私と違う、貴女のおはなし |
『今日は、ありがとうございます。隊長』
ラップトップPCの向こうの後輩は落ち着いた笑みを浮かべ、私に謝辞の言葉を囁いた。
「今の隊長は貴女でしょう、エリカ」
くすり、と一笑すると、彼女も釣られて笑みを溢す。
ランプシェードから零れる灯りの中で、後輩とのライブチャットに興じていた私は、ふと窓の外の景色に視線を向けた。
既に陽は低くなり、じきに夕暮れの色彩が異国の空を染めるだろう。時差の事を考慮すればモニタの向こうはとうに深夜だ。
「今日はこれくらいにしましょう。貴女も休みだからって、夜更かしは体に良くないでしょう?」
そう告げると、二三言挨拶を交わした後チャットアプリを閉じた。
「……あの子に黒森峰を託して、良かった」
少し相談がある、と言われてエリカの言葉に耳を傾けていたが、実の所彼女は既に答えを得ていて、私の出来る事と言えば自信と言う名の弾みを付けてやるぐらいだった。
モニタを閉じ、もう一度窓の外の空を見上げる。見る間に日は落ち始め、煉瓦造りと石畳の街並みに橙色を落としていた。
かたん。風が微かに窓枠を揺らし、ドアの縁に飾っていたクマのぬいぐるみが揺れた。
本格的にドイツへ留学する際、みほから渡された人形。何気無く手に取り、海の向こうで自分だけの生き方を模索する妹に思いを馳せる。
黒森峰から大洗に転校して、みほは西住流と言う枷から解き放たれ、自分だけの戦車道と、自らの人生を歩き始めた。一方でエリカも、黒森峰の戦車道を継承しつつも、伝統におもねらず独自に昇華させようと努力している。
かつては私の横を後ろを共に歩いた二人は、自分が信じた道に向かって既に踏み出していた。
振り返って、私はどうだろう。
こちらの大学に来てすぐに戦車道チームのレギュラー入りを果たし、その拝命に恥じない程度の戦果は発揮しているつもりだ。
しかし一方で、西住流の名を轟かせ、異国の大地に刻み込むような鮮烈な活躍を果たしているとは、胸を張っては叫べない現状を、認めざるを得なかった。
西住流の次期師範代として、流派の看板を背負い生きていく事に、疑問を抱いた事は無かったつもりだった。
だがそれは、そもそもそれ以外の生き方を知らなかっただけであり、故に私は自らの意思では何一つ選択すらしていなかったのかも知れない。
そして唯一の拠るべであった西住流としてすら行き詰まったとしたら、私には一体何が残されていると言うのだろう。何も選んで来なかった私が、これから先何を手に取る事が出来るのだろう。
くぅ。鳩尾より下の辺りから響く気の抜けた音が、気迷いなどお構い無しに空腹を告げた。
外に出てディナーと言う気分でもないし、確か昨日の残り物がまだ鍋にある。今日はそれで間に合わせようとした時、りりぃん、玄関先から呼び鈴の音が響き来客を告げた。
「……こんな時間に?」
自分で言うのも何だが、こちらに留学してからはまだ、アパルトメントに訪ねてくるほど親しい友人はいない筈だ。空腹時に水を刺され、不承不承ながらも玄関に向かう。女手にはやや重く感じる重厚な木造ドアを半開きにし、外の様子を伺った。
「やぁ西住さん、今夜一晩泊めてくれないかな」
大袈裟なバックパックを背負った、ミカがいた。
ばたん。秒で閉じた。
「部屋に上げてもらうだけじゃなく、お相伴に与らせて貰って悪いね」
人ん家の前で隣人の迷惑も省みずドアをノックし続けたあげく、部屋に入れた途端に足元にすがり付いて飯をねだったのは何処のどいつだ。そんな本音に口をつぐみ、後二日は持たせるつもりだったカレーを半分っこして皿に盛り、ミカと自分の席に配膳する。
「大体、何でお前がドイツにいるんだ」
「風に流されてきたのさ」
なんかむかついたのでミカの皿を取り上げる。お預けされたミカはあああぁと情けない声を上げて手を伸ばして来た。その無様な半泣き顔があまりに哀れで皿を戻してやる。
「……木工職人になりたくてね、欧州諸国を旅しながら、弟子入り先を探していたんだ」
後生大事に皿を両手で掴みながら、ミカは身の上の近況を溢した。その言葉が衝撃的で思わず面食らう。
このご時世に時代錯誤なフーテン気取りのこの女の口から、まさか将来設計が飛び出すとは驚きを隠せなかった。まぁ、その結末が、路銀が尽きて物乞いの真似事と言うのはやはりお粗末だが。
