うつろぶね 第三幕
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「貴重な物を拝見させて貰うて眼福じゃった、お手数をおかけしましたな、ご住職」

「いやいや、猫の式姫ともなれば、仏像、仏画の何よりの守護ですからな」

 こうして御手に触れ、御目に留まれば、仏も長生き致しましょう。

 ましてかような美姫のお相手なれば、手前の寿命もご相伴に与れるという物。

 南無阿弥陀仏。

「ふふ、僧職にありながら、中々女子の喉をくすぐるのがお上手じゃのう」

「何々、老いぼれ坊主ではありますが、普段がむさい男の相手が多うございますでな、美女の相手は常に楽しい物でございますよ、これは粗茶ですが」

 縁側に座し、小高い場所にある寺から見える、晩夏の風情を愛でていた仙狸に、この小さな寺の住職は、そう言いながら、品の良い薄手の白磁に注いだ煎茶に、砂糖の衣を薄く掛けた煎餅を添えて出した。

「何よりのご馳走じゃの、頂戴する」

 静かに啜ると、得も言われぬ旨みと渋みが爽やかに口中を清めてくれる。

 ……中々にいい茶葉じゃの。

 後で、何処で贖ったか聞いて、かぶきり殿への土産とするか。

 待遇が良いのは、恐らく仙狸が拝観料として差し出した金子の力も無縁では無かろうが、住職自身が元々人をもてなすのが好きなのだろう。

 客のあしらいや、お茶の質や淹れ方、茶器、菓子の添え方など見るに、どこか大寺ででも修行してきたらしい、洗練された様子が垣間見える。

「所で、式姫がこの様な田舎に、いかなる御用で?」

 温順な顔に、詮索の色は伺えない、単純に話の繋ぎ程度の好奇心なのだろう。

「式姫といえど、戦いが続けば疲れる物」

 ちと湯に浸かって、命の洗濯をしに……の。

「成程成程、あの湯は疲れと金創(きんそう、刀傷)には殊の外効くと評判ですからな」

「評判以上の湯じゃった、もうわっちなど、溶けてしまうかと思うたよ」

「はっはっは、さもありましょう、この辺りの農夫、漁民が壮健に働けるのは、あの湯のお蔭ですからな」

 かくいうわしも、あそこの常連でしてな。

 湯に浸かった後の般若湯一杯が、実に何とも堪えられませぬよ。

 そう言いながら、つるりと、良く日に焼けた艶やかな禿頭(とくとう)を撫で上げた住職に、仙狸は静かに笑み掛けた。

 ここに上ってくる途中に見えた、つつましやかな畑は、どうやらこの住職と、門を掃いていた小坊主の物らしい。

 日々死の恐怖と戦う漁村では、精神的な支えとして、死後の面倒を見てくれる寺は往々にして羽振りが良い物だが、この鄙びた漁村では、余り景気の良い信徒も居ないと見える。

 だが、その貧しさを卑しむ様子は欠片も無く、自分の食い扶持は自分で稼ぐ、そういう真っ当な人の営みを重ねて来た清雅な感じが寺内に満ちており、仙狸はこの寺や住職に好感を抱いた。

「前にこの辺りを旅した折は、温泉など無かったに、中々良きものを見出しましたな」

「ほお、左様で……いつ頃の事にございますかな?」

「さて、あれはわっちが源平の戦を厭って、都を逃れた折じゃったかな」

「それはまた、当寺がこの地に建つより昔の話ではござりませぬか?」

「いやいや、こちらの寺院は、わっちがこの地を訪れた時には、既にこの地に鎮座しておりましたよ」

 建物は今と違うていたが、まだ甍も新しく、下から見ると日に照り映えて綺麗に見えた覚えがある。

「左様でしたか、実は一度この寺、焼亡の憂き目に遭っておりましてな、創建当初の風を残すのは、山門とご本尊様位と聞き及びます」

「確かに、ご本尊はお変わりないのう、わっちがあの当時に拝観した感じでは、恐らく平安に都あった御代の末の創建と見たが」

 何か記録は残っておいででないかの?

