あなたと交わるまでのおはなし |
最近、気が付くとあのひとを目で追っている自分がいます。
旬の柑橘類みたいに鮮やかな橙の髪ふた房、うねらせながら歩く小柄な影が、年相応の背丈の影ふたつを引き連れて歩いていきます。
ふと、あのひとの視線がこちらに向けられ、すかさずわたしは控えめに手を振りました。すると、肉付きの薄い唇を弓なりにしならせ微笑み、小さな手をひらひらと振って、あのひとも応えてくれました。
「みほさん、嬉しそう」
「今日も会長と会えてご機嫌ですねぇ」
廊下を去っていく影を名残惜しく見送りながら手を振り続けていたわたしを見かねて、友だちの華さんとゆかりさんが話しかけてきました。あのひとへの想いを見透かされたみたいで、わたしは頬のあたりが火照っていくのを感じます。
「ふえ、ぇ。な、なんのことぉ?」
「もぅっ、みぽりんってば慌てすぎっ!」
「西住さんは相変わらず分かりやすいな」
狼狽する私を見てもうふたりの友だち、沙織さんと麻子さんがすかさず冷やかしてきました。不意打ちに次ぐ追い討ちにますます頬が熱くなり、耳の先まで血が巡り鼓動も速く、恥ずかしくって思わず両手で顔をふさいでしまいます。
どうして、こんなにも好きになっちゃったんだろう。
振り返れば、ファーストコンタクトは最悪だったと思います。
黒森峰での戦車道に嫌気が差して、だから大洗に転校してきたのに、突然生徒会の三人から、“大洗でも戦車道を始める”からと、半ば強引に誘われて。
生徒会長の立場を容赦無く振るって、戦車道を強要してくるあのひとに抱いた最初の印象は、決して良いものではありませんでした。
「それでそれでっ、会長さんのどんなところが好きになったの?」
にこにこと絵に描いた様な笑顔を浮かべながら、沙織さんが問いかけてきました。それが邪推の無い純粋な質問なのは分かっていても、慣れない色恋話にわたしはあわあわと慌てふためいてしまいます。
「沙織殿、そんな前のめりで問い詰められたら西住殿も答えにくいですよぅ」
鼻息を荒くする沙織さんを制するように、ゆかりさんが割って入りました。
「えーっ、だって気になるよっ」
「そうですね、最初の悪印象を思うと、なんだか想像がつかないですよね」
沙織さんに同調する華さん。ふたりはわたしと会長の出会いを間近で見ていただけに、今に至る心変わりを意外に思うのも無理は無いのかも知れません。
「あ、あの」
吃りながらも一言目を絞り出したわたしに、みんなの視線がさっ、と集まりました。
「や、やっぱり、変……かなぁ?」
「……どうして?」
「だ、だって、最初の出会いがあんまり良くなかったし、そ、それに……」
再び口ごもるわたしをみんながじっ、と見守っていて、より緊張が募ります。
「お、女の子同士、だし……」
恥ずかしさを飲み込んで吐露した想い。自分の恋心のかたちが普通と違う事が、本当は不安でした。
「……変じゃない、ですよ」
最初に口を開いたのは、ゆかりさんでした。その口調はいつもの元気で人懐っこい感じとは違って、穏やかさと優しさを感じる雰囲気に安心感さえ覚えます。
「相手が誰であろうと……誰かを好きなるのは素敵な事です」
「西住さんは深刻に考えすぎだ」
華さんも麻子さんもわたしの想いを否定する事無く、むしろ背中を押してくれる言葉を投げ掛けてくれました。
「うーん……私はね、同性を好きになるって正直よくわからないんだけど……」
それまでの流れを遮る沙織さん。それまでとは違う切り口に一瞬、不安が過りました。
「……でもね、会長と話したり、見つめてるときのみぽりんって、すっごく“恋する乙女”って感じで、可愛くって、幸せそうで……ああ、これってすっごく、素敵な事なんだなぁって、思ったの」
「沙織さん……」
「だからっ、何があっても私、みぽりんの恋を応援するよっ!」
満面の笑顔でそう告げる沙織さんに、わたしは胸の奥がじん、と熱くなって、思わず涙ぐんでしまいそうでした。ゆかりさんも、華さんも、麻子さんも、みんながにこやかに見守ってくれていて、自分がどれだけ素敵な友達と出会えたかを実感しました。
「それでっ!告白はいつするのっ!?恋は突撃あるのみ、だよっ!」
「いつから知波単生になったんだ、沙織は」
「それよりも、さっきの質問の答えをまだ聞いていませんね」
