夜摩天料理始末 30 |
ざわめきと緊張が廷内を包む。
彼らにも、ようやく夜摩天の真意と、この審理が持つ重みが見えて来た。
この審理の結末如何では、下手をすれば、再び天界と冥界を巻き込む大戦が起きかねないのだと……。
「ご覧いただいた通りです」
静かな夜摩天の声が、ざわめきを圧して、廷内に響く。
「今回の件を策した存在が殺生石を用いた、すなわちそれは、妖狐、玉藻の前の意思が働いた何よりの証拠」
あの狐が引き起こした天地を巻き込む騒乱を思い出したのか、苦々しげに強張る顔、そして、幾つかの頷き。
「そして、彼が、あの妖狐、玉藻の前の意を受けた存在によって謀殺された事は明白となりました」
そう、口にしながら、夜摩天は安堵していた。
良かった……これなれば、彼を人界に戻すという判決に正当性が生じる。
「故に、彼の死を無かった事とし……」
「待たれい、夜摩天殿」
十王の席から、声が上がった。
「宋帝殿……何です?」
「その男が、玉藻の前の意図で殺害された、それは理解した、だがな」
彼が目の前の調べ書きを手にする。
「彼の寿命が閻魔帳の上で、既に尽きているという、この事実はどうなさるかな、夜摩天殿」
「それは……」
「まぁ、多少の寿命を付けて送り返してやる程度は、我らが同意した上での裁量で出来ようが、人の数十年の生など、天人になれば得られる万という寿命の前では芥も同じではないか。なれば、彼はそのまま天界送りとし、この件は別に、我らと天界の協議で何とかすべき話ではないか?玉藻の前の介入が確かならば、人などの審理に時日を費やしては……」
「ふざけんな」
更に、夜摩天に何か言い募ろうとした宋帝の言葉を、階の下から低い声が遮った。
あり得ない所から。
神々の間に、人、しかも亡者となり、彼らの寛恕を願いながら裁かれるだけの存在から、無礼極まる言葉と態度で口をはさまれた。
「控えろ、人風情が冥府十王に向かって」
「自分の人生掛かってるのに、恐れ入りましたと控えてられるわけがねぇだろうが」
冥府王の一人たる宋帝の威圧感を、だが男は真向から受け止め、更に力を込めて睨み返した。
声を荒げるでは無い、だが、その声には揺るがぬ芯鉄の存在が有った。
その男の様子に、こちらは平伏していた領主が、ぎょっとしたような顔を向けた。
それまでの彼とは違う。
(……これは)
夜摩天の背に、寒気に似た感触が走る。
それまで抗議の意思はあっても穏やかだった、男の眼気に鬼が籠もる。
これは、凄まじい。
人の身にして……。
いや、人だからか。
限られた命を自覚できる存在だからこそ持てる、生ある間に、何かを為さんとする、意思の力。
それは、時に……神をすら圧倒する程の。
「あんたが何様か、俺は知らん。そも何様なら、その天人の過ごす万や億の年月とやらが、俺が……人がこれから過ごす数十年に勝ると言える」
「何故だと?」
自明のことを問われた時に抱く困惑を見せ、宋帝は男を見返した。
「そうだ、俺が今やっている事は今しか出来ん、万に及ぶ命得たとて、今死んではその機会は二度と得られん」
「人風情の為す事など……」
「現世に満ちる命の大半は、年に満たぬ命の営みの中で何かを為して死んでいく」
虫は蜜を吸う為だけに、花々の間を飛び回ってるわ。
でも、その虫の営みが、自ら動けない花同士を結びつけ、花は次の命を宿すのよ。
葉に付く青虫を、唸る蜂を、地を這う蟻を、慌てて飛び去る蛙を、愛おしそうに見ながら、かやのひめが呟いた言葉。
別に蜂は花を生かそうと飛び回ってるわけじゃ無いわ。
ただ、生きようとする営みが、連鎖して何かを起こしていくの。
虫であれ人であれ神であれ。
それは無数の小さなさざ波が、何れ波濤となるように。
だからね……。
役割があるとか、そんな、らしくない事を考えて、脚を止めてるんじゃないわよ。
貴方が為したい事があるなら、それを目指して生き切ればいいの。
例え躓いて、道に迷って、その途次に倒れたとしても。
生きてある物は、虫も、人も、そして神だって、煎じ詰めれば、それ以上何も出来ないんだから。
「それとも何、自分が何か御大層な存在のつもりなの?バッカじゃない」
全くな……仰る通りだぜ、花の姫よ。
「生の重なりこそが、世界の営みその物……故に命の長短のみで価値を論じるのは、納得いかんと言ってるんだ!」
「貴様が納得する必要など……」
「俺の生を裁くなら、貴様の生の答えを示せ!」
