異形を狩る 二話「死を謳うもの 前編」 |
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「実に良い星空ですね」
夜空を見上げながらトンプソンは静かに言った。彼の服装はキリスト教徒の司祭が着る服によく似ているが、細部は違っている。だからといって聖職者としての威厳が失われているわけではない。
そんな彼が府立都島高校の屋上で「夜空が綺麗」等と言っている風景は似合わなかった。美しくないなと思いながらもミラーカは彼と同じく空を見上げる。彼が「良い星空」だというのだから天候も良いのだろうと思っていたのだが、どういうわけか曇り空で星はおろか月すらも見えはしなかった。
「教祖様、空は曇りです。星などひとつも見えませんが?」
「そうですか? 私にははっきりとひとつひとつの星が、この星の汚れた大気を通してでも見えますがね」
ミラーカを振り返ったトンプソンは気持ちが悪くなるぐらいの笑みを浮かべていた。彼は黒人であるというのに、白人種の特徴が強く出ておりなぜだかそれが嫌悪感をミラーカに覚えさせる。
いや、顔立ちが嫌悪感を覚えさせるのではない。彼の表情の作り方が不気味なのだ。とはいえ、どこがどう不気味なのか、と問われたとしてもミラーカは決して答えることが出来ないだろう。彼ではない別の誰かが、トンプソンと同じ表情をしたところで嫌悪感を催したりなどしない。
では何がそうさせるのだろうか。人徳とでもいうべきものなのだろうか、それとも別の要因が関係しているのだろうか、おそらくそうなのだろう。ミラーカもそうだが、トンプソンもヒトの姿こそしているものの人間ではない。彼らの定義で言えば魔物にあたる。
「よくお見えになりますわね。貴方に吸血鬼にしてもらい、夜でもものが良く見える目を授かりました。けれど、その私が目を凝らしても見えるのはどす黒く汚れた雲だけです。トンプソン様、貴方は一体何をご覧になられているのですか?」
ミラーカの発した問いに対してトンプソンは簡潔にただ一言だけ、「星ですよ」と答えた。だがミラーカの視力を持ってしても見えるのは様々な汚染物質により穢された雲だけなのである。汚らわしいものによって星は一つも見えない。
「あなたの目には何一つ見えなくとも、私の目にははっきりと星たちの姿が映っています。この世界の星は今にも正しき順列に並ぼうとしており、その時こそ……わかりますね?」
「わかっているつもりですわ」
トンプソンの目を見ずに、何も見えない夜空を眺めながら答えた。彼はミラーカにとって恩人と言っても良い、多少の義理も感じてはいるがトンプソンと視線を交わそうという気は起こらない。
吸血鬼となり、人以上の力を手にしたミラーカではあるが、それでもトンプソンの目を見るのが恐ろしかったのだ。それほどトンプソンという存在は強大なのである。
「つもりですか……今のあなたは吸血鬼といえど元は人間ですからね、完全に理解しろという方が無理でしょう。それよりもミラーカさん、あなたこちらに来てから何年になります?」
「こちらの暦で、ですか? それともあちらの?」
「どちらでもわかりますけれど、こちらにしておきましょう。この世界にいる限り、私たちはこの世界の慣習に従わなければ。例え、今みたいに人の目が完全にない状況だとしてもね」
「こちらの暦でしたら、丸五年になりますわね」
言ってみて初めて、そうかもう五年経つのかとミラーカは思った。吸血鬼であるため人の血さえ啜っていれば永劫に近いときを生きられるミラーカだが、それでも五年は五年である。
はじめはこの世界の、いやこの国の言語すらわからなかったのだ。だが今では言語も理解し使いこなすことが出来る。そればかりではなく携帯電話やインターネットといった故郷の世界では想像すらされていなかったものまでをも使いこなせるようになったのだ。
インターネットを扱えるようになってからミラーカの見聞は広まり、この世界の知識を深めるのに役立った。それにより、門や魔物、ハンターという存在を知ることが出来たのだ。もしそれらの知識を得られなかったら、今頃ミラーカはハンターによって狩られていたことだろう。
ミラーカにせよトンプソンにせよ、この世界の人間からすれば忌むべき存在なのだ。今までハンターに正体がばれなかったことは、この世界にアンダーグラウンドな社会が存在し、そこで戸籍を入手することができたということもある。だがそれ以上に、ミラーカそしてトンプソンがヒトの形をしているというのが一番の理由だろう。
過去、ヒトの形をした魔物が出た事例はインターネットを使って調べればすぐに見つけることができる。そのとき、人々がとった行動といえば即座に殲滅することではなく本当に人間化どうかを確認することだったという。
ヒトの形をし、この世界の人間とコミュニケーションを取ることができれば魔物と定義されていようとも、社会の中に混ざり生きていくことができるのだ。ミラーカは自身とトンプソン以外に人間社会に潜み生きる魔物のことは知らないが、実際はかなりの数がいると考えている。
「何を考えていたのですかミラーカさん?」
「この世界の人間達について考えておりました、故郷と比べればこの世界の人間達はあまりにも無防備のように思えて、時におかしくなって笑ってしまいそうですわ」
ミラーカが口に手を添えて小さな笑い声を上げると、トンプソンも同じように小さな笑い声を上げた。二人の笑い声は本当に静かなものだったが、夜の校舎というのは静寂に満ちているものであり、意外なほど大きく聞こえる。
「そうですね、あなたの仰るとおりですよミラーカさん。このせかいの人間はとても無防備だ、あなたの世界では到底考えられないほどにね。私たちは魔物です、ですが私は真実の教団をここでも立ち上げ教祖として多くの信者を従えています。そしてあなたはアロマセラピーの専門家として名を上げつつある、聞いたところによるとテレビから取材の話がきたとか? 本当なんですか?」
「本当のことですわ、ですが断りました。私は昔から美容を保つために様々な薬草を用いていましたから、この国で出版されている専門書を読めば容易に内容が理解できるようになりましたし、それをさらに発展させることもできました。それらは当然の帰結でしょう、ですけれどあまり有名になるのは困りものですもの。もしどこかで私が戸籍を不正取得している、なんてことが発覚でもしたら恐ろしいことですからね」
「えぇ、それは賢明な判断だと思いますよ。あなたも私もこの国で違法に取引されている戸籍を取得しました、私はアメリカ人としてあなたはイギリス人としてこの国にいる。そして私たちは人ではない、特別な力を持っていますからね、ESPとして申請しハンター資格を得たことで私たちはとても有利な状況になりました。もちろん、戸籍の不正取得が公になれば私たちは身元不明の犯罪者というよりもアウトローということになりましょう。けれど私たちのことを魔物だと考える人間はほぼ皆無と言ってよいかと」
「トンプソン様、そのお話は幾度と無く聞かせてもらいましたわ。私たちはこの国ではただの犯罪者にすぎません、よって出来るだけ人目につかず活動する必要があると私は常々感じていました……ですが、貴方様はあちらと同じように真実の教団を設立いたしました。至極真っ当な方法で、それは何故? そして何故、私はここに呼ばれたのでしょうか?」
「教団を設立したのはいずれお話しましょう、今話すと夜が明けてしまうかもしれない。ですが、あなたをここに呼んだのは門を開くためです」
「門を?」
これには首を傾げざるを得なかった。他の世界とこの世界を繋ぐ門ならばトンプソン一人の力でできることである。ミラーカもこの世界に来る時はトンプソンが作り出した門によってこちらの世界に来たのだ。門を開くために彼はミラーカの力を必要とするはずが無い。
そのことを彼に言うとトンプソンはゆっくりと首を横に振った。
「私だけでも門を開くことはできます、そしていわゆる魔物を呼び出すことも可能です。ですが……時限式と言ってお分かりいただけるでしょうか? 今から私は時限式の門をここに設置したいのです」
「時限式? つまり、時間がくれば門が開くようにしたい。そういうことなのでございましょうか?」
「そうです」と言いながらトンプソンは頷いた。続けて「それにはあなたの血が必要なのです」とまで言ったのだ。
「それはどういう意味でしょうか? トンプソン様は死者であった私を蘇らせ吸血鬼にするほどのお力をお持ちです、そしてお一人でも門を開くところを私は見ています。そこに私の血が必要とは、今ひとつ要領を得ないのですが」
「ミラーカさん、あなたは吸血鬼です。あなたの体に流れる血は特別なのですよ、それは触媒としてとても役に立つ。あなた自身、その血液を使ってさまざまな術を使っていたではありませんか。あなたの体に流れる血は特別な力を持っているのです、時限式の門を開くためにはあなたの血の力をお借りになりたいのですよ」
言いながらトンプソンはミラーカに歩み寄ると懐から銀の小さなナイフを取り出し、ミラーカに手渡した。それをじっと見ながらミラーカは己がどうすべきか悩んでしまう。時限式の門を作るのは通常の門を作るよりも労力がいるらしいことはわかった。
だからといってなぜそこでミラーカの血が必要になるのかがわからない。ミラーカ自身、この体に流れている血が特別なものであることは理解している。この血を使えば様々な力を使うことができることはミラーカ自身が一番良く知っていることだ。
