飯綱との絆語り -哀-
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飯綱の様子がおかしい。

そう思い始めたのはつい最近、大体今より十日程前の事だ。

「よう、飯綱」

廊下ですれ違いざまに声をかける。

飯綱に別におかしなところはない。胸の前で大事そうに抱えている本を除いて。

「あっ、オガミさん。へへ、こんにちはー」

「そりゃ何だ?」

「これ?ふふ、内緒ー」

「内緒か」

飯綱の笑みに釣られて苦笑する。なんでもないやりとり、日常の一場面。

そのまま飯綱は先に歩き出して行った。

「…………」

本の表紙はよく見えなかった。まぁ、別にどうでもいいか。

しばし飯綱の後ろ姿を見送った後、俺もその場から立ち去った。

何の本だったのかという疑問は、三歩も歩かぬうちに頭から霧散していた。

 

その翌日、俺は再び同じ光景に出くわす事となる。

何気ないやりとりのうちに別れる二人。さりげなく探りを入れてみたが、深く追求する前に逃げられてしまった。

「ううん……気になるなぁ」

俺は踵を返し、廊下を進んでいく。そのまま庭先が見渡せる所までやってきた。

この時間なら、多分……お、いたいた。

「おーい」

固まって遊んでいたちびっこ三人組――白兎、コロボックル、レヴィアに声をかけ、こっちこっちと手を招く。

「ご主人様、どうしたのー?」

「一緒に遊びたいでしか?」

「いや、悪いけどそうじゃないんだ。飯綱は一緒じゃないのか?」

さっき本人とすれ違った事を隠して、何気なく尋ねた。飯綱は普段からこの子らと一緒に遊んでいる事が多い。

「あー、さっき飯綱ちゃんも誘ったんだけど……」

「何か大事な用事があるから無理、って言ってたヨ」

「大事な用事、ねぇ……」

「オガミは何か知らないでしか?」

首を横に振る。それは俺が知りたいんだっつーの。

「まぁ、それならいいんだ。てっきり喧嘩でもしたんじゃないかと心配してたんだ、引き留めてすまんな」

それじゃあ、とその場を後にしようとすると、背後から白兎の無邪気な声が飛んできた。

「せっかくだから一緒にかくれんぼしようよー」

「えっ?いや、俺は……」

歩きかけた足を止めた主の下に、三人組がたたっと駆け寄る。

「ご主人様も大事な用事ナノ?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

コロボックルが首をかしげる。くっ、可愛い……。

そんな眩しすぎる視線で見つめられては、歯切れの悪い答えになるのも当然。

実際のところ、他に何かすべき事があるワケではない。

昨夜は遅くまで書類とにらめっこをしていたので、部屋で昼寝でもしようかと思っていたのだが……どうも無理そうだ。

「よし、分かった!」

膝をぱしっと叩き、覚悟を決める。こうなりゃ、へとへとになるまで付き合ってやろうじゃないか。

ちょうどストレス発散にもなりそうだし。

「最初は特別に鬼になってやるよ、三十数えたら探しに行くからな」

「わーい、隠れるでしー!」

「早く見つけに来てネー」

 

「いーち、にーい、さーん……」

この後、じゃんけんで立て続けに三連敗を喫しひたすら鬼役を演じ続けるハメになるのだが

そんな展開が待ち受けているなど当時の俺は知る由も無かった。

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気になる事は他にもある。早朝、台所で飯綱の姿を見かける事が増えたのだ。

仕込みや段取りなどで鈴鹿御前や狗賓がいるのはいつもの事だが、これも少しひっかかる。

じろじろ見ていたわけではないが、手伝いというよりは何か料理を教えてもらっているような雰囲気。

気になって尋ねると

「ううん、なんでもなーい」

とまぁ、はぐらかされた。

返事は予想していたが、相手が相手なだけに無理に問いただすわけにもいかず……謎は深まるばかりである。

 

付け加えておくと、俺が早朝に台所にやってくるのはつまみ食いというあまり褒められた理由ではない目的の為であって

決して飯綱をストーキングしているのではない。

 

「――というワケなんだが、どう思う?」

「どうって、私は何も知らないわよ」

事の仔細を目の前の白狐に話したが、帰ってきたのはあまりにもつまらない返答。

「んー、だよなぁ……はぁ」

「ほら、手止まってるわよ」

「あっと、ごめんごめん」

毛繕いの最中に水を差された葛の葉が、不機嫌さを滲ませた声で続けるよう促した。

毛繕いとはもちろん建前で、ちびっこ共とは別の意味で飯綱と仲の良い彼女の元を訪れている。

「そんなに気になるなら飯綱に直接訊いたら?」

「いや、それはもう試したんだが結局教えてくれなくってさ」

「なら、それ以上の詮索はやめておきなさい。しつこい主は嫌われるわよ」

きっぱりと方針を言い渡されたが、俺は否とも応とも言えなかった。

代わりに毛を丹念に梳かす事に集中する。詮索は止めろと言われた以上、葛の葉の口から何か聞き出せる見込みも薄い。

とりあえず、さっさと毛繕いを終わらせて――

 

 

 

「好きな人でも出来たのかもしれないわね」

 

 

 

葛の葉の何気ない呟きに、ピタリと手が止まる。

「なんだって?」

「好きな男の子に、何かを贈ろうとしているとか」

飯綱に?男……だと……?

