夜摩天料理始末 63 |
喉が詰まっていく。
顔がうっ血し、視界がぼやけて来る。
彼の手に添えていたこうめの手が、力を失ってだらりと落ちる。
死に至る縁をゆっくり滑り落ちていく。
玉藻の前は、こうめの絶望を絞り出すように、加減して少女の首を締め上げていた。
この手からすれば花を手折る程度の力しか要らないが、直ぐに首をへし折っては、面白くも無い。
この死に至る刹那こそが、人が最も醜いその本性を剥きだす、彼女がこの矮小な生き物を愛せる時間。
だというのに。
「……貴様、何故もがかぬ?」
生きようとして、この腕をかきむしり、蹴り上げ、身をもがき、絶望して妾を憎め。
だが、こうめは、自分の首を絞めている相手を見つめたまま、何やら口を動かし続けていた。
声にならない声で。
何かを、必死に。
「ははぁ、呪言かや」
この小娘は陰陽師、なれば、妾を呪っておるのじゃろう。
目を凝らしてこうめの口元を見る。
今にも絶えそうな息の下、震えるような唇の動きを読む。
さぁ、妾に貴様の嘆きと絶望と呪詛を……その命の最後に、心から絞り出される、濃密で甘美なそれを捧げよ。
ここに来られて。
その言葉は、さやと吹く柔らかな風のように。
「……何?」
読み違えたかと、慣れぬ人の目をぎろりと剥く。
ええ、まったくこの生き物は夜目も利かぬし、何と不自由な。
火明かりの中、こうめの可憐な唇の動きに目を凝らす。
ここで、時を過ごせて。
その言葉は、木々を透かして地に降り注ぐ、光のように。
「貴様、何を、言うて……」
わなわなと、男の手が、玉藻の前の当惑を映して震える。
何より、お主に会えて。
その言葉は、地に染み入り、命を育む雨滴のように。
「……止めよ、止めよ」
声がひび割れる。
あろうことか、その声に宿っていたのは、確かに恐怖のそれ。
だが、涙を微かに浮かべた少女の口の動きから、玉藻の前は目を離す事が出来なかった。
わしは、幸せじゃったぞ。
その口の動きを読み終えた、男の、いや、玉藻の前の目がぐるりと白目を剥いた。
その意思を宿す核たる殺生石が軋む。
それは確かに呪詛であった。
自分の最後を悟り、今まで、この庭の皆から貰った、暖かい感情の全てを包み、この世界に置いて行こうとして紡いだ、こうめの全霊を籠めた言霊。
こうめは意図していなかっただろうが、それは、確かに目の前の妖狐、人の憎悪や嘆きの想念を喰らい、力としてきた存在に対しての、最大にして、最悪の呪詛であった。
ぎぃぃぃぃィィィィィィ。
その口から、奇妙に甲高く濁った絶叫が漏れた。
獣が、得体のしれない恐怖に怯えて上げた、哀れな叫び。
タマモノマエサマ、イカガナサイマシタ?!
尾裂の獣が、当惑の声を上げる。
意思の一部だけとはいえ、主たる大妖が上げたとは思えぬ、動揺に満ちた悲鳴。
主に何かがあった。
駆け寄りたいが、自分の前には、強敵が立ちふさがっている。
ジャマジャ、シキヒメ!
唸りと共に目の前の式姫を罵る、それに蜥蜴丸は、更に冷ややかな視線を返した。
彼女もまた、今すぐにでもこうめの下に駆け付けたい。
「お互い相手が邪魔なら、する事は一つ」
時が無い。
かくなる上は。
蜥蜴丸は、残る気力と全ての力を込めて、刀を大上段に構えた。
ムゥ……。
一撃必倒。
これを躱された場合、逆に蜥蜴丸が殺される、それを覚悟の構え。
その輝かしいまでの蜥蜴丸の殺気を感じ、尾裂の獣はその構えを更に低くし、こちらも満身に力を込めた。
「決着を付けましょう」
渇。
玉藻の前は、突然に耐えがたい渇きを感じた。
途方も無い飢渇感が意識を焼く。
久々の人の世で喰らえると思っていた、人の嘆きも憎悪も喰らえず……。
それまで辛うじて抗っていた、思兼の力が更なる圧を伴い、彼女の意思が宿る殺生石を軋ませる。
このままでは持たない。
そして、悟った。
あの男と、この小娘は同じ類の人間。
妾とは、絶対的に相容れぬ存在。
こやつらは、その力の強弱に関係なく、排除せねばならぬ。
「小むすメ……シニヤぁ!」
人の喉を使い、人語を操る余裕も失せたか、ひび割れ、軋るような声を上げ、こうめの首をへし折ろうと力を籠める。
その意思が、何かに阻まれた。
指が緩み、こうめがその手から落ちる。
「な……何故ジャぁ」
慌てて、その手で、小娘を再度掴み上げようとする……その意思が手に、いや、体に伝わらない。
「けほっ、けほ……」
急に解放された喉に空気が入り、こうめが咽る。
「逃……げぇ、むす……め」
その声に、こうめは顔を上げた。
そのこうめを見おろしていたのは、彼とは違う、だが、どこか似た所のある、ほろ苦く微笑んだ、優しい顔。
「すまんなぁ、娘、儂は……こんな」
絞り出す様な声が途中で途切れた。
「きサマ、まだキエズに!」
「……儂はな、しぶといんじゃ!」
人間を舐めるな、化け物が。
「ひとフゼイガぁ!」
それは、奇妙な光景だった。
彼の顔が、時に邪悪に、時に深い悔恨を湛えた顔に、まるで仮面芝居でもあるかのように、千変万化しながら、一人で言葉を交わす。
こうめが、固唾をのんで見守る中、その顔が、何かに気が付いたように、はっと目を見開いた後、喜悦と恐怖と悲哀の色を同時に浮かべた。
(これは……?)
彼の顔が、不思議な、色々な感情を綯(な)い交ぜにしながら、こうめの方を向いた。
「良かったのう、娘」
「良かった?何がじゃ……何が?」
今、彼の中で、一体何が起きているのじゃ。
こうめの言葉に何か答えようとした、その顔がぐるりと白目を剥き、醜悪な憎悪と恐怖の色を浮かべる。
「来るな、来ルナ……死にゾコナイがぁ!」
その声をあざ笑うように、同じ口から呵々と大笑が上がった。
「あやつが、帰って来たぞ」
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式姫の庭の二次創作小説です。 前話:http://www.tinami.com/view/992868 |
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