『赤石永依の奇妙な自己愛―完璧な私は不完全な僕を抱きしめたい 』
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 現代日本の人間は、平日に街中をさまようことはない。

 彼らの生活は、学校や職場で過ごすことによって成り立っている。彼らはそこで何者かになり、過去を乗り越え、未来へと進んでいく。

 目的なく街中をさまよっている人間というのは、未来も寄る辺となる過去もない、半端な存在だ。

 赤石永依(あかいしえい)も、半端な存在のひとりだった。

 永依は落ちこぼれていた。進路を決めようということになったとき、彼はこれといった進路を決めることができなかった。彼は進学したが、しばらくして、なにがあったわけでもなく、学校に行かなくなった。

 現代社会において、永依は危機的な状況にあった。

 生きる意志や術をなにも磨かず大人となって、幸せを掴める人間はあまりにも少ない。

 しかし、彼はすこしも慌てずに、立ち寄る本屋で黙々と本を読む日々を続けていた。 

 両親や先生、友達にいくら、

 「このままだとまずいぞ」

 と言われても、永依はなにも思わなかった。

 このまま適当に生きて、適当に死ぬのだろう。

 永依はそう思っていた。

 永依は、頭では冷静にこのままではいけないと考えていた。

 しかし、いまの半端な状況から抜け出そうと心から思うことは、どうしてもできないのだった。

 永依には望みがなかった。未来を生きたいという願いも、悔やみ取り戻したいと思う過去もない。

 未来にも過去にも寄る辺がなく、進むことも戻ることもできない。

 しかし、それでも人は、自分にとってなにが大切なのか、なにを望んで生きるのか、自分で道を選んで進まなければならない。

 永依がそのことを知るのは、彼がいつものように、本屋で立ち読みをしていたときのことだった。

 爆音が響き、永依の耳を裂いた。

 永依の体は、すさまじい衝撃に襲われて宙を舞った。床に叩きつけられ、倒れ伏す。

 永依の前に、地獄絵図のような光景が広がっていた。たちのぼる炎と煙が一帯を支配している。炎は広がり続け、転がった幾人もの死体を焼いていた。天井は崩れ落ち、そこら中に瓦礫が散らばっていた。

 テロだろうか。

 永依は、場に似つかわしくない呑気なことを思いながら、出口を求めて立ちあがろうとした。立ちあがろうとして、ようやく自分の半身がないことに気づいた。彼の半身は、彼がさっき立っていた場所にあった。

 永依のちぎれた半身に、尖った赤い石のようなものが刺さっていた。赤い石は人の拳ほどの大きさで、ポンプが水を吸い上げるように、永依のちぎれた半身から血をすすっていた。

 永依は痛みをこらえて手を伸ばし、ちぎれた半身へと這っていった。耐えがたい激痛が永依を蝕んだ。すこし動くごとに、さらに鈍く重い痛みが永依を襲ったが、彼は這うことをやめなかった。

いまの永依の目は、望みのない半端な目ではなかった。力強く輝いた望みのある目だった。永依は半身を奪われて、はじめて自分の望むことをひとつ、心から知ったのだった。

 永遠に思えるほど長い道のりのあと、永依はとうとう、ちぎれた自分自身を掴んだ。

 永依は温かな涙を流した。

永依はそうしてひとしきり泣いたあと、体中の血を失って、意識を失った。

 赤い石は、まばゆく光り輝いていた。

 ※

 永依が事件に巻き込まれてから、ひと月たった。

 次に目が覚めたとき、永依はかつての永依ではなくなっていた。

 長く伸びた赤い髪に漆黒の目を持つ、すらりと伸びた長身の女性。それがいまの永依だった。永依の意識は、彼の命を奪った赤い石に血とともに吸いあげられ、彼は赤い石となったのだった。

 赤い石フィロソフィカス。現代科学で解明することのできない異端技術の結晶。魔法のような力を持つその石は、永依に新たな体を与えた。

新しい体は、かつての彼の面影も温かさもない冷たい人形の体だったが、すべてにおいて完璧だった。

 誰もが目を奪われるような美しい容姿。戦車すらも踏み躙る超人的な身体能力。なんでも記憶できる頭脳。そのすべてを手に入れたが永依は、しかし、満ち足りていなかった。

 これは、ぼくじゃない。

 死にゆくなか望んだ自分の肉体。かつての自分自身を取り戻すことこそ永依の望みであり、それ以外のことなど、何の価値もない。

 永依の新しい体を作りあげたあと、フィロソフィカスは沈黙していた。彼の心臓部に埋まったまま、その魔法のような力を何も示さなかった。

 もう一度フィロソフィカスを使うことができれば、体を元通りに作り変えられるかもしれない。しかし、永依は、その方法がわからなかった。

 永依がその少年と出会ったのは、初めての任務でのことだった。

 永依はある組織の一員となっていた。

 特別対策機関と呼ばれるその組織は、世界を裏から操る組織のひとつだった。

 特機の目的は、現代科学の枠から外れた超常の現象を人知れず葬ることであり、彼らは永依を襲った事件を追っていた。永依は、重要参考人として連行されたあと、貴重な戦力として特機に迎えられたのだった。

