いずれ天を刺す大賢者 1章 4節
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「ステラ先生、おはようございます」

「おはようございます」

「うん、おはよう。……ふむ、この魔力、懐かしいな。友人から手紙が来るようだ」

「えっ?」

 朝の挨拶にステラさんの部屋を訪れると、彼女はいきなりそんなことを言って、窓を開けた。まもなく一羽の白い鳥が飛んできて、その腕に止まる。いや、ステラさんに実体はないから、ただそう見える場所に静止しているだけなんだろうけど。

「これは私の友人の使い魔だよ。見た目は鳥のようだが、その実体は一通の手紙だ。それに魔力を与えることによって、解析魔法を使うことでのみ読める密書にしてある。この手紙の主は、私の古い友人でね――ああ、本当に何年ぶりだろう。彼女には私が死んでいることも伝えてあってね。まあ、遠方に住んでいるため、死んでから直接会ったことはないんだが……なるほど、いい報せだったよ。彼女もよくやっているんだな、私もすぐに返事を書いて、素晴らしい弟子に恵まれたと自慢してやろう」

「……ステラ先生」

「どうせならユリルちゃんも書いてみるかい?自身で使い魔化することはできなくとも、自身の字で言葉を伝えるというのはいいことだ。もっとも、彼女は魔法使いというよりは魔法研究家としての面が強くてね。魔法使いの弟子を取って育てたことはないが、人に物事を教えるのには慣れた人物だよ。彼女との交流がいい刺激になるかもしれない」

「そうでしょうか……?」

「不安そうな表情だね。……そうか、ユリルちゃんは人見知りする方だったね。大丈夫、君からすると歳は倍以上離れているが、気さくでいい人だよ。他人に腹を立てたりはまずしない人だから、軽い自己紹介や質問を手紙にすればいい。きっと喜んで答えてくれるよ」

 そう言われてもまだ、ユリルは心配そうだった。

 自分の成長はステラさんのお陰だ、と全幅の信頼を置いている一方で、他人とのかかわり合いについては学生時代のトラウマのようなものがあるのか、得意ではないらしい。

 それはステラさんも見抜いているようで、微妙な表情のユリルを見て、少しだけ表情を曇らせていた。……俺はそうじゃなかったと思うけど、いつの時代、どの世界でも学校というのは、それに馴染めない生徒に対してはどこまでも牙を剥いてくるんだろう。

 これは俺の予想でしかないけど、俺に対しては砕けた態度で接してくれるユリルを見ていると、元々人付き合いが苦手なタイプだとは思えない。少し真面目過ぎて融通が利かないところはあるものの、人と話すのが苦手という訳ではないはずだ。だから、今の不自然な消極的、保守的な面はきっと……。

「あの、あまり手紙って書いたことがないので、書き方から教えてもらえますか?」

「そうか、それもそうだね。これからどんな時に手紙を書くのを求められるかわからない。しっかりと勉強しておこう」

 ステラさんはそれを改善しようとしているし、ユリル自身も、少しずつ不器用ながらも自分を変えようとしている。俺はこの屋敷で唯一の男だし、そもそもが異世界から来たというイレギュラーではあるものの、精一杯ユリルの成長を助けていきたいと思うのは、同情や、彼女が可愛い女の子だから、というような単純な理由からではなく、彼女自身に向上心があるから、自然とそれを応援したくなっているのだと思う。

 才能がない人間がいくらがんばったところで、無駄な努力だ。そう言う人も、ユリルの前には現れたのだろう。だけど、今の彼女は実際に結果を出しているし、大魔法使いであるステラさんが、彼女を自分の弟子に選んだんだ。今ならはっきりと、昔の彼女を評価しなかった人間の方が間違っているんだとわかる。

 ……とはいえ、ユリルが繊細な学生時代に刻まれたコンプレックスは、簡単には払拭しきれないものなのだというのも、想像するに難くないことだ。

 なんとなく俺には、まず最初に得意な魔法を伸ばしていく、というステラさんの方針は理論的なもの以前に、彼女に自信を付けてもらいたいからなのかもしれない、と思えて仕方なかった。

