うつろぶね 第十六幕 |
亡者達を引き付けつつ、適当にいなしながら浜に向かってじりじりと下がっていた仙狸が、在り得ない姿を認めて、覚えず声を荒げた。
「カクよ、お主、かような場所で何をしておるか!」
「漁師のおっちゃんたちは、浜まで無事に送ったよ、それより、あの洟垂れ君のととさんが、まだあっちに居るんだ!」
あっちに、とカクが指さしたのは、亡者の群れの先、漁師たちが逃げて来た方向。
「何じゃと!」
まだ、人が残って居たというのか。
あの漁師共、なぜあの時、わっちらにそう告げなかった。
いや、あの切羽詰まった状況では、仙狸にそれを告げられるはずも無いか。
だが、どうする。
ここで、一人を助けに向かうか、見捨て、他の者と自身の生存を優先するか。
そもそも、カクは浜まで漁師たちを送ったというが、出航した所を確かめたのか。
彼らの側に危険はもう無いのか、わっちらが付いておらずとも大丈夫なのか。
それになにより、わっちらという異分子が入り込んだことを察知し、漁師達が逃げ出した今、この海市は、この幻は。
「このまま」でいてくれるのか。
思慮深いが故に、つい複雑になる思考が、仙狸の頭を一瞬だが占める。
刹那だが、次に自分がどう動くか迷った、その彼女の脇を、一切の躊躇いなく小柄な姿が駆け抜けた。
「カク、お主!」
「見捨てておけないよ!」
迷いない一言を残し、カクは群がる亡者の只中に躍り込んだ。
「邪魔しないで、あんた達と戦をしたい訳じゃないんだ!」
キサマモ、ジャマヲスルカ。
ゼニヲハラエ。
カワリヲヨコセ。
ヤツラヲワタセ。
手のような物が、黒い影から伸びる。
その先にしらじらと輝くのは、刃の如き爪。
「……そうかい」
普段朗らかなカクの顔が、戦士の、いや、もっと荒々しい物に変わる。
戦(いくさ)する猿神が一柱。
鋭い呼気と気合声が、高く口から洩れる。
仙狸の豪槍が暴風ならば、こちらはさながら光の鞭か。
舞踏の如き華麗な、だが鋭く無駄のない動きで、霊気を帯びた棍が縦横に閃いた。
「何と」
それを見た仙狸の口から、思わず嘆声が零れる。
大きく、鋭く振るわれる真紅の棍の軌跡が、さながら大輪の花の如く、灰色の街の中で刹那に咲き誇る。
血を流す事も無い亡者の影を、真紅の華が切り裂き、吹き散らす。
大路を埋め尽くす様に迫る亡者の群れがさぁと割れる。
その中に走り込むカクの背を見て、仙狸は何かをふり捨てる様に、首を振った。
状況は、動き出してしまったのだ。
「……ええ全く、あ奴ときたら」
諦めたように、だがどこか晴れやかに仙狸は呟いた。
考える事は重要だ。
だが、それら全てを潔く投げ捨て、走るべき時もある事を、仙狸は知っていた。
もはや時も無い。
たとえ、賭けの分が、いかに悪くとも。
「一人で突っ走るでない、わっちも行くぞ!」
突入して棍を振るいながら、カクは大路を走った。
角々から。
小路から。
次々と亡者が溢れだす。
海で死に、心を現世に残した者達。
彼らは、何故ここに居るのだろう。
ワシラノタカラ。
縋るのは、彼らをこの世界に繋ぎとめるのは、最後に自分が手にしていた財宝なのか。
コウタナラ、ゼニヲハラエ
それとも、それを売って得られる富への渇仰なのだろうか。
彼らは、何を求めているのだろう。
群がる亡者を、棍で叩き伏せ、吹き飛ばし、切り裂きながら。
カクの中に、ふとそんな疑問が芽生えた。
戦の中で、相手に、そういう思いを抱いては、いけないと知ってはいたが。
「いっ」
浅くだが、幽鬼の爪がカクの腕をかすめ、血が飛沫く。
返した棍が、その幽鬼を弾き飛ばす。
乱戦。
だが、こういう戦の経験が無い訳では無い。
敵を仕留めるより、蹴散らし、吹き飛ばし、空間を作りながら突破する。
押し込まれる前に、とにかく、前に進むのだ。
前。
前か……。
自分の正面が前だと、誰が保証してくれる。
この偽りに満ちた、まやかしの島の上で。
前だの後ろだのに。
何の意味が。
爪が頬を掠める。
被った帽子の、房飾りが千切れる。
体に染みついた武術が、次の攻撃を躱し、得物で、相手を蹴散らす。
だが、その一撃に魂が入りきらない。
これは戦だ。
自分の前に立つ奴は、害意を持ってこちらに向かってくる存在は倒せ。
だが、どれ程そう自分に言い聞かせても、余りに幽鬼たちの手応えの無さと、相手からの害意の薄さに……戦で滾った心と体が冷えていく。
卓越した戦士故に、ここまで戦ってきて、カクには判ってしまっていた。
