Baskerville FAN-TAIL the 24th.
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「こちらに魔族のサイカ・S・コーランさんがいらっしゃると聞いたのですが」

不意の来客は、無表情のまま淡々とそう尋ねてきた。そう問われたコーランは、

「私がそうですけど、あなたは?」

自然体にもかかわらず、何処か警戒した表情。体さばき。それは彼女が魔族の住む魔界の警察機構「治安維持隊」にいた頃身に付けたものである。

さほど長いとは言えない隊員生活の中で培った観察眼で来客を観察する。

魔法などで外見を偽っている様子はない。純粋な魔界の住人だ。中でもその姿は人間の女性とほとんど変わらない。

薄黄色い肌に同じ色の髪。そしてどことなく無表情が崩れない顔。そして、金属光沢を放つマントの下には、それに合わせるかのような地味で特徴のない質素な装束。

コーランは、性別こそ異なるが、同じような特徴を持つ魔族を一人知っていた。それもとても良く。

「お名前を、聞いてもいいかしら?」

半ば確信を持って、コーランは彼女に尋ねてみた。彼女は少し口を開くのをためらった後、はっきりとこう言った。

「わたしはソアラと言います。あなたの部下ファンランの妹です」

 

 

世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。

ここにも、朝はきちんとやってくる。

同時に、面倒な騒動までやってくる。

平穏な日は、一日としてなかった。

この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。

だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。

 

 

コーランはソアラを家に上げ、お茶を振舞った。味わい慣れぬ人界のお茶に奇妙なリアクションをしつつ、少しずつ堪能している。

コーランはそんな彼女を見て、黙ったまま考え込んでいた。

ファンランの妹。彼女は確かにそう名乗った。コーランが「予想した通り」に。

だが妹の事は、随分昔にファンランから「火山の噴火に巻き込まれ、死んだらしい」と聞いていた。

らしい、とつけたのは死体はもちろん生死を確認していなかったから。それは同時に確認するまでもなく「死んでしまった」と判断するに足る状況だったからのようだ。

コーランがその事を問うと、

「……兄が、助けてくれました。わたしにはサウランとファンランという二人の兄がいますので。サウラン兄さんの方に」

ソアラはあえて静かにそう語った。

「それで、ファンラン兄さんは今どこにいるのですか。上司のあなたが知らない筈はないでしょう?」

ソアラの言う通り、コーランが治安維持隊で働いていた頃、ソアラの兄・ファンランは自分の部下であった。

魔界一のスピードと自負する高速移動の術を使う魔族で、どことなく冷めた言動の持ち主だった。

そんなファンランが今どこにいるのか。もちろんコーランは知っている。

しかし、肉親の前でそれを告げていいものか。コーランは困ったような顔で押し黙ってしまった。

「なぜ黙っているんですか? それとも、まさか知らないんですか? 自分の部下の行動を?」

ソアラがチクリと嫌みを言ってくる。その挑発に乗ったわけではないが、

「治安維持隊は、もう二十年も前に辞めているわ。だからファンランはもう私の部下じゃない。けど……」

コーランはそう言うと、ソアラと同じ全身を覆う金属光沢を放つマントを脱ぎ捨てた。

その下から現れたコーランの肢体を見て、ソアラが息を呑む。

コーランの右腕全体は闇のような黒。

コーランの左肘から先は曇りのない純白。

コーランの右膝から下は爽やかな青。

コーランの左もも半ばから下は鮮やかな黄。

ボディラインは彼女自身のものだが、ペイントにしては妙な配色だった。

「それは……」

「二十年前の事件で、両腕両脚を喪ってね」

そう呟くコーランの眼は、当時を思い浮かべるような激しい後悔と葛藤があった。

「その時に、私の老師と部下が邪法を使ったのよ」

コーランは左脚を勢い良く振り上げる。

「いでよ、ファンラン!」

振り上げた左脚の黄色い部分だけがすうっと消えた時、コーランのかたわらに立っていたのは……薄黄色い肌に同じ色の髪、変に無表情な顔の男。

「ファンラン兄さん!?」

生き別れ同然だった兄の姿を見て、ソアラの声が激しく震えていた。

 