男の眼光を、宋帝は傲然と見下して跳ね返した。
「私は冥府の王の一人だ、貴様ら如きをどう扱おうが良い高みにある存在、故に、貴様ら無知蒙昧な輩を慈悲を以て善導してやろうと言うのだ、四の五の言わずに我らに従え」
そう宋帝に、殺意に近い眼光を返して、男が口を開こうとする。
「その無知蒙昧な存在とやらの問いに、権威で逃げて満足な答えを返せないってのも、大概なんじゃないかしらねー」
「あん?」
「閻魔!?」
緊張に張りつめた閻魔庁の審判の間の空気を、呑気極まる声が遠慮会釈なく引っ掻き回した。
閻魔は、場の空気を浚いつつ、何かの包みを手に廷内をスタスタと歩いて、夜摩天の隣に立った。
夜摩天が何か言いたげに顔を上げたが、諦めたようにため息を吐いて、口を開いた。
「珍しい事ですね」
「全くねえ、あたしが出てこない方が多分平和なんだけどね」
「……それはどういう?」
その夜摩天の言葉には答えず、閻魔は座ろうと思って引いた椅子を見て、僅かに顔をしかめた。
「あらやだ、埃が積もってる」
「そりゃそうですよ……何年仕事を休んでたと思ってるんです?」
ぱたぱたと法服の袖で埃を払い、細かい事は気にしないとばかりに、閻魔は腰を下ろした。
「私が居なくても、神棚みたいに掃除くらいしてくれて、お茶とお煎餅位は、机にお供えしてくれても良いと思うんだけどな」
「来て真面目に仕事するなら、幾らでも用意させますよっ!」
戦友同士だった頃の調子で、小声ながらお喋りを始めた二人に、苛立たしげな声が飛んだ。、
「閻魔殿、お主、一体何をしに?」
思わず席を立った宋帝が、険悪な視線を向けて来るが、それには頓着しない様子で、閻魔はへらっとした顔をそちらに返した。
「あらぁ、私の事を年中休んでる無精者だ、あんな奴を閻魔にしておくなど許されない、ケシカランと、あちこちで吹聴してるくせに、私が出仕したら、何をしにとはご挨拶ねぇ」
それとも十王公認で、私ってば寝てていいのかしらん?
嫌味な目を向けてへらりと笑う閻魔に、宋帝は顔を赤くして席に座った。
「……ぐ、そもそも、その調子で職に励んでおれば、私も何も言わぬわ」
「言うななんて言ってないわよ、お好きにどうぞ。憂さ晴らしにまで目くじら立てる程、ケチな生き物になりたくないし」
そう言いながら、閻魔は、毒気を抜かれた様子で、呆気にとられている男に顔を向けた。
「ふーん、君かぁ」
式姫を数多従え。
日ノ本最強の軍神と、全知の女神の加護を受け。
そして今、彼女達の助力なき、無力な状態にあってさえ、尚、冥府十王に、正面切って喧嘩を売った男。
「なるほどねぇ」
にまりと、どこか猫を思わせるような顔で笑った閻魔に、男は些か機嫌の悪そうな顔を向けた。
「……何が成程なんです?」
「色々とね、腑に落ちただけよ」
温厚ではあろうが、従順という言葉とは縁がなさそうな眼光を見て、閻魔は内心苦笑した。
成程、この男は世渡りという意味では、あまり賢くは無い。
だが、何とも面白い。
「所で閻魔殿、先ほどの宋帝殿の言葉ではないが、何か御用有って、こちらに参られたのかな?」
「あら、都市王お久しぶり……そうねぇ、用はあるのよ」
持参した荷物を机上に広げながら、閻魔は夜摩天の方を向いた。
「ちょっと気がかりな話があってねー、そこのあんちゃんの審理は後回しにして良いかな?」
「直ぐに済むなら」
どうぞ、と夜摩天は肩を竦めた。
あの、外連味(けれんみ)たっぷりの登場に、場の浚い方……。
こういう時の閻魔は何か思惑が有って、こういう芝居掛かりの行動をしていると、夜摩天は心得ている。
閻魔が何を策しているかは知らないが、今は、彼女に任せてしまおう。
「んー、直ぐに済むとは思うけど、幾つか懸案あってさ」
ぺらりと帳面を一つ取り出し、わざとらしく開いてから、十王を視線で一撫でした。
「どれが良い?本件にも関わるし、あたしとしては閻魔帳の改竄の件とか片づけたいんだけど」
「な……!」
さらりと発せられた閻魔の一言に、冥府の法廷が凍り付いた。
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式姫プロジェクトの二次創作小説です 前話:http://www.tinami.com/view/945081 |
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