麒麟との絆語り
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「ふいー、やっと終わった……」

書庫の掃除を済ませた俺は額の汗をぬぐい、踏み台に腰を下ろした。

ゆうに部屋の八割は占めていると思われる本棚。そこにギッシリ詰まった本、本、本。

式姫の伝承に関する物、時代考察、料理のレシピから麻雀のルール等、その種類はバラバラ。

よくもまぁこれだけ集めたものだと感心する。

本を粗末にするなとは師匠の言だが、ここに眠っているどれだけの本にその価値があるのか甚だ疑わしい。

俺にとってはタダでくれてやると言われても首を横に振る物が大半。

まぁいずれの本も、読む人が読めば素晴らしい価値があるものだと思う。が、それはあくまで希望的観測。蜘蛛の糸よりも細い細い希望。

後生大事に保管しておいた所で日の目を見る事なく、図々しくも空間を占拠し、こうして埃を被るたびに人様に掃除をせよと無言で強要してくる面倒な居候でしかないのだ。

 

面倒な居候その一号である俺は書庫の鍵をかけたのを確認し、師匠の部屋へ向かう。

こちらも身を寄せてもらっている身なので、面倒くさい書庫の掃除も容易く断れない立場にあるのが辛い。

おや、戸口が開けっ放しになっている。ひょいと中を覗いたが、部屋の主は留守であった。

「あら、オガミさん。書庫のお掃除、お疲れ様です」

声をかけられて振り向くと、庭先で皐月さんが箒を片手に立っていた。どうやら、そっちも掃除の途中らしい。

涼やかな笑顔で佇んでいる皐月さんは、遠目に見ても中々の美人だ。

彼女がいなければ、ここでの生活は途端に艶を失くす。少々大げさだが、実際こうやって笑顔を向けられただけで癒されるのだから仕方ない。

「師匠、どこ行ったか知りません?」

「師匠さんですか?お店の方にいると思います」

お店の方、というのは貸本屋の事だ。こういうのもなんだが、師匠が店番とは珍しい。

そもそも貸本屋の主人は空木のおっさん――もとい、師匠なのだから店番をするのが普通なのだがあの人は滅多にそういう雑用をやりたがらない。

率直な意見を言わせてもらうなら、皐月さんが店番をした方が客足も伸びると思う。この人、美人だし。

まぁそもそも貸本屋自体、そうそう大量のお客が来るような所ではないけれども。

経営状況は知らないが、それでも居候一号二号を含めた計四人を食わせるのに不自由しない分だけの収入があるのは確かである。

「じゃあ、ちょっと様子見てきます」

「あ、オガミさん。もし師匠さんが寝ていたら、叩き起こしてあげて下さいね」

「は、はい」

皐月さんは笑顔のまま、酷い事をさらりと言った。

冗談なのか本気なのか判別しにくいが、恐らく皐月さんなら一切の遠慮なく眠っている師匠を殴り――もとい、優しく起こすのだろう。

 

