葛の葉との絆語り -悠-
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弐月某日、某所。

綺麗に晴れ渡った青空から差し込む陽光が、山奥のひんやりとした冷気と合わさり心地よいものに変えてくれる。

冷たいようでいて、その実心身に響くような温かさを含んでいる。そう、まるで葛の葉のように。

「オガミ。ちょっとだけ付き合ってもらうわよ」

ちょっとだけと言いつつ、詳しく聞いてみればほぼ丸一日付き合わされそうな事案。

おまけに語尾が強引だ。いつもの事、と言ってしまえばそれまでだが……。

多少仲良くなったとは言え、俺が彼女の主人であるという事実は変わらない。

なのに相変わらずこの妖狐は俺への接し方を変えようとしないのだ。頭を垂れ、傅く葛の葉というのも気味が悪いが。

まぁ頼み方がどうであれ、こちらに断る理由はない。

そんなワケで、葛の葉と二人きりでどことも知れぬ山奥の古民家へとやって来た。

何故他の式姫達を置いてきたのか、それは葛の葉の希望によるところ。

山道を歩くのはさほど辛くなかったが、とりわけ鈴鹿御前をなだめるのに一時間以上も説得を続けたのは非常に疲れた。

 

葛の葉はここへやってくるなり早々に台所へと姿を消した。

部屋で待っていろと言われたので、あちこち傷のある机に頬杖を突きながらぼんやりと外の様子を眺めていたのだが

いかんせん退屈なので和室からこうして陽の当たる縁側へと移動していた。

誰の持ち家かも知れない全体的に年季の入った建物だが、さほど汚れてはいない。

庭や玄関先でも散らかった様子は見られなかった。

かといってこんな辺鄙な所に日常的に人が訪れるとも考えにくい。

俺はあくまで請われるまま――というよりほぼ強引に連れて来られただけなのだ、その辺の事情など露も知らぬ。

となると、ここへ来る事を想定してあらかじめ手入れや掃除がしてあったとしか。

「……とんだ物好きだな」

三角巾を被り、割烹着に身を包んだ葛の葉が箒で廊下を掃いている様を想像して俺はほくそ笑んだ。

それを指摘すると恐らく怒るか誤魔化されるので、あえて口にはしないでおこう。

微笑ましい回想から眼前に広がる自然の風景に意識を向ける。

季節はまだ冬という事もあり、呑まれるような夏の新緑の生命力や、燃えるような秋の派手な装いには遠く及ばない。

弱弱しく枯れている木々もあれば、緑を茂らせているのもある。

常緑樹、というヤツだろうか。それ以上は詳しく知らない。

頬を撫でる風が、自然の香りと時折名も知らぬ小鳥のさえずりを運んできてくれる。

寂寥感が漂うのは否めないが、しかしどこかホッとするのだ。これはこれで良い、と心が頷いている。

なんとも不思議な気分だった。深呼吸をすると、暖かさを含んだ清涼な山の冷気が肺の中に広がりいとおかし。

「ふう。落ち着くなぁ……」

こんな場所でのんびり過ごすのは、はたしていつ以来だろう。

討伐や祭事に追われ、忙しい日々で擦り減ってしまった心の余裕が滾々と満ちてくるようだ。

 

