夜摩天料理始末 50
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 ぞわりと金色の毛が逆立つ。

 途方も無い悪寒が藻の背を走る。

 何じゃ、この力は。

 慌てて巡らせた視線の中、この庭の中央に聳える天柱樹が、淡い燐光を帯びていた。

 まさか、これもこの天狗の軍略か。

「貴様、まだ何か企んで!?」

「さて……な」

 藻の足下で、鞍馬が苦痛に耐えながら、呻くように口を開く。

 その低い言葉をより聞こうとするように、藻は顔を鞍馬に近づけた。

「言え!あれも貴様の策じゃろう、何を企んでおるカァ!」

「私の虚名を買い被って頂いてるようで、真に恐縮だな……」

 鞍馬の口元が微かに笑みを形作る。

 それは予兆のような、微かな物でしかないけど。

「戯言をほざくナァ!」

 更に鞍馬の体に、藻の鋭い爪が食い込み、血が流れ出す。

 だが、その肉体的な苦痛が、今はさほどに辛くない。

 鞍馬は自分の中に、主と繋がる絆の存在が微かだが蘇ったのを確かに感じていた。

「貴様!何がおかしい!」

 そう藻に吼えられて、鞍馬は自分の口が笑みを作っている事に気が付いた。

「おや、これは失礼した。いや、私の策など所詮は下世話な物だと自嘲しただけなんだが、お気に障ったなら悪かったよ」

「なん……」

 なんじゃと、そう言いかけた藻の口から、血が零れた。

 下から、天へと、鋭く彼女の体を貫く衝撃。

 

「餌に食らいついた間抜けな狐を狩るなど、策とも呼べないだろう?」

 

 藻の腹の下、至近距離から更に放たれた複数の矢が、背骨を削り、内腑を引きちぎりながら、更に彼女の体を貫いた。

 これは……これは一体。

 激痛に惑乱しながらも、藻は自分の腹の下に在る危機を押しつぶそうと身を伏せた。

 その気配を察したか、藻の腹の下から、泥にまみれた姿で二人の式姫が転がり出た。

 土中に伏せ、気配を完全に消してひたすら機を待つのも、射手の技の内。

 かやのひめと飯綱が、素早く身を起こして弓に矢を番え、藻を睨みつける。

「き、貴様らは……妾の炎で焼け死んだ筈!」

「私はご主人様の仇を討つまで、死んだりしないもん!」

「お生憎だったわね、貴女の望み通りになる事なんて、この世に何もないのよ」

 その言葉と共に放たれた矢を払いのけようとした藻の体に激痛が走り、動きが鈍り、払えなかった矢が更にその体に突き立つ。

 ぎいと呻きながら、炎を吹いて彼女たちを焼こうとする、その口から、炎と、それ以上の血が吹き出し、嫌な匂いが立ち込める。

 それを見たかやのひめが冷ややかに微笑む。

「ご自慢の狐火が、惨めな有様ね」

「だ、だまりゃ!それ以上妾を害そうとするなら、この天狗の命は亡き物と!」

 

 だが、その時、藻の意識が完全にかやのひめ達を向く瞬間を見極めていた、別の二つの影が動いた。

「鞍馬さん!」

 少し離れた土中から飛び出した小烏丸の切先両刃造りの刃が、鞍馬を抑え込んだ藻の巨大な右腕の筋を断つべく、関節の辺りに強かに切り込んだ。

 藻が激痛に悲鳴を上げる、そして、鞍馬を抑え込んだ右手から力が失われた所に、コロボックルが駆け寄り、鞍馬の体をその手の下から救い出した。

「クラマ、シッカリ!」

「コロボックルさんは、鞍馬さんを安全な場所まで退避させて下さい、ここは私たちで引き受けます!」

 小烏丸の凛とした声に頷くかやのひめと飯綱。

 コロボックルは彼女たちの顔をじっと見てから頷いて、その小さな体で鞍馬の力ない体を背負って走り出した。

 力は申し分ないが、子供ほどの大きさのコロボックルに負われた鞍馬の足が地面をこするが、彼女にはそれを気に出来る程の力も残っていない。

「済まない、コロちゃん」

「ケガしてるのに、しゃべっちゃダメ!」

「そうだね」

「オイシャさんの所ニ、連れて行けばイイノ?」

「ああ、熊野は茶室のあたりで待機している筈だ」

「わかったヨ」

「それじゃ、頼むよ……コロちゃん」

 小さいが暖かいコロボックルの背に、鞍馬は力無く体を預けた。

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 彼女の周囲に散開し、攻撃を仕掛けてくる式姫達に、藻は血走った目を向けた。