 待ち合わせの場所である公園で、永依は時計と睨み合っていた。彼はこの公園でメンバーと落ち合い、その指示に従えという命令を受けていた。しかし、約束の時間を過ぎても、そのメンバーは現れない。

 約束の時間を間違えたのか。あるいは何らかの問題が起きていて、合流が不可能となったのか。

 手渡されていた通信機で組織に連絡してみても、なぜか繋がらない。

 永依は結局なにも判断することができずに、ただ待っていた。前にも後ろにも進めないことへの底冷えするような苛立ちが、彼を蝕んでいた。

「遅れてごめん。迷子の猫を探してたら、こんな時間になっちゃって。」

 数十分が経過してようやく現れたそいつは、息をきらしながら、永依にそう謝った。

 なんだ、こいつは。

 初めての任務に身構えていた永依は、呆気にとられて、少年に対して、まともな返事ができなかった。

 ラフな格好をした、健康的な体つきの少年だった。少年はあまりにも無防備な姿で、永依には、彼が特機の一員だとはとても思えなかった。少年の口から、迷子の子猫を探していたから遅れた、などという言葉が出たことも、その疑念に拍車をかけていた。

「あっ、あの、人違いではないですか?」

「ぇー、でも、赤石永依……、永依さんですよね?ほら、写真とそっくり。」

 少年の取り出した写真には、スーツを着た永依が写っていた。呆気にとられ続ける永依をよそに、その少年は、

「立花優。高校生です。好きなものはご飯で、特にお好み焼きが好きです!よろしくお願いします!」

 と言った。

いつの間にか立花優の隣には、彼と同い歳ぐらいの少女が立っていた。

「ごめんなさい。良い子なんですけど、ちょっと元気がありすぎちゃって。」

少女は雛森明と名乗った。明は、落ち着いた様子で、永依に礼儀正しくお辞儀をした。

「あ、赤石永依、です。よろしく。」

 優と明は、顔を見合わせたあと、緊張した様子の永依に微笑みかけた。

二人は永依を引っ張って、商店街のほうへと連れていった。

「永依さん、なにか好きなことあります?買い物とかカラオケとか、なんでもいいですけれど。」

 もしかするとこれは、特機の面接試験かなにかなのだろうか。それなら答えなくてはと、永依は思ったが、しかし言葉に詰まった。自分の好きなことが何なのか、彼はよくわからないのだった。

