いずれ天を刺す大賢者 序章 2節
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 よっぽど疲れていたのか、学校の寮とは比較にならないほど固いベッドだったのに、あたしはすぐに意識を手放していて、次に意識が戻ってきた時にはもう、ずいぶんと太陽が高い位置にあった。

 すぐに部屋を出て、また修行先を探しに行く。……でも、もうこの町では無理だと思う。より都会に行くか、いっそ田舎へ向かうか。

 その占いのような感覚で、いい加減にぐぅぐぅ鳴るお腹を押さえながら、小さな定食屋へと入った。今日は六日だから、メニューの六番目のメニューを頼む。それが肉料理なら都会へ、魚料理だったら田舎へ行くことにしよう。――メニューを見ると、肉料理だった。都会行きが決まる。

 ただ、その肉料理の種類がよくはなくて。

「はい、ドルゲ牛の情熱炒めひとつ。嬢ちゃん、初めてだってのに通好みなものを頼むねぇ」

「え、ええ。好きなので、辛いもの」

「ははっ、それならきっと満足してもらえるぜ。火を吹いちまうぐらい辛いからな!」

 ……あたしは辛いものなんてほとんど食べられない。甘いお菓子が大好きだし、実を言うと肉料理自体、それほど好きじゃなかった。なんで六番目のメニューは見るだけにして、自分の好きなものを注文しなかったんだろう。

 いずれにせよ、後の祭り。それなりの値段がした料理だし、目の前にある赤黒くぎらつく肉の山を食べないことには、この店を出ることはできない。……まずは水で口を濡らしてから、覚悟を決めて一切れを口に運ぶ。

「ふぁっ!?ふぐぁぁぁぁっ!!?」

 本当に口の中から火を吹くことになったら、これぐらい痛いんだろうか、というほどの痛さが舌を焼く。というか、これが食べ物!?拷問の何かとかじゃなくて!?

 ……でも、あんなことを言った手前、必死に平静を装う。貴族なんてものは見栄だけで生きているようなものだ。アーデント家は血筋自体は高貴ではないけど、広く名前を知られる家として、他人に舐められてはいけない。

 激痛を抑え込んで、水を飲んでは余計に痛みを悪化させるだけと判断し、続けて料理を口の中へと運ぶ。……痛い。でも、最初の一口でもう痛覚が麻痺し始めているから、いくらかはマシに感じる。更にもう一口。……よし、もう何も感じない。辛さも旨みも感じられなくて、ただぐにぐにとした肉を咀嚼しているだけだけど、とりあえずこれで栄養は補給できる。

 ああ、この牛ももっといい調理をされていれば、もっと美味しく食べることが。少なくとも味を理解しながら食べることができていたはずなのに、牛さん、ごめんなさい。

 いつもよりもずっと深く食材に感謝しながら、ただただ料理を食べていく。……今日の運気はもう、今がどん底だ。これからは上がっていくだけ。そう思って、なんとか食べきった。

「……ごちそう、さまでした」

「おおっ、本当に食っちまったのかい。いやぁ、やるねぇ。嬢ちゃん、服装からして修行先を探してるんだろ?」

「は、はい。もしかして、誰か魔法使いをご存知ですか?」

「いや、悪いけど魔法使いの知り合いはいないよ。ただ、こいつを餞別にやろうと思ってね。この料理に使ってるオオロの実さ。火を通すと辛みが増すんだが、そのまま食べると不思議と甘辛いんだ。“情熱炒め”で気合は十分だろうが、疲れたら食ってみるといいぜ」