「そんなに以外かい?私が将来の事を語るのが」
「これまで自分の事なんか何も話してこなかったのがいきなりだ。驚きもするだろう」
「それもそうだね」
嫌味半分で投げつけた言葉をひらりと交わしてカレーを頬張るミカ。こいつは昔からそうだ。
最初の出会いは黒森峰と継続の練習試合。その後大会では死力を尽くし戦い、大洗vs大学選抜では共に助っ人参戦、その他にも幾度と交流の機会はあったが、その本性は雲を掴むように不確かで、相手をするのに疲れるのも正直な所だった。
「西住さんの真心こもったカレー、美味しいねぇ」
いかがわしい感想を垂れるな。普段より幾分ゆるい顔のミカに遅れて、私もカレーを口に運んだ。
いささか壊滅的な私の家事能力を案じて留学直前にみほから渡された手書きのレシピブック。「理想のお嫁さん必修科目!愛情たっぷりカレー♪」と書かれた項目には、ハートマークが飛び交う怪文章をみほなりに翻訳したであろう解説が付け足されていた。
元々家事能力では私と大差無かった筈のみほには転校を期に大きく差を開けられ、そんな事からも妹の飛躍的な成長を実感させられたが、こちらの食事に慣れない最初の頃はそのレシピに大いに助けられた。以来、時間に余裕がある時はこうして自分でも作り続けている。
「……誰もが、前に進もうと努力しているんだな」
不意に呟きが漏れ、ミカが怪訝そうな顔で覗き込んで来た。よりにもよってこんな気分が落ち込んでいる時に、一番弱味を見せたく無い奴が来訪して来るなんて、間が悪い。
「……西住さん。食べ終わったら散歩にでも行かないかい?この街の夜風を感じて見たいな」
ほら、これだ。こっちが構って欲しく無い時ほど、こいつは距離を詰めてくる。ミカの提案を聞かないふりをして、私は目の前のカレーを頬張り続けた。
「ドイツの古い街並みも、趣があって良いねぇ」
腹が膨れて幾分上機嫌なのか、ミカは石畳の上をくるくると回りながら街道を進んで行く。
よっぽどの田舎でも無い限りどんなに夜遅くてもコンビニのひとつやふたつは空いている日本とは違い、観光地でも無い異国のこの街では、夜の八時も過ぎれば表に灯りのついている店など未成年には縁遠いbarぐらいで、後は道に沿って並ぶ街灯しか家々を照らすものは無い。
そうした景色を一過性の来訪者は新鮮に感じもするだろうが、ひと月、ふた月と暮らした私からすれば、正直息が詰まりそうにもなる。
「……どうやら夜風に当たる気分じゃなかったみたいだね、西住さんは」
気付けばミカは足を止め、こちらの方を振り返っていた。
「気分が優れないなら、無理に付き合わなくても良かったんだよ?」
「お前みたいな備え無しをほっつき歩かせるのは不用心だと思っただけだ」
「辛辣だなぁ、これでも西住さんより海外経験は豊富だよ?」
当て擦りの言葉にも、ミカは相変わらず動じない。その余裕が虚栄では無いことは、食事中の会話で思い知らされた。
「悩みがあるなら、話してみないかい?」
こいつのこういう所が、苦手だ。自分の感情を滅多に顔に出さない癖して、他人の表情を読み取るのには長けていて、こちらの内心を容易く探り当てて来る。
「どうして、お前なんかに」
自分の領域には安易に人を踏み込ませず、気紛れに他人に干渉しては、つむじ風のようにさっさと姿をくらませる。束縛するものなど何一つ無いとばかりの振る舞いに、苛つかずにはいられない。
「風はただ囁きを乗せて吹くだけさ。相手が自然現象だと思えば独り言も気楽だろう?」
お前に話して、何になる。これまでずっと、自分の気の向くままに自分の行き先を選び取ってきた、お前に。
「“その行動に意味があるとは思えない”。何時ものお前の口癖だ。これなら納得するか?」
「意味を求めること自体に意味が無いことだってあるさ。何の値打ちも無いものにも価値を見出だせるのは、人間の美徳のひとつだよ」
私には出来ない生き方をし、私には見いだせないものを見、私には無い自由を謳歌できる、お前なんかに。
「自分の心のうちを言葉にする。ただそれだけでもいくらか楽に……」
「お前なんかに何がわかる!!」
静寂に満たされた街道に、叫びが木霊した。
「何にも誰にも縛られる事無く、無限の選択肢から選り取り見取りのお前に、私の、何が」
