くらかけみやとの絆語り -ち-
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パタパタ、ドタドタとせわしなく廊下を賑わせる式姫達の足音。時折、障子をすり抜けて聞こえてくる談笑。

戦争真っただ中のような慌ただしさが、遠く離れた俺の自室にまで響いてくる。

「はぁ……こんな日じゃ読書も捗らんな」

頬杖をつきながら愚痴をこぼす。時刻は昼過ぎという事で、恐らく今日一日で最も騒がしい時間帯だ。

文机の上には何度も読んだ古本と、その薄汚れた表紙とは対照的に小綺麗な装飾の施されたチョコレート、そして食べ終えた後の銀紙がいくつか転がっている。

苛立ちを紛らわすべく、俺は銀紙をくしゃくしゃと丸め葛篭に放り投げた。血糖値、大丈夫かなぁ。

甘いモノは好きだが、それにも限度ってものがある。これからも増えるであろう茶色の菓子を、今日一日で全て食べ切る必要はないのだが……。

机の上のこれらは早々に作り終えた式姫達から頂いたものだ。

仕込みの段階から手際が良く、作り慣れている――つまり一定の品質が保証されているという事。よし、今の所は大丈夫だ。

皆が皆お菓子作りの達人というワケではないので、ゲテモノに当たる可能性もあったが

形容しがたい夜摩天の料理に比べればマシだろうというなんとも微妙な理屈で気を落ち着かせていた。

 

厠に向かうついでに、そっと式姫達の様子を伺う。

普段はせいぜい二、三人しか立ち寄らない台所が、まるでバーゲンセールの売場のよう。

皆が十分に利用できる程のスペースもなく、道具だって限られている。

そして材料は……一応、ある程度の予算を小遣いという名目で渡してある。その内の何割かはチョコレートという形で俺に還元されるのだ。

ちなみに今日に限っては台所は男子禁制となっている。なので、俺は皆に気付かれないうちにさっさと引き上げた。

当然ながら本日の遠征や討伐は全て中止。妖怪ならともかく、流石に式姫達を敵に回したくはない。

 

とにかく朝から何かと騒がしい一日である。

式姫同士でチョコレートを交換したり、こっそり古椿が鈴鹿御前のチョコレートをつまみ食いして怒られていたり。

『とても怖かったであります……』満身創痍でそう語る古椿は、後日罰としてしばらくの間料理の手伝いをさせられていた。

そしてそんな旧友を流石に見かねたのか、ため息をつきながらも古椿を手伝ってあげる太郎坊。

痛々しくも微笑ましい、複雑な気分で俺は柱の陰から彼女達を見守るのであった。

 

実のところ、鈴鹿御前からの重すぎる愛が半減できたので内心ホッとしている。

ありがとう、お前の事は忘れないよ古椿。

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そんなこんなで気付けば夜。

昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、屋敷全体に普段通りの静けさが戻りつつあった。

彼女達の思いを無下にはできぬという事で受け取ったチョコレートは、おゆきに頼んで作ってもらった氷の容器の中でこんもりと小山を形成している。

受け取る度にドキドキしていた心臓も、今ではすっかり落ち着いてしまった。

気のせいかな、これ設置してからただでさえ寒い部屋の温度が更に低くなった気がするんだけど。

「……へーっくしょい!」

大半の式姫は、月見と同じく――いや、日本古来の風習と比較するのも妙か。バレンタインデーの本来の意味を知らない。

チョコレートを作って渡す日、大体そんな所だろう。まぁ現代の日本でもそういう本来の意図とはかけ離れた風習になっているのだが。

ただもらう側の俺としては、こう、ただ渡すんじゃなくて……

少しでも愛情や親愛が込められていたらなぁという年頃の少年のような淡い思いを抱いていた。

ほら、年食ってもやっぱりもらうのは嬉しいし。

 

もっとも、こんなものがなくても一部の式姫とは既に深い絆が結ばれているけれど。

 

「オガミさーん、いるー?」

この元気な声は、おつのだ。

「いませんよー」

「……なんだ、いるんじゃないのー。ほら、くらかけみやちゃん」

すっと障子が開かれ、おつのに背中を押されるようにして入ってきたのは、彼女の親友であり、普段から無口なお猫さんだった。

「ん?」

「それじゃ、後は頑張ってねー」

おつのは意味ありげにウインクを飛ばすと、そのまま部屋には入らず障子を閉めてしまった。

おいおい、くらかけみやを一人残してどこ行くんだ。

「…………」

「…………」

立ったままのくらかけみやと目が合う。

後ろに手を回している事から、まぁ大体の用件は分かるが……。

「えーっと……それはもしや、チョコレートかな?」

こくり。軽く頷くと、くらかけみやはもじもじしながら床に座り、後ろ手に隠していた包みを取り出す。

では、ありがたく――と伸ばした手が空中で止まる。がさがさと自分で包みを解いているのだ。

パカッと開かれた中から現れたるは、一口大のハート型のチョコレート。落ち着いた心臓が、ドクンと歓喜に高鳴った。

こんな遅くまで頑張っていたのか。

くらかけみやの手が視界に映ってから注意深く観察していたが、慣れない事への苦労の痕が所々に見てとれる。

そもそもお菓子作りなど、殆どの式姫にとっては不慣れなのだ。だからこそ、完成させた直後にその疲労が浮き彫りになってくる。

綺麗に手を拭いても、誤魔化せるのは汚れ位なのだ。

「……?」

膝に手を置き、俯いたままくらかけみやは硬直している。肩が小刻みに震えていた。寒いのかな?

