理想郷二万マイル
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   お帰り

 

「ウォルフはベルカ空軍の限界の証しだ」

「あの凶鳥フッケバインとも呼ばれるようになった、あなたの一番弟子が?」

 ディトリッヒ・ケラーマンは驚いた口調で、三歳年上の元同僚に聞いた。

 一九九四年の冬の始まり。ケラーマンが教官として勤務するベルカ空軍アカデミーに突然来訪したアントン・カプチェンコは、今年の生徒たちはどうだいという無難な会話から、いきなりヘッドオンでミサイルと機銃を撃ち込むような話題に方向転換する。

「君も分かっているんじゃないか?」

 ケラーマンは無言の回答をする。その優しさに対して、カプチェンコは微笑んだ。

「才能に関していえば、ウォルフはベルカの中で一、二を争う。だが、彼の能力はどこまで行っても優雅で高貴で、野蛮さがない」

「まあ……貴族の出身者には、その傾向があるな」

 師の弟子に対する痛烈な評価に、ケラーマンはやんわりと話を合わせた。

「鍛錬をおこたらず、高貴な立場の者として弱者は守り、敵には毅然とした態度を取る。だから敵だけでなく、味方にとっても凶鳥だ。あの正しさは毒だ」

 生まれも育ちも強い人間の、無意識の傲慢さと残酷さ。それは教育として骨の髄まで染み込んでいるもの。簡単には変わらない。

 ケラーマンは腕を組むと、さすがに「酷評だな」と口にした。

「何度か本人に言っているが、あれは死ぬまで治らん。なにせ頑固なベルカのエースだからな」

 だろうなという同意の言葉は、口に出さなかった。

「ブフナー家は公家寄りの貴族だ。もしウォルフがパイロットの職を失っても、人生に対してなんの心配もない。生きることそのものに餓えや欠落を持たない人間がトップエースであれば、最強の誉れ高いベルカ空軍は、いずれ負けるだろうよ」

 物騒な話題だと感じ取ったケラーマンは、「……まさか」と話題を転じる。

「なにかとアシュレイと競わせる真似は、していないだろうな」

「していないさ。あれは周囲が勝手に盛り上がっている。止められん」

 カプチェンコは疲れた声で本音をもらす。

「そもそも本人たちのソリが合わん。あの二人は水と油だ」

 ウォルフガング・ブフナーとアシュレイ・ベルニッツは、周囲から将来を有望視されていた。二人の年の差は三つ。彼らの師も、同じように年の差が三つだった。

 ウォルフガングの師は、金色の啄木鳥といわれたカプチェンコ。アシュレイの師は、銀色の犬鷲といわれたケラーマン。彼らはトップエースとしてベルカ空軍を支えた。

 啄木鳥と犬鷲の最初の教え子ということもあり、二人のような友情を望む声もあれば、ライバルとして望む声もあった。

 次第に本人同士も意識するようになるが、どうにも相性が悪かった。

 ウォルフガングは戦場でも騎士道精神を重んじた。戦闘不能になった敵機に追い撃ちをかけない。

 逆にアシュレイは敵であればすべて墜とし、戦果と名を挙げた。

 なによりウォルフガングは貴族出身であり、アシュレイは平民出身だった。生活や思想の基盤が異なる。

 実力もあるとはいえ、栄達が自動的に与えられるウォルフガングと、((空|あ))いた貴族の席を争い、栄達を望めるならさらに上をと目指すアシュレイは、出世に対する考え方がまるで違う。

 そして周囲が彼らにかける期待は貴族と平民のそれであり、ウォルフガングは中央で、アシュレイは現場での出世を望まれた。

 それに抵抗を覚えたアシュレイは軍部での立場を強くするため、『灰色の男たち』とまことしやかにささやかれる秘密結社のような組織に、自ら近づく度胸と行動力があった。

 けがれた一手を嫌う傾向の強いウォルフガングは、そんなアシュレイを毛嫌いしている。

 やり方が異なる二人の溝は深まるばかり。たがいの師の再来とはならなかった。

「最初から敵同士なら良かったタイプだな。味方同士だから、余計な反発が生まれる」

「人生はままならんな」

「弟子のか。自分のか」

「両方だ」

 年齢のこともあり、パイロットから技術者へと転身したカプチェンコだったが、再びパイロットとして前線へ行く辞令が出ていた。啄木鳥が現役復帰することは、ケラーマンも風の噂で知っていた。

 情勢。世相。噂話。もうすぐ大きな戦争が始まることを二人は感じ取っていたが、そこには触れない。

「まあ、なんとかしてみせるさ」

 会話に割って入るように、廊下からさざめくように生徒たちの声が聞こえてくる。

 カプチェンコはそちらに視線を向けると、「まだ頑張っているのか」と鋭く小さく尋ねた。二人の間で時折出る話題。出すのはもっぱらカプチェンコ。

「彼らが真っすぐでいられるのは、今だけだろう」

 貴族出身か否か。貴族を始めとした上流階級に人脈があるか否か。どの派閥か。

 軍にも政治があり、なにに属しているかで、軍人たちの出世や異動が大きく左右されることがある。

 それは時に神を呪うほど理不尽であり、時に猛スピードで出世街道を走ることになる。

「地上ではしがらみが多過ぎる。せめて飛んでいる間だけでは、自由でいてほしいんだ」

「しがらみを気にせず飛ぶのは、普通の人間では無理だ。結構な離れ技だぞ」

「だが教えておけば、いざという時に役立つだろう。支えにはなるさ」

「愚直過ぎるんだ。諦めろ」

「頑固なベルカの元エースだから、無理だな」

 永遠に平行線の会話。この話題に関してはいつもそう。二人はしばらく無言になると、笑い合う。

 ただ世間話をしに来たというふうに、カプチェンコはケラーマンに「じゃあな」と言って別れた。

 それが、ケラーマンがカプチェンコを見た最後の姿であり、最後の会話だった。

 翌年一月、軍は領土拡大に向けての指揮官としてカプチェンコを前線に送るが、三月になると、彼が指揮するゴルト隊は消えた。大規模捜索をされたが見つからず、一か月後に戦死と発表。

 彼が再び登場するのは終戦後に起こった、『国境無き世界』が起こしたクーデター。

 ケラーマンはベルカ戦争が無謀であることは察していた。教え子たちが空だけでは自由になってほしいと、小さな視点からあがいた。

 カプチェンコは早々に国家というものを見限り、大きな視点から次の一手を考えて行動していた。そして負けた。二度目の死亡宣告。

 二〇〇六年三月、OBCで一人の傭兵を通してベルカ戦争の真実に迫るドキュメンタリー番組が放送されると、傭兵を巡る考察や詐欺事件が流行した。

 それらが一段落したあと、ケラーマンは亡き友の遺体が埋葬されているホルツ公共墓地に、初めて墓参りをする。墓に刻まれた文章は彼らしいものだった。

 ??新しい世界への門は開かれた。我が魂は風となり、その門へといざなう。眠りし王の目覚める時、私の肉体も蘇るだろう。

 おそらく彼はやりたいようにやり、世界のなにかを変え、死んでもなお、変わったあとの世界を見る気でいる。

 最後の会話でベルカ空軍の敗北を予見し、兵器開発部署で超兵器を造り続けた人間が、本当はなにを夢見ていたのか。

 この世にいない今、真意は分からないが、最期に戦士としてパイロット人生を終えられたのではないか。ケラーマンはそう思った。

 カプチェンコの本質は戦士。空で戦うことに意義を見い出す。

 戦闘機パイロットになり、パイロットとしてわずかな衰えを感じたら、兵器の技術顧問に転じた。最終的にはテロリストとなって、人生の旅路の最後に、彼の魂は戦士へと帰還した。

 彼は違う方法を次々と試し、自分は同じ方法を続けた。そういう人生。

「お帰り、アントン」

 墓石に向かって呼びかけても、答える声はなかった。

 

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   親の子

 

「アレン、おいで。いい写真が撮れたんだ」

 父親は戦闘機の後部座席から二機編成のイーグルを撮った、一枚のモノクロ写真を息子に見せた。

「ほら、奥で飛行機雲をえがいている戦闘機が一番機。こっちの斜めうしろにいるのが二番機で、片羽の妖精と呼ばれる凄腕のパイロットなんだ。二人とも傭兵なんだよ」

 アレン・C・ハミルトン少年は、「傭兵?」とオウム返しに聞く。

「戦場を渡り歩く兵士のことだ。契約して、お金をもらって、仕事をする」

「パパみたいだね」

 それを聞いた父親は、「そうだね。パパと同じだな」と笑った。

 彼はもともと通信社で働いていた。数年すると、写真をもっと自由に撮りたいという思いが芽生え、フリーに転向。

 その後は知人を通じ、大手スタジオと契約した。賞もいくつか取るほどの腕前だった。

 息子のアレンは、物心ついた時から父親の部屋にあったカメラをさわった。他愛のないものを次々と写し、現像をしたのはいつも父親。

 多少出来が悪いものがあっても、息子の写真を「うまいよ」と褒め続けた。

 一九九五年三月にベルカ戦争が起こると、父親は連合軍の従軍カメラマンとして同行した。最初の仕事は、連合の参加国のパイロットたちの撮影。

 それを終えると、一度オーシアに帰国した。ウスティオの傭兵航空部隊の写真を息子に見せたのはその時。

 モノクロなのに鮮やかな色が浮かび上がる不思議さがあり、アレンはとても気に入った。

「僕もいつか、パパみたいな写真を撮るよ」

 息子の言葉に、父親はとても嬉しそうな顔をして抱き締めた。のちにアレンが父親に抱き締められた思い出として真っ先に思い出すほど、強く。

 打ち合わせやスケジュール調整が終わると、父親はまた戦場へ戻る日が来た。今度はオーシア陸軍を撮るという。

 別れ際に息子とした会話は、買い物の約束。

「今の仕事が終わったら、お前専用のカメラを買いに行こう」

 それが果たされることはなかった。父親はベルカが起爆した七発の核によって死亡。運良く遺体は発見されたが、アレンは従妹とともに見ることを禁じられた。

 それ以来、アレンはベルカやベルカ人が苦手だった。

 教科書でも映画でも小説でも、ベルカは絶対悪。自国で核を使い、一万二千人もの命を奪った愚かな国。政策も後手に回り続けた外交下手な国。多くの人間がそういう認識だった。

 人々の意識に変化を与えたのは、二〇〇六年にOBCが放送したドキュメンタリー番組。内容は、ウスティオの航空部隊にいた傭兵の行方を追うというもの。

 昔、父親が撮ったパイロットの特集ということで、アレンは何気なく見た。

 そこで流れたホフヌング空爆は、オーシア国民に少なからず衝撃を与えた。アレンも衝撃を受けた一人。

 強烈な一撃で思想や人生観、歴史観の基盤にひびが大きく入り、揺らいだ。

 それまでは連合軍がしたことを肯定的に受け取っていたが、連合軍は。

 正しくは連合軍も、なにをしたのか。

 さらに正しく言うなら、オーシアもベルカと同じだったのではないか。オーシアも悪だったのではないか。

 ベルカは自国で核を七発も使ったことで、民間人を犠牲にしたと責められ続けたが、オーシアもホフヌングで民間人を犠牲にしていた。

 ホフヌングに関しては過去に訴訟のニュースがあったが、アレンは何一つ知らなかった。ニュースの扱いが小さかったこともあるし、そもそも興味がなかった。

 今まで無意識で、連合軍は正義の立場にいると思っていたが、もはやいいほうに解釈できなくなっていた。

 そこからアレンは、ベルカ戦争そのものに疑問をいだくようになった。無駄死にという単語が否応なしに目に入るようになり、強く意識するようになった。

 それに、今まで世話をしてくれた伯父にも疑いの目が向く。ベルカ戦争当時、伯父は参謀本部にいた。

 もしかしたら、この事実を知っていたのではないか。そんな疑惑がにじみ出た。

 アレンの中で、ベルカ人と直接話したいという願望も湧き上がった。伯父とも距離を取りたかった。

 彼がアグレッサー部隊に派遣されたのはそんな時。その部隊は、元ベルカ空軍のパイロットたちで構成されていた。

 そこでアレンは、アシュレイ・ベルニッツに出会った。

 死んだ父親と同い年のパイロットに。

 

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   子の親

 

「俺、絶対空軍アカデミーに入るよ」

 久々にアシュレイ・ベルニッツが我が家に帰った時のこと。十三歳の息子は将来を決めていた。

 ベルカ空軍の宣伝の威力に感心する夫に、妻は笑った。

「どうやらベルニッツ家は、立派な軍人一家になりそうね」

 一九九五年三月二十五日、ベルカは周辺諸国に対して宣戦布告をし、電撃的に侵攻。当初はベルカが優勢だった。

 ところが五月十三日、ウスティオの首都ディレクタスが奪還されたのを機に、立場が逆転。ベルカは攻められる側になった。

 アシュレイがまずいと思ったのは、オーシア南部国境とサピン国境に面して構築された長大な南部防御線、ハードリアン・ラインが突破されたこと。国民向けの発表は意気揚々としているが、内情は違う。

 押される一方のベルカ軍の士気高揚に役立ったのは、南ベルカのタウブルグ丘陵に造られたレーザー兵器エクスキャリバー。高さ千メートルを超えるタワー型の超兵器は、順調に威力を発揮した。

