主よ許したまえ |
『自分は一人だ』と思ったことはあるだろうか?
あるなら、君は知っているかもしれない。
本当の意味で一人になることは不可能だ、ということを。
この世界には自分以外の何かがいる。
やつらは常に蠢き、未知を開拓し、地図を埋めていく。
いくら自分が一人だと思っていても、そんなものは一時の夢にすぎない。
いつか誰かと出会い、心や体で触れ合わなければならない。
だが、君がもし、それにどうしようもなく耐えられなかったら。
赤衣 知朱(あかい ちず)は、逃げることに決めた。
相手は自分よりも大きくて、武器を持っていて、なによりも攻撃的だ。
しなりと曲がった二本角をはやした、二足歩行の巨大な牛頭。
あの怪物に襲われて、逃げない人間は少ないだろう。
深夜に出かけるのは危ないかな?と思っていたが、東京でこのような怪物に出会うとは。
牛頭と知朱の距離はどんどん縮まっていた。
歩き方は、のしのしとゆっくりに見えるのだが、歩幅が大きいので、見えるよりもずっと早く進むのだ。
知朱はペチコートをさっと翻し、ズボンを汚しながら、工事現場に転がり込んだ。
もう工事現場に人気はない。重機や鉄パイプが寂しげに置いてあるだけだ。
知朱は、一本の鉄パイプを引き抜いた。振り向いたそのままの勢いで、牛頭めがけて鉄パイプを投げる。
狙いは顔だ。
牛頭は見るからに屈強そうで、体にあたったところでなんともなさそうに見える。
しかし、顔ならば、よわい鼻や目に当たるかもしれない。
鉄パイプはくるくると回り、知朱の狙い通り、牛頭の鼻に当たった。
牛頭がくらりとのけぞる。
効いた・・・!
知朱は喜びから反射的に、二投、三投と鉄パイプを投げた。
しかし、もはや鉄パイプが急所に当たることはなかった。
身を庇うように構えられた牛頭の腕と斧に受け止められ、力なく転がっていく。
それでも、知朱は力の限り、鉄パイプを投げ続けた。
牛頭は防御の構えをとりながら、一歩ずつ知朱に近づいていく。
この怪物は、どんな風に自分を殺すのだろうか?
知朱の頭の中で、最悪の想像が巡り始めた。
斧でまっぷたつ、ならまだ良いほうなのかもしれない。
あの腕で掴まれて、締め付けられるように殺されたら?
そういえば、神話に出てくる牛頭の怪物はとんでもないやつだった気がする。
もし、殺される前に、肌に触られるようなことがあったら・・・。
知朱の足がとんとんとんとん・・・と震え始めた。
それは駄々を捏ねる子供が、爆発して怒り狂う直前の様子によく似ていた。
次に投げた鉄パイプは、びゅうと、いままでと比べ物にならない勢いで飛んだ。
鉄パイプは、ゆるぎなく斧を貫いて、その先にある怪物の頭に刺さった。
知朱の肉体は、何かに変身していた。
赤い鎧を肌として纏った異形の戦士。その外見は、知朱が子供向け番組で見た、昆虫人間のようにも見えた。
知朱はしばらくの間、牛頭を見つめていた。
牛頭からは、どくどくと大量の血が流れている。強烈な臭気が、知朱の鼻をどろりとくすぐった。
牛頭は、完全に息絶えているように見えた。
遠くから鉄パイプを転がし、ぶつけてみても、牛頭はぴくりともしない。
もはやこの怪物は動かないのだと知ると、知朱は自宅へと歩き去った。
家についた頃には、知朱の肉体は元に戻っていた。
服も元通りに、ペチコートとズボンを履いた、男にも女にも見える格好に戻っていた。
知朱の家は、二階建ての一軒家だ。
両親は海外で暮らしているため、知朱は一人で自宅に暮らしている。
自宅を眺めていると、緊張がほどけたのか、じわじわと生き残ったという感覚がやってきた。
ふーと深い息をつく。
知朱は、自宅を見るたびに、幸福感と安心感に包まれる。
自分一人しか住む者がおらず、死角のような場所であるために人気がない。
この家を手に入れていなかったら、自分は死んでいたかもしれない。
玄関の扉を開けると、知朱はぎょっとさせられた。
そこには、ぼうっとした光を纏った美しい誰かが立っていた。
誰かは目を伏せ、静かに知朱に語りかけてきた。
「望まれる形から外れた、いるべきでない者。」
輝く何者かの言葉は、じくりと知朱に降ってきた。
望まれる形から外れた、いるべきでない者。
知朱はその言葉に、ひどく心当たりがあった。
「おまえ、何だ?」
知朱の口から、ぴりぴりといらついた声が出た。
次に相手が下手な事を言おうものなら、言わなくても、口と体でボロボロに傷付けてやる。そういう声色だった。
「私は神です。あなたたちの祖を作った者であり、あなたたちを管理する者。」
神・・・?
