恋人は金色の雲をこえて |
「射手座のアイオロスよ。13年前の決定通り、お前を次期教皇に任命する。」
アテナ神殿にシオンの声が響き渡る。純白の法衣と貴金属で飾られたアイオロスは恭しくシオンの前にひざまづいて手を合わせた。彼のトレードマークでもあった赤いバンダナは外されており、シオンはその頭に教皇の冠を被せた。神殿内に新教皇万歳の歓声と拍手が沸き起こる。聖戦を終え、聖域の新しい時代がここから始まろうとしていた。アイオロスは正面に座る女神アテナとシオンに一礼し、参列者の方へ振り返った。先ほどよりも更に大きな歓声が鳴り響く。彼の目はすぐに最前列に並ぶ黄金聖闘士たちに向けられ、さらに最も愛しい人の姿を捉えた。ようやくすべての苦難を越えて正式な座に着いたアイオロスを、サガは誰よりも瞳を潤ませて感慨深げに見つめている。しかし、伏せられたその瞼から一筋の涙が白い?を伝った瞬間、アイオロスの心には何故か一抹の不安が過った。
儀式を終えたアイオロスは、シオンと共に教皇の間の一角にある執務室に入った。ソファに見慣れない客人が二人並んで座っている。シオンたちが入ってくると、二人は同時にソファから立ち上がって膝を軽く折って優雅に挨拶をした。中世のフランス貴族の女性のようなゆったりとしたドレスを身につけ、その上から地面に着くほど長いベルベットのマントを羽織っており、衣に施された刺繍の見事さに目を奪われる。だが、ドレス姿の割に顔立ちは正直どちらの性別なのかよくわからない。胸の膨らみがなく、少年にも少女のようにも見える。不思議なところだらけだったが、その中でアイオロスが最も惹きつけられたのは、この者たちの瞳だった。ブロンドの巻き毛の人物はブルートパーズの瞳、マホガニーレッドの髪をウェーブさせた人物はアメジストのように透き通った美しい瞳をしていたが、二人には中央の黒目に当たる部分がなかった。丸く磨かれた宝石がそのまま瞳にはめ込まれているように見えるのだ。どこを見ているのかわからない不気味さに、アイオロスは思わず息を飲んだ。
「お前が驚くのも無理はない。この方々は天界から来られたエクスシアイだ。我々とは全く異なる存在であられる。」
「エクスシアイ……?なぜ能天使の方々がこの聖域に?」
エクスシアイとは、天界と悪魔界の境界線を守護する天使たちの総称である。普段は武装した姿で境界線を警護し、それぞれの側の侵食を防ぐ役割を果たしている。地上にも近い存在のため、時には人間たちの目の前に姿を現し、悪魔の誘惑に飲み込まれそうな者たちを救出する事もある。今もまさに人間たちの前に姿を現している状態だが、今日は闘いが目的ではないため、彼らは武装していない。戸惑うアイオロスの気持ちを察して、二人は急に柔らかい笑顔を浮かべた。
「新教皇アイオロス、この度はご即位おめでとうございます。」
声を揃えて再び優雅に挨拶をした二人に、アイオロスも慌てて会釈した。彼らの瞳ばかり気になっていたが、その背にはカワセミのように丸くて小さな羽根が見え隠れしている。あどけない子供のような笑顔にアイオロスも幾らか落ち着きを取り戻した。顔合わせが済むと、シオンは軽く咳払いをして事情を語り出した。
「実はあまり時間がなくてな…… 私もアテナから聞かされて驚いたのだが、本日から聖域が新体制を迎えるということで、ある者たちを天界に呼び戻すためにこの方々が迎えに来られたのだ。」
ある者たち? 迎え?…… シオンが何を言っているのかアイオロスは話についていけない。エクスシアイたちはウンウンと頷いて聞いていたが、何となくその先の話を言い出しにくそうにしているシオンに代わって穏やかに話し始めた。
「アイオロス教皇。黄道十二宮は天界にも存在しています。聖域の十二宮と役割は大体同じです。それぞれの宮に守護者がいまして、その12天使が揃う事で天界における星の秩序を保っております。しかし、ここしばらくの間、その12天使が揃っていない状態でして。本来は天界に来るべきある宮の守護者が、誤って女神アテナの聖域十二宮に転生してしまっていることがわかったのです。他の大天使様たちが交代で守護されて来ましたが、皆様とてもお忙しいご身分ですし、地上の聖戦も集結したようですので、そろそろ守護者を天界にお返し頂こうというわけです。」
二人は声を揃えて歌うように語った。アイオロスの鼓動が早くなる。先ほどシオンは“ある者たち”と言った。“たち”という事は、一人ではないという意味だ。恐る恐るアイオロスは口を開いた。
「あの…… 帰る者は一人ではなく複数人で?………」
「はい。二人で守護する宮ですから。」
エクスシアイたちは笑顔で同時に頷いた。何もなければ愛らしい天使の仕草に見えるだろう。しかし、今のアイオロスにはこの笑顔が恐ろしかった。戸惑っているうちに、最も聞きたくなかったその答えが声を揃えて先に告げられた。
「双児宮です。この宮を創設された大天使アンブリエル様は、いつの時代も必ず双子を守護天使に選びます。その双子を、本日お迎えに上がりました。」
倒れかけたアイオロスをシオンが慌てて支えた。聞きたくない。もうこの先は何も聞きたくない。その後、エクスシアイたちが何か説明していたようだが、アイオロスはシオンに向かって叫んでいた。
