探ろうとしていた。
「集団の中においては、最も優れた者から使われる。けれどその分」
「衰えるのも早い」
「そう。人間も式姫もこの包丁も、決して無限ではないの」
天照から包丁を受け取り、俺もまた彼女に倣ってじっと見つめた。
現代社会の構図もそうだ。企業では、優れた者が多くの仕事を任されるのが常。
最も体力がある者が走り回され、最も秀でた創作者に依頼が殺到する。
その代償として疲弊していく体力と心も、常人の比ではない。
俺には、それがどれほど苦しいか想像もできない。
いや、何も俺に限った話ではない。持たざる者は、いつだって才溢れる者を羨んでいる。
その才能に付きまとう、周囲からの重圧や期待という名の心労をまるで理解せずに――。
「私という優れた式姫をどう使うかは、貴方次第です。貴方が望むのであれば、村一つ焼き払う事も厭わないですが」
「…………」
「ふふ、なんてね。そこまではしませんよ。あまり私に期待されても困りますし」
「はぁ……」
「さて、そろそろ帰りましょうか」
天照が立ち上がりかけたのを見て、俺は慌てて包丁に布を巻きつけた。
「でも飾るだけなんて駄目ですよ。その包丁で、今夜は美味しいモノを御馳走して下さいね」
「は、はい!」
何故彼女がたびたび引き篭もろうとするのか、その理由が少しだけ分かった気がした。
屋敷を出る前は少しでも改善してやろうと思っていたのだが、どうも俺が口を出す問題ではないようだ。
才も学もない俺には、神様の背負っているモノなど分かろうはずもない。
さも分かったようなフリをして、岩戸をこじ開けようとする事のなんと浅はかな事か。
出来る事といったらせいぜい、ワサビとお神酒、後は今日の夕飯でも供える位が精一杯。
今はまだ、天照を遠くに感じる。
かといって無理に近付こうとすれば、イカロスの如く翼を焼かれて墜落するだろう。
「……いや、違うな」
天照をどうにかしようとする考えがそもそも間違いなのではないか。
雨が降っても、道行く人々は誰一人文句を言ったりしない。当然だ。
陽の下を歩く以上、お天道様の気まぐれに付き合わされるのは世の理。
ならば俺も、それに従うべきなんじゃないか。
「どうしました?」
「いえ、その……今日は勝手に連れ出して、すみませんでした」
振り向いた天照に、頭を下げて詫びる。まだまだ俺には配慮が足りない。だけど――。
「謝る事はありませんよ。外に出てみなくては、分からない事もありますから」
だけど、彼女を連れだした結果、得られるモノも確かにあった。
例えば今しがた、優しく微笑んでくれたように。
あぁ、やっと――今日初めて、やっと笑ってくれた。
明日も、どうか晴れますように。
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