 

シャーケンの町の外れにある小さな教会。

その教会に住む神父オニックス・クーパーブラックは、宅配便――しかも時間指定の特急便で届けられた物を注意深く観察している。

やがて意を決して蓋を開けた箱の中には、テレビ電話の本体が一つ。彼は小さく淋しそうな笑みを浮かべると、急いで皆が待つ部屋に戻った。

「どしたクーパー」

部屋の中で無造作に寝っ転がっているのはバーナム・ガラモンド。武闘家を名乗り、またそう名乗るだけの強さを持ってはいるが、修行らしい修行は全くしていない。端から見れば怠け者である。

「ねーねークーパー。何がとどいたの?」

自分の姉を象ったぬいぐるみを抱きしめて尋ねるのはセリファ・バンビール。見た目も言動も幼いが本当は二十歳。ほぼ無尽蔵の魔力を持つものの、制御の方は未だからっきしである。

「テレビ電話か。送り主は何者だ?」

落ち着いた調子の合成音声で尋ねるのはロボットのシャドウだ。戦闘用特殊工作兵を名乗っているが、肩書に似合わぬ優しい心の持ち主だ。

「確証はありませんが、多分……」

クーパーの言葉の濁し方に、シャドウは送り主の見当をつけた。

それは彼等の正体でもある特殊部隊「バスカーヴィル・ファンテイル」出動要請の知らせである。

「じゃ、遊びは中断ね」

セリファの姉グライダ・バンビールは、嬉しそうな顔で手にしたカードを放り出すように床に置き、クーパーを急かす。

「ひっでーなこいつ。負けそうだからってそりゃねーだろ」

「依頼じゃしょうがないでしょ。もし緊急事態だったらどうすんのよ」

バーナムとグライダの言い争いが始まろうとした時、

「お二人とも。お静かに」

唇に指を立てるクーパー。威圧感も恐さもないが、変なプレッシャーを感じ、二人は言い争いをピタリと止めた。

テレビ電話のモジュラージャックを差し込むと、それを待っていたかのように呼び出し音が鳴り響いた。クーパーはハンズフリーのボタンを押して、通話モードにする。

あまり性能がいいとは言えないカラーの液晶画面には、大急ぎで作ったのが見え見えの、皆が知る限り全く見当のつかない、謎の生物のパペットが映っていた。

『あー、諸君。今回は任務でも仕事でもない。だが、非常に重要な連絡をせねばならん』

すっかり恒例になった、謎の依頼主の合成音声による挨拶。

しかし、パペットなのに動きが全くない。普段は変なところには過剰に凝った映像を送ってくるのに。

『魔法を多用する魔族の世界――魔界には、その魔法を防いだり無効化するアイテムというのが山のようにある』

以前そのアイテムを巡る任務があった事を、一行はすぐさま思い出した。

『その中の一つに「無の指輪」というのがある。有効範囲は半径数メートルと狭いが、その分威力は桁外れだ。過去この指輪の力で国庫にかけられた魔法を完全に無効化して、金庫破りをした者がいたくらいだからね』