「シオン様!…… サガは……サガたちは今どこにいるのですか!?……… 」
シオンはグッと身構えて口を閉ざした。何処にいるかさえも教えて貰えず、感極まったアイオロスは、シオンが止めるのも聞かずに執務室を飛び出していた。
サガの姿を探してあちこち走り回るうちに、アイオロスは教皇の間の裏手にある庭園までやって来た。色鮮やかに咲き染まる花々の上を、白や黄色の小さな蝶々が楽しげに舞っている。大理石の噴水の中央には鳩たちと戯れるキューピットの像が立っており、彼のつがえる矢の先端から清らかな水が円形に放たれ、綺麗な水のドームを作り上げていた。東屋のある方から何とも美しい音色が聞こえてくる。そっと近づいてみると、いつの間にここへ来たのか、花壇の縁に腰掛けているエクスシアイたちがそれぞれに小さな竪琴を手にして弦を爪弾いていた。アイオロスの視線はさらに奥にいる二人の人物へと注がれた。その姿はすでに大きな変化を遂げており、明らかに異世界の住人であることを示している。椅子に座っていたサガは、アイオロスと目が合うと途端に悲しげな表情で目を伏せた。横に立っていたカノンはすぐに状況を察して、エクスシアイたちに声をかけた。
「おい、彼らを二人だけにしてやってくれないか?まだ時間あるんだろ?」
カノンの言葉に、エクスシアイたちはすぐに演奏をやめて一礼した。どうやらサガとカノンの方が遥かに地位が高いらしい。カノンはアイオロスの側まで来ると耳打ちした。
「オレだって全然納得してない。あいつは…… もっとそうだろう。」
「お前、 天使の格好似合わないな………」
言われたカノンはクッと肩で笑ったが、彼は初めて反撃して来なかった。彼なりに覚悟を決めているのだろう。その決心にアイオロスは胸を締めつけられる思いがした。カノンはわざと明るく振る舞いながら、エクスシアイたちを連れて庭園を出て行った。
二人きりになると、サガはすぐに立ち上がった。
「アイオロス…… いや、アイオロス教皇。こんな事になってしまって…… 私は」
「お前の居場所は女神の元だけだ。私と同じ、女神アテナの黄金聖闘士なんだ。それ以外の何者でもない。お前の帰る所は決まっている。聖域の双児宮だ。天界ではない。」
そう言い切られたサガは口をつぐんでアイオロスを見た。アイオロスもまた、改めて間近で見るサガの顔に全身が切なさで震えた。幼い時から最愛だった人。その変化は、背中に純白の巨大な翼を持っているというだけではない。ギリシャの青空のように鮮やかで輝かしかった青銀の髪は、烟るようなプラチナブロンドと変化し、涙の浮かぶその瞳も、すでに瞳孔を失って今までよりもっとライトなエメラルドグリーンへと輝きを変えている。全身に白く淡い色をまとうサガは、まさに光の使者だ。彼はもう人間ではない。本来の場所に帰るために、異国の住人にふさわしい姿を取り戻したのだ。これが本当の彼の姿なのだ… アイオロスの瞳にも涙が浮かぶ。聖戦が終結し、再会してまだ一日足らずしか共に過ごせていない。それも、二人きりになれたのは今が初めてだ。こんな事態さえなかったら、教皇に即位したこの日の夜に正式に告白し、愛し合うつもりだった。こんなにも美しいのに。こんなにも愛しているのに。
「アイオロス…… 私たちもあらゆる手段を考えて女神に訴えたのだ。昨夜この話を聞かされた時、私とカノンは女神に必死ですがった。聖域は私たち兄弟が生まれ育った場所。この地にしか私たちの居場所はない。だから、ここに居させて欲しいと…… 」
「サガ……」
自分もこれだけ取り乱すほどだったのだ。実際にここを離れるサガたち本人にしてみれば、その動揺はアイオロスの比ではない。
「床に身を投げて両手をつき、何度も懇願した。エクスシアイたちが見ている前で。シオン様が止めるのも振り切って。あのカノンですら涙を流していた。しかし、望みを聞いて貰えなかった。私たちが天界に赴く事は、それぞれの世界の秩序を守るために必要な事なのだと…… そうアテナに諭された私たちは、一晩かけて己の宿命を受け入れる覚悟を決めたのだ。」
純白の衣を握りしめ、身体を震わせる愛しい人。その姿に、アイオロスの意志はますます頑なになった。サガよりも大切に思える人にこれから出会う自信など、このアイオロスにはない。サガが言葉を発するよりも先にアイオロスは彼を強く抱きしめた。恋人同士として初めての抱擁だった。それは想像していたよりもずっと柔らかく、温かく、優しい。愛しい人を腕の中に抱くという事が、これほど幸福であるとは思わなかった。白薔薇の花弁のように羽毛が深く重なりあった翼は、意外にもアイオロスの手を幻のようにすり抜けて、両腕でしっかりとサガの背中を抱きしめる事ができた。この感動が、この一度だけとは思いたくない。アイオロスの肩口に額を押しつけて涙を流すサガを強く抱きしめながら、彼は力強く言い切った。
「私は諦めない。アテナはいつも申されている…… 希望を捨てるな、と。サガ、お前も絶対に諦めるな。私は必ずお前と一緒に生きる。もちろんこの地上でだ。」
「天命に勝つ、というのか……?」
「私たちが何者だったのか、もう忘れてしまったのかい?」
アイオロスはサガの両肩を抱き、涙を浮かべながら笑った。
「私たちは無敵の聖闘士。それも黄金聖闘士だ。アテナに仕える希望の戦士じゃないか。」