「ありがとうございます。……大切に食べさせてもらいますね」

 深く頭を下げると、親父さんは豪快に笑った。

「なーに、がんばってる若者は見ていて気分がいいからよ。嬢ちゃんはしっかりとやり遂げる力がある、そいつを魔法の師匠にも認めてもらえるといいな」

「……はい。がんばります」

「けどよ、飯食う時ぐらいは無理するなよ?変えてくれって言ってくれたら、こいつは俺が食って別のを作ってやれたのによ」

「――あたし、辛いものが好きなので」

「ははっ、そうかいそうかい」

 無理をして食べていたことは、バレてしまっていたみたいだった。

 とにかく、都会へ向かうことを決めた。ここからなら、魔法の都の異名を持つ街、エルベールが一番近くてかつ栄えている。この町に比べれば受け皿は大きく、あたしと同じような考えを持って来る魔法使い見習いも多いだろう。……みんなが同じことを考えているのなら、競争が激しくなってかえって難しいのかもしれないけど、でも、占いの結果に従うことにした。

 魔法は妖しげな呪術や占術とは違って、きちんと体系化された立派な“技術”だ。リンゴの木から実が落ちるのが、世界のどの地域でも共通して起こる現象であるように、その強弱はあれど魔法はその才覚さえあれば誰でも使えて、同じ結果を起こす。だから本来、占いやおまじないというのは魔法と相反する概念だ。

 でも、古い時代は魔法もそれらと同じように未整理の分野であったし、今でもあえてそれらを一緒くたに扱っている魔法使いもいる。実際、高度な呪術、占術は魔法に限りなく接近していて、実は同一のものなのではないか、という新説すら出てきている。

 それでは、なぜ分けて考えるのが主流かといえば、呪術占術にはマナを使用しない。空気中、そしてあらゆる物質の中にあるというマナは、万物の源とされていて、普通、自然界にあるそれは世界が始まったその時から、最も理想的な形で安定しているという。

 魔法とは、そのマナの配列を少しだけ人為的に組み替えて、自然界には本来存在していない現象を生み出すことだ。実はそう考えた場合、火打ち石で火花を起こし、それで何かを燃やすということも魔法の一種で、火打ち石それ自体はそのまま発火することはないし、その火花を燃え移らせるワラなんかも、やはり自然のままでは発火しない。ただ、人が外から力を加えることで燃えるようになって、炎という自然界にはそのままの形で存在しないものが生み出される。

 落雷などの影響で山火事が起こることはあるものの、雷それ自体は炎を伴わない。雷の影響を受けた木々のマナが発火という現象を起こさせるから火事は起きて、そういったことの連続の中で安定しているはずの自然界は少しずつ変化していく。

 魔法の世界で火打ち石のような、マナを操作する力を持った器物のことを“触媒”と呼ぶ。更に触媒は“魔法触媒”と“非魔法触媒”に分けられて、前者は魔法を使用するのに役立つ杖や魔道書。後者は正に火打ち石など、魔法を操る力を持たない人でも、魔法的な現象を起こすことができる道具のことだ。非魔法触媒は誰でも扱える代わりに、それほど大きな現象は起こせない。火打ち石の出す火花が小さいことからも明らかだ。

 それに比べると魔法触媒は、その力を発揮するのにまず、マナへの干渉を必要とするから、マナを自らのマナと反応させる技術――つまり、魔法を使える者しか扱えないものの、その力は非常に大きく、過去、強力な魔道書や杖を巡って、あるいはそれを使用して、大戦が起きたほどだ。

 マナを用いる魔法に対し、呪術占術というのは、マナではなく人の精神力……気力だとか根性だとか、そういった言葉でも示される人間が持つ生きる力……のようなものを使っているとされている。当然、それらにマナとは違って特殊な現象を起こさせる力はない。だから極度の精神集中、あるいは精神衰弱によってある種の暴走状態となることで、見えないはずのものを見ることができるようになる、それが特に占術というものだという。

 占術は結果が決まっている魔法とは違い、不確定の結果を生み出す。たとえばそれは、未来予知。あるいはこうすればいい人生を送れる、というような生き方の指標を得ること。伝説的な占い師は人の未来も過去も全て見通し、後に史上もっとも偉大な王となる人物を見出したという逸話もある。

 そして、あたしは魔法の世界に生きながらも、こういった魔法とは異なる力の不思議な魅力にも興味を持っていて、ちょっとしたことに関しても占いをして、その結果を頼ることが多い。……それが魔法の妨げになっているのかもしれない、と思わなかった訳じゃない。でも、魔法以外の特殊な力のことを下に見て、ともすれば迫害するような今の魔法使いの風潮には同意できなかった。

