いずれ天を刺す大賢者 序章 4節 |
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買い物を終えて町を出たあたしたちは、エルケットとの間にある宿場を目指してひたすらに歩く。
荷馬車を持った商人は馬の力で旅をするし、貴族もまた馬車に乗る。騎士は自らの愛馬にその身ひとつで乗って、魔法使いはホウキに乗って空を飛ぶ。だけれどあたしみたいな見習い魔法使いや、一般庶民は自分の足で歩いて行くことしかできない。
飛行が下手な魔法使いほど健脚で、一流の魔法使いは鳥がそれを苦手とするように、自分の足で歩くのが苦手になっていく、という言葉があるけれど、少なくとも今のあたしは歩くことが得意で、体力もそれなりにはあるつもりだった。
「はっ、はぁっ……くそっ、結構堪えるな、やっぱり……」
「……………………」
一方で、なぜかあたしよりもずっと疲れている男が一人。
「……ユリルはっ、すごいな……俺より子どもで、しかも女の子なのにっ…………」
「ねぇ、自分自身の体力がなさ過ぎるんだっていう思考には至らなかったの?というか、何か病気でも持ってる?」
町を出て、まだそれほど時間は経っていない。一時間経ったかどうか、というところ。もちろん、無理に急いではいないし、標準的な男子なら問題なく歩けている距離だと思う。なら、標準的ではないことを疑うしかない。
「いや……普通だよ。ほとんど病気はして来てない。ただ……なんていうか、なっ……。うん、まあ、そうだ…………」
「どうなのよ……情けないわね、本当に」
疲れている人間を見ると、こっちまで疲れてくる気がする。深い溜め息をついて、彼の前を歩いた。
「あなたって、本当に不思議な人ね。貴族みたいに体力がないなんて。今までどうやって暮らしてきたの?」
「俺の中では普通に生きてきたんだよ……ただ、それがユリルたちの普通と違うっていうだけで」
「それって、どういう意味?なんだか含みがあるというか、正直、あたしたちを下に見ているみたいでちょっといい気分はしないんだけど」
「悪い……でも、今説明しようとすると難しいから、とりあえず待ってくれとしか言えないんだ。きちんと家に着いたら話すから」
「まあ、いいけど……暇つぶしがてら、勝手にあなたの境遇を予想させてもらうわ。帰ったら答え合わせね」
あたしが学校で習って、感銘を受けた言葉のひとつに「予想が外れたことを悔しがるな。何も考えずにいた者とは違い、真実と照らし合わせる中で大きな教訓を得られる」というものがあった。だからあたしは、どんな難問も諦めることはなく、自分なりの答えを出すようにしている。彼の正体については、すぐに答えを出せそうにはないけれど……でも、ベッドの中で考えてみようと思う。彼に合わせて歩く以上、あたし自身がそう疲れることはないだろうし。
……と、思っていたら、本当にゆっくりゆっくりと歩いていき、宿場に辿り着く前に日が落ちてしまった。
「夜ね。宿場はそう遠くない位置にあるわよね?それまでぐらいならあたしの魔法で照らし行けるわ」
「あっ、いや……ここはこれで」
そう言うとウィスは、金属製の小さな延べ棒のようなものを取り出した。それから、上の三分の一ぐらいの部分を割り曲げると、すぐに割った断面に炎が灯る。その炎は風にゆらめきながらも安定した大きさで燃え続けていて、辺りを明るく照らしていた。
「ちょっと、あなた!?それ、魔法の道具か何か?そんな安定した状態で炎を維持できるなんて……!」
この世の中には、魔法が使えない人でも魔法を使える、というよりは道具自体が魔法を使うから、誰でも扱うことができる道具があるという。多くは古代の遺物であり、最近になって作られたものはほとんど存在してない。どうやら古い時代には魔法で動くからくり……“機械”というものが存在していて、今ではそれを作る技術が完全に失われてしまったため、そういった道具はまず作られないらしい。
一応、例外的に魔力をその内に封じ込めることができる鉱石を利用して、魔石と呼ばれる使い切りの魔法を使うための道具が作られることはあるものの、希少な鉱物を使い捨てるということなので、大金持ちしか手に取ることはできないし、お金持ちは魔法使いを雇うか、自身が魔法使いなのであまり関係はない。
そして、彼が持っているのはきっと、前者。自身が放つ炎によってオレンジ色に照らされている金属製の道具は、美しく輝いていた。現代にここまで奇麗な金属製品を作る技術はない。
「ああ、これはオイルライターだよ。本当はタバコを吸うためのものだけど、親父の形見だからお守り代わりにずっと持ってるんだ。こういう時には役立つし」
