Nursery White 〜 天使に触れる方法 6章 4節 |
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短距離を選んだ一番の理由は「何も考えなくてもいいから」だと思う。
究極、長距離をやりたいけど体力がないのなら、体力を付ければいい。最初は中々上手くいかなくても、走ってる内に自然とそれに慣れていくものだと、長距離をやっている人たちは言っていた。
でも、僕はいちいちペース配分やなんやと考えて走るのがとても無理だと思ったし、一瞬で決着が付く短距離は、すごく向いていた。
……こう言うと、意外に思う人も多い。
僕はのんびり屋だから、長距離向きの選手なんじゃないか、と多くの場合は言われる。
のんびり屋。結果的にそう思われるのかもしれないけど、それは重大な決断を中々しないで先送りにして、そしたら周りがなんとなくいい感じにしてくれている。そのことを期待している、無責任さがそう見えるだけであって――。
前にゆたかに、冗談のようにして言った記憶がある。
「僕はゆたかがやってるゲームなら、主人公の友達役だよ。恋のライバルにもならずに、ただサポートするだけの」
あれは、中世ヨーロッパ風の世界で、自分がお姫様となって、隣国の王子様や騎士様と恋に落ちる、というゲームだった。その中で、主人公のお姫様を助けてくれる乳姉妹の女の子がいた。身分としては、使用人に過ぎないけど、生まれが少しだけ早いから主人公のお姉さんのように振る舞っていて、とにかく優しくて親切な子だ。
でも、その子はプレイヤーにとっては助けになっても、答えは教えてくれない。時にはその子がなんとなく「そっちにしたら?」と言ってる方向に従うと、バッドエンドになることもあるという。まあ、あんまりわかりやすいとゲームとして成立していないから、多少いじわるな要素も入れているんだろうけど、どうにも僕にはそのキャラが、他人な気がしなかった。
決して必ずしもいい方向には導けない、傍観者。敵ではないし、間違いなく味方なんだけど、心強いとは言い切れない。毒にも薬にもならないのと、ちょっとした薬になる、の間を行ったり来たりしている微妙な存在。
でも、いつまでもそうはいられないのが、現実だった。
「小見川さん。……私、自分を変えたいの」
最近知り合った、華夜先輩。
そんな華夜先輩と、ゆたか、悠里ちゃんがとりあえずなんとかなって……その後。
先輩は僕に、今まで以上に相談を持ちかけてくることが多くなった。いや、きちんとした相談という形で声をかけられるなんて、それまでにはなかったことだ。
僕は先輩が、陰口のようにして「冷血」の名で呼ばれていることを知っている。そして、残念ながらそれはすごく納得できる異名だった。
でも、二人とのことは先輩としても、思うところが決して小さくはなかったようで、自分から、自分を変えたいという言葉が出てきた。冷血を卒業する。そんな気持ちが芽生えてきた……ということなんだろうか。
「僕からすれば、華夜先輩は確固とした意志を持っていて、すごいですよ。それなのに、自分を変えたいなんて思うんですか?」
「……あなただって、ひとつのことに打ち込んでいるでしょう?」
まずは意地が悪いとわかっているけど、華夜先輩を試すようなことを言ってみる。それに実際、僕はとにかくまっすぐな先輩のことを、イヤミ抜きにしてすごいと思っていた。
「僕は決められた“道”を走っているだけですよ。文字通りに。先輩やコーチが僕の前を歩いてくれているんです。でも、華夜先輩は自分自身で道を作っている。前を歩く人はいなくて、後ろに続く人もいないかもしれない。……先駆者って、すごいですよ」
「でも、一人が歩くだけでは獣道にもならないわ。道は多くの人が歩くからこそ、道になる。使われていない街道は荒れ果てて森に飲まれるだけ。……私は今、森の中を道しるべもなく歩いているだけに思えてきたの。だから、早く拓けたところに出たい」