「いや、よく本屋さんにはいくけど。」

 結局、ふだん時間つぶしにしていたことを永依は喋った。正直に好きなものを答えたわけではなかったので、その言葉はしどろもどろで、そらぞらしいものになった。

「本屋さん!いいですね!行こう、行きましょう!」

「なら、とりあえず本屋ですね。そのあとは、服を見にいってもいいですか?」

「ぇー、また買うの?今月大丈夫?」

「優が買うの。冬着、まだでしょ?」

 見ると、季節は秋にさしかかっているのに、優は、ずいぶんと涼しそうな服を着ている。対する明の服は、暖かそうなものだった。

「すっかり忘れてた。ごめん、選んでもらってもいい?」

「もちろん。」

「ありがとう明!すごく助かるよ、嬉しい。」

 優はそう言うと、自分の腕を、明の腕に絡みつかせた。そのまま抱きついて、優は明に身を寄せる。明はすこし照れた様子を見せながらも、腕の絡みを深め、歩いていく。

 永依はようやく、これがまともな任務ではないことに気づいた。

「あの、邪魔して本当に悪いけど、今日のこれって、どんな任務なの?」

「ぇー、司令、なにも言わなかったんですか?顔合わせですよ。親睦会。」

「永依さん、高校生だから。同い年のわたしたちと遊んでみたらって、大橋さんが。」

「特機って、かなり気の抜けた組織なのね。」

 永依が脱力した様子で言うと、優は笑って、

「でも、平和でいいじゃないですか。おかげで、永依さんと友達になれるかもしれないし。」

 と言った。

 優の明るい笑顔に、永依はもう考えるのがいやになって、

「そうかもね。」

 と、迎合した。

 買い物をすませたあと、永依たちはクレーンゲームに熱中して百円玉を溶かし、カフェでパフェを食べた。その日は三人にとって、充実した一日となった。

 永依が待ち合わせのときに感じた、前にも後ろにも進めないことへの底冷えするような苛立ちは、いつの間にか消えていた。

「二面作戦を展開してもらう。」

 特機の司令部に呼び集められた永依と優は、司令である大橋剛の指示を聞いていた。

 司令部のモニターには、炎に焼かれ黒煙をあげるビルがふたつ映されていた。ふたつのビルは、それぞれ離れた場所にあるらしかったが、同じような燃え方をしていた。

「火災そのものは消防が担当する。しかし、ビルには多くの民間人が残されており、その救助は消防だけでは間に合わないものと思われる。そこで君たちの出番というわけだ。」

「はい!みんなを助ければいいんですね!」

 優が拳を握り、気合を入れた。

 永依は燃えあがるビルをじっと見つめていた。燃えあがるふたつのビルは、永依が元の体を失う原因となった事件を連想させた。

「そうだ、よろしく頼む。だが、火災の原因は不明。未だどこかで火種がくすぶっている可能性は十分にある。気をつけてくれ。」

 ハイタッチをせがんできた優と手の平を重ねてから、永依は現場へ向かった。

 ビル内部はひどい惨状だった。天井は崩れかけ、瓦礫があたりに散らばっていた。たちのぼる炎と煙が一帯を支配し、広がり続けいる。

 優がこの光景を見たら、やさしい彼は、きっと苦しむ。彼は大丈夫だろうか。

 永依は、なんとなくそう思った。

「現着。これから生存者を探します。」

 永依は、服の襟にとりつけられた通信端末にむかってそう言った。

 生存者を探すべく、永依は集中して耳をすませた。フィロソフィカスによって作られた彼の体は、超人的な能力を有している。その気になれば、ビルのどこに何人生存者がいるのか知ることなど、たやすい。

 四階のエスカレーター前に十三人。息は微弱だが確実に生きている。しかし、なぜ、この人数が、こうも同じ場所にまとまって倒れているのか。

 不自然な状況だった。しかし、救助が任務である以上、生存者のもとに向かうしかない。

 永依は両脚に力を込め、天井へ向かって飛んだ。永依の体は、崩れかけていた天井を突き破り、瞬く間に四階へとたどり着いた。

 状況を確かめるべく生存者たちに歩み寄ろうとして、永依は、はっとなった。

 生存者たちの体に、無数の爆薬が巻き付けられていたのだった。しかし、それよりも永依をはっとさせたのは、生存者たちからすこし離れたところに、スーツを着た男が、平然とした様子で立っていることだった。ガタイのいいボディガードじみた風貌の男だった。

異様なことに、炎は男には決して近づかなかった。男の周囲一メートルほどをうすい膜のようなものが覆っていて、男と外の世界とを遮断していた。

 男は永依の姿を見て、にやりと笑った。獲物を追い詰めた肉食動物のような、敵意ある笑い方だった。

 とにかく、まずい。

 永依はとっさに、自分が突き破ってきた穴へと飛びのいた。

 耳をつんざく轟音と、視界を染める爆炎が、一瞬世界を支配した。

 永依の体は、爆風で地上へと落下した。

「たいした損傷はなし。さすがはフィロソフィカスのコアユニット。素晴らしい力だな。」

 男はいつの間にか、永依のそばに立っていた。男は、永依を踏み、押さえつけていた。

 永依には超人的な身体能力がある。単なる人間の踏みつけなど、簡単に跳ね除けられるはずなのだが、永依がいくら立ち上がろうとしても、体が動かない。

 永依を押さえつけているのは男の脚ではなく、男がまとっているうすい膜だった、膜が決して壊れない強固な壁となって、永依を押さえつけているのだった。

「しかし、それだけの能力がありながら、あの状況で保身にはしるか?これは憶測だが、貴様の任務は被災者たちの救出であって、貴様の保身ではないはずだな?私を止めようとは思わなかったのか?特機のエージェントは与えられた任務をこなそうともしない、出来損ないのようだな。」

 男は、心から相手を軽蔑しきった冷たい目を永依にむけていた。男の脚がだんだんと下がり、脚と地面の間に挟まれた永依を押しつぶしていく。

 うぐぐぐ……。

 いくら唸り抵抗しても、上にも下にも逃げ場はない。前にも後ろに進むことができず、もはや命運尽きたと思われた、そのときだった。

 世界が崩れんばかりに揺れた。天も大地も、空気さえもが震えていく。

 空の彼方から空気を裂くような騒音が響き、甲高い叫びがやってくる。

「ぇやぁぁぁぁぁああああああ!!!!」

 流星のごとく墜落してきたそいつは、握り締めた拳で男をブン殴りとばした。

 動きやすそうなジャージを着たそいつは、立花優だった。

「やりすぎだぞ。」

「大丈夫、手加減しました!」

 優の言葉は本当らしかった。吹きとんだ男は、ビルに叩きつけられたまま動かなかったが、無傷のようだった。過度な衝撃はすべて、男をつき抜けてどこかへと消えてしまったのだ。

