いずれ天を刺す大賢者 2章 4節
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 あたしはきっと、今までは“弱い女の子”だったんだと思う。

 ステラ先生の元で修行する中で、強い魔法使いになろうと思った。少女であることを捨てて、魔法使いとして優秀になろうと思っていた。

 でも、心のどこかには未だに甘えがあって。まだ、あたしは女の子でいてもいい、と。言っても十五歳なんだから、大人に教え、助けられる子どもでいいんだと。

 そう、信じていた。

 だけれど、今はもう違う。

 大人に騙され続けていた。それも、肉親に。

 だから、あたしはもう、騙される幼稚で頭の弱い子どもから、決して騙されることのない、賢明な大人にならないといけない。

 ウィスを伴って今夜の宿に落ち着いたあたしは、しばらく部屋で一人にさせてもらって、そう考えていた。

 大人になって、賢くなるということは、優しさを失うことではないと思う。でも、子どもらしい、少女らしい甘さは捨てたいと思った。

『ユリル、俺だけど。いいかな』

 控えめなノックの音が響く。こんな時まで、ウィスはあくまでウィスだ。それがおかしくて、でも安心できた。もう外は日が暮れている。たぶん、宿のロビーで待っていてくれたんだろうけど、こんな時間まで締め出してしまっていたのが申し訳ない。

「落ち着いたから、大丈夫。入って」

『うん』

 そっと扉が開けられる。未だに彼は気遣いが過ぎる人だと思う。でも、それが彼という人なのだとわかっている今は、もどかしさは安心感へと変わっている。

「明日は、一緒に付き合ってくれる?……あっ、いや、ウィスがイヤなら、無理にとは言わないけれど」

「イヤな訳ないよ。と言うか、俺は付き添いなんだから行かないと。……むしろ、俺はユリルの方が心配だな。別に今すぐに行かなくても、落ち着いてからでいいんじゃ」

「ううん。早い内がいいという話だし、これぐらいで落ち込んで、精神的にやられてしまうようでは、立派な魔法使いになんてなれないわ。……大丈夫。あたしは、強くなるから」

 そう言って安心してもらおうと思ったのだけど、ウィスはまだ不満そうな顔だった。……無理している、とは思われているのかもしれない。というより、それはきっと事実だ。あたしは今、無理をしている……でも、だからと言って立ち止まることだけはしたくない。とにかく、早くこの実家との最後の関わりをも断ち切って、その後は少し、この街で遊ばせてもらおう。そして、エルケットに戻った時にはもう、いつものあたしに戻るんだ。いや、旅に出る以前よりも、大人になったあたしで、ステラ先生に徹底的に鍛えてもらう。

 封印を解いたあたしはきっと、今までとは比べ物にならないほどの魔法を扱えるはずだから。

「まあ、そういうことなら、その方がいいんだろうけど。……でも、ユリル。無理だけはしないでほしい。俺は魔法のことでは力になれないけど、話を聞くぐらいはできるんだから」

「ウィス。ありがとう。でも、これはあたし自身が決着を付ける問題だから。明日、霊泉に行ったら、もうそれきりあたしは多分……疑問を持たずに、アーデントの姓を忘れることができると思うの。まあ、すぐにバルトロトを名乗る訳ではないけど、少なくともアーデントへの未練は捨て去ることができるはずよ」

 彼がこう言ってくれているのだから、たまには頼ってもいいのかもしれない。だけれど今だけは、絶対に弱音を吐いてはいけない時だ。だから、彼に申し訳ないと思いつつも、今は前だけを見る。彼の後ろを歩いたり、並んで歩いたりすることはせず、彼に背中を見守っていてもらう。それが正解だと思った。

「ユリルは……強いな。本当にいつも感心してばっかりだ。俺も、ユリルみたいになれればいいんだけど」

「あなたはもう十分じゃない、ウィス。……前々から思っていたのだけど、あなた本当に自分を過小評価し過ぎよ。そもそも、あたしやステラ先生みたいな魔法使いと、一般人が一緒に生活をできている時点ですごいことなのだから。魔法学校や、魔法使い見習いの修行という制度も、元を辿れば魔法使いを隔離して、魔法使いの世界のことは魔法使いの間だけで解決しよう、という目的からのことなの。まあ、あなたは別世界から来た人だけれど。でもたぶん、その気になれば一人でも仕事を見つけて暮らせていたでしょうに」

「まあ、俺はなんか、ユリルたちの手伝いをしているのが性に合ってた、っていうか。……本当のところは、自分で目的を考えて、自分自身でやることを決めて、それをしていくのがイヤなんだよ。ステラさんの屋敷にいれば、やるべきことを指示してもらえるし、飯はユリルが作ってくれる。それが楽でいいから、そうやって流されていくことを選んでるんだ」