 この間に形勢を立て直す。ベルカ軍はそう考えたが、甘かった。五月二十三日、ウスティオの傭兵航空部隊が、エクスキャリバーを破壊してしまった。

 こうなれば、ベルカ東部の軍需産業の拠点である工業都市ホフヌングが狙われるのは時間の問題。一家が住む家は、ホフヌングから少し離れた場所の小さな街にある。不安を覚えたアシュレイは、妻に命令同然で疎開の準備を進めさせた。

 出発が間近になると家に電話し、無理やり疎開させることを謝った。妻は「いいのよ。気にしないで」と夫を許した。電話を代わった息子は「母さんは俺が守るから安心して」と一人前のことを言う。

 息子は成績も運動も学年でトップクラス。性格も伸びやか。最近はカメラに夢中。夫婦にとって自慢の息子だった。

「今度時間ができたら、父さんが乗っている機体を見せてあげよう。ただし撮影は禁止」

「ほんと!?  大丈夫なの?」

「うちはそういうことに融通が利く」

 アシュレイが所属するのは第六航空師団。第三航空師団とともに政治色が強く、戦前は主導権争いをしていた。

 どちらも『灰色の男たち』という組織と繋がりがあったが、第三は強硬派。第六は穏健派。主導権を握ったのは、ベルカ民主自由党と繋がりが深い第三だった。

 状況が一変したのは六月六日の七発の核起爆後。あらゆる組織で分裂が始まった。

 空軍では、第三から第六へと支持を変える者が続出。主戦派は各界で急激に力を失い、六月二十日に停戦条約が結ばれた。

 政界ではベルカ民主自由党内の中心派閥だった旧ラルド派が突然態度をひるがえし、停戦派についたことにより、党は空中分解。停戦後に解党。

 生き残り続けた旧ラルド派も、九五年末にクーデターを起こした組織との繋がりが露見し、翌年崩壊。

 国境をなくしたいクーデター組織と、国粋主義の旧ラルド派。この奇妙な繋がりは、資金と物資の面で成立していたことが、のちの調査で判明している。

 そして戦後のベルカ空軍で実権を握ったのは第六。それとともに、第六出身のアシュレイも政治的地位が上がる。

 平民出身の彼は以前から出世を望んでいたが、実際に出世しても、それを喜んでくれる家族はこの世から消えていた。

 運命を変えたのは、家族が疎開する直前の六月一日。連合軍によるホフヌング空爆。爆弾を余らせた爆撃機の中には、ホフヌング近郊の街にばら撒いて帰る機体もあった。

 街が爆撃を受けたと知ったアシュレイは急いで連絡を取ったが、結果は「ご家族は全員亡くなられました」という絶望的なもの。

 戦後に連合軍はホフヌング近隣にばら撒かれた爆弾について、「ホフヌングから運び出された兵器、および逃走した戦闘員がいるという情報があった」と主張。アシュレイの家族がいた街は撤退方向からずれていたが、抗議は通らなかった。

 彼に人生の転機が訪れたのはこのあと。

 ベルカ空軍の英雄ディトリッヒ・ケラーマンは戦後、オーシア空軍に招かれたが拒否。代わりにベルカ側から推薦されたのが、ケラーマンの一番弟子であるアシュレイだった。

 彼はオーシアへ行く前に、師の元へ寄った。衰えた師の姿に、アシュレイは言葉を詰まらせた。祖国の崩壊と大勢の生徒の死は、かつての英雄を一気に老けさせた。

「向こうに行っても、教えを守ってくれ。憎しみを持つな。生き残れ。自分の決めたルールを守り抜け。いいな」

「必ず生き残ります。自分が決めたルールは死ぬまで守り続けます。憎しみを持つなというのは……すみません。お約束できません」

「それでも…なにを信じていいか分からない時は、思い出してくれ。支えになる」

 百人に訴えても、一人に通じるかどうか。

 それでもケラーマンは根気強く教え続けた。今も諦めていない師の姿に、アシュレイは「はい」としか返事ができなかった。

「君は私の教え子の中では長男で、大切な子供の一人だ。……最期の瞬間に、君が憎しみを持たないでいることを望むよ」

 アシュレイの両親はすでに他界している。妻の実家は母親が生きていたが、妻子の死後に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。

 ただ一人。師と仰いだ人が、今でも自分を我が子と呼んでくれる。幸せを望み続ける。

 アシュレイは泣くのをこらえ、「アシュレイ・ベルニッツ、オーシアへ参ります」と敬礼する。ケラーマンも敬礼すると「元気でいてくれ」と言った。

 それが最後。以来、二人は会っていない。

 その後、アシュレイは腕の良いパイロットたちとともにオーシア空軍に転属。彼らはオーシア空軍のパイロットに空戦技術を教えたが、それは表の役目。裏ではこれといった人物を選び、スパイとして育てた。

 そこでアシュレイは、アレン・C・ハミルトンに出会った。

 死んだ息子と同い年の青年士官に。

 

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   親と子

 

「それなら地上勤務の初仕事として、アグレッサー部隊の監視役をやってみないか」

 パイロットを辞め、地上勤務の道を選ぶ。久しぶりの食事の席でアレンはそのことを伯父に告げたら、予想外の答えが返ってくる。アレンは「監視役ですか?」と戸惑った。

 彼が最初にいだいた夢は、父親と同じ職業に就くこと。

 だが母親は、カメラマンという職業についての話題を耳にすると、悲しい顔をした。アレンの脳裏には、葬式で号泣する母親の姿が刻み込まれている。

 伯父が空軍将校のエリートだったので、周囲からは成績優秀なアレンも同じ道を行くことを期待されていた。

 彼自身も、父の死後になにかと気遣ってくれた伯父に恩返しをしたかった。最終的に彼が選んだ進路は空軍士官学校。入隊後は戦闘機パイロットになった。

 きっかけは、ベルカ戦争の円卓の鬼神や大陸戦争のリボン付きの死神。驚異的な能力を持ったパイロットが戦況をくつがえすニュースをリアルタイムで見て、心躍らせた。同じ職種に就いて、憧れの英雄に近づきたかった。

 しかし周囲から望まれたのは、中央での出世。空気を敏感に読み取ることにすぐれているアレンはパイロットの道も諦め、小さな挫折とささやかに感じた屈辱を無言で心の奥底にしまい込んだ。

「上を目指すなら、知っておくべき存在だ。それに監視役と言っても、地上勤務が絶対というわけじゃない」

 暗に行けと命令されている。アレンは拒否する権利がないと悟り、「その申し出、お受けします」と答えた。

「彼らは元ベルカ空軍のパイロットだ」

 アレンの食事をする手が一瞬止まったが、なにも質問せず、食事をそのまま続けた。

 数日中に人事異動は発令された。命令されるままにアレンは荷物をまとめ、指定された基地へ飛んだ。

 そこで出会ったベルカ人のアグレッサー部隊は、こちらの言葉を流暢に話す。話してみればごく普通の人間たちで、アレンは拍子抜けした。

 隊員たちと仲良くなったきっかけはデジタルカメラ。買い替えを考えていた隊員にアドバイスをしたことがあった。

 それ以来、いろいろと話すようになった。国民感情を配慮し、かつての敵国の人間を雇ったことは公表されていないこと。

 身の安全を高めるため、彼らは偽名で活動していること。アレンが本名を聞くと、驚くほど簡単に教えてくれた。

 特に話が合ったのは、カメラが趣味の隊長アシュレイ・ベルニッツ。アレンの父も、生きていれば彼と同い年だった。

 アシュレイはアレンと同い年の息子がいたことを喋った。成績優秀でスポーツマン。我が子ながらとてもよくできた子だったと。

「お父さんみたいなパイロットになるんだと言っていたよ。ホフヌングで死んだがね」

 続けて「許せないんだ」と言った。ホフヌングは正しいとさえ言われた。そして人々の間で記憶は風化し、忘れられる。

 そんな内容をとつとつと語るアシュレイの姿は、身内を戦争で亡くしたオーシア人と変わらない。アレンは親近感を覚え始めた。

「あのOBCの番組は、ホフヌングのことを出せただけでもよくやった。……だが、それ以上は駄目だったようだ」

「なにがです?」

「連合軍…というより、オーシアだな。ベルカが核を使うことを知っていて、その情報を利用したんだ」

「どういうことです。七発の核は、ベルカの強硬派が…」

「確かにそうだが、事前に情報は伝わっていたんだ。当時のオーシア政府は核査察の証拠を手に入れて、自分たちが正しいと証明することを優先して、黙認した」

 アレンは自分自身でも不思議なほどに、その理屈を理解した。同時に心は拒絶した。

「ただ……自国の人間も含め、あれほどの人数が犠牲になると思わず、混乱したそうだ」

 父は本来なら死ななくても良かった。

 それなのに、死を望まれた定員枠に入ってしまった。無駄死にではなかったが、死を望まれたということも耐えがたい。

 しかも本人が死ぬ未来があることを了承し、覚悟したわけではない。

 父は利用されて死んだ。

「では、伯父は……」

 最悪の予想が脳裏に浮かび、アレンの視線が泳ぐ。

「もちろん情報は知ってたが、止めようと努力していた。当時のベルカの穏健派と、積極的に繋がりを持っていたのは彼だ。停戦条約を結ぶ際も、よく動いてくれた」

 思いがけない情報に、アレンは驚いた。心の動きがそのまま顔に出ているので、「意外か?」と聞かれた。

「考えてみれば当然だ。身内が前線にいたんだろう?」

「……ええ。従軍記者として」

「なら、核を阻止したくもなる」

 アシュレイは青年の顔を観察した。彼の父親が七発の核で死んだことは知っていたので、そちらで揺さぶりをかけようとした。

 が、伯父の話題のほうの動揺が大きいことが分かった。

 彼の伯父は、いまや大統領の信任厚い空軍の中心人物。表ではそうなっているが、裏はそうでもない。

 一見すれば裏切り者だが、現政権を敵視しているとは言いがたく、アシュレイたちも真意を量りかねていた。

 大事な甥を送り込んできた理由も不明だが、利用させてもらおうとアシュレイは話の矛先を変えた。

「それに彼は、犯した覚えのない戦争犯罪で、重罪人になりかけた私たちを救ってくれた」

「……本当に?」

「実際はオーシア空軍を立て直すために、熟練のパイロットが必要だったんだろう。そこで私たちに白羽の矢が立ったというわけさ。それでも助けてくれたことに変わりない。感謝している」

 話は脚色したが、効果はあった。アシュレイの一つ一つの言葉に、アレンは心を揺らがせている。

「近くにいる人間のことほど、意外に知らなかったりする」

「仕事に対しては厳しいですが、家族には優しい人でしたから……」

「ベルカ人に対しても」

「……そうですね」

「外側から見て、初めて知ることは多いが、それでも分からないことがある。私も息子と同じ趣味を始めたが、あの子がカメラを通してなにを見ていたのか、今でも分からない」

「いつか分かりますよ。親子なんですから」

 アレンは初めて素直な笑顔を見せる。この青年はとても真っすぐないい子だと、アシュレイは思った。

 息子と同い年のオーシア人青年。趣味はカメラ。職業は軍人。しかも戦闘機パイロット。

 もし息子が生きていれば、こんなふうに成長して語り合えたかもしれない。

「そうであることを願うよ」

 アシュレイは微笑むと、「それじゃ」と言ってアレンに背中を見せた。すぐに笑顔は消え、無表情になる。

 虫唾が走った。思わず舌打ちする。

 息子の代わりに彼が死ねば良かったのに。

 

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   理想の上

 

 アレンは教えられた個室のドアをノックする。「どうぞ」と返事が来たので入った。

 伯父が末期の病気で入院中だと知らされたのは、アグレッサー部隊の監視任務を終えてから。

「お帰り。アグレッサー部隊はどうだった」

 伯父は屈託のない笑みを浮かべた。久しぶりにそんな笑顔を見たアレンは、内心驚く。

 エリート将校だった伯父は冷徹だが、親しい人に対しては素直に笑顔を見せる人だった。それが変わったのは、いつだったか。

「強いですよ。まったくかないませんでした」

「うちの子は、まだお前を怒っていたよ」

「パイロットを辞める時、一言も相談しませんでしたから……。うちの家系の男は、全員こうなのかと言われました」

 アレンから見れば従妹にあたる伯父の娘は、男手一つで育てられた。母親は彼女が幼い頃に他界している。アレンの父が「どうして兄と結婚したか分からない」と首をひねるほど、完璧な女性だった。

「……なんで自分の娘にも、病気のことを話さなかったんですか」

「治療だの療養だので、仕事を邪魔されたくなかったんだ」

 アレンは少し悲しそうに微笑む。身内にすら作られた壁。伯父は実の娘にすら、入院する段階まで一切喋らなかった。

「お前も、大事なことは誰にも相談しないタイプだな」

「それは……」

「みんなを気遣ってくれたんだろう?」

 甥は伯父をじっと見つめた。

「カメラマンの夢を諦めて軍人になることも、パイロットを辞めて出世することも、みんなが望んだことばかりだ。だが、お前は私と同じことをしなくていい。お前はお前だ。私じゃない」