待てよ待てよ待てよ、そういえば最近、街の豆腐屋によく出かけていると狗賓が言ってたな。

俺はてっきりお気に入りの油揚げを買いに何度も訪れているのかと思っていたが……。

 

その理由が、実は豆腐屋の男が目当て……?

いやいや、そんな馬鹿な。飯綱はまだ見た目も中身も子供だ。

恋など十年――いやあと五年は早い。まぁ五年経っても外見は全く変わらないだろうが。

 

しかし、絶対にありえないとは言い切れない。恋愛観など人それぞれである。

ましてや、理由が男となれば俺に言えないというのも納得できる。

 

『いらっしゃい、飯綱ちゃん。今日もお買い物かい?』

『えへへ、こんにちは、お兄さん』

『また来ると思って、今日はとびっきりの油揚げを用意しておいたんだ』

『わーい、嬉しいなー!お兄さん、だーい好きー』

 

頭の中には勝手なイメージが流れ出し、止まっていた両手がプルプルと震えだす。

名前も――知らない――奴に――飯綱を――飯綱を――取られる――。

 

「ちょっと、手止まってるわよ?」

葛の葉が何か言っているが、よく聞こえない。

早くせよと目の前の尻尾がぺちぺち膝を叩いてくるが、俺は完全に地蔵になっていた。

あれ、今まで何をしていたんだっけ。俺は……飯綱は……。

 

毛繕いを中断して櫛を葛の葉に返し、俺はフラフラと立ち上がった。

おぼつかない足取りの主に、葛の葉の声が背中から追いかけてくる。

「どうしたの?」

「ちょっと、豆腐屋潰してくるわ……」

 

 

 

流石に有言実行に移さなかったものの、放心状態のまま結局夜になってしまった。

風呂上りの自室に戻る廊下を歩きながら、俺は何度も転びかけた。

「飯綱に男……飯綱に男……」

あれか。そのうち、見知らぬ男を連れてこの屋敷にやって来て

『ご主人様ー、この人ね、私の彼氏なんだー!』

とか満面の笑みで心を抉る報告を聞かされるのかな。

……やめてくれ。それは冗談抜きで辛い。

飯綱の彼氏など、屋敷から出ていく前に八つ裂きにしなくてはならないだろうが。

 

俺はというと、ろくに尻尾すら触らせてもらえない。つまり、飯綱とはその程度の仲なのだ。

それ故に、浮気など――いや浮気って言うのかこの場合?

まぁ何にせよ、葛の葉の何気ない一言に今なお引き摺られている。確証もないのに。

精神的に落ち込んでいる時は、何事も悪い方へと捉えてしまう。

それがいけない事だとは承知していたが、心はそう簡単にどうこう出来るものではない。

己の心も、飯綱の恋心も。

 

応援してやるべきなのか?

陰陽師さん、飯綱ちゃんを僕に下さいなんて言われた日には一体どんな顔をすればいいんだ……。

 

「あ、ご主人様」

ちょうど、廊下をこちらへやってきた飯綱と目が合う。まだ起きていたのか。

「飯綱……うっ……」

目が潤んできた。

「どうしたの?」

心配そうな飯綱の声が、心に響く。

俺は慌てて目をこすって誤魔化した。

「ごめん、なんでもないよ……ぐすっ」

「大丈夫?あんまり無理しちゃだめだよー?」

もうやめてくれ、飯綱……。その優しさは、俺には辛い。

 

飯綱と別れた後、唇の端を噛み締めながら自室へ。

大抵の事なら酒でも飲んで忘れるに限るが、とてもじゃないが酒なんて楽しめる気分ではない。

あらかじめ敷いておいた布団へ――潜り込む前に、見慣れない物が机の上に置いてあるのを見つけた。

「……?」

小皿に稲荷寿司。下には紙切れが挟んである。

こんな時間に差し入れ?頼んだ覚えはないが……。

 

紙切れを開くと、たどたどしい字が並んでいた。

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ご主人さまへ

 

 

 

いつもありがとう

 

すずかごぜんさんにおしえてもらって、つかれているご主人さまのためにがんばって作りました!

 

お店の味にはまだまだかなわないけれど、どうかな?おいしい?

 

こんど、かんそう聞かせてね

 

えへへ、とってもたのしみです

 

さいきんずっと夜ふかししてるみたいだけど、がんばりすぎはダメだよ?

 

ご主人さまがたおれちゃったりしたら、わたし泣いちゃうもん

 

でもわたしは、わたしたちのためにがんばってくれるご主人さまが大好きです

 

これからもずっとそばにいてね

 

 

 

いづなより

 

 

 

 

 

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