夜摩天料理始末 37 |
「……そんな」
いつも背中に感じて居た。
この状況下でも、ほのかに感じて居た。
あの、温かい力が。
彼との繋がりが。
寒い。
寒気を感じて、鞍馬が急に膝を突いた。
「どうした、鞍馬!?」
急に真っ青な顔で、膝を突いて細かく震える鞍馬の顔を、熊野が慌ててのぞき込んだ。
「そうか、君は彼の式姫では無かったな」
一瞬の自失から何とか立ち直りながら、鞍馬は自分を呪った。
あの妖狐が、この地でしぶとく粘っていたのは、この瞬間を待っていたのか。
という事は、奴は冥府にまで、その手を……。
「熊野」
「どうした?」
聞くまでも無い。
熊野にも判ってはいた。
だが、信じたくないという思いが、彼女にその言葉を返させた。
「主君(あるじくん)が……主君の魂が」
滅んだ。
虚ろな声。
こんな弱々しい友人の姿は、熊野は初めて見たかもしれない。
「……そうか」
熊野には、そうとしか言えなかった。
鞍馬の顔に、涙は無かった。
心が、一瞬で空にされた時、人は涙も流せない。
それを熊野は知っていた。
今は……せめて今だけは、何か他の事に気を向けさせないといけない。
「鞍馬!対策を言え」
「……対策?そうか、そうだな」
一見すると平静そうな声で、鞍馬は暫しの沈黙の後、熊野に力ない目を向けた。
「最前説明した通り、西の門で待機していてくれ、仕掛けの作動に関しての判断は君に任せる」
「判った」
駆け出そうとする熊野に、鞍馬は声を掛けた。
「……熊野、君はこの庭で死ぬ義理は無い、危なくなったら逃げてくれ」
その鞍馬の言葉に、熊野の足が止まった。
「逃げろ?」
「そうだ、ここから先は、単なる防衛戦では済まない」
彼が滅んだ以上、この庭の結界は、もうあいつの侵入を防げるだけの力は無い。
奴はそれに早晩気が付くだろう。
屋敷外に式姫を展開してしまった彼女の策故に、あの妖狐の侵入を防ぐ手立ては、今や薄い。
「ここは……危険だ」
鞍馬の言葉に、熊野は足を止め、鞍馬の元に歩み寄った。
鋭い視線が、彼女を射貫く。
「私はね、友がその身命を賭して守る場所を見捨てて逃げる所まで、落ちぶれた覚えは無い」
「熊野……」
「しゃんとしろ、君はこの庭の……彼の軍師だろう!」
そう言いながら、強く、その肩を掴んだ。
希望を失うな。
何度も、私は、人の生死を見て来た。
だから言える。
人を最後にこの世界に繋ぎ止めるのは、ただ、その人自身の持つ、生への渇仰だけなのだ。
だから、それを見失うな。
「だが熊野、君も知っているだろう、私たち主を持つ式姫は、その生死を」
「……知ってるさ」
あの、背骨が抜けるような喪失感。
あんな物、二度と味わいたい物では無い。
だけど、それでも。
「鞍馬、最後まで君の主を信じ、その知略を以て、彼の肉体を守ってみせろ……彼は帰ってくる」
鞍馬の肩を掴む、熊野の手に、痛いほどの力が籠もる。
「……何故だ、熊野」
何故、君はそこまで。
「彼の肉体はまだ生きて居るからだ」
肉体と魂は別ちがたい物。
「だから、物わかり良く諦めるんじゃ無い、泣くのも絶望するのも、彼の肉体も魂も、そのどちらも滅んでしまってからでも、出来るんだ」
そう言って、熊野は、俯く鞍馬の顔を覗き込んだ。
「私は、患者がまだ生きている以上、それを見捨てたりはしない、全力で生かしてみせる……君はどうなんだ!」
負け戦だと……戦う前に決めつけてしまうのか?
それでも、君は天才と常勝を謳われた軍師か?