 伯父の手が甥の手に触れる。いつのまにこれほど細くなったのか。アレンは喉元に込み上げたものを無理やり飲み込んだ。

「これからお前がなにをしようと、私がすべてを許す。だから、好きにやるといい」

 アグレッサー部隊でなにを得たのか。どんな未来を選んだのか。この人はすべてを知っているとアレンは確信した。

 なにか伝えようと「あの…」と言いかけるが、続く言葉が見つからない。

 その時、ドアがノックされて看護師が顔を見せた。伯父は軽く手を挙げると看護師は了解し、ドアを閉める。

 見舞いの時間は終わり。アレンは雰囲気から即座に読み取った。

「伯父さん……その…ありがとうございます。今までのこと、本当に感謝しています」

「私はお前が思うほど、いい人間じゃない」

「それでも私には……たった一人の伯父です」

 伯父は少しだけ嬉しそうな顔をした。こういうところは父と似ている。やはり兄弟だとアレンは思った。

 まだ笑顔が残るうちに別れのハグをして、「また来ますね」と去る。

 完全にドアが閉まったあとで、伯父のハミルトンは苦い笑みを浮かべた。アレンがまたここに来る時は、自分が死ぬ時。医者も家族も誰も教えないが、病気の原因をハミルトン自身は分かっていた。

 一九九五年のベルカ戦争、七発の核。この時、ハミルトンは特権を乱用し、爆心地で捜し続けた。弟が取材していた部隊、その部隊が通過した場所、弟自身を。

 だが、遺体はおろか、遺品すら見つからなかった。

 弟の棺の中には、遺体がない。

 家族の中ではアレンとハミルトンの娘だけが知らない事実。棺の中身について一度も聞かれたことはないので、彼らにはなにも教えていない。

 周囲の空気を読み取り、カメラマンの夢もパイロットの道も諦め、良い子で在り続ける甥の姿に哀れみを覚えたハミルトンは、アレン自身が望む真実を与えた。そのためのアグレッサー部隊への派遣。

 アレンは、父親の遺体が棺の中にあると無意識で信じている。それでいいとハミルトンは思っていた。生き延びた可能性を考えずに済む。骨の一つすら捜し出せなかった無力感や、見捨てた罪悪感をいだかずに済む。

 死という体裁だけが整えられた、からっぽの棺。

 弟の肉体と魂は、どこに消えたのか??。

 ドアがノックされる音が聞こえ、さきほどの看護師が「大統領が到着しました。お通ししますか」と聞いてきた。

 ハミルトンは軽くうなずくと、看護師は「分かりました」と言う。

 大統領が内々で友人を見舞いに来ることは、すでに伝わっていた。そのため、セキュリティチェックなどの面で病院はいそがしかった。

 病室に入ってきたのは、オーシア大統領ビンセント・ハーリングただ一人。護衛は廊下で待機している。

「本当に来ると思わなかったよ」

「これでも時間のやりくりはうまいんです」

「補佐官がな」

 ハーリングは「ばれましたか」と、ベッドのそばにあった椅子を引き寄せて座る。

 二人は上流階級の子供が多く((通|かよ))う、((全寮制寄宿学校|ボーディングスクール))の先輩後輩という間柄だった。今ではハーリングが立場は上だが、私的な空間では口調が昔のものへ戻る。

「調子はどうですか」

「こうやって話せるくらいには、具合がいい」

「あなたが辞めたお陰で、調整がいろいろと大変ですよ。私が大統領になって以来、空軍の窓口はあなただったので、勝手が違って……」

「早く慣れるといい。私はもう戻らない」

 ハーリングは腕を組むと、窓の外を見た。

「……なぜ、病気のことを黙っていたんです。家族にも黙っていたと聞きました」

「気づいた時は遅かったんだ。それなら、やるべきことをすべてやろうと思った」

「それが仕事とは、あなたらしい」

「もしなにか困ったことが起きたら、私のせいにしろ。それですべてを切り抜けられる」

「なにかの小話にありましたね。トラブルが起きたら一度目は前任者のせいにして、二度目は辞める」

「分かりやすい悪人がいると便利だ」

 冗談を聞き流すように、ハーリングは笑う。

「私に大統領になるよう勧めたのは、あなたでした」

「アヴァロンでの奇跡はまた起きると力説された時に、向いていると思ったんだよ」

 実は核施設を兼ねていた、ベルカの新しい巨大ダム。戦後に開発が進められていた新型の核兵器V((2|ツー))。それらは連合とベルカの兵士たちで構成されたクーデター組織に奪われた。すべてがあってはならないこと。

 組織を殲滅すべし、という極秘の作戦を主体でおこなったのは傭兵たち。かつての仲間を敵と割り切って倒す速さは、傭兵が上と判断されたためだった。それに金で黙らせることができるため、重宝した。

 傭兵たちは上の期待通り、いつものように戦った。仲間が次々と倒れようと、核を使わせないことを絶対の目標として前に進む傭兵たちの姿は、周囲に意外な効果をもたらす。

 正規兵たちは正義を見出した。国や民族といった壁はなくなった。皆がダムの制圧を目指した。一人の兵士が倒れても、隣の兵士が願いを背負う。その兵士が倒れても、空を飛ぶ一人のパイロットに希望を託す。

 無条件で託すのは、そのパイロットが不死身だから。

 円卓の鬼神と呼ばれた傭兵は、七発の核の空で生き残った。核ですら殺せないのなら、アヴァロンでも死なないという理屈。

 そして奇跡は起きた。それは理想の遥か上を行く出来事。

「君は今でも夢を見るか」

 ハーリングは「夢?」と視線をハミルトンに向けた。

「アヴァロンの奇跡をもう一度見たいと言っただろう」

 戦前も、戦中も、戦後も、利権の奪い合いをする国家に絶望した兵士たちが負の団結をしたように、正の団結もできる。

 いくら反対する人がいようと屈せず、真っすぐに目的に向かって突き進めば、おのずと人は集まる。シンプルな目的が社会や世界を守り、次の段階に発展させることに繋がる。

 ハーリングはそんなふうに、ハミルトンに対して熱弁を振るったことがある。

「もちろん、今でも夢見ていますよ」

「あの奇跡に恋した人間は哀れだな。それに一生捕らわれ、惑わされる」

「私のように?」

「あの場にいた全員だ」

「あなたも私と同じということですか」

「違うさ。君の政策には賛同しかねる」

「そのお陰で、軍や軍需産業との調整には、いい潤滑油になったじゃないですか。私も反対だが今は耐える時だ、とね」

 ハミルトンは「ずる賢いな」と苦笑する。

 ベルカ戦争での核の影響によって、世界は軍縮へと向かった。オーシアも例外ではない。そのスピードが速まったのは、ハーリングが大統領になってから。

 融和政策を前面に掲げ、軍事費は教育や科学に転用。毎年減り続ける予算に、一部の者たちとの間で摩擦が起きていた。

 それでも支持率が高い大統領の敵になるのは危険と判断した彼らは、最大限の譲歩をしつつ従っていた。

「アヴァロンでの奇跡は、皆の願いを受け止め、それを果たせるだけの力の持ち主がいたからこそできた。君はなれるか?」

「私には神懸かったことはできませんが、いつか来る奇跡のための下地なら作れます」

「……君の理想を叶えるのに、決定的に足りないものがある」

「なんです?」

「敵だ」

 ハーリングがなにかを言おうとする前に、「ビンス。((善|よ))き大統領になれ」と言われる。個人的に親しい人は、ハーリングをビンスと呼んだ。名前のビンセントの愛称。

「それであなたは悪人になると?」

「なかなか楽しい構図じゃないか」

 二人は笑った。ハーリングはさもおかしそうに。ハミルトンはいくぶん影をにじませながら。

「それでもあなたは、今でも尊敬する先輩ですよ」

「ゴマすりをしても、補佐官たちに長居をしたフォローはしてやらんぞ」

 会話をする時間が終わったことをハーリングは悟った。「分かりました」と降参のポーズを軽く取り、「また来ますよ」と言う。

「来るな。君をここに入れる準備をするために、病院の人たちは目が回るいそがしさだった」

「次の時は手順が分かっているから、いそがしさも半分で済むでしょう」

 ハミルトンは枕の下から同サイズの封筒を二通取り出すと、ハーリングに見せた。封筒の表にはナンバーが振られている。

「次は来ないと言うなら、プレゼントをやろう。どうする?」

「分かりました。もう来ません」

 態度をひるがえした最高権力者を、ハミルトンは鼻で笑い飛ばす。封筒を手渡した。

「ただし、封を開けるのは重大な危機が訪れた時だ」

 ハーリングは目の前の人物を見つめると、「分かりました」と小さくつぶやき、微笑んだ。スーツの内ポケットに丁寧にしまう。

 二人は別れの握手をした。ハーリングはドアの近くまで来ると、「やっぱりまた来ます」と宣言し、すばやく病室から消えた。ハミルトンは笑い、軽く咳き込んだあとで大きく深呼吸した。

 今の政治情勢は薄氷の上を歩いているのと同じ。表では融和政策による友好ムードが漂っているが、裏ではその反動が溜まっている。

 現政権の支持派と反対派。いずれ雌雄を決する時が来る。その争いの形は政治闘争か戦争か。ハミルトンにも分からない。

 彼は前段階として、多くの人間をふるいにかけた。さまざまな出会いを仲介し、誰がどちらに付くのか見守った。

 甥ですら例外ではない。アレンが選んだスタート地点はベルカ側。これはハンデがあるとハミルトンは思ったが、正す気はなかった。

 弟を死亡リストに加えた日に、あることをいつかやろうと決意したが、結局できなかった。

 それは祖国への復讐。

 あるいは奇跡の再出現。

 できなかったのは、強力な意志と行動力を持つ人間が近くにいたから。

 その人間は正攻法の手段で最高権力の座に昇り、法にのっとったやり方で、国を変えようとしている。

 それでも、いざ実行するかどうかも分からない目的に向かって準備を続けたのは、それがあの日、天から与えられた啓示だったから。

 そう思い込むことで、理不尽な家族の死を日常の中で必死に慣らしていったから。

 ベルカの核の情報は、オーシアの正義を強固なものにするために、あえて無視された。誤算だったのは、使われた核の数と死者の数。

 祖国に正義があることを示すために奪われた一万二千の命は、あの奇跡のための((供物|くもつ))。報われたと脳内で辻褄を合わせた。すがった。

 戦争とは大がかりな儀式。生贄の数が多いほど英雄は健やかに育ち、大きな恩寵あふれる奇跡を生み、理想郷への扉を開く。

 この国に揺るぎなき正義と英雄を望むなら、今度は自国の民を使ってやるがいい。そちらのほうが、まだ理不尽さは少ない。

 ハミルトンは自嘲する。この狂気だけが戦後の自分を支えてくれた。((外面|そとづら))だけでも体裁を保つことができた。

 それをアレンに押し付けるように託す負い目。だからすべてを許すと伝えた。

 争いが起きた時、アレンはどのように行動するか。空の英雄とともに祖国を救うか。それとも多くの人間を見捨てた祖国への復讐か。

 ハミルトンは、甥が空の英雄たちに憧れていたことを知っていた。

 ただし、遠い対象を美化する傾向が強い。アレンの中で父親は理想の完璧な父親であり、英雄たちは神同然。皆が泥臭い人間だと、まだ気づいていない。

 せめてと願った。与えられたものから、より良き未来を選ぶようにと。

 その点、ハーリングに関してはなにも心配していなかった。

(ビンス。君は大丈夫だ)

 世界が変わったあとの世界で、君ならうまくやれる。混乱する世界に指導者は必要だ。

 それに君は、病人から託された最後の願いを違えない善人だ。そうだろう?

 

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   灰の君主

 

 ベルカ戦争から十五年。

 九月二十七日から始まったオーシアとユークトバニアという二大国家の戦争は、ベルカでも常にトップニュース。

 それ以外の秘められたニュース、あるいはまだ表に出ないニュースはさまざまなルートを通り、速報で若きベルカ公のもとに寄せられる。

 さる十二月十二日、ベルカ北西部にあるイエリング鉱山の岩盤が謎の航空部隊によって崩され、そこに隠されていた過去の遺物である戦術核兵器が封印されたという。封印前に持ち出された核の数は不明だが、そう多くはないとも。

「あの子はどこ?」

 ベルカ公家所有の別邸の一室、窓際の椅子に座っていた上品な老女は人形をいじるのをやめて、ベルカ公に聞いてくる。

 精巧な人形のように美しい顔に柔らかい表情を浮かべ、「外で遊んでいましたよ」とベルカ公が答えると、「男の子って元気ね」と人形いじりを再開する。

 あの子とは老女にとっては息子であり、ベルカ公にとっては父であり、すなわち前ベルカ公のことだが、すでに故人。

 今日のベルカ公は姉の公女たちとともに、ベルカ北東部のアンファングにいる祖母の見舞いに来ていた。

 祖母は足腰が弱り、そのうち認知症となり、今ではほとんどの移動が車椅子。表舞台に出ることはない。

「ねえ、今まで女の子ばかりだったから、男の子のおもちゃって分からないの。人形じゃ駄目よね」

 格式ある古い家に嫁ぎ、血にこだわり、しつけに厳しかった祖母の最大の栄光の日々は、継承権のある男子を産むという大役を果たした時期。心不全で急死した息子は小さい子供の姿のまま、その世界で永遠に生きている。