石畳と煉瓦に私の声が反響していた。まるで、私自身に向かって叫んでいるみたいに。
「与えられた道を疑問も無く歩いて来ただけの、自分では何も選んで来なかった私の何が、わかるって言うんだ!!」
こんなものは、はた迷惑な憂さ晴らし以外の、何物でも無い。慟哭は闇夜に溶け、静寂が再び街道を満たすと、思いの丈を吐き出した爽快感などでは無く、酷い罪悪感が私を襲った。
「……西住、さん」
「……すまない、先に帰る」
珍しく困惑の表情を見せたミカに踵を返し、アパルトメントへの帰り道を引き返した。
私に歩み寄ろうとしてくれた、奇特な友人に振り返りもせず置き去りにして。
灯りを落とした寝室で、薄手のシャツと短パン姿で横たわる。風に当たり足りない気分だったので窓を半開きにして、そよ風を部屋に招き入れながら。
デジタル時計が22時05分を告げている。あれから一時間弱、ミカは部屋に戻っていない。きっと、無様な私に愛想が尽きて、再び何処とも知れず旅立って行ったのだろう。
それで良い。私とあいつは、水と油だ。性格も心情も、生き方も、全てが正反対だ。ひととき肩を並べて合える様な関係性は、望むべくも無い。
……それでも、ミカは歩み寄ろうとしてくれていた。
自分のしでかした仕打ちに罪悪感と劣等感で押し潰されそうで、布団の中で膝を抱えた。
がたん。
窓の外から、一際大きな物音が響いた。
がたん、ばたん、騒がしい音が階下からせり上がり近づいてくる。
不審者?物取り?ベッドから静かに体を起こし、サイドテーブルの引き出しに放り込まれたペーパーナイフを手に取った。
ドアの縁に指がかかり、ぐん、と、幽鬼のような白い影がせり上がってきた。
「やぁ……西住さん、はぁ、寝室、から……はぁ、失礼するよ、はぁ、悪いね」
ミカだった。
「お前…….紛らわしいことするなよ!不埒な輩だと思っただろう!!」
ナイフを無造作に放り投げる。夜風を存分に堪能し過ぎたらしいミカは、身体を震わせながら窓を閉めた。
「だって、西住さん、玄関に鍵、かけちゃってたし、外から見たら窓は空いてたから……」
「すまん、つい習慣で……いやそれにしてもノックすれば良いだろ!!訪ねてきた時はお構い無しの癖に何でそこで気を使うんだ!!」
非常識な行動に目眩が襲うこちらを尻目に、ミカはジャケットのジッパーを下ろし放り投げた。
「とりあえず、寒いから布団に入れてくれないかな!?」
「は!?」
続いてニットセーターを、スキニーパンツを脱ぎ捨て、終いにはキャミソールもショーツも脱ぎ捨て、あられもない姿でこちらに迫ってきた。
「いやなぜ脱ぐ!」
「寒いからだよ!」
「いやそのりくつはおかしい!!」
「汗かいてぐしょぐしょの服のままじゃ悪いと思って!!」
「汗かくくらいなら十分暖まっただろう!!」
「そのまま夜風に吹かれて気化熱がすごいんだよ!!」
畳み掛けるような問答を終えると返事も待たず、そのままミカが布団の中に潜り込んで来た。
「はぁ……人肌で温まってるからちょうど良いねぇ、ありがとう西住さん」
「お前、なぁ……」
もうどうでも良くなった 。ついさっきの仕打ちに気が咎め、悶々としていたのが、馬鹿馬鹿しくなった。
「もう戻ってこないと思って、寂しかった?」
「誰が」
「バックパックも置きっぱなしのまま立ち去るわけ無いじゃないか。西住さんってばかわいいなぁ」
ミカの方に背を向けて、戯れ言を聞き流した。言われれば確かにそうなのだが、こいつの場合後先考えずそういう行動に出てもおかしくは無い。
「でも、ありがとう。心配してくれて」
うるさい。素っ裸で殊勝になられても、何も格好なんかつかないぞ。
「……ねぇ、西住さん」
私の背中に手を当て、耳元でミカが囁く。一気に距離が近くなり、どきりとした。
「さっき西住さんは、“自分では何も選んで来なかった”って言ったよね。でも、それは違うと思うな」
……私が、何を選んだと言うんだ。背を向けたままの私に、ミカの表情は読めない。
「だって、西住さんはあの決勝で、妹さんと一騎討ちする事を選んだじゃないか」
「……それが、西住流として正しい在り方だと感じたからだ」
「西住流の真髄は、必要最大限の火力と完成された統率にあると、私は理解している。だとすれば、常道を無視して妹さんとの決闘に付き合う義理は、“西住流”としての西住さんには、無かった気がするけどね」
