前回の続編ですw |
前回の続編です。
●やはりどう考えても目立たせ過ぎるというのは絶対におかしいし裏がアリアリだと思います。何度も同じこと書いてすみませんが、目立たせるとその相手とデートをする時に必ず気づかれて行動を調査されてすごく邪魔をされるので、本当に交際をしていた場合にその相手を目立たせるってこと自体が絶対に嘘っぽくて、信じられないことだからです。
●またお金持ちしか楽しんだり素敵な恋愛ができないようなムードに周囲を変えて行っているってこと自体も何だかすごい不穏で差別的で嫌だなあと思ったりしています。特に上記のようなことをされていつも自分がその役回りに使われている感じだったらなおさらそう思ってしまうと思います。つまり、踏んだり蹴ったりって意味ですよ。
●カルメンみたいな名前の女性を同じように死刑にしようという企みもあるかもですね。というか他にも死刑的内容の作品はたくさんあると思いますが、どの作品の場合もそこに出てくる登場人物と人相とか名前が似通った人を作品の内容と同じような手口で死に至らしめようという作戦は昔から作品好きで猟奇的思考の悪徳商法者達にはすごく多いように思うのです。
●死刑的意味合いの作品としては他にも、地獄少女とか、ベルサイユのばら、サロメ、はだしのゲン、白鳥の湖、まあ探したらきりが無いくらい死刑物の作品はきっと無限に多いと思います。―ただし私は女性なので戦争物とかサバイバル物は苦手です―
●我慢できなかったら自分達でいらない邪魔な人物を嫌がらせ屋とか呪い屋に依頼してお陀仏にするんだと思いますが、極力は、自分等は周囲が自分等の邪魔な人間を自然に嫌って邪魔がり最後は憎むように必死で色んな演出を駆使したりデマを流したり、作品内で誰からも疑われて嫌われる役を何度もやらせたり、やたらすごく儲かっていてモテモテだという風に多種多様な形で目立たせ続け、それを見て本当に疑って嫉妬に狂った単純な人に先に書いた依頼業者に進んで依頼をするように仕向け続けているように思うのです。
※でもサロメのあらすじさっきネットで見つけましたが、こんなすごい最後って酷過ぎるって感じをとても強く受けました。これだったらまだカルメンの最後の方がマシかも・・・みたいに思いました。何故なら殺された人は物語の最初からずっと自由が無い状況―ずっと牢獄の中ですから―でそのスタイルのままいきなり死が訪れているからです。(http://blue-lace-moon.holy.jp/kurina/stage/salome.html)どっちにしても最後は死ぬんだけどカルメンの方は基本が自由なのでその辺がサロメよりずっと明るくて楽しさがあると思うんです。大昔から作家達は、自分のお客に代用品モデルを回す際に作品を用いて脅しまくっていた証拠だと思います。つまり、そのタイミングよく遭遇したお客の相手をきちんとしないとあなたは時期そのストーリーと似た形で死にますよ・・って脅迫だと思います。じゃなきゃこんな内容の作品ある訳もないし・・・。
もっとも気になったサロメのあらすじの内容の下り・・・
サロメ:「わたくしの望みの品とはいますぐにここに銀の大皿にのせて……」
ヘロデ:「銀の大皿にとな? よしよし、銀の大皿にのせてな。かわゆいことを申すではないか。
なんなのだい、銀の大皿にのせてはこばせたいというのは、わしのいとしい美しいサロメ、
・・・たとえどのようなものであろうと、かならずおまえにとらせるからな。
わしの宝はことごとくおまえのものだ。どんな品なのだ、サロメ?」
サロメ:(立ち上がって)「ヨカナーンの首」
ヨカナーンとは⇒ 宮廷の一角。ヘロデヤを近親婚姻を行った不義の輩だと弾劾する預言者ヨカナーン(バプテスマのヨハネ)は、王妃らの不興を買い、牢獄につながれている。深い牢の底から享楽的な王妃や宮廷を告発するヨカナーン。
上記のお話をもっと面白おかしく描いているブログURL⇒https://yaplog.jp/dachin55/archive/307⇒内容はまさに死の連鎖そのものです。そして内容的には現代のリングとからせんに似てませんか?貞子の世界をも彷彿させていると思います。でも見方によってはあまりに大袈裟な表現なので、偽の情報を流して本物の美男子の存在を薄くさせて時間稼ぎって感じもかなりあると思います。目を必死でそちらに向けさせるっていうので、昔から小姓とかツバメの存在はあったと思いますし。
だから多分、ヨハナーンは、実際は、ヘロデから小姓として狙われ、逃げようとしたので牢屋に入れられ、ヘロデから義理の娘(姪)なのに狙われていたサロメからも狙われたけど断ったので、死刑になったのでは・・そして、死刑にした後残酷にも見事胴体から切り取られた頭部に口付けをするからその姿が異様で不気味で、最初は小姓にしたいくらい気に入っていたから嫉妬で気に入った女性も殺してしまった(この表現もなんかそれほどの美形だからという噂を流したかっただけ、つまり作家がヘデロのようなある実在する人物から小姓として目をつけられる順番をなるべく遅くして回避しようとしていただけって気がします)