台所を借りて一人分のお茶を淹れ、盆に乗せてお店の方へ。

椅子に座って本を読んでいた師匠は眉をひそめて小難しい顔をしていたが、俺に気付くと少しだけ笑顔になった。

あぁ、眠っていなくて良かった。店番をサボっている事に変わりはないが。

「掃除が終わったのか。ご苦労さん」

「師匠もたまには苦労してみたらどうですかね」

軽い嫌味を交えて、傍の机に湯呑みを置いた。

「ん?オガミには、俺が苦労していないように見えるのか?」

「見えます」

どこからどう見ても暇つぶしに本を読んでいるようにしか見えない。

それはつまり、客がいないという事実も示している。

「いや、これは中身が傷んでいないか確かめてたんだ。本に汚れやシミがないか注意深く確認する作業は楽じゃないぞ」

全く悪びれる様子もなく、師匠が答える。

「店主がそんなんでどうするんですか……。お客さんが来たら、言い訳できませんよ」

「いいか、ここにある本は全部俺の物だ。それをどう扱おうが俺の勝手だろう。心配しなくても、客が来ればちゃんと対応するさ」

師匠はそこで言葉を切ると、湯呑みに手を伸ばした。お茶をすする様子を見て、俺は軽くため息をつく。

いくら自分の所有物とはいえ、売り物の本を勝手に読むのはいかがなものか。

皐月さんならもっとパンチの利いた言葉を返すのだろうが、生憎俺はそこまで強く出られない。

「じゃあ、俺戻ります」

「おう、お前もしばらく休んでていいぞー」

背後から上機嫌な声が追いかけてきた。あんたは休みすぎっすよ、師匠。

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台所に寄って二人分のお茶にお団子を加えて、自室へと戻る。

障子を開いた先では、金髪の少女が俺に背を向ける形で机で本を読んでいた。

「麒麟」

部屋の主が戻ってきたにも関わらず、麒麟と呼ばれた当の本人は振り向くこともなく読書に没頭している。

主の来訪にも気付かないらしい。いや、流石に気付いているだろう。気付いてるよな?

机の端にはこれから読まれるのか、それとも既に読破されたのか書物の山が出来ている。

これらの書物は読書が好きな麒麟の為に何冊か貸してくれと俺が頼んだところ、快く承諾してくれた師匠の物だ。

「麒麟?」

声を少し大きくして再度呼びかけるが、反応はない。

読書好きな性格に加えて、式姫がこうして顕現できる時間は一日のうちでも限られているのだ。

読書に傾倒する彼女の気持ちも理解できる。が、何だろう、この……本に負けたようなむず痒いような妙な気分は。

こちらからは確認できないが、唇を結んだ真面目な表情で紙面の文字を追いかけているのが容易に想像できる。

……やれやれ。俺は盆をその辺に置くと、わざとらしく咳払いをして呪を唱えた。

 

「だーるまさんが、こーろんだ」

 

頁をめくろうとしていた麒麟の動きがぴたりと止まる。

「なんだ、聞こえてるんじゃないか。だったらせめて返事くらいしてくれよ」

俺は苦笑しながら、振り向いた麒麟の方へ歩み寄る。

「あ、オガミさん。その、すみません、つい夢中で」

「そんなに面白いか?」

「面白いというか……そもそも面白くない本なんてありませんよ」

目をキラキラさせながら麒麟が訴えるように言った。好奇心旺盛な子供の表情である。

「そうかそうか。つまり俺は、その本より面白くないダメな陰陽師って事だな」

「えっ?いや、そういうわけじゃ……」

本を閉じると、読書家の式姫は主のからかいを真に受けて伏し目がちに視線を泳がせた。

あたふたする麒麟を見るのは少し気分が良い。

「ふっ、冗談だ。勉強熱心なのはいいが、休憩もしっかりな。本は逃げたりしないから」

「ありがとうございます、オガミさん」

湯呑みを麒麟の手に渡すと、俺はその辺の座布団をひっつかんで座った。

 

お茶をすする麒麟の様子を真正面から観察する。

ついさっきまで一字一句を猛烈な勢いで追いかけていた綺麗な薄緑の眼。

金髪の中からちょこんと現れた小さな角。

瞳と同じ薄い緑の衣服は、大胆にも前が開かれており珠のような肌を惜しげもなく晒している。

その貧相な体つきに欲情する事はないのだが、それでも中々目のやり場に困る。

が、ふぅと一息ついている目の前の式姫は主の卑しい視線を受けても一向に気にする様子は無かった。

そもそも本人にとっては気にするべきでない些細な事なのかもしれないが……。あと、絶対領域。絶対領域いいよね絶対領域。

足は正座のまま崩そうとしない。主の手前、というのは関係ない。

瑞獣が本来備えている品性、風格。知り合って日が浅いが、そういうモノを俺は麒麟に対して感じていた。

 