サガは溢れる涙をそのままに、いつもの優しい微笑みを見せて頷いた。異世界の壁を超えた愛。それが許されない事は二人ともよくわかっている。自分たちの意志ではどうにもならない事もよくわかっている。しかし、最後に残るこのひとかけらの希望だけは、どうしても失いたくない。この深い絆を別つ権利など誰にもないはずだ。たとえそれが神の意志であっても、私たちは諦めない。
花の薫りに包まれて、二人は時が許す限りずっと抱きしめあっていた。
そして、ついに旅立ちの時が来た。コロッセオには女神アテナを始め、シオン、新教皇アイオロス、エクスシアイを従えたサガとカノン、そして黄金聖闘士から雑兵たちまで全員が集合した。聖闘士たちは全員正装し、アテナ、シオン、アイオロスの後ろに控えている。皆が静まり返る中、どこにしまっていたのかエクスシアイたちは細長い独特な形のラッパをサッと取り出し、空に向かって高らかに吹き上げた。天の音色は上空の雲を一瞬にして掻き分け、空の穴からまるでスポットライトのように黄金の光が差し込み、全員の上に降り注いだ。やがて光の中から4頭の有翼の白馬が現れ、彼らの引く馬車が全く音も立てずにコロッセオに降り立った。初めて見るその幻想的な風景に、あちこちからため息が漏れる。
「さあお乗りください、大天使アンブリエル様。お二人の到着を天使長ミカエル様が楽しみに待っておられます。」
エクスシアイはサガとカノンをまとめてこう呼んだ。彼らにとってはどちらも大天使アンブリエルなのだという。搭乗する前に、二人は皆に振り返り恭しく挨拶をした。
「女神アテナ、お世話になりました。貴女から受けた数々のご厚意、私たちは一生忘れません。シオン様、そして仲間たち。皆どうか元気で。」
「お二人とも、聖戦では本当によく闘ってくれました。あなた方の力がなければ聖域の勝利はありえませんでした。本当にありがとう。お元気で……」
アテナの言葉に二人は深く一礼し、馬車に乗ろうとした。途端にあちこちから嘆く声が湧き上がり、皆がサガとカノンへ押し寄せる。天使へと姿を変えた二人を間近で見ようとする者や、握手を求める者たちでその場は騒然となった。サガを兄のように慕っていたアフロディーテは泣き喚いて彼に抱きつき、その?に何度も別れのキスをしている。その光景にアイオロスの胸がチリリと痛んだが、新教皇である身では同じように騒ぐことは気が咎めた。エクスシアイたちに急かされ、馬車に乗ろうとしたサガは一瞬だけアイオロスの方へ振り返った。切羽詰まったサガの眼差しにアイオロスの胸が熱くなる。しかし、二人は何も言葉を発さず、視線だけを交わして頷き合った。サガに続いてカノンも乗り込むと、すぐにエクスシアイたちは馭者台に座って手綱を取った。
「それでは皆さん、お騒がせいたしました。皆さん、どうかお元気で。」
エクスシアイたちの挨拶に、聖域の者たちは尚も馬車に向かって大きく手を振ったり、大声で呼びかけたりしてその騒ぎは収まらない。しばらくして馬車は羽毛のようにフワリと地を離れ、あっという間に雲の向こうへと消えていった。空にできた穴を雲が次々と折り重なって塞ぎ、いつもの聖域の空と変わらない風景が戻ってきた。別れの挨拶もそこそこに、あまりにもあっけない出発だった。宿命というものはある日突然やって来て、望みもしない未来を人に押しつけてさっさと消えてしまうのだ…… こんなふうに。人間はただ黙って神が与える現実を受け入れ、淡々と生きていくしかない。その悲しみを最も理不尽な形で受け入れねばならなかったサガとカノンは、今、何を思っているのだろうか。しばらくの間コロッセオには嘆きの声が続いていたが、アイオロスだけは強い決心を秘めた目で恋人の消えていった雲の彼方を見つめていた。
サガたちが旅立ったすぐ後、コロッセオにグラード財団専用ジェットが降り立った。城戸沙織は急務のために日本に帰らねばならず、白羊宮でアテナとしての装いから私服のドレスに着替え、アイオロスを従えてコロッセオに向かおうとしていた。
「アイオロス、どうしたのですか?」
急に立ち止まったアイオロスを振り返り、沙織は不思議そうに尋ねた。
「……… 女神アテナ。大事なお話があるのです。少しだけこの私に時間を下さい。」
アイオロスの切迫詰まった様子に沙織は一瞬黙ったが、彼の心の内を察して優しい微笑みで向き直った。予想通りアイオロスはサガの件を持ち出して、女神アテナのご慈悲で何とか呼び戻せないか沙織にすがった。あくまでも個人的なお願い事であり、女神アテナに口出しできる案件ではない。それでも我が女神ならば……とアイオロスは期待を抱いたが、沙織の口から出た言葉は手厳しいものだった。
「アイオロス教皇。私はこの聖域を統括する女神であって、全知全能の神ではありません。その全知全能である父ゼウスですら、ギリシャの神々の頂点に立つ天空ウラノスや大母神ガイアの前では大勢いる子孫の一人にすぎないのです。エクスシアイの方々とも長い時間を掛けて交渉しましたが、彼らが仕える神はまさにウラノスやガイアに匹敵する地位のお方で、いくらアテナの化身である私でも、むやみに会うことが出来ない地位にあります。それほど上位の神がお決めになったことに対して、異国の者が反論することなど到底できません。」