国庫といえば物理的・魔術的にも相当厳重な警備になっている筈だ。それを破れるというのは確かに桁外れの威力だ。

『ともかく。そんな指輪が盗まれたのだよ。それも人界の刑務所を脱走した魔族にね』

そこでようやく画面が切り替わり、黄色い髪の細身の男が映し出された。

『この男がその脱走犯のサウラン。そして彼を逮捕したのが……当時治安維持隊隊員だったコーラン君だ』

「其の人物の手配書は昨日見た。二十二年前に殺しに失敗して逮捕された様だな」

今まで黙っていたシャドウが、サウランという人物の説明をする。

『シャドウ君の言う通り。殺し屋が仕事に失敗して捕まったのだから自業自得だ』

そこでようやくパペットは「困ったな」とばかりに頭をかくんと倒した。

「捕まったという事は、コーランさんを多少なりとも恨んでいるでしょうね……」

真剣な顔で考え込んでいるクーパー。その言葉を聞いたグライダは、

「脱走したって言ったけど、ひょっとして、そいつが復讐でコーランを殺す気じゃ!?」

『可能性は大いにあるだろう。だからこうしてテレビ電話で情報を伝えているのだ』

確かに、普段はDVDやビデオテープといった「録画媒体」なのに、今日に限ってテレビ電話の生映像というのも変な話だ。音声も申し訳程度の加工しかなされていない。

だがそのテレビ電話でも正体を明かさないというのは、徹底しているというか、ふざけの度が過ぎるというか。

「しっかし、とっ捕まって二十年も経ってから復讐のために脱走ってのも、ずいぶん気の長い話だな」

興味なさそうに寝っ転がったまま話を聞いていたバーナムが、小さな画面に向かって吐き捨てるように言う。

『独房の中から瞬時に消え失せたそうだ。どうやら、魔法で脱走の手引きをした者がいたらしいな』

そうした刑務所も、魔法に対しては過剰なまでに守りを固めている筈だ。

「って事は……誰かが魔法でその人を脱走させて、その後脱走犯が指輪を盗んだって事?」

頭がこんがらがりそうになったグライダが話を整理する。

『結果のみを言えば、そうなるね』

お気楽の極みのようなセリフである。しかしクーパーは顔を強ばらせ、

「その指輪の力を使って、復讐を果たすという訳ですか」

部屋に飾られた日本刀を鷲掴みにすると、

「無の指輪の魔法無効化能力は並外れています。このままではコーランさんが危険です」

彼の言葉に一同がうなづく。しかし、

「……何故、仕事でも無いのに、其の情報を我々に提供した?」

皆が慌ててコーランの元へ向かおうとする中、シャドウだけが冷静にそう尋ねた。

画面の中のパペットは短い手で器用に頭を掻くと、

『いつも君達には助けられているからね。少しくらいはお礼をしないといけないだろう?』

(礼ならもっとマシな物にしてほしい)

声にこそ出さなかったが、皆それぞれ同じ事を考えていた。

『そうそう。このテレビ電話は君達に進呈するから、誰か使いなさい。こう見えても最新型だよ』

そう言って電話は切れたが、

「いい加減にしろ、こいつよぉ……!」

キレたバーナムの手刀が、電話機を一発で叩き壊してしまった。

 

 

ほぼ二十年ぶりの兄妹の再会。

「ファンラン兄さん……」

二十年前と寸分も違わぬ兄の姿に、ソアラの目が潤んでいる。無理もないだろう。

一方ファンランの方も、普段の無表情がわずかに緩んでいるのがわかる。もう死んだものと思っていた妹が、こうして生きていたのだから。

「でも、これは一体……」

ソアラが不思議に思ったのも当然だろう。だが説明をしたのはファンランだった。

「両腕両脚を喪った彼女の力になるべく、我々が彼女の手足となる事に決めたのだ」

実の兄の言葉に、ソアラが激しく詰め寄った。

「ど、どうしてファンラン兄さんがそんな事を!」

「どんな事をしてでも彼女の助けに、力になると誓った。それだけだ」

あまりにも短い言葉に、ソアラは納得できないとばかりに彼の肩を掴んで揺さぶる。

「でもだからってこんな! おまけに邪法って……」

「そうよ。この『補体転身(ほたいてんしん)の術』は、元々相手の力を相手の身体ごと自分自身に取り込んで同化させる邪法。取り込まれた相手は意志さえ封じられ、ただ肉体の一部として使役されるだけ」