ミカの西住流に対する解釈は、概ね正しい。
だけど、あの時私は、自らの意志で立ち上がり、かつてと違うやり方で頂点へ上り詰めようとしたみほと、真正面から対峙し勝利する事が、私が尊ぶべき“西住流”だと感じたんだ。
「その結果が、相手の誘いにむざむざ乗せられて敗北なら……世話は無い」
「大切なのは結果だけとは限らないさ。望む在り方を自分で選択したと言う“事実”こそが、時として結果よりも大き実りをもたらす事もある」
……わからない、私には。
王道を行き、覇道を掴む。それこそが西住流を体現する事だと、信じて来た。その為には勝利する事、武勲を知らしめる事だけが唯一の証明だと。
だけどミカは、結果が全てでは無いと嘯く。自分自身の意思そのものに、尊さを見いだしても良いと拐かす。
……私は、栄光以外の何かに、価値を見いだしても、良いのだろうか?
「……西住さん、私はあなたを、尊敬しているんだ」
……私を、こいつが?
「西住さんは、揺るぎ無い確かな信念を持っている。それを堅持し、一本の“道”を人生において築き上げる事が自分の役目だと信じている……私には、出来ない生き方だ」
……お前が言うその道とやらは今まさにぐらぐらとぶれている最中だけどな。
「だけどね?そんな一本道の上でも人は、ふと歩みを止めたり、駆け出したり、道ならぬ道があるのではと見回す事が出来る。選択の主体とは分かたれた道そのものじゃ無い……自分が今立っている場所で、どう振る舞うかと言う、身の振り方そのものなんだ」
私の揺らぐ心に、気の惑いにも意味があると、そう言いたいのだろうか。
「……だからね、西住さん」
ミカが私の腰に手を回し、ゆっくりと抱き寄せる。しっとりとした素肌の柔らかさと体温が背中に伝わる。その感触を不覚にも、心地よいと感じていた。
「自分の生き方を、卑下しないで。そして、自分の在り方を無価値だなんて、思わないで」
振り返りはしなかった。とても顔向けなんて出来なかった。こんな奴の囁きに、あろう事か安らぎを覚えてしまったなんて、悟られたく無かった。
ミカの感触と体温が、じんわりと私を包み込んでいく。私を形作っている頑な礎が、少しずつ溶かされ、解れていく、そんな気がした。
「……ミカ」
「何だい」
この呟きも、気の迷いだ。寝言だと思って忘れてくれ。そう願いながら。
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
背を向けたまま、囁き返した。
目覚めると、ベッドには私一人だった。
眠りに落ちる前、私の背中を満たしていた温もりの主は残り香も残さずかき消えていた。
猫なで声ですり寄って来たかと思えば、気が済んだら離れて行く。正しく猫みたいな奴だ。
もう、何処かへ再び旅立ってしまったのだろうか。
寝室を出て、リビングに向かう。寝ぼけ眼で冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップに注ぐ。
一口喉を潤し、テーブルにコップを置くと、そこには一枚の書き置き。
ひらり、手に取る。
『この街の朝風も、感じてみたくなった。戻るまでに、コーヒーを入れておいて欲しいな。』
不覚にも、笑みが溢れた。
テーブルの真向かいのチェアには、くたびれたバックパックが、主の帰りを待つように席に着いていた。
説明 | ||
5月6日に開催されたふたば学園祭13にて頒布された、虹裏ガルパン合同誌『amasan prime 2』に寄稿したSSです。まほミカ。 全く違う生き方をして来たからこそ通じ合える、違う生き方があると示し合せることが出来る。 そういう関係性いいよね。 |
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コメント | ||
ミカの風来坊気質はガルパン随一だが、一説では何処かの流派の姉疑惑があり後継者になるのが嫌で出て行ったいう説があるが…これが本当なら同じ立場としてお互い話が合うかもしれないな(殴って退場) | ||
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