女神アテナでも簡単に会うことができない神なのか…… その絶望的な答えに、アイオロスは呆然とした。最愛の人を手放したくない一心で、唯一頼みの綱にしていたのがアテナだった。彼女から異国の神に進言してもらえれば、サガたちを聖域へ取り戻す事ができるのではないかと。しかし、それはあまりにも一方的な考えだった。女神ですら無理というのでは、とてもこの決定を覆すことなどできない。まして、天界は聖域に対して闘いを挑んできたわけではなく、本来ならば天の国へ行くはずの二人をただ迎えに来ただけなのだ……
さすがの沙織も、失望に項垂れるアイオロスを見て気の毒に思った。しかし彼は今、聖域の新時代を築く教皇に即位したばかりである。任務の遂行にはある程度の冷徹さと、私利私欲に惑わされない精神が必要だ。沙織は敢えてアイオロスに厳しく言い放った。
「貴方は聖域の教皇なのですよ。私が聖域にいない時は私の代行者として皆を率いていく重要な責務があります。お気持ちは分かりますが、そのように一つの事に惑わされ、取り乱すような短慮さでは、この先の聖域をお任せする事ができません。」
ぐうの音も出ない言葉だった。アイオロスは俯いていた顔を上げ、沙織に深く一礼した。
「……… 女神アテナ、貴女の言われる通りです。お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありませんでした。それに、これからご出発のところをお引止めしてしまい………」
「分かって頂けたようで安心しました。一日も早く皆から信頼される教皇になってください。期待しています。」
アイオロスの浮かべる微笑みが決して本心からのものではない事は、もちろん沙織もよく分かっていた。コロッセオに到着すると、アイオロスは彼女の手を取って待機しているジェット機の方へと誘った。搭乗する直前、沙織は一瞬立ち止まってからアイオロスを振り返った。
「神は、人間に対して耐え難いほど過酷な試練を与える時があります。しかし、いつも私が言っている言葉をどうか忘れないでください。貴方は希望の戦士である、と……」
黙礼するアイオロスをその場に残し、沙織はジェット機に乗って日本へと旅立った。
それからのアイオロスは、新教皇として毎日黙々とその職務に没頭していた。もともと真面目で勤勉な性格のアイオロスだが、次々と難題をこなす彼の手腕には目を見張るものがあり、彼が聖域始まって以来最高の教皇に成長することは誰の目にも明らかだった。
教皇職の中には、一ヶ月に一度スターヒルに上がって星見をするという任務がある。北極星を中心にして星の動きで未来を占う重要な仕事で、これにより聖戦の兆しも察知できるのだ。次期聖戦の予感は遥か未来の話だが、アイオロスは一ヶ月に一度の星見を一週間に一度の頻度で熱心に行っていた。星見の回数が減るのは問題だが、増えるのならばシオンもアイオロスを咎める理由はない。周囲には“熱心な教皇様”の姿として好意的に取られていたが、アイオロス自身の目的は全く違っていた。
星見の夜、アイオロスはスターヒルの祭壇にひざまずき、夜が明けるまで天へ祈りを捧げていた。祭壇の天井は円形にくり抜かれており、そこから天球儀のように夜空が見られるようになっている。アイオロスの瞳は常に双子座を追いかけていた。
あの星座の何処かにサガがいる。
私の黄金の翼でも辿り着くことができない、遥か彼方の星々の中に。
神の前では、たとえ黄金聖闘士である私ですら赤子のように無力だ。
でも、私は何としてもこの祈りをサガに届けてみせる。
お前と必ず会えるように。
私は諦めない……
この祈りを必ず叶えてみせる…
アイオロスの目には、満天の星空の中で羽根を広げる天使サガの姿が映っていた。
白亜の円柱に寄りかかり、サガは両膝を抱き寄せるようにして座り込んでいる。この柱は慣れ親しんだ双児宮のものではない。そのことに気づくたびに、サガは大きなため息をついて空を見上げた。金色の雲が幾重にもたなびいている。その隙間から覗くのは青空ではなく、無限に広がる星空だった。
天界の黄道十二宮は聖域と全く異なっている。宮はその名の示す通り、本物の宇宙空間に存在していた。それぞれの星座の中央にポツンと浮島のように建っており、遠い場所から見ると確かに神殿の形をしている。しかし、中の広さはとても宮と呼べるレベルではない。巨大な神殿の中はまさに絵に描かれるエデンの園のようで、水と緑豊かな大地に豪奢な屋敷が数えきれないほど存在していた。双児宮の住人はサガとカノンだけではなく、双子座の周囲に点在する星々の天使たちも一堂に会してこの神殿内に住んでいる。まさに“双子座付近の天使大集合の町”といった感じが、神殿内部があまりにも大きいせいで、人口が密集している感じは全くない。しかし、どれほど多くの天使が住んでいても、この宮の中で“守護天使”とか“大天使”と呼ばれるのはサガとカノンだけである。柔和で可愛らしい顔立ちが多いこの天使界において、彼らのようなクールビューティーは大変珍しく、無垢な天使たちはこの二人に夢中になった。屋敷の外へ出るとすぐに取り巻きができ、かしずかれ、丁重に扱われた。何の不自由もない生涯を約束されているにも関わらず、無理矢理連れて来られた二人の心は日に日に荒んでいった。