コーランが悲しそうにそう説明する。

「一応元の姿に戻す事もできるけど、短い時間だけね」

そう言っている間にも、ファンランの身体がかすんで消えていき、同時にコーランの脚が再生していく。元に戻せる時間が過ぎてしまったのだ。

「今あなたが見た通り。元に戻せるのはほんのわずかな時間。そして、この魔法を解く方法は存在しない。私が死ねば、みんなも死ぬ」

そんなコーランの冷ややかな言葉を、ソアラは肩を震わせて聞いていたが、

「……あなたは、そんな邪法と知っていながら、ファンラン兄さんを自分の身体に!!」

怒りをこらえていたソアラが、ついに爆発した。彼女はポケットに右手を突っ込み、中でごそごそとやった後、その手を高く掲げた。

「指輪よ!!」

手に持つ指輪の石が一瞬強く輝いた。その途端、彼女の右手を中心に空気が濃く、そしてねじ曲がったような違和感が広がっていく。

「…………!?」

その違和感がコーランの全身を包んだその時、唐突に手足に力が入らなくなった。

そして、コーランの身体がくずおれるのと同時に、彼女の周囲に四つの人影が姿を現わした。

薄黄色い肌と髪の無表情な顔の男。

黒い肌の筋骨隆々の巨漢の青年。

全裸に羽衣のみという淡白な表情の女性。

座禅を組んだまま床に落ちた白髪の老人。

コーランのかつての部下。ファンラン、オウラン、ソウラン。そしてコーランの師であるホンラン老師。

補体転身の術で手足となっていた四人が、元の姿を現わしたのだ。

そして床に転がるのは、両腕両脚を喪くしたコーランの身体。ソアラはその身体を見下ろして、

「サウラン兄さんが手に入れたこの指輪の魔力にかかれば、解けない魔法はない! これで兄さんは助かる!」

ソアラは笑っている。だがその目は何かにとり憑かれたかのように尋常でない。まさしく狂気の笑いだ。

「無の指輪か。そんな危険な物をどこで手に入れなすった、お嬢ちゃん」

座ったままのホンラン老師が、厳しい顔でソアラに問い質す。

「そんな事知らないわよ。わたしはファンラン兄さんさえ元に戻ってくれればそれでいいんだから!」

「元に戻るかバカ野郎が!」

ソアラに負けじとオウランが怒鳴り返した。

「その指輪はなぁ。どんな魔法も無効にしちまう。つまり、俺達の中にある『魔法』の力すら無効にしちまうんだよ!」

昔聞いた知識を引っぱり出して彼女に語るオウラン。その表情は真剣だ。

当たり前である。彼ら魔族は姿形は人間と大差ない。しかし種族によって差はあるが、生まれながらに魔法の力を使う事ができる。それは己の体内に魔法の力が渦巻いているからに相違ない。

一般的な魔法を封じる方法というのは、体内の魔法の力を一時的に外に出せなくするものであり、魔法の力そのものを無くしてしまうものではない。

ところが「無の指輪」はその魔法の力をも無にできるのである。

自分の身体を構成する重要な要素である魔法の力が無くなれば、どんな魔族も無事ではいられないのだ。

事実、この場の全員の顔色が悪くなっていく。身体の奥から力が抜けて、立ってすらいられなくなっている。

自分の足元に皆がバタバタと倒れていくのを見たソアラは、オウランの言葉が真実である事をようやく悟った。

特に、兄であるファンランが苦しんでいるのを見た彼女は、

「もういい。止まって、止まってよ!!」

手にした指輪に涙ながらに訴えるが、力が弱まっていく様子は全くない。それどころか指輪を持つソアラですら、頭の中がぼんやりとしてきた。

(何だろう。すごく息が苦しい。身体がすごくだるい……)

彼女の手から指輪がころりと転げ落ちる。

だがそれでも指輪の力は止まらない。

そして――部屋の中で動く者は誰もいなくなった。

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そんな陰惨な光景を、ビルの屋上という遥か彼方から双眼鏡で眺めている人物が一人いた。もちろんソアラの兄・サウランである。