 拳の衝撃をあの膜の内側にいる相手に伝えただけでなく、ダメージをコントロールしたのか、デタラメが過ぎる。

 永依はおののいた。

 優の肉体は、フィロソフィカスによって作られた永依のものとは違い、生身の人間にすぎない。ただの人の肉体で、これほどまでのデタラメを可能とする。それこそが、優が学生の身でありながら、特機にいる理由だった。

「でも、気絶したはず。特機につれ帰って、なんでこんなことをしたのか聞きましょう。」

 男に近づこうとする優を、永依は手で制して止めた。

永依の超人的視力が、男のつま先の、ほんのわずかな屈伸をとらえたのだった。男の動きは、近づいてきた獲物をとらえるためのものだった。

「まだだ。まだヤツは、気絶していない。」

 男は舌打ちして、気絶したふりをやめた。立ちあがり、両腕を胸の前で交差させるような、独特の構えをとる。

 鉄と鉄がこすれ合う、耳障りな機械音が響いた。男の両腕が変形し、巨大な重火器の形へと変わっていく。

 男は唇から、よどみない言葉を洩らした。

「フィロソフィカスは、そのカケラひとつではたいした力を持たない。その力は、世界の法則に縛られた単なる再生能力にすぎない。」

 優は瞬時に行動した。重火器がくみあがるよりも早く駆けだし、男へと殴りかかった。先ほどよりも重い一撃だった。男がまとう膜に合わせ、与えるダメージを修正したのだ。

 優の拳は、男をバラバラに砕いた。さきほどまで男の腕や脚だった機械のパーツが、あたりへ飛び散る。

 その光景は、優が思い描いていた結果とは違うものだった。優の見立てでは、男はただ気絶するはずだった。しかし、いま男はバラバラに砕けた。男は膜を展開せずに、優の一撃をまともに受けたのだった。 

 なんで、どうして。もしかして、殺した?

 優は、青ざめて動きを止めた。

 致命的な隙だった。

 男の胸部からまばゆい赤い光が放たれた。光は男の壊れた手足をかき集め、再生し、再び男へと繋ぎとめていく。

 男のよどみない言葉が続く。

「しかし、コアユニットと、そのエネルギー源であるカケラを揃えることができるのなら。」

 動きの止まった優へと、完成した重火器の銃口が合わさった。銃口から、弾丸ではなく、超高温の熱線が放たれる。すでに触れてしまった超高熱を防ぐことは、優の持つどんな優れた体術でも、不可能だった。

 優は悲鳴をあげて倒れ伏した。片手が焼き切られ、ちぎれている。

「あらゆるものを自在に作り変えるそのパワーは、まさしく、世界をひっくり返す力を持つ。手に入れなければならない。他の組織が気づくまえに、我々リヴァーズが、必ず。」

 永依は、男に埋めこまれたフィロソフィカスのカケラに視線を奪われ、立ち尽くしていた。

 絶望的な状況だった。

 永依は男の持つ膜を破ることがかなわない。そのうえ、フィロソフィカスのカケラによって、砕いても男は再生する。

「逃げるなよ。赤石永依。」

 銃口が、倒れた優へと合わさった。

「逃げれば、お仲間を殺す。こちらへ来い。」

 男は手招きをし、永依に傍までくるよう促した。

 この火災は、永依を捕らえるために計画された用意周到な罠だった。優の乱入によって窮地を脱することはできたが、もう一度捕らえられたら、おそらく、もう脱出することはできない。

 永依は沈黙した。

 男の要求を呑むのか、はたまた、背を向けて逃げ出すのか。

 永依は、どこかへ行かなければならなかった。進むにしろ戻るにしろ、自分の手で道を選ぶときだった。

「……わかった。行くよ。」

 永依は一歩を踏み出した。ゆっくりと、男のほうへと歩いてゆく。いまの永依の目は、望みのない半端な目ではなかった。力強く輝いた、望みのある目だった。ちぎれた半身に手を伸ばすため、血塗れで這いずったあのときと同じ目だった。

 あのうすい膜は、あいつと外側の世界を遮断している。膜をまとっているとき、おそらくあいつは、銃を撃てない。だから、優に銃をむけているいま、膜はない。

 優は考えを巡らせながら、じりじりと男との距離を詰めていく。

 いまならあいつを始末できる。だが、じゅうぶんに私を引きつけたら、あいつはおそらく、優を始末して膜を展開してしまう。ギリギリの間合いを見極めて、優を撃つ瞬間、あいつの胸を貫く。

