玉繭の妬心
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 最近作之助は和服ばかり着ている。いち早くそれを指摘したのはやはり太宰で、

「オダサクの中で急に和装が流行ってんの〜?」

 としきりに不思議がりながら、毎日作之助のコーディネイトを批評していた。元がおしゃれな作之助のことだから、毎日小物を変えたり、帯を変えたり、着物の数も増えて、自然太宰の批評にも熱が入った。しかし羽織だけはなぜか毎日同じものを着る。「羽織買わねえの?」と太宰に聞かれて、作之助は「この羽織、気に入ってんねん」とだけ答えた。

 それは黒の牛首紬の長羽織で、羽織裏は加賀友禅染の金沢羽二重、完全な加賀物であった。羽織裏を見せろと太宰に言われたとき、作之助は「梅林の柄や」と言うだけで脱いで見せなかった。それは確かに梅の咲きこぼれる梅林の情景なのだが、左上に加賀金沢尾山神社の神門、右下に大坂難波津高津宮の梅乃橋が描かれて、まるで金沢と大阪が梅林で繋がっているかのような意匠だった。

 

 実はこの羽織は作之助が自分で購ったものではない。室生犀星が作之助のために誂えたものである。

 秋口に突然呉服屋に連れていかれた作之助は、どうやら相当のものを贈られるらしいと察して一度は断った。

「牛首紬に使う玉繭は、夫婦の蚕が二匹で作るんだよ。二匹の出す二本の糸がかならず絡まってほどけない。これを君に贈る俺の気持ちが分かるだろう」

 などと犀星に言われ、これワシが生娘やったらイチコロやな、と冷静なつもりの作之助は思った。

「……おおきに」

 と小さな声で答える自分が、傍目から見れば生娘のようにいじらしかったことには気づかなかった。

 

 今日も作之助はおろしたての縞御召にいつもの長羽織をぞろりと着て、談話室へ入った。午後から犀星と出かける約束があったので、いつもより気合を入れた装いだ。「おや、よい物を着ているね」と通りがかりに着道楽の気のある尾崎紅葉に褒められて作之助は内心有頂天だったが、つとめて控えめに「ありがとうございます」とだけ言った。

「やあ、織田くん」

 次に声をかけてきたのは芥川だった。彼は最近やたらと作之助に構うようになって、それはどうやら作之助が彼の親友・室生犀星の恋人になったかららしかった。

「今日は非番なのかい? どこか出かけるの?」

「ええ、午後からですけど」

 作之助はやや警戒しながら答えた。この人は以前、犀星と出かけると言ったところ「一緒に行きたい」と言い出して、本当に途中まで二人についてきたことがあるのだ。

「ああ、そうだ。たしか君も、お汁粉が好きなのだよね」

 芥川が思い出したように言った。

「ええ、そうですけど」

 芥川がいうところの「お汁粉」は、作之助が言うところの「ぜんざい」、ぜんざいと言えば作之助の作品タイトルになっているほどの好物である。

「昨日行った店がおいしかったから、君も行くといいよ。犀星に連れて行ってもらったんだけど、」

 そこまで言って芥川は、あ、と止まった。

「ごめんごめん、きっともう、犀星に連れて行ってもらったよね」

「いえ、はぁ」

 作之助は口の中で、よく分からない返事をした。本当は連れて行ってもらってはない。だがそれを、なんだか芥川にだけは知られたくなかった。

「昨日は一日犀星と過ごしたんだよ。久しぶりに二人で街に出たから楽しかったな。昔はよく一緒に甘味処に出かけたんだ」

「そうなんですか」

 作之助は愛想よく笑いながらうなずいた。芥川はこうやって延々作之助に犀星の話をする。二人の共通の話題がほとんどないので、犀星の話に終始してしまうのは仕方のない部分もあるのだが、本当のことを言うと作之助はそれがちょっとイヤだった。なんとなく視線をずらして、芥川の胸元あたりを眺めていた作之助は、芥川がいつもと違うものを身につけていることに気づいた。

「先生、おしゃれなストールしてますね」

 話題を変えるつもりでそう言うと、芥川の表情がぱあっと輝いた。

「ああ、これはね、昨日犀星がくれたんだよ。なんでも牛首紬というモノらしくてね」

「なんて!?」

 作之助がすごい勢いで聞き返したので、芥川はあっけに取られてしばらく言葉を失っていた。

「うしくびつむぎ・・・・・・」

 恐る恐る芥川がもう一度言ったので、作之助は慌てて謝った。

「いや、すんません。別に聞き取れんかったわけやないんです。そうなんですね、犀星先生が牛首紬を・・・・・・」

 二匹の蚕が二本の糸をどうたら言う、あの牛首紬を。作之助は戸惑う芥川に配慮する分別もなく黙り込んだ。なにが玉繭じゃ、夫婦の蚕じゃ。室生犀星の糸ちゅうのは、こっちの糸にもあっちの糸にも飛んで絡まるんか。頭にカッと血が上って、作之助は睨み付けるように芥川を見た。