「またそんなこと言って」

「い、いや……」

 もう半年も一緒にいるのだから、彼がこうしてまだるっこしいほど謙虚に振る舞うことを知っている。それが“日本人の美徳”ということも、彼自身の口から聞いていた。

 だから、あたしがきちんとその真意を汲み取ってあげないと、彼の心は完全には理解できない。

「じゃあ、あたしが独立しちゃったら、どうするの?」

「それは……その時に考えるよ。いざその時が来てみないと、想像することすら難しいから」

「ま、それもそうね。自分の人生設計を完璧にできている人なんていないでしょうし、仮に予定を立てていても、生きていればどんどんその通りにはならなくなっていくもの」

 あたし自身がそうだった。でも、ある意味で上手くいかなかったお陰で、あたしはあたしの真実を知ることができた。

 こうなった以上は、本当の自由をあたしは謳歌したい。人に押し付けられた、制限つきの自由ではなく、どこまでも自分の力で進める自由を。

「でもね。ウィス。あたしと一緒にいてくれるのは嬉しいけど、あたしやステラ先生との生活の中で、ウィスがやりたいと思ったことが出てきたら、絶対にそれを報告してね?たとえそれが、屋敷から出ることになることだったとしても、あたしは喜んで送り出すし、きっとステラ先生もそうだわ。あなたには、あなたの人生があるのだから」

「ユリル」

「たぶんきっと、あたしの道とウィスの道は大きく違っているわ。たまたま、縁があって今は交わっているけれど、交差した線はいつかは離れて行ってしまう。それは悲観することじゃなく、きっと喜んで受け入れるべきことだわ。別れの悲しみより、出会えたことの喜びを噛み締めないと。だって、多くの“出会い”って、別れることを悲しむ気も起きないほど、どうでもいいものでしょう?別れるのが辛い相手がいるのなら、その出会いは本当に幸せなものだと思うの」

 なんて、偉そうに言ったみたけれど、そう考えるようになったのは、他でもない。ウィスとステラ先生に出会ってからのことだった。かけがえのない、何よりも大切な出会い。それを知って初めて、出会いを喜び、感謝する、という気持ちが芽生えた。この人とは絶対に離れたくない。そう思っているからこそ、いつか確実にある出会いの時に泣いてしまわないように、今から別れの準備をしているのかもしれない。

「……そっか。俺はこの世界に来てからの出会いはどれも、幸せなものだと思うよ。名前も知らない人と、街ですれ違うだけでも、この世界の人は“生きている”んだと感じられるから、すごくその出会いが気持ちいい。本当に眩しくて、羨ましい世界だよ、ここは」

 そう言う彼の世界もまた、あたしからすれば憧れる“いい世界”に思えた。でも、今まであたしがこの世界を窮屈に感じていたように、ウィスもまた自分の世界に強い不満を覚えていたんだろう。それから解放された喜びは、間違いなくステラ先生に出会えた時にあたしが感じたものと同じか、それよりも強いもののはずだ。

 ステラ先生に出会い、人生が変わったあたしたちは、これからどうなるんだろう。

 ……きっと、そう遠くない内にステラ先生は逝ってしまうんだと思う。その時、あたしたちは。

 ベッドに体を預けると、ほどなくして眠ってしまった。まだもう少し、ウィスと話しておきたいことがあったのに。

 完全に意識がなくなる頃にはもう、記憶まで失くしてしまっていて、翌朝には昨晩話したかった内容も忘れてしまっていた。

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「具体的に霊泉って、どういうことをするんだ?」

「簡単な話よ。霊泉はそれ自体が強い魔力を持ったものなの。だから、その水の魔力を自分自身の魔力と触れさせればいいの」

「ええっと、じゃあ、飲むとか?」

「……さすがにそれは、水魔法の専門家でも大変なことになるわよ。自然界にある魔力と人間の魔力っていうのは、同じ言葉で言い表されるけど、大きく違うものなの。専門用語になるけど、自然界の魔力を“マナ”、人間の魔力を“バー”と呼ぶんだけど、あたしの得意な火属性の魔法を例にした場合、マナとは魔法の燃料、バーは魔法を使うための種火と考えればいいわ。いくら種火が強くても、燃料がなくてはたちどころに消えてしまう。でも、種火も燃料も豊富にあれば、大きな炎をいつまでも維持できるでしょう?この種火部分が“魔法使いの才能”ということね」

「へぇ、よくわからないけど、わかった気がする」

「どっちなのよ……」

 翌朝。宿を出て、更に南にあるという霊泉の沸く山地を目指した。その道中、珍しくウィスが魔法関係の質問をしてくれたので、あたしは内心、喜々として応えていた。

 彼の言葉からもわかるように、魔法というのは一般人には理解が難しい。だから彼は、二人の魔法使いと同居しながらも魔法についてはあまり知ろうとしなかったのだけど、あたしと会話をする上で魔法の話題は都合がよかったからなのかもしれないし、昨日の一件から、少しでも魔法について理解しようとしてくれたのかもしれない。