「ああ……… 暇、ヒマ、ひま………」
天使らしからぬポーズでソファに寝そべり、カノンはテーブル中央の大皿に盛られているマナを適当に摘んでいた。マナは天界独特の食べ物である。琥珀色や白色をしていて、丸くて薄くて、妙な感触の食べ物だ。最初は二人とも胡散臭そうに眺めて手をつけなかったが、食べてみると何とも言えない甘さとコクのあるミルクのような味がクセになり、今ではカノンの方が病みつき状態になっている。オリンポスの神々が食すアンブロシアやネクタル酒と同じようなものである。カノンはマナをまとめて2、3個重ねて口に入れるとサガへ声をかけた。
「兄さん、少しは食べた方がいいぜ。けっこうイケるって言ってたじゃないか。」
「食べたくない。全然お腹が空かない。」
「確かにな…… でも、食うか寝るかするくらいしか、大してやる事ないんだよなあ。」
双児宮での最も大切な仕事が “双子座流星群大放出” と知った時、二人は愕然とした。流星といってもその正体はせいぜい1ミリ大の宇宙のチリであり、地球の大気圏を通過する時に派手な燃え方をするため、いかにも星が落ちるように見える現象である。その日が来ると、彼らはつまらなそうな顔で一晩中丸い小さなビーズを地球へ向かって投げ続けた。
「いっそG.E.を撃ってやってもいいだんけどな。地球はどうなるかなあ。」
「天界でもすでに私たちは問題児だ。カノン、お前も自重するって言ってただろ?」
ここへ連れて来られてから、二人は隙をみて何度も脱走を試みた。その度に天使の監視役である主天使たちに連れ戻され、今では脱走の常習犯として知られている。捕獲回数を重ねるうちにさすがにマズい処へ堕とされる予感がしてきて、彼らはしばらく大人しくすることにした。それからはただ時間が無駄に過ぎていくだけで、今はもうどれだけ日数が経ったのかもわからない。半年なのか、一年なのか。空も常に夜空である。この何の変化も起きない退屈な生活がいずれは自分たちの記憶さえも曖昧にし、無気力になっていくようで、それを考えるとサガは恐ろしくなって我が身を抱きしめた。
「アイオロス……… お前に会いたい…… どうしているかな…… もしかして誰かと一緒にいるのだろうか……… だとしたら寂しいな……」
深い哀しみに喉が詰まり、サガは顔を伏せた。ここへ来てから、こんな風にサガが泣いている姿をカノンは数え切れないほど見ている。気の毒とは思うが、自分たちの力では今のところどうしようもない。いつものように頬杖をついてぼんやりとサガを眺めていると、耳元で急にカチャカチャと音がしたのでカノンはそちらを振り返った。
「お久しぶりです、大天使アンブリエル様!」
お茶の用意をしていたのは、彼らを聖域まで迎えに来たエクスシアイたちだった。天使長ミカエルに謁見する時までは一緒にいたが、それ以降は会っていなかった。懐かしい顔に出会って、カノンは友人のように彼らに声をかけた。
「あ??あの時の…… お前たち、ここの住民になったのか?」
「はい。今日からこの宮にお世話になります。大天使アンブリエル様。」
「同時に喋るな。気持ち悪い。」
カノンの嫌そうな言い方に、二人は声を揃えて子供のように笑った。天使というものはかなり天然な性格らしい。特にこの二人の図太さは筋金入りだ。彼らは慣れた手つきで紅茶のような薫りのする飲み物をカップに注いでいる。サガよりも少し濃いプラチナブロンドの髪を指先に巻きながら、カノンは面白そうに二人に言った。
「なあ、お願いだから俺たちを堕天使にしてくれないか? ここから蹴落としてくれよ。俺たち、地上に帰りたいんだよ。」
「それはおやめになった方がいいです。」
「なんで??」
「堕天使が行く所は地獄です。地上ではありません。下級の天使ならたまにお仕事で地上に行けますが、大天使アンブリエル様はもうそこに行ける身分ではございません。位の高い天使はわざわざ地上には赴かないものです。」
「地獄か…… 地獄でカマキリ悪魔になりたくないしなあ……… あ、そうだ。俺、聖闘士の修行中に旧約聖書を読まされたけど2ページで脱落したぜ。いいのか? そんないい加減な天使がこんなとこにいてさ。」
「構いません。お二人は存在そのものが大天使様ですから。」
構わないのかよぉ?、とカノンは落胆してのけ反った。うまいこと地上へ帰る手立てがないか、期待を持って耳をそばだてていたサガもため息をついてまた顔を伏せた。
「じゃあ、これは使えるかな。俺たち兄弟はな、聖域にいる頃にすごい悪さをしたことがあってさ…… 」
「やめろカノン。その話はデカい墓穴を掘りそうでイヤだ。」
サガの一声でカノンはすぐに口を閉じた。しかし、カノンの質問攻めは意外にも二人の好奇心を煽るらしく、テーブルクロスを整えながら次の質問を待っている。カノンは咳払いをしてからすぐに別の話題に切り替えた。
「なあ、本物の大天使アンブリエル様はどこにいるんだ? 俺たちは代行者なんだろ?」
「初代のお方ですか?ここにいらっしゃいますよ。この双児宮そのものが最初の大天使アンブリエル様です。ご自身の姿を変じることで、双子座を守る永遠の神殿を建てられたのです。」