予想よりもはるかに変なことを言われて、知朱の怒りがしぼんだ。代わりに、ふつふつと好奇心が湧き上がってくる。
「わたしを作った?こうなるように?」
「あなたは手にしてはならない力を得てしまった。」
「力?さっきの?」
神は、知朱の質問には一切答えなかった。
代わりに光る掌をかざして、宙から小さな宝石を造り出した。
宝石は神に照らされ、きらりと妖しく光った。
「あなたの道は二つに一つ。私の天使に処刑されるか、薬を飲んで力を手放すか。」
神が宝石を床に落とすと、宝石はなぜか知朱の手の中に収まっていた。
「力さえ手放せば、俺は神の望む人間になれるわけか?つまり、そこしか問題はないと?」
神はじっと動かない。知朱が宝石を飲むのを、ずっと待っているつもりのようだ。
知朱は手を開いて、小さな宝石を見た。
こつこつして、硬い。指でひねってみても、すこしも潰れる気配がない。
赤く透き通った中身には、どろどろした黒い何かが蠢いている。
突然、知朱の背後で光がきらめき、視界が青く染まった。
青い稲妻がはしり、神の体が穿たれた。
穿たれた神の体が、溶けるように消えていく。
いつの間にか、知朱のうしろに背の高い男が立っていた。
男は知朱の腕をつかみ、家の外へと連れ去っていく。
知朱は男の手の感触にぞっとして、反射的に掴まれた腕で、どっと男の腹を打った。
男の力は強かったが、知朱が勝った。
男が知朱の腕を離し、腹をおさえてうずくまる。
知朱の体は、赤い戦士の姿に変わっていた。
「待て。悪かった。違う、俺は敵じゃない。」
男は、にぃ、と人のよさそうな笑顔を浮かべた。
知朱は男をすーっと冷たく見下ろしていた。
彼女は何故か、自分でもわからないほどに激しくキレていたが、やがて頭が冷えた。
稲妻に貫かれても、神は消えるまでのあいだ、ずっと知朱のことを見ていた。
おそらく、死んでいない。
この男は、神が戻ってくる前に、急いで私を避難させようとしたのだろう。
知朱は、男の話を聞くことに決めた。
「俺たちはみんな命を狙われている。神が望まない性質を持ったから。だから、集まって身を守っている。」
知朱が連れていかれたのは、寂れた喫茶店だった。
そこには様々な形の人間がいた。彼らはみな、雷を起こしたり、第二の視界を持っていたりといった、能力を持っていた。
知朱を連れてきた男は、ソーと名乗った。
「ハンドルネームだ。気に入ってる。」
「状況はわかった。ありがとう。」
知朱は礼を言うと、すぐ立ち去ろうとした。
しかし、ソーが出口との間に入って、知朱の前に立ち塞がった。
「待ってくれ。ヤツは強い。君にも仲間になってほしい。」
「断る。」
知朱は間髪入れず断った。
「何故だ?みんなで助け合うべきだ。それとも、信用できないのか?」
「信用はしている。」
ソーは困惑している様子だったが、口ぶりは真摯で、知朱はソーが、善意で自分を引き留めてくれているのだとわかった。
「わたしは一人でいるのが好きだ。他人と一緒に過ごしたいとは思わない。」
ソーは納得しかねる様子だったが、知朱の口ぶりがあまりにも断定的で、一切の迷いがないので、
「そうか。気を付けろよ。考えが変わったら、気負いせずに来てくれ。」
と言って、知朱を見送った。
知朱がこの場所に来ることは、二度となかった。
今度現れた怪物は、ワニの頭を持つ二足歩行の戦士だった。
水流を操る手強い相手だった。川に引き込まれた知朱は窒息死する寸前、新たな姿に変化した。
青い鎧を肌として纏った異形の姿。
新たな姿となった知朱は、水中を自由自在に飛び回り、怪物に勝利した。
(どんどん強くなっている・・・。いや、違う、変化している。)
青い鎧の戦士は、赤い鎧の戦士よりも力が弱かった。
知朱が何十発と拳を叩き込んで、相手はようやく倒れたのだった。
赤い戦士と青い戦士。似た姿だが、その性質は全く違った。
(環境に適応する力なのか?だとしたら、もし、この能力を自在に扱うことができるのなら。)
知朱が家に帰ると、そこにはまた、神と名乗った者がいた。
神の体には、ソーの雷を食らった跡など、どこにもない。
「ちょうどよかった。聞きたいことがある。」
「聞きたいこと?」
神は、今度は意外にも知朱に応えた。
「この力はどういうものなんだ?」
「可能性。ですが、必要のない可能性です。私の世界にあるべきではない。」
「そう。じゃあ、戦うの?」
神は落ちついた表情のまま、否定した。
「いいえ。あなたの力は目覚め過ぎた。いくら使途を差し向けても、逆に力を強めてしまうだけ。」
神は知朱にむかって手をさしだし、握手を迫った。
「わたしの使途になりなさい。そこでなら、あなたは仲間と幸福に生きていける。」
知朱は、神の手をじっと見つめた。
「人間から離れて、一人で生きていける?」
「いえ、神の使途となり、彼らのように戦って貰います。」
会話は淡々と続いた。もう交渉は決裂していて、神も知朱も、終わらせる儀式をしているだけだった。
神は消えた。
知朱は、寝る支度を済ませて、ベッドへと転がり込んだ。
明日から、どうするか。
神にもソーにも見逃してもらったが、また会っても良いかもしれない。
彼らと一緒にいるのは苦痛だが、戦い続ければ、力がどんどん変化し、強くなるかもしれない。
そうなれば、どこか知らない、自分一人だけしかいない世界に行けるかもしれない。
そして、そこで生きていられる。
あるいは、このまま我が家に隠れる小さな孤独で満足するべきかもしれない。
考えが巡る。
どちらにせよ、一人になりたい。
知朱は、だんだんと深い闇へと落ちていき、孤独に包まれて眠った。
説明 | ||
現代ファンタジー。 人嫌いが人から逃げ続けるお話。 打ち切り気味の終わらせ方。 |
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