真・恋姫†無双 董卓軍 第一話
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 うーん、なんでこんな所で――

 目が覚めると、そこはどこか高級感の漂う広間の梁の上だった。

 確か昨日は普通に布団で寝たよな。友達の愚痴につきあって長電話をした後、なんで俺が付き合う必要があったんだろうかと疑問に思ったのが間違いで、俺自身が自分になんかムカムカして、でも布団に入ると心地良い睡魔が襲ってきて――気がついたらこんなところに居た。

 いくら考えてもこんな所で目覚める要因が無い。夢遊病の気はなかったと思うし、なにより、こんな場所は俺の知っている限り近所には無かったはずだ。まるで王宮を思わせるような荘厳な調度品。見るからに高そうな絨毯。そして玉座にしか見えない豪華な椅子。それが眼下二十メートルほどの所にある。近くには階段はおろか、そばの柱には登る為の手すりなどは付いていない。梯子でも使って登ってきたんだろうか。不思議である。

 辺りを見渡すと二人の人影が見えた。ふわっとした髪型のぽわわわーんとした女の子と、メガネをかけたキリッとした女の子が真剣な表情で何事かを話し合っている。何を話しているかまでは聞き取れないが、向こうの声が聞こえるならこちらの声も聞こえるだろう。ここがどこかはわからないけど、とりあえず降りれるように梯子か何かを持ってきてもらおう。そう思って俺は――

「ねぇ、君た……」

 その言葉は最後まで言い切る事は出来なかった。言葉を発した瞬間、飛礫のようなものが飛んできて俺は梁から落ちていた。

「うわっ!」

 ……この高さから落ちたら死ぬ!

 そう思ったがいつまで経っても落下の衝撃が来ない。死んだ瞬間は痛みを感じないものなんだろうか、そう考えつつも恐る恐る目を開けて見ると触覚のような二本の髪の毛がピョンと延びたショートカットの女の子が受け止めてくれていた。

「あ、ありがとう……」

「恋、そいつを捕まえといて!」

 眼鏡をかけた女の子の言葉に答えるように、俺を抱きかかえていた少女はギュッと抱き閉める。

 恋、というのはこの少女の名前だろうか。腕に当たっている胸の感触が気持ちいい、なんて思えたのは一瞬だった。数瞬後、まるで万力で締め上げられているかのような力で骨が軋み始める。

「ちょっ……このままじゃ……壊れ……っ」

 痛みが限界を超えたのか、俺の記憶はそこで途絶えた。

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 次に目が覚めたとき、生きていて幸運だというべきだろうか、それともこの現状は不幸だというべきだろうか、おそらく後者だと思う。なぜなら、手を後ろに縛られ、足も縛られ、口にも猿轡をされて転ばされていたからだ。

 何か喋ろうとしてもフゴフゴとしか音にならない。唯一自由になる視線を巡らすとさっき見た三人の少女に加えて、もう一人胸をサラシで巻いた袴姿の少女――年齢には俺と同じぐらいだろうか――の姿があった。

「そんで、これが反董卓連合の細索っちゅうわけかい?」

 新しく広間に現れた少女の言う、これ、は間違いなく俺の事を指していた。

 細索? 細索ってスパイってことだよな? 俺が? なんで?

 頭の中は疑問符で一杯になっていく。ここがどこかすらわからないのにスパイ扱いされているのだ。本当に訳がわからない。

「この時期に潜りこむなんてそれ以外には考えられないわ。」

 声を出す事が出来ないため、俺は精一杯に首を振って否定する。

「その状態じゃ答えられないか……霞、猿轡を解いてあげて。でもなにか怪しい素振りを見せたら……」

「ああ、わかっとるわ」

 霞と呼ばれた、胸をサラシで巻いた袴姿の少女が猿轡を取ってくれた。だがその直後、首に冷たい感触が伝わってくる。首を動かすのが怖かったため目だけを移動させると、そこには剣が添えられていた。模造刀なんかではない、感触から本物の剣である事がわかる。だが日本刀ではなく、両刃の剣だ。一番最初に思った疑問、ここがどこなのか、が再度頭によぎる。

「答えなさい! あんたはここに潜りこんで何を知った? 何が目的で潜りこんだ?」

「いや、俺は細索なんかじゃ……」

「嘘おっしゃい! どこまで知ったかを吐いてもらうわよ……いいえ、吐いてもらわなくてもその情報が戻らなければ何も知らなかったと同じ事よね」

 メガネをかけた娘の目が怪しく光る。

 殺る気だ! このままじゃ消される! 首に当てられた剣に力を込められたようにも感じる。切れます。なんというか、スパッと逝きそうな気がします。

「詠ちゃん、危険な事は……」

「月、あなたが優しい事は良くわかっているわ。でもね、今はその優しさはしまっておきなさい。それがこの国のためなんだから」

「でも……」

 ふわふわな髪の毛の娘が月、メガネの娘が詠という名前らしい。今わかる事は詠という娘が俺を殺そうとしていて、月という娘が俺を助けようとしているという事だ。なら月って娘を応援すればいい。

「その詠ちゃん? さん? 様? その月さんが仰っているようにいきなり首を切るのはどうかと思うんですが……」

「あ、あ、あ、あ、あんた! 今なんて呼んだ!」

「え? その詠さん?」

 なんだろう、なぜかわからないけどものすごい地雷を踏んだような雰囲気だ。さっきまで庇ってくれていた月って娘もかわいそうなものを見る目になっている。

 なんで? 名前を読んだだけだろ?

「真名を……真名を呼んだわね! もう月が止めてもダメだからね! 霞、やっちゃってちょうだい!」

「あいよっ、ま、いきなり真名を呼んだあんさんが悪いんやで。っちゅうわけで、往生せいやっ!」

「ちょ、ちょっと待ってぇ!」

 真名ってなんなんだよ、名前を呼んだだけじゃないか!