しかし、トンプソンがミラーカの血を必要とする理由が分からない。少なくとも彼は死者を蘇らすだけの力があり、そして一人で門を開くこともできる。だというのに、なぜそこでミラーカの血というものが必要になるのか理解に苦しむことだ。
「理由を言いましょうか?」
「ぜひお願いいたしますわトンプソン様。貴方の力があれば時限式、とはいえど御一人の力で門を作ることは可能だと私は思うのです。そこでなぜ私の血が必要になるのでしょうか?」
「あなたの言うとおり、私の力だけで時限式の門を開くことは可能です。しかし、あなたの血を使って陣を描き門を作れば、貴方の血で描かれた陣は力を失いこそすれ後に残ります。私の狙いはそれです」
「つまり、わざわざ証拠を残すということですか?」
「そういうことです」
と、トンプソンは間を置かずに答えた。彼の考えている意図がミラーカにとっては一切不明である、何を思ってそのような行いに出るのか、この世界にはDNA鑑定というものがある。血液を跡に残せばDNAを後に残すのと同じことだ。
もし、何らかの原因でミラーカの血液が採取されてしまえば門を開いたのはミラーカだということになりかねない。そうなればミラーカは即座にアウトローとして手配され、行き場を失ってしまうことは目に見えている。
「教祖様、お言葉ですが後に痕跡を残すような方法は最善とは思えません。なのになぜ、貴方は証拠を残そうとするのですか? ここに後を残せば警察はDNAを採取するでしょう、そうなった時、私の立場はどうなるかお考えになってくださっているのでしょうか?」
「もちろん考えていますとも。心配しないで下さいミラーカさん、私が教団を設立したのもそういったところに理由があるのです。あなたは私が人心を惑わし操ることが出来ることを知っていますね」
ミラーカが頷くと、トンプソンも満足げに首を縦に動かした。
「教団の中には警察の関係者もおります、私が彼を操ればここで採取されることになるDNAデータを消すことなど容易いこと。ですから安心してください、私の狙いは挑発することにあるのです」
「挑発ですか、それは以前仰られていた旧き神々に対しての挑発ですか?」
「いいえ、黄衣の王とその騎士であるオラウス・ウォルミスに対してです」
オラウスの名を聞いた瞬間、ミラーカは怒りで己の髪が逆立つのを感じた。あの男はミラーカに対してこれ以上ない屈辱を与えたのだ、例え彼を殺したとしてもこの恨みつらみは晴れることが無いだろう。
「そのお言葉を聞く限りでは、黄衣の王とオラウスはこちらの世界に来ていると聞こえるのですが。間違っていますでしょうか?」
「間違ってなど降りません。黄衣の王はまだこの世界、この星に来てはおりません。どうやら旧き神々の妨害にあっているようでしてね、しかし最近になって我ら旧支配者の眷属となったオラウスに関しては旧き神々は未だその存在にすら気づいておりませんからね。これはオラウスに対してのアピールなのですよ、我々はここにいるぞ、というね」
言った後でトンプソンは笑った。その声は邪悪で、腹のそこにおぞましいものを抱え込んでいるような気がしたのだが、勘違いではないはずだ。トンプソンは何らかの目的があってオラウスに対して自分の存在をアピールしようとしている。
だが、オラウスとトンプソンは敵対していたはずだ。敵対しているのならば、あえてこちらの存在を知られないようにして行動するのが得策だとミラーカは思う。だというのにトンプソンはそうは思っていないらしい。
「星が正しく並べば、この星で眠りに就いている我らの仲間が目覚めます。その時こそ我らが世界の支配を取り戻す時、ですが旧き神々はそれを許しません。星辰が並びつつあり、封印が弱まったとき私は世界各所に門を開きました。そのことに気付いた旧き神々は人間に我々に対抗できるようにと能力を与えたのです、それがESPと呼ばれる力なのですよ」
「トンプソン様、申し訳ありませんが話がよく見えませんのですが」
「それは仕方の無いことです。なぜなら私はあなたに対して多くを話しませんでしたから、しかしここに来てその必要が生じてきたようですね。我々旧き支配者は旧き神々により世界から放逐されたのです、しかし覇権を取り戻すときが来た。もちろん旧き神々は黙ってなどおりません、彼らは我々を人間の言葉では表せないほどの激情でもってして我々を敵対視しているのです。よって私たちはまず、この星の支配者が誰なのかを定めるよりもまず妨害してくるであろう旧き神々に対して対抗せねばなりません。その時、オラウスはこの上ない戦力になるのですよ」
「あのオラウスを仲間に引き入れるというのですか?」
「そういうことですよ」
トンプソンは微笑を浮かべながら言ってみせたが、ミラーカにはとてもではないが許容できるものではない。ミラーカにとってオラウスは仇敵以外の何者でもなかった。彼はミラーカの胸に深い傷痕を残している、通常なら傷痕など残らない体のミラーカだが彼の一撃は違うのだ。
オラウスの一撃は特殊なミラーカの体に傷痕を残した。それはもう何年も前のこと、だというのにそれは未だに消える気配すらない。痛みはないが、オラウスのことを思い出すたびに疼くような感覚を覚えることが未だにある。
「ずいぶんと嫌そうな表情ですね、まぁあなたと彼の関係を考えたのならばそれも至極当然のことでしょう。ですが彼の特性を考えるとですね、旧き神々と戦う上に置いては非常に重要な戦力となるのですよ。それは結果としてあなたにも有利なことになります、なにせ彼はもともと人間。そして我々を比較対照が無いほどに憎み、消滅させようとしている旧き神ももともと人間なんです。彼ならば、やってくれるでしょう」
「それでも、私は――」
ミラーカが反論を試みようとするとトンプソンの瞳が虹色に煌いた。その輝きを見ると思わず「ひっ」と声を上げて後ろに下がってしまう。あの目の色にはどうしても逆らえない。
自分でも理由は分からなかった。根源的なところ、本能といっても良い部分が恐怖を感じている。これには逆らいようが無い、全身が震え始め何も考えられないほどの恐怖がミラーカを襲う。
「わかりましたか?」
「は、はい……」
肺に残った僅かな空気を搾り出して返事をした。動悸は治まりそうに無かったが、彼には逆らえるはずが無い。もう何も考えないようにして、ミラーカは銀のナイフを右手に持ち、左手首にあてがって一息に切り裂いた。
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府立都島高校はその名の通り都島区にある。その校門の前で都島高校に通う生徒の一人、御神翔一は校内に入ろうかどうか迷っていた。もちろん翔一は都島高校の生徒なのだから入って当然なのだが、時間帯が非常に悩ましい時間だったのだ。
左手に嵌めているデジタル式腕時計の表示は九時二〇分、既に一時限目の授業が始まって二〇分は経過していることになる。遅刻する気はさらさら無かったのだが、今日の朝はいつもより体調が良かったのでトレーニングを長めにしたのだ。
それがこの事態を生んだのである。体調が良いことをいいことに調子に乗りすぎた結果、疲労しすぎて家で居眠りをしてしまったのだ。長いこと寝ていたわけではないが、目覚めた時にはもう朝のホームルームには間に合わない時間になっていた。
可能な限り急いで来たのだが、やはり一時限目には間に合わなかったのである。しかも一時限目は時間に関してはことうるさい数学教師の授業だった。そして数学は翔一の嫌いな科目でもある。そうでなければ遅刻したとしても迷うことなくこの校門を潜って教室へと向かっていたことだろう。
さて、どうしたものか。高校生の本分は学業にある、重々承知していることではあるが教室に入れば教師に罵られるのは目に見えていた。しかも嫌いな数学ときている。こうなればいっそのこと、一時限目をサボって二時限目から教室に入ることにしよう。そうすれば一時限目は欠席扱いになってしまうが、嫌な思いはしなくてすむ。
そうだ、それが良いとは思ってみたものの二時限目が始まるのは九時五五分。三〇分という時間を潰すのは難しい。通学路の途中にある商店街のゲームセンターで時間を潰すのも良いが、同じ商店街の中には母が経営している喫茶店がある。もし見つかれば大目玉だし、場合によっては二時限目も遅刻してしまうことになりかねない。
はぁ、と溜息を一つ吐いてから結局は校門を潜ることにした。何も時間を潰す場所は学校の中にもないわけではない、幸いなことにグラウンドを使っているクラスは無いようで誰にも見咎められることなく校舎裏へと向かうことができる。
そこで煙草でも吸いながら持ってきたマンガでも読もうかと考えていると、上から視線を感じた。見上げると校舎の三階、ちょうど翔一の教室である2−Dからこちらを見下ろしている女子生徒が一人。エレノア・ハルトマンがこちらを見下ろしていた。
嫌なやつに見つかったものだ。彼女とは席が近く、話す機会も他の女子と比べれば多いだろう。とはいえ、彼女との話といっても一方的なものが多い。エレノアは2−Dのクラス委員を務めており、その関係からかよく翔一に話しかけてくる。
エレノアが翔一に気があるとかそういうわけではまったくなく、2−Dの問題児である翔一に対する説教が全てだった。実のところをいえば、翔一は遅刻や欠席自体は少ない。欠席はおそらくたったの一日だけだったと思う、遅刻もおそらく片手で数えられるほどであろう。