「…………」

「…………」

声をかけてやるべきか迷う。

炬燵大好きお猫さんとはいえ、寒くて震えているわけがない。いくら俺でも雰囲気で分かるよ。

一歩を踏み出すのをためらっている。背中を押してやるのは簡単だが、その役目は俺でもおつのでもない。

彼女は生まれたての仔猫ではないのだ。ほら、頑張って踏み出してみなよ。

顔を上げて、前を見て。勇気がなくとも怖気づいても構わない。

言うべき言葉と、伝えたい相手。その二つがはっきりしているなら、大丈夫だから――。

 

そんな俺のテレパシーが届いたのか、ようやくくらかけみやは顔を上げた。

今にも泣き出しそうに、顔を赤らめている。くうっ、可愛い。

そのまま、握りしめたチョコレートを渡す――のかと思いきや、自分の口に咥えると、

 

「ん」

 

と目を瞑り、身を乗り出してきた。おおう、こいつはなんともまぁ……大胆なこと。

普段から口数が少なく落ち着いたイメージのくらかけみやが、こんな行動に出るとは。

いや他人事じゃないな。悟られまいと自分でもあえて目を背けていたが、この胸の高鳴りはもはや無視できない。

今日はそこそこ多くのチョコレートをもらったが、ここまでドキドキしたのは初めてかもしれない。

 

チラリと視線を外すと、障子の隙間から覗いているおつのと目が合った。

ちっ、立ち去ったと思ったらずっと見てやがったのかコイツめ。やさふろひめか貴様は。

 

部外者から、くらかけみやに改めて視線を移す。赤く染まった頬に、ぷるぷるの唇。そしてチョコレート。

どうすればいいのかは分かっている。いや違った、どうしたいのかは分かっている。

恥ずかしい?だからどうした。彼女の果敢さに恐れをなして、逃げ出すなどという選択肢など最初からない。

勇気には勇気で応えよう。妖怪からは逃げたっていいが、式姫から逃げるなんて陰陽師として失格じゃないか。

そっと両肩を抱き締め、距離を縮めていく。ギリギリ先端だけを歯で咥えれば、衝突事故は回避できそうだ。

しかし――。

 

「ちゅる」

 

事故の原因は何ですか?ハイ、前方不注意です。

そのままチョコレートを咥えて引き抜こうとしたが、ぎゅっとくらかけみやに両肩を掴まれた。

「んむ!?」

「んっ……ふうっ」

唇が繋がったまま、舌でチョコレートを口内へと押し込んでくる。

なんてこったい、今度は舌と舌が接触事故を起こしてしまった。想定外の出来事に、一瞬頭が真っ白になる。

「ぶふっ、ケホッ」

咄嗟に体を引き離す。喉奥へとチョコレートの塊が転がり落ちる事故だけはなんとか防げた。

「はーっ、はーっ、はーっ」

息を整えつつ、口内の甘味を味わう。

お猫さんの唾液の混ざったそれは、なんというかもはや甘いとかのレベルではない。

言葉では表せない背徳の味だ。コクンと嚥下すると、待ちかねたようにくらかけみやが口を開く。

「美味しい?」

「あぁ、ありが――わっ」

ぎゅう、と子供のように抱きついてくる。その背後の尻尾が、ぶんぶんと嬉しそうに荒ぶっている。

さらにその背後では、おつのが口に手を当てて俺達の様子を覗き見ていた。おつの消えろ、今すぐ消えろ。

「え、えーっと……ありがとう、な?」

「……♪」

一日の終わりに、こんな嬉しいプレゼントがもらえるとはね。仔猫でない事は分かっていたが、ここまで行動に出せるものなのか。

もしかしたら、無口だからこそなのかもしれない。適切な言葉が浮かばないからではなく、どんな言葉を並べても足りないから。

落ち着いた印象というのは幾分改めねばなるまい。

唇と、チョコレートと、そして今腕の中で感じている温もり。一見無表情なその顔の下に、こんなに熱いモノを秘めているなんて……。

そのまま頭を撫でてやると、くらかけみやは嬉しそうに頬ずりしてきた。

 

 

 

「……大好き」

説明
バレンタインのお話です。

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