だが彼は、窓ガラスの向こうで妹が倒れても心配そうな顔一つしなかった。むしろ自分が思っていた通りになって満面の笑みを浮かべているところだ。

彼ら一族の特徴なのか、その笑みが表にはほとんど出ていないが。

「ありがとうソアラ。お前のおかげでコーランもファンランもまとめて始末できた」

あのまま指輪の力が放出され続ければ、さすがの魔族とて命を落とす事は間違いない。

その指輪を盗み出したのはサウラン本人だが、妹以外に正体まで知られた訳ではない。

この状況ならその罪も彼女一人に被せる事も容易。その為に、指輪の力を発動させる方法は教えたが、止める方法は教えなかったのだから。

脱走の罪で逃げ回らねばならないのが少々苦痛だが、二十年ぶりに得た自由と比べれば微々たる苦痛だ。

しかしこのまま指輪にコーラン達を「殺させる」訳にもいくまい、と思い直した。やはり止めの一撃くらいは、自分の手で刺したい。それが人情である。

ところが。彼女の家に何者かがやって来てしまった。しかも複数で。かなり慌てた感じなのがここからでもわかる。

黒髪の小柄な男が今にもドアを蹴り破らんとばかりに足を振り上げているのを、神父の礼服の男が押し止めているのが双眼鏡の中に見えている。

(……急ぐか)

彼は小さく舌打ちすると、手の中でもてあそんでいたパチンコ玉を、彼女の家めがけて親指で弾き飛ばした。

すると、パチンコ玉はライフル弾のように空気を切り裂いて、一直線に飛んでいったではないか! しかもその速度たるや指で弾いたとは思えぬ速度で、とても目で追えるものではない。

ところが。そのパチンコ玉がコーランに止めを刺す事はなかった。

見ると、神父の礼服の男が剣を抜き払って制止していたのだ。コーランはおろか窓ガラスにはヒビ一つ入っていない。

「……!?」

さらに、ガラス窓を遮るように立っていた、全身を黒い甲冑のような物で覆った何者かと目が合った。その何者かは眼光鋭くこちらを見ている。

現場であるコーランの家とこことは一キロは離れている。たまたまにしてはあまりにもタイミングが良すぎた。

「気をつけるに越した事はないか……」

サウランは独り言のように呟くと、そのままビルの屋上から立ち去った。

 

 