それでも翔一が説教を貰ってしまうのは様々な理由がある、まずは煙草。当然ながら未成年が煙草を吸うのは違法なことであるから怒られるのは仕方がない。よって、見つからないようにこっそりと吸うのだが、彼女の鼻は煙草の臭いに対して敏感らしく毎回見つかり毎回怒られる、これの繰り返しなのである。
それ以外でも授業中の居眠りのたびに、彼女に起されるのだ。その起し方がまた翔一にとっては問題で、髪の毛を一瞬だけ燃やすというもの。彼女も翔一と同じくESP能力者であり、ハンターなのである。この起し方は確かに効果的ではあるが、やられる側の翔一としてはたまったものではない。
加えて、ESP能力者がその能力を乱用すれば犯罪行為に当たるのだが、彼女に関して教師は一言も言わなかった。全ては翔一のことを学校側が問題児としてみているからであろう。ただ、翔一からしてみれば学校がなぜ自分のことを問題児としてみるのかわからない。
授業にはちゃんと出ているし、煙草を吸ったり居眠りするのもこの年頃ならば普通のことだろう。怒られるのは仕方ないにせよ、問題児扱いされるのははっきり言って不満を感じている。翔一は学校の評判を上げようと思い、ハンターとして活動する時は常に学校の制服を着用しているのだ。
もしかしたらそれが原因なのだろうか。いや、まさかそんなはずはないだろうと思いながらもう一度教室の窓を見上げてみる。エレノアはまだこちらを見下ろしていた。それなりに距離があるため彼女の表情は読み取りづらいが、先ほどよりも心なしか険しいものになっている気がする。
溜息を一つ吐いて、悪友達との溜まり場にしている校舎裏へと行くのを諦めてそのまま校舎へと入った。当然ながら下足室には誰もおらず、どことなく汗臭い臭いが漂っているような気がする。
他の教室では授業が行われていることもあり、人気がないというわけではないのだが下足室には誰もいない。そのせいか不気味な気がする。学校といえば常に賑わっている印象が強いためか、少しでも人がいなくなるととたんに不気味になるから不思議なものだ。
翔一に宛がわれている靴箱の戸を開ける。毎日、この瞬間はラブレターでも入っていないかなと期待するのだがやはり今日も入っていなかった。いつものこととはいえ軽い落胆を覚えながらスニーカーを脱いで上履きに履きかえる。
静かな廊下に翔一の足音だけが響き渡る、遠くから授業を行っている教師の声がどこか急き立てているように聞こえた。この分だと教室に着いたら数学の教師から説教をもらい、そして少ない五分の休み時間はエレノアの説教を聴かされる羽目になるのは間違いない。
思わず溜息が出てしまう。エレノアは容姿端麗であり、近寄りがたい雰囲気があるために説教とはいえエレノアとほぼ毎日のように会話をしている翔一は他の男子生徒からは羨望の眼差しで見られることが多い。
彼らの気持ちもわからないではなかった。きっと翔一が彼らと同じ立場ならばまったく同じことを思ったかもしれない。エレノアは見ている分には良いのだ、目の保養になる女性というのはあぁいう女性のことをいうのかもしれないと思うときもある。
だが彼女の性格は実に苛烈。翔一のことを羨ましく思うのならば、一度彼女の説教を受けてみるべきだと思う。そうすればエレノアに対する見方が一八〇度とまではいわないが、九〇度は変わるに違いない。
憂鬱な気分になったまま階段を登って三階へと向かい、一番端にある2−D教室へと向かう。途中の教室の前を通る時、遅刻してきた翔一の姿に気付いた生徒達の送ってくる視線が痛い。
何も彼らは悪気があって翔一のことを見ているわけでないのはわかっている。わかっているのだが、どうも見世物になっている気がしてしまい仕方が無い。また溜息が出てくる、どうせ教室に着いたら数学教師の説教で見世物に、休み時間になればエレノアの説教で見世物になるのだからこの程度のことを気にしていたって仕方が無いのは分かっている。
分かっているのだが、視線を浴びるというのは決して気持ちの良いことではない。それにしても授業中だというのにやけに視線を浴びている気がする。特に背後からは注目という言葉では足りないほどの熱い視線を感じていた。
それがおかしいということに気付いたのは2−D教室前に着いた時のことである。今は授業中であり、生徒はみな教室にいるのだから視線を感じたとしても横から出なければおかしい。授業に出ていないいわゆる不良生徒が校舎内にうろついているわけがないのだから、背後からの視線というのはおかしな話である。
時折、校長や教頭が校舎内を歩き回っていることがあるが、それなら一声掛けてくるはず。じっと見ているだけというのは変な話だ。ただの気のせいかもしれない、そう思いながら教室の扉を手に掛けながら背後を振り返ってみた。
そこにいたのは信じられないものである。人ではなかった、少なくとも生物ではない。全長は約二メートルといったところだろうか。人型のロボットがそこにいた、ただし足は無く、腰から下はスカートのように見える装甲で覆われており地に足らしきものは付いておらず漂っていた。
全身真っ白の装甲で覆われているが、楕円形の頭部だけは真っ黒でその中心部に眼だろうか、赤い点が一つだけ付いている。左腕外腕部には複雑な機械らしいものが付いているが、それがどのようなものなのかは見ただけでは分からない。
背中には折りたたまれた砲身が二つ付いており、右腕にはSFに出てきそうなエネルギーライフルのようなものを持っていた。学校にロボットを作っている部活は存在しているが、こんな見るからに戦闘ロボットのようなものは作っていない。
となると、翔一をじっと見つめているロボットの正体はただ一つしかなかった。魔物である。いつ門が出現したのかはわからないが、ロボットの形をした魔物は階段の前で漂いながら眼らしきものでじっと翔一を見つめていた。
全身を蜘蛛の糸で絡めとられたかのような威圧感を感じる、間違いなくあれは翔一に対して敵意を持っている。下手に動くのは得策ではない、なにか行動を起してしまえば向こうも動くだろう。扉に手を掛けたまま翔一は動けなかった。
だからといってこのままの状態が長く続くわけでないことは既に分かっている。視界の隅で翔一の姿に気付いた教師が近寄ってきていたのだ、彼は必ず扉を開けるに違いない。そうなれば必然的に動くことになってしまう。そうなった時、あの魔物はどうでるのか。
「何をやってるんだ!」
怒声とともに教師は扉を開けた。魔物が右手に持っているライフルらしきものを上げた、銃口は翔一に向けられている。危険を感じて咄嗟に教師を押し倒すようにして教室の中に飛び込んだ。背中に熱を感じたが、それの正体を見極める余裕は無かった。
どこか打ったのか教師は痛そうに頭を押さえながら翔一を睨みつけ、クラスメイト達は笑い声を上げた。だがそれどころではないのである、魔物が出現したのだ。しかも生徒が大勢いる昼間の校舎で。ハンターライセンスを持っている翔一のすべきことは一つしかなかった。
府警から依頼が来ているわけではないが、この状況下で力を持っている人間がすべきことはただ一つである。学生鞄にいつも入れている二本の小太刀を取り出して、一本は腰に一本は背中に差し込んだ。
棒手裏剣はブレザーの内側に仕込んであるし、ワイヤーを巻いたリールは袖口に常に仕込んでいる。これだけで戦闘準備は完了した。この翔一の姿を見たクラスメイト達は色めき立ったが、ただ一人だけ状況を性格に把握したクラスメイトがいる。エレノア・ハルトマンだ。
彼女も翔一と同じESP能力者であり、そしてハンターライセンスを持つ人間である。魔物の姿こそ見なかったものの、翔一の姿を見てすぐに状況を把握したのだろう。素晴らしいセンス、視界の端で彼女の姿を捉えると彼女は武器らしい極細のワイヤーを左手に装着しているところだった。
「連中は頼んだぞエレノア!」
普段、呼び捨てにすれば怒りを露にする彼女だったが今回は違う。エレノアの姿を見てはいなかったが、彼女が頷いたのが気配で分かった。両手に一本ずつ棒手裏剣を持って廊下に飛び出す。魔物は先ほどから動いていなかった。
魔物はロボット型、皮膚というか装甲というか全身はおそらく強固だと思われる。棒手裏剣がどこまで通用するかわからないが、まずは試してみなければわからない。翔一もハンターである以上、様々な魔物の情報を収集しているが一貫性は無いのだ。
せめて系統でもあるのならば対策の立てようがあるのだが、その都度その都度対策を立てなければならないというのは辛いところだった。おそらくは脆いと思われる関節部分を狙って両手の棒手裏剣を時間差で打ち出してみたが、ほんの少しの動きで外される。やはり装甲は硬いらしく、甲高い音を立てて棒手裏剣は弾かれて廊下に落ちた。
誰かが魔物の姿に気付いたのか、どこかの教室から叫び声が上がる。次いで起きるのはパニックだ。それも近いうちに、魔物は叫び声に対して興味を示した様子はなく頭部の中心にある赤い点は翔一に向けられたままである。
2−Dについてはエレノアがなんとかしてくれることを信じて、背中に差していた小太刀を抜いて魔物目掛けて一直線に走り出す。都島高校はどういうわけだがハンターが多い。2−D以外にもハンターをやっている生徒がいてもおかしくない。
そういう生徒が誘導を行ってくれることを期待して、魔物の動きをまずは止めることを考えた。背中に突き出している二本の砲身らしきもの、左腕についている構造物については正体がわからないが右手に持っているのは間違いなく銃だろう。