 ベルカ戦争当時、七発の核によって一万人以上の民を失った祖母の嘆きは深く、実権がないとはいえ、民に寄りそう姿勢を見せる公家は広く支持された。

 そりゃ嘆くだろうよとベルカ公は思った。少なくともベルカ戦争のあの時、祖母は民でも生きている家族でもなく、死んだ息子を最優先した。

 領土も軍備も拡大路線を続ける政府に対して、はっきりと良い顔をしなかった前ベルカ公。『灰色の男たち』という影から国に仕える組織にとっては、目ざわりな存在。

 ??あの子の望まぬ姿になったこの国など、一度壊れれば良いのです。

 ベルカ戦争で『灰色の男たち』の勢力は大きくそがれたものの、祖母が望んだ未来と現実は大きくかけ離れた。早期講和ができず、自軍による核使用を止めることもできず、民を大勢失った。

 それぞれの組織、個人において、どこになんの判断と感情と利害が働いたのか。すべてが複雑に絡み合っている。

 事実として前ベルカ公は死に、祖母は彼をうとましく思う者たちから殺されたと思い、孫たちは負けたのだと思っていた。

 それこそ胎内にいる時から、権力闘争の真っただ中にいる公家の人間たちは、そういう世界に生きている。

「ご覧になって! お花を持ってきたわ!」

 寄せては返す波のような笑い声とともに、妖精のような三人の公女が次々と部屋に入ってくる。手には庭で摘んできた色とりどりの花々。庭師が精魂込めて育て上げた花を、公女たちは無造作に切り取る。

 公女たちの革靴が土で汚れていることに気づいた祖母は、「はしたない!」と怒った。

 だが孫娘たちを呼ぶ名前は、娘たちの名前。現在の祖母の脳内に、孫たちは存在しない。

 公女たちは自分が生んだ娘、ベルカ公のことは若い侍従だと思っていた。否定するとパニックにおちいるため、周囲も祖母の認識に合わせて行動している。

「お前たち、そんなことをしていたら結婚できませんよ!」

 お小言が長くなりそうなので、公女たちは花をテーブルの上に散らすと、弟を連れて部屋から逃げた。

「伯母様たちの記憶はしっかりしているのね」

「相変わらず礼儀作法にはうるさいのね」

「将来の選択肢は結婚しかないのね」

 女官に紅茶を用意された部屋に案内される。今日の紅茶は苺のフレーバードティー。公女たちは満足げな表情で、「いい香り!」と声をそろえて言う。

「戦争はそろそろ泥沼化ね。オーシアはシーニグラードを陥落しそこねたそうよ」

「あやしい動きもあるわ。灰色さんたちはV((1|ワン))を国外に出したみたい」

「核を使う気かしら。使っても世界は思う通りに変わってくれないのに」

 うふふと楽し気に笑いながら紅茶を一口。穏やかなティータイムには不釣り合いな内容だった。

「ねえ殿下。そろそろ潮時よ。灰色さんたちを本格的に止めましょう」

「そうよ殿下。彼らは十分にやってくれたわ。彼らに名誉の死を与えましょう」

「さあ殿下。オーシアとユークの王様たちの手を取って、泣く準備はよろしくて?」

 ベルカ公が適当に「はーい」と返事すると、「真面目に!」と三人同時に怒った。

 今、『灰色の男たち』がオーシアやユークトバニアでやっていることは、斜め上の復讐。もちろん公家は、戦争を止めるための行動をしている。

「善悪ではなく損得で動け。分かってるって」

 しかし、もう一つの暗い思いもある。

 復讐はいけない、敵を許そう、愛そうと言い、実践する清き善人はいる。それを頭では分かりつつ、心の底ではどうにも割り切れない、灰色で曖昧な部分をかかえる人間もいる。

 オーシア人やユークトバニア人が犠牲になっても、あの国の人間だものと思ってしまう、暗いよどみ。

「きっとなにも知らない子が、すべてを断ち切ってくれるわ。その子たちに託しましょう」

「彼らが掲げる正義の刃は、憎しみから来るものよ。気づかないことを祈りましょう」

「きっとその子たちが、うるさいの一言で終わらせるのよ。いいことね」

 ああごめんよと、ベルカ公は心の中で誰かに謝る。

 自分は聖人ではなく、高潔でもなく、すべての人に心を寄せる博愛の人でもない。己の国と民が生き残ることを最優先に考える、利己的で浅はかな君主なのだ。

「オーシアから偉大な英雄が生まれるのは、あっちの悲願だろ。純真さは必要だ」

 神話を持たぬ巨大な人工国家は時代に応じ、国の偉大さと世界最強の軍隊の箔付けとなる英雄の存在を求め続けた。

 ベルカ戦争での英雄は、連合軍の正規兵から生まれなかった。

 あろうことか、金で雇う傭兵からだった。いまだにウスティオのヴァレー空軍基地と、円卓の鬼神の異名を持つ傭兵に関する機密情報の守りは堅い。

 鬼神とは何者か。オーシア人か。ベルカ人か。ユークトバニア人か。エルジア人か。今も隠れるなら((脛|すね))に傷ありか。どこかの工作員だったのか。

 あらゆる憶測が飛ぶが、いまだにどの情報部もメディアも、真実にたどり着けない。

 大国オーシアから見れば、小国ウスティオが持つカードは鋭い蜂の一刺し。

「でも、正規の方法じゃないっぽいのが、あの国らしいよなぁ」

 鼻で笑ったあと、ベルカ公は少し冷めた紅茶を音もなく飲んだ。

 

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   忠実な騎士

 

 十五年前の五月二十八日、円卓の底で、ウスティオの傭兵によって撃墜された自分の機体、((MiG|ミグ))-21((bis|ビス))を見た。

 十五年後の十二月三十日、救命ボートから、ユークトバニア好戦派の潜水艦の攻撃によって沈みゆく第三艦隊旗艦、空母ケストレルを見る。

 ピーター・N・ビーグルことウォルフガング・ブフナーは、アシュレイ・ベルニッツとは貴族と平民という出自以外にも、すべてにおいてソリが合わなかった。

 彼の実績と効率だけを考える、冷徹で機械のような戦い方は間違っていると思った。

 ??私が機械? ご冗談を。

 昔、真っ向からアシュレイに反論されたことがある。

 ??あなたこそ命令通り、機械のように正確無比な技術で淡々と敵を墜とし続けるから、凶鳥と呼ばれるんです。戦闘不能になった敵を倒さないから人道的なんじゃない。一撃で敵を倒せなかった自分のミスが許せなくて、なかったことにしたいだけだ。

 だから非難される筋合いはないと、完璧主義の潔癖者とののしった。

 アシュレイはつつましくなかった。野心を隠さなかった。何事も正反対。ウォルフガングにとっては苦手な、さらに嫌いな人間だった。

 貴族以外の出世は実力があっても遅い。出世したとしても佐官止まり。それがベルカ戦争以前の、ベルカ空軍の暗黙の了解。

 金色の啄木鳥と呼ばれたアントン・カプチェンコ。銀色の犬鷲と呼ばれたディトリッヒ・ケラーマン。平民出身の彼らは貴族優先の理不尽なルールにも耐え忍び、少しずつ認められていった。

 そういう先例があるから、はっきりと物事を伝えるアシュレイのようなタイプにウォルフガングは驚いた。衝撃だった。

 意外にも彼は面倒見が良いほうらしく、部下や年下の兵士たちからは慕われているようだった。貴族とそうでない者とのトラブル解決に、よく駆り出されていた。

 貴族でもなく、騎士の叙勲を受けたわけでもない。それでも彼は、まるで騎士の真似事をするように、昔も今も祖国に尽くし続ける。

 その徹底した愚直さだけは、ウォルフガングでも認めざるを得ない。それは国に尽くし、出自に関係なく平等に飛行技術を教えたアシュレイの師、ケラーマンと同じだった。

 ウォルフガングも己の師カプチェンコと同じように、限界点が見えるとすぐに見限る。そして己の心に従い、ウォルフガングは自国への核投下の命令を拒否して逃げた。

 アシュレイとソリは合わなかったが、性格はたがいの師に似ていた点は合っている。

 ウォードッグの若者たちと一緒にF-14Aに乗るレーダー((迎撃士官|インターセプト・オフィサー))からは、「ご自身を信じたらどうです」と言われた。彼は十五年前、円卓で戦った経験者なのだという。

 ケストレル乗艦後、ウォルフガングがブレイズたちに自身の過去をかいつまんで喋ったあとで、彼らのうしろに乗ることになった乗員の一人から、「円卓で督戦隊に追われていた機体は、あなただったんですか」と話しかけられた。

 「まさかあの乱戦の中を逃げるとは、今回も似たようなものですね」と、一種の笑い話の流れになったのは仕方がない。

「私は祖国の裏切り者ですよ」

「そうでしょうか? 今のところ、十五年前にあなたが選んだ道は、あなた自身にとって間違っていないようですよ」

 甲板の向こうでは、束の間の休息を楽しむウォードッグの隊員たちがいた。

 今はラーズグリーズ。亡霊となった若者たち。ウォルフガングの今の状況と似ている。祖国から逃げ、祖国に追われる。

「ベルカのエースは個性派ぞろいだと聞きました。あなたは国に対してではなく、自分自身に忠実な騎士のようです。だから、個性が強過ぎるスター軍団の中で、トップエースになれたのではないですか?」

 自分の話に合わせてくれた、模範的なアドバイス。

「……艦長から、なにか言われましたか」

「新しい乗組員の話し相手になり、緊張をほぐしてほしいとおっしゃいました」

 どうやらケストレルの艦長ニコラス・A・アンダーセン大佐は、部下への配慮が細やかな指揮官らしかった。

 他者からこういうことを言われて許されたかったのかと、自身の中の小さな望みを知り、ウォルフガングはそっとため息をつく。

 己に忠実な騎士、ウォルフガング・ブフナー。

 ベルカのエースたちは腕もさることながら、強烈なエゴの塊だった。素性をいつわり、年齢を重ね、生活様式を変えようと、本質はそう変わらない。

 魂の源流は、血と鋼によって歴史を積み重ねて生き残り続けた国にあることを、ウォルフガングは再確認する。

「負け続けの私だが……今度は私の勝ちだ」

 アンダーセンの言葉に、同じく退艦して救命ボートに乗っているアルベール・ジュネットが「え?」と反応した。

 開戦前、サンド島にジャック・バートレット大尉を取材しに来たはずが、不思議な縁でウォードッグ隊と旅路をともにしているカメラマンだった。

 仲間を失いながらも英雄の道を駆け上がり、真実に近づいたためにスパイ容疑をかけられて逃亡し、記録上では死亡したが大統領直轄部隊になるという、ウォードッグ隊の怒涛の旅路のジュネットの同行は、どうやらここまで。

「見たまえ。彼らは無事に飛び立った。それが私の勝利だ。彼らが空中にある限り、私の負けはない。そして、彼らならやってのけるだろう」

 飛んでいくラーズグリーズ隊を反戦歌『The Journey Home』の鼻歌を歌いながら見送るアンダーセンは、どこかバートレットを思い出させる。

 十五年前に円卓で撃墜されたウォルフガングを助けたバートレットも、アンダーセンと同じように風を感じさせる軽やかさがあった。

 だがアンダーセンはバートレットではなく、またブレイズたちもウォルフガングではない。

 ブレイズたちは自分たちに起こった状況に迷いながら、それでも役目を果たしながら、根気強く戦う。次々と限界を突破する。奇跡を見せていく。

 限界点のその先にある可能性は未知数で、なにもない。

 だからこそ未来と呼ぶ。

(さあ、行きなさい。やってのけろ)

 自分とは違う結末へ。

 

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   理想の下

 

 今日は十二月三十日。もうすぐ混迷の二〇一〇年が終わる。

 ??お兄ちゃん。クリスマスの予定、ちゃんと知らせてね。来られないなら来られないで、プレゼントを先に贈るから。

 昔の癖が抜けず、今でもアレンのことを「お兄ちゃん」と言う従妹から、一方的な通達を受けたのは開戦前。

 ??我が家の男性陣の大事なことをちゃんと伝えない癖、なんとかしてほしいんだよね。

 その時は「分かったよ」と答えたものの、気の早い従妹との約束は叶えられなかった。

 九月に始まった戦争は、まだ続いている。今の電話の相手が終わらせない。終わらせる気がまったくない。

「今、シャンツェに一番近い場所にいるのは君たちだ。我々も準備が整い次第行くが、それまでの間、どうか守ってくれ」

「分かっています」

 先ほどおこなわれたオーシアのハーリング大統領とユークトバニアのニカノール首相の共同記者会見で、戦局は大きく変わった。国のリーダーたちは戦争が終わったと言うが、現場はまだ混乱している。

 アシュレイ・ベルニッツはいくつかの連絡事項を確認し終えると、「アレン」と親しげに名前を呼んだ。

「撃墜された我々の回収といい仲間の指揮といい、君はよくやっている。君たちがいる限り、まだやれる。国を変えるチャンスはある」

「ええ。私たちが必ず変えてみせます」

 別れの挨拶をして電話を切った。目の前にいた仲間の青年士官に、「向こうにはまだばれていない」と伝える。

 ユークトバニアのスパイであるウォードッグ隊に関する査問会議の出席。そんな理由で首都オーレッドに呼び出されて以降、アシュレイたちの手伝いをしている。

 今いるのはベルカ戦争後にオーシアに割譲され、現在はノースオーシア州となっている南ベルカ、工業都市スーデントール郊外にあるグランダーI.G.が経営する民間飛行場。オーシア空軍の特殊任務という名目で行動していた。