 あり得ない……あり得ない。

 奴らは妾の妖炎で焼き払った筈。

 彼女の炎の中で、身をよじり、悲鳴を上げながら崩れていった姿に偽りは無かった筈。

「おのれ、小煩いわ!」

 周囲を素早く動き、こちらに矢を射かける式姫達を煩がり、藻は唸る様に呪を己の尾に込めた。

 分身たる金色の獣のかなりの数が式姫に滅ぼされ、更に本体に多大な傷を負った事もあり、九尾の内、幾つかの尾は既に力を失っているが、まだ動く三本の尾が狐火を纏い、唸りを上げて、縦横無尽に辺りを薙ぎ払う。

 かやのひめと飯綱が、慌てて大きく飛んで距離を取る、だが、小烏丸は、迫る尾を真向から睨み据えた。

「小烏丸、駄目よ!」

 かやのひめの悲鳴のような声を聞きながら、小烏丸は納刀した刀の束に手を掛け腰を落とした。

 奴が鞍馬の仕掛けた策で動揺し、深傷を負って冷静さを欠く今こそ、更なる打撃を与えるべき時である事を、小烏丸は承知していた。

 多少の危険を負ってでも、奴に立ち直る時間を与えてはいけない。

 迫る炎の壁のような尾を見据え、小烏丸は刀の鯉口を切った。

 何より、刀を武器とする自分が、この身内に荒れ狂う怒りを直接奴に叩き付けられる時は、奴が地に伏す今を置いて他に無い。

 小烏丸の、普段は静かな瞳に、激しい炎が灯った。

 三方から彼女に迫る尾の力を感じる。

 小烏丸の逃げ道を塞ぐように動く、激しい妖炎を纏う三筋の尾。

 だが小烏丸の歴戦の感覚は、その尾が、自分に到達するまでの僅かな時間の差を、空気の動く気配から瞬時に見切った。

 呼気を詰めたまま、小烏丸は最初に彼女を正面から襲う尾を、炎に焼かれながらも、寸前で仰け反る様に躱した。

 そこから前に踏み込んで、最初の尾と挟み込むように襲い掛かって来た二撃目を背中に流す。

 彼女の背中すれすれで、尾が空を切る、その風圧すら利用して、小烏丸は短くも鋭い動きで最後に迫る尾に向けて踏み込み、刃を合せた。

 シュッと細く鋭い音が走る。

 真向からはぶつからない、身を低くし、刃の上で尾を滑らせるように、相手の勢いを生かして、尾の下を潜り抜けるように駆けながら切り裂く。

 炎を纏う尾に取り囲まれた事で、小烏丸の体にも妖炎が迫り、霊力で守りきれなかった炎が、その身を焼く。

 だが、その痛みと熱を堪え、小烏丸は刃を振り抜いた。

 巨大な尾がちぎれ飛び、夜闇の中に青白い炎を巻き上げて消える。

 その青白い炎の明かりの中、些かの揺らぎも無く、妖狐の炎を纏いつかせたままの刀を大上段に構え、小烏丸は振り向いた。

 彼女を捉えられなかった二つの尾が、空振りの勢いに引き摺られて、一瞬だが本体さらその動きが泳ぐ。

 それを見た、小烏丸の目が冷たい光を帯びる。

(何と稚拙な戦(いくさ)ぶりか)

 玉藻の前の分身として、生まれながらに持っていた強大な力で敵を拉いできただけの姿。

 かやのひめが粗雑と喝破したように、与えられただけの智と力に溺れた、研鑽なき未熟さが、その一瞬に露呈したようだった。

 その未熟な姿は、力の限界を絞り尽して、様々な大妖怪と戦い続けて来た彼女達の強さには、遠く及ばない。

 低く鋭い跳躍、そして小烏丸が大上段から凄絶な気合と共に振り下ろした刃が、次の動きに移らんとする刹那に僅かに弛緩した尾を、まるで朽ちた縄のように容易く切り裂いた。

 だが、ひぃと叫んだ藻が振り回した、最後の一筋の尾と炎が小烏丸を弾き飛ばし、妖狐の巨体が怖れ慌てたように空に逃げた。

「小烏丸さん!」

「私は大丈夫です!」

 膝を付いて、身を起こした小烏丸の鋭い声に、駆け寄ろうとしたかやのひめと飯綱の足が止まる、その二人に彼女は笑いかけた。

「私は……大丈夫」

 同じ言葉を繰り返す、その小烏丸にかやのひめは静かな目を向けた。

「大丈夫なのよね?」

「ええ、お二人は奴を追って下さい」

「……そうね、そうするわ」

「はい」

 にこりと笑う小烏丸に、力なく笑み返して、かやのひめは飯綱の背を押した。

「行くわよ、奴を追い詰めるわ」

「う……うん、小烏丸さんは休んでてね」

「そうさせて貰います」

 駆け出した二人の背を見送る小烏丸の視界が霞み、傾く。

 後は頼みます。

 小烏丸の小柄な体が、とさりと地に伏した。

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 判らぬ……一体何が起きたのじゃ?!

