くらかけみやとの絆語り |
盛籠を片手に居間の襖を開けると、二名の先客が既に鎮座していた。
「やぁ、くらかけ――」
ビシッ!
「っと……すまんすまん」
部屋へ入るなり、俺は小声で詫びた。
挨拶代わりのつもりか、ビシッと尻尾を立てるくらかけみや。
その反対側では、コタツに突っ伏して眠っている仲の良い相棒、おつの。
襖を閉めて、くらかけみやの前に蜜柑の盛籠を置く。
ビシッ、ビシッ。
「…………?」
残念ながら、通訳係は眠っている。俺は勝手にありがとうの意味だと翻訳した。
「どういたしまして」
小声で返答したが、くらかけみやはふるふると首を横に振る。
「えっ、違う?」
くいくいと袖を引っ張られる。そして、おつのの方をじっと見るくらかけみや。
「おつのに……?えーっと…………」
「…………」
むむむむむ。
「………………」
「………………」
「おつのが寒そう?」
コクリ。
「よし、ちょっと待ってろ。えーっと確か、この押入れに……」
あったあった、毛布。おつのを起こさないよう、そっと肩から被せてやった。
「これでいいか?」
ビシッ!
「ふふ、どういたしまして」
さて、俺はこれで失礼して――ん?くらかけみやが手招きしている。
なんだ、まだ何か用事か。そろりそろりと彼女の方へ回ると、
「……お茶」
おぉ、喋った。いや初めて喋る所を見たワケではないのだが、なんとなく嬉しくなる。
普通の式姫相手なら文句の一つでも言う場面だが、お猫さんの珍しきお言葉となれば快諾するしかあるまい。
「あい分かった、少々待たれよ」
ニヤリと笑って芝居がかった口調で返事をすると、くらかけみやは嬉しそうに尻尾を振った。
湯呑みと急須を盆に乗せて再び居間に戻ると、くらかけみやは蜜柑を剥いていた。
なるべく音を立てないよう、そっと二人分の湯呑みをコタツの上に置く。
「ほい、お待たせ……っと。まだ熱いから、気ぃ付けろよ」
猫舌かどうかは分からないが、とりあえず警告だけしておく。
ぽんぽん。
「ん?」
ぽんぽん。
いつの間にかくらかけみやの隣には座布団が敷かれており、そこをぽんぽんと叩いている。
「隣、座っていいのか?」
コクリ。
「……じゃ、ちょっくら失礼するよ。よい、しょっと」
蜜柑を剥く作業を中断して、湯呑みに手を伸ばすお猫さん。俺は興味深々にその様子を観察していた。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ……ずずず」
「どうだ?」
「…………はぁ、おいしい」
感嘆の声が口から漏れるとは、これまた珍しい。彼女の機嫌が良いのか、俺の腕が上がったのか。
釣られて俺もお茶を一口啜る。温まるなぁ……。
暦の上ではもうすぐ春だが、夜は今だに冷える。こんな寒い日にはコタツに蜜柑がちょうどいい。
しかしこの、なんというか……妙な雰囲気になってしまった。座る場所を間違えている気がしなくもない。
隣には無口なお猫さん、対面にはおねんねしている天狗さん。
二人でまったりしている所へ、紛れ込んでしまったお邪魔虫とでもいうべきか。
微妙な居心地の悪さを感じているが、今更席を立つのも……。
対面のおつの様子を伺ってみたが、相変わらず目を覚ます気配はない。
とりあえず俺も蜜柑を食べよう。盛籠に手を伸ばし、手頃の大きさのを一つ手に取った。
ちょいちょい。
さて剥こうかという所で、くらかけみやに肩をつつかれた。
振り向くと、さっきまで自分で剥いていた蜜柑をつまんで俺の顔の前にかざしている。
「…………」
「…………」
あぁ、こういう場面、前にもあったな。
「あ、あーん……」
ぱくっ。もぐもぐ。甘酸っぱい旨みが、口一杯に広がる。
似たような体験をしてきたが故に、こういう時では迷わない。
「はぁ、美味しい」
くらかけみやの台詞をそっくり返すと、本人も微笑んだ。
ぬくぬくのコタツ、あつあつのお茶、甘酸っぱい蜜柑、そして隣にはくらかけみや。
冬の名物、ここに極まれり。さっきまでの感じていた居心地の悪さが、徐々に消えていく。
口の中が空になると、再び蜜柑が口元へと差し出される。
「あー……ぱくっ」
くらかけみやの蜜柑を頬張りつつ、俺も自分の蜜柑をせっせと剥き始めた。
しかしまぁ、意外だな。おつのと話す事はあっても、くらかけみやと話した事は殆どない。
無口で無愛想な奴だと思っていたが、どうしてなかなか可愛らしいではないか。
普段から遠目に見ている彼女と、今隣に座っている彼女が別人にさえ思える。