華夜先輩は、さらっと僕の言った道の比喩に合わせて、自分自身の気持ちを吐露していた。
こんな風に頭が回るのだし、決して頭の固い、柔軟性がない人ではない。だけど、こんなにも不器用な人なんだ、この人は。
「どうすれば、立木さんや白羽さんのようになれるのかしら?」
「……ゆたかや悠里ちゃんのように、と来ましたか」
「二人とも、とても心が広かったわ。私をもっと厳しく糾弾してもいいのに、そうはしなかった。……相手の悪いところを見つければ、それを徹底的に指摘してしまう私とは、まるで違う」
「そこはまあ、ゆたかはそういう子ですからね。よく言えばさっぱりしてるけど、悪く言えばそこまで人に関心がないんだと思います。……でも、そっか。ゆたかが大切にしている“自分の領域”を侵されたけど、とりあえず決着は付いたんだ」
華夜先輩と話しながら、ゆたかも丸くなったのかな、と思った。
いや、元からゆたかはそこまで激しいタイプじゃない。だから、今回の件で腹を立て続けていたというのは、それだけゆたかにとって悠里ちゃんが大切なんだな、とわかりすぎるほどにわかることだった。でも、ここまで熱くなったゆたかが、なんだかんだで華夜先輩と和解できたということは、ゆたかもかなり譲ったところが大きいんだと思う。……大人になった、と言えばいいのかな。
そう考えると、僕はずいぶんと置いていかれたんだな、と思ったりする。
僕が知らないゆたかなんていないと思っていたのに、知らないところで悠里ちゃんと一緒に成長していた。
「(おや、おやおやおや?)」
なんだか、悠里ちゃんに嫉妬……のようなことをしている自分自身に気付いた。
「小見川さん、どうしたの?」
「あっ、いえ。……そっか。僕には、いないんだ」
それまでは、ゆたかがそうだった。そのはずだった。
だけど、ゆたかとは本当にいい友達だったけど、「大切に思う」とは少し違う気がする。
もっと軽い、遊び仲間とか、一番よく話す友達とか、そういうカテゴリーに入るべき相手だ。
現に、中学からずっと教室や帰り道だけでの付き合いだったし、絶対に離れられない、ニコイチみたいな関係じゃない。
それに比べるとゆたかと悠里ちゃんは、しょっちゅう一緒にいる。
ゆたかの方が積極的に悠里ちゃんと一緒にいたがっている訳じゃなさそうだけど、気がつくと悠里ちゃんはゆたかの傍に来ていた。……そこが、自分のこの学校での居場所なんだ、と言わんばかりに。
だからきっと、この気持ちは嫉妬とはちょっと違う。羨ましいんだ。悠里ちゃんみたいな子と出会えたゆたかが。
「何がいないの?」
「……ゆたかにとっての悠里ちゃん、悠里ちゃんにとってのゆたかが、ですよ。失礼ですけど、先輩もそうですよね。……それが、僕やゆたかたちとの決定的な違いなんです。悲しみは分け合って半分に、楽しいことは一緒に楽しんで二倍に。……そんな友達、ですよ。二人とも、そのことを意識している訳じゃなさそうですけど、そんな友達がいるから、余裕を持てるんです」
「……なるほどね。二人を見ていると、妙に心がざわつくのは、羨ましいから……なのかしら」
「きっと。僕も今、同じことを感じてますから」
だけど、羨んだところで、それを得られる訳じゃない。
単純に僕が悠里ちゃんともっと仲良くなっても、ゆたかの代わりにはなれないし、僕がゆたかにとっての悠里ちゃんになれるはずもない。
それに、ゆたかと悠里ちゃんの場合は、いつも一緒にいる友達って感じだけど、それは関係性の一例に過ぎなくて、もっと別な形での大切な友達っていうのはいると思う。
……たとえば、ライバル。互いに切磋琢磨し続ける宿命のライバルがいたりしたら、競技上は競い合っているけど、それ以外の時は相手の全てを理解できるような、最高の友達になれるんじゃないかと思う。
そして、一人でトップを走り続けている僕には、やっぱりいない友達だ。
華夜先輩も、一人厳格な生徒会役員として、走り続けている。
