夜摩天料理始末 61
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「間に合いませんでしたか」

 領主が消えた光の輪の前に駆け寄りながら、夜摩天が悲しげに呟く。

 あの魂が現世に戻ったとしても、恐らく現世で滅んだ肉体を前に途方に暮れるだけ。

 彷徨う幽鬼が一人生まれるだけだろう。

 結局、私はあの陰陽師も、領主も、見殺しにしてしまったような物。

 あの陰陽師は、確かにその生の果てに、望みを見出し、満足の裡に滅んだのかもしれないが、それは彼の意思と思兼の慈悲による結果に過ぎず、彼女は傍観者でしかなかった。

 己の手で全てを為せるなどと思い上がる心算は無いが、それは彼女の悔恨を慰めてくれる物では無かった。

 我ながら、なんと無様な事だろうか。

 私は、己の職責を全うする事も、黄龍の封を守るという使命も、主体的に果たせた訳では無く、ただ、状況の幸運に頼って切り抜けただけ。

 私に、夜摩天を名乗る資格など……。

 だが、現実を置いて悔いてばかりもいられない、夜摩天は、一人残った青年の魂の傍らに膝を付いた。

「立てますか?」

 その言葉に、彼は手を少し上げて、握る様に指を動かした。

 まだ自分自身を取り戻し切れてはいないような、そんなもどかしげな顔で、彼は頭を振った。

「……もう少し」

「そうですか」

 それでも、どこか安堵した様子で、夜摩天は力を与えるように、青年の背をさすった。

 その様を、閻魔は何とはなしに嬉しそうに見てから、表情を渋い物に変えつつ光の輪の方を……いや、その中に消えて行った相手を一睨みして、舌打をした。

「にしても、あんの化け狐、欠片一つだってのに、本当にしぶといわね」

 流石に、神々すら巻き込んでの大戦を起こし、敗北したとはいえ、今も尚、世界に災厄を撒き散らし続ける大妖怪だけはある。

 その閻魔の言葉に、夜摩天も頷いたが、何処かその表情に消化しきれぬ不安を漂わせながら口を開いた。

「とはいえ解せません、思兼殿の力を込めた矢を撃ちこまれた以上、玉藻の前自身なら兎も角、殺生石一かけらに彼女の意思を宿した程度の物では」

 逃げ延びる事など、不可能。

「そうね、あれは、彼女の本来の力に近い一撃だった」

「ええ、そしてあの一撃を受けた以上、あの存在は死あるのみ」

 あの陰陽師の命を載せた、分霊の彼女が放てた一撃としては、あれ以上は望むべくもない一矢。

 叡智の征矢の一撃からは逃れる術は無い、何れその穢れた力は浄化される。

 それが判らぬような玉藻の前では無いだろうに、数刻も望めぬ命を永らえる為に、何故いまさら人界に逃げたのか。

「色々判らない事だらけよね……」

 何でも知ってそうな女神様の分霊は、ここに顕現するだけの力を失い去ってしまったし。

 はぁ、とため息を吐きながら、閻魔は荒れ果てた法廷内を一瞥してから肩を竦めた。

「追撃したいところではあるけど……どうする?私たちでは、これ以上は」

「無理ですね」

 冥王たる彼女たちは、この輪を潜って奴を追う事は出来ない。

 黄龍の魂の封を守る為に、二人が冥府に在って睨みを利かさねばならないという事情は無論あるが、そもそも如何なる理由があろうが、地上界に冥王が直々に降臨する事など有ってはならない。

 その身に纏う断罪の獄炎と、どうしても纏いつく冥界の瘴気を、そのまま現世に持ち出そう物なら、溢れだしたそれにより、彼女たちの周囲数里が、瞬時に死の世界になる事は必定。