 剣が振り上げられる。避けようと動きたくても縛られているためどうしようもない。

 もうダメだ、そう思った瞬間、思いがけない所から救いの手が差し伸べられた。

「伝令! 伝令でございます!」

 それは一人の兵士――にしか見えない。それも時代がかった服装をした――が広間に現れた。よほど慌てていたのだろう、肩で息をしている。

「チッ」

 詠という名前のはずの少女はものすごく残念そうな舌打ちをしたが、伝令の方が重要だと思ったのか、向きを変える。霞と呼ばれた少女も剣を下ろす。

 少女たちは伝令の話を俺に聞かせていいものかどうかを一瞬悩んだようだが、そのまま報告を続けさせる。

「水関よりのご報告。袁紹を盟主とした反董卓連合が水関に向かう動きを見せているとの事です」

 反董卓連合? なにかで聞いた事があるような……確か以前に呼んだ小説で……董卓……三国志か! そういや袁紹って武将もいたな。えっ? でもなんで三国志の武将の名前がここで?

 報告を終えた兵士は休憩を取るのか、またどこかに伝令に行くのかはわからないが広間から退散していく。そして広間には先ほどと同じ面子のみが残る。

「あ、あの……」

 恐る恐る声をかける。剣は首には当てられなくなったが、返ってきた視線はそれに匹敵するほど鋭いものだ。それでも意を決して言葉を続ける。

「ここってどこなんでしょう……?」

「はぁ? 洛陽に決まってるでしょ? なにをとぼけてるのよ」

 呆れるような口調を含んだ返答。

 洛陽……たしか漢王朝の都があった場所。董卓が歴史舞台に上がって長安に都に移したあの洛陽? 反董卓連合とか、洛陽とか、袁紹とか、どう考えても三国志の中に出てきた単語だ。なら、ここは三国志の世界ってことか?

 夢かと思ったが、先ほど剣を当てられた所が少し切れていたのか、痛みがある。なにより恋と呼ばれた少女に抱き締められた時に思いっきり痛みを感じていたじゃないか。なら夢じゃない……のか?

「あんた、本当に細索じゃないの?」

 あまりにも細索然としていない俺の態度を不審に思ったんだろう、詠と呼ばれた少女が再度尋ねてきた。

「ああ、細索なんかじゃない。俺の名前は北郷一刀。聖フランチェスカの学生だ」

「姓が北、名が郷、字が一刀……ね」

 聖フランチェスカの学生という部分は理解されなかったんだろうか、さっぱりとスルーされた。

「違う違う、姓が北郷、名が一刀。字っていうのはない」

「字が無い?」

「ああ、俺の国では……字なんて風習は無い」

 説明すれば信じてくれるんだろうか、俺がこの世界から千八百年ほど後の時代、そして違う国から来たということを。いや、俺自身がまだ信じ切れていないでいる。それなのに人を説得させる事なんて出来ない。

「あんたの国? この国の生まれではないの?」

「ああ、俺は日本という国で生まれた。ここから東の海を越えた先にある小さな島国だ。しかも時代が違う……らしい」

「時代?」

「ああ、さっきの報告にあった水関、反董卓連合、袁紹、そういった単語は知識としては知っている」

「っ!」

 少女たちがサッと身構える。また細索としての可能性が出て来たと思われたのだろうか。

「知識として知っているだけだ。それも、俺が生きていた時代からかなり古い時代の物語として」

「物語? どういうことよ」

「それは俺もわからない」

 こっちが説明して欲しいぐらいだ。なんで俺がこんな場所にいるのか、なんで三国志の時代にいるのかを。

「あっ、それならやっぱりさっきのあれがそうやったんかな」

「霞、何か知ってるの?」

「ああ、ウチがさっき慌ててここに駆け込んで来たのはわかっとるやろ。あの時はその北郷っちゅうやつを細索として捕らえたとかなんとか言ってて慌しかったから言わんかったんやけど……」

「なにか報告する事があったのね」

「そうや、少し前に空が真っ暗になってな。その後、天上からまっすぐこの王宮に向けて流星が落ちてきたから心配になって見にきたんや」

 皆の視線が俺に集まるのがわかる。

「あんた、流星と共に落ちてきたっていうの?」

「いや、俺にはなんの事やら……でも、ここは俺がいた世界じゃないって事だけはわかる」

「詠ちゃん、もしかしてこの人は噂にある流星と共に降りてくる天の御遣いなんじゃ……」

「この男が? まさか? だって天の御遣いはこの世を太平に導く偉大なる人物のはずよ。それがこんなみすぼらしい男のわけがないじゃない」

「でも、今この時に天の血筋を持つ者は現れた。それは重要な事だと思うの」

「月がそこまで言うなら話ぐらいは聞いてあげるわ。霞、縄を解いてあげて」

「はいよっ」

 霞と呼ばれた少女は剣を一閃する。殺気を感じなかったというのもあるが、避けようと考える事すら出来なかった。

「そういえば、君たちを呼んでいい名前を教えてくれ。その……真名ってやつは呼んだらマズいんだろ」

「……ボクは賈駆よ。そっちにいるのが呂布と張遼。この娘の名前は教えられない」

 詠と呼ばれていた娘が自分を指差した後、恋と呼ばれた娘と霞と呼ばれた娘を順に指差して行く。月と呼ばれた娘の名前は教えてもらえなかったが、とりあえず会話をするだけなら十分だろう。だけど――

「呂布だって?」

 呂布と言えば三国志の裏切りの代名詞であり、関羽や張飛を押さえて武力一位に挙げられる武将じゃないか。それがこんな女の子だっていうのか。それに賈駆や張遼も曹操配下として有名を馳せた人物だ。それが揃いも揃って女の子だなんて俺の知っている歴史ではありえない。ならこの世界はどこなんだ。この広間から一歩外に出れば、大掛かりなセットがあって、実は映画の撮影中でしたとでも言われた方がまだ納得できる。だけど窓から見える外の景色はそれがセットではない事を物語っている。

 なんで三国志の武将が女の子かはわからない。でも他にわかった事が一つだけある。さっき名前を教えてもらえなかった女の子の名前――董卓――だ。賈駆も呂布も張遼もこ反董卓連合のあった時期は董卓配下のはず。けど、この呂布が董卓を殺すなんて事があるのか? 美女連環の計で必要となる貂蝉が存在するのかどうかもわからないけど、そんな血みどろの争いがあるなんて思えない。

 ここは俺の知っている三国志とは違う。それはわかる。だけど、ここも三国志と呼ばれるであろう世界に違いない。俺はどう行動したらいい? 身寄りのないこの世界で生きていけるのか?