「では予定通り、荷物を受け取りますか」

「さっきの記者会見を見て、向こうが怖気づかないといいが」

 長引く戦争は組織内でも分裂を起こす。終わる気配を見せない戦争に不満や焦り、怒りを持つ若い士官は、アレン以外にもいた。

 どうやらアシュレイたちは戦争を続けて、世界を混乱させたいだけ。そう気づくと、アレンは亡き伯父の人脈を使って、独自に行動を始めた。

 ベルカはオーシアとユークトバニアの工作部隊が次々と墜とされたことで、計画に狂いが生じたらしい。

 そんな時にアレンから協力を続けることを伝えたら、ベルカは喜んだ。見返りを要求したら、報復兵器V((1|ワン))を譲ると約束した。

 伯父の威光はオーシア軍内部でも有効だった。好戦派には、融和政策に批判的な立場だった将軍の甥として。平和派には、最期まで大統領に信用されていた将軍の甥として。立場をうまく使い分け、ここまでこぎつけた。

 結局伯父は、娘である従妹の花嫁姿もこの戦争も見ることなく、静かに他界した。葬儀にはわざわざハーリング大統領が来るほどだった。

 政治的な立場からすれば、友のようでいて敵だったはずだが、大統領個人からすれば良き友であったらしく、複雑さが垣間見えた。

 伯父は戦争が起きることを分かっていたのだろうかと、アレンはふと疑問に思う。

「しかし厄介ですね。ラーズグリーズがこちらに向かっているとは……」

「いい囮だと思えばいい。奴らが派手に暴れてくれたら、注目はそちらに集まる。では、私はベルニッツの命令を実行するとしよう」

「荷物の受け取りは私がします」

「頼む。もしかしたら向こうは焦って、ほかの誰かにあれを渡す可能性もある。横取りされないように気をつけてくれ」

「奪ってでも手に入れてみせますよ。あれはこの戦争を終わらせる、我々の希望ですから」

 ミーティングルームを出ると、敬礼して別れる。彼は左。アレンは右。目指す先は((格納庫|ハンガー))。

 心のどこかでアレンは願った。かつて大きな戦争を終わらせた英雄たちは、ことごとく神の座を得た。きっとこの戦争でも現れるはずだと。

 ところが現れたのは、伝説にすがってラーズグリーズと名乗った悪魔。しかも部隊としての通り名であり、一人のパイロットの通り名ではない。神になれないのなら人間同然。

 確かに、ウォードッグと呼ばれていた頃から彼らの腕は良かった。

 ただし周りと変わらない。悩みと不安をかかえながら出撃する。仲間の死に動揺して悲しむ。

 彼らが普通の人間だと確信したのは、サンド島から逃げた時。アシュレイの命令で、アレンはウォードッグにスパイ容疑をかけた。この状況をどう切り抜けるか、個人的な興味もあった。

 それになにかを期待していた。彼らも過去の英雄たちと同じように、超人的な力で逆転するはずだと。

 逃げる彼らを見て、そんなのはただの夢物語だと気づかされた。

 もし鬼神や死神がオーシアにいたら、なにかが大きく変わった。士気、戦局、なにかが。

 結局、オーシアに神のごとき英雄はいなかった。それをラーズグリーズが証明している。

 部隊の名前を変えれば魔法の力を得られると、戦争を止められるとでも思ったのか。ウォードッグに希望を見出す人間たちを見捨てたくせにと、アレンは心の中でののしった。

 他人に勝手に期待して、絶望する。それはアシュレイに対しても同じ。彼には父の面影を見た。

 彼は父と同じようになんでも褒めて認めてくれたが、父は世界を混乱におとしいれて、正義をゆがめたりしない。そんな当たり前のことに、今まで気づかなかった。

 父は十五年前に死んだ。遺体は棺の中にある。アシュレイは赤の他人。

 すべて理想の下を行くものばかり。

 それでも夢を見たかった。なに食わぬ顔で見殺しにした父を忘れている、この国を変えたかった。

「軍の緊急任務だというのに、使えるのがこれだけですみません」

 整備士は申し訳なさそうに言った。格納庫にあった機体は、ユークトバニアから((拿捕|だほ))した((MiG|ミグ))-1.44。解析のためにここまで運ばれたという。

 できれば鬼神のイーグルか死神のラプターに乗ってみたかった。運がないが、こんな状況では仕方がない。なんとかしてこの機体を飛ばすしかない。

「ちゃんと飛べる機体があるだけ十分だ。ありがとう」

 微笑とともに返答すると、整備士は安堵の表情を浮かべ、ほかの機体を見にいく。

 アレンは己の機体をそっとさわった。開戦前に病死した伯父に思いを馳せる。彼ですら、甥が乗る機体がユークトバニア製とは想像していなかったはず。

 それでも大方の想像通り、ここまで来たはず。

(だからもう十分でしょう?)

 私は今初めて、あなたが示した道を拒否する。それでもあなたは私を許しますか。あなたのことです。きっと許すでしょう。

 そうまでして、あなたは私になんの夢を見ましたか。死んだあとも続くあなたの夢は、一体なんですか。

 かつての強いオーシアを夢見る軍人たち。欲望に溺れて踊らされるだけのユーク。古き善き祖国の復活を夢見るベルカ。そしてラーズグリーズ。

 すべての亡霊は、今を生きる人間たちの世界にとっては邪魔。それは伯父さん、あなたも例外なく。

 かつての英雄たちのように、神のごとき力は私にはない。

 だがそれに代わる核の力で、すべての戦争に終止符を打つ。

 そして理想の世界を築く。この手で。

 

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   極夜飛行

 

 夜間飛行で頼れる光は弱いものばかり。機内の電子の光。闇を恐れるように輝く人工のライト。満ち欠けする気まぐれな月。最後の命の輝きかもしれない光を届ける星。夜に淡く発光する生き物は、海中を思うがままに泳いでいく。

 夜に生きて闇を駆け抜ける。今の人生そのものだとミヒャエル・ハイメロートは思った。

「ハミルトンはどうする」

 オヴニル隊の二番機が形式上聞いてくる。

「放っておけって言われてるし、放っておいていいんじゃないか?」

 工業都市スーデントールでアレン・C・ハミルトンは頑張っていた。ラーズグリーズ隊を倒すことに執着していた。

 オーシアとユークトバニアという大国を内部から崩す工作活動を続けていたミヒャエルたちにとっては、予想の想定内。

 ただし、悪い方向で。

 核の取引をするはずだった。彼らは核という絶対の力を扱える権利を手に入れ、オーシア政府の喉元に刃の切っ先を突きつけるはずだった。真の自由と真実を求める青年将校たちの反乱により、オーシアはもっと混乱するはずだった。

 その予定はすべて崩れた。

 ならば、オーシアの首都オーレッドに落とす戦闘衛星((SOLG|ソーグ))から目をそらす陽動部隊として、ここで存分に暴れてもらうしかない。

「どうせフラストレーションが溜まっているだろうし、思う存分暴れてくれるだろ」

 昼の世界に生きる人間が夜の世界に転落する姿は、自分自身を見ているようで、ミヒャエルにとっては興味深かった。しょせんお坊ちゃんのやることだから期待していないとは、口に出して言わない。

「グラーバクには知らせるか?」

 アレンに目をかけていたのは、グラーバク隊長のアシュレイ・ベルニッツ。信用して信用されていたが、違っていたのは裏の部分。

 アシュレイは、オーシア人に殺された息子と年齢や境遇がよく似たオーシア人青年を憎んだ。

 アレンは、ベルカ人の核で殺された父親に似ているベルカ人中年を尊敬していた。

 人間は表面だけでも合わせることができる。その素晴らしさと見事なすれ違いに、ミヒャエルは感心していた。

「成功したか失敗した時だけ、俺が知らせに行く」

 オヴニル((2|ツー))はすぐに返事をしなかった。少しだけ((間|ま))を空け、手塩にかけたエリートもとうとう捨て駒になったかとは、口に出して言わない。

 なにも質問することなく、オヴニル2は「じゃ、よろしく」と会話を打ち切って立ち去る。

「……ま、いいか」

 手元にあった紙で飛行機を折り、ゴミ箱に向かって飛ばす。すぐに落ちる。

 鼻で笑い、新しく紙を折り始める。手先の器用な母が教えてくれた、折り紙というもの。

 墜落した紙飛行機のように、すべての兵士の命も軽く薄い。嗚呼かわいそうにとミヒャエルは思った。自分も彼らと同じ。

 十五年前にベルカという国は死んだ。今はベルカという名の異国。同姓同名の別人。

 すべてを断罪され、骨と肉を抜き取られ、皮だけになった器に詰め込まれるのは、勝者の考えたベルカの正しい姿。

 故郷と家族を焼き払われたミヒャエルも、皮だけの残骸になった。感情という機能も抜き取られた。

 死への本能的な恐怖や、師の生き残れという強い教えが、ミヒャエルを死から遠ざけた。

 だが、なにを、どうやって、どうすれば。生き方が分からない。

 それでも腹は減る。喉は乾く。排泄をしたくなる。とりあえず皮になにかを詰め込み、人間らしい行動をした。

 何気なく、家族から「お前はよく笑う子だね」と言われたことを思い出し、ああそうだ笑わなければと、なにかを取り戻した。

 鏡に向かって笑顔の練習を始めたことで、ミヒャエルはなにかを保てた。それはおそらく、人間性というもの。

 ここで笑え、ここで褒めろ、そういう振りをしろと頭の中で命令し、周囲からワンテンポ遅れないように気をつけた。お陰で、一番うまく作れる表情は笑顔。

 作られた笑顔のまま、ペンキで塗られたような空を飛ぶ。

 ミヒャエルは子供時代、青空の向こうには天国があると誰かから教えられたが、実際にあったのは真っ暗な宇宙だった。

 暗い闇が広がるなら、そこは地獄。現実世界に天国はない。

 おとぎ話のラーズグリーズは亡霊と呼ばれ、悪魔と呼ばれた。その悪魔が助けにくるのは、空のすぐ向こうにあるのが自分たちの領土だから。

 天使にも神にも見離され、悪魔だけが救いの手を差し伸べてくれる現状に気づかないほど、大衆は熱狂している。

 十五年前、熱狂的な大衆は赤いツバメという英雄的なエースを絶賛し、祭り上げる人間たちも支持した。

 十五年後、今度は悪魔の黒い翼が世界を救うと信じている。

 この狂乱を望んだのは、オーシア人やユークトバニア人自身。彼ら自身が望んだこと。自分たちは手助けをしただけ。

 自らの愚かさを隠すため、悪魔にすがりながら生きるがいいと、ミヒャエルは心の中で大衆たちをせせら笑う。

「馬鹿だなぁ」

 完成した折り鶴の羽根を広げ、両端を引っ張った。「こうすると飛んでいるみたいでしょ」と語った母親を思い出す。

 何度かパタパタと飛ばす真似をしたあと、思いきり引っ張った。羽根を引きちぎる。

 大きくちぎれたほうを握り潰して床に投げ捨てると、「馬鹿だねぇ」と自分自身に向けて言った。

 今の任務は片道切符。降りられる駅は死という名の終着駅だけ。経由はユークトバニア。任務が成功したら与えられるという栄光も地位も名誉も、しょせんは((空|から))約束。

 ミヒャエル・ハイメロートという人間は異国で死ぬ。誰も言わないが、確実に約束されているのはそれだけ。

 ベルカ戦争が終わり、百八十度転換した思想に馴染めず、割り切れず、自殺する兵士がいた。市民から追われ、人生から転落した兵士もいた。

 おそらく自分もオヴニル隊の隊員たちも、そうなるはずだった。

 運命を分けたのはパイロットの才能。それがあったから、まだこの世界に((留|とど))まっていられる。

 ??領土と資源に目がくらみ、ベルカ人の血と肉で肥え太った強欲なオーシアの臓腑を引きずり出せ。

 ??裏で武器利権の甘い蜜を吸い、敗戦が濃厚となるや、手のひらを返してベルカを断罪し、賠償金で身ぐるみ((剥|は))いだ詐欺師のユークトバニアの喉をかき切って首をさらせ。

 ??勝ったというだけで勝利者の罪に誰も裁きをくださないなら、我々がおこなうのだ。そのための手伝いを。

 『灰色の男たち』はそう言って、ミヒャエルに手を差し伸べた。憎しみを原動力とした任務がなければ、ここまで長生きできなかった。

 十五年。ミヒャエルにとって、十五年は砂をかむように長かった。

 指で口元を押し上げて笑顔を作る。そのまま固める。手を離す。

「よし、大丈夫」

 作った笑顔のまま、満足げ気につぶやく。

「このまま笑えよ? ミヒャエル」

 声に出して念を押す。最後まで笑った人間が勝つ。だからこそ笑い続ける。

 この顔は両親や祖父母からの血を受け継いだ顔。どこかが誰かに似ている顔。鏡に向かって笑えば、家族に笑っているのと同じ。

「行ってきます」

 いつも通り。誰からも返事は来ない。だから自分で「行ってらっしゃい」と返す。

 ミヒャエルは母親と最後に電話で話した時、声が父親と似てきたと言われた。それならば、さっきの見送りの挨拶は父親が言ったもの。

 そうやって家族の思い出を鮮明に保とうとするのに、どんどん家族の映像の記憶は薄れていく。全速力で飛んでいるのに追いつかない。一年たつ度に一光年離れる。

 残っていくのは言葉と教えだけ。

「ボス、行ってきます」

 鬼教官といわれたディトリッヒ・ケラーマンは、生徒たちからはボスと慕われていた。

 ユークトバニアに行く際、ミヒャエルは師になにも相談できなかった。

 ケラーマンには故郷と家族が残っている。彼はそこに帰ることができた。実際に行って、会って、話をして、自分の中の黒と赤に満ちた感情で、師の大切な場所をけがしたくなかった。

