Nursery White 〜 天使に触れる方法 6章 3節
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「……………………」

「……………………」

 今、この場にある沈黙を文字にするなら、三点リーダーで埋め尽くすしかないんだろうなぁ、なんてことを思った。

「えーと、ほら、女三人寄れば姦しい、なんて言いますよね!せっかくなんで、がんがん喋っちゃいましょうよ!ガールズトークってやつです!!」

 まさかのここでの伏線回収。いやー、熱い展開になってきたんじゃないですかね!?

「……………………」

「……………………」

 しかし、二人ともお口を固く結んだままでございます。

 いや、正確にはゆたかは少し開きかけたんだけども、特に話すことが思いつかなかったのか、またすぐに閉じてしまった。

 今は放課後。今日はテニス部の練習がないことを知っていたので、ゆたかと華夜先輩が会って話す場を取り付けて……僕は本当言えば陸上部はあるんだけど、まあ、後からでも思いっきり走るってことにして付き添っていて、ですね……。

 まあ、無言なんですよ、これ。この沈黙、五分は余裕で続いております。……割りとしんどいっすね、はい。

 なんというか、ここまで話せないものとは思っていなかったというか……そんなに険悪なのかな、この二人って。

「えーと、華夜先輩。前にも話したと思いますけど、僕とゆたかは小学校の頃からの友達で、全然タイプは違うはずなのに、不思議と相性がいいんですよね」

 ただ、この場をセッティングしてしまった以上、僕も無責任に静観できるはずもなく、なんとか話すきっかけを作ろうとしてみる。

「なんとなくわかるわ。私も会長とは色々と違うけど、話しやすいもの」

「たぶん友達って、そういうものなんでしょうねー」

 ……いかん、これじゃ、僕と華夜先輩が話してばっかだ。なんとか、ゆたかに対しても……。

「不思議ですよね。全然違うのに。……ううん、むしろ全然違うからこそ、惹かれ合うんです」

 そう言ったのは、ゆたかだった。ここに入ってくるとは予想外で、思わず呆気にとられて見つめてしまう。

「あれから結構長く、悠里と一緒にいます。でも、未だに彼女のことはわからないことだらけで、自分でもどうして友達を続けられているのか……実際のところ、よくわかってません」

「…………………………」

 華夜先輩も、黙ってゆたかのことを見ていた。ゆたかはこの場の誰よりも身長が高いから、僕も華夜先輩も、見上げる形になる。

「ただ、わかることはいくつかあって……本当にあの子、びっくりするほど純粋なんです。もう高校生なのに、どうやって育ってきたら、こんな風になれるのか疑問なぐらいで……。後、感情に乏しいように見えて、めちゃくちゃよく表情が変わるんですよ。嬉しい時はぱぁーって笑って、不機嫌な時は、ものすごく沈むんです。それがおかしくって、でも可愛くて。自分でもびっくりするぐらい、あの子のことが好きになってるんです」

 見上げたゆたかは、心から楽しそうに語っていた。

 もしかすると。

 ふと、思う。もしかするとゆたかは今、誰よりも何よりも、いい顔で笑っているんじゃないだろうか。

 割りと真剣に僕が妬いちゃうぐらい、悠里ちゃんのことを大切に想っている。ずっとゆたかを知っている僕だからこそ、思う。そう理解できる。今、ゆたかは心から日々を楽しんでいるんだ。悠里ちゃんとの、はちゃめちゃで。でも、毎日が新鮮な驚きに満ち溢れた日々を。

「――立木さん」

「私、悠里のことが大好きなんです。手のかかる子ですけど、ちゃんと私が面倒を見てますから」

「あの時のことは、ごめんなさい。私も、軽率にあんなことを言ってしまって」

 そして、僕はもうひとつ、珍しいものを。いや、初めて見るものを見てしまった。

「っ…………!」

 思わず息を呑む。

 華夜先輩が、ゆたかに対して頭を下げて謝っていた。

 僕は、華夜先輩が本気で謝る姿というものを、見たことがなかった。それになんとなく、そんなことはしない人だと思っていた。

 なぜなら、彼女は常に正しい方を選ぶから。

 それが人の情として、どうなのかはわからない。正論は非情で、正しいが、正しくないこともある。そんなことぐらい、高校生にもなればわかる。だけれど、あえて華夜先輩は常に正しい方を選ぶんだ。なぜなら、それが正しいから。