コーランが目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。

手足の感覚はちゃんとある。おそらく指輪の力が何らかの方法で無効化され「補体転身の術」の効果が戻ったのだろう。

彼女はあちこち軋んだように痛む身体に鞭打って、そのまま起き上がった。足が床についた時、脳天にまで衝撃が走ったものの、悲鳴一つあげずにこらえ切った。

枕元に自分の胸当てとマントが畳んで置いてあった。それらをまとった時、

「どちらへ行くつもりですか」

ベッドを囲むブラインドの向こうから、緊張したクーパーの声がした。

彼はわざわざ「失礼します」と声をかけてから、ブラインドを小さく開けて入ってきた。

「お加減はいかがですか?」

「良くはないわね。全身ガッタガタに錆ついた気分だわ」

軽口のようにそう答えたコーラン。そんな様子を見たクーパーは、

「コーランさんよりもソアラさんの方が早く意識が戻りまして、先程ナカゴさんが事情聴取を行いました」

無の指輪の効果は体内の魔法の力が大きいほど早く、そして強く影響を及ぼす。それでそんな差が出たのだろう。

ナカゴことナカゴ・シャーレンとは、コーランが治安維持隊にいた頃の後輩である。今ではこの町にある治安維持隊の分所の所長を勤める人物だ。

「ナカゴさんが言うには……」

「ナカゴに聞かなくても犯人は分かってるわよ。兄貴のサウランでしょ」

クーパーのセリフの続きを待たずにコーランが言い切る。それも苦々しい顔のままで。

「はい。先程コーランさんの家を狙撃しようとしていました。それもパチンコ玉で」

高速で飛んできたそれを、クーパーは得意の居合いの技で斬り捨てたのである。それは証拠品として治安維持隊に押収されてしまったが。

コーランは「やっぱり」とため息をつき、

「あいつが使える魔法は、物体の移動速度の高速化。小石程度の大きさの物しかできないけど、使い方次第では……」

まだ治安維持隊にいた頃、サウランと対峙した記憶が蘇る。長距離から亜音速で飛んでくるパチンコ玉にかなりの深手を負わされたのだ。

魔族が生まれ持って使える魔法のほとんどは、おしなべて威力が弱い。しかし使い方次第ではいくらでも強力になる。

たかがパチンコ玉と侮るなかれ。亜音速なら生半可な鎧など薄紙のように突き破ってしまう威力があるのだ。

「……どうせサウランはまだ捕まってないんでしょ? ここにいたらマズイわよ」

「なぜです?」

「あいつは私に復讐するつもりなんでしょ? 建物が穴だらけにされかねないわ」

何でもない事のようにサラリと言い切るコーラン。だがサウランの能力を考えると、決してオーバーでも何でもないのだ。

「だから、こっちから待ち伏せて迎え撃つ」

「どうやってです?」

相手はキロメートル単位で離れた位置から攻撃できる方法がある。だがコーランにはない。クーパーが尋ねたのは当然だ。

しかしコーランはそれに答えず、まだギクシャクする身体を引きずるように、病院の廊下を歩いて行った。

そこへナカゴがコーランと入れ違いにやってきた。

「サイカ先輩は?」

「今部屋を出て行きました。待ち伏せて迎え撃つと言っていましたが」

さすがにナカゴは驚いた顔をしていたが、想像の範囲には入っていたらしくため息一つつくと、

「そりゃ先輩ならそうするだろうなーとは思ってましたけど。せめてこっちの話を聞いてからにしてほしかったです」

「何か分かったんですか?」

「サウランを脱走させたのはソアラさんだったんですよ」

ソアラが言うには、サウランは自身の職業が殺し屋である事を妹には伏せていたらしい。それはナカゴの説明で信じられないと絶句した様子からも分かる。

その為捕まったのは冤罪であり、濡れ衣を着せられただけだと言い包めていたようだ。

だからソアラはサウランを刑務所から出してやりたかった。無実であると思っているのだから当然だろう。しかも彼女にはそれを実現させるだけの力があった。

ソアラが生まれ持っている魔法は、何と物体のテレポート。さすがに巨大なものはできないが、人間一人くらいなら、たとえ結界の中にいたとしても転位させられるほど強力なものらしい。

しかし威力が強力な分制約もまた大きく、いつでも思い通りに使える訳ではなかった。

使うには月の満ち欠けと星の位置が重要で、それが特定の位置にないと使えないというものだ。

だからそれらが特定の位置に着くのを二十年以上待っていた為、すぐにサウランを脱走させる事ができなかったのだ。

事件の重要参考人――もはや犯人の言葉である。本来なら事件解決を過ぎても重要機密の筈だ。

それをペラペラと簡単に喋ってしまうのだからよほど口が軽いのか。それともクーパーの事を信頼しているのか。

「でも、待ち伏せて迎え撃つって言っても、一体どこに行ったんでしょう?」

知恵者で通っているクーパーも、そのナカゴの問いには答えられなかった。

 

 

コーランとソアラが運び込まれた病院から遥か離れたビルの屋上。双眼鏡片手に病院を観察していたサウランは、

「度胸が座っているのは、相変らずのようだな」

病院の屋上のど真ん中に仁王立ちしているコーランの姿を発見し、彼は小さく笑った。

今の彼女に、数キロ離れた自分を攻撃する手段はない。一方こちらは、この程度の距離ならどうという事はない。

(また邪魔が入らないうちに片づけるか)

彼が袖をめくると、そこにあったのは腕時計型の計測器だった。

周囲の魔力の大きさや位置を計測するものだ。もし治安維持隊の隊員が近くに隠れでもしていたら厄介な事になるのは目に見えている。

計測器の針は「0」を刺しつつ、それが微妙に震えるように動いていた。

周囲に魔力の反応がなくても、風が強いとこうした動きをする事があるので、彼は気にせず探査範囲を広げていく。

仮に姿や気配を消していたとしても、この計測器が測定するのはその体内にある「魔力」。姿を隠しても魔力を隠さない限りこの計測器に反応するのだ。

シャーケンはこの世界――人界でも魔族の人口の多い町だ。探査範囲が半径数百メートルになるとさすがに反応してくるが、どれも微弱なもの。脅威に感じるものはない。

サウランは袖を戻して計測器を隠した。そして目標のコーランは屋上に立ったままだ。

(あばよ……!)

