夜摩天料理始末 35 |
「決まりましたね、では見る目、嗅ぐ鼻、彼女に調理器具を用意してやりなさい……不正が無いようにここで作って貰いましょうか」
都市王の嘲るような声も、今はどこか遠い。
母様。
私の記憶の中に、鮮明に残る、貴女の味を。
私が喜びと幸せと共にずっと味わって来た、この味を。
この、勇気ある人に食べて欲しい。
今はただ……それだけを願って。
臨時にしつらえられた台の前に立ち、まな板に向かう。
髪は元々綺麗に結ってある。
襷を回す。
手を清め、食材に向かう。
大根、青菜、あぶらげ、豆腐、出汁を取る物
……先ずは出汁。
くつくつと煮えている鍋に、昆布と鰹節を削って入れていく。
だから、お願い……。
この一杯だけで良いから。
この先作る料理、全部あの酷い物に変わっても良いから。
青菜を刻む音がたんたんと、何かの楽器でもあるかのように、廷内で響く。
出汁の香りと、この調子。
幼いうちに父母と死に別れた俺には、あんまり縁が無い記憶だが。
この頭に少しだけ残っていた、何か暖かいぼんやりした色を思い出せるような。
それは、錯覚かもしれないが。
「良いもんだな……」
「……呑気ね」
「くたばる前の慰めとしちゃ、悪くないだろ」
「まーねー」
閻魔と並んで、彼女の調理する姿を眺める。
出汁が出たのを見計らい、昆布と煮干しを取り去り、布で濾す。
具材を手際よく切り、硬い順に茹でていく。
煮え立たないように、薪を調節し、火加減を見る。
味噌を溶き、流し込む
達者という程でも無いが、見ていて安心感のある姿。
きちんきちんと、一つ一つの手順が、間違いなく行われている、そんな、実に彼女らしい料理。
とてもではないが、その話に聞く、毒料理に変じる様子など、微塵も見えないのだが。
その事を口にした男に、閻魔は眉をしかめた。
「……だからこそ、不思議なのよ」
「成程……ままならねぇもんだ」
「でも、覚えて置いて」
「ん?」
「あれは、どんな姿をしていても、夜摩天ちゃんの料理よ」
決して毒では無い、願いの籠もった料理。
それだけは、何があっても信じてあげて。
そう口にした閻魔の、何とも言えない顔を見て、男は頷いた。
「あの調理してる姿見れば判るよ」
彼女がどれ程料理が好きか。
そして、そこに、どれだけ思いを込めて、丹念に作っているか。
「……ありがと」
その二人の傍らに、あの陰陽師が近寄って来た。
「私に毒殺された揚句に、冥府でも毒を呷(あお)る羽目になるとは、余程にお主は毒と縁があるな」
「お前さんがやったのか……ありゃ実に苦しかったぜ」
恨みごとを並べ立てても良いか?
そういう男を無視して、陰陽師は言葉を続けた。
「普通なら苦しいでは済まぬ、あれで死に切らぬというのが不思議なのだ」
「日頃の行いって奴だろ……それで、今度こそ死にゆく俺に最後の嫌味でも言いに来たのか?」
「いいや、お主に聞きたい事があった」
「ん……あった?」
怪訝そうな男に、陰陽師は頭を振った。
そう……有ったんだがな。
「もう良い、何となく判った」
何故、陰陽師でも無い男に、あの庭の絶大な力の加護が有るとはいえ、式姫が従うのか。
理で納得できた訳では無い。
だが、最前までの、宋帝や都市王と遣り合う、彼の姿を見て、何となく自分の腑には落ちた。
冥府の争いなど、自分たちとは、何のかかわりも無い。
夜摩天が苦しもうが、都市王が次の夜摩天に成ろうが、陰陽師からすれば、大罪人たる自分に、多少マシな転生先を選んでくれれば、そちらで良いという気分しかない。
だが、この男は違うらしい。
自身の利よりも、何かその先に、彼の見えない物を見出し、その為にその身と魂を賭ける。
そういう、世にも稀な。
「何が判ったってんだよ?」
「お主は大馬鹿者だ」
私は……こういう馬鹿にはなれん。
真っ直ぐに、自分の信じた物の為に、この男は、その為なら神でも大妖怪でも、自分の身と顔と魂を晒し、堂々とぶん殴りに行くのだろう。
「大馬鹿」
その言葉に、男は僅かに虚を突かれたような顔をした。
その顔が、やがて笑みに変わる。
皮肉の色の無い……どこか透き通った。
「とある奴にもそう言われたよ」
「……式姫か?」
「そう」
ほんの一時だけ、彼の式姫だった。
鮮烈な雷光の色を宿した髪と、青空の色を宿した瞳が印象的な、天界最強の武神。
あいつと、約束した。
その約定は、どうやら果たせないみたいだけど。
せめて、俺は最後まで。
「ありがとよ」
「……礼を言われる事は何もないと思うが?」
「そうでもねぇ」
俺は、そう言ってくれたあいつのお蔭で、自分の生を歩き出せたんだ。
「今、この時に、俺が大馬鹿野郎だと思い出させてくれたんだ、やっぱり礼を言わせて貰うぜ」
「料理が出来ました」
その時、夜摩天の硬い声が、静かな邸内に木霊した。
待ちかねた様子で、都市王が姿勢を戻す。
「では、そこな亡者よ」
にんまりと笑った都市王が、笏でそれを指す。
「その味噌汁を、全て食すが良い」
無言で歩き出そうとする男の背を、陰陽師が軽く叩いた。
不思議そうな顔を向けた男に、彼はぎこちなく笑いかけた。
神に抗わんとする、愚かな男よ。
「お主の命を奪い、敵であった私が言うのも妙な話だが、幸運を祈ってる」
その人の意地を、立て通して来い。
その陰陽師の言葉に、男は暫し微妙な顔をしてから、苦笑を浮かべた。
「……俺も不思議な気分だよ、この場合は礼を言えば良いのか?」
「気にするな、礼を言うべきは、どうやら私の方だからな」
「そうか、それじゃな」
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式姫プロジェクトの二次創作小説です。 前話:http://www.tinami.com/view/946586 |
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