愛しいひとへ。−物語編− −パテ− |
『これから行ってもいいかな?』
そんなメールが届いたのは、夜の9時をまわった頃だった。
友人のたまり場だった我が家には、
0時過ぎてからの来客すら珍しいことではなかった。
『いいよ。でも、主人はいないよ。今日は夜勤なんだ。』
メールを送る。
数分後、返事の代わりに玄関のチャイムが鳴る。
ドアを開けると、
「知ってる。今、店で会った。」
当の本人が、店の袋を少し持ち上げ私に見せながら、笑顔で答える。
「はやっ!そこでメールしたみたいじゃん。」
「店を出るときにした。」
靴を脱ぎながら、友人が答える。
主人の勤める店は、歩いて数分の所にある。
「ええー?私がだめだって言ったらどうするつもりだったの?」
「そしたら、家に帰って一人で飲むさ。でも、炎ちゃんはだめって言わないだろ?」
「まあね。」
そう
誰もこなければ、早朝帰ってくる主人を待って、
音楽を聴きながら、パソコンで何かをするか、本を読むか、するだけ。
外に誰もいないことを確かめてからドアを閉める。
友人達は、何人かまとまって来ることが多かったので、
確かめないと鼻先でドアを閉めることになる。
「他に誰かくる?」
「いや。」
既にコタツに座った友人が、袋から食料を取り出しながら答える。
主人もいない、他に誰も来ない。
珍しいなぁ。
1つの縁に2人座るのはかなり窮屈な小さいコタツに、
友人の90度左隣に座る。
取り出した食料を、並べ終えた友人は訴えるように言う。
「ボジョレー買わされちゃったよ。
店の女の子達に勧められちゃってさ。」
そういえば、今日解禁だって主人が言ってたっけ。
もう、そんな時期なんだ。
「飲もうよ。」
友人は、今年初のボジョレーヌーボーをテーブルの上に置いた。
「店で女の子達がプレゼンしてたよ。
女の子2人に勧められたら、買うっきゃないでしょ。」
「もちろん!買わなきゃ男じゃないっしょ。」
友人のまんざらでもない言い方と声に笑って返しながら、
ワイングラスを取りに台所に向かう。
−なにか、あったんだろうか?
主人がいないとわかっても来るということは、私に何か話したいことがあるのだろうか。
いや、
たまたま他に付き合ってくれる人がいなかったのかもしれない。
それとも、一人で部屋にいたくなかった、とか?
「私は飲めないから、あまり飲まないよ。」
ワイングラスを置きながら言う。
「いいよ。俺が飲むから。」
慣れた手つきで、栓を抜きながら友人が答える。
「無理して全部飲まなくてもいいから。残ったら置いていきな。
主人に飲ませる。」
笑いながら言うと、友人も笑顔になる。
ワイングラスにボジョレーが注がれ、乾杯をした後、口をつけたのだが。
苦いとか、渋いお酒が苦手な私は、一口飲んでグラスを置いた。
友人はと見ると、ぐぐーっと一杯を飲み干している。
(えっ?ワインってそうやって飲むものだっけ?)
あっけにとられて見ている間に当の本人は、
ボジョレーの瓶に手を伸ばし、二杯目を注ぎだした。
すぐに口に持っていき、ぐっと飲む。
「・・おいおい。」
あきれた声て言っても、
「ぷはーっ 美味いねぇ。」
二杯目を飲み干し、友人は少しも動じない。
「いやいや、もうちょっと味わってお飲み下さい。」
「何言ってんの?ちゃんと味わってるから、こうやって飲んでるんじゃない。」
言いながら、手酌で三杯目を注ぐ。
「・・・まじですか。」
酒飲みの言い分は、よくわからん。
それにしても、ピッチがいつもより早い。
友人の様子を気にしてみていても、いつもと変わりは無い。
思い過ごしなのだろうか。
単に、他につきあってくれる友人がいなかっただけなのかも。
しばらくは、いつものように他愛ない話をして、笑っていたのだが、
B.G.M.としてかけていた音楽の、サビにきたときだった。
友人が、急に黙り込んだ。
少し顔を上げて、壁の一点を見つめている。
その目は壁を見てはおらず、もっと遠くを見ているかのようだった。
とても話しかけられる雰囲気ではなかった。
夜更けの部屋に、音楽だけが流れていく。
『何かあった』
それも、『いいこと』ではない。
それが確信にかわる。
聞いて欲しくて来たんだろうか。
1人でいるのが、嫌だったのだろうか。
どちらも、正解な気がした。
その曲が終わり、次の曲がかかっても、友人は黙っていた。
空になった友人のグラスに、ボジョレーを注ぐ。
瓶に入っている時には全くわからない濃い紫色が、透明のグラスに満たされていく。
友人はまだ何かに囚われたように、ゆっくり壁からグラスに目を向ける。
「どした?なんか、あった?」
瓶を天板に戻しながら、訊いてみる。
何気なく。
友人はグラスから目をそらし、自分の手元に視線を移す。
少しの間の後、友人が呟くように言う。
「・・・すげぇな、と思って。」
そして、一気に言葉を繋ぐ。
「『今夜君の部屋の窓に星屑を降らせて音を立てるよ』だって。
すげぇな。
『星屑を降らせて音を立てるよ』だよ?