そこから放たれるものが何かはわからないが、先ほど熱いものを感じたことを考えるとプラズマかレーザー、すくなくとも何らかのエネルギー弾を撃ちだすものだと考えられた。となると、不利なのは翔一である。
あちらは遠距離から攻撃できる、しかもここはさして広くない学校の廊下。ほぼ一直線なのだ。避ける場所はほとんど無い、加えて翔一の持つESP能力は攻撃向きのものであって防御用のものではない。タイミングさえ合わすことが出来れば相殺することも可能かもしれないが、それは希望的観測というものだろう。
魔物の銃口が翔一に向けられる、そこから何かしらのエネルギーが放たれるよりも早く左腕からワイヤーを伸ばして魔物の右腕を絡め取った。思い切り力を入れて引っ張ると魔物はバランスを崩して銃口が天井に向く、そのとき銃口から青いエネルギー弾が撃ちだされ爆音も無く天井に穴が開く。予想は当たっていたらしい。
相手の重量がどれだけあるかはわからなかったが、左手にワイヤーを巻きつけて思い切り引っ張る。ワイヤーが肉に食い込み血を滲ませるが、そんなことに構っている余裕は無い。
浮遊しているせいだろうか、あまり重量を感じさせること無く魔物を手元に手繰り寄せることが出来た。生物型だったなら表情らしきものを読み取ることが出来たかもしれないが、この魔物はロボット型。それらしいものは読み取ることが出来ず、その巨体が接近してくるにつれて恐怖がこみ上げて来る。
近づいてくる速度が速い。こちらが手繰り寄せているのもあるが、向こうもこちらへと接近している。魔物の左腕についている構造物から一メートルはあるだろう刃が飛び出した。魔物は加速し、左腕の刃を突き出してくる。それを間一髪のところで避けたが、刃は頬を掠めて小さな切り傷を作った。
そのまま魔物は巨体を翔一へとぶつけてくる。かなりの重量があるらしく、思わず倒れるがその時に魔物の両腕を掴んで倒れながら巴投げを決めた。翔一の頭上を跳び越して魔物は頭部から廊下へと突き刺さる。衝撃が校舎を揺らし、天井から埃がぱらぱらと舞い落ちた。
左手から血を滲ませながらワイヤーを握り締めて引き寄せ、右肩の関節部分を狙って小太刀の一突きを見舞った。金属音が鳴り響いたが、何度も何度も叩きつけるようにすると魔物の右腕が廊下に落ちる。
魔物が左腕の刃を振るうがその時にはもう翔一は後ろへと下がっていた。切り落とした魔物の手はどういうわけかあっというまに粉微塵になってしまい、手のひらから砂のように零れ落ちる。
「イレギュラー、カクニン」
無機的な電子音声が魔物から流れた。それの意味は知らないが、翔一を敵として認識したということだろうか。ならば次は全力で向かってくるはずだ、見たところ避難は済んでいるようで人的な被害は出ないものと思われた。
腰に差していた小太刀も抜き放ち、両手に二本の小太刀を構える。次の一合いで勝負が決すると覚悟し、前に飛び出せるようにバネを溜めた。魔物も左腕の刃を構えたまま動かない。
呼吸を整える、先に仕掛けたのは魔物の方であった。ブースターでも積んでいるのだろうか、背中から炎が噴出し真っ直ぐ向かってくる。その速度は驚異的ではあったが対応できない速度ではなかった。
繰り出された左の突きを右の小太刀でいなしてかわし、能力を発動させて左の小太刀を逆袈裟に切り上げる。風の刃が形成され、魔物の前面を切り裂きそのまま廊下の端、鉄製の非常階段の扉まで飛ばしていった。
非常階段の扉は重量のある魔物が思い切りぶつかったせいか、頑丈な鍵が掛けられていたにも関わらず扉は外れて魔物ごと外へと吹き飛ぶ。その後を追おうとすると背後から「待ちなさい」と鋭い声が掛けられた。
振り返れば左手だけに黒い手袋を嵌めたエレノアがそこに立っている。
「御神君一人で行くのは危険だと判断します、私も同行しましょう」
「そいつはありがたい」
言ってから二人して走り出した、おそらく魔物は地面に落下しただろう。グラウンドには今、避難した生徒達でごったがえしているはずである。そんな中に魔物を突っ込ませるわけにはいかない。
非常階段の踊り場は柵が一箇所だけ外れており、そこに魔物がぶつかり落下したのだと推測できた。だが、翔一とエレノアがそこから下を覗き込んだとき魔物の姿は既に無い。地面にぶつかった形跡すらなかった。
混乱した生徒達の只中に向かったのではないのかと危惧した二人は即座に非常階段を下りて辺りを探ってみたのだが、魔物の痕跡は見つからない。倒したのだろうかと翔一は一瞬だけ思ったが、それにしては手ごたえが無かった。
魔物は死ねば、というよりも倒されれば塵へと姿を変えてこの世から痕跡を消してしまう。あのロボット型の魔物も翔一の一撃が致命傷となり、塵となってこの世から消えてしまったのだろうか。
いや、そんなはずはないと翔一は確信している。あれは姿を隠しただけだ。必ず、どこかに姿を再び現す。それも近いうちに、そんな予感がするのだ。連絡を受けたのか、遠くからパトカーと救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえた。
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その日、都島高校の授業は一時限目までしか行われなかった。いや、一時限目も途中で終わってしまったのだから結局授業はなかったということになるのだろう。それもこれも、一時限目の途中に現れた魔物のせいだ。
テレビもラジオもその話題で持ちきりになっている。現れた魔物はハンター資格を有している生徒が対処したのだが、止めを差したかどうか確認できていないらしい。報道では未成年ということもあってか名前が出されていなかったが、朝日村恵里香は誰が対処したのかを知っている。
避難誘導をしている途中、二年生の御神翔一が魔物と戦っている現場を目撃したのだ。なぜ、彼が魔物と相対していたのか理由は知らないがとにかく魔物と戦っていたのは二年生の御神翔一である。
名前と顔は知っているが、恵理香は彼と直接面識があるわけではなかった。たまたま彼が教師に叱られている現場を目撃していたから名前と顔を知っていただけのこと。ハンターだというのを知っていたのは、叱っていた教師が彼に向かって「ハンターなのだから」というようなことを言っていたからである。
どうやら彼は問題児であるらしく、職員室の前を通ると度々彼の名前が聞こえてくることがあった。それに加えて、学年が違うというのに彼の名前は三年生にも有名なのである。どう有名なのかといえば、ハンターとしての仕事を行う時は常に学校の制服を着用しているというのがその理由だ。
彼が如何なる理由でハンターとして活動する際には制服を着用するのか、恵理香にとってはどうでもいい。問題はただ一つ、本当に校舎に現れた魔物が駆逐されたのかというところにある。
カラヤンの指揮する組曲惑星の第四曲木星をBGMにしているためテレビが何を言っているのかはわからないが、映されているのはヘリからの俯瞰映像だった。カメラが向けられているのは恵理香の見慣れた校舎である。
立ち上げたままにしている自分用のノートパソコンのデスクトップに表示させている時計を見れば時間は午後三時をまわったところ。魔物が駆逐されたと思われる時間から五時間半ほど過ぎている。
通常ならば魔物が現れたところでニュースになりこそはすれ、生中継されるほどではない。それにも関わらず新聞のテレビ欄を見ればこの時間帯は昔のドラマの再放送をやっているはずで、ニュース番組の時間ではなかった。ということは今放送されているのは臨時ニュースということになる。
これだけの事件というのは珍しい。時々、大和府ではないが他府県で魔物が屋内や一定地域に立てこもった場合はこういった臨時ニュースが放送される。だが、今回のケースでいえば魔物は既に駆逐されているはずなのだ。
だというのにテレビに映される校舎は敷地の外を警察の機動隊に囲まれており、厳重封鎖されていた。具体的な内容が知りたくなり、ミニコンポの停止ボタンを押してBGMを中断させるとテレビの声が聞こえる。
それによると、対応したハンターは魔物に手痛い一撃を食らわせたのは確実なのだが、塵になる瞬間を見ていないという。どういう理由かは知らないが、門から現れた魔物はその活動を終える時になって粉みじんになり風も吹いていないのにどこかへと吹き飛ばされていくのだ。そんな光景は恵理香自身もハンターとして活動している中で何度も見ている。
魔物が塵になりこの世から痕跡を消し去るのはかなり早い。早いとはいっても、一分ほどはかかるだろうか。少なくとも恵理香が倒してきた魔物はどれも一分前後で塵となり、大気の中へと消えていった。おそらく魔物が塵になるのは約一分とみて相違ない。
となれば対応したハンター、御神翔一が痛恨の一撃を当てたにも関わらずその塵になる光景を見ていないというのはおかしな話ということになるのではないだろうか。警察は翔一にかならず質問しているはずであり、彼はそれを包み隠さず答えたのだろう。
魔物の姿は学校から避難するときにほんの一瞬の時ではあったが恵理香もその姿を見ていた。校舎に現れた魔物の姿は恵理香にとってはかなり奇異なものだったのである。今まで見てきた魔物は珍妙奇天烈な見た目こそしていたが、生物、と呼ぶに値する外見をしていた。
しかし、今回現れた魔物は生物とはとても呼べない見た目をしていたのだ。全身を白い金属板、装甲と呼んで差し支えないものに覆われていた人型ロボットのような見た目であった。ただし足はなく、脚部らしき部分はスカート状の装甲で覆われ廊下から一定以上の高さを浮遊していたのである。
