いずれ天を刺す大賢者 1章 5節
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「ね、あなたの学校の話を聞かせてくれない?」

 その日の夕食後。俺の部屋に来客があった。ステラさんが来るはずもないから、ユリルだということがわかる。そうして部屋に招くと、そんな要望をもらった。

「学校の話か……。いや、俺の学校の話なんて欠片も面白くないよ。大学に上がったら自然と関係が切れた、今思えば友達とも言えない友達と、のらりくらりとやってるだけだったし」

「じゃあ、大学の話でいいわ」

「……そっちはもっと虚無しかないぞ。虚無があるって変な表現だけど」

「ねぇ、ウィスがそうやって学校のことを話しづらそうにしているのを見る度に思うんだけど、あなたはどうして学校に通っていたの?これはあたしの……魔法使いとしての価値観だけど、学校は学びたい人間が通う場所だわ。決して学費も安くないし、長い時間を拘束されてしまう。……学校で成果を出せなかったあたしが言うのは説得力のないことかもしれない。でも、あたしは学校で基礎を学べたからこそ、ステラ先生の弟子として教わることができているわ。だけど、ウィスはどうにも目的があって学校に通っていたようには思えないの」

「…………痛いところを突いてくるな」

 そう言った瞬間、ユリルは申し訳なさそうな顔をした。いや、そういう意味じゃない、と制止する。

「この世界の、ユリルが持っている学校観っていうのは、すごく妥当なものだ。本来、学生っていうのはそうあるべきなんだと思う。……でも、俺の世界ではちょっと事情が違っているんだ。まず、六歳から十五歳までの間は義務教育って言って、特別な事情がある場合以外、絶対に教育を受ける必要がある。授業料とかは国が負担してくれるから、本当に最低限のお金を用意するだけでいい」

「授業料を国が?それはすごいことだわ。きっと、教育水準がすごく高いんでしょうね」

「ああ。識字率はかなり高い……いや、ほぼ百パーセントと言っていいと思う。それに、それが社会に出てからも役立てることができるかはともかくとして、社会に出て恥ずかしくない程度の教養も、十五歳までにほとんど身につくようになっているんだ。それでその後、更に七年前後ぐらいは学校に通うことができる。三年間、高校に通って、後は二年から六年ほど、大学に通うんだ。大学では専門性が高い高等なことも学んだりして、そのまま学者になる場合もある」

「じゃあ、ウィスは学者の卵だったの?」

「……いや。あくまでなる場合もある、っていう話だよ。大多数の学生は大学を卒業した後、多くは大学で学んだこととほとんど関係のない職業に就く。一般的な計算や、文字は義務教育の時点で完璧だからな。高校以降で学ぶ知識なんて、プラスアルファでしかないんだ。究極的には、義務教育の後、すぐに就職しても問題はない」

 そこで、ユリルはわからない、という顔になった。……うん、話していて俺も、よくわからなくなってきたから、その気持ちはよくわかる。

「じゃあ、どうして高校や大学に?」

「モラトリアム……なんて言葉もあったな。俺の世界では、十五歳っていうのはほんの子どもなんだ。ユリルはもう立派な“大人”と思うけど、俺なんてもう十九なのに、ひとつもしっかりしているようには感じられないだろ?」

「そんなこともないと思うけど……」

「いや、そうなんだ。十五歳で進路を選ぼうとしても、まだ自分がどんなことを得意としていて、どうすれば満足できる人生を送れるのか、ひとつもわかっていない。だから、高校や大学に通いながら、それを探すんだ。でも、多くの場合はそれでも見つからない……っていうか、先のことが見えているやつは、惰性で学生生活なんて送らないよ。しっかりとした目標を設定して、それに向けてがんばれる。ユリルが魔法使いになろうと、師匠を探していたみたいにな」

「でも、大学を出たら就職しないといけないんでしょう?」

「ああ。もう学生の身分にすがりつくことができなくなるからな。……そうして、焦ってなんとか仕事を得て、でもそれが長続きしなかったり、疲れて病気になったり……最近の若者は意気地がないとか言われるけど、俺は必ずしも若者側に問題があるとは思わないな。それだけ新しい生活を始めるのが大変な時代を迎えているんだ、俺たちの世界は」

 話しながら、どうして俺は実際に就職活動もしていない、十九歳の若造が、しっかりと未来を見据えて努力している十五歳の女の子に、日本の大学や就職事情を語っているんだろう、とおかしくなった。でも、ユリルは熱心に聞いてくれている。

「……ステラ先生も、今この世界は行き詰まりが見えてきている、と話していたのを覚えてるわよね?」

「ああ、魔法の使い過ぎで世界の魔力が枯渇して来ているんだっけ」

 だからこそ、俺がこっちに来てしまった、という話だった。

「あたしはなんとなく、あなたの世界が理想郷のように思えていたの。そこには何も苦しいことはなくて、楽しいことだけがあるんだ、って」

「……まあ、こっちの水準からすれば、それも間違いではないよ。ずっと便利だし、人間の仕事は減ってきている。代わりに機械のご機嫌伺いをしなくちゃいけないけど」

「でも、あなたの世界では学校の意味合いが、本来のそれとは異なってきていて……なんというか、息苦しいんじゃないか、って思うの。それで、もしかするとこっちの世界よりも“行き詰まり”が目の前に迫ってきているんじゃないか、って」

「…………否定はできないな。薄々感じていたことだったけど、別世界の人間であるユリルに指摘されてみると、本当にまずいところまできているんだな、っていう気になるよ」

 俺は傍観者としてユリルの修行風景を見ていて、その姿に少なからず羨ましさを感じていた。

 最高の師匠の元について、苦労しながらも着実に力を付けていっていて、その先には魔法使いとして世間に認められ、人の役に立つ、という明確なビジョンが見えている。それは理想的な“先生”と“生徒”の関係であって、少なくとも日本の学校からは失われて久しい構図だ。そう考えると、とっくの昔に我が国の学校っていうのは機能不全に陥っていて、ただの入社試験を有利にするための通過点でしかなくなっている。

「……はぁ。なんていうかな」

 俺がそんな世界からオサラバできたのは、きっと幸運なんだろう。ユリルは可愛いし。ステラさんは奇麗だし、うん。

「でもね、ウィス」

「うん……?」

「元の世界に帰れるかもわかっていない内から、こういうことを言うのもおかしいかもしれないけど……もし帰れたら、がんばってね。大変な時代だろうけど、それを変えていけるのも、その時代を生きている人だけなんだから。――あたしも、この世界の行く末がどうなるのか、わからないけど……それでも、魔法使いになれたら、自分なりに問題を解決できるようにがんばってみるから」

「……ああ。でも、俺はなんとなく、一生こっちにいる気がするよ」

「もう、弱気なんだから。あたしとステラ先生がなんとかしようとするんだから、きっと上手くいくわ。だから、帰ったらこっちでの経験も役立てて、凡庸な一市民で終わることだけはしないでよ」

「さて、どうかな。人にはない経験をしても、俺自身の能力は平凡でしかないんだから、どうしようもない気がするけど」

 かけられたプレッシャーをスルーしようとそう言うと、ユリルは思い切り不満そうな顔で睨んできた。……ま、俺はこういうやつなんだ。ユリルほど使命感に燃えていて、心の強い人間じゃない。「人生の主役は自分」なんて言うけど、俺はユリルの物語の脇役でいたい。……そういうやつだ。

説明
大学生主人公特有の進路を悲観するやつ

※毎週日曜日(時刻不定期)に更新されます

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