「では、今日は魔法の修行からは少し離れて、手紙の勉強だ。ウィス君、紙と羽ペン。それからもちろん、インクを持ってきてくれるかな」

「はい。紙はちょっと多めに持ってきた方がいいですよね?」

「ああ、五枚ぐらいかな。ペンは一本でいいよ。私はいらないから」

「わかりました」

 ステラさんは文字すら魔法で書いてしまう。というより、多くの魔法の触媒は魔法によって加工されるもののようだから、そうすることは大して珍しいことではなく、一般的にされていることのようだ。俺の世界で言うなら、もう手書きの文字よりもパソコンで打って、プリンターで出力した文書ばかりになっている、というようなのと同じ現象なんだろうな。

「うん、ユリルちゃんは字が奇麗だね。私は癖字でね、自分自身すら、メモ書きが読めなかったこともあるんだ。私の生前の日記なんかも残っているけどね、たぶん読み取るのは古文書を解読するよりも困難だろうな……まあ、大したことは書いていないし、それだけのことをする価値もないんだけど」

「日記をつけていたんですか?」

「その日の出来事をまとめ、記録するというのは大事なのかな、と思っていた時期があってね。でもまあ、どんどん飽きていって、最終的には使命感から数行書いて終わり、といった感じになっていた。何事も楽しめている内が華だね。本当に記録以上の価値はないものに成り下がってしまっていたよ。でもまあ、十八、からか。うん、十八から死ぬまでの間、ずっと書いていたから、死ぬ少し前の記録は中々に面白いものなのかもしれない。我ながら、悲観的なものになっていたとは思うけどね」

「…………そうなんですか」

「ははっ、面白くない話だったね。でも、命はなくとも君とこうして出会えている、それは本当に喜ぶべきことだし、かつての友人たちが老いるのを若い姿で見られる、というのは中々に気分がいいよ。やはり人生は何事も楽しまなくてはね」

 ステラさんはユリルに教える一方、自身の分の便箋には魔法で一瞬にして文字を刻み込んでいた。俺はこの国の文字を読むことはできない。俺からするとかなり複雑な、でもどことなく漢字にも似ている気がする、表意文字を使っているみたいだけど、字数はかなり多くて、それを組み合わせて作る単語や文法も多く、下手に勉強を始めるとキリがなさそうだし、何より、ステラさんが本当に教えるべき相手はユリルなんだから、その邪魔になってしまう。

 それに、幸運なことに(?)この国の識字率は、実はそこまで高くはないという。魔法使いは魔法のために魔道書を使うぐらいだから、全員が全員、読み書きを不自由なくできる。ただ、そうではない労働者階級は、字の修得が必須とされる職種以外においては、そこまで文字を読めなくても生活に不自由はないらしい。必要な情報は紙媒体ではなく、口伝されていき、時にはそれが歪められることはあるものの、それでも大きな問題が起きることなく、世の中は回っていく。

 俺の世界からすると、信じられないほど後進的ではあるものの、だからこそ牧歌的な“平和”をこの世界には感じる。実際、魔法という強大な力があるのにも関わらず、大きな争いは起きていないようだし、ステラさんのような大魔法使いが事件や災害を解決してしまうから、悲劇らしい悲劇は起きずに済んでしまっている。

 日本のファンタジー作品に描かれるような、対立している異種族や、モンスターのような敵対する存在もいない、拍子抜けするほど平和で幸せな世界だ。でも。……いや、だからこそ、ちょっとした理由から人々の輪から外れてしまうと、辛い環境に置かれてしまうのだろう。

「えっと、これは目上の人に対して使う言葉じゃなくて……」

「あまり堅苦しく文法のことを考えなくてもいいと思うけどね?それよりは自分というものを伝えるのを優先した方がいいよ。完璧さを求められる場はもっと他にある。そうじゃない場面なら、もらった手紙をいちいち採点したりはしないのだから」

「そういうものでしょうか?でも、やっぱりできるだけ正しく書きたいので……」

「ううむ……この辺りはウィス君が教えてあげたらどうだい?」

「えっ、俺ですか!?」

 いきなり話を振られてしまったので、驚いて軽く飛び上がる。

「君の世界では、電子メールというものがあったのだろう?簡単に言えば、念話を可視化したものだったか……」

「まあ、そういう理解でいいと思います。でも、俺の世界のメールは手紙っていうか、すごい即時性っていうのか……速度を求められるものだったんで、手紙とは違うと思いますよ。結局、俺の世界でも大切な連絡は手紙で来てましたし」