 永依の目は、フィロソフィカスのカケラだけを見つめていた。カケラを手に入れ、元の体に戻ることしか、いまの永依の頭にはなかった。

 あと一歩か、二歩か、いよいよ運命が決すると、永依が思ったそのとき、

「こなくて、いいよ。」

 優が絞りだすような声で、そう言った。

 男は、黙っていろという風に優を睨んだ。しかし、優は、男の目をまっすぐ見つめ返した。

「友達を、無関係の人をたくさん巻き込んで、死なせるような人のところになんて、いかせない……!!」

 優の声は、怒りに満ちていた。

 男は、自分がミスをおかしたことに気づいた。

 フィロソフィカスのコアユニットである赤石永依を手に入れる。その任務を完遂するため、立花優を利用すべきだと思った。しかし、片手を失っても衰えない闘志を見せるこの少年は、一射で始末しておくべき危険な相手だったのだ。

 男はすぐさま引き金をひいたが、遅かった。

 優が残った拳で、男へと殴りかかった。再び撃たれた熱戦が拳を貫き、溶かしていくが、それでも、優の拳は止まらない。男を殴りぬけ、吹き飛ばす。

 優の完璧なダメージコントロールによって伝わった衝撃は、男の胸部に埋めこまれているカケラを完全に破壊した。

 男が再び立ちあがることはなかった。

 リヴァーズは、他の組織から追いだされたはぐれ者たちによって作られた組織だった。世界をひっくり返すという大きな目的とは裏腹に、力の弱い彼らは、強大な他の組織の駒として使われていた。

 とあるホテルの上階に、リヴァーズの基地は、ひっそりと設置されていた。

「困ったことになった。」

 基地に集められたメンバーたちに対し、リヴァーズのまとめ役である男が、重い口を開いた。

「コアユニットの回収にむかったメンバーたちと連絡がとれなくなった。残念だが、バリアーは、赤石永依にやられてしまったようだ。」

「本当なのか。あのバリアーがやられるなんて。」

「どうやら本当のようだ。彼らの生死はわからないが、生きていても死んでいてもまずい。特機なら彼らを手がかりに、ここまでたどりつける。」

 まとめ役の言葉をきいて、メンバーたちが、落ち着きなく騒ぎ始めた。

 バリアーは歴戦の戦士だった。彼は強く、多くの知恵を持っていた。

 リヴァーズは、バリアーの巧みな采配のおかげで、巨大組織に最後まで使いつぶされず、ギリギリのところで今日まで生き残ってきたのだった。

 バリアーが負けたという知らせは、メンバーたちをどうしようもないほどに動揺させた。

「もうだめだ。逃げよう。」

「無理だ。逃げても追いつかれるぞ。俺たちだけじゃ、特機をまくことなんてできない。」

「ならどうする。戦うのか?バリアーが勝てなかった相手だぞ。」

 メンバーたちが言い争いをはじめ、殴り合いの喧嘩に発展するかという、そのときだった。

 極端に痩せ細った白髪の少年が、ゆっくりと言い争っているメンバーたちの中心へと入っていって、ひとりの腕をつかんだ。

 少年に触れられたメンバーが、ちいさな悲鳴をあげた。その悲鳴を聞いて、ようやくメンバーたちは少年に気づいた。

「スラッシュ……。」

 スラッシュと呼ばれたその少年は、

「散り散りになって逃げよう。ただし、貯めこんだ貴重品はおいていく。そうやって完全に力を失えば、特機は、俺たちを追う理由を失う。」

 と、かぼそい声で言った。

 メンバーたちは、スラッシュの言葉をきいて、顔を見合わせて黙り込んだ。

「しかし、そうすると、スラッシュ。貴重品、つまり、能力者である君を置いていくことになるが。」

 まとめ役の男が、ためらいがちに言った。

 スラッシュは、そんなことはわかっているというふうにすぐさま、

「自分はここに残る。」

 と、言った。

 おかしいなと、まとめ役の男は思った。

 自分が犠牲になるという話をしているのに、スラッシュからは、一切の悲壮感が感じられなかった。むしろ、生き生きとしている。

 幼少期のスラッシュは、両親に暴力をふるわれながら過ごした。悲惨な状況だったが、彼はそのことに対し、なにも感じたことはなかった。両親がふるう一方的な暴力は、彼の心を一切動かさなかった。

 ある日、スラッシュを殴ってきた両親が真っ二つになる事件が起きた。スラッシュには、両腕であらゆるものを切断できるという、特異な能力が備わっていて、それが偶然発動したのだった。