「――あたしが異端でも、異端が結果を出せばそれが正統になれる。それが魔法の世界……」

 無情なまでの実力主義、それが魔法使いの生きる世界。それは昨日、イヤというほど実感できた。でも、それでもあたしは世の中に羽ばたいていかないといけない。それが生きるためだし、あたしが生きる意味だと思った。

「ちょっと!……あぁ、やっぱり。やっと出会えた」

「……げっ」

 どこかで聞いたような声をかけられて、イヤイヤながら振り返ると、やっぱり昨日の彼だった。あの時はしっかりと顔を見ていなかったけど、どことなくこの国の人ではない、もっと南か東の方の人の人相に思える。肌の色も、この辺りで主流の白っぽいものとは違う、太陽の色を思わせる黄色だ。

「ねぇ、なんでそこまであたしに執着して来るのよ。昨日も言ったけど、あたしは別に旅慣れた人間じゃないの。どうせ頼るならもっとちゃんとした人に色々と聞きなさい」

 一晩寝て、食堂での一件もあって、ピリピリとした気持ちはかなり和らいでいる。だからあたしなりにかなり親切に言ったつもりだったけど、男の反応は予想とは違った。

「いや、そうじゃないんだ。これ、君の落としたものだろ?ないと困るものだろうから、ずっと君のこと探していたんだ」

「えっ……?」

 彼は手に持った紙――丸まった羊皮紙を差し出してきた。……広げて見なくてもわかる。あたしが修行先を探す時に、学力証明書と同じく活用していた家証だった。

 家証とは、簡単に言えばその人が何者であるかを証明するものであり、職種によってはある種の特権をも証明してくれる。具体的には、一般市民は護身用のナイフはともかく、大ぶりな剣の所持は認められていない。剣を所有できるのは傭兵であることを国に申請して認められた者だけで、家証にそういった特権は書かれている。

 とはいえ、魔法使いは特にそういった特権はないので、あたしがわざわざ人に見せて回っていたのは、あたしが本当にアーデント家の人間であることをアピールしたかったからだった。……でも、それが役に立たないということは昨日よくわかった。

「それ、読んだの?」

「まあ、何かの手がかりになるかと思って」

「……そう。それならわかったと思うけど、あたしはアーデント家の娘。……そんな人間がどうしていつまでもこの町をふらふらしているのか、疑問に思ったでしょ」

「いや、初めて見た名前だったから」

 なぜだろうか、もう家名には頼らないと決めたのに、全く知らないと言われるとそれはそれでプライドが傷つく。

「あなた、それ本気で言ってるの?アーデント家といえば、この国はもちろん、世界規模で名前の伝わっている魔法使いの大家よ。まあ、魔法使いじゃないなら知らなくてもおかしくはないかもしれないけど……。とにかく、そういう訳だからあたしは魔法使い修行をする家を探しているの。もうこの町は出ていくから、あなたも何を目的としているのか知らないけどがんばって」

 家証を受け取って、中身を確認していなかったけど、今開けてみたら空っぽの証書入れの筒の中へと収める。……学力証明書と家証を延々と見せ続けていたから、戻すことなく手で持っていたことを思い出した。

「魔法使い修行……ああ、話には聞いてたけど、住み込みで修行するんだっけ」

「そうよ。もうあまりお金もないし、早く住む家を見つけないといけない。……だから急いでいるの」

「あのさ、その修行って、魔法使いの家ならどこでもいいの?指定された家じゃないとダメとか……」

「そういうのは特にないけど……そもそも、学校に修行して来いって言われてするようなものじゃなくて、単純に学校で教わる魔法には限りがあるから、後は現役の魔法使いから教えてもらわないといけない、っていうだけなの。魔法を自力で編み出す人もいるけど、それは本当に一握りの天才か、何十年も研究をしている魔法学者ぐらいだから、絶対に師匠は必要なのよ。……まさか、誰かアテがあるの?」