「一つだけ教えてください。あなたは天の御遣いなのですか?」

 俺が思案している時間が長かったためだろう、董卓だと思われる少女が尋ねてきた。どう答えるべきか――だが答えは自然と口から出ていた。

「俺には天の御遣いがどういうものかわかりません。ただ……」

 この先を言っていいのだろうか。それを言ってしまったら後戻り出来なくなるんではないだろうか。そう逡巡するも、少女の真剣な眼差しを受け続ける事は出来なかった。

「……ただ、こことよく似た世界の歴史を知っています。それは使い方によってはこの国が辿るべき道筋を照らす事が出来る知識となります。それが天の御遣いと呼べる存在だというのならそうなのでしょう」

 普段とは違う口調。だけど、この真剣な眼差しに対して自然と口調が変わっていた。

「だけど、それはよく似た世界であってこの世界そのままではありません。もしかしたら全く見当違いになるかもしれません。まず俺が知っている歴史では董卓軍は反董卓連合によりここ洛陽から長安へ撤退させられます。ですがその時に反董卓連合は分裂する事になります。その後……」

 董卓は呂布の手によって殺される。この事をいうのはマズい気がする。何より、董卓と呂布本人を見てもこの世界でそんな事が起きるとは思えない。

「その後、董卓、あなたの身の上で重大な事が起きます」

 俺は月と呼ばれた娘に向きを変え、そう告げる。

「なっ」

 賈駆が驚きの声を上げる。

「この娘が董卓なんだろ?」

 沈黙、だけどそれが正解だと告げている。董卓はまっすぐに視線を合わせる。驚いた表情はしない。だけど、なにかを決意したような表情だ。

「月は表に出る事はせずにこの董卓軍をまとめていた。どうして月が董卓だってわかったのよ」

「賈駆、そして呂布と張遼が守っているからだよ。そんな人物はここには一人しかいないはずからね」

 さらにはそんな三人の前で臆する事なく、そして賈駆が一歩下の位置で接していたからだ。

「北郷さま、天の御遣いとして、私たちを助けていただけないでしょうか」

「月、何言ってんのよ! こんなやつ……」

「先ほどの北郷さまの言葉の中に私たちしか知りえない情報があったのには気づいた? 詠ちゃん」

「……洛陽を捨てて長安へ……ね。でも、それこそ細索としてずっと見張っていたのかもしれないじゃない」

「細索として見張っていたのなら、もっと重要な事を知っているはずです。ですがそれを知らない……なら考えられるのは天の知識……」

 重要な事? なんだろう。この時期に何か重大な出来事があっただろうか。

「わかったわ、月がそこまで言うならこいつを天の御遣いと認めるわ」

 董卓の視線が再度俺へと向けられる。それは真剣な、そして重大な決意を持った瞳。

 空気が重くなる。

「北郷さま、帝はすでに崩御されております」

「なんだって?」

 思わず驚きの声を上げてしまう。

 そんなのは俺の知っている歴史には無い。少帝が廃され、献帝が董卓の傀儡となっているのが俺の知っている歴史だ。

「霊帝の死後、十常侍が行った大将軍何進の暗殺、そしてそれに対する宦官への虐殺。その難を逃れるように少帝と陳留王を連れて逃げた十常侍の張譲。だけど、高貴な者が乗る輿と少数の守備兵、それは山賊どもには恰好の獲物だったのよ」

 賈駆が説明を続ける。力及ばなかった自分を悔いるような口調で。

「ボクたちがそこに辿り着いた時にはすでに山賊たち以外に生きている者は居なかったわ。そしてその山賊たちもボクたちが全て殺した……帝の顔を知っている者はボクたちの軍には少数しか居なかったから、襲われたのが帝だとはほとんどの者が気づいてない。でも小数は知っていたという事」

 段々と口調が重くなっていく。それはそうだろう。それだけの内容なのだから。

「郭という配下は月が帝になるよう進言してきたわ。その発言により自分の位を高くしたかったんでしょうね。でも、黄巾の乱で乱れたこの世の中に更なる混乱を起こすわけにはいかない。だから郭には今はこの城の牢獄に入ってもらっている。情報が漏れないようにね。きっと恨んでいるでしょうね。ボクたちの事を」

 最後には自嘲気味に笑う。

「つまり、君たちは帝の崩御を外に洩らさないためにこの洛陽に留まっていると……」

「ええ、帝の崩御が知られればこの国は乱れるわ。帝の座を争ってね。そんなことになったら黄巾の乱の時以上の戦乱が起こる。それこそ群雄割拠の時代にね」

 それは自分と同年代の……いや、董卓や賈駆はどう見ても自分よりも幼い。そんな少女たちが背負うには重過ぎる事態。

 確かに、帝の崩御を知ればこの国を治めるという大義名分を持って大なり小なりの勢力が名乗りを上げるであろう。それは董卓たちが帝の死を隠してでも守りたい平和を壊す事になる。そして様々な場所で戦いの戦禍が生まれるであろう。それは力無き者が虐げられることになる。