 良くも悪くも両親から解放された彼は、しかし、喜びも悲しみもしなかった。

 バリアーに拾われ、組織の命令に従って生きるようになっても、スラッシュは変わらなかった。さまざまなことを経験したが、そのなにもかもが、彼には意味のないことだった。

 スラッシュは、望むことがないまま、毎日を無為に生きてきた。

 しかし、いまスラッシュは、はじめて自分の望むことをひとつ、心から知った。そして、知ってしまったからには、もうその望みから逃れることは、できなかった。

 バリアーを殺したヤツを、殺す。

 スラッシュが胸中で呟いたその言葉は、彼の胸をなによりも熱く燃えあがらせた。

 スラッシュは、懐からフィロソフィカスのカケラを取りだした。それはバリアーが彼へと託した、リヴァーズの持つ最後のひとカケラだった。

 スラッシュは、カケラを自分自身へと突き刺し、体の奥深くへと埋め込んだ。

 重傷を負った立花優は、すぐさま特機の息がかかっている病院に運ばれ、手術を受けた。手術は長く、困難なものとなった。

 特機はすぐに、事件がリヴァーズと呼ばれる組織の仕業だとつきとめた。永依は、リヴァーズを追跡するために駆りだされ、優の手術に立ち会うことはなかった。

 リヴァーズを追跡する最中、永依はずっと、優のことを考えていた。

 優が永依を友達と呼び、守ろうとしていたことを。そして、そのとき永依が、優を犠牲に望みを叶えようとしていたことを。

 バリアーの人質となった時点で、優は詰んでいた。永依がなにをしようが、優の運命は変えられなかっただろう。

 あの状況では、優を犠牲にバリアーを倒すのが最善の手だった。

 永依はそう思うのだが、しかしどうしても、心になにかが引っかかって、あの選択は間違いだったのではないかと、問いかけ続けるのだった。

 正解だったのか、間違いだったのか、永依は答えをだせないまま、進むことも戻ることもできなくなっていた。

永依が迷い続ける一方で、リヴァーズの追跡は着々と進んでいった。

 追跡は、しだいに素人である永依の手から離れ、プロである大橋剛らの仕事となった。

 豊富な知識と経験が必要とされる追跡捜査の駆け引きでは、永依はたいして役に立てない。永依が特機で役割を果たせるのは、彼の超人的な身体能力が必要なときだけなのだった。

 いくばくかの暇を得た永依は、吸い寄せられるように優の病室へと訪れた。

 病室は、小綺麗なホテルのようだった。テレビや冷蔵庫があって、引きだしの上に、優の私物であろうCDや雑誌が置かれていた。他にも、優が持ちこんだとはとうてい思えない教科書やプリント類が置かれていて、雛森明が優の見舞いに何度も来ていることを、永依に感じさせた。おそらく冷蔵庫には、優の好物であるお好み焼きが入っているのだろう。

 検査でもしているのか、優は病室にはいなかった。

 自分はいったい、なにをしに、ここにきたのだろう。

 しばらくそう考えても、永依は答えを見つけられなかった。逃げるように病院を去ろうとして、永依は、ばったりとそいつに出会った。

 立花優だった。

 優は難しそうな顔をして、永依を自分の病室まで連れていった。普段よくしゃべる優にしては珍しく、静かだった。

 病室に入った後も、優の沈黙は続いた。永依もまたしゃべらないので、奇妙な膠着状態が生まれた。

 しだいに居心地が悪くなってきた永依が、天気の話でもしようかと思ったそのとき、

「ごめんなさい!」

 と、優が思いきり永依に謝った。深いお辞儀の丁寧な謝り方だった。

 どうして、私が謝られているのか。

永依が困惑していると、彼はそのまま、

「司令から聞いたんです。永依さん、ずっと元の体に戻る方法を探してて、あの赤い石はそのために必要だったのに、なのにボク、あんなふうに粉々に。」

 と、続けた。

 永依は、自分の血の気が引いていくのを感じた。

 体が偽物であることも、無為な日々を過ごしてきたことも、ファイアウォールへ歩み寄ったのが優のためではなかったことも、赤石永依という人間のすべてを、いま優は知っているのだった。

 永依は自分のことを誰に知られても、どう思われようとも、別にかまわないと思っていた。事実、永依が大橋剛に自分のことを説明したとき、彼は何も感じることはなかった。しかしいま、燃えるような羞恥の感情が、永依を混乱させていた。

「それは、だって、それはあの状況では。」

 あの状況では、優がカケラを砕いたのはしかたのないことだった。優の一手は最善のものだった。

そう言いたいのだが、しかし、永依にはどうしても、言葉を続けることができなかった。

 永依は優の謝罪を完全に無視して、

「怪我の具合はどうなの?」

 と、聞いた。

「大丈夫!へいきです!」

 優はガッツポーズをして元気そうに言った。腕の動きはぎこちなく、腕の先にあるはずの手は、機械のそれだった。

「もし叶うなら、その手、元に戻したいと思う?」

「……うーん。元に戻したいけど、戻さなくてもいいかな。義手ってちょっとかっこいいし。」

 はにかんで微笑む優の言葉は、嘘ではないのだろうと永依は思った。この立花優という人間はきっと、この先にあるどんな悲しみも苦しみも、雛森明とともに超えていくのだろう。