 なんとなく、彼の言い方にはそんなものを感じた。……いや、ただの願望なのかもしれない。昨日、あれだけフられ続けたのだから、そろそろチャンスの方からやってきてくれはしないか、と甘い夢を見ていた。

「俺が今、お世話になってる人なんだけど、あの人も一応、魔法使いなんだと思う。全然、それらしいことはしてないんだけど」

「お世話になってるって、どういうこと?」

「その人の家に居候させてもらってるんだ。それで、今回はこの町にお使いで来てて。俺なんかを善意で住まわせてくれる人なんだから、魔法が使える子なら喜んで置いてくれると思うんだけどな……」

「っ!?」

 瞬間、どきっとする。本当に、昨日はイライラさせられた相手なのに、この人があたしの未来を切り拓いてくれる?そんなうまい話が、本当に向こうからやってきたのか?

「その人、名前は?あたしも知ってるような魔法使い?」

「いや、だから全然、それらしいことはしてないんだよ。ずっと家に引きこもってて、だから俺がこうしてお使いに来てて。でも、素人じゃはっきりとわからないけど、あの人はすごい魔法使いなんだと思う。家の中にいるのに、街の中の出来事は大体わかってるなんて言ってて、事実として俺がどこにいるかとかもわかってるみたいだったし」

「広域の感知魔法?しかも街一つという規模でそれを行えるなんて、その話が本当なら上位……ううん、賢者の称号が与えられるほどの大魔法使いだわ。その人はどこに住んでるの?」

「エルケットの街だよ。俺はそこから来たんだ」

「エルケット……」

 あたしが行こうと思っていたエルベールの都とは逆方向の、でも名前からわかるように密接な関係を持つ姉妹都市だ。街の規模はエルベールには劣るけど、やはり魔法使いが多く住む街で、すごく豪華で美しい上流階級地区が有名だという。

「……本当に、あたしを紹介してくれるの?」

「ああ、こうして会ったのも何かの縁だし、エルラさん……ああ、そのお世話になってる人も、同性の友達が欲しいって言ってたからさ。しかも気の強い子がいいって言ってた」

「……誰の気が強いのよ」

「君は明らかにそうだろ?」

 否定したいけど、今までもずっとあたしはこんな感じで、魔法学校でもほとんど友達は作れなかったから、否定する材料がなかった。

「それで、あなたのお使いっていうのはもう終わったの?」

「いや、それが見つからなくて困ってたんだよ。魔法触媒で、流転の書っていう、魔道書?名前は聞いてきたんだけど、どういう物かを聞いてなくってさ。お店でその名前を出しても、エルラさんが勝手にそう呼んでたものみたいで、わからないって言われるし」

「流転の書……確かに聞いたことのない名前だわ。でも、流転という言葉で言い表せられるような触媒なんでしょう?なら、魔法使い向けの店を一回りしたらわかるかもしれないわ」

「じゃあ、お願いしていいかな?一緒に探してくれたら、責任を持ってエルラさんに紹介するから」

「……いいわ。ところで、あなたの名前は?」

「ああ、自己紹介してなかったね。俺はウィス・ラジムーン。ウィスって呼んでくれたらいいよ」

「ウィスね。あたしはもう知っていると思うけど、ユリル・アーデント。ユリルでいいわ。……変な敬称とかはいらないから」

「わかった、ユリル。じゃあよろしく」

「ええ。……それにしても、流転の書か」

 流転とはつまり、万物が移り変わっていくことを表す。その世界観は魔法使いの世界そのもので、魔法使いはマナによって外界を少しずつでも、着実に変えていく。少しずつと言っても、自然界で行われる変化よりはずっと速く、劇的であって、多くは人という種の進歩に貢献してきた。

 そんな、言ってしまえばとても大それた名前で呼ばれる魔道書なんて、彼みたいな一般人が普通に買える範囲で売っているものなのだろうか?

 とりあえず、あたしが見ればわかるかもしれない。昨日は見向きもしなかった魔法使い向けの商店街へと向かった。

 

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少しずつ、物語が進んでいきます

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