 逆に一番弟子でもあったアシュレイは、オーシアに転属することを報告しに行った。そのことについてミヒャエルが聞くと、アシュレイは「批判的なことはなにも言われなかった」と言った。

 向こうに行っても教えを守ること。なにを信じていいか分からなくなった時は、教えを思い出せば支えになってくれること。最期の瞬間に憎しみを持たないでいるのを望むこと。元気でいることを望んでいる、と。

 すべて親が望むようなことばかりで、これで大丈夫、これで心置きなく飛ぶことができると、謎の確信を得た。

 今の心の有りようを否定しない人が、自分が二度と帰れない日常という世界にたった一人でもいるのなら、それでいいと。

 濁ってゆがんだ心の形で飛んだその果てがどうなるか、その時にならなければ分からない。

 ただ一つ分かるのは、今度はラーズグリーズが任務の成功失敗に関わらず、昼間でも太陽が沈んだ極夜の中で生きる番だということ。

 ラーズグリーズへの哀れみは、もうすぐ同類となる者への哀れみ。

 ミヒャエルは楽しい気分になった。そう。これが楽しいということ。久々の感覚。作りものじゃない自然な笑みが浮かぶ。

 スカーフェイスも、円卓の鬼神も、リボンの死神も、英雄と呼ばれたエースパイロットたちは役目を終えると、表舞台から去った。

 銀色の犬鷲は、最初は教官となって身を引いた。ベルカ戦争では復帰し、戦後に再び引退して、現在は田舎でひっそり暮らしている。彼らは((分|ぶ))をわきまえていた。

 せめて身の処し方は、今までの英雄たちと同じ道を歩め。ラーズグリーズだけ華々しい表舞台に逃げることは許さない。

(待っていろ)

 必ず俺が引きずり込んでやる。

 

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   忠実の騎士

 

 二〇一〇年最後の日を迎える前に、軽快にドアがノックされた。

 オヴニル・リーダーのミヒャエル・ハイメロートに「ベルニッツ隊長」と呼ばれる。開け放たれたドアから顔だけをのぞかせるのは、悪い報告をする時の彼の癖。

「任務変更です。シャンツェの破壊が確認されました」

「つまり、((SOLG|ソーグ))は地上落下という最終手段を取るので、最終任務に出ろということか」

「そういうことです」

 落下する戦闘衛星SOLGを破壊しようとする者がいたら、自爆してでも止めるのが役目。帰還はない。

「戦争が続いたのは……三ヶ月ちょっとか」

「ベルカ戦争と同じくらいですね」

「せめて大陸戦争くらい続けたかったな」

 ミヒャエルは腕を組むとドアの縁に背を預けて、「贅沢ですよ」と笑った。

「それと、ハミルトンが死んだという情報が入ってきています」

「優等生は役に立たんな」

「……さりげなく酷いこと言ってませんか?」

 その問いに、アシュレイは笑ってごまかす。

 アレン・C・ハミルトンは能力が高く、性格が真っすぐだった。良い青年過ぎてこういうことには向かない。だからこそ使えた。

「あともう一つ。青年将校たちの反乱も失敗みたいです。V((1|ワン))は没収されたようですし、こちらに残る核はSOLGだけです」

「踏んだり蹴ったりだな」

 最近のオーシア側の青年将校たちは良からぬことを考え、勝手に行動していた。彼らの暴走はオーシア内部を混乱させる。

 だからアシュレイたちは黙認していたが、暴れ方を知らなかったらしい。

「これは個人的質問ですが……例の部隊、来ると思いますか」

「お前はどう思う」

「右に同じ」

「では来るか」

「彼らの動き、懐かしいですよ。円卓を思い出します。生き残りでしょうか?」

「経歴を見る限り、実戦はこの戦争が初めてだ。が、うしろの人間はそうとも限らん」

「百戦錬磨の((RIO|リオ))ですか? 怖いですね」

 言葉とは裏腹に、ミヒャエルは楽しそうに笑う。知り合い程度だった頃から笑顔の絶えない人間だったが、今は違う。作り物めいた笑い方をする。

「ミヒャエル。正直、こちらは((分|ぶ))が悪い。逃げてもいいぞ」

「今更そんなことを言うんですか?」

「お前はまだ若い。やり直しが効く」

「もう若くないですよ。それに、故郷に帰っても家はないし、家族もいません。知っている人たちとも、縁が薄くなりましたし」

 ミヒャエルは工業都市ホフヌング出身。労働者階級出身の子が品行方正、成績優秀なことを認められ、貴族の子弟が多い空軍アカデミーに入学したことは、工場で働く両親にとってはまさに希望の星。

 ディトリッヒ・ケラーマンに天才と言わせた新人は、円卓で敵機を二十五機撃墜。それを自慢しようにも、彼を知る故郷の人間は全員死んでいた。

「この役目に選ばれたのは独身ばかりでしょう。私が死んでも、誰も泣きませんよ」

「……中佐殿は泣くだろうな」

 二人の間で中佐殿といえば、師のケラーマンのこと。ミヒャエルはなにも答えない代わりに、「機体見てきます」と言い残して消える。

 四年前のドキュメンタリー番組に出たケラーマンは、穏やかさを取り戻していた。生き残った生徒たちの行く末を見守ることに決めたようにも見えた。あの戦争から何年経ち、なにをしようとも。

 十五年前に全部終わっていたのは、アシュレイにも分かっていた。家族は死んだ。国は負けた。すべてが元に戻らないと分かっていても、なにかを取り返したかった。

 だが、夢を見る時間は終わり。アレンの死ではっきり分かった。

 息子と年齢や趣味が似ている彼を見るたび、アシュレイの中で暗い感情が湧いた。アシュレイの心の内など知らないアレンは、ずいぶんとアシュレイを慕った。

 そんな彼に、アシュレイは息子が成長した姿を見た。たとえオーシア人相手でも、そんな夢を。

 アレンのような若者たちを引き入れるために、身内の死を脚色して教えた。嘘が混じった悲劇を信じ込んで共感した、世間知らずの若者たち。それは自傷行為にも似たやり方。

 師が言った「憎しみを持つな」とは、こういうことかと思う。

 結局、思い出を切り売りして、家族の死に泥を塗っていたのはアシュレイ自身だった。

 多くの人が、戦争の記憶を過去へ押し流そうとする。その中で、あの時の記憶を思い出にするまいとあらがい続ける。そうして戦争を知らない子が毎年生まれ、記憶はどんどん過去のものになる。

 賠償金目的で祖国を搾取した、墓泥棒のような国々。祖国を絶対悪と責め立てる者たち。そんな人間たちが戦後生まれの子供に教える正義が、無性に腹立たしかった。

 凶鳥フッケバインと称されたウォルフガング・ブフナーも例外ではない。祖国を諦めた彼は名を変えて、オーシアで生きていた。

 当時の彼は、人格者で優秀なパイロットだと評判だった。立場や出身を問わず、すべての生徒に平等なケラーマンと同じような人間が貴族にもいると。貴族以外の出身者の多くは、フッケバインに期待した。

 しかしそれは幼い頃からの教育通り、弱者に博愛を示しただけ。灰色に少しでも関わっている人間は遠回しに拒否し、出世の活路を灰色に見出した者を嫌った。

 自身が好む弱者でなければ手を差し伸べない。アシュレイからはそんなふうに見えた。出世や軍で生き残る手段が限られる下層の人間から見れば、気位が高いだけの潔癖症。

 逆を言えばそんなエゴイストだからこそ、ベルカ空軍でトップエースになれた。そうでなければ、多くのエースを押しのけてトップになれない。彼自身は傲慢ではないと思っていただろうが、無意識の傲慢さを兼ね備えていた。

 逃げ出す彼を円卓で見つけた時、アシュレイはののしった。国に忠節を誓った騎士ならば最後まで((留|とど))まって戦うべきだと。

 フッケバインが逃げたことを師のケラーマンに伝えた時、「君は忠実の騎士だな」と言われた。

 忠実な、ではなく、忠実の。忠実そのものを体現する騎士。

 自分が決めたルールは最後まで守る。忠節を誓った祖国に最後まで尽くす。無駄と分かってもあがき続ける。そういう騎士。

 野心も恨みも、すべてがアシュレイの中で混ざって溶けた。分けることは難しい。どこからが恨みで、誰の野心なのか。境界線は分からない。

 すべてを分かって悟った振りをしても、無駄だった。弱い人間のあがき方にろくなものはない。置いていかれる自分だけが((無様|ぶざま))な存在になる。

 それでも空を飛ぶことだけは、はっきりと分かっている。それだけが最後に頼るもの。

 フッケバインは死んだ人間や祖国を嘆きながら、十五年前と同じように己の正義を貫き、そして遠い場所で正義を掲げるのだろう。

 昔は貴族という高みから。今は外国から。

(ならば再び皆の正義となれ)

 私は祖国を諦めたあなたの正義に、最後まで否と言う。

 フッケバインの弟子たちも、彼と同じように自らの死を偽装した。

 だが彼と違うのは、祖国を諦めていないこと。

 面白い。やれるものなら最後までやってみるがいい。

 この身が滅びる最後の瞬間まで、私は私の祖国を守る。

 

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   黎明飛行

 

 二〇一〇年最後の日の夜明けを迎えようとする、まだ暗さが残る空。

 大量報復兵器V((2|ツー))を搭載した戦闘衛星((SOLG|ソーグ))防衛のためのラーズグリーズ隊との最後の戦いは、ミヒャエル・ハイメロートにとっては久しぶりに心躍るものになった。

 目まぐるしく変わる高度。鳴りっぱなしのアラーム。肉体を押しつける重力。逆流する血の流れ。

 ミヒャエルは体に叩き込まれた技術で無意識のうちに機体を操作し、次を予測する。生と死の狭間、賭けているのは文字通り自分の命。当たれば終わりという極限の状況で、戦闘機乗りとしての高揚感が甦る。

 右に、左に、時にタイミングをずらし、ひらひらと木の葉のように機体を舞わせる。チャフを撒いてレーダーを乱し、敵のロックオンから逃れる。くるりとひるがえって機銃の曲線を避ける。

 あのベルカ戦争の、神話のような時代の名残が、まだこの空にはあった。命と引き換えの最後の任務で、戦闘機パイロットとしての腕を競えるのは、思いがけない幸運。

 そう思えた瞬間、無線にまぎれ込んだ声は、子供っぽさが見え隠れする若い男のもの。

「僕らには教科書の歴史の…そんな怨みを持ち出すな!」

 ミヒャエルは愕然とした。いまだに生々しい塊のまま、心の隅にごろりと横たわる出来事は、若い人間にとって紙上の出来事。歴史の授業で習うもの。押しつけるなと拒絶される。

 あの悲しみが。怒りが。絶望が。叫びが。

 魂に焦げ付いて((剥|は))がれないものが。理不尽にしか思えないものが。そうやって一緒に生きるしかなかったものが。

 なにも知らない子が語る正論は、心臓をえぐり取った。それはゴミのように汚いものとして扱われ、捨てられた。踏みつけられた。すり潰された。

 数秒にも満たない間に、ミヒャエルはそう感じた。

 薄れたと思ったまっさらな憎悪が甦り、異様なまでに五感が冴えわたる。研ぎ澄まされた聴覚に、相手の無線交信がまぎれ込む。

 グリムという単語。十五年前。円卓。灰色。元海軍。パイロット。

(オルカの?)