右手にはライフルのようなものを持っており、左腕外腕部には実体ブレードを備え、背中には二門の折りたたまれた砲身が積まれているのをこの目で確認していた。あれだけのロボットを作るとなれば高度なテクノロジーが必要となるのは当然のことで、ロボット産業が他国と比べて進んでいるといわれるこの日本ですらああいったロボットを作るのは不可能だろう。
それに、そもそも日本が製造しているロボットは戦闘用のものではない。あんなものを作るとしたらアメリカか、それかロシアあるいは中国だろうが、どこの国も当然ながらあれだけのものを作る技術力は持っていなかった。それに今はESP能力者がいる。戦闘に導入するのならば、それに向いた能力者を探して訓練させた方がコストは低くなるのだ。
こういったさまざまな憶測を交えたとしても、あれが魔物だと認める以外に他ない。恵理香にとっても学校に魔物が現れたのはショックなことではあるが、それがここまでの騒ぎになってくると返ってショックから立ち直れる。
なにせ自身もハンターなのだ。都島高校をそこまで愛しているわけではないが、自分の学び舎で何が起きているのかは気になる。そして恵理香はライセンスを持っているため、それを知る手段があるのだ。
今まで見てきた魔物は全て醜悪な外見をしていようとも生物と呼べた。しかし、今回見た魔物についてはとてもではないが生物らしき外観をしていなかったのである。それも気になり、恵理香はテレビから視線を逸らし立ち上がりノートパソコンの前に座りなおした。
インターネットブラウザを立ち上げて、ハンター専用サイトへと接続する。自身の所有しているハンターIDとパスワードを入力フォームに打ち込んで、専用のページへとログイン。
現在、受諾可能な依頼の一覧をざっと眺める。その多くは各自治体からのものだ。ほとんどが調査である。基本的に魔物が出現した場合、警察が対応しそれで対応しきれない場合にのみハンターが出てくるのだから当然だろう。
それに聞いた話によればだが、魔物の殲滅などはエリートハンターやハンター専門校に属しているハンターのもとへ優先的に依頼が流れるようになっているとも聞いた。どこまで本当かは知らないが、ハンター専用サイトには確かに殲滅系の依頼は少ない。
出されている依頼をざっと眺めながら目的のものはなさそうだ、と思いながらも依頼を新着順で改めて表示させると一番目に大和府警からの依頼が現れた。内容は魔物の殲滅、もしやこれはと思いクリックして詳細を表示させると、案の定それは恵理香が望んでいたものである。
場所は都島高校、依頼文章を掻い摘んで要約すると『現在、都島高校に潜伏している魔物を討伐』となっていた。これで都島高校に未だ魔物が潜んでいることが確認できたわけである。そのまま画面をスクロールさせ、一番下にある依頼を受諾するかどうかのボタンを表示させた。迷うことなくそのボタンをクリックすると、ポップアップで依頼を受諾しましたと表示される。
ポケットに入れたままにしていた携帯を取り出して、じっとサブ画面を見ているとすぐに着信が来た。電話番号は大和府警のものである。即座に携帯を開いて通話ボタンを押して耳にあてた。
「朝日村恵理香さんですね?」
女性オペレーターの無機的で静かな声が電話口から聞こえる。「はい」と答え、相手が問うよりも早くに自分のハンターIDとパスワードを言うと聞き逃しそうなほどの小さな溜息が聞こえた。
「本人であることを確認しました。再度、確認いたしますが本件の依頼を受けてくださいますか?」
「もちろん」
「ご協力感謝いたします。報酬の方は案件が済み次第、登録されている口座に振り込まれる形になります。既に都島高校周辺に機動隊が展開していますので、即座に都島高校へと行ってください。ハンターライセンスを見せれば担当者の下へと案内させます」
「具体的にはどのぐらいの時間を目安に? また現在の状況を教えてください」
「目安になる時間はありません、早ければ早いほど。こちらに入っている現在の情況は、魔物は都島高等学校内の敷地に潜伏、機動隊が敷地を包囲し魔物の脱出を阻んでいます。また二名のハンターが既に案件に従事しておりますので、彼らと協力していただきます」
「了解しました。最後に今回協力することになるハンターの名前を教えてください」
「御神翔一、エレノア・ハルトマンの二名です。お伝えする情報は以上でよろしいでしょうか?」
「充分です。それでは即座に現場へと急行いたします」
「ご健闘祈ります」
電話を切ってクローゼットからジーンズを取り出して、ジャージと履き替える。ジャージの方が動きやすいのだが、見栄えは大事だ。持っていくものと言えば特に無い。強いて言えば携帯電話と家の鍵だけだ。
父親はまだ会社から帰ってきていないし、母親はパートから帰ってきていない。今は恵理香一人だけであり、出かけるのならば戸締りをしっかりとする必要がある。母親は五時までには帰ってくるだろうし、父親も残業さえなければだが六時前後には帰宅するだろう。それがいつもの朝日村家の日常だ。
今日は魔物の出現で既に日常は崩されたとはいえ、根源である魔物さえ倒してしまえばすぐにまた日常は戻ってくる。家から高校へは歩いてせいぜい二〇分ほど、往復しても一時間は掛からない。
全員が高校生とはいえ、ハンターが三人もいれば魔物も一ひねりだろう。魔物を殲滅しても警察に対して報告書を提出する必要があるが、あったことをそのまま書くだけなので報告書を作成するのに時間は掛からない。
要は魔物を討伐するまでにどれだけの時間が掛かるかだろう。こればかりは予測がつかない。それでもハンターが三人いるのだし、そのうちの一人である御神翔一は午前中に一度戦闘を経験している。
本当なら魔物の情報はない状態から始まるものだが、今回は稀有なことにある程度魔物の情報が既にあるわけだ。今まで経験してきたものより楽勝、と思うことは無かったが他と比べればきっと楽に違いない。
家の戸締りや電気の消し忘れが無いかを確認してから限界に向かい、靴箱からハンターとして使用するときだけ履くようにしているコンバースのスニーカーを取り出す。いつもは革靴を履くようにしているのだが、さすがにハンターとして活動をするのに革靴では動きづらすぎる。
実のところを言えばスニーカーはあまり好きではないのだが、贅沢はいえない。履き心地が嫌いというわけではないのだが、見た目が嫌いなのだ。ファッションによってはスニーカーもよく映えるが、それだとスポーティになりすぎる。そういうファッションを恵理香は好かない。
家をでる前に忘れ物はないかを頭の中で再度確認し、誰もいない家の中に向かって「行ってきます」と言ってから家をでた。今回の仕事は楽に終わり、両親が帰ってくるよりも早く帰ってこれるだろうと信じて。
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エレノア・ハルトマンと御神翔一の二人は学校に警察が到着してからずっと拘束されていた。他の生徒達は魔物が出現し避難した後、どこかに集合することもなく帰宅している。校則でそうなっているのだ。
本来ならエレノアも翔一も帰宅してしかるべきなのだが、二人の場合は事情が異なってくる。二人とも校内に現れた魔物を目撃しており、エレノアは交戦してないものの間近で目撃し翔一が交戦している現場を見ていた。
そして翔一はといえば魔物の第一発見者であると同時に、即座に他の生徒の安全を確保すべく対処したため事情聴取を受けなければならなかったのである。本来ならエレノアも翔一も事情聴取が済んだ時点でお役御免とならなければならないのだが、そうはならなかった。
魔物が現れた場合、警察の対魔物及びアウトロー特殊部隊であるESATが別の現場に出動してしまっていたのが一つの要因である。大和府は東京都に次ぐ大都市圏であり、特殊部隊であるESATも二個班設置されているのだが、一つは他府県のESATとの共同訓練で不在。のこるもう一班はといえば、なんでもESP能力者を悪用している犯罪者組織の摘発に出動しているとのことらしい。
よって、現在大和府警内に魔物を殲滅できる人間がいなくなってしまったため止む無くハンター資格を有するエレノアと翔一の二人が残されてしまったわけである。といっても無償でというわけではない。エレノアは自分の通っている学校が関係しているわけだから無償でも良かった、聞いたわけではないが雰囲気から察するに翔一も無償で働く様子であった。
しかし警察側は法律や手続き上の問題を理由にして、正式に二人を今回の魔物事件に対応するハンターとして雇ったのである。報酬額は二○万円。高校生が受け取る額にしては破格としか言いようがないが、ハンターとしての報酬としては標準的なラインだろう。
幸いなことに、魔物に止めを差すことは出来ていないが警察が迅速に機動隊を展開させたことにより魔物を校内に閉じ込めることが出来た。さらに警察内に魔物の位置を感知するESP能力者がいるらしく、その能力者が言うには魔物は学校の敷地内からは出ていないということである。もっとも、それ以上の詳しい位置はわからないとのことであったが。
それならそれで既に二人のハンターを雇ったのだから投入すれば良いと思うのだが、警察は午後の三時を過ぎても出動の命令を二人に与えなかった。近所に家がある翔一は一度家に帰り武装を整えているし、エレノアも最初から武器であるワイヤーソーを携帯しているから武器に関しては問題ない。