 それ程に、二人の力は強大で、その強靭な意思力を以てしても抑える事は不可能。

 それに何より、現世の事は現世で、冥府の事は冥府で……そこに住む存在達が始末を付ける事こそ、筋という物。

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「……すまん、俺が動ければ、止めたんだが」

 あの青年が、多少ふらつくようだが、夜摩天の助けを借りて、ようやく立ち上がった。

「貴方が気に病む事ではありません。それより、あの都市王に剣で貫かれて、よく無事でいてくれましたね」

「そいつは、俺の力なんぞじゃなく、貴女のお陰だと思うが」

「私……ですか、それはどういう?」

 自身の料理の持つ力を知らない夜摩天が、不得要領な顔で男の顔を見返す。

「えーと、どう言えば良いのかな」

 男も、自分の経験した事を、完全には把握しかねているのか、当惑した顔で夜摩天を見る。

 一人、その間の事情をある程度把握している閻魔が、にやにや笑いながら、少し離れた場所から、二人の様子を眺めていた。

 色々被害も多かったが、冥王二人は無事で冥界の秩序が崩壊する事と、黄龍の魂の封印が解かれるという、最悪の事態は避けられた。

 そして、青年の魂は復活し、今ここに彼が現世に帰る道が存在している。

 後は、この魂を人界に帰してやれば、現世の事は、式姫とこの青年が何とかしてくれるだろう。

 

 魂を……人界に帰す?

 

 虚ろな肉体に、魂を。

 閻魔は急に何かに思い当たったように表情を改め、青年を、そして門を見た。

「しまった、そういう事!?」

「閻魔?」

「不味い、そこのアンちゃん、速くその光の輪を潜って現世に戻りなさい!」

「閻魔、何を慌てて?」

「奴の狙いはアンちゃんの肉体よ!」

 閻魔の言葉に、青年と夜摩天の表情が理解の色を浮かべ、そして強張る。

 この光の輪は、あの陰陽師が、この青年の肉体と魂の縁を辿り、その細い道を無理やりに切り開き、再びそれを結びつける為に作った道。

 ここを辿れば、彼の体に直接つながる。

「玉藻の前は、それで、あの領主の魂を誘ったというのですか」

 夜摩天が低く呻く。

 肉体なき魂と、魂なき肉体。

常ならば、異なる器に魂が収まる事は無い。

 だが、あの殺生石と玉藻の前が介在している以上……恐らくそれは可能。

 あの領主の魂に寄生し、彼の肉体を乗っ取り……現世を混乱に陥れる。

「異なる肉体に魂を納めるのは、あの化け狐の力を以てしても容易じゃないわ、今ならまだ間に合う、早く行きなさい!」

「一度くたばると、中々平穏には終わらねえもんだな……」

 まだ力が戻りきってはいないのだろう、青ざめた男が、ふらつく足を踏みしめ、光の輪に一歩近づく。

 その男の前に、夜摩天が両手を広げて立ちふさがった。

 光の輪を潜らせまいという、強い意志をその瞳に宿し。

「ちょっ、夜摩天ちゃん何を!?」

 夜摩天は、閻魔の言葉にちらりとそちらに視線を向け、低く呟き返した。

「慌てないで閻魔……冥府の法廷による裁定無き魂が輪廻、もしくは蘇生したらどうなるか、知らぬ貴女でも無いでしょう」

「そ、そりゃ確かにそうだけど」

 行先を明示されずに冥府の法廷を出し魂は、例え元の肉体を得て一時蘇生したとしても、肉体朽ちた後、冥府に至る事叶わず、彷徨う幽鬼と成り果てる。

 夜摩天の冷静さを賞する心もあるが、今はそれ所では無い切迫した状況なのもまた事実。

「だったら、今ここで冥王二人が裁定出せば問題ないでしょ、そこのアンちゃんは冥界側の過失による死が認められた為、現世戻しとする、本件の調べ書きは後に作成する、はい終了、夜摩天ちゃんだって異論は無いでしょ?」

 閻魔の言は正しい、冥王が認めれば、略式ではあるが、それでその魂の行先は定められる。

 だが、夜摩天はそれに答えず青ざめた顔を青年の方に向け、首を振った。

「……私は、反対です」

「な……」

「何考えてんのよ!このままじゃ、今までの全部が水の泡になるじゃない!」

 予想外の答えに絶句する青年と、激昂する閻魔の前で、夜摩天は再度首を振って、青年を真っ直ぐ見つめた。

「貴方の存在は危険すぎます」

 

説明
式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/991525
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式姫 閻魔 夜摩天 

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