 どこにでもあるベルカ系の名字のはず。

 なのに、遠い過去のささいな話を鮮明に思い出す。海軍から空軍に異動してきた風変わりな部隊があるという、そんな話。

 そのたった一瞬の思考が、ミヒャエルの運命を決めた。

 わずかに動きがにぶったその瞬間に、水飛沫を浴びせるように機銃がキャノピーを貫く。体も撃ち抜く。

(??あっ)

 小さな思考が脳内からもれる。

 ミヒャエルはようやく、師の教えを理解した。憎しみで飛んではいけないという意味を。それは死を招くということだったのかと。

 傾く機体は虹のようなカーブをえがく。白い飛行機雲は生きている証拠。黒い煙は死ぬ証拠。もれ出す液体は戦闘機の血。

 戦闘機は悲鳴を上げながら、地上へと落下していく。その前に流星が大気圏で燃え尽きるように、機体が砕け散る。

 グリムとは、円卓で死んだパイロットの遺族か。親戚か。移民したベルカ系オーシア人か。戦後にオーシアに割譲された南ベルカの住民か。

 一斉に湧き上がる疑問を解決する時間はない。

 過去にすがり続けたミヒャエルを滅ぼすのは家族と無関係の、どうでもいいような、今まで思い出しもしなかった遠い小さな記憶。

 まさかの終焉。

(ボス、すみません)

 生き残れと教えた師に、ミヒャエルは心の中で謝る。

 自分は死ぬ。

 でも、その前に。どうか自分の最期を見る人間がいますようにと、ミヒャエルは酸素マスクをなんとかはずした。

 死という絶対の免罪符を手に入れて、あの日、あの時、あの瞬間に縛りつけていたすべての重力から、夜明けとともに解き放たれる。

 分かっていても手放せず、すがっていたもの、生きる糧だったすべてを手放す。この身にかかえるすべてを丸ごと移す。呪いと呼ぶのにふさわしいもの。

 それは憎しみがなくなる瞬間。

 呪いが通じない人間もいる。すでに呪われている人間もいる。

 だから、まだ呪われていないまっさらな人間に向かって。

 ??お前はよく笑う子だね。

 ミヒャエルは笑った。

 

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   白の君主

 

 日付は十二月三十一日。激動の二〇一〇年も残りわずか。自分の命も残りわずか。ベルカ軍の制服組トップであるブラウヴェルトは、今の状況を正しく理解していた。

 それでも、目の前の祖国そのものと言える青年に向けた銃を下ろさない。同時にその何倍もの銃口が彼自身に向けられていても。

 三十一日早朝に起きた、ラーズグリーズと呼ばれる航空部隊による戦闘衛星((SOLG|ソーグ))の破壊。それをもって環太平洋戦争は終結したが、ベルカ国内はそうではなかった。

 SOLG破壊の報を合図に、灰色の組織の息のかかった部署の制圧が開始された。軍部内では軍の特殊部隊が。政府内では主に情報を扱う部隊が。民間企業では警察の特殊部隊が。行動はすみやかに移され、死傷者と逮捕者を大勢出した。

「姉貴たちは、最後まで猫被るの大事よ! ってうるさく言うけど、面倒だから単刀直入な。将軍、もう終わりにしようや」

 ブラウヴェルトは、若きベルカ公の乱暴な口調に驚いた。人形のような外見とは反対に、あまりに人間らしいもの。彼が知る姿とは違う。

 前ベルカ公の病死にともない、幼くして家を継いだ現ベルカ公は、十歳そこそこでベルカ戦争を体験した。

 母親はすでに他界。後見人の祖母は身体的に衰え、姉たちは未成年。近しい身内で唯一頼れた大叔父は極右勢力に加担というハードさ。小さい頃は病弱と言われ、一時は公家の存続すら危ぶまれた。

 だが成長すれば健康を取り戻し、美貌の誉れ高い母親に一番似ていた。言動は優雅で柔らか。本から抜け出てきたかのような、悲劇の貴公子そのままだった。

「灰色で穏やかだった奴は残したけどさ。地下に潜った危ない奴らと手を繋いで、ミイラ取りがミイラになってどうすんの」

「我々はまだ、オーシアを始めとした連合国に鉄槌をくだしていません。あのラーズグリーズが次々と……!」

 ベルカ公は「あの悪魔な」と、ブラウヴェルトの言葉をさえぎった。

「悪魔って働き者だよな。ベルカには厄介な物をいろいろ壊してくれたし、SOLGとかマジ邪魔。そのへんは褒めても良くね?」

「殿下…?」

「オーシアとユークの好戦派の拡大を許したのは、ハーリングとニカノールの政権だ。時が立てば、そいつらの甘さも問われるだろうよ。でもそれまでの間、必要なものがある」

「必要なものとは、なんです」

「十五年前、核を止めようとした時も、停戦させる時も、第六はよく頑張ってくれた。今回もよく働いた。お前たちは我が祖国の礎となった。その功績は、俺が生涯覚えよう」

 ブラウヴェルトは功績という言葉を聞き、驚いた。

「……殿下」

 目の前に立つ美貌の青年は、悲劇の貴公子ではない。古来より続くベルカの血脈を今に伝え、最前線で闘い続ける我らの主。

「殿下、すべてご存知でしたか。我々を利用して、切り離しましたか」

「ブラウヴェルト。誇りがあるというのなら、最期を選べ」

 問いには一切答えず、ベルカ公は決断を迫った。

 ベルカ戦争で北ベルカは南ベルカを切り離したように、過去に生きる者たちは未来を生きようとする者たちに切り離される。その決断をくだすのが、あの戦争を経験した我が祖国ともいうべき子だった。それだけのこと。

 この若者は政治の醜悪さを隠すために、母親から外側の美しさを受け継いだのかと、ブラウヴェルトは遺伝子の力に思わず感心した。

 自らは手を汚さず、ブラウヴェルトたちの行動を黙認すると同時に、ベルカに刃を向けた国々への復讐を果たす。

 ただし、ベルカへの被害は最小限に((留|とど))める。『灰色の男たち』という影の組織と、覇権主義を夢見たオーシアとユークトバニアの好戦派たちの仕業という形で、一件落着となる。

 今回の戦争で死んだベルカ人は、過去にしがみつく者たちだけ。そして憎しみを受けるのも彼ら。

 ブラウヴェルトは、己に与えられた役目がなにかを悟る。

 だからこそ、ベルカ公自らが恩情を与えにきた。それは臣下にとって最大の名誉。

「生き残って最後に神の御前に立つのは、我らベルカ人だ。俺はなにがあろうと、絶対に生き残ってみせる」

 士官学校に入った時に教えられた教訓を、ブラウヴェルトは思い出した。

 ??戦い抜くことは誇り。たとえ敗北しようと、我らに降伏はありえない。最後に必ず勝利する。敵に我らが生きて勝利するさまを見せよ!

 この教訓をベルカ公は正しく理解していた。

 ベルカ戦争終結後、オーシアは公家への影響力を高めようとした。しかるべき時のために確保したのは外戚の男子。生まれはベルカでも、その男子はオーシアで育った。いわばベルカ系オーシア人。

 そんな人間ではベルカの支柱になれないと判断した大人たちは、幼いベルカ公に国の将来を託した。健やかに育て。ベルカそのものであれ。最後の誇りであれと。

「ブラウヴェルト。地獄で待て。いずれ俺もそこへ行く」

「……いいえ。殿下が行くのは天国だけです」

 ブラウヴェルトは銃をゆっくり下ろす。やわらいだ表情を見せた。

「どうか地獄に行く我らにお約束ください。天国へ行くと」

 それまで余裕があったベルカ公の表情に曇りが生じる。「殿下」と答えをうながされた。

 部隊の指揮を直接取るフレイジャー陸軍大佐は、隣にいるベルカ公の顔を盗み見る。物言わぬ彫像そのものだったが。

「分かった。天国へ行く」

「では、お行きください」

 ブラウヴェルトは喉元に銃口を当て、引金を引いた。銃声が響き、血と肉片が壁に飛び散る。床に倒れた肉体に隊員二人が近寄り、一人が死亡を確認した。

 ベルカ公は遺体を一瞥すると、部屋をあとにする。「大佐」と斜めうしろを付いて歩くフレイジャーに声をかけた。

「指揮官がわざわざこんな前線に来なくても良かったのに」

「殿下が来られるのに、私がうしろにいては筋が通りません。末の弟は怒るでしょう」

 フレイジャーは四人兄弟の長男だった。末弟は赤いツバメと呼ばれた元ベルカ空軍のエース。今はディンズマルク大学で歴史学の教授をしている。

「国を救うために命懸けで動いている殿下を助けないとは何事ですか、とか? そんな聖人君子じゃないけどな」

 末端にいる者たちは、公家が灰色を止めるために必死で行動していると映っている。実際、そのように行動してきた。

「弟は、知らない振りをしているかもしれません。それくらいのことは分かる年です」

「……お前、ツバメに嫌われてるだろ」

「よくご存知ですね。弟に聞きましたか?」

 あははと大口を開けて笑うベルカ公の姿を見ながら、フレイジャーは耳元の無線を抑えた。二言三言やり取りをする。

「殿下。フローリアン・ハルツォクをウスティオの中央駅で捕まえました」

 ベルカ公は「相変わらず逃げ足はえーな」と感心する。

 ハルツォクは所属派閥が崩壊した時も逃げ足が速かった。彼は空軍のエースだったが、ベルカ戦争中に撃墜され、そのまま退役。政治家に転向し、旧ラルド派で活躍した。

 戦後に起きたクーデター組織と派閥との繋がりが露見するや、すぐさま失踪。以後は地下に潜伏し、行方不明だった。

「じゃ、今回の後始末はそいつに頑張ってもらうか。おっちゃんにお礼言わないとな」

 後始末とは、泥を被る象徴のような存在になること。

 礼を言う相手とは、ベルカ戦争後に長期政権を築いた元ウスティオ大統領のこと。第一線をしりぞいた今でも影響力は大きい。

 彼は前ベルカ公の友人で、停戦に尽力した公家とも浅からぬ縁がある。それも手伝い、ベルカとウスティオの国交回復は早かった。

「大佐。ブライトヒルに、これよりそちらへ行くと伝えろ。ニカノールが帰る前に、三人仲良く写った友好的な写真が必要だ」

「了解」

 玄関を出ると、ベルカ公は「嘘ついちまった」と独り言のように言う。

「地獄にしか行けねえってのにさ」

「では、己が行く所こそが天国だと考えたらどうですか。理想郷かもしれませんよ」

 ベルカ公は、別名円卓と呼ばれる場所を訪問した時のことを思い出した。

 円卓はベルカ戦争開戦の原因となった場所であり、戦略的な要所。天然資源が豊富に埋蔵された大地の上は、空の激戦地でもあった。

 今でもそこには撃墜された機体の残骸と、パイロットたちの遺骨が眠っている。遺族を中心に遺骨収集を続ける非営利団体がいて、その人たちを見舞うという形だった。

 同行した案内役の円卓経験者は空を見上げると、「それでもあそこが、私たちにとっての天国だったのです」と小さな声で語った。

 ベルカ公はそれを思い出すたび、一つの光景を脳裏に描く。

 己が築いた黒い残骸と屍の山の上に立つ人間。見上げるのは目にも鮮やかな瑠璃色の空。そこに浮かぶ白い飛行機雲。すべての死者をいつくしみながら糧にする。さらなる高みを目指す。

 死者たちが望むのはそれ。彼らの屍でできた階段を昇り、白くけがれのないまま、天国の門をこじ開けること。

 臆病者とそしられ、卑怯者とののしられても、生き残った者だけが歴史を上書きする権利を持つ。

 ベルカ公は「仕方ねえな」とつぶやいた。

 神よ。我らは常に未完なれば、鋼の誇りと沈黙の名誉でこの世を戦い抜く。血と泥にまみれても歩みを止めぬ我らの生き様を、とくとご覧あれ。

「そんじゃ、遥か遠き理想郷ってヤツでも目指すか。行くぜ」

 若き君主は華のごとき笑みを浮かべた。

 

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   理想の役

 

 大統領執務室に笑い声が満ちる。

 が、これは夢の世界。突発的にビンセント・ハーリングは今の状況を理解したが、すぐに忘れる。彼の意識は夢の中の自分の肉体の中に溶けていく。

「君がやろうとしている融和政策は、愚民化政策だ」

 ハミルトンは苦言を呈した。二人きりだけだったので、口調が将軍と大統領ではなく、昔の先輩後輩に戻っている。ハーリングは「国民を愚民にするつもりはありませんよ」と答えた。

「冷戦が崩れたあとだから、君の掲げた理想は国民の耳に心地良かったんだ」

「前の時代は外側を鎧でおおって、内側まで硬くなりました」

「今は逆だ。内側から腐って、綺麗にしていた外側も、いずれ腐るだろう」

「だから愚民化政策と言うんですか? 愛はこの星を滅ぼすとでも?」

「愛が人々を救うんだよ。それに感動した人々は、奇跡の物語として永遠に語り継ぐ」

「人類が滅びるまでの間は、語り継いでくれるでしょうね」

「その間に同じようなことが何度も繰り返されて、奇跡の物語が量産される」

「奇跡文学全集でも作りますか?」

 ハミルトンは「やめておく」と一笑する。

「人類の愚かさの歴史を見るようじゃないか。忘れやすい人間は、定期的に同じことをしなければなにも思い出さないという事例集」

「この政権がそういう嫌な事例集に載らないよう、気をつけますよ」

「そうか? 平和主義の事例集に、すでに載っているかもしれない」

「それで話が最初に戻りますか」

「いいや。君の掲げる理想がどうなるか、最後まで見られないのが残念ということだ」

 ハーリングはハミルトンが言った内容が気になった。最後までとはどういうことか。

「ああそれと、今日は世間話をしに来たんじゃなくて、報告があるんだ。不治の病にかかってしまってね。末期だそうだ。もう長くない」

 ハーリングは目を開けた。回りを見れば、夢の中と変わらない大統領執務室。

 だが日付は二〇一一年最初の日。

 ようやく一息つける時間ができたので気がゆるみ、居眠りをしていた。目を覚ましたのは、椅子から肘がずり落ちたせい。

 目の前には開封済みの封筒が一通と、細長いUSBメモリ。居眠りをする前に、内容は確かめていた。メモリを手に取るといじり回す。

 今回の戦争は政府内での裏切り者が多かった。代表格は副大統領のアップルルース。強硬派を副大統領にしたのは、反対勢力の手綱を握るため。それが裏目に出た形となる。

 ハミルトンの見舞いに行った時に渡された二通の封筒。今こそ重大な危機だと判断したハーリングは、一通目を開けた。

 副大統領からは、すでにハミルトン将軍の名前が出ている。それに甥はベルカ側のスパイ。融和政策には批判的だったので、恨み事でも込めている。

 そんな予想をしたが、同封されていたのは「すべて私のせいにするように」と書かれた便箋とUSBメモリ。

 病室での最後の会話が、脳裏に鮮やかに甦った。

 急いで中身を見ると、出てきたのは副大統領や政府高官の名前が連なったリスト。誰といつ出会ったか。繋がっているか。誰が拒否したか。いわば敵と味方が振り分けられたデータ。