「そういえばそうだっ!ねぇねぇもったいぶらないで教えてよっ!」
「み、皆さんそんなに質問攻めにしたら駄目ですよぅ」
再びぐいぐいと問い詰められて、思わずたじろいでしまいます。でも、こんな他愛も無い会話で笑ったりはしゃいだり出来るのも、きっとこの恋が与えてくれたものだと思うと、何だか楽しくて。
「あ、あのね。わたしが、会長を好きになったのは……」
夕暮れが近づく校舎。戦車道の練習が終わり、教室に忘れ物をしたので取りに戻ると、渡り廊下の向かいに会長の姿が見えました。
会長もわたしに気付いた様で、軽く手を振りながら近付いて来ると、わたしの目の前でぴたりと立ち止まりました。
「やっほ、西住ちゃん。練習終わり?」
「あっ、はい……会長は?」
「うん、そろそろ生徒会室の私物とか、色々持って帰らなきゃと思ってね。“新生徒会”のみんなにもいい加減、あの部屋本格的に引き渡さなきゃ、だし」
そう言われて、改めてわたしは思い知りました。会長とこうして過ごせる日が、残り少ない事を。
あと半年もせずに、会長は卒業してしまう。そうしたら、もう毎日こうして会えなくなる。そうしたら……もう。
━恋は突撃あるのみ、だよっ!━
沙織さんの恋愛指南がふと頭を過りました。
改めて、会長を見つめます。
折り目が付いた携行用の手提げ袋をぶら下げた会長は、ほんの少し汗ばんだ肌が夕日に照らされ煌めいて、何時もより割増で魅力的に見えました。
渡り廊下には、わたしと会長の二人きり。
差し込む夕日が舞台演出みたいにきらきらとその場を飾り立てていて、何だか世界中から背中を押されている様な、不思議な感覚。
今ならわたし……言えるかも。
「……かい、ちょう」
自然と、声が出ました。
「ん?」
「すき、です」
言って、しまった。
雰囲気に後押しされて、期せずも告白してしまった。でも、今さら後悔しても仕方がありません。
会長はぽかん、と、唖然とした顔をしていたけれど、その頬はほんのりと紅く染まっていました。
「えっと、それって……“そういう”意味で、いいんだよ……ね?」
“そういう”とはつまり、わたしの言う“好き”が、友愛を意味するそれでは無くて、恋慕を意味する事を言っているのでしょう。その質問こそが、会長がわたしの告白の意味を正しく受け取っている事を示していました。
わたしはこくり、頷いて。
「わたし、本気、ですから」
喉が、ごくり、と鳴る音がして、沈黙の一時。
目の前で会長の左手が、所在無げに宙をさ迷い、ゆっくりと口許に運ばれて。
びくり。
一瞬、体が震えて。
頬の紅は見る間に色彩を失って行き、うつむいた顔には何時もの様な溢れる自信の見る影もありませんでした。
「……ごめん、無理、だ」
「……え?」
それは、誤魔化しもはぐらかしも無い、明確な拒絶の意思。
「私、西住ちゃんの気持ちに……応えられない……」
「あ……ぅ、ぁ」
別に、勝算があった訳じゃありませんでした。でも、こんなにも、はっきりと。
朗らかな笑顔も、楽しげに話しかけてくれた声も、会う度に優しく振られた手も、全部、少なからずわたしに向けられた好意だと、勝手に勘違いしていた、思い上がっていた、そう思うと、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうで、わたし。
「ぁ、ご……ごめん、なさい……ごめんなさい!」
「!……に、西住ちゃん!?」
消えてしまいたい、今すぐこの場から、いなくなってしまいたい。そう思うより先に、駆け出していました。会長が呼び止める声が遠くに聞こえるのも構わずに。
「あぅ、あぁ、ぅああぁぁ……!」
「……住……?……しずみど……!?……」
誰かに声をかけられた、そんな気がして、でも今は誰にも顔を見られたく無くて、空気を見誤って無謀な勝負を仕掛けて、自分の身の程を思い知らされた惨めな自分を。
だから、そのまま、走り去りました。
「……西住殿?」
[つづく]
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久方振りのみほ杏SS。 会長とみぽりんが正式にお付き合いと言うハッピーエンドにに至るまでのすったんだのおはなし。 連作予定です。 |
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