それを聞いたカノンは、だらしなく座っていた格好をすぐにやめてキチンとソファに腰かけた。サガも何となく座り方を正して膝をかかえ直している。
「じゃあ、私たちの先代の守護者は?」
今度はサガの方が質問すると、二人は少し?を赤らめて嬉しそうに答えた。
「かなり前に昇格されました。今は天上にいらっしゃいます。下級天使は数え切れないほどたくさんいますが、上の階級ほど極端に人数が少なくて、優秀な天使は常に上の方へに引き抜かれるのです。とにかく天上は大忙しで手が足りないんです。」
「そうか…… 偉くならないように気をつけよう………」
カノンは二人に聞こえないように呟いた。
「聖域十二宮の聖闘士たちと同じです。時代ごとに守護者も変わって、聖闘士ご本人の生い立ちとその宮の神話はあまり関係ないと聞いています。」
「言われれば確かにそうだな。双子座の聖闘士は別にカストルとポリュデウケの生まれ変わりではないし、他の宮の奴らもみんなそうだった。シャカなんて乙女座なのにお坊さんだったもんな。」
カノンの言葉に、サガは懐かしさを覚えてクスリと小さく笑った。ほんの少しだが、久しぶりに笑った気がする。“お坊さん”という響きが可笑しかったらしく、二人はくすぐったそうに笑い出した。この二人の会話はとても快活だった。カノンたちが知りたいと思っていたことも明瞭に答えてくれる。正直、自分たちに対して畏れ多い態度しか取らない他の天使たちがとても退屈だったので、サガとカノンはこの二人と再会出来たことに内心ホッとしていた。すると、今度は二人の方から話し始めた。
「私たちも今まで能天使エクスシアイの地位にいましたが、このたび昇格いたしまして、こちらの双児宮に来る事ができました。仲間たちがとても羨ましがっておりました。お二人のような素敵な大天使様に仕えることが出来てすごく嬉しいです。自分たちの将来にとって、ここはとても大切な場所ですから。」
「自分たちの将来って?」
「とても大事な将来です。私たち双子にとっては。」
「双子!??」
さすがにサガも驚いてカノンと声を合わせた。二人はまるで意に介さない表情で、大鍋からトングでマナを掴み大皿に盛り足している。カノンはすぐに疑問を投げかけた。
「お前たち、全然似てないじゃん。髪の色もブロンドとレッドだし、目の色も違うし、背格好…… は同じか。それでも双子??」
「似てない双子は他にもいらっしゃいますよ。七大天使のお一人である大天使メタトロン様とサンダルフォン様は全然似てませんが、れっきとした双子の兄弟です。しかも弟のサンダルフォン様は兄のメタトロン様より遥かに身体が大きくて、ご兄弟で並んでいる所は見た事がありません。だって身長差がありすぎて釣り合いませんから。」
その姿を思い浮かべたのか、二人はまた声を揃えてクスクス笑った。いつのまにかカノンの横にサガが立っている。カノンもゆらりと立ち上がり、裾で口元を抑えて笑っている小さな双子に近寄ると、上から思い切り見下ろした。サガとカノンの顔が陰っている。その迫力にさすがの双子もピタリと笑うのをやめて真顔になった。カノンは迫り上がる感情を押し殺しながら、一言一言優しい声色で尋ねた。
「君たち、さっき “大事な将来”って言ってたね…… それって、どういう意味なんだい?」
「お二人が何らかの理由でこの宮をお離れになる場合、私たち双子が跡を継ぎます。たとえば昇格されるとか、他の大役を任せられるとか。」
「 継ぐ……………… 」
サガとカノンはさらに二人ににじり寄った。額から一筋の汗が流れ落ちる。小さな双子は迫り来る大男たちを見上げながら、思い出したように同時に手を打った。
「そうそう。それから、先代の守護天使様からご指名を頂いた時にも。」
「た、たとえば今、俺たちが “ここの守護天使になれ” と言ったら??!」
二人とも緊張で?がピクピクしている。サガは失神寸前で、カノンがその腰を後ろから支える始末だ。小さな双子はニッコリ笑顔で元気よく答えた。
「はい。ご指名頂いた瞬間から、私たちはこの宮の正式な守護天使になります。」
ああ、何という素晴らしい返事なのだろう…… 神はやはり私たちを見捨てていなかったのだ。この宮でこの小さな双子と再会出来たことは最高のラックだ。祈りは届いた。そして叶えられたのだ……… サガとカノンの瞳から喜びの涙が溢れ出た。自分たちの身分などとっくに忘れた二人は、小さな天使たちの前にうずくまり、泣きながら深く頭を下げて言った。
「お願いです。私たちの代わりに、今すぐここの守護天使になってください………」
綺麗な星空だ…… 夏の夜は特に星が美しい………
アイオロスは祭壇で祈りのポーズを作ったまま、ボーッと虚ろな目で空を見上げていた。あれから三年が過ぎ、アイオロスは名実共に聖域歴代最高の教皇となっていたが、その心には未だ埋めることのできない空洞がぽっかりと口を開けている。祈っても祈っても届かないこの願い。あれだけ諦めないと硬く誓ったこの愛も、奇跡のかけらも起きないのでは次第にその気持ちも萎えてくるというものだ。最近は教皇の間にいる時もボンヤリすることがあり、アイオリアやシュラが心配してよく声をかけてくる。いっそ彼らを教皇に選んだ方がいいのでは……… って、何を考えているんだ私は!ダメだこんな弱気では。アテナはいつもおっしゃっているではないか。希望を捨てるな。聖闘士は希望の戦士。しかも私は射手座の黄金聖闘士だ。聖域を統べる教皇だ!諦めるな。あきらめ……… あき…………… ああ。アイオロスは組んでいた手をだらりと崩し、祭壇に額を擦り付けて項垂れた。