 ハミルトンが熱心にしていた仕事とはこれかと、ハーリングは歯ぎしりした。メモリをいじる手を止める。

「……戦争が起こること、知っていましたか」

 手の中にある遺品は答えない。窓から差し込む太陽の光を反射するだけ。

 今、オーシアとユークトバニアの国民は熱狂の中に在る。正義はおこなわれ、善が勝利したと。真実と正義を求めた善人たち。復讐に生涯を捧げた愚かな悪人たち。善と悪の戦いは、善の勝利で終了。

 似たような構図は十五年前にも起きた。一九九五年十二月三十一日。『国境無き世界』という共通の敵を前に、連合軍は団結した。すべての垣根を取り払い、核攻撃阻止というただ一つの意志の下で行動した。

 夢のような体験を、ハミルトンは「私たちはあの時、アヴァロンという理想郷にいたんだよ」と語った。

 再び理想郷へ行く。それはハーリングにとって、ささやかな夢だった。

 十五年後、それは現実となる。今回の理想郷の名はアルカディア。((SOLG|ソーグ))破壊の作戦名。

 ??アヴァロンの奇跡をもう一度望むなら、注意しろ。あれは一番酷い時にしか現れない。多くの犠牲者が必要だ。生贄とも言うがね。

 ハミルトンは融和政策の批判めいた発言が多かった。

 それなのになぜ、いつも自嘲気味に語るのか。ハーリングはようやく理解した。批判は彼だけでなく、ハミルトン自身にも向けられていた。

 あの奇跡をもう一度見たくて、融和政策に夢を見続けていた。たとえ甥が生贄の一人になろうとも。

 ハーリングはハミルトンの葬儀で、甥と顔を会わせたことがある。家族を気遣う心優しい青年という印象を受けたが、この戦争で裏切り者として死んだ。

 ハミルトンの予測はどこまでか。この状況は予想外かもしれない。

 それでも自分が無意識のうちに望んだものを確実に与えたのだと、苦々しい思いが彼の中に広がる。融和政策が正しかったと言われるたびに、この戦争の犠牲者が踏み台になる。

 確かに歌や友愛によって、敵同士でも手を取り合える下地を作った。

 だが真に団結するのは、共通する見える敵がいる時。

 内線のコールが鳴る。ボタンを押すと、スピーカーから秘書官が「もうすぐベルカ公がいらっしゃいます」と告げた。ハーリングは「すぐ行く」と返事をする。

 メモリを急いで封筒に入れようとして、床に落とした。静かに拾い上げると、包み込むように握る。祈るように額に押し当てた。

 ハミルトンの遺言ともいうべき「((善|よ))き大統領になれ」という言葉。それが生涯演じ続ける役だと悟る。

 すべての準備は整えられた。今までになく高い支持率は、やりたいことをやれる絶好の機会。任期は最長まで務められる可能性も出てきた。退任後もこのイメージは使える。

 ハーリングは、自分を守るのは亡霊だと確信した。戦争中はラーズグリーズ。今はこの小さなメモリ。

 意を決するとメモリを封筒の中へ入れ、引き出しの中に大事にしまう。

 執務室を出る前にネクタイを正し、深呼吸する。ドアを開けると、心配げな秘書官や補佐官たちがそろっていた。

「なにをしている。ニカノール首相も一緒に、三人仲良く戦争終結をアピールするぞ」

 裏で糸を引いていたのはベルカだと、皆が薄々気づいている。その中でのあまりにも早過ぎる来訪。ベルカ全体が悪ではないとアピールし、手土産を用意しているのが分かった。

 ベルカ公の実年齢はハーリングより下だが、君主としての職歴は大統領のハーリングよりも上。

 若いながらも国を想い、民衆に寄りそう((国父|こくふ))としての役割を果たそうとしている健気な君主。

 このイメージはベルカ戦争後から揺るがない。民衆が望む理想の役そのまま。幼い頃からそういう教育を受けて育ち、役目を果たそうとする。果たしている。

 今回の戦争で、ベルカの象徴たるベルカ公はますます国民の支柱となり、支持を集める。そんな人間を排除しようとすればどうなるか。

 あれは、ベルカの長い長い戦後をともに生きていく君主。生き続けることで勝利を得る。

(手強い敵がこんな近くにいたとはね)

 彼の耳元では、多くの死者が声なき声で語る。

 ??ビンセントの名のごとく勝利を手に入れよ。歴史がお前の存在をゆがめようと、名を残さず死ぬことは許さない。

 一市民だったあの日から、遠くまで来た。あの時は屍を踏まれる側だった。今は踏む側。

 下を見て嘆くことは許されない。上を見て焦がれることも許されない。

 ハーリングは顔を上げた。真っすぐ前を向いて最初の一歩を踏み出す。歩いているのはブライトヒルの廊下。

 またたきをした瞬間、まぶたの奥に見えたのは暗い荒地。そこには地平線の果てまで、同朋の遺体が敷き詰められている。歩いている間に靴の裏に感じるのは、((軟|やわ))らかい肉の塊を踏む感触。

 それでも歩くのをやめなかった。

 彼がさらに目指す理想郷は、幼い頃に読んだ冒険小説の舞台ほどに遠い。

 その距離、二万マイル。

 

-14ページ-

   ただいま

 

 環太平洋戦争と名付けられた戦争が終結して、いくばくかたった頃。

 ビルネハイムの実家にいるディトリッヒ・ケラーマンのもとに、一本の電話が入った。ケラーマンの言葉は少なく、短く相槌を打つだけ。

 電話が終わったあと、ケラーマンは大きく息を吐き、階段を昇る。

「誰からだったんだろ」

 居間でだらけながらテレビドラマの再放送を見ていた孫が、生活のこまごました書類を処理している親に聞く。

「ああやって重い感じになる時は、たいてい空軍からだよ」

 孫はすぐに察し、声を出さずにうなずく。遠回しにそっとしておけと言われたようなもの。

「大変だね」

「仕方ないさ」

 孫はもう一度階段のほうを見る。なにか独特の臭いがしたが、一瞬で消えた。

「……?」

 そばにいる親は変化がなく、孫は何度か大きく鼻から息を吸って臭いを嗅いでみたが、いつもと変わりはない。

 思い違いだろうと判断し、すぐに意識をテレビのほうへ戻した。

 自室に戻ったケラーマンは、いつでも見られるようにと机の引き出しに保管している古いアルバムを取り出す。中は若いパイロットたちの写真が多い。ベルカ空軍アカデミー第九特殊過程、通称ケラーマン教室の生徒たちの写真だった。

 もちろんケラーマン自身が映った写真もあるし、現役時代に育てたパイロットたちの写真もある。

 アルバムのページをめくれば、笑顔がよく似合うミヒャエル・ハイメロートだけでなく、アシュレイ・ベルニッツが微笑んでいる写真もあった。

 今回の戦争の、いわゆる戦犯たち。

 さきほどのケラーマンの電話の相手は、元空軍情報部中将のラインハルト・ダール。おたがい、ベルカ戦争後は引退して牧場をやるようになり、品評会で会うようになってからは、それなりの世間話をする仲になっていた。

 環太平洋戦争に深く関わっていたのは、戦後に引き入れたベルカ人のアグレッサー部隊だという。オーシア側の隊長はアシュレイ。ユークトバニア側の隊長はミヒャエル。

 いまだに中央と細く繋がりを保つダールを通し、まだ表に出ていない情報を教えてくれたのは、ケラーマンの心の内を配慮した誰かが上層部にいたから。

 その誰かをケラーマンは考えてみたが、下手すると政界や軍部ではなく、宮殿の可能性もある。

 いずれにしろ、深く詮索しないほうがいいというのは、現役時代に身につけた処世術の一つ。

 ケラーマンは軽くため息をついた。勝者と敗者、生と死。すべてが簡単に入れ替わる。

 教え子たちで、ベルカ戦争を生き残れた者は少ない。たいていは戦死か行方不明。あるいは寂しく死んでいった。

 なんとか生き延びたとしても、体だけでなく心にも深い傷をかかえたまま、その傷と付き合いながら日常を送っている。

 生き残ったアシュレイとミヒャエルは、流浪ともいえる十五年の旅路の果て、多くの遺体で道を舗装し、異国の空で散った。

 彼らの罪は重く、だがすべてを否定できるとは言いがたく、ゆえに否定すべきものであり、歴史から見れば大悪人に分類される。

 それでもケラーマンにとっては、かけがえのない教え子たち。

 飛ぶことに活路と希望を得た者が空で死んだことは、唯一の光。それは((公|おおやけ))に言うべきことではなく、死ぬまで心の中にしまっておくべきもの。

 もし喋るとしても、それこそ自分が天寿をまっとうするほどの時間がたってから。

 写真の中での教え子たちは時に笑い、時に真面目で、時に緊張し、豊かに表情を変えている。ここには教え子たちが一人の人間として生きていた、確かな証しが刻まれていた。

 写真は過去を写すものだが、そんな教え子たちの過去の姿は、ようやくすべてのしがらみから解放されたようにも見えて、不思議な印象を与える。

 その時、ドアをノックする音が聞こえた。

「おじいちゃーん」

 ドアの向こうから呼ばれ、「どうした」とアルバムを閉じる。うかがうようにドアが開き、「そろそろ牛の世話の時間だよ」と孫が顔を見せた。

 おそらくさきほどの電話の様子が心配になり、見に来たのだろう。不器用さが垣間見える優しさに、祖父としての笑みを浮かべる。

 孫は祖父の様子が大丈夫そうなので安堵したが、部屋の空気を嗅ぐと、眉間にしわを寄せた。

「……ねえ。この部屋、なんか臭いしない? 大丈夫?」

「…臭い?」

 言ったはずの当の本人は、「うーん…」と首をかしげる。

「ストーブ…みたいな……? 金属の……焼ける…臭い?」

 孫は悩みながら、言葉を探すように言う。

 家で使っている暖房器具は、ボイラーの熱で作った温水を循環パイプで各部屋へ巡らせて、家全体を温めるセントラルヒーティング。石油ストーブは使っていない。

「んー……ごめん。ちょっと分かんない」

 気まずくなった孫は、ごまかすように笑顔を作った。

 だがケラーマンは孫の言葉でなにかに気づいたのか、「空気を入れ替えよう」と部屋の窓を開けた。

 冬の空気は薄い氷のように張り詰めていて、熱を奪っていく。肌に刺さるものがある。孫が嗅いだと思った臭いも消えていく。

「風に乗って、なにかの臭いが届いたんだろう」

「うちが腐ってるとか燃えてるとかじゃないよね…?」

「大丈夫だよ」

 祖父は確信を持って答えているように感じた孫は、「そっか」と話を終わらせる。

「じゃ、先に牛舎行ってるね」

 祖父の「分かった」という返事を聞くと、孫は部屋をあとにした。

 冬の空気を感じながら、ケラーマンはアルバムをもう一度開く。人間以外にも写っている被写体がある。それは生徒たちが使った練習機。

 孫がおそらく嗅いだのは、ジェットエンジンの排気の臭い。あるいは機体が燃える臭い。彼らの体に染みついた、最期の臭い。

「君たちが帰る場所は、ここか」

 故郷と家族を失い、知人友人との縁を断った人間たちの魂が、憎しみの果てにたどり着く場所。

「飛行機もなにもない所なんだがなぁ」

 広がるのは田舎の冬の田園風景。空はよく見える。

 言い換えれば、なんの変哲もない場所。

 そんな所でいいのだろうかとケラーマンは思ったが、それでいいのだろう。

 寒さが上回ってきたので、窓を閉めて鍵をかける。牛舎に行く前にケラーマンは集合写真にさわると、いつくしむような表情で微笑んだ。

「お帰り、子供たち」

 ただいまという声は聞こえないけれど。

 それでいい気がした。

 

END

 

-15ページ-

   備忘録

 

脇キャラの解説です。

 

ハミルトンの伯父:5ミッション03のムービーで存在のみ判明。

 

メインラッド・グリム:ZEROミッション10ナイトで登場。アサルトレコードNo.099。

 

フローリアン・ハルツォク:ZEROミッション10ナイトで登場。アサルトレコードNo.098。

 

ブラウヴェルト:ZEROアサルトレコードNo.167「ラルス・マテウス」で名前のみ登場。

 

デトレフ・フレイジャーの兄:ZERO公式サイトWORLD NEWS 12「ベルカン・エアパワー 第一部前編 デトレフ・フレイジャー少佐」とZERO攻略本「巻末付録:エースパイロットプロフィール/設定画集 デトレフ・フレイジャー」で存在のみ判明。階級はオリジナル設定。

 

-16ページ-

   後書き

 

グラーバクとハミルトン(アレン)は親子ほどの年齢差があったので、擬似的な親子だったのかもしれません。動機が暗い感情であることを認めて、そのまま走り続けた場合の結末もなんとなく分かっていて、それでも走り抜けるというのもいいんじゃないかと。

説明
以前書いたものを手直しして投稿。5関連の掌編集のようなもの。祖国を裏切った人と、守り続ける人と、夢を見続ける人たちの話。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。ZEROの戦後の掌編集のようなもの→http://www.tinami.com/view/928680
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