さらにいえば警察は自衛隊等で正式採用している89式小銃を貸してくれるという。エレノアはその申し出を嬉しく思い、89式小銃を借りることにしている。これで二人とも武装にはまったく問題が無い状態になっているのだが出動の許可は出ない。
翔一は警察の事情聴取が終わってからすぐに出動しようとして何度も制止されている、今もすぐに飛び出したそうな雰囲気を漂わせてはいるが我慢しているようであった。それはエレノアも同じで、彼のように行動に出すこはしなかったが内心では早く校内へと突入したい。魔物が出現してから既に約六時間が経過しており、今はまだ学校の敷地内に留まっているとはいえ、いつ飛び出してくるかわからないのだ。
もし街中に魔物が飛び出すようなことになれば都島区全体がパニックに陥るのは避けられない。そのためにも即座に魔物を殲滅すべきであり、そのことはエレノアも翔一も意見を同じくして警察に何度も掛け合った。しかし彼らは二人を動かそうとはしない。
そんなわけで、今二人は学校の正門前に張られたテントの中でパイプイスに腰掛けていた。正門周辺にはヘルメットに防弾ベスト、そして67式小銃やH&K社のサブマシンガンであるUMPを手に持った機動隊員たちが列を成している。そんな彼らの姿を見ていると機動隊というよりもまるで軍隊だ。
「いつになれば動けるようになると思います?」
向い側に座っている翔一に声を掛ける。彼はエレノアの背後、正門の向こうにある校舎をずっと見つめながら「知るかよ」と答えた。
「そういうエレノア、お前はどうなんだよ?」
首を横に振って返答すると彼は深い溜息を吐く。そういえば彼はいつから「エレノア」と呼ぶようになったのだろうか。彼とは同じクラスで席も近く、話す機会はよくあったが彼は今までエレノアのことを名ではなく姓であるハルトマンで呼んでいたはずだ。
「御神君に尋ねたいんですが、いつから私のことを名前で呼ぶようになったのですか?」
そう聴くと翔一の視線が僅かに動いてエレノアを捉えた。
「そういえばそうだな、俺お前のことはずっと苗字で呼んでたしな。名前で呼ばれるの嫌か? 嫌なら呼び方はすぐにでも戻すけど、俺としてはこっちのほうがなんだかしっくりくるから名前で呼ばせてもらいたいっていうのが本音にあるけどね」
「あなたがそう思うのでしたら名で呼んでくださって構いません。苗字で呼ばれるのは嫌いではありませんが、どちらかといえば名前で呼んでくださるほうが嬉しいです」
翔一の瞳が丸くなる。
「名前の方が嬉しいだなんて、お前らしくない言葉だな……同じクラスの女子だってお前のこと名前で呼んでるやつほとんどいねぇだろ?」
「私が強制してそうしているわけではありません。彼女たちがなぜか私のことを名で呼びたがらないだけです、理由はわかりませんが」
この言葉を聞くとなぜか翔一は声を立てずに笑い始めた。その表情はとても可笑しそうで、見ているとなぜか苛立ちを感じる。
「なぜ笑うのですか?」
睨み付けながら言ってみたもののまったく効果は無く、却って彼を余計に面白がらせる結果となってしまった。エレノアとしては翔一がなぜここまで面白がるのか理解に苦しむ。より苛立ちが募り、さらに何か言ってやろうと思ったのだが視界の隅にこちらに近づいてくる人影が映ったのでそちらに視線を映した。釣られて翔一もエレノアと同じ方向へと視線を向ける。
二人がいるテントに向けて歩いてくるのはスーツ姿の一人の刑事だった。名前は聞きそびれているが、ハンターに関する件を担当している人間らしく彼を介して警察と今回の契約を結んでいる。
その刑事の一歩後ろに一人の少女が付いて歩いてきていた。少女はシャツにジーンズそれにスニーカーというカジュアルな出で立ちである。その顔にはどこかで見たような覚えがあるのだが、どこで見たのかまでは思い出せない。
ちらりと翔一へと視線を向けると、彼は彼女の事を知っているのかげんなりとした顔で溜息を吐いた。
「あの方が誰か知っているのですか?」
小声で尋ねると彼は呆れたように深い溜息を吐いた。知らないのがおかしいとでも言いたげであるが、エレノアは彼女が誰かわからない。見覚えがあるのは確かだからどこかで挨拶ぐらいはしているのかもしれないのだが、それがどこだか思い出せないでいるのだ。
まだ距離はあり、挨拶をするには微妙なところであり今のうちに聞いておくべきだと考え翔一に尋ねると「先輩だよ」と短い返答が返ってきた。それでエレノアも少女が誰なのかを思い出す。
同じ学校に通う生徒だ、名前は忘れてしまったが朝日村という苗字だったはずである。一学年上で先輩にあたり、同じハンターであるということから顔と名前だけはお互いに知っていたため度々挨拶を交わしていた。
それなのになぜわからなかったのだろう、と思ったが疑問は一瞬で解ける。考えてみれば彼女の制服姿しか見たことが無かったのだ、私服姿を見るのはこれが初めてであり制服を着ているときの印象が違ったので見分けが付かなかった。我ながら嘆かわしいことであるなと思いつつも、先輩が来たということなので座っているパイプ椅子から立ち上がる。
真似をしなくても良いと思うのだが、翔一も同じように椅子から立ち上がった。非常に面倒くさそうに見えたが、剣術を学んでいるというだけあって礼儀は重んじるようにしているのだろう。
「こんにちは先輩。高城さん、まさかハンターを追加投入するために俺たち待たせたとか言うんじゃないでしょうね?」
翔一のこの苛立たしげな言葉でようやく刑事の名前が高城であったことを思い出す。高城と呼ばれた刑事は無言で頷き、彼を肯定した。雇い主である警察の代表、そして学校の先輩がいる目の前だというのに翔一は舌打ちを一つ。彼の気持ちもわからないではないが、流石にそれはすべきではない。
「御神君にエルトマンさんには非常に待たせて申し訳なかったね、ハンターが二人だけでは不安だという上層部の意見により今までハンターを探していた。今こちらに連れてきたのが朝日村恵理香さんだ。彼女は都島高校の三年生だから、面識もあるだろう」
「お久しぶりです朝日村先輩」
「えぇ、お久しぶりハルトマンさん」
特に彼女とこれといった親交があるわけではないのだが、先輩なのだから挨拶は重要である。恵理香がハンターとして活動していることは知っているが、彼女がどのような能力を持っているのかは知らない。
翔一の方はといえば彼女のことを知っているのか、非常に不満げな表情を見せていた。先輩に対してあからさまにそういったことをすべきでないのは当然のことなのだが、彼にはそういった常識が欠けているのだろうか。それとも恵理香のことを知っているからこその反応なのか、どちらかはわからない。
「これから私は君たちに貸し出すための89式小銃とマガジンを持ってくる、それまでの間は……必要ないかもしれないが自己紹介するなりなんなり、適当に話でもしていてくれ」
そういうと高城刑事は背を向けてテントから去っていった。恵理香はというと二人に向けて会釈を一つすると空いていたパイプ椅子に座る。さて、どうしたものかと思案していると翔一が椅子に座りなおしたのでエレノアもそうすることにした。
主に翔一が原因なのだが、場には重たい空気が流れている。これから共に魔物を殲滅させることになるのだから、出来るだけ和やかな空気に持っていきたい。しかし、その方法が見つからなかった。
「二人とも難しそうな顔ね、今回の魔物はそんなに強力なやつ?」
おそらくは場の空気を軽くするためだろう、恵理香は笑いながら二人に尋ねる。エレノアは魔物を至近距離で目撃してはいるが、交戦したわけではないため答えることが出来ない。止むを得ず答えてもらうために翔一へと視線を向けると彼は溜息を一つ吐いた。
溜息を吐くのが癖、というわけでもないだろうが彼が溜息を吐く回数はやたらと多い。
「それは先輩の能力次第だ、先輩がどんな能力を持っているか。それで変わってくる、はっきり言って今回の魔物は近距離から遠距離までオールレンジに対応してる。けれど俺とエレノアは近距離から中距離までがせいぜいだ、だから先輩が遠距離に対応していると嬉しい」
「それなら問題ありませんよ、この敷地内なら私の射程距離圏内です。だけど……」
恵理香は途中で言いよどむと校舎の方へと視線を向けた。しばらく何か考えたように見えた後で、また翔一へと視線を戻す。
「ここじゃ無理ね」
「使えねぇな」
恵理香が言うと即座に翔一は彼女に不躾な言葉を浴びせかけた。彼女の眉が僅かに釣りあがるのをエレノアは見逃さなかったが、その動きを彼が見ていたかどうかはわからない。
「そういうあなたはどうなんです? 御神君? 使えるの? 使えないの?」
挑発的なその言葉に翔一は立ち上がり、見下ろしながら恵理香を睨み付けた。しかもそれだけでなく、左手はさりげなく腰に対して水平に差している小太刀の柄に伸びている。正に一触即発の空気。
「試してみますか、先輩?」
あからさまな挑発の一言。これには恵理香も耐え切れなかったのか、彼女の瞳に怒りの炎が灯った。何をする気かはわからなかったが、彼女は僅かに口を開けて息を吸い込む。これは直感であり確証ではなかったが、エレノアは恵理香が能力を使用するつもりだと悟った。
わざとらしい咳払いを一つして、二人の視線を一身に浴びる。両方とも邪魔するな、とでも言いたげであったがこんなところでケンカされてはたまったものではない。しかもESP能力を使用しようとまでしているのである、止めなければどうなるかわかったものではなかった。
