ぬいぐるみと話す能力 |
昔はぬいぐるみと話すことができていたのだけれども今はすっかりその能力も失われてしまって、ぬいぐるみを見てもしゃべってくれないのが悲しいのでもう私の手元にはぬいぐるみは置いていない。
ぬいぐるみ。「太郎」や「次郎」や「三郎」たち(なぜこんなかわいくない名前を付けたのだろうか? 母のネーミングセンスなのか?)は今頃は実家の納戸の暗闇の中に眠っているかもう燃やされてしまっているだろう。
私はぬいぐるみが話し出さないのにも慣れてしまったけれども、それは友達の晴香にとってはそうではないみたいで、私はもうぬいぐるみと話すことがもうできないのだよ、と告げると、彼女は悲しそうな顔をして「そっかー」と言い、「もう太郎君の言うことも聞こえなくなっちゃったんだねー」と言った。
その口ぶりになんだか違和感を覚えて不審な顔をしていると、彼女は「太郎君は今もエーコちゃんと話したがっているよ」と言った(エーコは私の名前)。
その言い方がまるで太郎と直に話して言っているようなので私は「まるで太郎が言っていたみたいじゃないか」と言うと、彼女はそうだよーと言ってカーテンの方を向いた。
「私にもぬいぐるみと話す能力があるんだよ」と彼女は言った。でも、それはなんでも私に話を合わせてくれる彼女の性格がそう言わせたのか、それとも本当に彼女にぬいぐるみと話す能力があるのかどうか私には分からなかった。
「私とエーコちゃんと太郎君と三人で毎日よく遊んでいたことを、私は覚えているよ」と彼女は言うのだけれども、そういえば彼女は私の通訳も待たずに太郎の言っていることを理解しているようなそぶりがあったような気がしたということを、いま、私はおぼろげに思い出しているけれども……でもそんなのはみんな昔のあやふやな記憶がいろいろとつぎはぎされて出来上がった嘘の記憶なのかもしれないので、信頼はできない。
(思い出は、いろいろと、都合のいいように嘘をつくからな)、と私は思い、それに結局のところ、私が本当にぬいぐるみと話せていたのかどうかだって、いまとなってはもはや確かめようもなかったのだもの。そんなのは子供によくあるイマジナリーフレンド(想像上の友達)の一類型だったかもしれないじゃないか、と、大人になった私ならそういうふうに考えることであろう。
太郎も次郎も三郎もみんな、私の作った頭の中の声だったんじゃないのか?
「違うよ、本当に太郎君や次郎君は喋っていたんだよ」
彼女は目に涙さえ浮かべて私にそう言ったが、私はその頃にはもうだいぶ冷めた気持ちになっていて、彼女の言っていることはどこか演技めいた調子だなあなどと思って、それ以上は真剣に話を聞くことができなくなった。
「みんな話せなくなっていくんだよ」と彼女は言い、自分の鞄からかわいい猫のぬいぐるみを取り出して(今でもこんな歳になってもぬいぐるみを持っているのか、と私は驚いたけれども)、「この猫ちゃんだって毎時毎分いろいろなことを言っているんだよ」と言った。
そんなに喋ったらやかましいだろうに、と私は思うのだけれども、彼女は私の方にぬいぐるみを突きつけて、
「エーコちゃん、ちょっと聞いてみ」と言った。
「もう無理だよ、私にはぬいぐるみの言っていることは聞こえないよ」と言い、猫のぬいぐるみを遠ざけようとしたけれども彼女は許さなかった。なぜだろう。どうして、ぬいぐるみの声を聞こえないでいてはいけないのだろう?
「ちょっとだけだよ」
私は仕方なしに目をつむってぬいぐるみの声を聞いているようなふりをした。そうだ、思い出したけれども、ぬいぐるみの声を聞くときは、目をつむらなくちゃいけなかったっけ。
それで一分、二分、私はぬいぐるみの声を聞くために一生懸命になって耳を傾けていたけれども、でもだめだ、私はもうぬいぐるみの声を聞くことなどはできなくなってしまったのだ。“魔女宅”の女の子が、猫の声を聞くことができなくなってしまったように、みんないつか声は聞こえなくなってしまうのだ。
だから猫のぬいぐるみの声も聞こえなかった。
私は顔をあげて少しだけ悲しそうな顔をして、「やっぱり何にも聞こえないよ」、と言った。彼女は一瞬怒ったような顔をして、「そんなことはない、エーコちゃんは聞こえないふりをしているだけなんだ」と猫のぬいぐるみを突きつける。「ちゃんと聞いて、聞こえないふりをするのはやめろ」と彼女は言う。
しかし、聞こえないものは聞こえないのだ。
私は途方に暮れ、どうしたら彼女に納得してもらえるだろうかと悩んだ。いっそのこと、声が聞こえるふりをしたらいいのじゃなかろうかと思う。そうだ。どっちにしろ、幼い私がしていたことだって、声が聞こえるふりだったのかもしれないのだから、いっそ、それと同じことをしてみればいいのではないか?
それから私はぬいぐるみの声が聞こえるふりをし始めた。猫ちゃん、初めまして、私の名前は英子、あなたの名前はなんて言うの? 「オカダだよ」と晴香は言う。オカダちゃん、はじめまして、あなたとお話ができて、私は嬉しい。本当に、うれしいんだ。
それから、私と彼女とオカダちゃんは三人でいろいろなお話をした。時間の経つのも忘れるくらい、いろいろな、楽しいことや、つらいことや、ぬいぐるみとして生まれて一番悲しいことなどの話をした。私は時折うなずき、笑い、彼女に話を合わせて、ぬいぐるみの声が聞こえているふりをした。
それでよかったのだ。
日が暮れて、晴香はもう帰るねと言って鞄の中にオカダちゃんをしまった。私はオカダちゃん、またねと言って手を振った。それでよかったのだ。私は彼女たちを玄関まで見送った。太郎ちゃん、次郎ちゃん、私のおしゃべりをしたたくさんのぬいぐるみたち。私は彼女たちを玄関まで見送った。
「エーコちゃん、おしゃべり、できていたよ」と彼女は言った。
「そう?」と私は、うれしいような、呆れたような、そんな気持ちで彼女に言った。
「うん、やっぱりエーコちゃんは、ぬいぐるみとおしゃべりができるんだよ、今でもそうなんだよ」
彼女は言った。私は心の中で、うん、でも全部、ふりなんだよ、と呟いた。
「またお話をしてあげてね。それから、太郎君と次郎君と、三郎君にも、話をしてあげてね」と言い、彼女は帰った。
私はおしゃべりができていたのだろうか? ぬいぐるみの声が聞けていたのだろうか? ふふふと私は思い出し笑いをし、全部ふりなんだよ、ともう一度口に出して言った。
ふりじゃないよ、とオカダちゃんが、ぽつりと私に言った。
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