老竜と守り人 |
老竜と守り人
「よう、爺さん。まだくたばってないか?」
一人の青年が、深い森を分け入りつつ、その空間を訪れた。
そこは、奇妙な静寂――そう、虫も小動物もいない、完全な静寂に包まれていて、空間の中心には一頭の巨大な獣がとぐろを巻いて鎮座している。
新緑色の鱗に包まれた、蛇とも鳥ともつかない、奇妙で巨大な生き物。人は彼を竜と呼んでいる。
『死んどらんわ。貴様には儂がそこまで老いているように見えるのか?』
竜は青年を認めると、不機嫌そうに声を発する。
彼は人と同じ言葉を話すことはできない。だが、心で念じればそれがすぐに相手の心に伝わるのだ。
「俺は知ってるんだからな。竜の寿命は千五百年とかそんなだ」
青年は大胆にも、その巨大な存在の足元に近寄って、竜を背もたれにして座り込む。
「千年前、世界に一匹の竜が現れた。そいつは森を焼き、動物を喰らい、人間の集落をも侵した。結果、人間の勇者が立ち上がって、そいつを殺した。竜の死体を引きずって帰るには大きすぎたから、竜の象徴である角の先端部分と、鱗を一枚剥ぎ取って、それを討伐の証にしてな。……それが、俺の遠い親父だ」
『うむ……あやつは儂と戦った末、儂が殺されるのを哀れに思って、そのようなことを言い出した。そうして儂が死んだことにすれば、もう人に追い回されんで済む。人間も安心できる。一番いい道だと言ってな』
「だけど、人間はそう単純じゃなかった。最強の古生物とされる竜を人が殺せたんだ。もう地上に人が恐れる相手はない、って増長して世界中の秘境に残る古生物を狩り始めた。羽が氷でできた神鳥、炎のたてがみを持つ獅子に、大海を征していた大海蛇……全てが、人に殺された。人間なんて、醜いもんだよな」
『ぬしも人だろう。同族嫌悪か?』
「ああ。同じ人だからこそ、人が大っ嫌いになるんだ。俺の先祖も、こんなことになるとは思わなかった、って頭を抱えただろうな。……だが、過去は変えられない。自分が竜を殺したということにしたことを悔いた先祖は、古生物狩りをする人間から、古生物を逃がす活動を始めた。……それに気付いたあんたは、俺たち一族に協力してくれたんだよな」
『長い、長い戦いだったのう……。ぬしの一族が手引きをしていることがバレては、逆にぬしらが人から追われることになる。無論、儂が生きていることも気取られてはならぬ。そんなことを何百年と続けるのだ。よく、どちらも持ったものだ』
「まだ、人間は変わらない。まだまだ古生物を守ってやらないと、あっという間に絶滅しちまう。……だけどな、爺さん。俺はあんたが死んだ後のことが心配なんだよ」
『ほう……?』
「もちろん、俺たち一族はあんたという竜がいたことを記録し続けるつもりだ。だけど、あんたが実在しなくなったら、以前より確実に人と竜のつながりは薄れる。……文字に綴られるだけの伝承で、俺の子孫たちが古生物を守ろうとしてくれるかが不安なんだよ」
『なるほどのう……それは一理あるじゃろう』
「……俺の遠い親父とあんたは、死闘の末、わかり合えたんだよな。それって、どういう感じだったんだ?……そいつをちゃんと残していければ、後世にもちゃんと伝わると思うんだ」
『ふっ、既に伝承は誤り伝わっているようだ』
「えっ?」
『儂は何も、ぬしの父と死闘など繰り広げておらぬ。戦いは、儂が常に圧倒されていたよ。あやつは儂の手ほどの大きさもない小さき人というのに、どうしてあれだけの力があるのかわからないほどだった。それに、人の武器といえば、剣じゃろう?鈍色の剣こそが人の牙だ。……しかし、人にとって竜の血が毒であることを知っていたのだろう。あやつは巨大な槌を持ち、それで思い切り儂を殴りおった。出血させず、内側から儂の体を壊そうとしたのだ』
「……俺の家には、あんたを斬ったっていう大剣が残されている。……は、ははっ、なんだよ。ってことは、あんたの角を切り取ってきたということ自体が、ウソじゃねぇか。ハンマーじゃ角を砕けても、奇麗には切り取れねぇもんな」
『そうじゃ。儂の角は、儂自らが爪で切り取ったものだよ。あやつは本当に頭がいい人間だった……いかに儂が木偶の坊であったかを思い知ったよ』
「……それで、親父は?なんであんたを生かすことにしたんだ?」
『哀れに思ったんじゃ。儂のような古生物は既に、この世界から淘汰されようとしておる。古い生命はそうなるのが当然じゃが、あやつはこの世界に生まれた以上、生きていなければならぬ、と言ったのじゃ。……当時、あやつもぬしのように成人を迎えたばかりの小僧じゃぞ?そんな若者が、既に五百年生きていた儂に、死んではならぬと説教を垂れたのじゃ。傑作じゃろう』
「本当、俺そっくりだったんだな」
『……ふっ、確かにのう。儂は何人もぬしの一族を見てきたが、ぬしが一番、あやつに似ているように思う。――そこで、あやつに似ておるぬしに聞きたい。ぬしは、未だに古生物を生かしたいと思うか?一族の抱えてきた使命のことは脇において、ぬし個人の意見を聞きたい』
「俺は難しいことはわからないよ。深く考えるのは苦手なんだ。だから、直感で答える。――あんたらが生きたいってなら、生きててくれよ。死にてぇってなら、それを止めもしない。楽できるに越したことはないからな」