「朝日村先輩の能力と武器は何ですか? 先に答えておきますと私の武器はワイヤーソーです、能力はパイロキネシスと言えばわかりやすいかと思います。厳密には違いますが、細かいところを説明してもキリがありませんので」
エレノアの言葉で流れが変わったと感じたのか、相変わらず機嫌が悪そうに翔一はイスに腰を下ろした。内心でほっとしながらも恵理香の言葉を待つ。
「パイロキネシス、便利そうねぇ。私は音、というよりも空気の振動を操ると言ったほうが良いかもね」
「それでさっきここでは無理と言われたのですね」
恵理香が頷く。それに対して翔一が説明を求めてきた。このぐらいのこと簡単に理解して欲しいものだが、彼の成績を考えるとそれも無理があるのかもしれない。
「あなた、物理の授業をちゃんと聞いていましたか? これは高校レベルじゃなく、中学生レベルの話ですよ?」
エレノアがそう言うと「数字が絡むのは苦手なんだよ」とぶっきらぼうに言い返された。思わず溜息を吐きたくなってしまうが、ぐっと堪える。ただでさえ翔一が溜息を吐いてばっかりいるのだ、これ以上誰かが溜息を吐けば空気は重くなるだけだ。
「簡単に言えば効果範囲が広すぎるということです、振動で相手を潰そうにも周囲のものに被害を与えてしまう可能性があります。空気の振動、つまり音は一箇所だけに集められるものではありませんからね。ですから先ほど先輩はここでは使えないとおっしゃったんです、意味が分かりましたか?」
説明してやると彼はゆっくりと首を縦に振ったが、目はこちらを向いていない。これではちゃんと理解してもらえたかどうかは分からないではないかと怒りを覚える。エレノアが翔一に対して話をするといつもこうなのだ、聞いているのか聞いていないのか分からない。
普段からのこともあり、ここは一つキツく言い放ってやるべきかと考えて言葉を捜していたが「やぁ、待たせたね」という高城刑事の声で思考は中断された。やってきた彼は両肩に自衛隊が正式採用しているアサルトライフルである、89式小銃を抱えている。
それを慎重にテーブルの上に置くと、着ているコートのポケットの中からマガジンを四つとライフル弾が二〇発ずつ入った紙箱を六つ取り出し、それもまた同様にテーブルの上に置いた。
「話は済んだかな?」
「一応な」
心底機嫌が悪いのだ、とでも言いたいのか翔一は腕と足を組みながら答える。その視線はやはり高城刑事に向いているわけではなかった。どこを向いているのだろうと辿ってみれば、その先には校舎がある。もしかすると彼は今こうしている瞬間にも中に突入したくて仕方がないのかもしれない。
最初、彼はやたらと魔物が機動隊による防衛線が突破されないかという不安を口にしていた。そのうち言葉にしなくなったのだが、内心ではずっと心配し続けていたのだろう。今ではあまりに溜め込みすぎてそれが怒りへと変質しかかっているに違いない。
「御神君には待たせて悪いな、こっちにも都合があってね」
「そんなことは知ってますよ。高城さんも俺の性格わかってるんでしたら、さっさと説明始めてください。そんな言葉は俺には不要ですから」
「そうだな、ではさっそく始めよう」
高城刑事は翔一の隣に置いてあったパイプ椅子に座ると、エレノアと恵理香の顔を眺める。彼と翔一とはそれなりに付き合いがあるらしいが、少なくともエレノアは彼と初対面だ。どういう人となりをしているのか、高城刑事は観察しているに違いない。
それも一秒ほどだったろうか、二人の顔を眺めていた高城刑事は「さて」といって話をし始めた。
「ニュースにもなっているから朝日村君も知っているだろう、現在魔物は校舎に潜伏している。これは確実だ、我々警察の中に魔物の位置を正確にとはいかないがあるていど細く出来るESP能力者がいるからね。まずは御神君の話を元にした今回の魔物の情報を――」
「省いてくださって結構です」
高城刑事の言葉を恵理香が遮った。これは重要なもののはずだが彼女はそれを省けという、翔一にちらりと目をやってみれば彼は案の定怒りの篭った視線で恵理香を睨み付けている。だが彼女はそれを意に介さない。
「実際に見ましたから」
「相手の防御力および攻撃力などを含めた総合的な戦闘能力についてわかってるっていうのか?」
恵理香の言葉に翔一が不躾な言葉を発する。だがこれは彼女の方が大人だということなのだろうか、それともただ冷静だっただけなのかどちらかは知らないが「わかりません」という返答を返した。
「だろうな」
また翔一の視線が校舎へと戻る。また空気が重たくなり、これには高城刑事も困った顔をしていた。恵理香もどうすべきかわからないのか、ちらちらとエレノアに視線を向けてくる。こういった役割は苦手なのだが、他に出来る人間がいないのだから仕方が無い。
それにエレノアも魔物とは交戦していないのだ、この場にいる人間の中で今回の魔物についてもっともよく知っているのは翔一以外にいなかった。
「私も魔物は目撃しました、けれど交戦はしていません。事前に聞いておけば良かったと思いますが、御神君。あなたはあの魔物はどうだったんですか?」
「強いよ」
校舎から視線を逸らすことなく彼は言った。そして続ける。
「見た目は目撃してるんだったら知ってるから省略する、少なくともやつの皮膚というか装甲はおそらく弾丸を通さないと想定できる。至近距離なら通用する可能性はあるかもしれないが、可能性はおそらく低い。但し、装甲に覆われていない各関節駆動部にならばダメージを与えることは出来るはずだ。実際に俺はヤツの右腕を方から切り取った、だからといって今のヤツに右腕が無いという保障はどこにもない。左腕には刃渡り一メートルほどの実体型の刃を装備、切れ味はわからないが人を真っ二つにするぐらいは余裕だと思う。背中には二門の砲身らしきものがあったが、それがなにかはわからない。だがある程度予想はついているんだが聞くか?」
エレノアと恵理香の二人は揃って頷いた。
「今回の魔物は右腕に高エネルギーを発するライフルを持っていた、それは点に対する攻撃。俺が予想しているのは肩にある砲は面制圧が可能なものだと考えてる、機関砲なのか榴弾なのか、どちらかはわからない。だが面制圧が可能だとは思う」
「その根拠は?」
恵理香が尋ねた。同じことをエレノアも考えている。彼の予想が当たっているという保障はどこにも無い。
「その方がバランスが良いからだ、右腕のライフルは点で確実にしとめる。左腕の刃は接近戦用、なら欠けているのは面で制圧できるもの、理由はそれだよ。後は勘、信用してくれなくて構わない。俺も自分でこの考えを信用してよいかはわかっちゃいないんだ」
「でも、スジは通っている」
恵理香が呟いた。エレノアも同じことを考えている。確かにその方がバランスはよいのだし、あれが作られたものであるにせよ進化の上であぁいう形態を獲得したにせよ、面制圧の武器を持っている方がバランスは良いのだから持っている可能性は非常に高い。
彼の授業中の態度、そしてテストの点数も知っているがこれほど頭の回る人間だとは思っていなかった。その点は感心するに値すべきことだが、彼の言っていることに根拠はまったくないのだ。現時点ではただの可能性の一つにすぎず、予想だにしていないものを魔物が持っているということも考えられる。
「なぁ、先輩……音を操るっていうんだったら、その耳をソナーみたいにはできないのか? できればレーダーの方が嬉しいんだけど」
「理由は?」
「魔物の位置の特定。高城さんの話だと校舎にいるのは確実みたいだけど、正確な場所がわからない。もし、先輩が敵の位置を把握できるというんだったら少なくとも不意打ちだけは防げるだろ」
彼の意見にエレノアも、黙っていた高城刑事も賛同し三人とも恵理香へと視線を向けた。彼女は僅かに俯いて深呼吸を行い、顔を後者へと向けて両手をそっと耳に当てる。よく音が聞こえるようにするためだろうか。
「機械の駆動音が聞こえるけれど、これは多分空調ね……その場所を動く様子がない、当然だけど足音もしない。どこかに留まってるんじゃないかしら?」
「それじゃ決まりだな」
言うと同時に翔一はテーブルに手を突いて立ち上がった。
「作戦は決まりだ、先輩は後衛でレーダー。俺とエレノアが前衛、エレノアと俺は両方ともワイヤーが使える。どちらかが相手を拘束して、全力で必殺の一撃を加える。俺はこれがベストだと思うね」
彼の言葉を反芻しながら、その作戦が本当にベストなものか考える。確かに、翔一もエレノアもワイヤー使いであるから、二人とも魔物にワイヤーを絡めて動きを止めることは可能だ。それにエレノアの場合、熱伝導性の極細ワイヤーを使用しているため焼き切るといったことも出来るかもしれない。
しかし、魔物の装甲が耐熱に優れていた場合はエレノアのワイヤーは無意味なものとなってしまう。
「御神君、提案が一つ」
「なんだよエレノア?」
「アタッカーは私がやります、あなたはワイヤーで敵の動きを止めてください。私のワイヤーは切断を目的にしているため、あなたのものよりも細い。けれど御神君、あなたのワイヤーは捕縛用、当然私のものよりも強度がありますよね。ならばあなたが捕らえた方が確実性は高い」
「必殺の一撃はどうする?」
「私の能力はパイロキネシスだと言いましたが、直接手で触れることができればその物質を融点まで持っていくことが出来ます。先輩が敵を捕捉し、御神君が拘束、そして私が魔物に一撃を叩き込んで仕留める。各人の装備と能力を考えた場合、これが最もベストな作戦だと思います」
エレノアが言い終えると小さな拍手の音が聞こえた。手を叩いていたのは高城刑事だ、その顔には笑みが浮かんでいる。
