いずれ天を刺す大賢者 序章 5節
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 それから、エルケットの街までの旅路はつつがないもので、相変わらず、ウィスの体力のなさが目立つものの、夕方には街にたどり着いた。

 魔法学校はないけれど、魔法使いが多く生活している、あたしからすれば憧れの街のひとつだ。いずれはこういった街に住み、人々に魔法の力を頼りにしてもらいたいと思う。

「それで、エルラさんの家は?」

「街の北の方だよ。ずっと北、北の果て」

「普通、こういう街は北側に高級住宅街があるのよね。……じゃあやっぱり、魔法使いとしての成功者だからお金持ちなんだ」

「まあ、かなり羽振りはいいよ。俺を置いてくれるぐらいだし」

 年齢もずっと上だし、実力も当然、遥か上。だから自分と比較する必要なんてないのに、なぜか胸が傷んでしまうのは、そこにあるわずかばかりの自尊心が傷ついたからなのかもしれない。あたしよりすごい人はたくさんいる。学生の中にもいたのだから、当然、魔法使いとして生きている人はみんな、手が届かないほどの高みにいる存在だ。そんな当たり前のことが、少し苦しい。

「ユリル?」

「……なんでもないわ」

 なんでもない、ではいけない。いつかあたしはみんなを見返せるほど立派にならないと、一生負け犬で終わってしまう。……そのためにも、確実にエルラさんの元で修行させてもらわないと。もう十分に自尊心は傷つき、砕けた。後はもう、土下座してでも弟子にさせてもらおう。

 街の北側へと向かう道中、なぜかすれ違う人がみんな、あたしを見ていて、この街に似つかわしくない、と思っている気がする。被害妄想とわかっていても、その感覚を払拭することができない。みんながみんな魔法使いなはずはないけれど、この街はあたしにとって眩しすぎる気がした。

 北の住宅地に入る。一気に建物の雰囲気は変わって、どれもこれも立派な大豪邸だ。……一応、アーデントの実家も負けてはいない規模だとは思う。でも、今のあたしにとっては遠く、関係がないとすら言えるものとなってしまっている。

「もうすぐ、ここをまっすぐ行った先だよ」

「本当に一番奥なのね」

「そういう立地なもんだから、お使いに行かされるのが大変なんだよな……」

「……そうなんだ」

 ぼやく彼が、なんだかすごく微笑ましい。

「でも、ほんの数日、ここを離れただけなのにすごく懐かしく感じるよ。さ、エルラさんに会いに行こう」

 まもなく、真っ黒に塗られた大きな館が姿を現した。その景観は、よく言えば歴史の重みを感じられる邸宅。悪く言えば幽霊屋敷のように見えた。なんとなくだけど、不吉な魔力を感じる。反射的に“魔女”という言葉が頭を過ぎった。

 魔法を使う者は、単純に二分される。他の人を助けるために魔法を使うのが“魔法使い”であり、逆に人を苦しめたり、自分だけのために使ったりする者を“魔女”と呼ぶ。魔女は魔法を悪用する罪人として扱われるものの、多くはその力が強大なため、誰も手を出せない。結果、意外と人里離れたところには魔女が多くいるという。……まあ、ここは思い切り街の中だから、きっと館の主が魔女ということはないんだろうけど。

 ちなみに、魔“女”とはいうものの、男の場合も同じ言葉で表す。古い時代にあった魔女狩りとは、悪の魔法使いを掃討する“聖戦”だったと伝えられている。

「エルラさん、ただいま戻りました」

 立派な屋敷ではあるものの、外に警備の兵士などはいなくて、使用人もいないのか、ウィスが自分の手で大きな扉を開ける。あたしもそこから入れてもらった。

「……留守じゃないわよね」

「ずっと自分の部屋に閉じこもってる人だから。さっきも扉を何気なく開けたけど、確か俺以外には開けられないようになってたと思う。俺が開けたから、無関係のユリルも入れるけど」

「へぇ……高度な施錠魔法ね。開ける人間を選べて、しかもそれが魔法使いじゃなくてもいいなんて」

 屋敷の中は、外から感じた以上に濃密な魔力を感じられる。それはやっぱり、普通の魔法使いのそれよりも不確かで、たとえるならば先を見通せない闇そのもの……暗黒魔法は外法とも呼ばれて、正統な魔法からはかけ離れている。エルラ氏は、それを扱うのか――。

「ユリル?」

「な、なんでもないわ」

 屋敷の中を迷いなく歩くウィスについて行く。彼女の部屋は二階の正面らしく、そこに近づくと独りでに扉が開いた。そして、その先には。

「やあ、四日ぶりだね、ウィス君。そして、そちらの彼女は――ふむ、温かく、真っ直ぐな魔力だ。よく知る魔力だから、家柄も予想がつくな。――アーデント家だ。それも本流に違いない。どうかな?」

