夜摩天料理始末 42 |
よろり、ふらりと都市王の体が動く。
夜摩天にへし折られ、ぶらぶらする首が振られた時の重みに引かれたのか、姿勢を崩したその体が、音を立てて床に転がった。
痛みを感じていないのだろうか、体を起こしながら、それは己の体の動きが定まらない理由を悟った様子で、首に手をやり、その頭を在るべき位置に戻した。
その首を支える様に、筋肉が膨れ上がる。
中で骨が繋がっていく、ぺきりべきりごきりという音が、不気味に響く。
「……なんて事」
見覚えがある。
あの妖狐が、封印される時に振りまいた血の力を受けてしまった妖や人を、退治た時の嫌な記憶が、普段冷静な閻魔の顔を嫌悪に歪ませた。
「殺生石の力ですね」
夜摩天の表情も苦い。
そう、確かに都市王があの石を手にしていたのを見ていた筈なのに……。
私は、何故、あれで勝ったと思い込んでしまったのか。
都市王の体が、変容し、巨大になりながら、無言でゆっくりと封印の扉に歩み寄ってくる。
無言……いや。
その目や動きから見ると、もはや、かつての都市王の意識など残っていないだろう事が、何となく判る。
閻魔の目にも、それは判ったのだろう、低く傍らの夜摩天にだけ届くような声で呟いた。
「こいつ、都市ちゃんじゃないわね」
「……ええ」
今となっては、恐らく、あの殺生石の力で動くだけの、生ける屍の如き存在。
だが、あの石は並ならぬ力を、取りついた存在に与える。
小妖や普通の人ですら、侮れぬ敵に変える。
それを冥府十王の中でも、武を以て知られた都市王が、とは。
恐らく、その力は、想像したくない程に、強大なそれに……。
帯から菜切り包丁を手にして、夜摩天はそれを構えた。
「……閻魔、まだやれますか?」
「とっくに超過勤務よ!」
怒鳴り返しながら、閻魔は傍らの宋帝の襟首を、猫のように掴んでぶら下げた。
もがもがと何かを抗議する様を煩そうに見て、その帯から剣を抜き取る。
「借りるわよ」
言うや否や、閻魔は宋帝の体を冥府十王の方に放り投げた。
慌てて、飛んできた宋帝の体を抱えた一団に、閻魔は声を荒げた。
「戦う気が無いなら、それ連れて逃げるか、援軍呼んできて!」
言い捨ててから、ふんだくった剣を手にした閻魔が、夜摩天をちらりと見た。
「流石に、その包丁じゃ戦えないでしょ」
「それは、承知してるんですけどね」
「私もこれじゃ、いつまで戦えるか知れた物じゃ無いしねー」
そう言いつつ、閻魔は目くばせした。
その視線の先。
廷内の隅に放り出された、二人の武器である、断罪の斧。
「……判りました、一時頼みます」
「任されたけど、早く戻ってよね」
不慣れな武器で、あの力と対峙せざるを得ないなど、ぞっとする話だが、他に手も無い。
駆け出した夜摩天の姿を横目で見ながら、閻魔は剣を構えた。
「さぁて、休みを邪魔された私の怒り、見せてやるわよ」
妙な。
燃え上がる館を見おろしながら、藻は不審そうに視線を広大な庭に泳がせた。
何の気配も無い。
慌てふためいて館から飛び出してくる者も、火を消そうとする者も、藻を排除しようと攻撃する者達も。
外に展開していたとはいえ、館の内にも、かなりの数の式姫が残っていた事は確か。
最低でも、強弓で藻を退けた、花の女神に、知略縦横の大天狗の二人は居る筈。
藻の侵入を許した以上、彼女らが守ろうとするのは、主の体の筈。
その動きが、まるで見えない。
どういう事なのじゃ。
異常とすら思える程の静寂が、藻の高揚感を冷やしていく。
狂騒が去り、変わって疑念がじわじわと、彼女の脳を浸食する。
まさか、自分は、あの天狗に誑かされ、無人の館に火を放ち、それを見守っていただけの阿呆なのか。
そんな……馬鹿な。
あの男はここに居る。
あの大樹から離れては、魂が滅び、蠱毒に蝕まれて弱ったあの肉体はたちどころに滅ぶだろう。
奴はここに居るしか無い。
妾の知る限り、他に可能性などー
(粗雑ね、貴女って)
淡々と事実だけを相手に告げるような口調で放たれた、花の姫の言葉。
負け犬の遠吠えというには、余りに静かに冷徹に放たれた彼女の言葉が付けた傷が、疼きだす。
粗雑。
人や冥界に、密やかに、緻密に拡げていた網を、一息に絞って多大なる収穫をしようとした今宵の宴。
妾の知略は、他の尾を凌ぎ、一息に主の復活をもたらす。
その筈だった。
だが、従えていた筈の鵺は、陰陽師の自我を取り戻して、彼女から離反し、既に計画では死んでいる筈の式姫の主は、未だにその肉体の力で、彼女の主と黄龍の封を守り続けている。
そう、本来ならば最後まで、藻は表に出る事も無く、全ては彼女の操る玩具の手で、片が付いている筈。
ここに自分が居る事。
それ自体が彼女の誤算その物。
自分の計画に粗が有った、何よりの証。
……まさか。
同様に、妾の考えも及ばぬ方法で、奴の肉体は既に別の場所に。
あり得ぬ!