「そや、芥川先生。この羽織、先生に差し上げますわ。ワシのお古やけど、モノはええんで。そのストールにもよう似合うと思いますわ」

「え!?」

 作之助はさっさと羽織を脱いで芥川に押し付けると、

「ワシちょっと用事思い出したんで失礼します」

 後ろも振り向かずに談話室を出て行ってしまった。

 

 カッカして作之助が廊下を歩いていると、谷崎潤一郎と行き会った。

「おや、いいところに。織田さん、この後ちょっとお暇?」

 本当はこの後犀星と約束があるのだから、作之助は暇ではない。しかしなんとなくそう言いたくなくて「あー」と悩んでいると、谷崎は言葉を続けた。

「実は今日これから、春夫さんと文楽を見に行くはずだったんですけれど、春夫さんの都合が悪くなってしまって。織田さん、よかったらご一緒してくださいませんか? 演目は妹背山婦女庭訓」

 谷崎は妖しく笑って、四段目が出ますよ、と言った。なるほどこの人が好みそうな演目だ。かく言う作之助も四段目の切、竹に雀は割と好きな演目で、とても魅力的なお誘いだった。

「ワシがご一緒してええんでしたら、是非」

「まあ、よかった!」

「あ、せやけどちょっと待ってもらってええですか。ワシ、この服に合わせる上着持ってへんので、ちょっと着替えてきますわ」

「? それはマア、」

 と谷崎は少し考えていたが、

「せっかくすてきなお召し物なのに、お着替えになるのはもったいないですよ。私の外套をお貸ししますから、ちょっとお待ちになって」

 言うなり自分の部屋へ引き返し、暖かそうなマントを持って来た。

「よかったらこれ、使ってください」

「え、いいんですか?」

「どうぞ遠慮なさらないでください。サ、では参りましょう。」

 と上機嫌で歩き出す谷崎の後ろを、慌ててマントをはおりながら、作之助は付いていった。

 

 

 

「なかなか良かったですねえ」

 劇場を出ると、夜のつめたい空気が火照った頬に気持ちよかった。

「ほんまにめっちゃよかったですわ。先生、お誘いいただいて、ありがとうございました」

「いえ、私こそご一緒していただけてとても楽しかったです。またお誘いしても?」

「ええ、それはもう、是非!」

 同じ文楽という趣味を持つもの同士、谷崎との時間は楽しくて、またこうやって一緒に出かけられたらいいなと作之助は思った。

「寒いですし、タクシーで帰りましょうか」

 そう言って劇場前の車寄せを見た谷崎は「おや」と眉をあげた。

「どないしました?」

 と作之助は谷崎の目線の先を見て、ハッと息を呑んだ。そこには室生犀星が、あの牛首紬の羽織を手に持って立っていた。

「……何してはるんですか」

 犀星の顔を見るのは気まずかったが、かと言って彼を無視するほどの度胸も作之助にはなかった。なけなしの意地と強い自尊心が言わせた作之助の言葉は、しかしどうやら犀星を怒らせたらしかった。

「何をしてるかって? 君、自分のしたことが分かってるんだろうね」

 頭ごなしに非難されて、作之助も生来の気性の激しさが出た。

「そら、勝手に今日の約束反古にしたのは悪いと思てますけど、ワシかて色々事情があるんや」

「事情ってなんだい。谷崎君と出掛けるのが事情なのか? だいたい、なんだよそのマントは。脱ぎなさい」

 言うなり、犀星は作之助が着ていたマントを引っぱった。

「ちょっと! 何するんですか。これ谷崎先生のマントですよ?」

「知ってるさ! だから脱がそうとしてるんだろ!」

「マア」

 なぜか谷崎が喜色を浮かべて言った。

「これでは私、まるで間男みたい」

 谷崎のマントにもしものことがあってはならないと思うと、作之助はあんまり激しく抵抗するわけにもいかず、結局犀星にマントを脱がされてしまった。

「これは君に返すよ」

 犀星はマントを谷崎に突きつけると、羽織を広げて

「着なさい」

 と作之助に言った。

「いや、それはもう芥川先生に上げたからワシは着られません」

「何を言ってるんだ! これは俺が君に贈ったものだろう!」

 怒った犀星の顔は迫力があって、作之助はちょっとひるんだ。犀星はそれを感じ取ったのか、一つ大きなため息をついて、口調をやわらげた。

「確かに芥川と先に汁粉屋に行ったのは悪かったと思うが、そんなに怒らなくても」

「ハァ!?」

 作之助は思わず叫んだ。

「ワシはそんなことで怒ったりしません!」

 芥川からすれば、犀星と汁粉屋に行った話をした直後に急に作之助の機嫌が悪くなったのでそう勘違いしても仕方ないが、犀星までそう思うなんてとんでもない話だ。

「じゃあ、いったい何だってそんなに怒ってるんだい」

 そう言われて作之助は黙った。犀星が芥川にも牛首紬を贈ったのが気に食わないだなんて、口にしてしまうとなんだか子どもっぽい。

「あの、私、犀星さんほど色恋の道に詳しいわけではありませんけど、」

 谷崎が心にもなさそうなことを言いながら話に割って入ってきた。

「織田さんが芥川さんに羽織をくれてやったというなら、やはり問題はそこにあるのではないですか? 犀星さん、あなた、最近芥川さんに何か同じようなものを贈られたのでは?」