 そうならないために、この少女たちは頑張って……我慢してきたんだと思ったら自然と目頭が熱くなっていた。

「……辛かったんだね」

 俺は自然と、董卓を優しく胸に抱き締めていた。

「……うぅ……うわぁぁぁん」

 董卓が見せる涙。多分今まで我慢してきたであろう。涙は留まる事を知らないかのように流れ続ける。それは等身大の董卓の、一人の少女としての姿だ。

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「見苦しい所をお見せしました」

 数分は泣き続けただろうか。董卓の目は真っ赤になっていた。一時中座して董卓は顔を洗いに行って戻ってきたが、それでもうっすらと目が赤くなっているのが見て取れる。

「いや、見苦しいなんて思わないよ。董卓ちゃんもこういう時は我慢しなくていいんだ。泣きたい時には泣いていいんだよ」

「……」

 賈駆が何が言いたげにしているのがわかる。将としての董卓の姿と、一人の少女としての姿と、どちらを優先するべきかを考えているんだろう。

「近しい人の前、信頼できる人の前でなら本当の自分をさらけ出していいんだよ。例えば賈駆ちゃんなんかは君の事を本当に心配しているようだしね」

「人をちゃんづけで呼ぶな! ……でもありがと。ちゃんと見ててくれて」

 後半はほとんど聞こえない声量だったので聞かなかったことにしておこう。

「あの……私の事は月と呼んでください」

「え? それって真名ってやつじゃないの?」

 真名がどういうものかはわからない。だけど、それを口にして切り殺されそうになったのはつい先ほどだ。警戒するなという方が無理だ。

「いいんです。北郷さまには真名で呼んでいただきたいのです」

「月!」

「いいの、詠ちゃん。この人になら……私、この人の前なら素直になれる気がするの。詠ちゃんと同じように……」

「月……」

 その後、真名について説明を受けた。それは信頼する相手のみに呼ぶ事を許される名前。例え知っていても許しが無ければ呼んではいけない名前。そして、許されざるものが呼べば切り殺される事もある名前。そして真名を預けられるという事がどれだけ信頼されているか、を。

「月が認めたんならボクのことも詠でいいわよ」

「……恋は恋」

「霞や、よろしゅうな」

 賈駆が、呂布が、張遼が順番に真名を預けてくれる。董卓が真名を預けたという事はその配下からもそれだけの信頼を得たという事なのだろう。

 勝たないとな……この世界に生きる人たちのために、なによりもこの娘たちのために。

「まず現状を教えてくれ、詠」

「そうね、反董卓連合がいる場所からここ洛陽までは関所が二つ。水関と虎牢関があるわ。どちらも難攻不落の関所よ。そこにそれぞれ兵五万を守備兵として置いているわ。あとはこの洛陽に守備兵十万が。反董卓連合の総数は報告では二十万、だけど連合ゆえに連携が取れないからその点ではこちらが有利ね。なにより、関所と言っても砦に近いから、攻め落とすにはかなりの労力が必要になるわ」

「将は誰が守っている」

「水関は華雄、虎牢関は陳宮よ」

 華雄って三国志演義では関羽にあっという間に倒された武将だったっけか。その配置だとマズいかもしれないな。

「……この場合、水関は捨てた方がいいかもしれないな」

「なんですって! 相手は連合軍、日数を稼げば内部分裂して消えるような軍なのよ。それなのに橋頭堡を与えたら相手の士気は増し、補給路を与える事になるわ」

 詠が怒鳴るのもわかる。俺も華雄が関羽に切られるという事を知らなければこんな手には出ないだろう。

「兵力を分散していては各個撃破の機会を与える事になる」

「でも、水関は難攻不落の関所よ」

「将は兵を指揮する頭、もしそれが討たれたらどうなる」

 兵だけでは戦えない。それを指揮する者がいてこその兵であり、軍なんだ。それは軍師である詠が良く知っているはずだ。

「それは……でも一体どうするつもり?」

「虎牢関にこちらの全兵力を集める。その上で一気に決戦を行うのが上策だと思う。元より、洛陽を戦地にする予定は無いんだろ?」

「……そうね、水関、虎牢関が落ちたのなら洛陽にいる兵を連れて長安に移るか、涼州に戻るつもりだったわ、だけどそれとどういう関係があるの?」

「反勢力が一点に集中している今こそが絶好のチャンスなんだ」

「ちゃんす?」

 ああ、英語とか和製英語は通じないのか。あれ、俺って今何語を話してるんだ? まぁ、話が通じているならいいか。

「絶好の機会なんだ。今、敵勢力を討てなければ今後は分散した戦いを強いられる事になる。なら今のうちにできる限り潰しておいた方がいいんだ」

「……ふむ、それで?」

「この戦いで可能な限りの勢力を無力化しておきたい。俺の知識が正しければ、強敵と見るべきは三人。曹操、劉備、そして孫堅だ」

「……あんたの知識も当てにならないわね。曹操はまだ小さな勢力だし、劉備なんて聞いたこともないわ。なにより、孫堅はすでに死んでいて娘である孫策が袁術の配下になっているぐらいだもの」

 あれ……これも俺の知っている歴史と違うのか? 確か三国志演義は読み物として加筆されているとは聞いていたけど、孫堅ってこの時期には生きていたような……まぁ、孫堅がいないのなら孫策を危険視するべきだろう。孫堅、孫策、孫権と三代続いて呉の礎を作ったのだから。

「なら、孫堅を孫策に切り替えた三人だ」

「……それで?」

「ん?」

「それで、なにをどうするつもりなのかを聞いているの。水関を放棄してまでしたい事がなんなのかをね」

「もし反董卓連合が水関を奪った場合、そこに兵を割かざるをえない。背後からの挟撃を恐れるだろうからね。それで詠、先ほど言った三人の中で誰が一番怖い?」

「さっきも言ったようにどれもまだちっぽけな存在よ。怖いなんて思うわけないわ……でも強いていうなら曹操ね」

「それなら、曹操に水関を守備するようにしてもらおう。それだけでも次の戦いが楽になる」

「なっ、なにを言っているの? そんなの決定権がこっちにあるわけないじゃない!」

「そう、決定権は無い。だけど相手の総大将、袁紹にそう仕向けるように思わせる事は出来る」

「……言ってみなさいよ。聞いてあげるわ」

「簡単な事だよ。董卓軍は曹操を恐れているって流言を袁紹の耳に入るようにすればいいのさ」

「ふむ、袁紹の本質を良く理解しているわね……自己顕示欲の強い袁紹だもの、確かにそれなら曹操が水関の守備を命じられる可能性は高いわ。でもそれでも関所一つを明け渡すほどの価値があるとは思えないけど?」

「そりゃ、最初は抵抗してもらうさ。今水関に持ち込まれている矢を全て討ち尽くすほどに猛攻撃をかけてから、旗のみを残して一兵残らずに撤退してもらう。最初に痛手を受ければおいそれとは近づいて来ないだろう」

「……悪い手では無いわね。でも、あんたは知らないかもしれないけど旗というのはその将の顔と同じなの。旗が倒され、踏みにじられることはその将が倒され、踏みにじられたと同じ事なの」