 僕はよく事情を知らない。だけどきっと華夜先輩は、大局的に見て“間違い”は犯していないんだろう。でも、それを謝った。当人たちの感情を優先したんだ。

「先輩。私は何のダメージも負っていません。ぜひ、悠里に聞かせてあげてください」

 ゆたかがそう言うのも、道理だと思った。これはきっと華夜先輩の“間違い”だ。でも、華夜先輩は今、このタイミングでゆたかに謝りたかったんだ。

 本当に僕は今、珍しい。もう二度とこんなことはないだろう、という体験をしている。

「そうね……。何を言っても言い訳にしかならないけど、あの時は彼女を、言葉を選ばず責めてしまった。……そのことは、後悔していたの。でも、私が再び彼女に会うと、もっと傷つけてしまう気がして」

「……あの子は、そこまで弱くありませんよ。いえ、傷つきやすいのは確かですけど、今はずっと胸に破片が突き刺さった状態なんだと思います。それを引き抜く時に痛みが走っても、それぐらいは泣かずに耐えられますよ、きっと」

「あなたは……私を責めないの?謝るのは本人にするとしても、あなたにも私は強く言ってしまったわ。ここで徹底的に叩いておいても、いいんじゃない?」

「それに、意味がありますか?……先輩が気に入らないから、徹底的に叩いて、やっつける。それに何の意味が?

 悠里が泣いたことはナシにはできません。あなたを泣かせたとしても、痛み分けにもなりません。申し訳ありませんが、あなたの涙と悠里の涙をイコールで結ぶことはできないので。……だから、どうか忘れないでください。あなたに傷を刻もうとは思いません。だけど、悠里のことを、覚えておいてもらえますか?」

 ゆたかはそこで一度、息をついた。

「あんな子が、実在するんです。どこまでも純粋で、世間知らず。そして、私みたいなしょうもない人間を本気で気に入ってくれている。……私も、あの子のことを気に入ってしまっている。そんな、よくわからないおかしな子のことを。何の悪意も、自分がおかしなことをしているという自覚もなく、人と外れたことをしてしまう。危なっかしい子なんですけど。でも、私がそんな彼女を見つけたからには、なんとかしてみせます。……私に信用なんてないでしょうけど」

「……そうね。あまりにも私の視野が狭かったわ。すぐ近くにも、常葉みたいなイレギュラーがいるんだもの。少し考えればわかりそうなはずなのに」

 華夜先輩は、瞑目して言って。

「後、私はあなたのこと……評価してるの。だから、安心して彼女を任せられるわ」

 ああ、また珍しいものを見た。

 ……華夜先輩は、少しだけど、笑っていた。

「はい。任せてください」

 ゆたかも、笑っていた。

 ああ、なんとかなったんだ。反射的に僕はそう思って、大きくため息をつく。

 

 