「オイルライター……聞いたことがないわ。タバコは知っているけど。でも、主に儀式用で、嗜好品として楽しんでいるのは貴族ぐらいと聞くわ。じゃあ、そんなお父様を持っているあなたってやっぱり……」
「い、いや、そうじゃないんだよ。なんていうかな……まあ、とにかくこいつは魔法でもなんでもなくて、火打ち石をこすることで火花を起こして、それをオイルの染み込んだ芯に着火させているだけ。なんでもない普通の道具なんだ」
「その原理はわかるわ。でも、明らかにそれ、珍しいものよね。……ねぇ、本当に貴族じゃないの?今はそうじゃないけど、なんらかの理由でその、残念なことになってしまったとか」
「いや、生まれてこの方、ずっと庶民だよ。俺も親父も。でも、ユリルの基準からすると珍しい物を、俺はたくさん持ってるだろうな。ほとんどは家に置いてきているけど」
「どこか遠い外国の人ということ?」
ウィスはゆっくりと頷いた。……なんだ、結論が出てみれば単純な話だ。こことは違う地方で暮らしたのであれば、あたしが見たこともない道具を持っているのはわかるし、生活環境が違うのなら、すぐに息切れしてしまうのも納得がいく。慣れない気候なら体力の消耗も激しいだろうし、この辺りほどは歩いての旅をしないところだったのかもしれない。
「でも、言葉は通じるのね。勉強した……にしてはあんまりに上手く使いこなせているけれど」
「そこもちょっと特殊なんだ。遠すぎると、逆に便利なこともあるもんなんだな、って思うよ」
「…………どういうこと?」
「言葉のままの意味だよ。きっと、俺とユリルは普通なら会うことはなかった。会えるはずがなかったんだ。それでも、奇妙な縁が本来はできないはずの出会いを可能にした。……うん、俺にもエルラさんの言葉の意味がわかってきたな。ここに来たということ自体が幸運なんだから、幸運な出会いは続く。昨日、ユリルに会ってなかったら、まだお使いを果たせてなかったと思うし、本当にいい出会いができた」
「えらく詩的で気取った感じだけど、本当にね。ま、それはあたしから見てもそうよ。……まだ、そのエルラさんに会ってみないと本当にいい出会いだったのかはわからないけどね」
まだまだウィスには秘密がありそうだけど、悔しいながらそこまでは予想することすら難しいみたいだ。でも、少しでも彼のことを知れてすっきりとしたからか、もう少しだけ彼のことを信頼しようという気持ちが生まれてきた。軟弱というイメージは払拭できないけど。
宿場に辿り着く。元々は旅人のための宿が一軒だけあったらしいけど、そこに徐々に人が集まっていき、小さな村ができたという歴史のあるこの村は、行商人が荷物を減らすがてら卸していった商品があるから、意外と面白い魔法触媒があったりするらしい。まあ、今のあたしに自由な買い物をする余裕はないから、本当にここには宿泊するだけでいいだろう。むしろ、下手に商店を見て購買意欲が生まれてきてしまったらいけない。エルラさんの家で修行できると決まった訳ではないのだし。
「本当に相部屋でよかったの?」
「ベッドが別々なのだから問題ないわ。あなたがどういう人かはわかっているつもりだし」
少しでも宿賃を節約するため、ウィスとは同じ部屋に泊まる。そう言い出した時、彼の方がひどく動揺するものだから、なんだか笑ってしまった。
「それは俺を信頼してくれてるのか、ヘタレだと思ってるのか……」
「両方、と言わせてもらおうかしら。でも、あたしにとってはぐいぐい来る男の人よりもずっと、消極的な人の方が好ましいわ。女と見るや片っ端から声をかけて回る男なんてみっともないだけだとは思わない?」
「まあ、俺もそういうのはちょっと、って思うな……。そもそもナンパとかする人の気持ちがわからないけど」
「……はぁ、世界がみんな、あなたみたいな男の人ばかりならね」
それはそれで、独身の女性が増えそうな気もするけれど、変な男に引っかかって不幸な思いをするよりはずっといいと思う。本当にもう、あんな思いはしたくない。
「さ、今日は早く休みましょう。明日中にはエルケットの街にたどり着けるようにしないと」
「そうだな。俺もちゃんとしたところで眠りたいよ。旅先の宿も嫌いじゃないけど、なんとなく眠りにくいからな……」
「それは同感。あたしも学校の寄宿舎で眠るのが普通になっていたから、ちょっと違和感があるわね。まあ今日はともかく、昨日はよく眠れたけど」
とは言うものの、今日もベッドに横になるとすぐに眠気がやってきて、いつの間にかに眠ってしまっていた。今日も昨日も、未だ不安な将来への恐れから気疲れがあるのだろう。そして、眠りの中では不安も焦りも、感じずに済む。朝起きればまた、灯りも持たずに闇の中を進んでいるような感覚はあるけれど――
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