「っ――――!」

 そこにいたのは、まだ二十になるかならないか、といった年齢の若い女性だった。知性を感じるコバルトの瞳に、長く伸ばされた白の髪と、それと同じぐらい白くて、もはや生気を感じさせない肌。すらりと高い背丈の彼女は、なんとなく人というよりは精霊のような風格がある。そして何よりも特徴的なのが、この独特な魔力。大魔法使いは近くにいるだけで、その魔力で並の魔法使いは圧倒されてしまうというけれど、正にそうだった。隠しきれない魔力があたしに打ち付けられる。

「ははっ、繊細な魔法使いの女の子には刺激が強すぎたかな。――ほら、ウィス君。これが正常な反応だよ。私の魔力をほんの少しも感じられないという君は、ある意味で特異体質だろうね。もっとも、魔力自体が存在しない世界を生きていたならば、魔力を知覚できないのも当然だろうが」

「そうでしょう?俺が悪いんじゃなくて、生きてた世界が特殊なんですよ」

「――話の途中にすまない。少し魔力を抑えるから、自己紹介をしてもらえるかな?」

 すると、一気に魔力が収まっていく。ただ、それに呼応するようにエルラ氏の体も縮んで――あたしよりも小さな少女の姿になってしまった。

「あ、あなたは――」

「そうだ、人に名前を尋ねる前にまずは自分から、だね。私はエルステラ・バルトロト。エルラとでもステラとでも、好きに呼んでくれればいい。ちなみに私の好みでは、大きい時の呼び名がエルラで、こちらの姿ではステラかな。まあ、どうでもいいけどね」

 正直、名前を聞いたつもりはなかったけれど、その姓を聞いて二度驚いた。……バルトロト?伝説的な魔法使いのそれと一致している。そして、彼女のような現代の大魔法使いと、伝説の魔法使いの名前が偶然、同じものだという気はしない。

「あ、あたしはユリル・アーデントです」

「やっぱりアーデントだったか。いいね、アーデント家の明るい魔力は、少し私には眩しすぎるが、悪い心地はしない。ああ、それから君が抱いている疑問にお答えしよう」

 そう言って、エルラ氏はすーっ、と足を動かさずにあたしの方へやってきて――いきなり、あたしに抱きついてきた!

 ただ、確かに両腕で抱きしめられたはずなのに、その感触がなく、あたしの体を通過していた。

「これは――」

「お察しの通り、私は既に肉体というものがなくてね。まあ、いわゆる魂だけの存在、幽霊という訳だ。よく化けて出るとか言うけど、私の場合は単純に、肉体に限界が来ていたから、それを捨てて生きることを選んだだけだよ。だから誰かを呪おうっていう訳じゃないから、安心してね」

「それも、魔法で、ですか?」

「外法も外法、あえて名前を付けるなら忌法とさえ言えるような、禁断の魔法だけどね。しかし、私の体はようやく二十を迎える、というところで限界が来てしまったんだ。当然、子どもも作れていないから、そこでバルトロト家の、少なくとも本家筋は途絶えてしまった。それじゃあ、あんまりご先祖に申し訳が立たないだろう?だから、せめて弟子に魔法を伝えようと、今の今まで存在していたんだ。魔法界的には賞賛されるべき精神じゃないかと自分を評価してやりたいよ」

 さらりと、とんでもないことを言っている。

「では、バルトロトというのは――」

「そう、現代にまで伝わる伝説的な魔法使いの家系だよ。もっとも、この屋敷の惨状を見ればわかるだろうが、今や没落を極めているけどね。いや、これでも祖母の代まではよかったんだよ?ただ、祖母も母もあんまりに人が良すぎたんだろうな。どっさりと借金を背負ってしまって、この屋敷が残ったのは奇跡のようなものさ。ま、使用人はゼロ、家財道具も大半を売り払ってしまい、生活できるスペースは限られている。名実ともに幽霊屋敷に成り果ててしまっているね、ここは」

 エルラ氏は、笑いながら言う。少女の姿をしているためか、底抜けに明るく見えるけれど、永く続いたバルトロト家は既に主を失い、実質的には滅亡をしているということだ。その笑いは強がりなのか、それともようやく姓という重荷から一族が解放されたことを喜んでいるのかもしれない。アーデントの名前について、考えさせられているあたしには後者のような気もした。

「さて、と。世間話はこれぐらいにしておこう。君たち若者には過去の人間の話より、未来の話をしたい。ユリルちゃん。君はもう予想が付いているだろうが、私がわざと店の店員に伝えても、通用しない魔道書の名前をウィス君に伝え、それを買って来させようとしたのには、意味がある。星海の書のことを知る人――つまり、魔法学校の卒業生をこの屋敷に招きたかったんだ。そして、君が来てくれた。後はもう何をするかわかるだろう?」