麒麟について、俺は殆ど何も知らない。彼女を一文で示すなら、仁の心を持つ人に仕える瑞獣。

ズイジュウと聞かされても漢字すら浮かばなかった程に、俺はその辺の知識に疎い。

そもそも仁というのがよく分からない。以前に麒麟に尋ねたところ、

「そうですね……飾り気がないありのまま、とでも言いましょうか」

という回答を頂いた。ありのまま、という事はすなわち欲望ダダ漏れ、恥ずべき事ではないのだろうか。

恥ずべき事と心の中で言いつつも、しっかりヘソのあたりを凝視している俺がいて。

うーむ、これはもしや仕えるべき主を見誤ったのではないかと本気で心配した。

明瞭な答えをもらったにも関わらず、俺の頭の中では仁とやらについての謎がより深まったままその場はお開きとなった。

今に至ってもなお、その疑問が晴れる事はない。

 

「ところで、さっきまで何を読んでいたんだ?」

「あぁ、これは外の国の法について書かれたものです」

「うげぇ……」

俺は露骨に厭な顔になった。法律は知る者の味方になってくれるが、少なくとも俺にとっては敬遠すべき類の知識として分類されている。

六法全書などもらった所で焚き木か、枕にするかのどちらかしか思いつかない。あっ、漬物石というのもアリかな。

「オガミさん、どうかしましたか?」

「いや、その……」

口元までかかった言葉をギリギリで飲み込む。お前なぁ、貴重な時間をそんなつまらん読書に充てるならもっと別のを読めよ。

面白くない本などないと言ったこの少女に、そんな言葉は真っ向から喧嘩を売るようなもの。

先に湯呑みを空にした麒麟は、飼い主の反応を伺う賢い犬のように綺麗な瞳でじっと覗き込んでいる。

俺はしばらく考えこんだ後、真面目な表情で麒麟を諭すように口を開いた。

「法には二種類存在する」

「えっ?」

「今だ多くの阿呆共が勘違いしているが、本来の法は揉め事が起こった時に解決する為の基盤となるモノであって罪人を裁くためのモノじゃない」

もっと簡単に言うなら、生活をより良くする為のモノ。

「人が人を正しく裁けると思いますか?って、地獄の裁判長が言ってたんだ」

それは傲慢だ。人を裁くのは法であって人ではない。

人の価値観に絶対性など存在しない。主観に縛られ、主観から逃れられない人がどうやって人を正しく裁けるというのか。

どこまでいっても所詮は似非、おままごとの領域を出ない。

人が人を裁けないからこそ、人でない私が裁きを下すのです。実に頼もしく聞こえた夜摩天の発言は今でも覚えている。

今頃はどうしているのかな。仕事に追われる忙しい日々を過ごしているのだろうか。

 

あの世とこの世に一つずつ。

地獄の法とやらがどういう仕組みになっているのか知らないが、恐らく俺の頭の中に浮かんでいるそれとは違うのだろう。

 

だから俺はどうにも法律とやらが苦手なんだよ、と話を締めくくった。麒麟は目を丸くして俺を見ている。

むむむ、少し飛躍しすぎたかな。こんな話、見習い陰陽師が語るべき事ではなかったかもしれない。

麒麟からしてみれば、いや麒麟に限らず師匠や皐月さんからも俺は駆け出しの陰陽師に見えるのだろう。

しかし彼らの見立てとは裏腹に、ここに至るまで少なからず研鑽は積んでいる身なのである。

新米の二文字位は取ってよい程の実力はある……と思いたい。

 

だが師匠がよく言っていたように陰陽師の術というのは下手に見せびらかすものではないし、学ぶべき事がまだまだあるというのもまた事実。

夜摩天のような諫めてくれる者が身近にいない分、なおさら気を引き締めなければならない。

なので俺はここではなるべく謙虚に振る舞おうと心掛けていた。

……が、どうしても自分では猫を被っているような下手な演技になっている気がしなくもない。

 