「莉沙。ありがとう」

「あっ、華夜先輩!?……待っててくれたんですか、てっきりもう帰ったかと」

「……さすがに、あのまま立木さんと一緒に帰る、っていう訳にもいかないでしょう?……だから、その代わりに吹奏楽部の練習が終わるまで待っていたの」

「あっ、それじゃあ、悠里ちゃんと……?」

 陸上部の練習の後。校門で待ち伏せしていた華夜先輩に声をかけられ、驚いたような、安心できたような。そんな不思議な気持ちだった。

「――これで完全に、彼女の胸に刺さった“破片”を抜けたかはわからないけど」

「でも、ちゃんと謝ったんですよね?いつもの先輩なら、なんだかんだ言って相手を悪いことにしそうですけど」

「そんなことないでしょう!?」

「いやぁ、あるんですよ、それが」

「そ、そこまで私、頑固じゃないわ……」

 言っちゃアレですけど、あなたを頑固じゃないって言ったら、この世は頭ふにゃふにゃ人間ばっかだと思います……。

「でも、うん。ちゃんと頭を下げて謝れた」

「……ならきっと、彼女にも伝わってますよ。たぶん悠里ちゃんのことだから、許してくれてるのかどうかもわからない、変な返し方されちゃったと思いますけど」

「――泣かれたわ」

「うぇっ!?そ、それって、悲しい的な?」

「わからないけど……安心したって言ってたから、嬉し涙だと思いたい。……なんで安心するのかはわからないけど」

「悠里ちゃんの感性は独特ですからね……。でもきっと、安心できたって言うのは――」

「あなた、わかるの?」

「僕、なんとなくですけど、悠里ちゃんもゆたかも、ひとつ、絶対に許せないことがあると思うんです。正直、僕はそんなにダメージあることじゃないんですけどね」

「な、なんなの?心当たりがあるなら、ちゃんと教えてっ……!」

 珍しく必死な顔で、ぐいぐい来る華夜先輩が面白い。

 そして同時に、ああ、これはよくない面白みっていうか、優越感なんだろうな……と思う。でも、面白いのだから仕方がない。

「華夜先輩は悠里ちゃんのこと、誤解していたんじゃないですか?具体的に、どういう失言を華夜先輩がしたのかは知りませんし、あえて知ろうともしませんけど。何か大きな、勘違いをしていて、でも、それが解消されたから悠里ちゃんは安心できたんじゃないかな、と」

「勘違い……。確かに、私は彼女に勝手なイメージを押し付けて糾弾したわ。でも、それって涙を流すほど嬉しいこと?……言ってしまえば私って、彼女の人生にとっては外野もいいところだわ。道行く人に自分のことを正しく理解されなくても、自分の人生には大きく影響しない。なら、無視してもいいじゃない。彼女はあれ以降、私に注意されるようなことはしていないのだし」

「僕も同感ですよ。……多分僕、他校生には、自分の走りを見せつけるように記録出して、後は愛想の悪いやつって思われてると思うんです。あんまり他校生とは話さないし、そもそも、走る前のメンタル作りと、走り終わってからの疲れで、他のことをする余裕ってないですし。

 だから、人に誤解されることは怖くない。それをいちいち気に留めることなんてしない。……でも、悠里ちゃんはすごく繊細なんですよ。彼女にとって華夜先輩は他人じゃなくて、同じ学校に通う先輩として、既に特別なんです。……その誤解を、そのままにしておけない」

「……よくわかるわね、そんなこと」

「ゆたかを見てればわかりますよ。ゆたかって、あんまり人の目を気にしていないように見えて、実はめちゃくちゃ気にしてるんですよ。オシャレなんかに気を使わないけど、絶対に見苦しい格好はしないって気をつけてるんです。矛盾してるようだけど、それがゆたかにとってすごく大事なことで……人にいいように思われたい、八方美人的なのとは、また違うんですよね」

 そう言いつつ、僕とはかけ離れた価値観だから、いまひとつピンと来ていないのは華夜先輩と同じだ。

 でも、ゆたかのそういうところがたぶん、僕は好きなんだと思う。

「よくわからないわ……。でも、白羽さんは満足……みたいなことを、してくれたのよね」

「きっと。――さ、そろそろ帰りましょう?いつまでも校内に残って無駄話なんて、生徒会役員のすることじゃないですよ」

「なっ……!?無駄話じゃないわ。とっても有意義な……!」

「はいはい、帰りながら聞きますよ。……何はともあれよかったですね、本当」

「え、ええっ…………」

 少しだけ嬉しそうにする華夜先輩と一緒に帰って、今日という日は終わるのであった。

 ……段々と華夜先輩も変わってきた気がする。

 そして、それにゆたかが関わっていたというのは、古くからの友達である僕としては嬉しいことだった。

 止まっていたゆたかの時間は、悠里ちゃんとの出会いをきっかけに動き出し、そして動き出したゆたかが華夜先輩にも影響していく。いや、全ての始まりは悠里ちゃんか。

 次に変わるのは、僕かもしれない。……いや、もう十分に変わっている気はするんだけどね。華夜先輩との出会いをきっかけに。

説明
書いていて私自身、ちょっとほっとできたお話です

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