「それなんですけど……あたしは、万年Cクラスで、とてもではないですがエルステラさんに教えを請えるほどの人間じゃありません。きっと、どれだけ高度でためになることを教えてもらえても、それをものにすることなんてできなくて――」

 ここまで来たのに、なんでこんなネガティブなことを言っているんだろう、とは自分でも思う。でも、目の前にいるのは伝説の魔法使いの最後の子孫であり、そんな人の前に立っているあたしは、魔法の大家の出がらし娘だった。彼女がどれだけ偉大でも、あたしが弟子になったんじゃ、その魔法はロクに伝わることなく終わってしまう。全く期待はずれの弟子にしかなれないと確信している。

「Cか。やれやれ、未だに魔法学校はそうして生徒にランクを与えて管理し、卒業生にはそのランクを烙印として押し、可能性を狭めたがるのか。その方が効率的で現実的なのはわかるが、今まで何人の生徒が才能を持ちながら、それに自分自身でも気づかないまま一生を過ごしたのだろう。だが、君はそれでも魔法使いとしての道を諦めてはいない。そう理解していいんだね?」

「……はい。あたしは、魔法使いとして生きたいと思います」

「なら、君は私の弟子たり得るよ。それに、君はどうやら自身の才能を悲感しているようだが、アーデントの血を持ちながら、君が伸びない理由を真剣に考えたことはあるかい?それとも、その思考の機会さえ教育によって与えられなかったのであれば、魔法学校とは君にとって監獄以外のなんでもなかったのだろう」

「理由なんて、あたしに才能がなかった……それだけじゃないんですか?」

「自身の能力を全て、才能のありなしで決めつける。それは簡単であるし、真理であるとも言える。実際、私がこうして今も存在し続けていられるのは、この血によるところが大きいだろう。だが、私は死に行く自分を現世につなぎ止める方法を、外法に求めた。それまでの正統な魔法使いとしての地位を捨て、この屋敷に隠遁することを覚悟した。そのためにした研究と修行の結果、得た能力というのは才能だけではどうしようもなかった部分だ。――ゆえに私は君に問いたい。君は今まで、適切な努力を積み重ねることができたと、断言できるだろうか」

「っ…………!」

 言葉は出なかった。

 何か言えるはずもなかった。たぶん、これを同じ学生や、そこまで尊敬している訳じゃない先生に言われたのなら、あたしは顔を真っ赤にして「人の努力を疑うの!?」と喚き散らしていたと思う。だけれど、エルラ氏はあたしよりずっと偉大な魔法使いで、そうなるための努力も生半可なものではなかったと、あたしなんかでも想像できる。そんな人にまで同じ反応はできない。

 あたしはたぶん、魔法学校に入って最初の試験でCランクを与えられて以来、なんとか上のランクに上がろうとがんばりながらも、アーデント家という魔法使いとして圧倒的に有利な家系に生まれながら、才能がないというハンデを背負っているあたし自身の境遇に酔っていたんだと思う。

 実の両親にさえ後ろ指を差されながら、それでもがんばっているあたしはなんてすごいんだ、尊いんだ、と。

 だけれど、本気であたしは立派な魔法使いになろうとしていたんだろうか?努力をしているふりをすることが目的になっていて、本当に結果を出そうと……思っていたんだろうか?

「ユリルちゃん。私は何も君が今までしてきたことが無駄であったと言うんじゃない。ただ、君は力の使い方を間違っていたのかもしれない、その可能性を示したかったんだ」

 しかし、エルラ氏はあたしが考えるようなことより、ずっと先に進んだことを考えていたのだった。

「たとえば、だ。火は一般的には何か物を燃やすための力だ。燃やすことで状態の変化は得られるものの、何かを生み出すということはできず、壊すことしかできない。火を使って氷を作れと言われても、絶対に水を冷やし、氷にまですることはできないだろう?だが、逆に凍ったものを溶かし、寒くて死にそうな人に暖を与えることはできる。結果、物を壊すどころか、凍って機能を果たせなくなった物を再生したり、人の命を救ったりすることができる。火も壊すだけではない、という訳だ。

 ――このように、どんな力もその使い方次第ということだよ。外法も忌み嫌われる力だが、その使い方次第では、十分に人の役に立つ。まあ、私の場合はいささか個人的な目的のために使いすぎてはいるがね。結果として君に出会い、知識を伝えることができているのはやはり、何かを生産しているということだろう」

