うつろぶね 第五幕 |
翌日の夕方、稲荷境内に集まった客は、誇張抜きで倍に増えていた。
この調子で増えるかどうかは不明だが、そろそろ、このお稲荷劇場は引き払わねばならないか。
(とはいえ、どれだけ増えたとて、子供だけでは稼ぎにゃならぬ……)
ただ芸を披露しているなどと、斉天大聖姉ちゃんに知られたら大目玉を食う所だが、仙狸さんの指示だし……まぁ、仕方ないやね。
昨日は見なかった数人の子供を、多少年かさの子供が引き連れて来た様を見ると、少し離れた村からでも、やって来たのだろうか。
昨日の今日で、この動員力である。
成程、子供同士の情報のつながりという奴は、中々侮れない。
「ねーちゃーん、今日は何見せてくれんだ」
「ふっふっふ、答えてしまうも芸が無い、今から変面にてご披露いたします本日の登場人物、見事演目を当てて御覧じろ」
温厚そうな老爺と老婆、赤子、きりりとした少年、赤鬼青鬼黒い鬼、そして犬、雉ときて、最後に。
「さぁ、お次は何だ?」
「お猿ー」
子供の大合唱に合わせて振り向いたカクの顔は、赤く皺深い猿のそれ。
「正解ウッキー、本日は桃太郎さんでござい、ほれ拍手拍手ー、お代はツケておいてあげるから、何れ出世払いでたんまりおくれよ」
この話、猿が手下なのがいまいち気にくわないが、蟹に柿をぶつけるような悪役や、猿知恵自慢の挙句に、泥棒に尻尾を千切られる三枚目よりは、活躍の余地があるだけまだましと言うべきか……。
猿田彦という神様も居る事は居て、重要な存在ではあるらしいが、どうもお話的にぱっとしたのは残って無い。
この国はどうも、お猿への信仰心が、少々足りないように感じるが……まぁ、でっかくて神々しいお猿が居ないお国柄という奴も有ろう、ハヌマンや斉天大聖が主役となれる、天竺や唐の国と一緒にするわけにも行くまい。
「では、本日も楽しく参りましょうか、昔々ある所にお爺さんとおばあさんが……」
「ある所ってどこだー?」
「ここじゃない何処かじゃよ、坊主が大人になったら探しに行くとええ……わしゃぁ、山に柴を刈に行くでなぁ」
既に老爺になっていたカクが、しわがれた声で、野次に返事を返す。
本日も、中々大変な劇になりそうだ。
鬼の迫力に泣き出す子が出たり、殴り掛かる勇ましいのが居たりと、相変わらずのてんやわんやがあった物の、本日の劇も大好評の裡に終わった。。
ようやく、長い夏の夕刻が終わり、鴉かぁの声で、子供らが三々五々家路に付く。
その背を見送り、充実した疲れの中で、カクは、ずっと気がかりだった、一人残った客の元に歩み寄った。
「今日のは面白くなかったかい?」
昨日はあんなに目をキラキラさせながら、食い入るように見ていたのに。
昨日の客寄せ功労者の洟垂れ君が、劇の始まりからこちら、ずっと元気なさげに俯いていた。
「んにゃ」
きょうのも、おもしれかった。
そう言いながら、力なく横に振られる首。
「ありがとね、それじゃ、どっか痛いとか?」
「んにゃ、いたくねぇ」
そう言う間に、ずるりずうと鼻を啜る音が混じる。
「……そっか」
口重い様子に、カクはそれ以上何も聞かず、傍らに座って空を見上げた。
紅、紫、青、橙、藍、白、黒。
それらが絶妙に層をなし、入り混じる。
太陽の残照が作り出す、自然の美に目を細めながら、カクは懐から飴を取り出し、それを少年の手に置いた。
「……あんがと」
「うん……所でさ、追い立てる訳じゃないけど、家に帰らなくて良いのかい?おっかあが怖いって、昨日は慌てて帰ったじゃん」
「かかは、きょうはいねぇ」
「お仕事かい?」
「んにゃ、ととが、いえさかえってこねぇで、おっちゃんたちと、さがしてる」