「あなたは、そうでしょうね。」

 永依は、静かに深呼吸をした。そうしないと、情けなく震えた声になると思った。

「私もごめんなさい。あなたを見捨てた。あなたを犠牲にして、カケラを手に入れることしか、考えていなかった。」

 永依の口調は淡々としていた。

「また三人で遊びにでかけよう。きっと楽しい一日になるよ。」

 優の言葉に、永依はうなずかなかった。

 ふたりの間に再び沈黙がおりて、話は終わった。ふたりとも言える言葉を言い終えて、あとはもう言うことのできない言葉しか残っていないのだった。

「両腕でなんでも斬れるという自分の能力は、実に扱いが難しい。というのも、単純に戦うために使うのならば、優れた兵器は他にいくらでもあるからだ。」

 永依がリヴァーズの基地を進むあいだ、その声はずっと聞こえていた。基地の奥にいる何者かが、永依にむかって語りかけているのだ。

 敵は自分の能力を知っているのだと、永依は理解した。思い返してみれば、バリアーもそうだった。彼は永依の能力を逆手にとった罠をしかけ、的確に彼をつぶしてみせた。

「自分にそれでも価値があるのは、キミやバリアーのような特別がいるからだ。銃やナイフでキミを始末することは、これは不可能だが、自分ならば簡単にできる。」

 永依はとうとう、声の主のもとへとたどりついた。

 大量のコンテナが詰めこまれた広い倉庫のような部屋だった。

部屋の真中には、白髪の少年が立っていた。

 こいつが、スラッシュ。

 永依は少年のことを知っていた。事件がリヴァーズの仕業であることを突き止めた特機が、永依に教えていたのだった。スラッシュの特異な能力と、彼の戦いに関するすべてのことを。

 永依はすぐさま懐から銃をとりだし、スラッシュを何度も撃った。弾丸は、スラッシュの両腕にあたったもの以外、すべて命中した。

 スラッシュの能力は、正面きっての戦闘にはむかない。彼はあくまで両腕でなにもかもを斬れるだけであり、それ以外は単なる人間にすぎない。銃の連射を防ぐことは、できないのだった。

 しかし、スラッシュは命を落とさなかった。スラッシュの胸元から放たれる赤い光が、彼の頭部を再生したのだ。

 やはり、フィロソフィカスのカケラを持っている。カケラをとりのぞかない限り、こいつを倒すことはできない。

 永依は銃を捨てた。カケラをスラッシュの体からとりのぞくには、自分の手を彼に突き刺すしかない。

「これはシンプルな戦いになる。どちらの拳が先に相手に届くかという、ただそれだけの勝負。」

 スラッシュは永依を見つめた。その目を見つめ返して、永依は全身が震えるような感覚を覚えた。

スラッシュの目は、力強く輝いているように見えた。そして、彼は溢れんばかりの殺気を永依にむけていた。

 永依は理解した。自分を殺すためだけに、スラッシュがここにいるのだということを。

 スラッシュは、永依にむかって歩みはじめた。

 永依もまたスラッシュに、彼が持つカケラにむかって歩きだす。

 ふたりの力は拮抗していた。ふたりともどちらが勝ち、どちらが死ぬのか、わからなかった。命の危険があることを知りながら、ふたりは対峙する道を選んだ。

 自分がなにを求めているのかわからず、無為に日々を生きてきた。寂しくて心細くて、いつ自分が押しつぶされて消えるのかと、怯えるだけの日々だった。

 いまは違う。

 いま、ふたりには望みがあった。いままでの人生の無為をかき消してしまうほどの強い望みを、ようやく見つけた。

 あとはもう、前に進むことしかできない。

 決着は一瞬でついた。

スラッシュの両腕が空を切る。身をかがめて急加速した永依の体を、彼はとらえることができなかった。

 永依の腕がスラッシュに突き刺さった。

スラッシュから赤い光がこぼれる。

 永依は光へと手を伸ばし、掴みとった。

 ※

 永依は、優の病室の前で立ちどまっていた。

 自分にとってなにが大切なのか、決めるときだった。

 人任せにすることも、逃げることもできない。

 それを決めることができるのは、世界でただひとり、永依だけなのだった。

 永依は思い出していた。

 いままでの無為な人生を。

 ちぎれた半身に手が届いたときの歓喜を。

 前にも後ろにも進めない苛立ちを。

 その苛立ちが、優や明と一緒にいるときには消えていたことを。

 もう、答えは決まっていた。永依は心を決めて、病室に入ろうとした。

 一歩を踏みだすのが、つらかった。

 息が詰まり、足は動かず、手は呆れるほどに強くカケラを握りしめていた。

 渡したくない。

 永依は心からそう思った。

 いま彼が手放そうとしている力は、彼が元の体に戻るために大切な力だった。

 フィロソフィカスによって作られた永依の体は、すべての面において過去より優れている。ふつうならば、元の体に戻る理由はない。しかし、どうしても、永依は元の体に戻りたかった。