「もうくじけそう…… サガ…… 何故そんな遠くに行ってしまったんだ…… 」
スターヒルでの星見の際、アイオロスは人馬宮から聖衣を持ち出して装着すると、小宇宙最大で何度も夜空に飛び上がった。無理だとわかっていても諦め切れない。しかし、奇跡は起こせなかった。大気圏を超える事が出来ても、星の距離まで小宇宙を燃やすのは至難の技である。黄金聖闘士ならば…… と思っていたが、それにも限界がある事を嫌ほど思い知らされた。恐らく前教皇シオンでもこの距離は無理だろう。上がっては地上に落ちることを繰り返し、そのうち疲れ果てて小宇宙も持続できなくなった。地上に落ちた時に強かに身体を打ちつけて傷を負い、情けなくて泣いたこともある。黄金聖闘士の羽根ごときでは、天使の羽根には遠く及ばないのか。このままサガと再会することなく自分は一人老いていくのだろうか…… せめて死ぬ時くらいは天使のサガに迎えに来て欲しい。そんな悪い想像ばかりが溢れ出て、精神を食い潰されそうになる。
いやいやいやと頭を振り、アイオロスは無気力な自分を戒めて、真剣な顔で再び祈り始めた。
「やっぱり私は諦めないぞ。諦められるわけがないじゃないか…… 愛しいサガ、私はお前と必ず幸せになるんだ。私は信じる!絶対諦めない!」
その時、アイオロスの耳に微かな音が届いた。
「…………… ん? 何だ今のは……… 音……というより…… 声?………」
微風にかき消されそうなほど小さな声だったが、名前を呼ばれたような気がする。今も夜空にその音がエコーしているように聞こえる。アイオロスはもう一度聞き耳を立てた。聖域はしんと静まりかえり、何も聞こえない。先ほどの声はひょっとして噂に聞く“星の囁き”というものだろうか。
「馬鹿な…… 幻の声を聞くとは情けない。それにここはスターヒルだ。私以外の者がいるはずがない。」
アイオロスは大きくため息をついて、もう一度空を見上げた。
「あ……… おや?………… あれ??? お、おい、おおっ、あ、あーーーーーー!!!?」
落ちてくる。瞬く星の間から、手を繋いだサガとカノンが満面の笑みで。天使の羽根ではなく、彼ら自身の小宇宙で。彗星のように黄金の尾を長く引きながら、彼らは聖域の星空を一直線に突き抜けてくる。まさに地上に着く直前、減速したカノンは体操選手のように綺麗に着地し、サガは笑顔のままアイオロスに飛びついた。その勢いで二人はスターヒルの床を削るほど転がったが、聖闘士である彼らはこの程度ではかすり傷一つ負わない。キョトンとしたままサガを抱き止めるアイオロスに、サガは自分から思い切りキスをした。
「アイオロス!…… アイオロス!…… アイオロス!!!」
最愛の人の名前を連呼し、信じられないくらいたくさんのキスをして、サガはアイオロスにしがみついた。頭の中が全く整理できていないアイオロスだったが、これだけはハッキリと認識できる。サガは帰ってきた。自分の腕の中に最愛の人が帰ってきたのだ。言葉を交わすよりも先に二人の目から涙が溢れ出た。笑いながら、泣きながら、彼らはカノンが見ているのも構わずに再び何度も何度もキスをした。すっかり昔の面影を取り戻したサガがこの腕の中にいる。この青銀の髪も、深き翠の瞳も、全部あの頃のままだ。アイオロスはサガの顔中にキスを贈った。
「双子座の守護天使を辞めるまではよかったけど、その後がけっこう大変だったんだぜ。」
倒れたままサガを抱きしめているアイオロスに、こちらも元の姿に戻ったカノンが腕組みしながら事の顛末を話し出した。
小さな双子の天使に宮の守護を任せた後、二人は覚悟を決めて互いの拳で羽根を切り落とした。絶対的に自分たちを天使界にいられなくするためだ。双児宮は大騒ぎとなり、大事件としてすぐに天使長ミカエルの耳に入った。断ち落とされた羽根は二度と生えてこない。当然、天使長ミカエルは烈火のごとく怒って二人を石の館に幽閉してしまった。罪を犯した天使が厳罰を受ける前に収監される館である。ここへ入ると大抵は地獄行きと噂される恐ろしい部屋だった。もともと二人には脱走の前科が山ほどある。今まで彼らに対して格別の寵愛を与えてきたミカエルも、今回の件はさすがに堪忍袋の尾が切れるというものだ。しかし、それ以上にミカエルが納得できなかったのは、彼らがそこまでして反逆する理由だった。天使として超越した力を与えられ、不老不死をも約束されているのに、自らその力を捨てて地上に帰りたいと訴えている。羽根を断ち切る行為は凄まじい激痛を伴い、生涯に渡って本人たちの背中に大きな傷跡を残す。しかも事あるごとに焼けるような痛みが走り、彼らを苦しめるのだ。肉体を傷つけてまで、無限の命よりも限りある寿命を選ぶ天使を見たのは初めてだった。だからこそ理解できない。罪深き二人への処遇に悩むミカエルだったが、そんな彼を優しく諭したのは、彼の右腕とも言える大天使ガブリエルだった。天使界で唯一の女性体と言われるこの慈悲深い天使の言葉は、厳罰を考えるミカエルの心を動かした。