その返答を聞いたカクの眉宇が、珍しく演技では無い暗さを帯びる。
「そいつはいけないね……漁師だったっけ」
「ん」
力ない頷き。
漁師か……。
「えっと、御免よ、ととさんは海から帰ってこなかったのかい?」
板子一枚下は地獄。
海の上と言うのは、予測の付かない死や危険と隣り合わせの場所。
だが、カクの予想は、あっさり否定された。
「んにゃ」
「え?」
「ととのふねは、すなはまさ、あっただ、おらがみっけた」
「……それじゃ、何故?」
「ふむ、父親が帰らぬか……何じゃろうな」
少し遅くなってから帰って来たカクとそれを待っていた仙狸が、侘しい夕餉の膳を囲みながら、低く会話を交わしていた。
「仙狸殿はいかがお考えか?」
「そうじゃなぁ、ありがちな話じゃと、博打場ですっからかんになって帰れないか、女郎屋で鶏鳴を聞き、もう一晩という所か」
「飲む打つ買うの三道楽煩悩(さんどらぼんのう)で身を持ち崩すは男の習い……大いにありそうな話なれど」
今回は違うみたいだよ。
「ほう、何故じゃ?」
「ない袖は振れず、無い賽も振れず」
そして、無いご馳走は食べられず、そう言いながら、カクは侘しそうに、硬い鱈の干物をがりがり齧った。
「……歯ごたえあるね」
噛んでると地味に美味しくなってくるのが、また腹立つね、これ。
「健康的で良いではないか」
自分で言った言葉を、欠片も信じていない顔で、仙狸も干物にかじりついた。
「我、この命を削り、多少体に悪くとも、もうちょっとこう、ぷりっとしたお刺身や、じゅわーと脂と絡めた味付けが蕩けだすような珍味佳肴を所望、切に所望」
そう口にしたカクに、仙狸は肩を竦めた。
「金を出すというても、これしか出て来んのじゃから、今、この近在で魚が獲れぬというのは真なのじゃろうよ」
世の中諦めが肝心じゃ、それこそ無い袖は振れぬ。
そう言いながら、仙狸もカクと似たような顔で、小あじに箸を伸ばした。
「して、博打の線は無いとは、いかなる理由じゃ?」
「ああ、理由?簡単だよ、この辺にあった、大きな賭場がね、一月前に喧嘩沙汰の果てに火を出したとかで、その時の連中全員、この辺の領主にとっ捕まったんだってさ。博打やってただけの連中は罰金と百叩きで済んだけど、喧嘩してた連中は」
コレだってさ、とカクが白目を剥きながら、あかんべぇをしつつ、自分の首を手刀で切る真似をしてみせるのに、仙狸は苦笑した。
「まぁ、火まで出しては斬首も已むを得まいな」
「みんなの受け取り方もそんな感じみたいだね、それに幸いと言うか、捕まったのが他所から来たやくざ者ばっかりで、近所の漁師で捕まって首切られたのが、評判悪いの一人だけだったから、寧ろ静かになって良かったって感じみたい」
という訳で、今この辺には、近所のおっちゃんが、仲間内でちんちろりんやってるだけで、命が掛かるような大金が動くような賭場は、この近在には無いだろう。
「と、その洟垂れ小僧を預けに行った、近所の爺様が言ってたよ、流石に暫くは街のやくざも震えあがってるから、静かにしてるだろうってさ」
「妥当な見解じゃな」
ただ、仙狸はその老人が口にしなかった事情も透けて見えるような気がした。
同じ運試しなら、博打などより、海市をもう一度探した方が良い。
今、この辺の漁師はそう考えていてもおかしくない、というより、そう考える方が自然。
そして、同時に、仙狸やカクのようなよそ者には、それを語る事は無いだろうというのも、これも自然な話。
この辺りの漁村に降って湧いた、途方も無い儲け話。
それをよそ者に言う訳が無い。
そこまで考えた所で、仙狸の頭に一つの疑問がよぎる。