 そう口にした仙狸に、住職は、悲しげに首を振った。

「代々の住職の日記の類も焼けてしまいましてなぁ……今残っているのは、二百年ほど前に再建されてからこちらの物だけでございますよ」

「ほほう、なれど中々に興味深そうな。猫の好奇心で申し訳ないが、その日記、ちと拝見出来ぬかな?」

 むむ、と住職が顎を撫でる。

 拒否の感じではないが、是とも言えない微妙な表情を浮かべて、住職は仙狸に軽く頭を下げた。

「お恥ずかしき事ながら、虫干し以外で引っ張り出す事も滅多にありませんでな、先代までの記録は、全て倉の櫃で眠っておる有様……」

 とてもの事、お客人の前に供せるような物では。

「左様か……」

 うむむ、と仙狸も低く唸る。

「何かご興味を惹く事でもありましたかな?」

「そういう訳では無いのじゃが、湯治の間は、湯に浸かるか遊山より他にする事も無し……」

 そうなると、ちと書物の類と戯れたくてのう。

「如何であろうかな、ご住職、ご迷惑は掛けぬ故、しばし一室お借りして、その日記を拝読できぬ物かのう?」

 これは、部屋代と迷惑料替わり……。

 そう言いながら、仙狸が袱紗に包んで出したものの重さに、住職の顔が、僅かに動く。

 単純に恵比須顔になるでも無く、清貧を装うような渋面を作るでも無く。

 ただ、この寂びた寺の寺史を見る為に、これだけの金を差し出す、仙狸の意図を量ろうとするかのように、視線が若干鋭い物になる。

(……ちと金を遣い過ぎたか)

 余りに気前がいいと、人は却って疑念を抱く。

 人を見て、相応の額の金子を示すというのは、実はこの世で最も難しい技術の一つである。 

 だが、暫し後、住職は表情を柔和な物にして、袱紗を懐に入れた。

「これは、確かに頂戴しましょう……坊が一間空いておりますでな、そちらを自由に使われるが宜しかろう、本日は小僧に掃除をさせて、櫃を運ばせますでな、明日にでもまたお運び下され」

「……忝い、湯治の間、しばし、通わせて頂く」

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 へとへとで帰って来たカクを待っていたのは、既に一風呂浴びた後らしく、濡れ髪に櫛を入れている仙狸の姿であった。

 田舎の湯治場には珍しく、こうした個室まで備えた、しっかりした旅籠が有るのは、少し離れた商都から、金持ちが遊山で訪れる事が多いお陰というべきか。

「おお、帰ったか、御苦労じゃったのう」

 窓際で、涼風に当たりながら、髪を梳く、その姿が同性ながら実に美しく艶めかしい。

(芝居の参考にしたいなー)

 などと思いつつ、カクは仙狸の方を向いて、肩を落とした。

「我が魂魄、九地の底に落ち至り……」

 何とか衾を閉めてから、カクはよろりと畳の上にへたり込んだ。

「九天の上に遊んだこともあるまいに、落ちるのはちと気が早かろうよ」

 カクの様子を見て、仙狸はくっくと喉の奥で笑った。

「お疲れじゃったな、どうじゃ、天羽々斬殿の偉大さの一端に触れたかな」

「真に……あの奇怪にして予測つかざる生き物を、愛で、慈しめるとは、このカクでは遠く及ばぬ所」

 悲観するでない、子供の相手は単に向き不向きもあるでな。

 殊に、天羽々斬の子供への愛情は、聊か病的な部分もあるので、参考にはならぬ物だが……まぁそれでも大したものであるには違いない。

 そう言いながら、仙狸は茶を注いで、労うようにカクの前に置いた。

 とはいえ、カクが芸を以て身を立てんとするなら、何れ避けて通れぬ道ではあろう。

「ま、あれじゃ、良い人生勉強になったじゃろ」

「日々これ学びとはいえ、七難八苦は望みに非ず」

「そういう時の一番の薬は湯じゃよ、疲れをゆっくり落としてくると良い、その間にわっちは何か贖ってきて、夕餉を支度しておくでな」

「かたじけなきこと……」

 手ぬぐいと浴衣を手に、よれよれと歩き出したカクが、あー草臥れたー、と、一瞬だが素に戻ったような呟きを漏らす。

 廊下を歩いて行く、疲れていても軽やかな足音を聞きながら、仙狸は財布を袂に入れて、羽織をひっかけた。

 へとへとになるまで子供に付き合わされたという事は、ある程度はカクが気に入られ、受け入れられたという事でもある。

 子供は正直で残酷……退屈だったら、そもそも疲れるまで相手をさせてはくれない物だ。

 つまり、カクは、上手くこの辺りの子供達に顔を繋げたという事だろう。

「流石じゃな」

 そう呟いて、仙狸は衾を閉めた。

「さて、功労者には、何か旨き物でも振舞ってやろうかの」

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/949450

ツイッターでアンケート取ったら、意外なほどにうつろ船の元ネタの知名度が低くて焦ってます(苦笑
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、やはり諸星御大偉大ですなw 時代物なので、それっぽい言葉を使いつつ、あまり言葉自体のフォローは入れない構成にしたいとは思ってるんですが、中々ままなりませんね。(野良)
「うつろ船」私も知りませんでした。wikiで調べてみたところ関連書籍の欄に有った、うつろ船を題材にした諸星大二郎氏のマンガ「うつぼ船の女」を読んだことがあるのみでした。毎回知らない単語(海市も初めて知りました)がけっこう出てくるので調べつつ読ませてもらっています。物語を楽しんで読みつつ、知らない単語の勉強も出来て感謝ですw(OPAM)
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式姫 カク 仙狸 

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