「答えろ、鞍馬!」
「……全く、君という奴は」
鞍馬の目に、僅かだが、それでも光が灯る。
「医者という奴は、中々簡単に人を死なせてくれない物なんだな」
「当たり前だ、彼を生かせと、私をこんな戦場まで引っ張って来たくせに、今更無責任な事を言うな」
熊野は静かに笑って、鞍馬の肩を離した。
「裏門は任せろ、医術に捧げた身だが、これでも神軍の先触れを務めたる眷属の一人だ」
そう言って走り出した熊野の背を見送って、鞍馬は正門に向かって歩き出した。
「そう……そうだな」
彼が戻ってこないにしても。
「鞍馬!」
こちらに駆け寄ってくる、かやのひめの顔が、夜目にも判る位に蒼い。
「かやのひめか、来てくれて助かった。外堀と塀での防衛線を放棄し、邸内での攪乱型の防衛に切り替える、飯綱君達にその事を伝達してくれ」
「判ったわ」
そう言って、走り出そうとしたかやのひめが、脚を止める。
「……ねぇ、この庭、守り切れる?」
「約束は出来ないがね、守り切りたいとは思っているよ」
そう口にした鞍馬の顔を見て、かやのひめは力ない物だが、いつも機嫌悪げな顔に、微笑みを浮かべた。
「どうしたんだい?」
「何でもないわよ、ただ、そういう言い種があの男に似て来たと思っただけよ」
べ、別に、それでほっとしたわけじゃ無いんだからね。
そう言いながら、慌てて後ろを向いたかやのひめが第二の持ち場に走っていく。
「……それは光栄だ」
彼ならば……例え夢破れるとしても、その最後の時まで、こうして、戦おうとするはず。
そして、彼の式姫達も……まだ絶望はしていない。
ほんの時折呼吸をする。
静かに眠り続ける、その彼の枕元に、目を閉じて座していた、蜥蜴丸の目が開いた。
傍らで、泣きぬれた目をしたまま、じっと彼の枕元に座し、時折その額を拭いているこうめをちらりと見て、蜥蜴丸は痛ましそうにその目を反らした。
「……こうめ殿」
「何じゃ?」
「心平らかに、お聞きください」
廊下をパタパタと走ってくる足音が聞こえる。
……彼女たちも気が付いたか。
「こうめ様っ!」
珍しく、本当に珍しく、小烏丸が、いきなり障子を乱暴にあけ放ち、部屋に入って来た、その眼前で。
「こうめ殿、今、ご主人様の魂が……消えました」
蜥蜴丸の言葉に、こうめの顔が強張る。
こうめの視線が、蜥蜴丸に、そして、障子を開けた所で止まってしまった小烏丸と、真っ赤な目をした白兎へと動き。
「そうか」
思いの他静かに、こうめはそう口にして、手にした布で、再び男の額を拭いた。
「軍師殿が防戦に当たりましょうが、あの妖狐がこの館に侵入するのも時間の問題……こうめ殿はお逃げください、小烏丸さんと白兎さんが供に付けば、逃げ延びる事も叶いましょう」
「……彼は連れて行けぬのじゃな」
「魂なきご主人様の肉体は、今、あの大樹の力によって、辛うじて生きているような物……ここから動かせば」
どのみち、死、あるのみ。
「では断る」
「こうめ殿!」
「わしはここに居る」
「貴女が居ても!」
「押し問答をしておる時間などあるまい……わしは物わかりが悪いのじゃ、それにな、蜥蜴丸」
「何でしょう?」
「……彼はまだ、こうして生きておるではないか」
飲まされた毒のせいだろうか、熱っぽい大きな手を冷やすように、こうめは小さな手でそれを包んだ。
手首から、ほんのかすかに、とくり、とくりと、命の拍動が伝わってくる。
まだ……生きてくれている。
「それは……」
肉体だけ生きていても、それは。
「蜥蜴丸、小烏丸、白兎」
「はい、こうめ様」
「お主らの言いたい事も、今起きている事も、承知しておる……じゃがな」
初めて、その目に涙が浮かんだ。
「最後まであきらめずに居てくれぬか?」
「こうめ殿」
「わしには……どうしても彼が死んだとは、思えぬのじゃ」
まだ何か……この人と繋がる、細い細い一筋の縁が感じられる。
それは願いが見せた、幻かもしれない。
だが、例え、ここで死すこととなっても。
それは、賭けてみるに足る、思いだと。
「頼む」
主に殉ずるは刀の務め。
なれど、今から行う戦いは。
「ご主人様」
白兎が、その手を取って、にっこり笑いかける。
「早く帰ってきてね、私、ずーっと信じてるよ」
それだけ言って、ひょいと庭に出たかと思うと、その姿が藪の中に消えた。
主の死に殉じるのではなく。
小烏丸が、じっと主の顔を見て、一つ、大きく頷いた。
「地獄の底までお付き合いすると決めた我が身です……」
なれば、この身が折れるまで。
「私は、貴方様が願いを託した方の、その意思に従いましょう」
そう呟いて、小烏丸は、穏やかな顔で縁側に出た。
主の願いを、この世界で生かし続ける、その為の戦い。
「蜥蜴丸」
「……心得ました」
及ばぬかもしれませぬが、練磨したるこの一剣もて、お守りしましょう。
その、遺志を。
貴方様が残そうとした、願いを守る、最後の砦。
この庭を。
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式姫の庭の二次創作小説になります。 前話:http://www.tinami.com/view/946932 |
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