「だから、燃料を種火を灯す側が飲むなんて、ありえないことなのよ。一度にたくさんの魔力と触れすぎてしまって、体を壊してしまうわ。だから、霊泉なら沐浴……いわゆる水浴びをするの。バーはここ、体の中心にあるから、ここを重点的に水浴びするという訳ね」

「そうか。じゃあ、俺は見られないな……」

「……まあ、服を脱いでするものね」

 それは当たり前のことだし、昨日は実際にメルカさんの前で下着だけの姿になった訳だけど、やっぱり異性にはこういう話をするだけで少し恥ずかしい。

 すごくどうでもいい話だけど、最近また少し胸が大きくなった気がする。全くないのはそれはそれで困るかもしれないけど、もうこれ以上にはならなくていいから、迷惑な話だ。

「そういや、ユリルは泳げるのか?」

「そもそも泳ごうと思ったことがないから、わからないわ。まあ、一度も泳いでない以上、泳げない部類に入るんでしょうけど」

「そうか、こっちの世界ではプールの授業なんてないもんな。それにユリルはお嬢様育ちだから、近所の川だか湖でだけで泳いだこともないか」

「……お嬢様育ちって言われるの、あんまり好きじゃないけれど、そういうことになるわね。でも、そもそも人間は泳ぐのが苦手な生き物でしょう?魔法で水上を歩いたり、飛んだりすることもできるし、一般人も船で移動できるわ。自分自身が泳ぐ必要性をあまり感じないのだけど」

「いや、まあ、そうなんだけどさ。でも、船が沈むとか、魔法が使えなくなるとかで、泳ぐ必要性が出て来ることもあるにはあるだろ?それに泳ぐのは単純に気持ちいいし、俺は泳ぐの好きだな」

「確かに気持ちよさそうかな、とは思うけど。エルケットは内陸の都市で、近くに泳げるような水場もないし、練習をする機会もないわ。ウィスは学校で泳ぎ方を習ったの?」

「うん。夏の間、体育の授業で。まあ、最初は水が怖かったものだけど、泳げるようになってからはプールが一番好きな授業だった気もするよ」

 時々、思うのだけれど、ウィスは自分の世界と、自分が通っていた学校をすごくつまらないものとして語る。でも、その文化や授業内容はとても興味深くて、今のようにウィス自身が楽しそうに語っている。……そんな体験をできるのは、すごく羨ましくて、ほんの一瞬だけでいいから彼の世界に行ってみたくなる。

 きっと彼自身も、自分が恵まれていた豊かな環境にいたことを、この世界の生活水準と照らし合わせることで理解しているだろうに、それでもまだ彼にとって自分の世界は、胸を張って楽しいものだとは言えないものなようだ。

「泳ぐとしたら、今の内よね。今は夏だし、水着も売っているかしら」

 まだ、街を出て少ししか経っていない。今から引き返して水着を買い、それで山地に霊泉の他にもあるであろう、湖や川で泳ぎの練習をするというのも、楽しいかもしれない。

「ユリル。まさか」

「……あなたもそれを期待しているんじゃないの?」

「い、いや、俺は別にユリルまで巻き込まなくっても」

「一人で山まで泳ぎに行くって、相当よ。それに、ウィスが泳ぎに自信があるって言うなら、ぜひ教えてもらいたいわ。火の魔法を使っているからこそ、苦手な水をよく知る、というのも魔法使いとして大事なことだと思うし、ちょうどいい気分転換になると思うから」

「じゃあ、まあ……俺はいいけど」

「ふふっ、じゃあ、街に引き返して水着を買いましょう。どんなのがいいかしら。言っておくけど、あまり露出のあるものは買わないわよ?誰かに見せるものではなく、自分用なんだから」

 そう言って牽制しておくけど、ウィスにはあまり必要ないことだとわかっている。それでも釘を差しておいたのは、その方が面白そうだったからだ。

「し、心外だな……俺も、女の子のファッションは露出の大きいのより、むしろ肌を見せない方が好きなんだ」

「へぇ、そうなの」

「安易に肌を見せておけばセクシー、っていう風潮がイヤなんだ。男はとりあえずそうしておけば釣られる、って思われるのもイヤだし、まんまと引っかかる男も見てられない。むしろ、布をたくさん使って可愛く飾り立てた方が俺は好きな訳で」

「じゃあ、あたしの屋敷時代の服装なんかが正にそれね。今も肌はあまり見せていないけど、割りと装飾はシンプルよね。ウィス的にこれはどう?」

「えっ。い、いいと思うけど。ユリルはそもそも可愛いし」

「ふふっ、そう。珍しいわね、そうやってストレートに可愛いなんて言ってくれるの」

 そう言うと、ウィスは顔を真っ赤にしていた。

 彼はきっと、ものすごく純粋な男の人なんだと思う。……いや、この手の話題に関しては、完全に“男の子”だ。

 それが楽しくて、可愛いと思った。

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