パチンコ玉を親指で弾こうとした瞬間だった。背中に予期せぬ強い衝撃を感じると同時に、自分の身体が前のめりに吹き飛んだのは。

もちろんコーランを狙うどころではない。

「誰だっ!」

サウランは声を荒げるが、誰がやったかの目星はついていた。

「いい加減にしろ、サウラン」

声をかけてきたのは、サウランの若い頃を思わせる青年。薄黄色い肌に同じ色の髪。そしてどことなく無表情が崩れない顏。

「ファンランか……」

サウランはほぼ二十年ぶりに顔を合わせた“双子の弟”を睨みつける。

「また二十年前のように捕まえにきたか」

「ああ。今度は脱走罪も追加する」

言っている内容は衝撃的だが、二人の表情に変化はほとんどない。

変化があったのはサウランの指だった。手の中のパチンコ玉を勢い良く弾き飛ばしたのだ。もちろんファンランめがけて。

ところが。至近距離からの亜音速のパチンコ玉を、ファンランはしっかりとかわしてみせた。

サウランの魔法が物体移動の高速化なら、ファンランが使えるのは自身の移動を高速化させる魔法。そのおかげで彼は魔界屈指のスピードを自負している。

影響のある物は違えど、共に高速化させる魔法を使える者同士。どちらが有利でどちらが不利とは言い切れない。

しかし、状況はファンランに圧倒的に不利だった。補体転身の術の影響で、彼の身体はすぐに消えてしまうから。

対峙したその時からその事を把握していたサウランは、全く焦った様子を見せず、

「お前の身体。あと何秒実体化できるかな?」

無表情な顔に、珍しく嫌みな笑みが浮かんだ。誰でも神経を逆なでされそうな表情だ。

「こっちはお前の姿が消えてから、ゆっくり攻撃して、逃げるとするよ」

周囲に人も魔法も存在する気配は感じられない。言葉通りに実行しても逃げ切る自信はあった。

もちろんサウランに指摘されるまでもなく、ファンランはハッキリと自覚していた。

「……本当に一人で来たと思っているのか?」

ファンランは寂しく呟くと、今まで以上に加速させ、一気にサウランの背中に飛びついた。二人はその勢いのまま落下防止の金網に押しつけられる格好となる。

ファンランはサウランの腕や肩をガッチリ拘束すると、

「遠距離からの攻撃は、サウランだけの専売特許じゃない」

その言葉と同時に、捲れていた袖から覗く計測器が反応した。自分達の後ろの遥か遠くからすさまじい魔力を検知したのだ。

魔力の主は分からないが、先程のセリフから判断するに、このまま狙撃する気だろう。

だがそれには自分の背中に組みつくファンランが邪魔になる。自分の胸や腹が金網に押しつけられた状態で背中から拘束されているのだから。

「いいのか? このままだと一緒に撃たれるぞ?」

弾が当たる寸前に避ける事もファンランにならできるだろう。

だがファンランが通信装置を持っている様子はないし、彼にそんな魔法が使えない事は昔から承知している。その状況で「向こうが亜音速の弾丸を発射し、タイミングを見計らって避ける」という神業のコンビネーションは不可能だ。