「だけど、本当に将が倒されたわけでも殺されたわけでもない! 名誉が踏みにじられたというのであれば、それはまた取り返せばいい。今は戦に勝つ事が上策だと思うけど」

「……」

 何か言い返したそうだが、詠は黙っている。策として失うのが旗だけというのはアリだと思ってくれたのかもしれない。

「そしてもう一つ。今水関に居るのは華雄だと言ったけど、その守りには董卓軍最強の武将を当てて欲しい」

 チラッと呂布を見る。自分の事を言われているのがわからないのか、恋はキョトンとしている。

「まずは恋が援軍に回ったように見せかけて、それと入れ替わるように華雄には虎牢関に撤退をしてもらう。もちろんその時には実際に援軍の兵が水関に動いてもらうけど、華雄と一緒に撤退してもらう。旗はその時に呂旗に変えてもらえば空城の計、関所だからいや空関の計になるのかな、その成功率は上がるはずだ」

 俺は一気に捲くし立てる。呂布が守っている。そう相手に思いこませればおいそれとは攻撃できないはずだ。それだけ呂布の勇名は知られているのだから。

「そして全兵力二十万で虎牢関にて決戦を行う」

「でも、虎牢関で守りを固めるには人数が多すぎるわ。こちらに遊兵を作るだけよ」

「それは守った場合だろ?」

「……ま、まさか」

「そのまさかさ。虎牢関から討って出る」

「難攻不落なのは守るからなのよ、その優位性を捨てるというの!」

「相手の消耗を待って戦いに勝つ事は出来るだろうけど、それだとさっき言ったように今後分散的な戦いが待っているだけになる。洛陽という都市と帝を求めてね」

 そして時間が経てば帝が崩御している事を知られる可能性が高くなる。帝が出なければならない公の場が年にいくつもあるだろう。その全てに帝が姿を見せなければ疑いだす者が出てくるのは目に見えている。そして一度人の噂に上れば瞬く間にこの国全土に広まるだろう。

「だから、ここで完膚なきまでに敵を叩き潰す。それが後のためなんだ。相手も篭城しているのを前提に攻めてくるだろうし、その虚をつく事が出来れば戦を有利に進められると思うんだ」

「……わかったわ。あんたのいう事には一理あるもの」

 その後、その策は実行された。華雄が撤退を嫌がったりもしたが、虎牢関では十分に戦えることで納得してもらえた。

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「ほう、そなたが新しい軍師殿か」

 水関から撤退してきた華雄と恋が虎牢関で合流を果たした。すでに洛陽からは月、詠、霞と共に全軍が虎牢関へと合流している。これで董卓軍二十万が全て揃った事になる。

 虎牢関の守備をしていた、ねね――陳宮だが、呂布が真名を預けたと聞いたらすぐに真名を預けてくれた――はいきなりの大所帯に配置変更に大忙しだ。

「軍師……なのかな」

 華雄にそう呼ばれて戸惑う。軍師と呼べるほど兵の指揮に長けているわけでもないし、策略を練れるわけでもない。今回も大筋の指針を示したのは俺だが、細かいところは詠に任せっきりだったりする。

「違うのか? 詠からはそう聞いているが……ああ、そうか天の御遣いと呼ばねばならんのだな」

「そう呼ばれるならまだ軍師の方がいいかな。まぁ、普通に北郷でも一刀でも好きな呼び方をしてくれ」

 苦笑する。天の御遣いなんて呼ばれると自分が偉くなってしまったような錯覚を覚える。そんな立派なものじゃないのは自分が一番良くわかっているのに。

「そうか、なら北郷と呼ばせてもらおう」

「ああ、それで構わない」

 そして、ふと気づく。華雄だけ真名を誰にも呼ばせていないことに。

「そいえば華雄は詠たちの事を真名で呼んでるけど、自分の事は真名で呼ばせてないのか?」

「……北郷、人には事情っちゅうもんがあってだな」

 諭すような口調で割って入ってきたのは霞だ。何か理由があるのだろうか。

「いや、構わんぞ、霞。別に隠すような事ではない。北郷よ、私は孤児でな。字すら持たんのだよ」

 字が無い――そういえば、三国志演義でも華雄は字が書かれてなかった気がする――そして真名も無い。真名自体については知らない事が多いのでそれがどういうことかわからない。

「真名っていうのはいつつけられるものなんだ?」

「普通は生まれたときに親がつけるもんや」

「……そうか」

 しばし考え込む。真名は信頼した者に預ける名前。だけどそれを持っていない……それって信頼を得る事が出来ないんじゃないか? ふとそんな疑問が頭をよぎる。

「なぁ、華雄。今からでも真名を名乗ったらどうだ?」

「はあっ?」

 素っ頓狂な華雄の声。そう言われることなど初めてなのだろう。目が点になっている。

「だってこの国では真名を預けるって大事な事だと思うんだ」

 信頼できる相手だから真名を預ける。真名を呼ばれたからこそ、その信頼に応える。それは大切な事だと思う。そんな中、一人だけ真名を持っていない人間が居れば疎外感を味わうのではないか、そう思ってしまう。

「真名、か……」

 本人も満更ではなさそうだ。今まで機会がなかっただけで、お互い真名で呼び合いたかったのではないか。

「そうだな、機会があれば考えておこう」

 そう言って去る華雄は少しだけ嬉しそうに見えて、少しだけ悲しそうに見えた。

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「敵の陣営は?」

 虎牢関に反董卓連合の姿が見えたのは二週間ほど経ってからの事であった。水関での空関の計は無事に作用したようで、連合軍の進軍は慎重深いものへと変わっている。そして予め流しておいた流言も上手くいったようだ。連合軍の中に曹の旗が無い。斥候からも水関に曹操軍が残っているとの報告を受けている。ここまでは予想通りにいってる。怖いぐらいだ。

「中央に袁紹が、向かって左手に劉備軍と公孫賛軍、右手に袁術軍ね」

「そうか……」

 無い知恵を絞って考える。ここから先、些細な失敗が致命的な穴となる。ねねと詠にはおかしい点が有ったらその都度訂正を頼んであるので少しは安心だが、すでに俺の知っている歴史とは違っているため何が起こるかわからない。そして負ける事は許されない戦いなのだ。知らず知らずのうちに手に汗をかいていた。