では何故、彼女たちが駐屯している商都まで、この噂が、広く伝わってきたのだろう。
主や式姫は、別に身を入れて聞きこみをしていたわけでは無い、普段通りの生活の中で拾えた噂に過ぎない。
あぶく銭を手にした漁師が、酒でも呑んで調子に乗ったか、街の商人に金でも掴まされて口を割ったか。
どれもありそうな話ではあるが、それでも仙狸は、一抹の疑念を拭う事が出来なかった。
それに、その賭場で捕まった他所から来たやくざ者というのも、大方、海市の噂を聞きつけて来た連中なのだろう。
目的が、宝探しであれ、漁師から珊瑚や真珠を買い付ける為にしても、この辺りの宿に居るしかない。
そして退屈しのぎに博打場でゴロゴロしていた所、おなじ獲物を狙う同士の敵愾心から起きた喧嘩沙汰。
仙狸にはその、醜い情景が目に見えるようであった。
そして、そういった、自分たちの富を狙う輩が排除された事を喜ぶ、この辺りの漁民の心も。
……やれやれじゃな、人とは真に恐ろしい。
そこまで考えた所で、仙狸はため息交じりに首を振って、その考えを一旦頭の隅に追いやり、カクの方に顔を向けた。
「なれば、やはり女子の所か?」
そんな仙狸の様子には気が付いていないのか、鱈の干物をもきゅもきゅ噛んでいたカクが、それを飲み込みながら口を開いた。
「おねーちゃんのお店の線も薄そうだよ、何処かのお大尽が、そのとーちゃんが馴染みにしてた姉ちゃんを身請けして連れてっちまったんだってさ」
あいつは気が多いから、すでに新しい店の女の所ってのは、大いにありそうだとは、同じ爺さんの言葉だが。
「ああいう街だと、匿われちまうと探し難いもんかい?」
花街の知識は流石に乏しいらしい、どうも状況を掴みかねている様子のカクを見て、仙狸は微苦笑を浮かべた。
「一般論になるが、ああいう店の多くは厄介事を嫌う、余程の馴染み客か、何より金を持っておらねば、匿っては貰えんじゃろうな」
そやつ、懐具合はどうなのじゃ、と尋ねる仙狸に、カクは軽く肩を竦めた。
「この浜の近況に、そは似たり」
婉曲なカクの言葉に、仙狸は苦笑した。
「素寒貧という事じゃな、なれば、仲間が訪ね歩いておれば、そちらは早晩結果が判ろうよ」
「そうであって欲しいよ、全く、妻子を放り出して何をやっているんだい」
あの元気小僧がしょぼくれている様なんて、見たくないよ。
「そうじゃな。だがまぁ、そちらの話で済めば、まだ良い方じゃよ、当事者は兎も角、世間的にはありふれた話じゃでな」
「まぁねぇ、煩悩の葛藤なかりせば、我が演劇稼業も成り立たぬ、ってなもんだい、あ、ご馳走様でした」
「お粗末様、と、言葉通りなのが悲しいの」
「全くだね、折角の遊山でご飯が侘しいのは一番悲しいよ」
「尤もじゃ、明日あたり、山の方に行って、獣肉を分けてくれるような狩人が居らぬか探してみるかの。お主はどうする?」
「それなんだけどさ……」
ちょっと口ごもったカクが顔を上げて、様子を改めた。
「このカク、海市の調査を一旦、中断したいと思うが、如何か、仙狸殿」
「ほぉ」
仙狸が悪い笑顔を作る。
「お主もようやく、この地でひねもすぐうたら過ごす覚悟を決めたか、いや重畳重畳、わっちは既に気にせずやっておる、お主も好きに過ごしたがよい」
これで気が楽になった、などと太平楽を並べている仙狸に複雑な顔を向けて、カクは若干の反論を試みた。
「いやいや、このカク、任務を放り出して遊興に興じるに非ず……あのね」
「よいよい、わっちは聞かぬ、お主も語らぬ、お互い好きに過ごせばそれで良いではないか。なに、成果なき時の言い訳はわっちに任せて置け、第一、猫は働かぬが仕事じゃ、そんな奴に仕事を任せた主が悪い……おお、そうそう」