もちろんこのまま一緒に撃たれては無事では済まないどころか、命を落とすだろう。

たとえ自分が無傷では済まなかったとしても、弟自身に復讐を果たす事ができれば御の字。サウランはそう考えていた。

「『お前の身体、あと何秒実体化できるか』。そう聞いてきたのはお前の筈だろう」

ファンランのその言葉と共にサウランを拘束する力が緩んだ。実体化の制限時間が来てしまったのだ。

だが、その隙を見つけたと同時に、サウランの背中に再び激痛が走った。

実体化できる時間を正確にカウントし、それを見計らって放たれた、シャドウのライフルの弾丸がサウランの身体を撃ち抜いたからだ。

サウランはガックリとその場に崩れ落ちる。しかしファンランが消えてしまった今、その場で見届ける者は誰もいなかった。

 

 

シャドウの撃った弾は急所を外れていたので、サウランが命を落とす事はなかった。

もちろんその後でやって来た治安維持隊に拘束され、再び刑務所に逆戻りとなった。

これは自業自得の事態。同情する余地などない。

問題は妹のソアラである。

罪状は明らかに脱走の幇助。重罪である。それに盗まれた「無の指輪」を使って人を一人――いや五人殺しかけている。

それがたとえ騙されて行なった事であっても、罪は罪だ。魔界の法は厳しく、例外は認められない。彼女もサウランとは違う刑務所へ送られる事となった。

そういう魔界の事情をよく知ってはいるものの、コーランはナカゴにソアラの減刑を嘆願していた。

「そりゃ確かにサイカ先輩の気持ちも分かりますし、何とかしたいのは山々ですよ?」

法を司る機関の一員とはいえやはり人間だ。ソアラの処分についてはコーランより先に減刑の嘆願を魔界の治安維持隊本部に提出している。

「でも、減刑はなりませんでした。そもそも彼女自身がそれを望まなかったんです」

ナカゴの言った言葉に、コーランは小さくため息をつく。

「上の兄貴に騙されて、下の兄貴と生き別れ。ショックは大きいだろうから何とかしたかったけど……それじゃしょうがないかもね」

理由はどうあれ、きっちり罪を償う。そういう潔さを感じたコーラン。

だが現実は違っていた。ナカゴは首を横に振ると、

「上の兄は再び刑務所。下の兄は他人の足に。おそらくもう二度と共に暮らす事はないでしょう。それなら、生きていく意味などもうありません」

おそらくは、ソアラの口調を真似た、彼女自身の言葉。

「……キッパリとそう言われました。何もかもに絶望したような、無気力な目で」

ソアラにとっては、兄達と暮らす事がどんな事よりも優先したい事だったのだろう。

成人と前後して独立するのが普通な魔界の考えとしては、実に子供じみていると言える。

だが、とても一途とも言える。それこそ自分の命すら賭けられるほどに。

「いくら法とはいえ、自分の商売が呪わしく思えます。人一人助けられないんですから」

そう呟くナカゴは悔しそうに唇を噛む。

「けど、こういう事態でいちいち呪わしく思ってちゃ、身が持たないわよ」

たとえ辞めたとはいえ、先輩面したコーランが言う。実体験を思わせるような説得力を込めて。

「それよりサイカ先輩。今回の事、バーナムさんによくお礼を言っておいて下さいね」

話題を変えるようなナカゴの言葉に、コーランは首をかしげる。そう念を押されるほど彼の世話になっただろうか。

「『無の指輪』で倒れた皆さんを助けたのは彼なんですよ。彼だけが魔法の力、魔力を持っていませんでしたから、指輪のある部屋の中で動けたんです。彼が指輪を破壊しなかったら今頃どうなっていたか」

言われてみればその通りだ。

クーパーもセリファも魔法を使える以上魔力を持っている。シャドウはロボットだが動力源は魔力そのものだ。

グライダは魔法は使えない上にあらゆる魔法が効かないが、強力な魔法剣を二振り持っている。そのため無の指輪の影響が出ない保証はない。

そんな彼ら彼女らが部屋に入ればどうなるか、分かったものではない。

いつも大なり小なり困らされているバーナムに命を助けられるとは。コーランは小さく笑うと、

「……後で食事でもおごってあげましょうか。それでチャラにしてくれるわ、彼なら」

その言葉にナカゴは心底呆れた顔で言った。

「命を救われた謝礼がそれですかぁ?」

説明
「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。
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