かぶきりひめとの絆語り -祈-
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部屋でだらだら過ごしていると、何の前触れもなく突然すっと障子が開かれた。

少しうとうとしていた俺は反射的に体を起こし、視線をそちらへ向ける。

「…………?」

開かれた隙間から、いつものように悪戯っぽい笑顔を浮かべたかぶきりひめがひょっこり顔を覗かせた。

「何だ?夕飯か?」

眠気を含んだ間抜けな声で尋ねたが、返事が返ってくる事はなく。

そのまま呆けたように闖入者の顔を眺めていると、ふっと姿を消した。

まだ覚醒しきっていない頭の中に疑問符が三つ程浮かび上がる。自室には俺以外、誰もいない。

特に入室するのに躊躇するような心当たりはないのだが……。

やれやれ、何だってんだ。一人ブツブツ言いながら、面倒くさそうに立ち上がって部屋の外へ向かった。

 

部屋の外に出て辺りを見回したが案の定かぶきりひめの姿は見当たらず、代わりに座布団が二枚、並ぶような形で濡れ縁に敷かれていた。

「むむ……?」

座布団の手前まで歩いていき、膝を折って片方をちょいと摘まんだ。

そのままぺしぺしと軽く廊下に叩き付ける。

「…………」

どうやら、彼女の変化ではないらしい。

はたから見れば馬鹿げた光景だろうが、油断した所へイタズラを仕掛けてくるのが彼女の十八番なのだ。注意するに越した事はない。

安心した俺は乱暴に腰を下ろし、部屋の外へ招いたまま姿を見せぬ無礼な客人を待つ事にした。

 

視線を上げた先に広がる夜空はほとんど厚い雲に覆われ、天の川どころか月の一片すら見えない。というか、月が出ているのかどうかすら分からない。

幸いなことに冷たい風が時折吹いていたので、思ったより暑苦しさは感じなかった。

しかし、風に含まれる湿気とこの温度、なんとなくだが雨が降り出しそうな予感。お祭りに出かけた式姫達は大丈夫だろうか。

俺も何人かに声を掛けられたのだが、適当な言い訳で断っていた。

なんの事はない。しんどいし面倒くさい、そんな気分だっただけだ。

 

そういえば、庭先に出してあったなぁ笹飾り。後で玄関に避難させとくか。

夕方にチラリと見たが、

『皆のお肌がもっと潤いますように』

『〜〜と仲良くなれますように』

『お魚一杯食べたいにゃ』

……等の真剣な願い事から

『ダラダラしたい あー書くのすら面倒だわ』

『一攫千金』

『大人になりたい』

『ご主人様がもっと苦しみますように』

こんな吹き出したくなるような短冊もそこそこあった。いや最後のは笑い事じゃないけども。

ちなみに、俺の願い事は――。

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「お待たせー」

ちょうどその時、かぶきりひめが廊下を歩いてやってきたので俺の思考はそこで中断された。

かたん、と傍に置かれた盆には、盛られたそうめん、めんつゆらしき黒い液体の入った器、お箸が二組。

「……なんだそれは」

かぶきりひめが隣に座るなり、あらかじめ用意しておいた不機嫌な表情と声で先制する。

「見ての通り、そうめんですよ」

「いやそうじゃなくてだな」

「はい、どうぞ。オガミさん」

主の不機嫌を意に介さず、ニコニコしながら器を差し出してくる。

それをしぶしぶ受け取ると、かぶきりひめがさらに続けた。

「七夕には、そうめんを食べる風習があるのよ」

「ふーん……そりゃ初耳だな。まぁそれはいいとして、縁側で食べる意味はあるのか?」

鈴鹿御前は雑用で出かけていた。かぶきりひめは今日の夕飯の当番の一人である。

「あら、たまにはこういうのもいいじゃない。なんなら、あーんしてあげようかしら?」

かぶきりひめはいつものように上機嫌な様子。

対してこちらの機嫌は、上空の雲をそのまま切り取って腹の中に収めたようにどんよりとしている。

「お前なぁ、主に馳走しに来たのか?それとも、からかいにきたのか?」

「うふふ。さて、どっちだと思う?」

「…………」

「…………」

「両方」

「正解ー」

一体何人が出かけているのか、何人が屋敷にいるのか俺は把握していない。

だからまぁ台所に集まって少ない人数で食べるのも、ここで二人してそうめんをすするのも実質大差ないのかもしれない。

今更断るというのも妙な塩梅である。酒が無いのは少し残念だが、まぁそこは我慢我慢。

「仕方ないな、冷めないうちに頂くとしようか」

「あら、そうめんはちゃんと冷やしてきたわよ」

「そうめんじゃないよ。興が冷めないうちに頂くと言ったんだ」

 