『素直じゃのう』
「素直に答えてよかったんだろ?」
『……儂は、もうまもなく死ぬ』
「ああ。わかるよ」
『しかし、まだこの世界に古生物は残っておる。竜もまた、残っている。代は変わっても、新たに生まれてくるのだ。……生まれてくる以上、生きねばならぬ。儂はそう思う』
「……だな。俺は望んで生まれた訳じゃない。そうなりたいと思って、守り人の一族なんて厄介なものになった訳じゃない。でも、積極的に死ぬ理由もない。だから、どんな生き方でもそれが俺だと受け止めて、生きていくよ。……あんたらも、きっとそうなんだろうな」
『アゼルよ』
「俺の名前、知ってたのか」
『もちろんだ。アラン、ユリス、エリアネに、アイヴィス……一族の名は全て覚えておるつもりだ』
「すごいな。俺だって、爺さんまでしか知らないぜ」
『儂を看取るのが、ぬしでよかったと思うよ。いや、ぬしの一族が健在であるならば、誰でもよかった……だが、ぬしが最後でよかった』
「変わった趣味してるんだな、爺さん」
『それはぬしらも同じじゃ。……この千年で人も変わったが、儂ら古生物も変わったよ。儂らはそもそも、あまりに寿命が長いために進化というものができんかった。それゆえに、五十年で代替わりし、次々と進化を遂げる人に追いつけず、排斥されるに至った』
「それは仕方ないだろ。あんたは初めから強かったんだ」
『……うむ。しかし、それでも少しずつは変わり続けていたのだ。……アゼル、竜の逆鱗とは知っておるか?』
「竜の体に一枚だけある、逆向きに生えた鱗……だよな。その真下に玉っていう竜にとっての心臓みたいな部位があるから、それが急所だ。もっとも、逆鱗は恐ろしく硬いから、それを貫くのは容易じゃないっていうが……」
『それは表向きの理由じゃ。確かに、玉を守るために逆鱗は不可欠。しかし、見よ。儂の逆鱗は尾の付け根にあった。しかし、それが今はもうない』
青年は、竜の尾に目を向ける。すると、そこに青い肉が直接見える部分があることに気付いた。竜の鱗は一枚一枚が巨大だ。それゆえに鱗が欠けた部分も大きい。
「本当だ……どうしたんだ?」
『竜は繁殖しない。それゆえに、雌雄の区別もない。だが、それでは千五百年の寿命を終えた末、子を残せない。……逆鱗が、新たな子となるのだ。儂の逆鱗は剥がれ落ち、そこから新たな命が。儂の子が生まれた。それゆえに、儂はもう死ぬるのだ。子を残せたのならば、儂の役目は終わった。新たな竜が、ぬしらと手を取り合って生きればよい』
「……そう、か」
『おいで、ミズチ。我が子よ』
「…………はい、お父様」
木が揺れて、その後ろより人影が現れる。
「……女の子?」
『人と古生物は、狩る者と狩られる者という関係ではあったが、かつてに比べて触れ合う機会が増えた。それゆえに、今の古生物の多くは人に変ずる力を付けてきている。そうして人に紛れることで、生き延びようとしているのだ。……我が子、ミズチもそう。儂らに人の好みはわからんが、我が娘はぬしにとってどう映る?』
「あ、ああ、えっと……可愛い、と思うけど……」
『そうか。では、ぬしの嫁にしてくれるな?』
「なっ!?そ、それとこれとは話が別だろ!?というか、竜と人がけ、結婚なんて……!」
『安心するがよい。ミズチは儂に比べればずっと弱くなってしまった。寿命は精々、二百年といったところだろう。ぬしらを三代は見届け続けるだろうが、その後は死に、また新たな竜が生まれる。……そうして、人と竜の交配が進んでいった末、ぬしの一族はどうなっているのだろうな』
「……それは、文字通りに人と竜の境界にいることになる、だろうな。それはもう、ただの人と竜のあいのこじゃない。完全に新しい種族だと言っていい」
『だろう……それは、儂らにとっての理想か、そうでないのか』
「わからないな。わからないけど、うん……そう悪くはならないと思う」
『では、ミズチをもらっていってやってくれ。何分、生まれてまだ三年だ。世間知らずどころか、何も知らぬ子だが、よろしく頼む』
「だ、だから、まだ認めた訳じゃ……!」
「……アゼル、さま…………」
「そ、そんな目で見るな!わかった、めとるよ!めとりゃいいんだろ!?」
「アゼルさま…………」
「……な、なんつーか、どう喜べばいいかわかんねーな。
おい、爺さん。……あんたの娘さんさ、どれぐらい上手にできるか知らないけど、とりあえず幸せにできるようにがんばってみるよ。だから、安心して眠ってくれ」
『うむ、そうじゃな……ぬしになら、安心してまか……せ…………』
青年は老竜を振り返ることなく、背中を向けたまま立ち上がり、歩き出した。
その傍らには竜の少女も付き従い、彼女もまた、父に背を向けてその場を去る。
一年の後。この場所は人と竜の新たな歴史が始まった聖地として、青年の一族にだけ祀られることとなった。
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思いついたので書きました 続く予定もないプロローグです |
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