ある司書の追憶 Ep0 2節 |
2.コーラルビーチ 旅にいざなう風
私たちの乗っていた船は、カバリア島の玄関口も呼ばれるエリア、コーラルビーチに停泊した。これからも他の参加者を輸送するために、島と港を往復するのだろうが、乗客が多いため単純に全員の下船には時間がかかる。しばらくはここに留まっているようだ。
それから、慌てた様子で船内に戻っていく参加者の姿も散見される。忘れ物をしてしまったのだろう。
私はせっかく知り合ったのだから、とドラゴンさんと一緒に下船しようと思っていたが、気づくと傍を離れてしまっていた。きっと、とっくに一人で下りてしまっているのだろう。
さっきまで一緒だったのに冷たい、とは思わなかった。彼はなんとなく旅慣れている感じだったし、一人旅が好きなのだろう。だから、私もしばらくは一人での探索になるか、と思っていたところ。
「あっ、君、ホログラム空間の中で会ったよね!」
「えっ!?……あ、ああ、バニーさん」
「えへへー、シープちゃん、だよね。知ってる人に会えてよかったよ。しばらく一緒に行かない?」
「いいですよ。このまま一人で行くつもりでしたから」
突然、後ろから声をかけられたかと思うと、快活な女の子が立っていた。彼女の仮装はウサギ。可愛らしい動物ということもあり、よく見る仮装ではあるけども、彼女の場合は常にぴょんぴょんと小さく跳ね回っていて、忙しない感じなので、なんとも「らしい」。
ホログラム空間というのは、船上で何人かごとの組に別れて転送されていった「チュートリアル」のための空間のことだ。カバリア島での冒険をレクチャーするための仮想空間に転送するための設備を、簡単に用意してしまうメガロカンパニーも大概だし、その出来栄えもすさまじいものだ。
ただ冒険のやり方を教えるだけなら、それこそポリゴンが剥き出しな無機質な小部屋でもいいのに、壁というものを感じられない広い庭園のような世界で、中にはホログラムではあるものの、今回の主催者、故ドン・カバリアの弟、ドン・ジュバンニの姿もあり、このトリックスターというゲームの冒険者の歓迎ぶりが伺い知れた。
それでまあ、彼女はチュートリアルを受けた仲間の一人。チュートリアル後、すぐに散開してしまったから、もう会えないと思っていたけど、不思議な縁もあったものだ。
「それにしても、本当に参加できちゃったんだねー、トリックスター!すっごい感動だよー!」
「まだゲームに参加しただけですよ?これからの冒険にこそ、感動しないと」
「あははっ、そうだよね。でもわたし、本当にドキドキしてるんだ!こんな経験、高校に通ってるだけじゃ絶対無理だし!」
「バニーさんは高校生なんですね」
「シープちゃんは?見た感じ、同年代っぽいけど」
「私は今はもう通っていません。社会に出ていまして……」
「へーっ!そうなんだ!!すっごいねー!わたし、まだちょっとバイトしたぐらいだよー!かっこいいなー!!」
とっくに通常の教育システムからは逸脱している(=飛び級している)ことを、できるだけ嫌味なく伝えようと苦心するところだったのだけど、相手がよかったのかもしれない。
「それで、バニーさん……えっと、同年代なら、ちゃん付けでいいですか?」
「いいよー!わたしももう、シープちゃんって呼んでるしね!」
「では、失礼して、バニーちゃんはどうしてトリックスターに?高校も休学しないと参加できませんよね。いつまで続くかも知れませんし」
「えっとねー……うーん、秘密!たぶん、他のみんなに比べたらちっちゃい理由なのかなー、とか思うんだけどね。でも、わたしにとってはすっごく大事なことなんだ」
「……そうですか。では、私も秘密にしておきましょうか。案外、他のみんなもその人にとって大事なことを成し遂げようとしていて。他の人からすれば、なんでもないことなのかもしれませんね」
「えー、シープちゃんのは知っておきたかったなー!あっ、じゃあ予想していい?当たってるかだけ、教えてよ!」
「ふふっ、いいですよ」
「えーとねー、えぇっと、ねぇ…………」
言い出してから考え始めるんだ。
本当に行き当たりばったりで、屈託なさ過ぎる彼女を見ていて、思わず頬が緩んでしまう。
「そうだ、シープちゃん頭よさそうだし、世界征服のための資金集めでしょ!」
「…………バニーちゃん的には、頭のいい人は世界征服したがるんですね」
「そうだよ!だってさー、特撮とか見てても、悪の親玉ってすっごい頭よさそうじゃない?だって、ヒーローはあんなに必死に戦ってるのに、結局はボスの部下の怪人や怪獣を倒してるだけだし、最後の最後までは親玉の顔を見ることすらできてないよね」
「あまりそういったものは見ませんが……まあ、そうなんでしょうね」
「そう!だから、ああいう体制っていうのかな。そういうのを整えるって、すっごく頭がよくて、お金もないとできないと思うんだよね。それか魔法か……」