俺の式姫を見る目も、大分衰えたかな。心の中で苦笑した。
「くらかけみや」
蜜柑を向き終わった所で、お猫さんの名前を呼ぶ。振り向いた彼女の口元へ、房から分かれた蜜柑を。
「……?」
「あーん、してみ。あーん」
「…………ぱくっ」
おつのが起きていれば、多分俺と同じ事をしただろう。
(フリフリフリ……♪)
こくん、と嚥下したくらかけみやは尻尾をゆっくり左右に振った。
ゆっくりと流れる夕暮れ時の時間の中で、お互いに蜜柑とお茶をまったり堪能する。
「お茶、まだあるぞ」
ふるふる。
「そうか……」
空になった湯呑みに、自分の分だけ注いだ。
夕飯がまだなので蜜柑をあまり食べ過ぎるわけにはいかない。口が空になると、どうしても手持無沙汰になる。
せっかくのいい雰囲気なのに、普通に会話できない事が残念だ。おつのが起きていてくれたら、会話も弾むだろうに。
さて、どうしたものか。
さほど疲れてはいないが、横になって目を瞑れば爆睡してしまいかねない。
今すぐ誰かが夕飯に呼びにきてくれればありがたいのだが……。
思案に耽っていると、トンと肩にくらかけみやがもたれかかってきた。
が、それも一瞬の事ですぐに体勢を立て直す。横顔を見ると、案の定眠そうな顔をしている。
コタツの魔力は、とりわけお猫さんには効き目が強すぎるようだ。
「…………」
うとうと。うとうと。またもたれかかってきた。
「眠いのか?」
本人はふるふると首を横に振ったが、そのとろんとしたまぶたは誤魔化せていない。
うーむ……。
俺はコタツから少し出ると、そっとくらかけみやの肩を掴んでゆっくりと寄せ倒した。
太ももの上に乗った、彼女の顔を見つめる。眠気が強いのか俺に安心しきっているのか、抵抗する素振りも嫌な顔もしない。
もはや完全に猫モードだな、こりゃ。
手を添えて、指の腹でくらかけみやの顎の下を撫でてやる。
流石にゴロゴロと喉は鳴らさなかったが、気持ち良さそうな顔だ。
「お加減はどうですか?」
小声で囁くと、返事をする代わりにギュッと目を瞑る。
顎の下から、今度は猫耳へと手を移す。ふにふに、ふにふに。
「…………♪」
あぁ可愛いなぁ、もう。
くらかけみやの目が完全に閉じた所で、尻尾の方へと目をやる。こちらも完全に沈黙していた。
そのまましばらく、ゆっくりと頭を撫でてやる。
ぐっすり眠れるよう、優しく、優しく……。
そのまま十分位が経った頃だろうか。入れ替わるように、おつのが起き出してきた。
「んんっ……ふあ?あれ、オガミちゃ――」
「しーっ!」
慌てて口元に人差し指を立てた。
キョトンとするおつのに、ちょいちょいと手招きする。
「あっ……」
「こういう事だ」
俺の膝で、すーすーと可愛い寝息を立てているくらかけみや。やばい可愛い。可愛いすぎる。
「オガミちゃん、毛布かけてくれたんだ?ありがとねー」
「うむ。お猫さんの託宣があったんでな」
「?」
もちろん、くらかけみやに気遣って二人とも小声でやりとりしている。
「なんでもない。それより、毛布持ってきてくれるか?」
「うん、おっけー」
おつのが毛布を持ってくると、俺はそっとくらかけみやの頭を持ち上げて慎重に座布団へと動かした。
よく眠っているようで、目を覚ます気配はない。毛布を今度はくらかけみやへ被せてやる。
「よく寝てるねー」
「膝が重かったけど、こんな寝顔見せられたら動くに動けなくて……」
「でしょー?くらかけみやちゃん、寝顔も可愛いよねー」
妹を可愛がる姉のような口ぶりで、おつのが賞賛した。俺も全力で同意する。
「さてと。んじゃ、ちょっとくらかけみやを頼む」
こそこそと机の上を片付け始める。
蜜柑の皮を集めて屑籠へ捨て、急須と湯呑みをそっと盆へ。
「台所の様子を見てくる。飯時だったら、また呼びにくるよ」
「あっ、ちょっと待って」
立ち上がりかけた俺に、おつのが手招きする。
「うん?」
「二人で、どんなお話してたの?」
「んー、どんなって言われてもなぁ……」
大した事は何も話していない。お茶を飲んだり、蜜柑を剥いてお互いに食べさせあったりしただけだ。
ただ素直に答える気にはなれず、なんとなく俺は目の前の天狗を少し困らせてやりたくて――。
「おつのの寝顔が間抜けだって言ってた」
「えー、本当に?」
「冗談だよ」
「もう、本当は何話してたのー?」
「にひひ、内緒」
ふくれっ面のおつのをその場に残し、部屋を後にした。
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