これらもまた、偽り。
妄執に縛られた、幽鬼達の性を利用した、狡猾な罠だ。
自分は誰と戦っているんだ。
私の本当の敵は……。
この棍で打ち砕くべき相手は。
ここには居ない。
幽鬼達が殺到してくる。
銭を、金を、自分たちの宝を贖った、その代価となる何かを寄越せと。
ある意味、至極真っ当な要求を、ただそれだけを繰り返しながら。
生者だった頃の営みが。
生者と交わした約束だけが、彼らを生者の地に繋ぎとめるのだと信じて。
彼らは、カクと仙狸に群がり寄る。
違う、違う!私の敵は、君らじゃ無い。
君らじゃ……無いんだ。
どれ程疑問を抱こうと、ここに答えは無い。
そして、カクには、その思いを彼らに届ける術も無い。
答えのないまま、それでも卓越した戦士の体は、己の身を守る為、偽りの、虚ろな敵を撃砕し続ける。
まるで舞台の上での戦い。
変化の無い光景の中。
減る気配を見せない、手応えの無い敵を叩き伏せ。
それでも、カクは前に。
真実の敵を求め、進み続けた。
そんな海市の騒動を、上から眺める二対の目があった。
「姫よ、今宵は騒々しいのう」
ほれい、あれを見よ。
そういう先代住職の言葉に、傍らの女性は、淡く、曖昧な微笑みを浮かべた。
長く艶やかな赤毛が縁取る小さな白い顔を彩る、美しい笑みだった。
だが、それだけ。
その笑みを誰に向ける訳でも無い。
何を見て浮かべた訳でも無い。
ただ、何か話しかけられ、それに返しただけの。
美しいが、うつろな笑みだった。
だが、先代住職はそれに頓着した様子も無く、傍らの姫に話しかけ続ける。
「あれ、あれを見よ、男どもが泡を食って走りおるぞ、おお、あちらでは、亡者を見て腰を抜かした奴が居る」
やれ汚や、失禁しおったわ。
愉快愉快と、手を打って、その様を指さし、笑う。
こちらは、姫とは対照的に。
歯を剥き出しにして、心からの喜悦の色を浮かべ、高らかに声を上げて。
「愉快じゃなぁ、姫よ」
だが、その言葉にも、同意の言葉は返って来ない。
「ふふむ、やはり高貴の姫は下賤の騒ぎは面白くござりませぬかな……」
僅かな落胆を示して、先代住職は逃げ惑う漁師たちに興味を失ったように視線を転じた。
「では、こちらは如何かな」
にまりと、その顔に笑みを浮かべ。
「今宵は世にも珍しき、美しく、高貴なモノが参っておりますぞ」
海市の中央を通る大路で起きている大騒動。
その中心に居る二つの大渦。
巌の如く、一歩一歩と歩みを進めながら、槍を振るい亡者を払う者。
そして、今一人。
「こちらは何とも、元気が良い」
こうして遠間から見ると、なんと、その動きの美しい事か。
意図してか知らずか、演劇で鍛えられた動きは、遠間から見た時に、その美しさが際立つように、自然となっているのだろうか。
その歩みの一歩ごとに、真紅の華を撒き散らす様に。
その大渦は、亡者の海の中を、確かに、大路の奥、市の中央に向かっていた。
それをじっと見ながら、先代住職は、表情を僅かに真面目な物に改めた。
「お主の目指しているモノは判って居る、式姫よ」
ぬたりとした、笑みを浮かべ。
「のう、姫よ……あの美しき大輪の華、もっと近くで見物しませぬか?」
その言葉に、彼女はこくりと。
その胸に抱いた箱をぎゅっと抱きながら。
無言で、ぼんやりした笑みを浮かべて。
頷いた。
説明 | ||
式姫プロジェクトの二次創作小説です。 前話:http://www.tinami.com/view/957082 |
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コメント | ||
OPAMさん ありがとうございます、死者と生者、うつろなるモノと何かで満ちているモノの対比的なイメージはありましたので、その辺感じ取って頂けると何か嬉しいですね。 海市という舞台も一つの主役でもありますので、この存在の不気味さも……更にw(野良) 虚ろな敵との戦い、先代住職が姫と呼ぶ存在が浮かべるうつろな笑み、幻の海市という場所で先へ進むほどより深いまやかしの中へ入り込んでいるように感じられて不気味・・。それだけに、薄暗いぼんやりとした灰色のイメージだった海市という舞台に真紅の華を咲かせると表現される戦闘シーンがより鮮やかに感じられました。(OPAM) |
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