 藻は、身を隠しながらこちらを追って矢を射かけてくる、かやのひめや飯綱の位置を探るべく、慌ただしく周囲に視線を巡らした。

 崩れた屋敷、塀、炎を上げる庭木、藻の放った妖炎で焦げた大地。

 その目が、あの弓姫達が焼け焦げた屍を晒していた筈の場所に一振りの刀が焼けて転がっているのを認めた。

 あれは……まさか。

「尸解(しかい)かァ!」

「ご名答だけど、そういうのを愚者の後知恵っていうのよ!」

 かやのひめが、髪や顔に土を付けたままの顔で、凄絶な笑みを浮かべ、毒舌と共に上空の藻に矢を放つ。

 尸解、不老不死の術を修めた仙人が、自分は死んだと世間を偽り、静かに俗世を去る為の術。

 剣や青竹に術を施し、時に病死、溺死、焼死など、真に迫る死んだふりをさせる為の、精妙な分身を作る術。

 だが、あの術で作られた分身は、あくまで自然な死を演じるだけの物。

 どう考えても、あれほどの強弓を射る事など出来る筈が無い。

(それではあの矢の攻撃は一体?)

 藻は口から炎を吹き出し、式姫達を牽制してから、射込まれてくる矢を避けて更に上空に逃げた。

 その、上空に逃げる刹那に、尸解に使われた刀の傍らで、いまだ炎を上げる幾つかの道具が、かろじて彼女には見てとれた。

 横にした弓に、台と持ち手を付けたあの形。

(弩(いしゆみ))

 その武器、そしてその特性を認識したその時、藻は自分がどのように鞍馬の策に嵌ったのか理解できた。

 

 弩は、機械(からくり)仕掛けで矢を放つ、古くから唐の国で用いられてきた弓の一種。

 機械であらかじめ巻き上げて置いた強い弦に矢を準備して置き、引き金を引く事で好きな時に発射できる。

 ここ日ノ本の国では余り流行しなかった兵器ではあるが、あの大軍師鞍馬は元々唐の国で軍師としての腕を磨いた身。

 確かにあれならば、矢を放つ引き金に何らかの仕掛けをしておけば、僅かな人数で、あれだけの強弓による一斉射撃を偽装する事も可能。

 そう、確かに藻の見立て通り、八門の迷陣は、狙いを一点に定めるための物だった。

 だが、その真の目的は、機械仕掛けの弩の狙いを事前に固定する為の物。

 藻の途方もない速さに対応するための策だと、彼女をそう勘違いさせる為の。

 本当の罠は、土中に潜んだ式姫達の上に、勝ちを確信した藻を誘導し、油断して無防備な腹部に至近距離から致命的な攻撃を加える。

 その仕上げとして、鞍馬は自らが囮となった。

 

 天才軍師の名をほしいままにする鞍馬を、戦場の駆け引きで出し抜き、勝ち誇る。

 そんな、甘美極まる餌に飛びついた、間抜けな狐。

 

 妾が……この妾が、あの天狗の掌の上で踊らされたというのかァ!

 怒りと屈辱、そして何よりあの鞍馬の知略の底知れ無さが、絶望となって藻の心を覆って行く。

 逃げよう……逃げねば死ぬ、滅んでしまう。

 だが、あれほど自在に空を駆ける事が出来た体が、今は泥中に居るが如く重い。

 華の姫に射ぬかれた心臓近くの太い血管が、動くたびに大量の血を噴きだす。

 管狐の式姫に射抜かれ、砕かれた背骨のせいで、下半身の感覚が怪しい。

 彼女の力の象徴たる、金色に輝く九本の尾も、今やまともに動くのは一筋。

 それも、今は彼女に迫る矢を、辛うじて払うだけの力しか残っていない。

 彼女に備わった絶大な妖力が体の傷を塞ごうとしているが、それすら追いつかない程の深傷。

 目が眩み、血の気が失せて鈍る動きでは、彼女たちの強弓を躱しきれない。

 顔に迫る矢を払おうと、咄嗟に掲げた右腕が、ぶちぶちと嫌な音を立てる。

 あの古刀の式姫に強かに切り裂かれ、辛うじてつながっていた肘から先が、慌てて動かした拍子に自重に負けて、千切れて落ちた。

 防げなかった矢が、彼女の目に突き立つ。

 ぎいと獣のように叫びながら、藻は片目で天を仰いだ。

 月が遠くなる。

 空を駆ける力を失った体が、ぐらりと揺れた。

 更に容赦なく射かけられる矢が、首筋を、内腑を抉る。

 妾は……滅ぶのか。

「玉藻の前……様」

説明
式姫の庭二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/986230

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タグ
式姫 鞍馬 かやのひめ 小烏丸 飯綱 コロボックル 

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