「ところで薬味はあるか?」

「はい、どうぞ」

「…………」

「そんなに警戒しなくても、悪戯はしないわよ」

「まぁ、一応。念のためだ」

そう言われてみれば、メシが絡む時に悪戯された事はなかった気がする。

うーむ。前例がないとはいえ、どうしても注意深くなってしまうのは仕方ない。

あぁそうそう、注意深いと言えば――。

「そうめんの風習は初耳だが、その格好も初めてだな」

自分の分を取り分けながら、チラリとかぶきりひめの衣装に目をやる。

普段の橙を基調とした着物とは反対の、夜空を模したような青と紺色。

裾には可愛いらしい星形の飾りが連なるように縫い付けられ、着物との対比が目を引く。

腰の瓢箪はパイスラになるように紐で据え付けられ、星より断然こちらの方が目を引かれる。だって男ですもん。

相変わらず丈の短い着物は、暑さ対策にちょうどいいかもしれないが見ているこっちの方が逆に熱くなってくるという奇妙な副作用があった。

まぁ一言でひっくるめると、割とけしからん格好なのである。

「ふふ、どうかしら?」

「い、言わなくても分かるだろ」

「ダーメ、ちゃんと言って」

「…………」

「…………」

「…………良い」

より詳細に述べるなら、着物ではなく彼女の肢体が良いのである。それはもう色々と。

「あら、それだけ?」

「うるさい。こういう時に洒落た褒め言葉が出てこないのは、お前だって分かってるだろう」

というか、俺の反応を見れば一目瞭然だろうに。それを知っててからかっているのだから始末が悪い。

「桃李もの言わざれども、下自ら蹊(みち)を成す」

「トリがなんだって?」

「私は可愛いから、何も言わなくても注目を集めてしまうって事よ」

「ふん。鯛(たい)も鮃(ひらめ)も食うた者が味を知る。旨いかどうか、食べてみるまで分からんぜ」

「ひどいわー、私の事を魚扱いするのね」

「俎上(そじょう)の魚になりたくなきゃ、浦島太郎の前で舞でも披露すればいいんじゃないか?」

「まな板は少し遠いから、お布団の上に行きましょうか」

「……いや冗談だって」

確かに、お布団の上のかぶきりひめは想像しただけでヨダレ以外に色んなものがダラダラ零れてしまいそうだが。

今の俺が手をつけるべきは成熟した桃の果実ではなく、まな板の上の鯉でもない。

「そんじゃ、いただきます」

行為は無下にしてもいいが、好意は無駄にしちゃいけないな。あっ、ちょっと上手い事言った。

 

「そういえば、オガミさん」

「ずずー……なんふぁ?」

「今夜はどこにも行かなかったのね。私はてっきり、祭りに出かけたのかと思っていたのだけど」

「あー、気分じゃなかったから。七夕の日も、俺にとっちゃ特別でもなんでもない普通の日だよ」

「どうして?」

「どうしてって……いい歳した大人が短冊に願い事なんてするもんじゃないだろ」

それに願い事は初詣で申告したしな、と付け加える。

「もしかして、願い事が無いの?」

「ないわけじゃない。ただ、口に出したり書き留めたりするのが、その……な」

分かるだろ?と同意を促すように視線を送ると、

「ふーん……」

かぶきりひめが意味ありげな視線を返す。

「な、何だよ」

「つまり、周囲には知られたくないような願い事なのね?」

「なんでそうなるんだよ。違うって」

「あー、ムキになってる」

「なってない。そういうお前はどうなんだ?」

やり込められる前に、こちらから切り返す。

「私?私はねぇ、うふふふっ、後で教えてあげる」

後で、とはどういう意味だろう。まぁいいか。

俺はそこで追及の手を緩めると、再びそうめんを口に運ぶ作業に専念した。

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「ごちそうさん」

「ご馳走様でした」

「ふー、結構食ったなぁ」

「満足してもらえたようで良かったわ」

「後は酒でもあればなぁ……ははっ、なんてな」

じー。

「何かしら?」

「いや、そこは変化の術でも使ってサ、はいお酒どーぞってやる所じゃね?」

「あのねぇオガミさん、最初に言ったでしょ。食べ物で悪戯はしません」

「すまんすまん」

「そんなに私ってば信用ないのかしら……ぐすん」

「泣きマネはするんだな」

「よよよ……」

「いやそれはやめてくれ、気持ち悪い」

腹がふくれたのもあるが、冗談交じりに言える程に俺の機嫌も良くなっていた。

「さてと、それじゃあ片付けてくるわね」

「あぁ片付けなら俺がやるよ」

「いいからいいから。オガミさんはそこで待ってて頂戴」

「ん、うん……」

そこまで言われては仕方ない。食後のデザートでもあるのだろうか。

 