藻は血走った眼を上げた。
必死に探る。
何かの動きを、
呪力の流れを。
奴らの仕掛けた罠を、策略を。
何か……何か。
何でも良い。
「ふぅむ……流石鞍馬だ」
西門の陰に潜み、燃え盛る炎の中で照り映える、金色の獣の姿を見上げていた熊野が感心したように呟いた。
奴が館内の結界に侵入した場合、当然だが、何らかの破壊活動を始めるだろう。
火を放つか、その手でつぶして歩くかは知らないが。
我らはそれに、反応しない。
動かない。
反撃などしない。
一切。
(何故だ?)
(城もそうだが、防備の為の拠点というのは中に大事な物を納めているか、その場所自体が重要な拠点であるのが前提だ、それを守る為に石を積み、堀を巡らし、兵を揃えるのだ)
(ふむ)
(ならば、それを突破された時の、城内の様子はどうなると思う?)
(大事な物を守る為に最後の抗戦を行うか、大事な物を逃がそうとするだろうな)
(そう、それが自然だ……だが、そういう反応が一切なかった時、敵はこう思うんじゃないかな)
最初から、ここに大事な物など無かった。
ここは大事な場所ですら無かった。
自分は……一杯喰わされたのではないか。
(人の猜疑心を利用するという事か、上手い事を考える物だな)
(これが、空城の計という奴の要諦だ)
とはいえ、例えば敵が狛犬君なら、こんなのは無意味だ、あの、問答無用の突撃っスーで蹴散らされてしまう……まぁ、敵があの、猜疑心の強い狐だから使える手という奴だな。
そう言いながらほろ苦く笑った鞍馬が、言葉を継いだ。
(熊野、君に頼むのは、この計の仕上げだ)
奴が、動揺し始めたら仕掛けを作動させてくれ。
その判断は……熊野、君の目を信じる。
金色の狐の顔が左右に振られ、何かを探そうとするように、上空にその身を浮かせた。
それを見ていた熊野の口が、呟くように動いた。
今だな。
門の金具の下に周到に隠された札に手を翳し、熊野は呪を唱えだした。
「陰陽相和して天地有り、地に四方有り、北に玄武、東に青竜、南に朱雀、西に白虎あり、央に座すは黄龍」
乾兌離震巽坎艮坤。
ぼうと、庭木が淡い光を帯びる。
蛍火よりなお淡い、炎の明りの中では、それと分からない程度の。
普段飯綱たちが駆けまわる、背の高い庭木で作られた迷路となっている遊び場所。
だが、ここは、鞍馬が作り上げた、要塞たる庭の、一角。
西門の入り口を守る、防塞の一つ。
「陰陽の理に従い、この地に出でよ」
札に最後の力を込めると同時に、鞍馬が庭を作る時に、周到に張り巡らせた地脈に力が通る。
「八卦陣!」
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式姫の庭の二次創作小説です。 前話:http://www.tinami.com/view/948149 鞍馬さんは、公式4コマ的にも、どうしても孔明ネタぶっ込みたくなる…… |
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コメント | ||
>>OPAMさん ありがとうございます、どうしても地味になりがちですが、こういう駆け引き入れたくなるんですよ。書いてる奴の頭が残念なので、軍師キャラはホント毎回大変ですが、らしく見えていたようで、ホッとしてます(苦笑(野良) 派手な戦闘が続いて盛り上がった後に静寂による心理戦を描いてくる展開、いいですね。軍師キャラの魅力を演出するのは脳筋キャラより難しいと思うだけに上手いと感心させられました。 (嵐の前の)静寂からの次回以降も楽しみにしています。(OPAM) |
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