主の滅茶苦茶な理論を聞かされた麒麟は、腕を組んで目を閉じ、うーんと唸り始めた。

俺のよくやるポーズに似ている。が、麒麟がやるとどうにもサマになっていなくて吹き出しそうな位に可愛い。

「ところで麒麟、うさぎとかめの話は知ってるか?」

強引に話題を切り替えようとして俺は質問を投げた。

「うさぎとかめ、ですか。もちろん知っていますよ」

「じゃあ、ちょっと説明してみてくれないか」

かくかくしかじか。麒麟の説明は、おおよそ俺の知りうるそれと合致していた。

「もしかして、どこか間違っていましたか?」

「いや、それで合ってるよ。オッケーオッケー」

勉強熱心だが、この金髪碧眼の式姫は時にとんでもなく偏った知識を披露する事がある。

それを聞かされる度に俺は全く一体どんな頭してるんだと心の中で愚痴るのだが

俺自身も前述の通り無茶苦茶な詭弁を弄する事もあるので頭ごなしに諫めることは出来ない。

「少し現実的に考えてみようか。おどぎ話は抜きにして、どうすれば亀は兎に勝てると思う?」

「ええと、どういう事でしょう?」

「そのまんまの意味だ。怠けない兎と亀が競争して、亀が勝つ方法を考えてみな」

「うーん……分かりませんね」

「降参する?」

「いえ。明日呼んでもらうまで、答えを考えてきます。瑞獣の名にかけて!」

「かけんでいい」

「…………」

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「本は便利だが、恐ろしいモンだよなぁ。読んだだけで賢くなった気分にさせてくれるんだから」

俺は湯呑みを傾け、残りのお茶を全て飲み干した。

「違うのですか?」

「読んだだけで賢くなれるんなら、この世の大半の人間は賢者になっちまう。麒麟から見て、俺は賢者と言えるかな?」

「いえ」

「この正直者め。本に書かれていることが正しいとは限らないし、読んだだけで偉くなれるはずもないよ」

身近な例で言えば、歴史がそうだ。あんなものはただの記録に過ぎぬ。時代の勝者の記録で埋め尽くされただけの本。

善悪も、是も否もない。神も時代も人に味方などしてくれない。

正義は勝つ、勝った方が正しい。勝てば官軍、負ければ賊軍。読んだ者が勝手にそういった印象を植え付けられているだけだ。

でなければ、名を残さずに散っていった人々はみんな――。

 

「読んで、どう思ったか。それを行動に移したり実践したり、そうする事で初めて価値が出てくる。言うなれば、きっかけだな」

あらゆる行動を起こす為のきっかけをもたらすモノ。本とは何かと問われると、その一文に集約される。

「書は言を尽くさず、言は意を尽くさずという言葉もある」

「あ、それなら知っています」

 

 

 

ありったけの言葉を記すには、どんな書でも隙間が足りず。

心中の想いを伝えるには、どんな言葉を並べても届かない。

 

『ここ』も然り。

 

 

 

「意味って漢字は分かるか?」

「もちろんです」

「書物も、この団子も同じだよ」

自分の分を皿から取り上げ、麒麟にも勧める。

「団子は見るだけではその旨さは分からない。こうして口に入れて噛む事で……うむ、美味いな」

麒麟も口には出さないが、ニコニコ顔で団子を頬張っている。

「本はこの皿で、文字が団子だ。読んで、頭ん中に入れて、考えて初めて『意を味わう』事ができる」

「頭を使うと、甘いモノが欲しくなるのはその為ですね?」

「ふふふ、そういう事だ」

 

「ご馳走様でした」

流石は皐月さんだ、良い甘味をよく知っておられる。

満足した俺は手早く片付けると席を立った。

「あぁそうそう、ちなみにさっきの答えだが」

「えっ?」

「水上で勝負すりゃいいのよ、兎は泳げないからね。地の利を生かすのは亀にも陰陽師にも大事な事だ」

「あっ、あー、なるほど!……でも、オガミさんのせいで考える事が一つ減っちゃいましたね」

「だったらもうしばらくはその机に盛られた本の山をかじってりゃいい。まだ大丈夫だろ?」

麒麟はこくりと頷く。

「食べ過ぎて腹壊さんようにな」

「はーい、気を付けます」

麒麟の明るい声を受け、俺は部屋を後にした。

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