――そんな淡い期待は、数分後に手ぶらで戻ってきたかぶきりひめの姿を見て裏切られた。

まぁ腹は十分膨れたから別にいいんだけど。

「なぁ、かぶきりひめ」

「うん?」

「お前、本当は祭りに行きたかったんじゃないのか?」

「あら、どうして?」

「いや、その、普段と違う格好してるからさ。待ってる間に、なんとなく考えてた」

「…………」

本当は俺を誘うつもりで障子を開けたけれど。

どうも乗り気じゃなさそうだったから諦めたんじゃないかって。

彼女にそういう感情があるのかどうか知らないが、女の子がオシャレする理由はおおよそ気になる相手の気を引く為だと思うのだが……。

「さて、どうかしらねー」

結局はぐらかされた。

流石に今から祭りに行こうなんて言える雰囲気でないのは二人とも分かっている。

俺は視線を外して、どんよりとした夜空に向けた。まぁ雨に降られる可能性もあるし、な。

「何を考えてるの?」

「雲の向こうの二人は今頃何してんのかなー、ってね」

「そうねぇ、天の川で流しそうめんでもしてるんじゃないかしら」

「ははっ、そりゃまた滅茶苦茶なスケールだな。そのうち雨どころか、そうめんが降ってくるんじゃないか」

自分で言っておきながら恐ろしく気持ち悪い天候である。

いやそもそも天上の神が食べ物で遊ぶというのは流石にどうかと思う。

「ところで、もう一つの答えは出たのかしら?」

「もう一つ?」

「ほら、私が短冊に何を書いたか」

「あー?そっちは忘れてたわ」

「ふふっ、私はねぇ」

すすっとかぶきりひめが身を寄せてくる。何か、嫌な予感が。

「オガミさんと一緒にいられますように、って書いたの」

「なっ、なに……!?」

かぶきりひめが悪戯っぽい視線で見上げてくる。谷間が谷間が谷間がががが。

「じょ、冗談だろ」

「ね、オガミさんは何て書いたの?」

「えっ?えー、俺は……」

 

『式姫達の願いが叶いますように』

我ながら、大変お行儀の良い一文だと自負している。

 

「仕方ないだろ。こういう願い事しか浮かばなかったんだから」

彼女の目の前で真顔で口にすると恥ずかしいので言わなかったが、俺は余りにも恵まれすぎているのだと思う。

辛い事もあったけれど、多くの式姫達に支えられて。

今ここでこうしてそうめんを食べたり、こういうなんでもないような事だって。

自分ではなかなか気付かないけれど、たまにはこう……うん、もっと、ありがたみを噛みしめてもいいんじゃないかな。

七夕の数日前から、何故かそんな気持ちが心中を渦巻いていた。

 

既に恵まれているこの身で、これ以上何を願うというのだろう。

それは些か傲慢で、下手をすりゃバチが当たるかもしれない。

ちなみに腕にはバチではなく、かぶきりひめの豊満な胸が当たっている。

 

「だったら、私の願いを叶えてくれる?ここで……」

かぶきりひめがさらに身を寄せてくる。

「ちょ、ちょっと待て待て待て。それ以上くっつくな」

「鯛も鮃も」

「食べない食べない。食ーべーなーいー。ええい離れろ。離れなさいっ、ふんぬぬ」

理性が赤信号を発する前に無理に引き離そうとしても、かぶきりひめは中々離れようとしない。

「はぁ……分かった。じゃあ膝枕してやるからそれで勘弁な」

「ふふっ。相変わらず、押しに弱いんだから」

「楽しげに言うな。そうめんを馳走になったから、その返礼だ。それ以上の意味は」

「はいはい、そういう事にしておきますよー」

ころん、とかぶきりひめの頭が膝に不時着する。いまいましい奴め、と俺は心の中で舌打ちした。

追いかけると逃げる癖に、こっちが逃げると追いかけてくるんだから。

そっと頭を撫でてやると、満足そうにかぶきりひめの耳がピクピクと動いた。

「お痒い所は御座いませんか?」

「…………」

返事が返ってこないので、俺はそのままの調子で撫で続けた。

 

なんだろうな、この……雲の向こうの二人と違って、こっちはなんとも奇妙で歪な関係。

付かず離れずの恋は、成就する事などないのだろうけれど――これはこれで、悪くない。

そう思ってしまうのは、俺も枯れてしまったからだろうか。まだ老成するには早い年なんだが……。

 

「おい、寝るんじゃないぞ?」

「…………」

「おおい、起きてるかー」

ペチペチとかぶきりひめの頬を優しく叩く。

「ちゃんと、起きてますよー……」

眠そうな声だ。

「ここで寝かせてやるとは言ってないからな。もし寝たら、鼻の穴に指突っ込むぞ」

「んー」

 

やれやれ、今はこうして好きにさせてあげよう。

願いを叶える神様でも、恋愛上手な彦星でもないけれど。

式姫が傍にいてくれるのなら、俺には肩書きなど一つで事足りる。

 

――ただの陰陽師さ。

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かぶきりひめと過ごす七夕の夜のお話です。

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