会長さんや、他の生徒会の役員もいるけど、先輩はその中でどうしても浮いている気がする。会長さん自体が厳格な方じゃなくて、割りとなあなあで済ませている方だ。正しいことよりは、楽しめることを優先しているところがある。それが「自由」だ、と。
だけど華夜先輩は、その「自由」の中に秩序を求めている。そうしないと、自由は「混沌」に変わってしまうから。
自由というのは、全てが好きなようにやっていることではなく、自由という枠組みの中で収まっていること。そう考えているから。……いや、これは僕の想像なんだけど。でも、部活という枠組みの中にいて、自由にできる範囲が決まっている僕が、華夜先輩と話していて感じている自由の定義というのは、そういう感じだった。体育会系の理屈かもしれないけど。
「(あれ、そっか)」
そこまで考えて、ふと思い当たった。
僕って、気づかない内にここまで華夜先輩のことを考えていたんだ。
むしろ厄介な先輩だ、というぐらいに思っていたはずなのに、気づけば先輩のことを色々と考察するようになっている。……どれだけ好きなんだか。
「ね、小見川さん」
「はい、どうしました?」
「……あなたは、その。寂しいとは思わないの?」
「ゆたかのこと、ですか?」
首を縦に振る。こんな身振りで応えるなんて、ちょっと珍しい。
「まあ、遠くに行っちゃった感はありますよね、やっぱ。でも、いいことですよ。ゆたかには悠里ちゃんが、悠里ちゃんにはゆたかが必要なんです。……僕はゆたかのこと、好きですけど、独占したいなんて思いませんしね。むしろ、友達が増えたのはいいことです」
「でも、小見川さん。あなたは……もっと友達が欲しいとは思わない?」
「あー……えっと、ですね。……華夜先輩、ものすっごく不器用ですけど、僕と友達になろうとかしてます?」
「はっ!!?そ、そういう訳じゃないわよ!!ただ、その、えっと…………」
うわっ、顔めっちゃ赤くなってる。これ、冷血女帝とか呼ばれてた子っすよ。
「なんて言うか、割りとショックなんですけど」
「えっ……?」
「僕と先輩って、とっくに友達じゃないんですか?少なくとも僕は、そういうつもりだったんですけど」
「そ、それはっ……。私はただ、同じ運動部として、そして我がテニス部に新しい風を取り入れるべく、陸上部のあなたの走りを見せてもらったり……」
「はあ。つまり、今まではビジネスライクな付き合いだったんですね。んで、僕が寂しくしてそうなんで、友達になってあげるわよ、ふんっ、と」
「誰がそんなこと言った!?」
相変わらず、顔面トマト状態継続。ここまでわかりやすいと、笑けてきますよ。
「要約するとそうでしょう。ゆたかも中々ストレートには言ってこないんで、なんとなく察するスキルが鍛えられてるんですよ。……まあ、僕的には既に友達でしたけど、いつまでも先輩、小見川さん、じゃ呼び方に味気がないですよね。僕のことは普通に名前で呼んでください」
「だから、友達になるなんて言ってないのに……り、莉沙っ…………」
「あははっ、なんかくすぐったいです。んじゃ、僕は華夜さんって呼びますか?」
「…………呼び捨てでいいわよ。二人きりの時は」
「いやいやいや、二人きりでも、っていうか、二人きりだからこそそれは照れますって。普通に華夜さんって呼ばせてください」
「じゃあ、それでいいけど。……言っておくけど、勝手にあなたがそうしろって言ってきただけで、私は別にあなたに友達になってくれなんて頼んだ覚えはないんだから」
「あー、はいはい。わかりましたよー」
わかりやすくて、めんどくさいな、この人。
でも、話していて自然と頬が緩んできているのがわかった。……ゆたか以外で、こんな気持ちになる相手って、初めてかもしれない。
「…………ありがとう、莉沙」
「こっちこそ、よろしくお願いします。華夜さん」
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