「先陣として恋を、左翼を霞が、右翼を華雄が率いてくれ」

 三人がほぼ同じタイミングで頷く。

 俺はまず恋へと顔を向ける。

「恋はまずは連合軍を縦に引き割いてくれ。その後は霞と共に劉備を捉えてきてほしい」

「……(コク)」

 次に霞だ。

「霞、劉備軍に当たった後、頃合を見て劉備を捉えられるか?」

「関羽、張飛、趙雲っちゅう強い武将がいるらしいからなぁ。それをどうにか出来るなら可能やと思うけど」

 再度、恋へと顔を向け直す。

「なら恋、その三人を引きつけてくれ。危険だと思ったら引いてくれて構わない」

 最後に華雄へと顔を向ける。

「華雄は袁術軍と対峙、可能であれば撃破を」

 そして二人の軍師へ。もちろん二人にも隊を率いてもらう。ねねは恋と一緒にと駄々をこねていたがこの戦の重要性がわかっているのだろう、すぐに納得してくれた。

「ねねと詠は恋が開けた穴を切り開いてほしい。北郷隊はここで待機する。どこかが苦戦していると思ったら援軍に向かう」

 一応、俺も隊を率いる事になっている。だけど実際に兵へと指示を出すのは月だ。俺はただ単に月の姿を表に出さないためだけにいる案山子にすぎない。

 こちらが虎牢関を出て野戦を仕掛ける事を想定していなかったのだろう。こちらの陣を見て連合軍にどよめきが起こる。三人の武将はそれぞれ進軍の合図を出す。流石は後の世に名を残すだけの将である。機を見て敏なり、とはこのことだ。

 しかし相手も名のある将が集まっているだけの事はある。すぐに対応を行っている。

「マズいな……」

 恋は袁紹軍に錐のようにまっすぐと突っ込み穴を開け、続く兵とねね、詠の二隊がその穴を広げている。霞の部隊も劉備軍と対峙し、恋がくる機会を窺っているのだろう。だけど――

「月、北郷隊を動かす!」

 華雄の部隊が袁術軍に突出している。それは袁術軍を上手く攻めているように見えるが、相手の引き際が良すぎる。確か孫策は袁術の下に付いているんだったな、なら罠の可能性が高い。嫌な予感がする。

「わ、わかりました」

 今まで馬になんて乗った事の無い俺は情けない事に月の後ろに乗せてもらっている。月は涼州の出身だけあって騎馬の扱いに長けていた。俺の事は兵には天の御遣いとして伝えてもらっている。その補佐役として月という少女が付いている、天には馬とは違う乗り物があり馬の扱いに慣れていないと説明している。だから今の状況を不思議と思う兵はいない。

「弓隊、袁術軍中曲に向けて斉射三回。その後騎馬隊を先頭に袁術軍の横から突っ込む!」

 月が教えてくれた戦法をそのまま兵へと伝える。兵はその指示通りの見事な働きを見せる。

 予想していない位置からの弓隊の斉射と、横激に対応できずに袁術軍の一角が崩れる。

 ――見えた!

 そこには今にも敵将に討ち取られそうになっている華雄がいた。

「そのまま前進せよ!」

 俺は大声で北郷隊の兵を華雄と敵将の間に割り込ませる。敵将――ピンク色の長髪でキリッとした表情の女性――は一瞬だけ悔しそうな表情を見せたが、すぐにその場を離れ兵に指示を出す。

 こちらとしても奇襲で突っ込んできただけで陣形は崩れている。だが、その速度でなければ華雄は討ち取られていたであろう。

「華雄、隊を立て直すぞ!」

「あ、ああ……」

 敵将と一騎打ちをした後であろうか、華雄には疲労の色が見て取れる。だが華雄も勇将である。すぐに兵へと指示を飛ばす。

「華雄隊、陣形を立て直すぞ! 魚鱗の陣を敷け!」

「北郷隊は華雄隊の補佐に回る! そのまま曲進し、華雄隊の背後に着け!」

 その後、袁術軍との戦いは膠着状態へと移る。華雄隊を半包囲をしている袁術軍だが、華雄隊の守りを突破する事が出来ずにいる。逆に華雄隊も進むに進めず、引くに引けない状況だ。

 状況に変化が起きたのは左翼――華雄隊のではなく張遼隊が攻めていた付近――でざわめきが起きたからだ。袁紹軍で退却の銅鑼が鳴らされる。それに合わせるように袁術軍も退却が始まる。

「華雄、こっちも後退だ」

 相手の退却に会わせて追撃をかけるか悩んだが、袁術軍の退却に隙が見つからないため――もちろん月が見てくれたのだが――追撃を行うことなくこちらも引く事にした。

「あ、ああ……北郷、さっきはその……助かった」

「なにを……仲間だろ。助けるのは当然じゃないか」

「そういえば真名をつけろと言っていたな」

「あ、ああ。そういえば言ったな」

 真名を預ける事が出来れば一層信頼をおける事が出来るんじゃないか、そう考えてこの戦いの前に華雄に進言した事だ。

「……そ、それならば北郷、貴様が決めてくれないか?」

「えっ? 俺が? 華雄の真名を?」

 いきなりの申し出に声が裏返った気がする。

「ああ、北郷に決めてもらいたいのだ」

「そうだな……」

 こんな流れになるなんて思わなかった。冗談、ではないらしい。華雄の目は真剣そのものだ。ならそれに応えなきゃならない。

「……なら蘭なんてどうだ」

「蘭、か……よし、私の真名は今日から蘭だ!」

 ゆっくりと、噛み締めるように何度も『蘭』という言葉を繰り返す。そしてその事を詠や恋に伝えたいのだろう、一人で虎牢関に戻ろうとする。

「おい、華雄、ちゃんと兵を率いていけよ!」

「北郷、今日から私の事は蘭と呼べ! いいな、蘭だぞ」

 それは俺がつけた名前だから言わなくてもわかってるよ。

 まったく、よほど真名を持った事が嬉しいのか、華雄隊の兵を放って虎牢関へ戻ってしまう。そのおかげで、俺が華雄隊の副官の人に退却指示をお願いする羽目になった。

「華雄さん嬉しそう……」

 俺の前に座っている月が呟く。遠くに消えていく華雄に目を向けながら俺は頷く。

「ああ、こういうのも幸せって言うのかねぇ」

「そうですね、こういう小さな幸せをいっぱい作れるといいですね」

「ああ、そうだね」

 皆が幸せに生きていける世界を作りたい。月の言葉からその想いが伝わってくる。俺はその手伝いをしたいと心から思う。

-6ページ-

 