廊下をこちらにやってくる足音が聞こえたので、俺は慌てて部屋にすっ飛んで戻った。

別に怒られはしないだろうが、部屋で待っていろと言われたのでつい体が反射的に動いてしまう。

炬燵に足を突っ込んでしばらくすると、すっと襖が開かれ、そちらに首を向けた俺は口をあんぐりと開けた。

「こちら、チョコレートパフェでございます。どうぞお召し上がりください」

メイド服に身を包んだ葛の葉が、何食わぬ顔で盆から甘味とスプーンをコトリと移す。

「…………葛の葉」

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」

「ふざけるな、誰がチョコレートパフェなんて頼んだ。というかなんだその恰好は」

「これはメイド服と言って――」

「そんな事聞いちゃいない」

「何よ、似合わないの?」

唐突に普段の口調に戻った。

「いや、それは、えぇと……」

口ごもる。似合うと言えば似合ってはいるが、彼女のペースに巻き込まれて切り口を見失ってしまった。

「はぁ、気の利かない主ね。褒め言葉は開口一番に聞きたかったのに」

「気の利かないのはお互い様だろう。そういう事は思っていても口に出さないのが普通だ」

「そうね。長年の付き合いで私にまで悪癖がうつってしまったみたい」

葛の葉が座布団を山から引っ掴み、俺の隣に座った。

この寒い季節にわざわざミニスカートを選ぶとはね……程よい肉付きの太ももが、パフェよりも美味そうだ。

頭のヘッドドレスといい胸の谷間が見えそうな衣装といい、的確にこちらのツボをついてきている

そんな恰好で俺が喜ぶとでも思ってるのか。あぁそうだ、内心めっちゃ喜んでるよチクショウ。

「はい、あーん」

「う……」

「何?恥ずかしいのかしら?」

食べさせられるのは初めてではないが、メイド服でされると普段とは違った、その、なんとも言えない気分になる。

「は、恥ずかしくなんかないぞ」

「ほら、早く口を開けなさい。溶けちゃうわよ」

ぱくっ。チョコアイスの甘さが、口一杯に広がる。

「……んまい」

「ふふ、頑張って作った甲斐があったわね」

そう言うと葛の葉は、一口、二口……俺の見ている前で、パクパクと自分で食べ始めた。

「おい!?」

「何よ」

「俺の分……」

「これは私が作ったんだもの、上げるなんて言ってないわよ」

いやいやいやいや、毒味係か俺は。というか一体どうやって作ったんだ?

材料はともかく、この家にそんな設備があるとはとても思えない。

気にはなるが、まぁどうせ尋ねた所でうまくはぐらかされるに決まっている。

「…………」

何も言い返せず黙ったまま俯いていると、葛の葉がちょんちょんと肩をつついてきた。

先程より心なしか笑っているように見える。落ち込んだ主の姿がそんなに美味しいのか貴様。

「仕方ないわね。ほら」

ずい、と容器ごと葛の葉が差し出してくる。

「えっ?」

「後は自分で勝手にどうぞ」

「…………」

「ふふっ冗談よ、そんな顔しないの。はい、あーん……」

チョコパは美味いのに、なんだろうこの胸の内に渦巻いている悔しさは。

 

古民家にメイド服、そしてチョコパというなんとも珍妙な取り合わせ。

当初は面食らっていたが、黙々と口を動かしているうちにすっかりどうでもよくなっていた。

縁側の外に広がる風景と同じ。季節によって自然はいつも違った姿を見せてくれるが、これぞ正解というモノはない。

したがって、メイド服の葛の葉も――また良しだ。

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空になった容器を葛の葉に片付けてもらい、今は二人して炬燵に足を突っ込みながら蜜柑を剥いている。

「静かだな」

耳に入るのは、じゃりじゃりという蜜柑の皮を向く音と炬燵の発する電源の音だけ。

時計は葛の葉が外したのか、どこにも見当たらない。おかげで時間を気にせずゆっくりできる。

時刻は恐らく、昼過ぎあたりかな。

「たまにはこういう静かなのもいいでしょ?」

「そうだな……」

自然とお互いの口数も少なくなる。蜜柑の盛り籠の傍には、白い湯気が立ち上っている湯呑み。

喧騒からかけ離れた秘境で、二人きりで過ごすゆったりとした時間。

四方を自然に囲まれた中で忙しさを忘れ、もっちゃもっちゃと味わう蜜柑は実に美味い。

「なぁ、葛の葉」

「あーんして欲しいの?」

「違うよ。今日は、ありがとうな。……あてっ」

もふん、と葛の葉の尻尾が頭を叩く。

「それを言うのはまだ早いわよ。焦らずに、のんびりしときなさいな」

「…………」

「折角二人きりで来たんだから……しっかり癒されてくれないと承知しないわよ」

小声で葛の葉が呟く。

「何だって?」

「なんでもないわ」

「…………」

会話が途切れたので、俺達は蜜柑を咀嚼するのに集中した。

時折お茶を口に運ぶ。

「はあぁ……うまいのう」

「ふふっ」

ん?何がおかしいんだ。

「年寄りじみた子供みたいね」

なんだかよく分からない喩えだ。

「そっちの方が俺より遥かに年寄りだろう。あてっ」

もふん。

「ごめん、ごめんってば。あっ、ああっ……」

もふんもふんもふもふもふ。

止めてくれ、蜜柑が食えない。あっでも気持ち良いからやっぱり止めないで。

 