 永依は、なんの望みも持てなくて、無為に過ぎていく毎日がつらくて、すべてを投げだした人間だった。

 すべてを投げだした永依に、それでも最後まで寄り添ってくれた人がいた。

 それは自分自身だった。

 彼だけは、どんなに永依が惨めでも、永依がどれだけ世界に射貫かれても、いつも永依の傍にいて、永依と同じことを感じて、永依を支えてくれるのだった。

 彼が永依を支えて、永依が彼を守ろうとしたからこそ、永依は生きていられた。

しかし、永依は彼を失った。一緒に死ぬことすら叶わなかった。

 永依が必死に守り続けてきた彼は、鏡に映る完璧な体のどこにもいない。

 もういちど彼の声が聴けるのなら、彼をやさしく抱きしめてあげられるのなら、どんなに幸せだろう。 

 いま引き返せば、それは叶うのだ。

それでも永依は、前に進むことを選んだ。

 どんなに抗おうとも、友達を助けたいという彼の望みを、永依は押しつぶして殺すことができないのだった。

 病室のベッドで、優は静かに眠っていた。

 永依は這うような速度で、優のもとへと歩いていく。

 永依が優までたどりついたとき、フィロソフィカスは、魔法のような力を行使した。まばゆい赤い光が優の体をつつみ、優の手を元の肉体に作り変えていく。

 優の手が完璧に復元されたとき、フィロソフィカスのカケラは光を失って、ヒビ割れて消えた。 

※ 

 待ち合わせの場所である公園で、永依は時計と睨み合っていた。

 まさか、約束の時間を間違えたのか。あるいは合流が不可能となったのか。

 携帯で連絡すると、すぐに待ち合わせているそいつと繋がった。

「ごめーん!あと二分、五分、二十分待ってぇー!」

 電話口の優がいきなり、必死に頼み込んできたので、永依は、なにかあったのかと心配になって、

「別にいいけど、どうしたの?」

 と、聞いた。

「いや、それは言えないというか……。やむにえない事情があるというかぁー……。」

 はっきりしない態度だった。

永依がくわしく聞くべきか、ここで引いておくべきなのか悩んでいると、電話口から聞こえてくる声が変わった。雛森明の声だった。

「ごめんね。待たせちゃって。パーティーを準備してたんだけど、優が準備するものを買い間違えて、思ったより手間取っちゃって。」

「パーティー?」

「そう、お誕生日おめでとう、永依。」

 永依はどきりとした。血が歓喜の声をあげて、体中を巡っていくのを感じた。ほんのりと頬が赤くなった気がする。

 友達がパーティーを開いてくれて、誕生日を祝ってくれるというのは、永依にとってはじめての経験だった。

「ありがとう。」

 永依は短く感謝の言葉を返した。すこしでも余計にしゃべったら、声がうわずってしまいそうだった。

 優の自宅で合流することになり、電話が切られた。

 明に頼まれた買い物をすませるため、永依はビル街へと足を踏み入れた。

 そこで永依は、ようやく彼に気づいた。

 ショーウィンドウに映った自分の変わり果てた姿のなかに、ひとつだけ以前と変わらないことがあった。

 漆黒の瞳。それだけは、昔の彼と同じ色をしていた。

 永依には超人的な視力がある。当然、瞳は作り変えられたものであり、どんなに似ていても、昔の彼のものではない。

 それでも永依は瞳のなかに、彼を見つけた。

 永依が鏡のなかにいる彼に微笑むと、彼も同じように微笑み返した。

 なによりも愛おしくて、素敵な笑顔だった。

 永依は鏡から視線を外して、歩き出した。彼は一度も振り返ることなく、通りの彼方へと歩いていって、その姿は、すぐ鏡に映らなくなった。

 

説明
なんの望みも持てない。無為に日々を生きる少年、赤石永依。
なにをかもを失い続ける彼は、とうとう自分の体を失った。
代わりに手入れたのは、何もかも優れた、完全なる義体。
これは、ぼくじゃない。
失われた自分を取り戻すために、永依は、命がけの戦いに身を投じていく。

短編。完結済み。
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