「北郷、劉備を連れてきたで」

 先ほど戦いが終わった理由、それは霞が劉備を捕らえたからだった。劉備を捕らえたため劉備軍は動く事が出来なくなり、張遼隊も袁紹軍に迫る動きを見せたため、袁紹軍が退却を始めた。それが連合軍全体に伝わり、総退却となった。おかげで袁術軍と膠着状態だった華雄隊、北郷隊が無事にこうして虎牢関に戻れたのだから感謝しなくてはならない。

「それにしても霞、よく捕まえられたな」

 霞の隣には一人の女性――少女と言ってもいいかもしれない――が立っている。劉備、なのだろう。月と雰囲気は似ている。ぽわわわーんとしていて、なんとなく助けてあげたくなるような、そんな女の子だ。

「劉備んとこの武将を恋が一手に引き受けてくれたからな。関羽と張飛と趙雲やったか」

 一騎当千と呼ばれるその三人を相手に一人でか。流石は最強と謳われる呂布だけはある。

 当の劉備はこちらが何か会話したら身振り手振りをするたびにビクッと体を縮こませる。

「俺は北郷一刀といいます。一応、天の御遣いなんて呼ばれてたりもしますが……って、劉備さん……あの、なにを身構えているんですか」

「……だって、私ここで殺されちゃったり、口では言えないようなことをするんでしょ? そのために捕まえてきたんじゃ……」

「そんな事はしませんよ。あなたを人質として何かを交渉したり、危害を加えたりはしません」

 その証拠に、劉備を縛ったりはしていない。一応逃げないように霞に頼んであるが、俺が最初にやられた時のように首に刃物を当てたりはしていない。

「えっ、なら、なんで私を?」

「そうですね……強いて言うならあなたが劉備だから、かな」

「……?」

 説明してもわからないだろうな。三国志演義で一番民草の事を思っていた人物だからという理由で連れてきてもらったなんて。

 劉備もキョトンとしたままだ。そりゃそうか、何の説明にもなってないんだから。

「劉備さん、あなたには全てを知っていてもらいます」

「?」

「おい、北郷っ!」

 相変わらずキョトンとしたままの劉備。だけど霞は驚いた声を上げる。全てを知る、その中には今まで月たちが必死になって隠してきた事実があるのだから。

「いいんだ、そのために連れてきてもらったんだから」

「いいんか? 詠」

 霞は俺が決意を持って事に当たっているのを理解したのか、詠に対して確認を取る。

「……わからないわ。でもここまでは北郷の思惑通りに事が進んでいる。ならこの先も北郷の言う通りにしていてもいいんじゃないかって思えるの。軍師としては反対なんだけどね」

「……そうか」

 それで納得したのか、霞は一歩下がる。劉備は相変わらず何が起きているのか理解していない表情だ。

「驚かないで聞いてください。実は帝はすでに亡くなられています」

「えーーーーーっ!」

 辺りに響く劉備の絶叫。近くに兵は配置していなかったのだが、あまりの大声に何人かの兵士が駆け寄ってくる。それを霞が改めて遠ざけてくれる。

 驚くなという事が無理だったのだ。それはそうだろう、国の最高権力者が、劉備たちが主と仰ぐべき存在の者がすでに亡くなっているという事実をつきつけられたのだから。

 俺は、詠たちから聞いた帝が亡くなった時の状況を劉備に説明する。決して董卓軍が帝を弑逆したのではないという事をわかってもらうために。切々と語っていくうちに劉備も信じてくれたのか、じっくりと話を聞いてくれている。

「劉備さん、あなたにはこの戦いを見届けてもらいます。もし俺たちが負けたら洛陽の安全の為にメッセンジャーになってください」

「めっせんじゃー?」

 ああ、そうか、メッセンジャーじゃ通じないよな。どうしても普段使っていた言葉が直らない。

「洛陽にはもう董卓軍はいません、と反董卓連合の偉い人に伝えてください。そして帝がすでに崩御している事も。その時の詳しい状況は洛陽の牢獄に繋がれている郭という武将が知っていますのでその者に聞くように、と」

「あなた方は?」

「ここで負けたら俺たちは董卓の本拠地である涼州に戻ります。きっとこの後、帝の座を争う血みどろの戦いが待っているから……」

「あなたもその一人として立つと?」

「……争いなんて無いのが一番良いんです。でも、振ってくる火の粉は払わなければなりません。この戦いに負けたら俺たちの兵力は激減するでしょう。それでも涼州の民を守るぐらいの事は出来るはずですから」

「この国を統べるよりも守るべきに力を割くと、そう仰るんですね」

「この国全てを守るだけの力があれば、この国の弱き者全てのために力を注ぎましょう。ですが、今の俺たちにはそこまでの力はない。なら、助けられる人たちだけでも助けたい……」

「そんなの、間違ってます!」

「えっ?」

 ここで反論されるとは思っていなかったため、つい驚きの声を上げてしまう。

「自分たちだけ……目に見える人だけを助けていればいいんですか? どこかで弱者が虐げられているのを知っているのに、目に入らないからって放っておいていいんですか! そんなの間違ってます!」

「ええ、間違っていますよ。そんな状況が続いていていいわけがない。それはわかっているんです」

「えっ?」

 今度は劉備が驚きの声を上げる。肯定されるとは思っていなかったのだろう。

「わかっているからこそ、地道に平和な地域を広げて行くしかないんです。劉備さん、あなたにもそれは出来るはずだ」

「わ、わたし?」

 のちに三国のうちの一国、蜀を立ち上げる劉備になら、途中で歴史に消えていった董卓よりも多くの人を救えるんじゃないか、そんな期待をしてしまう。だけど期待だけするのなら誰にでも出来る。そのために何をするかが重要なんだ。