「ふー……」

蜜柑をあらかた食べ終えて、大分腹が膨れた。

そのまま両手を上げてごろんと後ろに倒れる。と、後頭部にふわりと柔らかい感触が。

「あっと、すまん――」

慌てて起き上がろうとする俺の額に、葛の葉の手が置かれる。

「いいから、そのまま休んでなさい」

一瞬躊躇したが、俺は力に逆らわずそのまま葛の葉の尻尾に頭を預けた。

「葛の葉」

「尻尾枕、気持ち良い?」

「あぁ、気持ち良いよ……」

ふかふかの尻尾、葛の葉の香り。そしてぬくぬくの炬燵。

目がとろんとしてきた。

「ごめん、ちょっと寝る……わ」

返事を待たずに目を閉じる。

出来る事なら少しでも長くこの尻尾の感触を味わっていたかったけれど――あっという間に暗闇へと意識が沈んでいった。

 

そして夜。

夕食と風呂を済ませれば、もう辺りは真っ暗だ。

「泊まるなんて聞いてないぞ」

「あら、暗い夜道で妖に襲われてもいいの?」

「う……」

「ほら、さっさと布団に入った入った。山の夜は冷えるわよ」

一つの部屋に布団が二組。なんで同じ部屋で寝なきゃならんのだ……。

ぺしぺしと尻を叩かれ、廊下で戸惑っていた俺は仕方なく寝室へと踏み入った。

言われた通りそのまま布団に潜り込む。葛の葉の尻尾には及ばないが、お日様の香りがする布団はそれなりによく眠れそう。

互いにおやすみの言葉を交わした後、目を瞑るが……。

 

眠れない。

 

昼寝したからというのもあるが、妙に心がそわそわする。

別にすぐ傍で眠っている彼女を意識しているワケではない。……ハズ。

「…………」

寝返りを打つと、蝋燭の仄かな灯りに照らされた葛の葉の安らかな寝顔が目に入る。

寝入ってからゆうに三十分は経っただろうか。

「葛の葉ー……」

おそるおそる小声で呼びかける。

しばらくすると、葛の葉が目を瞑ったまま訊き返した。

「何よ」

「すまん、まだ起きてたのか」

「自分から起こしておいてよく言うわね」

「…………」

ゆっくりと葛の葉が目を開く。

「眠れないなら私の布団に来る?」

「……いや、余計眠れなくなるだろ」

「ふん、贅沢ね」

贅沢どうこうの問題ではない。

お互いに小声で話し合っているが、外が水を打ったように静まり返っている為、よく聞こえる。

「それで、何の用?便所なら一人で行けるわよね」

「子供扱いするな。えーっと、その……最近さ」

ふと頭の片隅に浮かんだ疑問を口にする。

「前みたいに虐められる事がなくなったから、なんでかなーと思って」

「……そんな事気にしてたの?」

「ま、まぁな」

「そう。私はね、弱い者いじめが好きなの」

「は?」

「そういう事よ。じゃあおやすみ」

「待て待て、まるでわけが分からん」

「ったく、鈍感なご主人様ねぇ。……認めてるのよ、貴方の事」

心臓がドクンと妙な音を立てた。

「全く、余計な事考えちゃって。寝付けないのは今日という日が名残惜しいからなんでしょうけれど」

主の心を見透かしたかのように葛の葉が指摘する。

そして、くすっと笑うと

「明日になった所で私が消えるわけじゃないから、安心して眠りなさい」

と付け加えた。

「ん、うん……」

「それとも子守歌でも必要かしら?」

「ごめん寝るよ、寝るってば」

「おやすみなさい」

葛の葉が目を閉じたのを見届け、俺も目を閉じる。

確かにそうかもしれない。二人きりでこんな古民家に泊まる事なんて、二度とないかもしれないのだ。

葛の葉は主に愉しむ為ではなく、癒されて欲しいからここへ呼んだ。今日一日が終わるまで。

気の利かない妖狐が気を利かせて用意してくれたものを、無下にするわけにもいかないよな……。

よし、俺も寝よう。意識を切り替え雑念を払拭しようとする直前、ふと別の疑問が浮かび上がる。

 

む?待てよ。

そういえば、どうして葛の葉も俺と同じように起きていたのだろう……。

 

 

 

『寝付けないのは――……』

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バレンタインの日のお話その二。

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