すげぇ すげぇよ。
俺も、俺もそれができたら!」
そこまで言うと、再び黙り込む。
友人は、満たされたワイングラスを持ち上げ、グラスの紫を見つめている。
私はずっと黙っていた。
彼が、次に口を開くのを待っていた。
言うか言うまいか。
口に出してしまったら、感情が抑えきれない。
そんな感じだった。
静かな音楽だけが、深夜の部屋を流れていく。
少し寒さが増したようだ。
「言いたくなければ・・」
言わなくてもいい。
無理に言うことはない。
口を開くのがつらいなら、ここで何かを言う必要はない。
そう言いかけたとき、友人が口を開く。
「彼女さ、彼女、俺のこと、本気で好きじゃないみたいなんだ。」
思わず、友人を見る。
目は、こちらを見ていない。
グラスの濃い紫を見たままだ。
ああ、あれは、本当のことだったのか。
友人の間で流れていた噂は。
半信半疑だった。
だって、友人はずっと嬉しそうで。
「前の彼氏がまだ好きなんだ。」
「そう、なの?」
(やっぱり・・)
「うん。」
喉をしめらせるように、グラスの中身を流し込む。
「でも、でもさ、俺が付き合って欲しいと言ったら、「うん。」って。
まだ元彼が好きでも、「うん」って言ってくれたってことは、
まだ『付き合ってもいい』程度でも、いずれ俺を好きになってくれるってことだろう?
俺だけを好きになってくれるってことだろう?
それとも、俺だけがそう思い込んで舞い上がってるだけなのか?」
私に言ってると同時に、まるで自分に言い聞かせ、確かめているかのようだ。
「・・・炎ちゃん。
炎ちゃん、前に言ってたろ?
むしり取られた心の穴がなかなか埋められないときは、
代わりが見つからないときは、パテでとりあえず塞ぐんだって。
穴が空いてると、苦しいから、痛いから、寒いから、寂しいから、
とりあえず塞いでくれるものがあれば、それで塞ぐんだって。
でも、パテはパテでしかないんだって。
一時しのぎでしかないんだって。
穴を塞ぐちゃんとしたものが見つかれば、パテはもういらないんだって。
間に合わせに塗ったから、汚くて、色も、なんか周りとあってなくて。
だから、綺麗で周りにあったものが見つかれば、
ボロボロ剥がされて、捨てられるんだって。」
「それは・・」
「うん、わかってる。
それは炎ちゃんの経験からそう言ったんだろ?
でも、今の俺がそうなんだ。
彼女にとってパテなんだ。
炎ちゃんが言うように『パテ』でしかないんだよ!」
そうだね、とも、違うよ、とも言えなかった。
友人は顔を歪めて、私を見る。
辛そうに。
苦しそうに。
−パテ
だから、私の所に来たのか。
長い間、パテでしかなかった私の所へ。
わかって、欲しかったのか。
同じ立場に立ったと。
私だったら、その気持ちをわかってくれるだろう、と。
なんと、言えばいいのか。
代わりは、代わりでしかないのだ、と?
受け入れる方が、代わりじゃないと思わなければ、同化できないのだ、と。
でも
そんなことを友人に言う必要はない。
だめ押しにしかならないようなことを。
もう、痛いほどわかっていることだから。
ボリュームを絞ったはずの音楽が、少し大きくなった気がした。
「Sちゃん。」
ゆっくりこちらを向いた目が、少し赤くなっていた。
ワインのせいなのか、それとも泣いているのか、私にはわからなかった。
「辛いよ。
気がつかないときはいいけど、
気がついたら、
パテでしかなかったとわかってしまったら。」
友人は顔をこちらに向けたまま、視線だけを動かす。
「私は絶望して、その穴と完全に同化する努力をしないであきらめてしまったけど、
Sちゃんは、あきらめないで頑張る?」
友人は、視線の方に顔を向ける。
「頑張っても、だめかもしれない。
でも、報われるかもしれない。
元々、頑張るようなことじゃないのかもしれないけどね。」
友人は、ゆっくり顔を上げると、そのまま天井を見上げた。
そうやって、私も天井を見上げたことがある。
あのときは、絶望して、許せなくて。
そうして、決めた。
彼は、友人は、どういう決断をくだすのだろうか。
やがて、友人は決心したように言った。
「やってみるよ。
まだ、始まったばかりだから。
パテで終わらないように頑張るよ。」
「・・うん。」
−そうか。
辛いよ。
ものすごく。
でも、Sちゃんが頑張ると言うなら
何も、言うまい。
私は、元々、Sちゃんに何かを言う資格などないんだ。
私は、『パテ』だったけど、
全てをあきらめたとき、
自分から引きちぎるように剥がれ落ちてきたのだから。
「これからどうなるか、わからないけど。
だめかもしれないけど、頑張ってみる。」
少し力を込めて、友人が言う。
「・・・うん。
・・また悩んだら、話しに来て。
何もしてあげられないけど。
聞くことだけはできるから。」
それしか、私に言ってあげられることはなかった。
「うん、ありがとう。
それでいいよ。
それだけでも、十分だ。」
友人はそう言うと、グラスの中の残ったワインを一気に飲み干した。
何ヶ月か後、友人と彼女の破局の顛末を聞いた。
「炎ちゃん、俺はパテにさえなれなかったんだよ。
破けた障子にとりあえず貼っておく紙、あるだろ?
あれでしかなかったんだ。」
あの歌詞を、友人が「すげぇな」と言ったときから、
こういう結末になることがわかっていたのかもしれない。
ただ言えることは、
友人は、本当に彼女の事が好きだったんだと。
本当に、愛していたのだと。
ただ、それだけ。
説明 | ||
『愛しい人へ。』を物語風に書いてみました。 作中の『炎華』は単なる聞き役ですので、私本人ではないです。 |
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