 たとえば、合格通知とか。……うぅ、当時のことを思い出して、胃が痛くなってきた。高校入試よりも、大学入試の方が圧倒的に緊張したな……受験の経験としては二回目なのに、ここが人生を左右するかもしれない、と思うと気が気じゃなかった。結果的には、なぜか別世界に来ているんだけど。

「速度が求められるということは、その場その場で内容を考えていた、っていうことでしょ?」

「うん、大して悩むことなく、条件反射的に」

「あたしからすると、とてもじゃないけど信じられないことだわ……一行書くだけでも相当悩んでいるのに」

「ええっ」

 さすがにそれは遅筆過ぎるだろう、とユリルの手紙を覗き込もうとして、俺じゃ読めないことを思い出した。

「ねぇ、下書きを音読するから、本当にそれでいいか判断してくれない?ステラ先生に教えてもらってばかりじゃ、あたしらしさっていうのが表現できないと思うし……」

「別にいいけど。ステラさんも、いいですか?」

「うん、もちろん。ははっ、やはり若い子は若い子同士で考えた方がいいんだろうな。……悩めることは幸いだよ。小賢しくなってしまうと、悩んだり相談したりする前に自分で思い込んで、それを結論としてしまう。だから悩める内にしっかりと悩んでおく。そうすれば、悩む必要がなくなった時に、よりよい考えを思いつきやすくなるというものだ」

 ステラさんはそう言うと、ふっといなくなってしまった。幽霊だけあってか、割りと頻繁にステラさんはいなくなってしまう。気がつくと音もなく帰ってきているんだけど、ちょっと不気味に感じなくもない。

「それで、早速だけど、手紙の書き出しね」

「うん」

「初めまして。ステラ先生の弟子のユリル・アーデントです」

「まあ、普通だと思うけど、何を迷う要素が?」

「……あたしの名前よ。ユリル・アーデントとファミリーネームを書くべきかしら?あたしはステラ先生の元で、アーデント家の娘ではなく、ユリルとして学ぼうと決意したわ。だから、アーデント家であることを強調するようにこう書くべきではないのかもしれない、と思うの。多分、先生があたしの素性については書いていると思うし。でも、名乗る以上はフルネームにするのが礼儀という気もするわ。ファーストネームしか伝えないなんて、礼節を欠くことで――」

「う、ううん、そうか……」

 もっと些細なことで悩んでいるのかと思いきや、しっかりとした疑問だ。

 確かに、ユリルにとってはアーデントの名前は重荷であり、少なくともステラさんの弟子として修行している間は、封印しておきたいものだ。とはいえ、ユリルの苗字はアーデントの他にない訳で、他人に名乗る時はそれを使うしかない。初めて手紙を送る、しかも目上の人に名前しか名乗らないというのは……確かに礼儀がなっていないと受け取られかねないことだろう。

「それに、手紙で気にすることではないかもしれないけど、音の問題もあるわ。あたしの名前はアーデントまで含めて、響きがよくなるようになっているの。ユリル・アーデント……ね?こう言い切った方が音のバランスがいいでしょ?」

「なるほど……確かに、ユリルで終わるとちょっと寂しいな。じゃあ、フルネームで名乗るか……?」

「でも、アーデントと名乗ることで、それを誇示しているようで……未だにアーデントの名前に頼っているみたいで……あたしは、あんまり認めたくないの」

 その気持ちも、よくわかる。アーデントの名前を持つがゆえに、彼女はここまで追い詰められていたんだ、ということを知っているから。

「そうだ。これは俺の世界だけの文化かもしれないけど、こっちでも手紙の最初には“○○様へ”と書いて、最後には“○○より”って書くのか?」

「えっ?そんな文化はないと思うけど……」

「じゃあ、変って思われるかもしれないけど、そう書いてみたらどうかな。それで、最後には“ユリル・アーデントより”って書くんだ。その代わり、本文中での表記はユリルだけ。そうすれば、失礼にもあたらないし、アーデントの名前を使わずに済むんじゃないかな」

「フルネームの表記を本文としてではなく、形式的な締めの言葉として使う、ということね?」

「そう。……やっぱり、変かな」

「ううん、いいと思うわ。そう、あなたの世界ならそんな風に手紙を書くのね。封筒に誰宛てなのかを書くだけではなく、便箋自体にも書くことで、より“あなただけに宛てています”という感覚が強まって、なんだか素敵。……なんでも聞いているものね。やっぱり、あなたはすごく興味深い知識を持っているわ」