珍しく立て板に水とまくし立てる仙狸を、呆気にとられて見ていたカクの前で、仙狸が袂を探り出した。
「わっちとした事が粗忽じゃった、遊ぶにも、先立つ物が無くてはな」
浴衣の袂落としのように入っていた巾着をひょいと取り出して、カクの手に渡す。
「こちらはお主の分じゃ、好きに使ったがよい」
「ふぇ……ここ、こんなに?」
手にずしりと感じた重みにたじろぐ様子のカクに、仙狸はからからと笑った。
「なぁに、いかな大金とて遊興の果てに一晩で泡と消えるし、吝(しわ)く使えば年と保つ、金とはそういう物じゃ、一度そんな経験をしておくも、芸の肥しで良いかもしれぬぞ……さて」
二人分の膳を手にして、洗い場に行こうと立った仙狸が、衾の前で足を止めた。
「そうそう、カク殿」
「何か?」
手にした巾着を開いて、おっかなびっくり覗いていたカクが、こちらも洗い場に同行しようと、慌てて立とうとする。
それに向かって、仙狸は低く呟いた。
「父親捜しは村人に任せて、お主はその洟垂れと一緒に、似たような境涯の子を、少し範囲を拡げて探してみるが良い……おそらくじゃが、他にも居るぞ」
「な?」
「明日から忙しくなろうよ、お主の膳も洗っておくでな、今日はもう休んだが良い」
見つかると良いな、そう言いながら、手の代わりにふわりと丸い尻尾を一振りして、仙狸は廊下を歩み去って行った。
「何だかなぁ、痩せても枯れても式姫が一柱たるこのカク、そんなに単純でも、阿保でも無いつもりなんだけど」
何で、仙狸さんには、あれほど簡単に私の行動が見透かされるのか。
布団を敷いてごろりと横になると、疲れと温泉上がりの心地よさで、直ぐにうとうとと眠気が迫る。
行灯の明りが揺れ、天井板の節や木目が、影と光のあわいの中でゆらりゆらりと動き出す。
人の思惑、妖の蠢動もこのような物。
こういう境界、狭間にこそ、色々なあやしき事が蠢くのだ。
夕刻という昼と夜のあわいの時間、海岸という陸と海を繋ぐ地、そして海と空の狭間に浮かぶ怪しき幻の噂……。
一体、この辺りでは、今何が起きてるんだろう。
自分は、何を探そうとしているんだろう。
それにしても……だ。
(まさか仙狸さん、この事を見越して、子供と仲良くなっておけなんて言ったのかい)
全くの偶然とは、言えそうもない。
カクに子供と仲良くなっておけと言った、あの時から、彼女は今の事態が読めていたというのか。
彼女には、一体何が見えているというのか。
自分も俳優と変面の修業を重ね、人の観察は得意な方だと思う、だが仙狸の目は、更にそれより深い、何か自分にはまだ見えない、底知れない物までが見えているような気がしてならない。
頼もしい仲間……ではあるのだが。
時折、彼女たちが見せる底知れ無さに、寒気を覚える事がある。
獣と妖と神と……その間に存在する不可思議なる存在。
そのどれにでもなれる、どれでも無い存在。
自分たち式姫。
あの、永きに亘り、人を見続けて来た猫の目には……世界はどう見えているというのだろう。
自分もいずれ、ああなるんだろうか。
なれるのだろうか。
「あーもう、こういう事を色々考えるのは駄目だい、性に合わない、寝る!」
猫の式姫である仙狸に、行灯などは必要ない、カクは枕元の明りを吹き消した。
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式姫プロジェクトの二次創作小説です。 前話:http://www.tinami.com/view/950001 |
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