「ハルトマン君だっけ、すごいね君は。まるでESATの戦術指揮官みたいなことを思いつく」
「いえ、論理的に物事を考えただけです」
「それを出来る人間ってのが最近は少ないんだよ、うちにも感情的になるやつが多くてね。卒業後はESATに来ないかい? 警察学校に通う必要はもちろんあるけれど、私が推薦しようじゃないか」
「高城さん、今はそんなことを言ってる場合じゃないでしょう。被害が拡大しないうちに魔物を殲滅し、安全を確保することが一番大事だ」
翔一の言葉に高城刑事は頷いた。
「そうだね、彼のいうとおりだ。突入のタイミングについてだけど朝日村君が敵の動向を察知できるみたいだし、君たちに任せるよ。あ、そうだ無線機をまた持ってくるから出来ればそれまでの間に準備をしておいて欲しい。じゃあまた」
そう言い残して高城刑事はまたテントから去っていく。翔一は相変わらず魔物のことが気になるのか校舎を凝視しており、エレノアと恵理香はといえば高城刑事が持ってきたライフルとマガジン、そして弾薬をみていた。
89式小銃にはマガジンがまだ付けられておらず、用意されているマガジンを手に取ってみたが軽い。中にはもちろん弾は込められていなかった。どうやら自分でやれということらしい。
最初から込めてくれていれば手が省けて良かったのに、とエレノアが思っている間にも恵理香は早速マガジンを一つ手に取り弾丸を丁寧に込めていく。その姿を見て、今は何か考えるよりも早く準備をするのが先だということを思い出した。
無心で弾を込めていたのだが、ふと気付いたのだが恵理香はアサルトライフルを使用した経験があるのだろうか。今日は手元にないが、エレノアは普段MSG90という軍用のライフルを使用しているため扱いには慣れていた。
「そういえば先輩にお聞きしたいのですが、ライフルはよく使用されるのですか?」
「基本的に能力だけで戦うからあんまり使わないわね、時々こうやって貸し出してもらえる場合は使ったりするけれど……何か心配?」
恵理香の方を見ずに弾を込めながら話していたため彼女の表情は分からなかったが、音で恵理香が作業の手を一旦止めたのが分かった。
「いえ、心配事があるわけではないのです。ただ、コツを知っているのかな? と思いましたので」
「コツ、射撃の?」
「弾を込める時のコツです。装填不良を少なくする込め方があるんですよ」
「それは知らないわ、ぜひ教えて欲しいものね」
「簡単ですよ」
言ってる最中にエレノアはマガジンに弾を込めるのを止めた。マガジンは三〇発入りのものだが、二八発しか装填していない。だがこれで良いのだ、限界まで弾を込めてしまうとバネに負担が掛かるため装填不良を起こす可能性が少しだけではあるが高くなってしまう。
「限界まで弾を入れないことです、後は――」
言いながら弾を込め終えたマガジンをテーブルで軽く叩く。
「こうやって軽く叩いてやると弾がマガジンの中で綺麗に並んでくれるので、装填不良がさらに起きづらくなります」
「詳しいね、普段から使ってるの?」
「普段はアサルトライフルでなく、スナイパーライフルですが」
「へぇ、そう」
恵理香はそう言うと弾を込め終えたマガジンを軽くテーブルで叩いた後、もう一つのマガジンに手を伸ばした。エレノアは既に二つ目のマガジンに弾を込め始めている。二人の作業をじっと翔一が見つめていた。彼は早く突入したいらしく、貧乏ゆすりをしている。
「そういえば……私たち見られてるのよねぇ」
彼女の言葉に手を止めると、恵理香は空を仰いでいた。とはいえテントの中にいるため空が見えるわけではないのだが。「みられている」との言葉が何を意味しているのかすぐにはわからなかったが、ヘリコプターの音ですぐに思い出した。
エレノアは見ていないが、テレビ局のヘリコプターが上空を旋回し中継しているのだ。翔一とエレノアの二人は警察が来ると即座に合流し、その後すぐ張られたこのテントの中にいたためテレビ局のカメラには写っていないだろう。
しかし、突入するとなればどうしても校庭を通らなければならない。そうなるとカメラは自分たちに注目するだろう。顔が映ることはないだろうが、服装ぐらいは分かるかもしれない。
「見られるのは好きじゃない……」
翔一がぼそりと呟いた。
「私も好きじゃありません」
恵理香が同意する。エレノアも彼らと同じ意見だった。見られるのは好きじゃない、顔までは分からないし警察が個人情報を保護してくれるだろう。だからといって今着ている服を着替えるわけにはいかないから、恵理香以外は都島高校の生徒であるということがすぐに発覚するはずだ。
そうなった時、テレビはどのように報道するのだろうか。多少の興味は湧きこそすれ、やはり嫌悪感が強い。面白おかしく、ではないが視聴者がそれなりに楽しめるように脚色して報道するのは間違いないだろう。
「どうせお茶の間の話題になるだけだ……見世物じゃねぇのにな」
翔一がエレノアの意見を代弁してくれた。彼の言うとおりである。テレビ、いやマスコミは必ず脚色して報道することだろう。そして新聞には美辞麗句が並べ立てられ、テレビもそれに倣うはずだ。考えただけで嫌気がさしてくる。
「でも、それが彼らの――」
恵理香が何かを言おうとしたが途中で止めて、背後の校舎へと振り返った。「どうしたんだよ?」と翔一が尋ねるが恵理香は答えずに、手を耳にそっと当てて何かを聞こうとしている。
エレノアも耳を澄ましてみたが、聞こえてくるのはまずヘリコプターのローター音。そして周囲に展開している警官達の声の二つだけである。それ以外には何も聞こえてこない。しかし、恵理香は能力で校舎内の音を聞くことが出来るのだ。もしかすると魔物が動きを見せたのかもしれない。
同じことを考えたのか翔一は両の小太刀の柄に手を掛けて立ち上がり、エレノアも弾を込め終えたばかりのマガジンをライフルにマガジンを装填し、薬室に弾丸を込めて銃口を校舎へと向けた。
視界の中に変化はないが、音はそうでもないらしい。恵理香の顔色が怪訝なものへと変わる。
「何が聞こえるんですか先輩?」
尋ねてみると恵理香は独り言のように「これは、歌?」と小さな声で言った。
「魔物が歌っているってのかよ先輩?」
「静かにして!」
恵理香は翔一に掌を向けて喋るなという意思表示をする。普段の彼ならば機嫌を損ねそうなものだが、魔物が関係しているとあってはそのような態度は見せない。警戒心を露にし、じっと校舎に鋭い視線を向けている。
「これは……キャスティン・ハストの歌劇ね、題名は確か死を謳うもの」
「どこの歌ですか?」
「フランスね、一八世紀に作詞作曲されたものよ。あまり有名ではないけれど、クラシックが好きな人間なら大抵知ってると思うわ。けれどなんで……?」
「あの魔物が日本語を喋るのは知ってるが、何で一八世紀の歌を知ってるんだ? 死を謳うもの、なんて曲は学校でもやらないしそれこそクラシックが好きな人間しか知らないだろ? それをなぜ?」
恵理香と翔一の二人の顔には明らかな動揺が浮かんでいた。死を謳うものという歌劇についてはエレノアは何も知らないが、二人の言葉から察するにマイナーな楽曲だというのは分かる。
「二人とも待ってください、本当にそれは魔物が歌っているんですか? 逃げ遅れた生徒が中にいるという可能性は?」
自分で言いながらもその可能性は有り得ないと言っていいほどの確率であることは分かっていたが、確認せざるには得なかった。
「ハルトマンさん、そんなことは有り得ない。全校生徒が避難して帰宅した後、それぞれの担任教師が家に帰宅したかの電話をしてるのよ。もし誰か一人でも帰宅していなかったというだったら、警察の耳にはいってそれはあなた達二人だって聞いているはず。でないとおかしいわ……それにこんな綺麗な歌声を出せるというんだったら、プロになってるわ。それだけ綺麗な歌声、本当に魔物かどうか疑いたいぐらいにね」
僅かではあったが恵理香の声は震えていた。そんな彼女を尻目に翔一は校門に向かって歩き出す、「待ちなさい」とエレノアが静止の声をかけなければきっと彼はそのまま校舎へと向かっていただろう。
「待てといっても、もしこれが何かの前兆だったらどうする? 相手は魔物、まったくもって正体不明の相手だぞ? しかも死を謳うものだなんて不吉な曲を歌ってやがる、早く始末しないと何が起こるかわからないだろ」
「ですが、何も起きないという可能性もあります。魔物はあなたの言うとおり得体が知れません、可能性としては半々です。今すぐ突入するのに賛成ですが……先輩、位置は分かりますか?」
「えぇ、分かるわ。音の響き方と方向からして体育館にいることは間違いない、けれど体育館のどのあたりかはまだわからない。もっと近づけば分かるかも」
恵理香は耳をそばだてるのをやめて、ライフルを手にマガジン装填し、予備をポケットに突っ込む。エレノアも予備マガジンをブレザーのポケットに仕舞い込み、構えながら翔一に後へと続く。
「二人とも待って、無線機がまだ来てない」
「そんな暇はないと俺は思う。もし魔物が何か仕掛けようとしてる可能性がある以上は、一刻も早く突入して倒すべきだ。警察と連絡するんだったら先輩の能力を使えば良い」
「それも、そうね……」
恵理香はそれ以上何も言わず、ライフルを構える。翔一はその姿を見て首を縦に振ると、先頭に立って歩き出しエレノアと恵理香はその後に続いた。
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