「いやいや……そんなに褒められましても」

「もっと胸を張りなさいよ。文化に優劣はないと思うけど、すごく好ましく映るんだから」

「……じゃあまあ、どうもありがとう。俺が発明した訳じゃないけど、俺の代までそういう文化が残っていたんだから、大したものだよな」

 なんともむずがゆいものを感じながら、複雑な字をていねいに書いていくユリルの指とペン先を見つめる。……たぶん、俺が羽ペンなんて使おうとしても、すぐに折れてしまうだろうな。学校でも書道は苦手だったし、俺にはボールペンかシャーペンしか使えそうにない。

「そういえば、今まであまりあなたの世界のことを聞いたことってなかったわね。……せっかく、あたしたちじゃ絶対にできない貴重な経験をしている人が傍にいるのに、考えてもみればとてももったいないことをしていたわ」

「いや、ユリルの本分は魔法の修行だろ?俺よりもステラさんから学ぶのが先決なんだから、その方がいいって」

「でも、先生からも広い視野で物事を見つめられるようになりなさい、って言われているし、今回のことであなたの世界にすごく興味が出てきたわ。これからも色々と教えてくれない?」

「魔法の修行に支障が出ない範囲でなら、まあいいけど……うーん、色々と言われても、やっぱりこの世界とは何もかもが違いすぎるから、説明するのもちょっと大変だな。話す内容をまとめておくから、毎日少しずつ話すようにしよう。どうせ余るほど時間はあるんだから、その間に考えておくさ」

 この屋敷の雑用係を任されているとはいえ、実際のところはお使いぐらいしかすることはないし、そこまで忙しくはしていない。むしろ、魔法の修行に加えて毎食の料理を担当しているユリルの方がずっと忙しいのは明らかだ。料理を教えてもらうという約束もしているけど、今は余裕がないから、とずっとユリルが一人でしてしまっているし。

「じゃあ、夕食の後なんかどう?」

「それでいいけど、眠くないのか?いつも夕食の後って、すぐに自室に戻って休んでる印象があるけど」

「……よく知ってるわね」

 ユリルは少しだけ頬を赤くする。

「いや、別にユリルのプライベートをいつも探ってるって訳じゃないからな。ただ、前にちょっと用事があって部屋に行こうとしたら、寝てるみたいだったから」

「確かに寝ている日も多いけど、いつもそうということもないわ。魔力を使いすぎた日は寝るのが一番だから、そうしているってだけで。でも、自分で言うのもおかしいとは思うけど、最近はかなり魔法もモノになってきたから、食後に少しだけ時間を取って話すぐらい大丈夫よ」

「確かに、最近のユリルはいっつも褒められてる印象があるし、すごいよな。……じゃあまあ、疲れている日は休んでくれてもいいから、食後に決めておこう」

「ええ。……すごく楽しみ。あたしはやっぱり、知らないことを教わるのが好きだわ。ステラ先生やウィスなら、気兼ねなく聞き直したり、質問したりできるし……今、すごく充実していると思うの」

「ユリル」

 そう語る姿は、決して要領のいい学生じゃなかった俺自身の過去と重なっていた。

 俺も、特に中学生ぐらいの頃の勉強については、なんとなくで流してきたところがある。結局それは、高校や大学に入ってから勉強し直して克服できたところも多いけど、未だに“なんとなく”で止まっている部分もあって、それはもうきっと、一生そのままで放置されてしまうんだろう。

 そして、ユリルにとってその“なんとなく”というのは、自分が得意とする炎の魔法以外のほぼ全てだった。結果、彼女は学校では落ちこぼれということになってしまい、卒業するまで改善されることがなかった。

 ステラさんもずっと言っていることだけど、彼女は決して才能がない訳じゃない。理解力に乏しいということでもなくて、ただ、教えられたことの消化に時間がかかっているだけだ。むしろ、疑問点がいくつも出てきて、そのせいで立ち止まってしまうということは、きちんと学ぼうという意欲があるからこそなんだと思う。

 ただ、彼女のような熟考型の生徒にとって、学校というのはあまりにも優しくない環境だった。何十人という子どもが一斉に学ぶのだから、それは仕方ないことではあるものの、そのせいでユリルが埋もれてしまいそうだったことを考えると……どうにも疑問に感じてしまう。

 まあ、何の発言力もないどころか、この世界にとってはただひたすらにイレギュラーな俺が口を挟むことではないと思うけど。疑問は、疑問だった。

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