―つまりヘデロはバイセクシャルだったのだと思います・・意味がよく分からないし本当にこの推測が当たっているか定かではないですけど・・・。なので、牢屋に一度入れられてしまったヨハナーンのことをもう一度以前のように大好きだとヘデロ―本名は分からないけど当時、実在していたんじゃないでしょうか?このような性質の男性が―に思わせるために当時必死でこの戯曲を書いたゴーストか本当にこの作家か分かりませんが・・・そういう裏実態も実はあったんじゃないかと思います。もち自分がヘデロに本気で狙われたり誘われないようにするためだと思います―この作品の作家の身近に当時ヘデロとかサロメみたいな男性と女性がいたということでしょう―そしてさらに付け加えると、へデロタイプをハッキリと断ってしままっために牢屋に入ってしまった人間をたくさん目にしていたのでしょう、―牢屋とかそうじゃなかったら、実質上牢屋と代わらないような現場とか職場、スペースに追いやるということでしょう―次は自分の番だといつも怯えていたのでしょう、そういう環境下で出来た作品に違いないと思われます―
そのため、作品の中にある牢屋と言うのは、現在のハボホテルのような役割で、とにかくなるべく長期間、閉じ込めておいて簡単には姿を見せない状態にさせてその間にすごく容姿端麗で素晴らしいという噂を流しまくって自分を狙っているやばい偉いバイセクシャルの人物に好意を十分抱かせてから、本当に見せる時まで極力時間稼ぎをしまくっていて、実際に見せた時には、あんなに一生懸命褒めていたから貶すのも悪いなと思わせたりで、なんとかその場を取り繕うつもりだったんじゃないでしょうか?!それで超がつく美形の作家ほど監禁好きな人がとても多いというイメージが強いかもですね。―それは探しても中々自分の身代わりが見つからないためでしょう―だから一度手頃なのを見つけると何処までも後を追って喰らいついて来たとしても本当の真の好意では無くて、ただ先に書いてある役割の負担をその人に与えたかっただけなのかもしれません―
なので、権力は欲しいけど、付き合うと絶対に権力をもらえると思われる偉いタイプの人物とは絶対に付き合いたくない、代わりに付き合ってご機嫌だけとって欲しい、そして、その際、ただそれだけでそれ以上深く付き合ったり本気になられて権力も思いのままにされては絶対に困るという本当に虫が良い考えをあるタイプの多くの人々が持っているということでしょう。―あるすごく偉い人物の至近距離に専門のご機嫌取り係りをおき、自分らは一切ノータッチの形で権力だけは欲しいというすごいエゴイストチックな考えだと思います―
何故いちいち私が顔立ちとか体型を指図されないとならないのかよく分かりません。あれだったら国からでも良いのでお金を貸してくれたり出してくれればすぐ引っ越しますし、そうした方がどういう体型や顔になってもあまり気にならないなら何も問題無いのじゃないでしょうか?何故なら、自分が過去にその人相に断られたり、冷たくされたり、意地悪をされたことがあるからその人相の顔を見たくない程度の問題だと思うのでそう思うのです。本当に権力問題だと思うんだったら根本的に住まいの場所も多少最初お金がかかってもすぐに移動させるべきじゃないでしょうか??常に最も近くにいるようにしておきながら、権力が持っていかれる・・・とかブツブツ言っている、騒いでいる、そういう様相がすごくおかしいと言う事が言いたいのです。
歯医者さんの件だってそうですね。行け行け!という合図を執拗に送りながら実際に行くと気に入らない、何か文句をつけてやりたい!という対応がすごいのでそう思います。つまり定期的に傍にいさせたいけど、その際、文句を言わずにはいられない、文句を言うのを止めることはできない、でも行け行け!というのを止めることもできない、正直言うと文句を言いたいからそこに行かせたいという考えもあるみたいな・・・。それって上記に書いたこととまったく同じじゃないでしょうか??定期的に傍にいさせたいけど、権力は上げたくない、何かと文句をつけたい・・・すごく実に虫が良い考えだと思います。
また、いつの世でもすぐ断る人とかいつも断ってばかりなのにある日突然ある人物に無様に断られたという噂を知ってしまうと―どういう風に断られたのかすごく興味深いからその理由を知りたいというだけで何処までもストーカーされるって実際あると思います―作品作りに役立てようとしているからもあると思います―心理の勉強でしょうね―知りたがりはやはり作家達でしょう―その他にも誰か自分のタイプがよく人を断る人を見事に断ってくれると仕事の入りがよくなるという掟があるせいもあるからもあるでしょう―
とにかくいつでもすぐ断る人とか断り方が下手な人が何でも悪者ってことじゃないですかねぇ・・・・。まさに冤罪とはこのことだと思います。刃傷沙汰の嵐の好かれ方って本当に嫌ですよね。逃げ方とか断り方が下手過ぎたのかそれとも既に決まった相手、先に好きな人がいるのに気持ちが急にその人に向く方が悪いのか・・・というすごく切実な問題も強く感じてしまいます。同時にセクハラ避けのためだけにここまで人を窮地に陥れて良いのかという問題―やたら前評判とか噂で大袈裟に美しいと言ったり騒ぐのがそうです、あまりにも大袈裟、オーバーだということです、実際はそうでもないことが殆どだと思います―もとても大きいと思います。この作品の場合大昔の作家達のお話になりますけど。
※ちなみに『サロメ』の戯曲を書いたのはワイルド・オスカーなんだそうですよ。
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