 谷崎にそう言われて、やっと犀星は思い当たったようで、

「ストールか」

 とつぶやいた。作之助はなんだか気まずくなって、視線をそらして夜闇に輝くネオンを見ているフリをした。

「フフッ、後はお二人でごゆっくり。あんまりお邪魔して殺されるのはごめんですから、お三輪は退散いたします」

 と今見て来たばかりの芝居に事寄せて、谷崎は歌いながらタクシーの方へと歩き出した。

「竹にサ、雀はナア、品よくとまるな、とめてさ、とまらぬナ」

 ひときわ思いいれたっぷりに

「色の道かいなア、」

 と歌いおさめると、作之助に会釈して去っていった。

 

「織田君、とりあえずこれを着なさい。寒いだろう」

 犀星は広げた羽織をもう一度作之助に押し付けるようにした。

「別に寒うないからええです」

「君も分からないやつだな!」

 だん、と地団駄を踏んだ犀星を見て、かわいらしいな、と作之助は思った。

「芥川には確かにストールを渡したけれど、出来合いのストールと、羽織裏の絵柄まで発注した誂えの羽織じゃあ、全然重みが違うだろう!」

 そらそうやな、と作之助は思った。本当のことを言うとそれは最初から分かっていたし、自分でも子どもっぽいことをしたな、と思っているのだ。しかし、嫉妬とは得てしてそういうものである。

「せやけど先生は、牛首紬を贈るのは特別な相手にだけ、みたいなことワシに言うたんやで」

「それは……そうだが」

 犀星は困ったように眉を寄せた。

「悪かったよ。謝るからとりあえず羽織を着なさい。風邪を引いたら大変だろう」

 犀星は諦めたようにそう言うと、ちょっと背伸びして羽織を作之助の肩に掛けた。このままでは作之助がいつまでも強情に羽織を着ないと思って犀星は謝ったのだと作之助は気づいた。普段なら自分に非がないと思えば絶対に折れない人だ。

「……もうええですけど。ワシも悪かったし」

 作之助が羽織に袖を通すと、犀星はあからさまにほっとした様子を見せた。

「先生。今日、約束やぶってごめんなさい」

 作之助が羽織紐をのろのろ結びながら言うと、

「本当だよ! そこは俺も怒っているからな!」

 と犀星はまた元気に怒り出した。

「まあ、もうええですやん。おあいこってことで」

「君ねえ、」

 ケッケッケ、と作之助がはぐらかして笑うと犀星ハァ、とため息をこぼした。

「先生。ワシ、ぜんざい食いたい」

「今からかい?」

「ええでしょ」

 作之助が犀星の襷でからげた袖をちょい、と引くと「仕方がないなあ」と言って犀星は歩き出した。

「織田君、後で芥川に謝っておいておくれよ。君を怒らせてしまったって、随分しょげていたからね」

「ええ〜」

 ちょっと嫌だなと作之助は思った。犀星のことで嫉妬させるようなことを言う芥川にも責任があるというのが作之助の言い分だった。

「……、あ! 先生も谷崎先生に謝っといてくださいよ。あんなことして」

 ホンマは怒ってはったんちゃうかな、と作之助は気を揉みはじめた。

「嫌だよ」

 犀星はつんと顔をそらして言った。

「人の恋人をデートに誘うヤツが悪いんだ」

「ええ!」

 作之助は思わず笑ってしまった。

「先生、意外と子どもっぽいところあるんですね」

 犀星はム、と口を引き結んで黙ってしまった。しもた。これは失言やったな。

 作之助は機嫌を取るつもりで犀星の腕に自分の腕をからめて、身体をすり寄せた。犀星の腕は冷え切っていた。長い時間、自分たちが出てくるのを待っていたのだと思うと、なんだかたまらなくなって、作之助はぎゅっと腕にしがみついた。

「先生、寒いし早う行きましょ。楽しみやな。先生オススメのぜんざい言うたらおいしいやろうなあ」

「きっと君も気に入ると思うよ。近いし歩いていこう」

 劇場の玄関を出たところでちらほらと雪が降り出した。こんな寒い夜に、恋人と食べるぜんざいはどんなにかおいしいだろう。二人は同時にそんなことを思って、足早に店へ向かった。

 

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説明
 嫉妬し合う室織が見たくて書きました。なんか、二人とも独占欲強そうで、嫉妬心も強そうじゃないですか!!!! でも最終ラブラブです。芥川先生と谷崎先生が活躍(?)します。
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文アル【腐】 室織 

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