「不安な事ばかり言ってすみません。この戦に負けた場合の事をいいましたが、もちろん負けるつもりはありません」

「袁紹さんに……反董卓連合と戦って勝つ、と」

 今度は水関の守りに回っていた曹操軍も前面に出てくるだろう。そして華雄と一騎打ちをしていた武将――孫策――も全力であたってくるはずだ。一度優勢になったからと言って楽観できるものではない。だけど――

「少なくとも勝つつもりで戦います。そして勝てたなら、劉備さん、あなたにもこの世を平和にする為の手助けをして欲しいんです。極端な話をすれば、劉姓であるあなたにならそのまま帝になってもらっても構わないと思っています。中山靖王劉勝の末裔と称しているあなたなら董卓軍の誰よりもその資格はある」

 この発言に霞や詠も驚きの声を上げる。だが、その内容を理解してくれたのか、異議を唱える事は無い。それほど帝の血筋というものが重要性を持っているという事だ。

「そんな……だって、それが本当かどうかわからないじゃないですか! 証明するのはこの剣、『靖王伝家』だけなのに……」

 逆に劉備が否定してくる。面白い光景だと思う。本当ならその内容を人に信じさせる立場にある者が逆に否定しているのだから。

「それでもっ! それだけだったとしても他人を納得させる何かが必要なんですよ。ただ力持つ者が帝になれると知ったらこの世はそれこそ弱肉強食の世界になる。それこそ俺たちが……董卓たちが防ぎたかった事なんです!」

 つい声を荒げてしまう。ここで劉備に否定されては駄目だと心が告げる。それが表に出てしまう。

「北郷さん……あっ、なら愛紗ちゃんたちも呼べば……」

 愛紗というのはだれかの真名なのだろう。関羽か張飛か、もしくは趙雲か、だけどそれをさせてはならない。

「だめです! この戦いに負けたら反董卓連合全軍がとは言いませんが、少なくない数の追っ手が董卓軍に差し向けられるでしょう。先ほど頼んだように洛陽の民の安全のためにあなたはしばらく人質の立場に居てもらいます」

 多分、劉備軍がこちらに合流してくれれば勝てる勝率は上がるだろう。だけど、それでもし勝てなかったら、その時どうなるのか、そんなの想像したくもない。

「それに、ちょっとは期待してるんですよ。俺たちが負けたとしても、あなたがこの国をまとめてくれるのを。その時にあなたの回りに居なければならない人たちを今危険な目に遭わせるわけにはいかない」

 最悪の場合は月と詠ぐらいは匿ってもらいたい。口には出さないが、俺の視線が二人の少女に移ったのを劉備も確認したようだ。ゆっくりと頷き返してくれた。

「わかりました。平和な世の中を作る事に異議はありません。ですが、例え誰であれ命を粗末に扱う事は許しません。それが例え戦の中であっても」

 劉備はゆっくりとそう告げる。やっぱりこの人は劉備なんだなと思える。いついかなる時でも他人の事を案じられる優しい人物なのだと。そして後を託すには間違いではないと自信を持たせてくれる。

「そうですね、話し合いだけで済めばいいんですが……まずは話し合いの机に座ってもらわなくては。この戦はそのための戦なんです」

 指で合図すると、劉備は霞に連れられていく。戦いに巻きこまれない場所に非難してもらうためだ。

 霞は劉備を送った後すぐに戻ってきた。これからが正念場だ。俺は自分の両頬を思いっきり叩く。

「恋! 霞! 蘭!」

「…………んっ」

「はいなっ」

「おうっ」

 三人の名高い勇将が。

「ねね! 詠!」

「呼び捨てにするなです!」

「うるさいわよ!」

 二人の神算鬼謀の軍師が。

「月!」

「はいっ」

 そして愛らしい少女が俺の回りに集まってくる。

「いくぞ、この戦いに勝つために! 守りたい者を守るために!」

 聖フランチェスカに通っていた北郷一刀はもういない。これはから董卓の、月の仲間としての北郷一刀がいるだけだ。そして俺はこれから仲間たちと快進撃を始める。この国に平穏をもたらすために!

説明
BaseSon「真・恋姫†無双」の二次創作。
一部オリジナル設定あり。

支援とコメントありがとうございます。参考にさせていただきます。
続きましたのでタイトルをわかりやすく変更しました。

続き
http://www.tinami.com/view/100074
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コメント
面白い展開になってきました。(ブックマン)
>狼来さん ご指摘ありがとうございます。助かります。(てん)
ごじ〜 P6、『靖王伝家だ』けなのに→『靖王伝家』だけなのに(狼来)
俺たちの戦いはこれからだの雰囲気が感じられすぎるwww続くのかどうかがまずは楽しみだったりw(だめぱんだ♪)
男坂だねぇ〜・・・つづくよね?(覆面X)
結構おもしろッ!と思って読んでたらいかにもな最終回にズコー! 続くよね?(ジョン五郎)
長々とやって結局未完で終わるより、これくらい倍速でいったほうが個人的にはいいと思います。大風呂敷広げたまま放置される作品のせつなさときたら・・・(yosi)
かなり色々加速して突っ切ってる処がまた読みやすくて良い。其々の人物の心理描写等も深く書かれてないから読み手も想像が膨らませられて楽しいし。主要人物達の前向きな、ある種の自己犠牲的に取れる部分が信頼に繋がっている様な風に見られるのも面白い。続筆期待大ですね。(知洋)
ただの学生だった一刀がいきなり指揮したりするのには違和感を感じる。会ってすぐの一刀を詠達がすぐ信頼するのも個人的には微妙だと思う。(libra)
10話分を無理やり1話に凝縮したような内容ですね。信頼の構築速度とかがもうw あとなによりも、これつづきますか? なんか「俺たちの戦いはこれからだ」的な雰囲気がします。(ボブ彦)
自分の持てる力を発揮しようとする一刀。かっこいい姿だと思います。(摩天楼銀河)
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真・恋姫†無双

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