「えっと……それが何か、あたしに関係が?」

「君の魔力には、それ相応の使い道があるに違いない、という話だよ。一般的な魔法でその才能が発揮されずとも、必ず、何かしらの得意はある。私の知り合いにもアーデント家の女性がいた。彼女が君とどういう関係なのかはわからないが、私が嫉妬してしまうほどの魔法使いだったよ。そして、彼女と君の魔力はよく似ている。血と、己自身を信じなさい。今は自信を失くしてしまっているのかもしれないが、胸を張り、しっかりと前を見つめるんだ。足元ばかり見ているより、ずっと素敵な景色が広がっているはずなのだから」

 それでも、あたしはすぐに首を縦には振れなかった。

 そう思っちゃいけないんだ、と理解しながらも、彼女がただ“可哀想なあたし”に同情してくれているだけに思えてしまったからだ。

 こうやって悲劇のヒロイン面をしていれば、誰もが優しい顔をしてくれる。経験的にそう学んだあたしは、エルラ氏をも騙そうとしているんだ、と自分自身を信じる気になんて、とてもじゃないが思えない。

「ふふっ。――ウィス君。正直、私は君をこの屋敷に置くメリットはあるんだろう、と考えていたんだが、予想以上に役立ってくれたね。彼女と私が出会えてよかったと、心から思う。彼女を見つけてきてくれただけで、君を一生養ってあげてもいいだろう」

「え、ええっ。嬉しいですけど、逆に以前の俺の評価ってどうなんですか……」

「悪いが、穀潰し以外のなんでもないな。なに、今はもう違うんだ。喜んでタダ飯を食べさせてあげるし、それができるのなら、寝起きと寝る前には抱擁してあげたぐらいだ。まあ、仮にそれができたとして、私の体では抱きしめられがいもないが」

「いえいえ、ものすごく嬉しいですよ!ああ、エルラさんに肉体があればなぁ……」

「同感だ。肉体さえあれば、破廉恥漢を締め上げてやるぐらいはできたのだが、魔法でやるとついつい加減を忘れ、本当に絞め殺してしまう危険性があるからね」

「あ、はははっ…………」

 あたしを無視して、二人の話は進んでいく。まるでもう、あたしに興味を失くして、放り捨てられてしまったかのようで、涙さえ出てきてしまいそうになった。

「――閑話休題。ユリルちゃん、泣かないで聞いて欲しい。申し訳ないが、私は見ている分には可愛い女の子は好きだが、その涙や“必死のお願い”なんてものには何の価値も感じられない。私は魔法使いだからね、取引を受けるとすれば、有用な触媒を持ってきた場合だけだ。涙なんてものは桶いっぱいに溜まるほどなければ魔法にも使えない。

 私が君に惹かれているのは、なまじそれなりの魔法が使えてしまう見習いより、ずっと可能性を感じるからだ。無論、いくら私でも君を見て、魔力を感じただけで、どうすればその才能を引き出せるかはわからない。実際に君自身の魔法を見ながら見極めていく必要がある。だが、それが徒労に終わるとは思えなくてね。それはアーデントの血を信頼しているというのもあるが、君個人に関して、どうにも君は凡庸な魔法使い程度で終わるようには感じられないんだよ。だから、君を弟子にしたい。いや、はっきり言って拒否権は与えないつもりかな。君をここで逃してしまうのは、私にとっても、魔法使いの世界にとっても大きな損失だ。外法を使ってまで私が現世にしがみついたかいがない」

「……あたしで」

 息を大きく呑んで、続ける。

「あたしで、本当にいいんですか?」

「君でいいんじゃない。君だからこそ、私の弟子にふさわしい。なに、見込み違いとわかれば、ウィス君ともども放り出してあげよう。まあ、そうなった時は私にも人を見る目がなくなり、ヤキが回ったということだ。未練がましくこちらに残ることなく、逝くつもりだがね」

 彼女がこういう冗談を言う風には思えない。きっと、本当に言った通りにしてしまうんだろう。

「ともかく、だ。ユリル・アーデントの名は将来、アーデント家の娘としてでも、エルステラ・バルトロトの唯一の弟子としてでもなく、君自身の優秀さによって天下に響き渡ることになるだろう。あえてそれっぽく言ってみるなら、これは予言かな。ふふっ、占術の真似事みたいなものだよ。肉体を失って精神だけで生きているだろう?そのためか、感覚的な能力はより研ぎ澄まされている気がするんだ。だから、これはきっと当たる。いや、実現してもらわなければ困るな。私は君を、信じているのだから」

 

 こうして、あたしはステラさん(以後、彼女は少女の姿でいるのが普通になった。その魔力を放出して、あたしに負担をかけないように、という配慮みたいだった)の弟子となった。

 それから始まるのは、修行と冒険の十年間で、幾度とない出会いと別れの、あたしの生涯の中で一番の密度を持った十年であったことは間違いない。

説明
ようやく役者が揃って、序章もおしまいです

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