「魔法、ですか。……ふふっ」
きっと、彼女にとって魔法というのは空想上のものなのだろう。それがなんだか可愛らしい。だから……。
「魔法とは、こういった感じのものですか?」
私は戯れに、あの古書を取り出し、手を使わずにそのページを開いてみせた。風の精霊に少しだけ干渉する、魔法の初歩の初歩だ。
「わぁっ!?も、もしかしてシープちゃんって、マジシャン!?」
「あくまでそこは現実的なんですね……。これは魔法ですよ、バニーちゃん。私、魔法使いなんです」
「魔法!?すっごーい!本当に魔法なんてあるんだ!すっごくすっごいね!!」
「信じられるんですか?」
「うん、だってシープちゃんがウソを言う子には見えないし、本に種もしかけもなさそうだし!」
「……そうですか。バニーちゃんは、なんというか……」
「なにかな?」
「…………騙されそうですね。これから気を付けてくださいよ」
「ええっ!?シープちゃんが魔法使いなのは、本当だよね……?」
「はい。その証拠にこんな……」
今度は本を浮かせて見せる。これは重力操作の初歩。さすがに自分の体を浮かすほどのことはできないけど、本ぐらいの軽さなら浮かすことができる。
「イッツミラクル!!」
「奇跡じゃなくて、魔法ですよ……」
「すごいねー!シープちゃんならきっと、優勝できちゃいそうだよー!」
「いえいえ、そんなことは。この島には他にもたくさん、魔法使いがいるみたいですし」
「そうなの!?もしかしたら、わたしもがんばったら使えちゃったり!?」
「う、ううん……それはどうでしょう……。素養の問題もあるようですし、修行も必要ですし。何よりも……」
「何よりも?」
「勉強が大切ですね」
「あっ……む、無理かも…………」
バニーちゃんは露骨に嫌そうな顔をしていた。
本当に彼女はころころと表情が変わるから、一緒にいてとても楽しい。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「うん!がんばっていこー!!」
二人で船から降りる。すると、すぐに乗務員の一人がを声をかけてくれた。
「この周辺の地図を配布しています。どうぞ、よい旅を!」
「わー、ありがとー!」
「ありがとうございます。……コーラルビーチ。船内でも案内がありましたが、ここで基本的なことを学べるんでしたね」
「はい。この辺りのモンスターは弱いものばかりなので、ここまで来られた方なら、きっと大丈夫ですよ!」
「……ここまで来られた」
船内のチュートリアルで、あまりに成績の悪かった人は下船を許されなかったらしい。カバリア島での冒険はゲームという名目ではあるものの、命の危険もある体感型アドベンチャーだ。私のように特別な力――魔法や、優れた身体能力を持たない人にとっては危険なだけ。運営側が「落として」くれるのは温情かもしれない。
「さて、順当に行けばこのまま西に出るべきですが――きゃっ!」
「わっ……!!」
突然、強い風が吹いた。思わず顔をかばったが、それ以上にスカートを押さえるべきだった気がする……。
「すごい風……大丈夫ですか?」
「うん、わたしはだいじょうぶー……って、お姉さん!」
「えっ?あっ、ああああああ!!!参加者の皆さんにお配りする地図が!」
強風に驚いた乗務員は地図を取り落としてしまい、多くが風にさらわれ、飛んでいってしまっていた。
「シープちゃん、追いかけよう!」
「は、はいっ……!いってきます!」
「で、でも、あっちのエリアは少し強いモンスターが……」
「なんとかなるよ!それに、みんなが地図がなくて困る方が大変だし!」
バニーちゃんは私の手を掴み、ぐんぐん駆けていく。
「地図の予備は近くのショップに……あ、あぁぁっ…………。ど、どうしよっ……?これであの二人が帰らなかったら、私の責任……?もしかして、クビ案件……?ど、どうしよう!!!!」
乗務員は何か言っていた気がするけど、聞こえなかった。
でも、なんとなく予想はできてしまう……メガロ・カンパニーほどの大企業がやることだ。地図を参加者の分だけしか用意しない、なんていうケチくさいことはしないと思う。きっと予備は大量にあるんだろうな……でも、駆け出したバニーちゃんを止められないし。それに。
「……これが冒険の始まり、ですね。常に予定通りにいかないのが旅というものなのでしょう」
私の胸は、これから始まる冒険への期待で早鐘を打っていた。……今までこんなにも心臓がバクバクいったのは、大切な本を亡くしてしまった時と、魔法を学び始めたあの瞬間の二回だけ。でも、これからは毎日のようにこんな体験ができるのかと思うと。
「(もう、ドン・カバリアの遺産以上の宝物をいただいてしまったのかもしれません)」
それはそれとして、やっぱりお金は欲しいんですが。
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