「ミカエル様、あの二人は地上へお返ししましょう。天界の者として生きるはずだった彼らが誤って地上に生まれてしまった事は、もともと私たちの手違いでもあります。しかも彼らは異国の女神に仕える戦士。十分にその神秘の力を平和のために役立てていると言えるでしょう。」
この言葉で、石屋から解放されたサガとカノンはついに地上への帰還を許された。ただ、背中の傷のために二人は瀕死の状態だった。そこで癒しの力を持つ大天使ラファエルが呼ばれ、彼らの傷を跡形も無く完全に治した。また、囚人としての粗末な衣は取り払われ、彼らの生まれ故郷ギリシャの衣装であるペプロスが与えられた。
天界を離れる時にはミカエルを始め大勢の天使たちが見送りに集まったが、その中にはあの小さな双子の姿もあった。大天使ガブリエルに肩を抱かれ、涙をためてこちらを見ている。サガとカノンと目が合うと、彼らは泣きながら走り寄ってきた。
「どうしても行っちゃうんですか? 寂しいです。ずっとここにいて欲しいんです。」
小さな双子はサガとカノンにすがりついて泣いた。双児宮の新しい守護天使である双子の羽根は急速に成長し、かつて自分たちが持っていたのと同じくらい立派な翼となっている。
「ごめんな。でもお前たちが次の守護天使になってくれて嬉しいんだ。オレたちは地上の双児宮を守る。天と地で一緒に双子座を守ろうな。」
カノンの言葉に双子は涙を拭きながら頷いた。サガが頭を優しく撫でると、また声を上げて泣き出したので、今度は四人全員でしっかり抱きしめ合った。サガとカノンの罪が少しでも軽くなるよう、彼らがガブリエルに口添えしてくれたのは間違いない。二人にとって、彼らこそ本物の天使だった。サガとカノンは深い感謝の気持ちを込めて、双子の?にそれぞれキスをした。出発の時、二人は手を繋いで黄金の小宇宙を極限まで高めた。羽根はなくても、二人分の小宇宙を合わせればきっと地上まで帰ることが出来る。天使たちの大歓声に送られて、二人は愛しき故郷を目指して宇宙へ飛び出した。
「祈りが届いたんだな…… 夢みたいだよ。天使が本当に空から降ってくるなんて。」
「アイオロス…… アイオロス…… お前、何だか年を取ったみたいだ。」
涙で顔中を濡らしながら、サガはアイオロスの?を撫で続けている。
「ははっ イイ男になったって言ってくれよ。お前たちが旅立ってからもう三年経ってるんだ。みんなそれなりにイイ年になってるさ。」
その年数に二人は驚いた。時間の感覚がなかったとはいえ、三年という月日はあまりに大きい。あのまま解決せずにいたら…… あの小さな双子が来るのがもっと遅かったら…… その間に聖域の者たちは…… そう考えるとゾッとする。こうして再会できたことに改めて感動を覚えた三人は、ついに肩を組み合って大泣きをした。いつでも彼らは希望を忘れず、夢を叶えるために勇気をもって危険に挑み、そして未来を信じて心から祈り続けた。三者それぞれの想いが今すべて報われたのだ。
「さ?て、オレはそろそろ退散しようかな。久しぶりにこっちの双児宮の様子でも見てくるか。」
鼻をすすりながらカノンはちらりと二人に目配せした。途端に抱き合ってたアイオロスとサガは顔を赤くしたが、その眼差しは明らかに感謝を示している。カノンは笑いながらスターヒルからアテナ神殿に向かって軽々とジャンプした。
「星を行き来するようになると、ここからアテナ神殿の距離など大したことないな。」
スカイブルーのペプロスをひるがえし、一っ飛びで姿を消したカノンにアイオロスは目を丸くした。さすがは最強を謳われる双子座の黄金聖闘士だ。この二人の存在を取り戻した地上は、この先の平和を約束されたようなものである。サガはアイオロスにすがりつき、その首筋に顔を埋めた。
「アイオロス…… 会いたかった……… 毎日お前の事ばかり考えていたんだ……」
「嬉しいよサガ。私もずっと信じていた。お前と必ず幸せになるんだって。こんな綺麗な天使に見守られていたんだな…… 私は世界一幸せな男だ。」
「大好きアイオロス…… もう絶対離れない…… 離さないで………」
アイオロスはサガを大切に抱き抱え、祭壇に横たえると自分もその台に上がった。ライラック色のペプロスを着たサガは、まさに地上の天使と呼べる美しさだ。大理石の台の上で二人ぴったりと寄り添い、互いの手を絡めて星空を眺める。この果てしない距離を越えて、恋人たちは再び巡り会い、そしてもう二度と離れることはない。
「愛って、すべてを超える事が出来る力なんだな………」
いつもなら吹き出してしまうような台詞だが、今の二人には何よりも感慨深い言葉だった。愛の力がなかったら、この夢は本当に叶わなかったかもしれない。愛しいアイオロスに抱かれながら、サガは夜空に輝く双子座を見上げた。あの小さな双子の守護天使が手を振ってくれているように感じて、サガは笑顔でその光に手を伸ばした。
説明 | ||
アイオロス、サガ、カノンの物語ですが、CPはロスサガです。天界にも黄道十二宮があると知ってから1度書いてみたかったお話です。天使界については資料をもとに書いていますが、アレンジが多いので予めご了承ください。 | ||
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